上 下
284 / 431

別れの餞別①

しおりを挟む

 朝食を終えて出立のための身支度をしてもらい、鏡の前で全身を確認する。
 ほとんど馬車の中で過ごすからあまりめかしこむ必要もないと思うのだが、客としては別れの挨拶も身綺麗にしておくべきなのだろう。
 繕ってもらった外出用のコートに新調したばかりのブーツ、玄関先からすぐ馬車に乗り込むためマフラーは巻いていない。
 ここへ持ち込んだり街で買ってきた荷物などは、朝食の間に粗方積み込んでしまったようだ。サーレンバー滞在中に過ごした部屋は、初めて訪れた時と同じように片付いている。
 生活に必要な調度品はあらかじめ揃っていたため、元々私物は少なかった。それでも見慣れてきた部屋がこうしてがらんとしている様は、何だか物寂しく思う。
 またサーレンバー領へ訪れる機会があるとして、一体何年後になるだろうか。あと二年ほどすればクストディアの十五歳記だから、その時にファラムンドがこちらに来るようなら同行を願い出てみよう。

 そんなことを考えながら、リリアーナは鏡台についた小さな引き出しを開けて、宝飾品ケースになっている中から銀色の首飾りを取り出す。
 滞在中は馬車での買い物の際に身につけたきり、他に外出がなかったためしまいっぱなしでいた精白石の護符。五歳記の祈念式に向かう途中、カミロから贈られた品だ。
 危機に陥ったときはこれに念じれば報せが届くということだが、あの庭での騒ぎの際は所持していなくて良かった。もし何かのはずみに発動したら、遠方にいてどうしようもないカミロに要らぬ心配をかけるところだった。
 首の後ろで留め金をつけて衣服の中にしまうと、胸元に冷たい感触があたる。すぐに体温に馴染んで、金属にふれている違和感もなくなった。
 イバニェスの自室でも同じように鏡台にしまっているが、外出自体が少ないためあまり出番はない。

「そのペンダント、先日のお買い物の際にもつけていらっしゃいましたわね。ファラムンド様からの贈り物ですの?」

「いや、これは……」

 カステルヘルミの何気ない問いかけに、応えかけた言葉を飲み込む。
 ただの装飾品ならともかく、これは精白石が込められている魔法具の一種だ。あのカミロが他者の目のない場所を選んで渡してきた以上、あまり軽々に出所を話さないほうが良いのかもしれない。
 そんなことを考えたリリアーナが返答に迷っていると、横からフェリバが顔を出した。

「侍従長から、五歳のお誕生日にいただいた物ですよね?」

「えっ、あの侍従長さんがこれを? あらあら、あんな澄ました顔して中々やりますわねぇ」

「またそーいう、すぐに変な方向に持ってくの良くないと思いますー。きっとお守りとか、中に香木が入ってるとかで他意なんかありませんよ」

「うん、まぁ、そんな感じだが……フェリバはどうしてこれがカミロから貰った物だと分かったんだ?」

 誰にも話したことはなかったし、あの場に同席していたエーヴィが伝えたとも考え難い。不思議に思って訊ねてみると、フェリバは指を一本立てながら得意げに胸を逸らした。

「五歳記のお祈りから帰ってすぐ、鏡台の引き出しに大事そうにしまわれたじゃないですか。きっと侍従長から貰った物だから、他のみんなには内緒にしときなさいーってトマサさんが言ってて」

「トマサが?」

「はい。私たち使用人はお仕えしている方に贈り物とかできないので。だから侍従長も、こっそりプレゼントしたんだなーって思ってて……、あ、ルミちゃん先生にもバレちゃまずかったです?」

「いいや、別に構わん」

 何でもない風にそう返しながら、温度の馴染んだペンダントを服の上から押さえる。
 これまで護身のための道具という認識しかなかったけれど、これは誕生日プレゼントだったのか。カミロは一言もそんなことを言っていなかったけれど、わざわざあの日に手渡したなら、そういう意味で合っているはず。
 あの時は中の精白石に気を取られ、ろくな礼を言えなかった気がする。イバニェスへ帰って、顔を合わせた時に感謝を伝えたら今さら何だと思われるだろうか?

 指の背で下唇をいじりながらそわそわ考え事をしていると、扉がノックされる音が響く。
 来客を告げるその合図にも慣れたもの。応対に出たエーヴィの横から堂々と姿を現したのは案の定、クストディアだった。その後ろにはいつも通り黒鎧を着込んだシャムサレムが続く。今日はめずらしく兜を取って小脇に抱え、素顔を晒していた。

「どうしたんだ、部屋が暑いか?」

「ひとこと目から何なのよそれは、ご挨拶ね。礼儀ってものを胎児からやり直したらどうなの? まったく、客に対する態度がなってないわ。これだから田舎者は嫌よ、さっさと羊だらけの辺境に帰って雑草でも齧っていれば?」

「うん、お前にも色々と世話になった。機会があればまた来るから、シャムサレムともに達者でな」

 そう言って視線を上げると、目礼を返した男は片手を持ち上げて小さく振った。それに気づいたクストディアが振り向きざまに手を叩き落とす。

「私を挟んで和んでんじゃないわよ! もう、最初から最後まで失礼な娘ね!」

「あいにくと茶を出してやれるほどの時間はなさそうだが」

「結構よ。ちょっとその間抜け面の見納めに来てやっただけ、最初から長居するつもりはないわ」

 せせら笑うように鼻を鳴らす少女の居丈高な態度も、自信に満ち溢れた表情もいつも通り。一昨日は盗み聞いた会話の内容に衝撃を受けて顔色を悪くしていたのだが、こうして見る限りどこにもその影響は残っていない。
 だが、表面上の平静を取り繕っているだけだとわかる程度には、この口の悪い少女と交流を重ねてきたつもりだ。

「エーヴィ、まだ少し時間はあるな?」

「はい。旦那様方のご準備が整い次第、こちらへも報せが参ります。それに女性の身支度は長くかかるものですから、多少遅れた程度でとやかく言う者はおりません」

「キンケードも似たようなことを言っていたな……。まぁいい、わたしは少し話がしたい、お前たちも迎えが来るまでは好きにしていろ」

 部屋の奥へ足を向けてからクストディアを手招くと、少女は口を曲げながらも大人しくついてきた。
 話し声が聞こえない程度に離れれば十分だから、隣室へ行くまでもない。寝室寄りの窓際、籐編みの衝立の向こう側まで歩いてから足を止める。
 ふたりを振り返ると、シャムサレムは相変わらずクストディアの背後にぴたりと控えていた。表情が硬いから、素顔でいても兜を被っている時とあまり印象が変わらない。

「わざわざ場所を移してまで何の用よ? 言っとくけど、例の件についてはもう何も話すことはないわよ」

「うむ。あれはお互い他言無用、知らされるまでは知らない振りを通すということで納得している。こんな別れ際にまで厄介な話を持ち出すつもりはない」

「じゃあ何だっていうの?」

「一昨日はあれのせいで、うやむやな退室になってしまったからな。お前とはちゃんと別れの挨拶をしておきたいと思っていたんだ。どうせ面倒くさがって見送りには出てこないのだろう?」

 図星だったのか、クストディアは頬を膨らませて窓の外へ顔を向けた。
 緩やかに流れる雲は天高く、空気も乾いているため雨の気配は遠い。道中も降られる心配はなさそうだ。
 しばらく指先で袖のフリルをいじっていたクストディアは、何か踏ん切りがついたのか、むくれた顔のまま睨みつけてきた。

「別に、わたしが外まで見送りに出てやる義理なんて欠片もないし、あんたなんかさっさと帰ってしまえばいいと思っているもの。屋敷からうるさい小娘が消えてせいせいするわ」

「うん」

「これで何度も部屋へ押しかけて来ることもなくなるし、やかましい置物もいなくなるし、ようやく元通り、いつも通り静かに過ごせるわ。楽しい本を読んでおいしいお茶を飲んで、悠々とひとりの時間を満喫するんだから。わたしにはシャムがいるもの、あんたなんかいなくたって、別に、」

「うん」

 眉間にしわをめいっぱい溜め込んだしかめっ面は、怖いというよりも少し滑稽だったが、怒られるから何も言わない。
 こういう時はどんな言葉を返すべきかと考えてから、右手を差し出した。
 その手をじっと見たまま動こうとしないクストディアに焦れて、自分から少女の右手を取る。トマサや兄たちよりも柔らかく、ノーアよりは肉付きの良い手をぎゅっと握った。

「次は何年後になるかわからんが、また会おうクストディア。お前の十五歳記に合わせて来られたら良いけれど、もし出不精が治ったらイバニェスへも遊びに来い」

「嫌よ、馬車の長旅なんて」

「そうか……。まぁ、そうだな。無理にとは言わんさ」

 両親を馬車の事故で亡くしているのだから、馬車が苦手でも仕方ないし、それに乗って領道を通るのは余計に辛いのかもしれない。
 結局、彼らの事故は整備不全が元とはいえ、人為的なものではなかったとブエナペントゥラたちも話していた。事故の一因となったクストディアの親族についてもう少し詳しく話を聞いてみたかったが、大人たちの相談事はこれからの調査に比重が置かれていたため、それ以上のことはわからない。
 父は殺されたのだと言い張っていたクストディアだが、もしかしたらもっと前から八年前の事件は『事故』だったのだと、知っていたのかもしれない。一昨日は顔色を悪くして押し黙るだけで、取り乱すこともなかった。

 少女の部屋で不用意な発言について反省をしたばかりだ。この話題はやめておこう。
 そっと力を抜いて手を放そうとすると、今度はクストディアが力いっぱい握ってきた。

「あんたは考えてることが顔に出すぎなのよっ。もう少し自分の立場を考えて取り繕うことも覚えなさいよね、領主子女としての自覚が足りないわ。あのろくでなしな次兄ほどとは言わないけど、腹芸も作り笑いも世辞も足りてないわよ」

「うん、そうだな。父上は良い話し相手になるだろうと言ってサーレンバーに連れてきてくれたけれど、お前と話しても手本に相応しいものはなかったから、帰ったら礼儀作法の授業をもっと頑張ろうと思う」

「あ、ん、た、ねぇ……っ!」

「というのは半分くらい冗談だ。クストディアと接して学び取るものは多かったし、色々と考えさせられた。良い出会いだったと思う。お前にとっては迷惑だったかもしれんが、」

「迷惑よ、そう、迷惑だわ! 迷惑以外の何ものでもないんだからっ!」

 投げ捨てるように手を放すと、クストディアは腕を組んで再びそっぽを向いてしまう。その頭越しに何となく目の合ったシャムサレムは、口元をむずむずと動かしながら変な顔で笑っていた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

婚約破棄られ令嬢がカフェ経営を始めたらなぜか王宮から求婚状が届きました!?

江原里奈
恋愛
【婚約破棄? 慰謝料いただければ喜んで^^ 復縁についてはお断りでございます】 ベルクロン王国の田舎の伯爵令嬢カタリナは突然婚約者フィリップから手紙で婚約破棄されてしまう。ショックのあまり寝込んだのは母親だけで、カタリナはなぜか手紙を踏みつけながらもニヤニヤし始める。なぜなら、婚約破棄されたら相手から慰謝料が入る。それを元手に夢を実現させられるかもしれない……! 実はカタリナには前世の記憶がある。前世、彼女はカフェでバイトをしながら、夜間の製菓学校に通っている苦学生だった。夢のカフェ経営をこの世界で実現するために、カタリナの奮闘がいま始まる! ※カクヨム、ノベルバなど複数サイトに投稿中。  カクヨムコン9最終選考・第4回アイリス異世界ファンタジー大賞最終選考通過! ※ブクマしてくださるとモチベ上がります♪ ※厳格なヒストリカルではなく、縦コミ漫画をイメージしたゆるふわ飯テロ系ロマンスファンタジー。作品内の事象・人間関係はすべてフィクション。法制度等々細かな部分を気にせず、寛大なお気持ちでお楽しみください<(_ _)>

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

処理中です...