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運命

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「そう警戒しないでよ、キミを傷つけるようなことはしないって。ただ知ってることを教えてほしいんだ。キミに魔法を教えた相手がどこにいるのか、居場所がダメなら今何をしているのかだけでもさ、頼むよ」

「……普通に、平穏に暮らしているだけです。付け狙うようなことをしなくたって、聖王国には何の害意も持っていないのに」

 決意を固めた以上、交わす言葉は単なる時間稼ぎに過ぎない。まだその場から動かないエルシオンは、話し合いの続きだと思っているのか。それともふたりきりで話せさえすれば、余所へかどわかす気はないのか、そのまま軽い調子で言葉を続ける。

「害意ね。ふーん、なるほど、リリィちゃんには素性を話してるってことかな?」

「たとえ元が何だろうと、今は無害に暮らしているのだから。放っておいてください」

「そうはいかないよ。オレにとって、これは運命・・だ」

 それまでの軽薄な笑みを薄め、男は語調を強めた。構成を扱っている様子はないのに、両の目が爛々と光っているように見える。
 覚悟を抱いているのは自分だけではないのだと、その目を見て思い知らされた。

「……それでも」

 あの広間で『勇者』を迎え討ち、『魔王』として命を落としたのは、きっと運命だった。
 そうするべき生き方、そうなるべき終わり。
 生まれた瞬間から役割として決められていたこと。

 ――だが、今生は違うはずだ。何の間違いで記憶を持ったままヒトに生まれ直したかは知らないが、リリアーナとして生を受けたことも、これまでの八年間も、そしてこれから先に続いているはずの人生も、決して運命なんてものに縛られるものか。
 生得の役目を全うするつもりはあっても、生前のしがらみまで引き受ける気は更々ない。
 『魔王』の事情はデスタリオラの死で完結している。エルシオンの運命なんて知ったことではない、もう今の自分は『魔王』ではなく、ただのヒトなのだから!

「それでも、あなたに話すことは何もない。諦めないと言うなら抗うし、人質を取ったり魔法で自白させる気なら自害をも厭わない。わたしは、……わたしにだって命を懸ける覚悟はある!」

 周囲に細かな水の粒が浮かぶ。手を広げた距離、エルシオンとの間、ひらけた荒れ地の全域。効果範囲は段階的に広がっていく。
 降雨が空中で止まったかのような水滴はいったん上空へ。無から呼び出したものではなく大気中の水分を集めただけだから、範囲のわりにコストは低い。

「あー、うん、キミに危害を加えるつもりがない分、実は人質って手はちょっと考えてた。でもやめる、だから自害とかコワイこと言わないでよ」

「あなたが追うのを諦めない限り、わたしはそれを阻む」

「諦めないとも。目的を遂げるまで絶対に止まらない、オレが生きてる意味そのものだから。それこそキミが言うように、命を懸ける覚悟だってある」

 エルシオンの目が虹色に輝く。途端、その周囲を取り巻いていた水の粒が一度に蒸発し、白い蒸気が立ち込めた。
 自分の周囲、固まった水分に絞って分子へ働きかけたのはわかったが、視えていないはずの背後にまで効果が及んでいる。きちんと構成に効果対象を書き込んだ証拠だ。
 ……こちらにはほとんど構成円を視せもせず、一瞬で。相変わらず魔法の扱いが卓越している。

「何かするつもりみたいだけど、やめときなよ。キミはたぶん攻撃用の魔法なんて習ってないでしょ。もし知ってたとして、実際に人間相手に使ったことはないはずだ」

「……」

「リリィちゃんにとっては街で追いかけてきた知らないヤツで、領主サマのお屋敷に変装して入り込んだり、ここのお嬢サマに脅し紛いのことしてたり、護衛を倒したりしつこく秘密を教えろって迫ったりする不審者かもしれ……いや、これだいぶ駄目だなオレ、自分で言うのも何だけどめちゃくちゃ怪しいよね? いや、怪しいのは自覚してるけど、そうじゃなくて、こう見えて一応身分も保証されてる人間で、かなり強いんだよって言いたいんだ!」

 風が吹いて、乾燥した空気が入れ替わった。男の言葉を聞き流しながら工程を進める。
 空中に浮かんだ水の粒は、漂う汎精霊たちに接するとパチリと弾けて他の粒とぶつかり混ざる。実体のない精霊だから、本当に衝突しているわけではない。構成には精霊の要素を書き込むこともできないから、全て目視だ。
 空に地表に、視える限りの精霊たちに、水滴がふれては爆ぜるを繰り返す。やがていくつかの光の粒が、自分から水滴にぶつかってくる。
 ふれて、はじける。
 形がないのに、物にさわれるはずもないのに、自身がぶつかった水滴がぱちんと弾ける。
 それに気づいた精霊たちが、そばにある水滴にふれては爆ぜるを繰り返すようになっていく。ひとつ、ふたつ、十、二十……、空から雨粒が跳ねるような、不思議な音が響いた。
 汎精霊たちに言葉は通じないし、その思念を読むこともできないが、いつも自分の魔法を『楽しんでいる』ことだけはずっと知っていた。その効果で精霊たちを楽しませれば、テルバハルムの水源のように、手元を離れた大きな構成だって回し続けることができる。
 歌も、……精句の詩も、本来そのためにできたものなのだろうか?
 共通言語の音としては意味の通らない、あの散文的な詩のことが頭をよぎった。

「何をしてるのかと思ったけど、またオレの知らない魔法を見せてくれるの? こんな広範囲で、精霊まで使って一体……リリィちゃん、キミは一体何者なんだ?」

「わたしは……、見ての通り、わたし以外の何者でもない」

「うちの相方も人間だとは言ってたけどさ、いくら才能ある子どもつっても限度があるだろ。街でオレに転移を使ったのもキミなのか?」

「……あれは、違う」

 そうだ。ここで奴を何とかしなければ、次はノーアの元へ向かうかもしれない。
 諦めると言質を取ったところで本当にもう狙ってこないという保証は何もなく、この場で取り逃がせばまた記憶消去を使って足取りをくらませる。今が最初で最後の好機、覚悟が決まった以上この場でけりをつけるべきだ。
 今の生活を何もかも失うくらいなら、この手で――

(この手で、『勇者』を殺す……?)

 その考えに、発想に、心の内で何の制止もかからないことに気づく。
 気づいてしまった。今の自分はもう『魔王』ではないから、『勇者』を殺すことができる。

 当たり前のことなのに、なぜか総毛立つような思いがした。
 敗北することが決まっていた生前とは違う、ただのヒト……ただの、そう、今の自分が押し付けられた役割は悪の名を冠するような、ただの『令嬢』だ。自らの手で聖王国側の守護者を殺害することだって。できる。

「……っ!」

 まさか、と背筋のあたりが寒くなる。
 『魔王』の記憶と意識を持ったままヒトの子に生まれた理由を、これまで全く考えなかったわけではない。いくら考えてもわからなかったから、不思議なこともあるものだと放置してきただけ。

この自分リリアーナは、『勇者』エルシオンを殺すために生まれてきた?)

 一度きつく目を閉じ、開く。詰めていた呼吸を再開する。急に冷えた空気を吸い込んだせいで喉の奥が痛んだ。指先がひどく冷たい。手袋はどこに落としてきたのだろう、冷え切った両手を固く握りしめる。
 そんなはず……何かを殺すために生まれてきたなんて、冗談じゃない。そんなことのために生まれたのではない、自分は、リリアーナは、

 ――ファラムンドの、兄の、侍女たちの、カミロの、キンケードやノーアの顔が再び脳裏を駆け巡る。
 優しい人々に囲まれ、生きているだけで毎日が楽しかった。イバニェス家に生まれたことをずっと感謝している。三人目の子として、両親に望まれて生まれてきたはずだ。だって自分は皆に愛されている。
 たとえどんな役割を受け持っていたとしても、この「生」自体にそんな下らない理由があるなんて思わない。

 エルシオンの言うように運命なのだとしたら、これは決別の場だ。もういない『魔王』デスタリオラの影を追う『勇者』を倒し、自分の意思で、自分の人生を切り開く。そのためなら……

「だめだよ、そんな目で見ても。キミはオレを傷つけることはできない」

「本当に不可能だと?」

「真っ白な顔して無理するもんじゃないって。この水滴を凍らせて無数のナイフでも降らせてみせる? それとも、空気中の酸素を全部吸着して窒息させる? 狙いを外さないように範囲攻撃を選ぶのはいいけど、どれも効かないよ」

 確かに、奴が挙げたような攻撃では何の効果もないだろう。実際にやり合った経験がある自分だからこそ、身に染みてエルシオンの強さは理解している。
 大陸屈指の剣技に、『魔王』と並ぶほどの魔法の腕前。さらには並外れた学習能力を持っている。あの広間で戦った時に見せた技や術はもう通用しないと見ていい。……まさか神経作用の魔法まで対策されるとは思わなかったが。

 焦れたのか、それとも話し合いはもう終わりだということか、エルシオンはそれまで立っていた林の境を抜けて荒れ地へと歩き始めた。
 空からは水滴の弾ける音が続いている。無数の水音が重なるそれは、まるで何か楽器を奏でているようだ。
 まだ準備は終わっていないが、焦りはない。
 リリアーナは早鐘を打つ鼓動を耳の奥に聞きながら、心はどこか凪いだまま、描いている最中の構成へと全神経を傾けていた。

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