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まるまるとした①

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「それじゃ、ご本をいっぱい楽しんできて下さいねリリアーナ様。お部屋のことはどーんとお任せを!」

「うん、行ってくる。気が済んだら適当に切り上げて戻ってくるから、それまでフェリバもゆっくりしていてくれ。こちらに着いてからというもの、気を張ってばかりで疲れたろう」

「合間にちゃんと休憩もらってますから、大丈夫ですよー。いってらっしゃーい!」

 手を振るフェリバに見送られて部屋を出る。廊下で護衛役のキンケードとテオドゥロが合流し、五人でぞろぞろと階段のある交差地点まで進んでも、フェリバはまだ扉の前で手を振っていた。
 先導を自警団のふたりに任せ、間に自分とカステルヘルミ、一番後ろをエーヴィが歩いている。
 書斎へ向かうだけなのにずいぶんと物々しい上、キンケードたちは帯剣をしている。過剰戦力もいいところだ。もし廊下の窓を突き破って武装強盗団なんかが攻め込んできても、自分が手を貸す必要もなく鎮圧してしまうだろう。

「フェリバさんは、何か手を動かしていたほうが気が紛れるようですわね……」

「まぁ、洗濯物を運んだり部屋の掃除をしたり、部屋にいても仕事は色々あると思うが」

 唯一戦力に数えていないカステルヘルミの呟きに、顔だけを向けて応える。
 働き者だから仕事のあるほうが張り合いが出る、という話かと思ったのだが、その曇った表情を見る限りどうも違うらしい。

「フェリバがどうかしたのか?」

「ええ……、一昨日はずいぶんと消沈されていらした様ですから。ああしていつも通り賑やかに振舞っていても、何だか空元気に見えてしまって……」

 確かに、昨日の朝起こしに来た時からずっと、声のトーンが普段よりいくらか高いような気はしていた。本当は元気がないのに、こちらに気を遣わせないよう、いつも通りの振る舞いを意識したせいかもしれない。

「だが、一昨日のあれはフェリバには何の非もないだろう? わたしが怪我をしたのは自分のせいだし、双子の件にしてもあの場で我々が事を荒立てるのは得策ではなかった」

「それでも、フェリバさんの立場としては内心穏やかではありませんわ。原因や状況がどうあれ、身を盾にしてでもお嬢様をお守りするのが侍女の務めだと仰ってましたし。自分がついていながら痛い思いをさせてしまったって、一昨日もお嬢様がお昼寝されている間にずいぶん落ち込んで……」

 自分の負傷をフェリバがそこまで気に病んだまま隠していたなんて、気づきもしなかった。つい止めてしまった歩みを再開しようとして、足を踏み出せず階段の半ばに佇む。
 身を盾にして守られても、何も嬉しくない。たとえリリアーナ自身がそう訴えたところで、フェリバもカミロも……トマサやエーヴィだって、そうすることはやめはしないだろう。でなければ毒見役を含む仕事なんて続けられるはずもない。

「気にするなと言っても、無駄だろうな」

「そうですわね、こちらから気遣っても認めて下さらないでしょうし、むしろ自分は大丈夫と仰って、精一杯の笑顔を向けてくる気がいたしますわ」

「だろうなぁ……。何か、フェリバの気晴らしになるようなことがあれば良いのだが。父上は明日にでも買い物へ出るための手配をしてくれると言っていたから、一緒に街や品物を見て回ったら、お前が言うように気鬱の発散になるだろうか?」

「ええ、もちろん! まだフェリバさんとは散策やお買い物をご一緒されたことがないのでしょう、きっと喜びますわ!」

 ブエナペントゥラから貸与された本ですっかり機嫌を直していた自分なんかと違い、フェリバのほうは二日経っても未だに落ち込んでいたようだ。普段が底抜けに明るい分、意外と内に溜め込む気質だったらしい。
 トマサのいないこちら側では、自分がしっかりしなければと気負っていたし、そうして張り切った分だけ思い通りにいかなかった時の落胆は大きい。
 コンティエラでのこととか、収蔵空間インベントリに続く穴のこととか、自分にも覚えがあるためその気持ちはよくわかる。
 馬車で街へ出て、イバニェス領にはないものを眺めたり買ったりすれば、いくらかフェリバの気持ちも上向くに違いない。トマサへの土産物を一緒に選ぶのも、きっと楽しいだろう。



 止めていた歩みを再開し、長い渡り廊下を経て本邸へ。
 サーレンバー邸の使用人から書斎の場所は聞いているというキンケードは、迷いもなく広い廊下を進んでいく。
 腰に下げている鞘は隣のテオドゥロと同じ自警団の貸与品だが、そこに収められている柄には見覚えがある。以前強化してやったあの剣だ。
 歩く途中、侍女や侍従がこちらを見つけるたび深々と礼をしてくるが、前を行く男はそちらに顔を向ける素振りもない。あの眼光の鋭い目だけで、周囲を注意深く観察しているのだろう。怯えた表情を見せる侍女が少し哀れだった。

「そう威嚇しなくても、使用人たちは危害を加えてきたりしないでしょう」

「威嚇なんてしていませんよ」

「ああ、目つきが悪いのは元々でしたね」

「装うのか素のままなのか、どっちかにしたらどうですかねぇ、お嬢様」

 人けの薄い場所ではそんなやりとりを交わしつつ、絨毯の敷かれた階段を上る。
 一昨日もこうしてキンケードが移動中の護衛についていれば、あの双子に絡まれてもすんなり追い返すことができただろう。この悪人面を前にしたら、そもそも絡んではこなかったかもしれない。
 サーレンバー領へ来る前にヒゲを剃り髪をまとめたせいで、以前よりだいぶ迫力が落ちてしまったけれど、子どもを怯えさせるには十分すぎる。

 そうして初めて上がるフロアに到着し、広い踊り場から廊下へ出る。
 方角のせいもあるだろうが、頭上の採光窓が大きくとても明るい。艶のある薄灰色の壁石が水面のように輝いていた。
 その内装に気を取られて視線を向けるのが後回しになってしまった右手側の廊下、少し離れたところに人影がひとつ。その人物はこちらに向かって歩いている途中、自分の片足に足を引っかけ、何もないところで派手に転倒した。

「おいおい、大丈夫ですかい?」

「ア、わ、わ、ごめんなさいっ、大丈夫です!」

 気遣う声をかけながらも、キンケードは動かない。その大きな背からのぞき込むようにして見ると、テオドゥロが駆け寄って手を貸していた。

 丸い。
 ……というのが第一印象だった。手を差し伸べるテオドゥロが手前にいても、全く体が隠れていない。礼を告げる声からまだ少年のようだとわかるが、胴回りも顔も丸々としていて、とても大きい。
 ふらつきながらもテオドゥロに支えられ何とか立ち上がった少年。ふとこちらを見て、停止し、それから目を見開いて絹を裂くような悲鳴をあげた。

「ぴゃあああぁぁぁぁぁぇぇぁ!」

「なっ、何? どうしたの、君、大丈夫?」

「ごめんなさいすいませんごめんなさい近寄りません、僕はなんにもしないから許してくださいー!」

 突然泣いて謝りだし、両手を振って後退するも、足がもつれてそのまま背後にごろんと転倒した。受け身どころではない転び方だ、頭を打っていないだろうか。
 あんまりな様子に反応に困り、見上げたカステルヘルミと視線が合う。自分と同じように何とも言えない顔をしていた。
 仰向けに転んだまま手足をばたばたと動かしているのは、何だか甲羅が逆さになってもがく岩陸亀を思わせて哀れだ。
 ひとまず無害そうだと判断したのか、こちらに目配せをしたキンケードも少年へと近寄るので、一緒についていく。

「この屋敷の子どもか?」

「ええと、どうでしょう。身なりは良いですよね。君、立てますか?」

 再びテオドゥロが手を貸して、丸い少年を引き起こす。抵抗があったのか、それとも重たすぎたのか、今度は立ち上がるまでいかず、上体を起こしたところで少年はそのまま床に座り込んだ。
 そうして顔をこちらに向けるなり、また涙をこぼして泣き始める。

「うっ、うっ、ごめんなさい許して~!」

「……キンケード、あんまり怖がらせるんじゃない」

「いいや、絶対オレじゃない。どっちかっつーとコレ、お前さんのほうだろ」

「何だと、今の・・わたしの外見のどこに怯える要素があると言うのだ。フェリバも父上もレオ兄も似合うと言って褒めてくれた姿だぞ、どこからどう見ても完璧な令嬢だろう」

 胸を張り、腕を広げ、何ならその場でくるりと一回転して見せる。深いドレープの重なった空色のスカートが、遠心力で花のように広がった。

「いや、まぁ、見た目だけはホントに完璧なんだけどな……」

「お嬢様、今のクルッてするやつ、あとでフェリバさんの前でも披露したらきっと喜ばれると思いますわ!」

 そんなふたりの感想を受けながら、腰を抜かしたように座り込んだままの少年へ近寄る。
 転んだ時に落としたのか、傍らには立派な表装の本が一冊落ちていた。

「その本は?」

「あ、う、これはクストディアが……あばばわわわわぁ、お話ししちゃダメなんだった!」

「クストディア? 彼女の本なのか?」

 自分の口を手で塞いだ少年は首を上下に振ってから、横にも振った。肯定と否定どちらなのか全くわからない。
 テオドゥロ、キンケード、カステルヘルミの顔を順に見ても「どうしたもんか」と表情に出ている。ここまですっかり気配を消していたエーヴィだけはいつも通り、心情の読めない顔だ。
 周囲を見回して、他に人影は見当たらないのを確認する。領主の書斎がある場所だから、使用人などはあまり立ち入らないエリアなのだろう。
 一度崩してしまった口調を戻すのも面倒だし、他にサーレンバー邸の者がいないなら好都合。

「ふむ。ひとまず初対面だ、そちらから名を名乗れ」

「……!」

「なぜ会話をしたらいけないのかは知らないが、この場限りの話としておこう。他に誰も見ていないのだから構わないだろう?」

 そう促すと、丸々した少年はいっそう目を丸くし、口元を塞いでいた手を下ろした。
 年の頃はアダルベルトと同じくらいに見えるが、胴回りは長兄六人分を軽く越えていそうだ。乳児のような白い肌、張りのある顔面の中で頬だけが赤らんでいる。
 濃い金髪を眉の上で一直線に切り揃え、きちんとタイを締めた出で立ち。布地をふんだんに使用した仕立ての良い衣服から、この屋敷の使用人などではないことがうかがえた。
 そういえば部屋に来たブエナペントゥラが、「小心者」の話を漏らしていたような……

「あの、あ、あの。も、申し遅れました……僕の名前はアントニオといいます、はじめまして。イバニェス領からいらした、リリアーナお嬢様です、よね、ごめんなさいごめんなさい……」

 そう告げるなり林檎色の頬をいっそう赤くして、少年はまたほろほろと泣き出してしまった。



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ひとつ前の『いざ、書斎へ』を投稿するときに、挿絵タグ入れ忘れていたので追加。

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