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令嬢クストディア① ✧

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 どんな思惑から出た誘いなのか、隙のないレオカディオの笑顔からは読み取れない。
 早く会いたいかと問われても、リリアーナの中には強く対面したいという気持ちはなく、滞在中の接触によって何か学び取れるものがあれば良いという程度の認識だ。
 それなりに興味はあるので、会えるなら会っておきたいが、何も今すぐでなくとも構わない。
 それに、ここへは招かれた側であり、領主である父に同行してきた形だから勝手な振る舞いは許されない。その父の意向はどうだろうと隣のソファへ視線を移せば、ファラムンドは何か思案するような素振りから顔を上げた。

「うん、いいんじゃないか。着いたばかりだし、疲れているなら先に部屋へ案内させるが。もし退屈だったらクストディアのところへ行っておいで。挨拶にも出てこないような不義理な娘には、こちらから押しかけて礼儀作法のひとつも教えてやるといい」

「人の孫娘にえらい言い様をしてくれるもんだな。まぁ、事実だから儂は何も言い返せないんだが」

「ふふん、うちの子はみんな賢くて礼儀正しくて可愛くて可愛いからな!」

「父親に似なくて何よりだ。……レオ坊、それとリリアーナ、儂らはここで少しばかり話をしているから、部屋で休むもクストディアのところへ行くも、好きにして構わんよ」

 親たちから行動の許可が出たところで、レオカディオは優雅な礼をして見せた。

「それじゃあ、僕はリリアーナと一緒にクストディアの部屋へ行ってくるよ。ちょっと挨拶したら部屋に案内してもらうから、こっちのことは心配しないで。前に来た時と同じ客間だよね」

 まだ行くなんて一言も口にしてはいないのに、これはもう同行することが決定しているようだ。特に反対する理由もないため、振り返るレオカディオへ軽いうなずきを返す。
 次兄が家族以外と話しているところはまだあまり見たことがないけれど、何となくこうした誘導を得意としているのが感じられた。自ら話の流れ作り、進む方向性と他者の動きを恣意的に操作する。
 自分にはあまり備わっていない資質だ。もしかしたらこの旅では、令嬢よりも次兄から学び取るべきもののほうが多いのかもしれない。


 薄い灰色の制服に身を包んだサーレンバー邸の侍女に案内され、レオカディオと共に広い廊下を進む。
 イバニェスの屋敷では木製の床に絨毯を敷いている部分が多かったけれど、こちらは床も全て石造りだ。磨き抜かれた艶やかな床を歩くたび、それぞれの硬い靴音が響く。
 フェリバあたりは注意して歩かないと滑りやすそうだが、そのかわり掃除をするのは楽かもしれないという感想を抱いた。

「リリアーナ、こっちの屋敷の中が珍しい?」

「はい。全て石造りの建物は聖堂とも似ていますが、こちらは使用している石材のせいでしょうか、重厚でありながらとても華やかですね。それと、冷たそうに見えてあまり寒くないです」

「屋敷全体を保温してるらしいよ。前にアダル兄と来た時は陽の季の手前だったけど、風通しが良くて涼しかったな。石で建てるなりの工夫とか秘密とか色々あるんだろうね」

 さすがは長く石材の産出を得意とする領だけあって、その活かし方も熟知しているというわけか。
 レオカディオはどこか楽しげな笑みを口元に浮かべたまま、高い天井を見上げていた。アーチが交差するような造りは先ほどの客間とも共通している。
 柱の上端からゆるやかな曲線が組み合わさり、天井との境には柱ごとに天窓が設えられていた。廊下の先までずっと、曇りガラスの天窓からは白い外光が差し込んでいる。
 ……そうだ、魔王城の大広間もこれと同じように、柱のアーチから大きなステンドグラスの窓に繋がっていた。同じ石造りの建築ということで、設計概念の源流を同じくしているのかもしれない。

「あ、もうすぐだよ。客人を出迎えもしないなんて、ほんと失礼しちゃうよね」

「わたしたちでクストディア様の部屋をおとなうのは良いのですが、突然押しかけたりして迷惑では?」

「僕たちの到着はもうとっくに知らされてるんだし、どう考えたって出てこないほうが悪いでしょ。ところでさ、まだその話し方を続けるの?」

「ふさわしい振る舞いをと、バレンティン夫人からも重々申し付かっておりますから」

 そう言ってリリアーナが軽く肩をすくめると、レオカディオも同じような仕草をして舌を出した。
 一緒に歩いているのはレオカディオの他にそのお付きの侍女、カステルヘルミとフェリバ、それと案内役のサーレンバー邸の侍女だ。歩きながら交わす会話も聞かれているだろうし、身内以外の目があるうちは素を出すわけにはいかない。
 令嬢を演じるのにも慣れてきたとはいえ、丸一日こうして気を張って過ごすのはさすがに堪える。この訪問が終わって客室へ案内をされたら、晩餐まで少しゆっくりさせてもらうとしよう。

 ぞろぞろと歩きながら階段と渡り廊下を経由すると、廊下の色合いが変わった。大判のタイルが黒と白で交互に敷き詰められている。疎い自分から見てもなかなか洒落た配色だ。
 この階層がクストディアの私用域なのだろう。廊下の途中でありながら広い空間が取られ、窓際に長椅子やチェストまで置かれている一角で先導の侍女が足を止めた。

「ああ、案内はここまででいいよ。僕たちだけで挨拶と話をしてすぐ戻るから、リリアーナ以外はここでちょっと待っててね」

「はい。それじゃあレオカディオ様、リリアーナ様、行ってらっしゃいませー」

 普段と変わらない様子で手を振るフェリバと、どこか不安そうな様子のカステルヘルミに見送られながら、次兄とふたりだけで広い廊下を進む。
 やがて現れた木製の扉はリリアーナの部屋のものよりずっと大きく、中がどうなっているのか興味が湧いた。長い廊下にはここまで他に扉がなかったから、それだけ室内は広大なのだろう。
 鳥の彫り込まれたレリーフを見上げる横で、レオカディオが躊躇も見せず叩扉する。

「クストディア、いるんだろ。僕だよ、レオカディオだよ、遠路はるばるやってきて疲れてるってのに、わざわざ部屋まで来てあげたよー」

「……」

 しばらく待ってみても室内からの反応はない。だが、部屋の主が中にいると確信しているレオカディオはノックの手を緩めず、拳を作ってゴンゴンと叩き続ける。

<部屋の中は、女性と男性のふたりがおります。ノックの音はきちんと届いているはずですから、無視しているんでしょうか。まったく、リリアーナ様にご足労頂いておきながら何と失礼な!>

「中にはいるのか……」

「そーだよ、引き籠ってるだけ」

<何やら本のようなものを読み合っていたようですが、それをやめました。でもこっちを見向きもしませんね、兄君、もう一息がんばってくだされ!>

「うーん。なんか手が痛くなってきたよ。ノックくらい足でもいいよね?」

「そ、それはさすがに……」

 他家の令嬢の部屋を前に、足蹴でノックするのはいかがなものか。
 だがアルトの言う通り、来訪を知りながら無視をされているなら叩き続けるレオカディオが手を痛めるだけだし、もう少し反応を見てもだめなら自分が代わろう。

<あ、男のほうがこちらに近づいて来ますよ>

 扉を開けて応対する気になったのだろうか。粘り強く扉を叩く兄に声をかけようとして、先にそれに気づくのはおかしいと思い直し、開きかけた口を噤む。
 しばらくすると、中からドアノブを捻る音がしてレオカディオと共に一歩ずつ下がった。
 重厚な扉の隙間がゆっくりと広がり、ドアを開けた主と対面する。

 そこにいたのは、真っ黒な甲冑だった。
 全身を黒光りする合金製の鎧で身を包んだ何者かは、もの言わず静止したまま、ただそこに立っている。
 頭部もいかつい兜を被っているため表情はうかがえないが、おそらく招かれざる客を検分しているのだろう。防備のためとはいえ、この出迎えはあまり気分の良いものではない。

「いいわ、シャム。通しなさい」

 部屋の中から少女の声が響き、目の前の甲冑が半身になって室内への道を空ける。
 直立したまま控える黒鎧には見向きもせず、ずかずかと入室するレオカディオに続いて、リリアーナも部屋の中へと足を踏み入れた。

 クストディアの私室は、廊下から予想した通り異様に広かった。だがそれは面積で言えばの話であって、入口から見回してみても広々とした印象は受けない。
 とにかく、物が多い。
 テーブルとソファが何組もあるし、それぞれのそばには茶器の詰まった様々な棚が設置されている。ティーセットだけで何人分になるだろう。
 壁際には大きなチェストや両開きのキャビネット、謎の置物がいくつも並び、その辺には何が入っているのかよくわからない箱や紙包みがいくつも山積して先が見えない。
 唖然と周囲を見回していると、すぐそばへ積まれた包みに伝票のようなものが貼られているのに気づいた。記されたサインを見る限り、その山には衣類が入っているらしい。おそらく全てが未開封の品だ。

「君の部屋は相変わらずだね。前よりひどくなってるけど、雑貨店でも始めるつもり?」

「あら、ろくな挨拶もせずにレディの趣味へ口出しするなんて、不作法もいいところじゃないかしら」

「出迎えの挨拶をすっぽかした不作法者はどこの誰だったかな。一体どんな神経してるんだか、お行儀のいい僕には全く理解できないけど」

 林立する様々なものを一瞥もせずに部屋の奥へと進むレオカディオ。その腕が積まれた紙箱のひとつにぶつかり、崩れそうになるのを後ろから支えて立て直した。
 それと同時に、背後から金属の擦れる音がして振り返る。
 数歩離れたところでは、黒鎧が両手を中途半端に持ち上げていた。しばらく見ていると、そのまま何事もなかったように腕をそっと下ろす。

「……?」

「リリアーナ、こっちだよ。ゴミが邪魔なら蹴っ飛ばしてもいいから。あぁ、君は品性の欠落した誰かさんと違って気品があるから、そんな野蛮なことしないか」

「品性だなんてどの口で言うのかしら。他人を貶める前に鏡でも見たほうがよろしくてよ」

「鏡なら毎日見ているとも、この通りどこへ出しても恥ずかしくない顔面をしているものだからね。じめじめした日陰から出てこないキノコみたいな令嬢モドキと違ってさ」

 声の主がいる場所まで近づいているのはわかるが、次兄との間で交わされる言葉の応酬にはあまり理解がついていかなかった。
 六年前にもここを訪れたことがあるとは言っていたが、双方ともにずいぶんと気心が知れた相手のようだ。対等に飛び交う憎まれ口のようなものは、何年も会っていないとはとても思えない。
 レオカディオは自分に対し「早く会いたいか」と訊ねてきたが、もしかしたら自分のほうが会いたかったのではないだろうか。
 そんな疑問と、キノコみたいとは一体どんな比喩表現なのだろうと考えているうちに、遮蔽物の森を抜けて視界が開ける。
 やっと窓も見えたその一角は広くスペースが取られており、背の高いラックを避けると一際大きなソファセットの前に出た。
 立ち止まった次兄の斜め後ろで足を止め、こちらを睥睨するひとりの少女と向き合う。

「ようこそ、イバニェス家からのお客様。小さいお嬢様とは初めて顔を合わせるわね、私がクストディアよ。もてなしはしないけれど、その辺で楽にして構わないわ」

 片手に紙束を持ったまま大きなソファに身を預け、脚を組み替えるとクストディアはつまらなそうに鼻を鳴らした。


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