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間章・まじめ魔王さまは本を読みたい②
しおりを挟む廃墟同然だった魔王城の修繕工事は日々進んでおり、こうして庭に立って耳を澄ませるだけでも、そこかしこから作業の音が聞こえてくる。
崩れた城壁を埋める資材はひとまずその辺の瓦礫を流用し、住民たちの新たな住居を整えるのには付近の森や岩場で建材を切り出した。力の強い者には運搬などを任せ、手先の器用な者には補修や簡易な設計を担当してもらうことにしている。
まだ細かな部分はこちらから指示を出さねば立ち行かないこともあるが、皆の働きのお陰で、我が拠点たる魔王城はそれなりの威厳を取り戻しつつあった。
こうして庭から見回すだけでも、穴だらけだった外壁はほとんどが埋められているし、そこら中にあった瓦礫の山も建材に使ううちだいぶ減ってきた。
暇そうに歩いていた人狼族たちも、もしかしたら瓦礫を持って行くために庭へ出て来たのかもしれない。
ウーゴとウーゼの兄妹も、庭を見下ろせる場所にいたならきっと空き室の片づけでも手伝っていたのだろう。
いずれも一度向いていることを教えてやれば、あとは命令や指示を出さずとも各々が自分にできることを探して仕事をしているようだ。
元々厳重な支配を敷くつもりなどなかったが、こうして能動的に働いてくれるのはこちらとしても助かる。
臣下たちが労働という形で従属を示してくれる以上、それを従える『魔王』としてきちんと彼らに報いてやらねばならない。
安心して眠りにつける住居の提供と、日々安定した食糧の供給。まずはそれらが最優先。
そうした基本の暮らし向きが安定してきたら、次は衣服や道具類の充実を図って、子孫が殖えても良いように外郭へ居住地を増築し、灌漑設備を整え耕作地も広げて――
この先やりたいこともやるべきことも、まだまだいくらでもある。
周囲から聞こえる工事の音に耳をそばだてながら、デスタリオラは自身の居室がある塔を仰いだ。
地下書庫から出て真っ直ぐここへ来てしまったから、まずは部屋に戻って石に立てかけてあるアルトバンデゥスの杖を回収しよう。
書庫へ持ち込んでも本に夢中で話し相手にはなれないし、収蔵空間へ入れられるのは好まないようなので、地下へ籠る際はいつも部屋に置くことにしている。
出しっぱなしで放置されるよりは、収蔵空間のほうが静かで良いと主張するもう一本とはどうやら気質が正反対のようだ。
「まおうさま、お部屋に、もどるですか?」
ローブの裾を引かれる感触に振り向けば、ウーゼが眉の垂れ下がった顔をこちらへ向けていた。
「ああ、一旦アルトバンデゥスを回収してから外の水路へ向かうつもりだ」
「えっと、あの、ごめんなさい……」
「どうした?」
「まだ、お片付け、すんでないです。散らかってるから、もうちょっとだけ……」
片付けとは、一体どこの片付けのことだろうか。庭へ下りてくる前の作業のことを指しているのか、それとも他の場所についての話なのか。
補足を求めて兄のウーゴへ視線を向けると、こちらはこちらで「あ!」と声を出して何やら気まずげな表情を浮かべた。
「何だ、我が部屋へ戻ると都合の悪いことでもあるのか?」
「あ、あの、まおうさまのお部屋は、ぜんぜん大丈夫だけど。下を、まだ片付けてなくて」
「下? 一体何を片付けていないと言うんだ?」
「あー……アレっすね、魔王様も行ってみればわかるっすよ。ウーゼちゃんたちだけじゃ引き上げるのも大変だろうし、もし手が要るなら俺たちも手伝うっすけど」
人狼族の男が言う、引き上げるという言葉には思い当たるものがあった。
小鬼族や白蜥蜴など臣下の一部が何やら結託し、自分が居室を置いている塔の外周、特に窓の真下へ簡易の堀を造ったり罠を設置したりと、あれこれ工作をしているらしいことは知っている。
特に害になるものではなく、むしろ自分のためを思ってのことだとアルトバンデゥスが切々と語るため放置していたのだが、しばらく地下に籠っている間に今度は何を作ったのやら。
裾を掴んだまま大きな目に涙を溜めはじめたウーゼの頭へ、なるべく衝撃のないようそっと手を置く。
小さな頭は自分がほんの少し力を込めるだけで割れてしまいそうだから、普段はなるべくふれないようにしていた。そこまで力加減が効かないわけではないが、脆弱すぎる命の扱いを持て余すのだ。
臙脂色の柔らかな髪の隙間からは、指先ほどの角が二本生えている。鬼族の角は鋭敏な感覚器官だと聞くが、こんなに細くては転ぶだけで折れてしまわないかと不安になる。
「何も怒ってはいない、そう怯えるな。好きにして良いと言ったのは我だ、何があったところでお前に責任を問うたりはせん。ただ、もし何か問題が起きたり、自分の手に余る事態になった時はすぐに報告するようにな」
「うぅ、はい、まおうさま……」
そうして気後れする小鬼族の兄妹と、見物目的といった様子でついてくる人狼族らを引き連れ、城の端に位置する尖塔に向かった。
自室以外の部屋も片付け、方々崩れていた箇所もすでに修繕が済んでいる塔は外見だけなら立派なものだ。
内装や調度品には全く手をつけていないため、中はただの空き部屋ばかりだが。
ぞろぞろと歩いて近づき、茂った木々が開けて塔の中腹から下が見えるようになるにつれ、何やら妙なうめき声が聞こえてきた。
「……何か、聞こえるな?」
「あー、昨日とかもっとスゴかったんすけどね、さすがに疲れてきたんじゃないっすか?」
「疲れ? 誰がいるんだ?」
「あの中っすよ」
灰色の人狼族が指さす先には、派手に抉れた地面とそれを覗き込む大黒蟻が一匹佇んでいた。
こちらの接近を察したのだろう、大きな蟻は六本の脚を器用に動かしてその場で振り返った。
<これハこれハ、魔王様。斯様ナ、お見苦シいところヲ。すグに片付ケますのデ>
「堀……いや、落とし穴か? そこに何がいるんだ?」
<一昨日の晩ニ、窓かラ落ちた愚か者でスよ。しばらく暴れテいましタが、疲れ果てタのか、もウ大人しイものデす>
塔と地面の境には深い溝が掘られており、その周辺の地面は様々に削られている。爪痕、爆発痕、焦げ痕……おそらく穴の中から攻撃に類する魔法を放ったのだろう。
そうして抉れた縁に立って穴を見下ろしてみると、以前よりずっと深い。地上から二階くらいの高低差がある。その底には、粘性の物質に絡まった何かがもぞもぞと蠢いていた。
「……オニモチを流し込んだのか」
「はい。大黒蟻さんと、白蜥蜴さんにも手伝ってもらって、いっぱいあつめました!」
それまで気落ちしていたウーゼが、一転して得意満面といった様子で説明を始める。
「穴をほるだけじゃ、すぐ出てきたし、水をいれても、おぼれないし。みんなで相談して、おとし穴を、つよくしました!」
<穴は底を広くシてあるのデ、そう簡単にハよじ登れマせん>
「うえを歩くだけなら、へいきだけど、おちてくると、突き抜ける板も、おにいちゃんたちと、工夫しました!」
<オニモチは、一度絡まれバ切断も振り切ルのも至難の業。落とし穴の罠にハもってこいでス>
そうしてウーゼたちが楽しそうに解説する間も、穴の下からは恨めしそうなうめき声が聞こえてくる。声質からして女のものだろうか。
いつも窓から侵入を試みようとするのは多様な種族の女たちだから、またかという感慨しか湧かないが。
寝椅子代わりの巨岩以外、何の家具も置いていない部屋だろうと私室はプライベートな空間だ。これまでガラスを嵌めていない窓からは侵入し放題だったため、最近は窓枠に電流が発生する構成を埋めている。
外壁を登って窓から入ろうとすると、高圧電流に当たり全身が痺れた状態で落下するというわけだ。
「……なるほど。我が不在の間にも侵入者が罠にかかったから、放置して弱体化するのを待っていたということか。だがこのままでは窒息死しかねん、そろそろ出してやっても良いだろう」
「しんじゃって、いいとおもう」
「ウーゼ、おもうのはいいけど、言っちゃだめだ」
「ブハハハ、容赦ねぇー! 俺、ウーゼちゃんたちの結構えげつねーとこ好きっすよ」
森で採取できるオニモチの実は、すり潰して練ると強力な粘着剤となる。水と衝撃にとても強く、一度つけば力ずくで引きはがすことは困難だ。
建材などにはもってこいの性質なのだが、こうして生身につくと中々厄介な代物ではある。
一応可燃性なので燃やしてしまうか、凍らせてから割るといった方法があるが、さてどちらにしよう。
「……ふむ。これは燃やすとガスが出るからな、凍らせて割ったほうがいいか」
「そんな小物に、デスタリオラ様がお手を煩わせることはありませんわ」
頭上から響いた涼しげなその声と共に、描かれた構成によって強い冷気が吹きつけられた。
穴の中から漏れ出るその冷気からウーゼたちを庇い、背後へ下がらせる。温度差により眼前が真っ白に染まる。
指定範囲から温度を抜き取る構成だ。急速に冷やされた空気が暖気を吹き上げながら下へと落ちる。
もうもうと立ち込める冷気の中でしばし待ち、一陣の風が通り抜けると、落とし穴は地面の縁ごと凍りついていた。爪先の少し先まで細かな霜が張っている。
「ウーゼ、ウーゴ、寒くはないか?」
「だいじょうぶです。ウーゼたち、さむいの、なれてます」
<私ハ、寒さハだめでス……しばシここで、日に当たっテおりまス……>
関節を固まらせて動きを止めた大黒蟻と、その表面を三名がかりで擦って温めようとする人狼族の青年たち。それらを後目に塔の中腹を見上げる。
「作業を請け負ってくれるのはありがたいが、先に一言欲しいものだな」
「それは失礼を。どうもひ弱な方々は視界から漏れてしまいがちで。どうぞわたくしの粗相をお許しくださいな、デスタリオラ様?」
石材を積み上げた塔の壁面に、八本の脚を伸ばして貼りつく威容。
大きな蜘蛛の胴体を持ち、成長すると腹から上を変化させてヒトそっくりな容貌を持つようになる化蜘蛛。
東の森の奥深くに棲まう彼らの女王・夜御前は、こちらを見下ろしながら白いかんばぜを綻ばせ、妖艶な笑みを浮かべて見せた。
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