156 / 431
策
しおりを挟む迅速に、精密に、慎重に。
わずかの綻びもあってはならない、どこか一端でも怪しまれることがあれば、それまでだ。
冷静さと平常心。急いで、でも焦る必要はない。容量の増した今の自身なら描ききれるはず。
心の内でそう念じ、リリアーナは呼吸を保ちながら構成の描画に集中する。
「もう追いかけっこはお終いかなーって思ったら。おやおや、それ、何があったの?」
二枚重ねの構成の外縁までが完成したところで、アルトのカウントダウン通りに背後へ足音が近づいてきた。
……懐かしい声だ。
軽やかで、気負うものなく、それでいて芯の形を見せない男の声音。
自分の体感では八年ぶりだが、時間の流れではもう数十年が経過している。だというのに、当時と変わらず若々しい声に聞こえるのは一体どういうことだろう?
(老いていない……? いや、今は集中を乱さず構成を完成させねば)
気掛かりはもとより、因縁の相手に背を晒したままでいるのは正直気が気ではない。
自分だけではなく、今はカミロもノーアもひどく無防備な状態だ。
間違っても攻撃を受けたり拘束されたりすることのないよう、こちらに注意を引きつけつつ、警戒を抱かせないようにしなくては。
そのためにも手がけている構成は必ず完成させる。
生前であればそう時間をかけずに描ききれていたのに、やはりヒトの身では経験と知識に体が追いつかない。
せめて少しでもその溝を埋めらるよう、屋敷へ帰ったらカステルヘルミと一緒に魔法の鍛錬に励もう。
そんな雑念もひとまず横へ置いて、緊張に精神を乱されないよう、今やるべきことだけに意識を向ける。
集中を切らさないままちらりと目を向けたノーアは、カミロの横に座って俯いたまま微動だにしない。
フードに阻まれて顔までは見えないが、あちらの準備もまだ整わないのだろうか。
注意を引きつけつつ、すぐには近寄らせないようにするのが肝要。
もし『勇者』が想定外の動きをするようなら、自分が何とかして時間を稼がなくては。
◇◆◇
「さっき会った時にも言ったけど。僕をここまで転移させたのは精霊の仕業だから、元の場所まで戻るのもソイツにやらせるつもりだ。そのついでに、ふれているモノを一緒に飛ばすくらいは……できると思う」
ノーアの打ち明けた一手に、カミロと揃って顔を見合わせた。
この場から逃れるとか、追っ手の足を止めるとか、そういった場当たり的な対処からはずいぶんと飛躍した解決策だ。
だが真っ向からしかけて窮地を脱するより、ずっと現実的に思える。
相手だってまさか構成も介さずに、精霊の自発的行動によって転移させられるなんて想像もしないだろう。自分だって実際にこの目で見た後でなければ、話半分に聞いていたかもしれない。
「それは、ですが、この場を切り抜けるためとはいえ、結局あなただけを危険に晒すことになるのでは?」
「だから、囮とか犠牲になるつもりはないよ。まさか本気で僕がそんな殊勝な人間だと思っているわけでもないだろ」
「では、どうする?」
「まぁ、適当に落とすよ。ここから五領分くらい離せば十分だろ」
「落と……」
策の乱暴さにか、聞いていたカミロが絶句する。
転移の途中で放り投げるなど、常人であればあまりに危険すぎるためカミロが驚くのも無理はない。
だが、今回ばかりは話が別だ。どんな高所から墜落させたところで死ぬような相手ではないから、本当にそんなことができるのなら否やはない。
「それをして、お前自身は本当に大丈夫なんだな?」
「転移でどうにかなることはないよ、来た方法で帰るだけだ。だから僕のことは構わなくていい。それよりも、問題はその後じゃないか? 一度遠くへ飛ばしたところでこの街が安全になるわけでもない、ひとまず今日は大丈夫でも、絶対また戻って来るだろ」
「……そこは、後で考えるさ。時間を稼げるだけありがたい」
防衛の準備も何も整っていない状態、しかもコンティエラの街の中で『勇者』と遭遇するなんて、完全に想定外の出来事だった。
いずれまた来ると、そうわかっているならまだ対策の立てようはある。通用するかはともかくとして、何の備えもないまま対面することになるよりはずっとましだ。
「ただ、一緒に飛ばすには直接相手へふれる必要がある。僕は顔を見られるわけにはいかないから、背を向けさせた状態で奴の動きを止めてくれ。ほんの数秒でもいい、完全に身動きを停止してもらえれば、あとはこっちでやる。……できるか?」
「ああ、腕前を信じると言ってもらったからには、期待に応えよう。方法はこちらに一任してもらうぞ」
「何でもいいよ、訊きもしない。任せる」
「もし失敗しても、お前には危害の向かないよう何とかするから、安心してくれ」
もしもノーアが無理そうなら、自分が『勇者』を大陸の果てまで転移させる。
ヒトの身では魔法の転移に耐えられないが、構成を描いて回すだけなら精霊たちの力を借りれば今の自分でも何とかいけるはず。
失敗した時の非常手段であり、その時はもう正体を隠す必要もないわけだから、遠慮なく周囲の汎精霊たちを呼び寄せよう。
円柱陣を使ったっていいし、体のもたないような大掛かりな構成を使ってもいい。周りの者たちに危険が及ぶくらいなら何でもやってやる。
魔法による生物転移は、対象者への負荷が大きい。
だが『魔王』ほどでないにしろ、人並み外れて頑丈な相手だ。強引に飛ばしたとしても、転移の最中に細胞がバラバラになるようなことは、たぶん、……たぶん、ないと思う。
「あとは、奴の注意を引きつける役が必要なわけだが」
「それは私が、」
「カミロは、ダ、メ、だ!」
そう言い出すのはわかりきっていたから、言い終わる前に釘を刺す。
「追いつかれて即攻撃を受けることのないよう、この三人は無力を装わなければならない。安全のためでもあるが、過剰な警戒をさせては背なんて見せるわけないだろう」
「じゃあどうするんだ?」
急くようなノーアの問いに、そのまま視線を上へ向けた。
もうどこにも人影らしきものは見当たらないが、身を潜めてこちらを見守っているのだろう。
「カミロ、屋根にいるエーヴィにも手伝ってもらうことはできるか?」
「お気づきでしたか」
「あ、ええと、うむ。まぁ。連絡役か何かでついてきてくれているのだろうが、今は少しでも手があるのはありがたい。追っ手がここまで来て、……そうだな、両手を伸ばしたくらいの距離まで接近したら、奴の注意を引いてもらいたいんだ。何か物を落とすとか、声をかけるとか」
こちらの位置を的確に掴んでいるくらいだ、きっと屋根の上にいるエーヴィの存在も認識していると見ていい。
ただそれが、逃げている三人の仲間なのか、自分と同じように追っている者なのかの判別まではつかないはず。
目当てがはっきりしている以上、まずこちらに注意を向けて、上にいるエーヴィがどう動くのか出方を見るだろう。
警戒の割合としては半々と予想する。
だから、ひとまず三人が無害であると認識させることが叶えば、エーヴィがアクションを起こした時点で意識の大半がそちらへ持って行かれるはず。
相手が強者だとわかっているからこそ、その思考や慢心もなぞるように理解できる。
「それで、こちらに背を向けさせるわけですね」
「ん。わずかでも害意を見せれば反撃される、くれぐれも攻撃などはしないように伝えてくれ」
「エーヴィにはそのようにお伝えいたしますが、では、私は……」
控えめに訊ねてくるカミロには、そばの地面を指し示した。
「そこに伏せて寝転がっていてくれ。コートを汚してしまってすまないのだが」
「気絶を装うということですか、……かしこまりました。その手の偽装は得意です、お任せください」
「うん? そ、そうか、任せた。追いつき様にいきなり気を失っている相手へ攻撃はするまい。何があったのか、まず状況把握に努めるはず。わたしとノーアも、一切の敵意を見せず、動かないまま奴の注意を引くんだ」
得意とはどういうことか問い返したくなったが、今は時間がないため流しておく。
カミロはうなずいて了承を返すなり、上に向かっていくつかの合図らしきハンドサインを送った。
言葉を介さなくても意思の疎通が叶うのはちょっと便利そうだ、今度自分でも使えそうなものを教えてもらおう。
「……本当に、そんなことで奴が背を見せるか? 僕たちのことだって警戒しているだろ、いくらなりが子どもだからって、そう易々と警戒を解くとは思えない」
ノーアの沈んだ声音は問いかけというよりも、抱く不安を表すものだろう。
指示をしている自分からしたって、この作戦が完全確実なものとは言い切れない。
準備も時間も何もかもがない状況で、「背を向かせる」「動きを止める」という限定条件を満たすためだけの苦肉の策なのだから。
「ここまで追ってきたんだ、奴がまず我々を警戒するのは当然。だがその相手に動きがない、敵意もないとなれば、安易に近寄らず様子を見るはず。その背後を取る形でエーヴィが気を引けば、緊張からの反射行動だ、必ずそちらに気が逸れる」
「……」
「だからそれまで、お前も決して動くな。精霊に転移をさせるとかいう、構成を描かない術がどんなものかは知らないのだが、奴に悟られないよう準備だけはしっかり頼んだぞ」
自分にも不安があるからこそ、断言をした。
当然とも、必ずとも言い切れるものではない。だからこそ急拵えの策に乗ってくれるカミロとノーアには、成功の可否がわかるまで大丈夫だと信じていてほしい。
元々自分の招いた事態だ、ふたりがどう思おうと――これを言えばきっと怒られるか文句を言われるに違いないのだが、「責任は取る」と決めていた。
「……ああ、その点は大丈夫だ。わかったよ、もう他に手もないし、君の案に乗る」
<リリアーナ様、来ます! 対象の到着まであと……五、四、三、>
振り返るとカミロは土に汚れることも構わず、地面にばたりと倒れ伏していた。
土を掻いた手、生気を感じさせない顔、途絶えた気配にこれが演技とわかっていても寒気がする。
赤く染まった狭い空間、咽るような鉄臭さの記憶を振り切り、伏せるカミロのそばに佇む。
緊張はしている、だが心臓の鼓動は意外なほど平常を保っていた。
感情の起伏で冷静さを欠きやすいと自覚しているが、これなら大丈夫そうだ。
眼を薄く開いたまま、思い描いていた構成の描画に入る。
<……二、一>
背後から土を蹴る足音。
『勇者』が追いついた。
0
お気に入りに追加
234
あなたにおすすめの小説
【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた
杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。
なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。
婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。
勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。
「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」
その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺!
◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。
婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。
◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。
◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます!
10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!
美しい姉と痩せこけた妹
サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜
よどら文鳥
恋愛
フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。
フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。
だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。
侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。
金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。
父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。
だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。
いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。
さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。
お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる