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一息ついて回顧する
しおりを挟む客室のフロアから移動し、カステルヘルミを伴って自分の部屋へ。
いつものように先導するトマサが扉を開けると、突如部屋の中から何かが飛び出してきた。疲れと眠気で気が緩んでいたため、反応が遅れてしまう。為すすべもなく、瞬きの間に顔面が柔らかいものに押し付けられる。
「うわー、リリアーナさまぁぁぁ大丈夫ですかご無事ですかお怪我とかしてませんかお腹空いてませんかーっ!」
「っぷ、は。何だフェリバか、驚いたぞ……。怪我はしていないけれど、腹は減ったから昼食の支度を頼む」
「はいっ、今すぐにー!」
フェリバはぐっと握りこぶしを見せつけ、トマサが叱りつける間もなく部屋の中へと引っ込んだ。
相変わらず元気だなと思っていると、またすぐに扉から顔を出す。
「あ、お昼は魔法師の先生もご一緒ですか?」
「そうだ。今日はふたり分を運んでくれ」
「かしこまりましたー!」
高らかな宣言を残すと、スカートを翻したフェリバはあっという間に廊下の向こうへ見えなくなってしまう。
それを三人で見送ってから、トマサが深々とした嘆息を落とした。
「誠に申し訳ありません、リリアーナ様、カステルヘルミ先生……。フェリバには後で重々、きつく、しっかりと言いつけておきますので」
「まぁ、屋敷が襲撃を受けるなんていう事態の直後だし、わたしもすぐに部屋へ戻れず心配をかけてしまったんだ。多少、何と言うんだあれは、えーと、発奮しているくらいは大目に見てやってくれ」
「リリアーナ様がそう仰られるのでしたら……」
致し方なしという気持ちをめいっぱい眉間に溜めながら、トマサは改めて室内へと先導する。
部屋の中に入って見回してみるが、エーヴィの姿はどこにも見当たらなかった。先ほども裏庭へ迎えに来なかったし、今は何か別の仕事を任されているのだろう。
食事の支度が整うまではと、ソファの方へカステルヘルミを促す。キンケードが使っている客室のものとは比べものにならないほど柔らかく座り心地の良い、自慢のカウチソファだ。ふかふかだ。
腰を下ろしたのを見届けてお茶の準備を始めたトマサは、すぐにティーセットを運んでくる。
漂うのは普段使いのものとは異なる香り。こちらの疲労を見て取ってか、たまにしか開けないほうの茶葉を使って淹れてくれたようだ。
「まぁ、良い香りですわね」
「そうだろう? 前はあまり香茶の味や香りはわからなかったんだが、最近少しはまっていてな。質の良いものが届くと父上が分けてくれるんだ。特にこれはとっておきだぞ?」
「ファラムンド様のご趣味ですの? あらあらあら、味わって戴かないと!」
ふたり揃って、カップを手に取り一口。
心安らぐ自室で、柔らかいソファに腰かけて、温かいものを飲んで、やっと一息つけた心地だ。
香茶の澄んだ香りを肺腑いっぱいに吸い込み、大きく息を吐いた。全身から力が抜ける。
秘蔵の茶葉はカステルヘルミの好みにも合ったのだろう。視線を上げてみると、向かいで頬を押さえながら惚けたような顔をしていた。
「……はぁ、疲れが全部溶け出るようですわぁ」
「うん。朝からの特訓に加えて色々あったから、お前も疲弊しているだろう。食事が済んだら今日はゆっくり休んでくれ」
「そうさせていただきますわ。……それにしても、せっかく剣を強化なさったのに、犯人を逃がしてしまったのは残念でしたわね」
「そうだな。だがキンケードも言っていたように、剣を強化したお陰で強盗と渡り合えたんだ。皆が無事で済んだのだから、今日のところは良しとしておこう」
自分でそう言ってはみても、正直なところカステルヘルミと同じく残念だったという気持ちは否めない。
逃げた強盗へは街の自警団詰め所へ来るように伝えたとのことだが、その言葉を真に受けてわざわざ捕まりに行くような愚を犯すだろうか。
それよりも侵入に失敗した領主邸への再襲撃のほうが、可能性としては高いのではないかと思えてならない。今後は街の周辺の道より、この屋敷を中心として警備が強化されるかもしれない。
「それで、結局お嬢様がご心配されていらした……赤毛の男? それとは別口だったのでしょう。一体何なんですの、その赤毛というのは?」
「え? いや、まぁ、ちょっと色々あってな……」
そういえばすっかり失念していたが、キンケードへ忠告した時には、すぐそばにカステルヘルミもいたのだった。やりとりを全て聞かれていたのなら、それを疑問に思うのも当然だ。
幼い頃から屋敷にこもりっぱなしでほとんど外部との接触がないというのに、余所にそこまで警戒する相手がいるというのはやはり相当おかしな話だろう。
何と言って煙に巻くか思案していると、突然カステルヘルミは身を乗り出して声をひそめた。
「大丈夫ですの? もし変な男に付き纏われてお困りなのでしたら、わたくしからガツンと言ってやりますわよ?」
「がつん?」
そう返してから、引き締めた表情と言い方おかしくて思わずくつくつと笑いが出る。
「それは頼もしいな。では、もし奴と対峙する機会があればよろしく頼むぞ」
「お任せくださいな!」
相手が誰かも確かめずそう請け負うカステルヘルミは、固めた拳でどんと自分の胸を叩いて盛大にむせた。所作が行き過ぎるあたりも、やはりフェリバに似ている。
ひとまず、屋敷を襲ってきたのがどこの馬の骨ともわからぬ辻強盗だったのは、幸いと言えるのだろうか。キンケードがいなければ対処に困っていただろう相手ではあるが、あの赤い男に襲われるよりは余程ましだ。
「そもそも奴は聖なる何とかという剣を所持しているからな。振り回す得物が異なる時点で、別人だと判断しても良かったのだが……」
悪夢の件があったばかりだから、無駄に警戒をしすぎてしまった。
もしあの夢を見ていなければ、屋敷への襲撃者と聞いただけであの男を連想するようなことはなかっただろう。
<勇者の聖剣……デスタリオラ様のお命を奪ったという、あのにっくき武器でございますな!>
ローテーブルの端に置いたアルトから、トーンを落とした念話が届く。生前に関わる内容だからカステルヘルミには聞かせないよう、対象を絞っているのだろう。
何となく具体的な名称さえ出さなければ大丈夫のような気はするが。そんなことを思いながら、ひとつアルトの言葉を訂正をする。
「いや、命を落とした原因はあれが持っていた短剣のほうだ。装飾の美しい、恐ろしく切れ味の良い品だったが……、あれは、今頃きっと呪われるか何かしているだろうなぁ。もったいない」
<呪い?>
「魔王の血なんかで濡れたわけだから、……いや、この話はもうやめよう。それなりに痛かったし、あまり思い出したくない」
前に歴史の授業でも語られていたけれど、聖王国では『勇者』の振るう聖剣によって『魔王』が斃されたことになっているらしい。
別にそれで何か困るわけではないし、訂正するつもりもない。ただ、一体誰が顛末を曲げて伝えたのか、今となっては知る由もないが少しばかり気にかかる。
そもそも、こうして第二の生を得たからこそ、死の間際を回顧するなんておかしなことができるわけで。
本来であればあの痛みと共に死に至り、それっきりのはずだ。死んだものは決して生き返らない。それは、『魔王』だろうと例外ではない。
溢れる血潮の熱。
薄くなる視界。
何も考えられなくなって、どんどん暗くなって、聞こえていた声も感覚もすっと遠くなった、――あの瞬間。
生きたまま死の経験と記憶が残っているのは、稀有なことではあっても実際あまり良い気はしない。
これまでも、死の間際のことは意識して思い出さないようにしてきた。壮絶な戦いの結末と、交わされた言葉、天井が吹き飛んで吹き抜けになってしまった広間から見上げる空の色。
あの時、灯火の消える瞬間に胸の内へ抱いた不可解な感情は、……「混乱」が一番近いだろうか。
勇者のことも、死ぬことも、決して怖くはなかった。
そのかわり最期の瞬間にもたらされたのは、「理解できない」という困惑。
わからないことがあれば何でも追及せずにいられない性質だというのに、この点については未だ深く掘り下げる気にもなれない。何とも情けないことだ。
結局、夢の件も自分の警戒もすべて濡れ衣だったというのに、新たな生を得たから今だからこそ、あの男に対しては怖れに似たものを抱いている。
……もし、あの『勇者』が今も存命だとして。
あの悪夢とは異なり、今生の平穏を脅かす気がないということが証明できたなら。
しっかり距離を取って、もしもの時のための防備も固めて、家族と自身の安全を確固たるものとした上でならば、対話を試みても良いかもしれない。
あの時の言葉の真意をきちんと問い質してみたら、一体どんな答えが返ってくるのだろう。
有り得もしない可能性について思いを馳せる。
『勇者エルシオン』は『魔王デスタリオラ』を斃した後、どこでどのように生きたのか。
一番新しい伝説だというのに、領主邸の書斎にはそれについて記した本は、一冊も置かれていなかった。
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