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襲撃①

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 キンケードに使用したボタンなどを返すと、そのまままとめてポケットへじゃらりと放り込んだ。
 取り外す時におかしな音がしていると思ったら、どうやら無理に引きちぎったらしい。後で誰が修繕するのかは知らないが、トマサやフェリバの手を貸すのも癪なので関知しないことにした。
 本人はそんな細かいことなど気にも留めていないのだろう。剣を収めた鞘を腰のベルトに括り付け、上から豪快に叩く。

「うっし、あとはまた囮作戦でも何でもして、ヤツをおびき寄せるだけだな。剣さえ折れなきゃこっちのもんだぜ、今度こそ全力で叩きのめしてやる!」

「うむ。わたしがまた街へ行けるかどうかはお前の働きにかかっている、頼んだぞ」

「何だそりゃ、どういうこった?」

 意気揚々とした様子にうんうんとうなずいていると、キンケードは腰に手をあてて不思議そうに訊ねてきた。
 いつもイバニェス家の護衛などを任されているようだが、さすがに末娘の外出禁止を知るほど事情通ではないようだ。接点があるらしいトマサも、仕える相手の個人的な話を漏らしたりはしない。

「あの領道の件もあったし、最近は強盗が出ているだろう。道の安全が脅かされているせいで外出の許可をもらえないんだ。もう三年も敷地の外へ出ていない」

「ハァ? 三年も? こっちに嬢ちゃんの護衛の話が回ってこないとは思っていたが、そもそも外出させてもらえてなかったのか。あの親バカめ、いくら心配だからって閉じ込めっぱなしはやりすぎだろ」

 男は憤慨した様子で顔をしかめる。そうやって怒ってもらえる気持ちは有難いが、ファラムンドから向けられているのもまた、自分を思い遣る心だということを知っている。
 だから直接父に向って否やを唱えるつもりはない。彼の心配の元となっている脅威、正体不明の強盗のほうをどうにかするべきだ。
 道が安全になり、キンケードの力はやはり頼れるのだということを証明できれば、きっとまたコンティエラの街へ行く許可を出してもらえるに違いない。
 まだ見ていない場所も多いし、もう一度足を運びたい店もある。ゆくゆくは他の町や領内の道、河川などへも赴いて見学をしてみたい。道が安全になり、十歳記を過ぎたらそれも許可してもらえるだろうか。

「まぁ、オレがとやかく言ったところで聞きやしねぇだろうからなアイツは。さっさと強盗捕まえて、道も街も安全だってこと示してやるよ!」

「うん、期待している。その剣は、もし斬れすぎて問題があるようならまた持ってこい、お前の好みに調整をしてやる。もっとも、強盗を捕縛して元の剣を取り戻したら、もう使わないかもしれないが」

「あー、そうだな。得物に頼りきってちゃ腕も鈍る。用が済んだらコレはまた大事にしまっておくよ」

 貰い物だという剣は余程思い入れのある品なのだろう、腰から下げた柄に手をかけて男は感慨深げに目を細めた。
 愛着のある武具を大切に想う気持ちはよく理解できる。常に身に着け、手に取り、そして我が身を守るものだ。決して強ければそれで良いというものではない。
 そこで不意に、ポケットへ戻していたアルトが飛び出た角を蠢かせた。

<リリアーナ様、屋敷の中で何かあったようです>

「何かとは?」

<表の玄関のあたりにヒトが集まっております。他の箇所も動きが慌ただしいですね、屋敷の使用人たちのようですが。……あ、侍女がこちらに来ます>

 その言葉に顔を上げると、裏口からエーヴィが足早に近寄ってくるところだった。どう見ても歩いているのに、駆けるような速度であっという間に目前までたどり着く。
 息も切らさず急接近を果たした侍女は、礼もそこそこに緊迫感を乗せた声音で切り出す。

「リリアーナ様、すぐにお部屋へお戻りください」

「何があった?」

 まず事情を話せと目で問えば、エーヴィは視線を逸らすことなくじっと見合わせる。
 わずかも動くことのない表情はいつも通り固定されたまま。それでもどこかためらいを含んだ間を置いてから、口を開いた。

「襲撃者です」

「……!」

「ご心配なく、前庭よりこちら側には決して通しません、お屋敷の中は安全です。さぁ、どうぞお部屋へお戻りを、旦那様たちも心配されておいでです」

 ぞわりと、悪寒が背筋を駆け上がった。
 思考も動作も何もかもが凍りつき、言葉を失う。
 喉の奥が詰まり、わななく唇からは何の音も出てこない。

「お嬢様? どうされ……」

 ポケットの上からアルトを強く握りしめる手、その指先がひどく冷えて、震えているのが自分でもわかる。
 なぜ。
 どうして。
 痺れたように停止した頭の中が疑問で埋まる。
 まだ、これからというところだったのに。まだ何の備えも着手できていないのに。やっと準備ができるようになったばかりなのに。
 どうして、今!
 夢で見たなんて予兆にも入らない。迎撃や防御の準備もできていないうちから、まさかこんなに早く、なぜここが分かった、どうやって自分のことを突き止めた、どうして今頃あの男が、目的は何だ、もし自分を殺すことだけが目当てなら……

 ――いや、まだあれが襲ってきたと確定したわけではない。落ち着け、慌てたところで何も解決しない、平静を保たねばならないと三年前に身をもって学んだはずだ。
 息を大きく吸って、ゆっくり吐いて、舌の震えを封じ込める。

「……エーヴィ、その襲撃者とは何者だ? 髪の色などはわかるか?」

「申し訳ありません、私も先ほど伝え聞いたのみなので詳細は不明ですが、相手は単独犯だと。街からこちらへ来る途中の自警団員が遭遇し、おひとりが馬で知らせにいらっしゃいました」

 その回答に一旦肩の力を抜き、詰めていた呼吸を再開した。未だ心臓は早鐘を打っているが、大丈夫だ。思考が少しずつ流れを取り戻し、固まっていた四肢に感覚が戻る。
 考えることを止めてはいけない。
 危機が訪れた時こそ、その時その瞬間に何をするべきか、きちんと考えて最善の行動を見出さなければならないのだから。
 ……たとえ、『単独犯』という事実に、最も考えたくない可能性が高まったとしても。

「もう前庭まで来ているんだな?」

「はい。表門は突破されましたが、前庭で警備の者と自警団の方々が食い止めておいでです。つきましてはキンケード様、早急に表玄関までお越しください、侍従長と自警団の方がお待ちです」

「ああ、わかった!」

「待てっ、キンケード!」

 手を伸ばし、黒い上着の裾を掴んだ。振り返った男はこちらを見るなり驚いたように瞠目し、腰を落として顔を寄せてくる。

「どうした、ひでぇ顔色だ。嬢ちゃんがそこまで警戒するってこたぁ、何かあるんだな?」

「……その通りだ。キンケード、くれぐれも相手を良く見てから戦え。もしも、赤い……燃える炎のような赤い髪をした男であれば、無茶をせずすぐに降伏しろ。悪行を働かぬヒト相手になら無体はすまい、それで助かるはずだ」

「赤い髪の男って何だそりゃあ、まるで話に聞く勇者様みてぇじゃ……」

 途中で言葉を止め、表情からふざけた様子が一掃される。視線を合わせ、髭面の男は無言のままひとつうなずいて承諾を返した。
 こちらの本気はきちんと伝わったのだろう、それでもキンケードは目元を引き締めたまま、大きな口を笑いに歪めて見せる。

「了解した、任せとけ。この剣に誓って負けねぇし無茶もしねえ、約束する。だから嬢ちゃんは安心して部屋で待ってな、すーぐ済ませてくるからよ!」

 キンケードは頭を撫でようと伸ばした手を途中で止め、肩を軽く叩いてから立ち上がる。大きな背中はそのまま振り返ることなく、屋敷へ向かって駆けて行った。
 裏口へ消える黒い背を見送った途端、膝から力が抜ける。視界がぶれる。
 目眩に耐え切れず、その場でしゃがみ込んだ。

「お嬢様っ!」

 また不規則になった呼吸を整えていると、そばに屈んだカステルヘルミが優しく背中を撫でてくれる。
 貧血だろうか、頭の奥が痛んで目の前が白っぽい。ぐらぐらして呼吸がしづらい。
 目蓋を閉じ、荒く拍動する心臓を押さえつけ、均衡を取り戻すためにゆっくりと息を吐く。
 背中をさする手にはそのまま甘え、肩に置かれた左手を握った。フェリバやトマサとは違う、労働を知らない柔らかな手だ。
 指先は少し冷たい。緊張しているのか、怯えているのか、それとも心配をかけてしまっただろうか。
 屈んで目を伏せたまま、こちらの様子をうかがっている侍女の方を向いた。

「エーヴィ、わたしはカステルヘルミ先生とここにいる。父上や侍従長にも、魔法師の先生と一緒だから大丈夫だと伝えてくれ。正面から襲ってきているなら、裏庭のほうが遠くて安全だろう?」

「……かしこまりました」

「え、いえ、お嬢様、具合が悪いのでしたらお部屋で休まれたほうが、」

「いいんだ。わたしと一緒にここにいてくれ、頼む」

 そう言うと、握る指先に力が込められた。
 背を撫でていた手に肩を抱き込まれ、自分のものではない体温に包まれる。クチナシの香りに混じる、ほのかな化粧品の匂い。最初に会った時はもっときつい香りを纏っていたはずだが、そういえばいつの間にか香水の匂いがしなくなっていた。

「ええ、ええ、お任せください。エーヴィさん、お嬢様のことはわたくしが責任を持ってここでお守り致しますわ。どうぞファラムンド様にもそうお伝えくださいまし」

「……何かあればすぐにお知らせいたします。おふたりとも、決してこの場を動かれませんように」

 まだ何か言いたげだったエーヴィはそれだけ告げると、深く礼をして踵を返す。
 もし自分が部屋に戻らないことで彼女が叱られるようなことがあれば申し訳ないが、今はどうしてもこの場を離れるわけにはいかない。後で何かありそうだったら自分からファラムンドとカミロへ釈明をしに行こう。……熊の件も併せて。
 また心配をかけてしまうフェリバとトマサへも、心の中で詫びを入れる。
 そうしてカステルヘルミの腕に肩を支えられたまま、再び走るような速度で歩き去っていく侍女の後ろ姿を見送った。

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