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侍女は物思う

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 昼と夕刻の隙間、屋敷の中は人の行き来が少し落ち着いてくる頃合いだが、一日中窓から陽光が差し込まないと時間の感覚が狂ってしまいそうだ。しとしとと降り止まない雨が絶えず窓を濡らしている。
 令嬢を書斎へと送り届けたフェリバは、お部屋へ戻ったらまずは窓を全て拭いて棚の掃除もして、そろそろクローゼットの中も並びを替えて厚手の衣装を出しやすくしないと、など午後の仕事を頭の中にぽつぽつ浮かべながら足取りも軽く階段を上る。

 リリアーナから教示を受けた運動は今も続けており、そのお陰で以前よりもずっと体力がついてきた。階段の上り下りはとても楽になったし、たくさんの洗濯物を詰めた籠だって軽々運べる。筋肉は増した様なのに、二の腕や頬のラインは逆にすっきりしてきているのは不思議だ。食事にも気をつけている成果なのか、そばかすが薄くなり、肌もツルツルになって良いこと尽くし。
 口さがない先輩たちからは「男でもできたんじゃないか」なんて訝しがられているが、とんでもない。フェリバが心を傾け、一心に想いを注ぐ相手は仕える主人であるリリアーナと、この屋敷で働けるように取り計らってくれた恩人だけ。他の人間へ懸想するような隙間などどこにも残ってない。

 ご機嫌に鼻歌交じりで部屋のドアをノックしてから開ける。するとリリアーナの私室には同僚であるトマサと、屋敷の内装などを替える際にいつも呼び寄せる、建築工の女性が何やら顔を寄せ合って相談をしていた。

「あれ、どうしたんです? お部屋の壁紙でも替えるんですか?」

「フェリバちゃん、久しぶり。壁を貼り替えるのもいいけどさ、今日は天井の方よ」

「天井……?」

 たしかに、天井の色を変えれば部屋の雰囲気にも影響を及ぼしそうだけれど、あんまり視界に入らないから壁を貼り替えた方が効果的ではないだろうか。首をかたむけながら、説明を求めてトマサを見る。普段から生真面目な細面が、何やら一段と難しい顔になっている。

「リリアーナ様の寝室の天井ですが、張ってある板が少しだけずれている部分を見つけたのです。ベッドの天蓋の上だからこれまで気がつきませんでしたが、一体いつから緩んでいたのか……」

「わぁ、それは危ないですね。何かの拍子にでも落ちてきたら大変じゃないですか。もう直しました?」

「ひとまず、ずれていた位置は直してもらいました。ですが他の部分も緩んでいるかもしれませんし、一度全て点検した方が良いのではと話していたところです」

 リリアーナの寝室の天井が落ちてくるなんて、想像するだけで怖ろしい。勝手に板が動くのもおかしいし、天井裏に悪さをするネズミでもいたのだろうか。きちんと点検をすることは全面的に賛成だ。

「不安なままリリアーナ様に寝室を使って頂くわけにはいかないですもんね。それ、今日中にやっちゃいます?」

「うーん、一度寝具を別の部屋に移してからじゃないと埃で汚れるし、今からだと時間がかかるんじゃないかねぇ。お嬢様の寝室となるとあまり男手を入れたくないだろ?」

 女工の言葉にこくりと、トマサと揃ってうなずいた。

「仕方ありません、本日のところは客室を整えて、リリアーナ様にはそちらでお休み頂きましょう。明日の午前中から作業に来てもらうことはできますか?」

「了解、準備しとくよ。人手が足りないし、あんたらにも手伝ってもらうってコトでいいかい? ……えーと、もうひとりいなかったっけ?」

「もうひとりはお暇を頂いてるので、私とトマサさんで三人分働きますよー、任せてください!」

 フェリバが勢いよく挙手してそう告げると、女工は満足げに、トマサは渋々といった様子で了承を返す。
 それから開始時間や用意しておくものなどを簡単に話し合い、気っ風のいい職人は手をひらひら振りながら颯爽と帰っていった。

「侍従長にご報告しに行かないとですね」

「ええ。先ほどご相談申し上げに行ったのですが、すでに彼女が別件でいらしていたので、その場で侍従長の許可を得てから見て頂いたのですよ」

「なるほど、じゃあもう天井のことはご存知なんですね。ご報告前にサクサク決めてるから、へーって思ってたんですよ」

「何が、へーですか……」

 緊張の面持ちを解いて息をつくトマサへ笑いかける。すると、彼女は柳眉を下げて仕方ないなという表情で笑うのだ。その、固く結んだ紐がほどけるような瞬間が好きだった。
 自分の肌がキレイになってきたことを内心喜んでいるフェリバだが、もっとすごい効果が出ている相手を間近で見ていると、まだまだ足りないなと思う。ストレッチも運動もあまりやりすぎるのは良くないらしく、過剰なトレーニングはリリアーナから止められているが、せっかく体力もついてきたのだからもうちょっと頑張りたい。まだ絞れる余地は十分にあると思うのだ、主にこのあたりが。……と、柔らかいわき腹をつまんでみる。

「こう、ギュっとした感じに……」

「ギュ?」

「あああ、いえ、何でもないです。今リリアーナ様はご本に夢中ですから、その間に客室の準備をしちゃいましょうか!」

「そうですね……。お部屋の掃除やクローゼットの整頓もしたかったのですが、まずはそちらを済ませてしまいましょう」

 少しだけ困ったように笑う、その原因はフェリバにもわかっている。
 もうひとりいれば手分けして仕事をすることができたのに、今はふたりしかいない為、ちょっとしたことで手が足りないということが良く起きる。もうじき人員の補充がされるとは聞いているから、できれば気の合う女性が来てくれればありがたいなとひっそり願う。

 三人いたお付きの侍女は、先月から自分とトマサだけになってしまった。もうひとりいたカリナは一身上の都合ということで退職している。前触れのない突然の発表でろくに挨拶もできなかった。
 長く勤めてきた先輩であり、またリリアーナにとっては物心ついた頃からそばにいた侍女だ。急な退職に驚くだろうという思いと、理由を告げる気まずさから、ひと月が経った今でも「お暇を頂いている」としか説明ができていない。
 物の道理をわからない少女ではないから、きちんと説明をすれば理解してくれると頭ではわかっている。それでも、やっぱり何となく話しにくいのだ。

 リリアーナの五歳記があった年、辺境伯を乗せた馬車が落石事故に巻き込まれて何人もの死者が出るという、大きな事件があった。
 どうもあのあたりから、屋敷の中はどこかピリピリぎすぎすとした空気が漂っており、言葉にはしないまでもフェリバは息苦しいなと感じていた。
 従業員同士の仲は悪くないし、何年も前に何かあったらしく従者や侍女の間にある結束のようなものはずいぶん固いと思っている。それでも、事故の後に不自然な退職をいくつも聞いたり、聴取のような面談があったりと続けば、いくらお気楽なフェリバだって不信感に近い感情を抱いてしまう。繊細なトマサであればもっと心労を溜め込んでいることだろう。
 元々色白だが、最近では透けてしまいそうに青白い顔をのぞき込む。

「トマサさんは、ちゃんと眠れてますか?」

「な、んですか、急に」

「睡眠、食事、運動が健康の秘訣だーってリリアーナ様も言ってるじゃないですか。夜眠れないのはすごくダメですよ?」

「……寝付きが悪いのは確かですが、食欲はありますし大丈夫です。あなたこそ、涼しくなったからって間食は増やしてないですね?」

 ぎくりと顔をこわばらせ、再度お腹のあたりをさわってみる。やっぱり、これは間食とお夜食がいけないのか。
 腹部を腕で覆いながら、あー、うーと唸っていると、トマサが腰に手をあてたお叱りポーズでこちら見た。

「そんなに心配せずとも、肥えすぎということはありませんよ。健康的で良いくらいです。新たに加わる侍女にもあなたから指導をして差し上げなさいフェリバ。先輩になるのですから」

「え、でもベテランのひとが来るかもしれないですよ?」

「リリアーナ様のお付きとしてはあなたが先輩でしょう。生活面だけでなく、仕事でも何かとわからない点も多いでしょうから、きちんと教えてあげるのですよ?」

「はい!」

 拳をつくって元気に返事をすると、じろりと睨まれた。固めていた手を開いてスカートをつまみ、優雅を心掛けながら礼をして、ようやくトマサの眉間から力が抜ける。
 ……もしかして、自分が心労の一端を担っているのでは。一度それに気づけば思い当たるフシが多すぎる。もうちょっと日々の言動と行動には気をつけておこう。

「では客室の準備へ参りますよ。シーツはあちらにも備えてありますから、枕などの移せる寝具を移動して……」

「そういえばリリアーナ様のお部屋のふたつ向こうって空き室ですよね、そっちの方が近くて良いんじゃないですか?」

 客室の並びへ向かうには、渡り廊下を通って反対側へ行かなくてはいけない。ふと最寄りの空き室に思い当たり、指を立てて提案してみる。すると、トマサは息をつめて視線を逸らした。気をつけようと思ったそばから、また何かまずいことを言ってしまったらしい。

「……あそこは、リリアーナ様のお母様が使われていたお部屋です」

「え、そうだったんですか、知りませんでした。それは勝手に使っちゃまずいですよね、すみません」

「いいえ、伝えていなかったのはこちらですから。今でも定期的に掃除をしてお部屋を整えています。そのうちあなたへ頼む機会も来るかもしれませんね」

 部屋の主がいなくなっても、ずっとそのままにして部屋を保っているらしい。間違いなく領主の指示だろうそれは、妻へ対する深い愛情の現れだと思えた。無駄だなんて感じないし、その手伝いができるのであれば喜んで掃除を担当したいとも思う。
 顔を見たこともない領主婦人、あのリリアーナの母親なのだから、さぞ美しい人だったに違いない。

「アダルベルト様が旦那様にそっくりだから、レオカディオ様とリリアーナ様はお母様に似てるってことですよね。トマサさんは奥様と会ったことあるんですか?」

「ええ……。接した機会は少なかったのですが、良くして頂きました。気丈ながらお優しくて、どこか儚くて、それはもうお美しい方でしたよ」

「はぁ、いいなぁ、私もお会いしてみたかったです。どんだけ美人だったのかな……。リリアーナ様もどんどんキレイになってきましたもんねぇ」

 整いすぎた容貌が作り物の人形のようでもあった少女は、ここ数年で手足がすらりと伸びて、その容姿は愛らしいという表現から可憐さへ移り変わっていた。
 元々可愛らしい顔立ちだったものが、鼻筋が通ってくるとたまにフェリバでもどきりとするような艶やかな面を見せる。銀の睫毛に縁取られた赤い瞳は、間近で見すぎると魂ごと吸い取られてしまいそうだ。ふっくらとしていた頬もまろみを帯び、子どもらしく膨らんでいた唇も口角がはっきりしてきた。
 そのかんばぜは人並みを外れて麗しく、慣れているフェリバですら鏡の中のリリアーナにしばし見惚れることがある。化粧や宝石なんかで無駄に彩らなくても、リリアーナであれば中央のどんな姫君にだって引けを取らないだろう。
 指の間をすり抜ける紫銀の髪を梳く瞬間は、何物にも代え難いフェリバの宝物だ。
 三年前、外出から帰宅したリリアーナの髪が一房だけ短く切られていた時は発狂しそうになったが、何やら仕方ない事情があったとかで逆に謝られてしまった。その髪も無事に伸び、左右を切り揃えて整えたため今ではあまり目立たなくなっている。

 美しく成長を続ける少女だが、未だ八歳。この先が楽しみでもあり、同じくらいに不安でもある。少し前までなら可愛らしいという殻に守られていたものが、だんだんとその範疇を破りつつある。細い手足と瑞々しい容姿のアンバランスさは、フェリバの目から見てもどこか危うい。この年齢からそんな麗貌の片鱗を咲かせているリリアーナが、女として見られる年頃まで成長をしたら一体どれほどの美貌を開花させるのか。
 甘い香りの花には虫がたかるもの。貴公位の末娘ともなれば各所から引く手数多だろうし、おかしな手合いに目をつけられないか今から心配だ。

「同性の私から見てもキレイすぎますもん。この先がちょっと不安です、旦那様みたいな素敵な方と巡り逢えれば良いんですけど」

「出過ぎたことを言うものではありませんよ、フェリバ」

「だって、十歳記を迎えたら婚約話とかも色々来るじゃないですか。リリアーナ様には、できれば……ご自分で選んだ、好きな人と幸せになってほしいなって。トマサさんだってそう思うでしょう?」

「……」

 少し意地悪なことを訊いてしまったという自覚はある。トマサがリリアーナの幸せを願わないはずはないと知っているのに、それでも、侍女の働きに身を捧げる彼女は、役目を越えた願いを口にすることはできない。
 口を開き、一度閉じたトマサは、正面からフェリバの顔を見た。

「旦那様が、リリアーナ様に相応しくない相手をお選びになるとは思いません。私は旦那様を信じております」

「それは……、そうですね。はい、変なこと言ってすみませんでした」

「気にしてはいません。ただしお部屋の外では控えなさい、誰が聞いているとも限らないのですから」

 トマサはぴしゃりとそう言い放つと、フェリバの肩を軽く叩いてから扉へ手をかけた。そして顔だけで振り返り、わずかに目を細める。

「それから。私は同じくらいリリアーナ様を信じております。ご自分の幸せを、ご自身の手で掴み取ることができるお方だと」

「……! はい、私も、そう思いますっ!」

 拳を振り上げながら応えても、今度は睨まれなかった。

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