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ごはんへ届け ✧
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おいしいものが食べたい。
それは、リリアーナとしての新しい生を受け入れ、これから先の数十年をヒトとして生きていくと決意するに至った、大きな原動力だった。
極端な美食へ傾倒するつもりはない。ごく普通にありふれた料理で構わないし、食材だって高級なものや希少性などは特に気にしない。
これまで味わうことのできなかった数々の味覚を楽しみながら、与えられた『役割』を全うしつつ、戦乱や闘争とは縁遠い場所で気楽に生きて行けたらそれでいい。平穏においしく、第二の生を存分に楽しんでから死にたい。
……なんていう人生の目標はさておき、実際のところひどくお腹が空くのだ。
量もバランスも計算され尽くしているはずの食事だが、なぜかリリアーナの体にはそれが少しばかり足りないらしく、特に夕飯前と就寝前の空腹感が我慢し難い。
以前の体では空腹そのものを感じることがなかったため、慣れない感覚に毎日地味な苦しみを強いられていた。
ひもじいという程ではないし、我慢できない辛さでもない。だが空腹を知らなかった身として、小腹が空いたという腹の辺りが何とも切なくなる感覚は、毎日耐えるのがだいぶきつい。
胃のあたりから妙な音も鳴るし、体温が下がって動きも思考も鈍る。
『魔王』であった頃にも配下たちの食料調達のため、開拓や耕作の取り組みには腐心したものだが、やはり生物にとって空腹はよくない。腹が満たされる幸福感を知った今ではなおさらそう思う。
いつか成長して政務へ携われる身となった暁には、領内の食料事情の保守や向上に努めようと、決意も新たにするリリアーナだった。
「まぁまぁ、お手紙ですか、それは、まぁ!」
「色々と教えてもらったことだし、そろそろ実践してみたく思う」
「まぁまぁ、あらまぁ!」
教師のひとりとして読み書きの授業を受け持っている妙齢の夫人が、両手を広げ大げさに驚いてみせる。
リリアーナはすでに文字の書き取りも童話の音読も問題ないため、最近は階級に則した文章の書き方や、独特の言い回しなどを習っていた。
大陸文字は魔王領のキヴィランタでも共通であり、過去の記憶を持つリリアーナが筆記で困ることはないが、文章の作法となると話は別だ。
手紙であれば自身の性別や年齢、また受け取る相手の性別や地位や配偶者の有無によって使える言葉が大きく異なり、そこに千変万化の時節の挨拶などが織り込まれ、まるで暗号文のようになる。
飲み込みの早い生徒に気を良くした夫人が次々と課題を持ち込み、基本的に勤勉であるリリアーナがそれをどんどんクリアしていくため、今や四歳児の授業とは思えない構文を書くに至っていた。
すっかり調子づいた夫人も、他の子どもの出来を知らないリリアーナもその異常性には気づけないし、指摘する者もいない。
そんな折、授業の一環としてリリアーナから提案したのは「日々お世話になっている人へ、お礼の手紙を書きたい」というものだった。
愛らしい生徒の愛らしい提案に、婦人は「まぁまぁ」を延々と繰り返しながらリアクション大ボリューム大で感動を露わにする。
お世話になっている人、イコール自身の雇い主であるファラムンド伯という考えに凝り固まった夫人は、リリアーナが覚えたての文章で父親への手紙を書きたがっていると早合点したようだ。
……実際は、直接会いに行くことをひとまず保留とした厨房長アマダへ宛てる手紙だが。
なんと親想いな娘だろうかと、放っておけば感涙しかねない勢いの夫人にさり気なくせびり、翌日には可愛らしい装飾のついた便箋と封筒を手に入れることにも成功した。
四隅を薄紅色に染められた便箋は紙質も良く、きっと大切な相手へ宛てるための高価なものだろう。
予備として三枚を受け取ったが、書き損じはできない。かつて数千の臣下を前に行った演説などよりもよほど緊張しながら、リリアーナは練習用として与えられているペン軸を手に取った。
<手紙をお書きになられたのは結構ですが、それをどうやって厨房長へ届けるのです?>
「フッフッフ、それもちゃんと考えてある」
感謝と要望をしたためた手紙を書き終えた夜、ベッドで枕を抱きながらうつ伏せになっていたリリアーナは、隅に鎮座するアルトを指先でちょんとつついた。
一度向こう側へ倒れ、底の重りでまた立ち上がる。
ぬいぐるみの珍妙な外見にも慣れた今、こうして見ればその慣性による動作も中々愛らしいものだ。
「フェリバの耳に入ればきっと父親に内容を聞こうとするだろうからな。中継ぎは侍女たちとおしゃべりなどしない、口が固くてもっと上の立場の者が望ましいだろう」
<と、言いますと……?>
「侍従長のカミロだ」
父親、ファラムンドの秘書官として辣腕を振るいながら、数十人からなる屋敷の使用人を取りまとめる立場にいる、実質この屋敷の序列二位にあたる男。
灰色の髪を撫でつけて無骨な眼鏡をかけた外見からは年齢を推し量ることは難しいが、その貫禄と落ち着いた雰囲気を見るに、ファラムンドより年下ということはなさそうだ。
父は現在三十路を過ぎたあたりだから、おそらくそれよりは上、だが壮年というほど老けてはいないと思う。元々ヒトの外見年齢の見分けは不得手な上、いつもフレームの太い眼鏡をかけているせいで余計にわかりにくい。
カミロは普段リリアーナの行動圏に現れることは稀なため、同じ屋敷で過ごしていながら滅多に遭遇したことがなく、たまに後ろ姿を見かける程度。
もちろん、これまで私的な会話をしたことなど一度もないような間柄ではあるが、ささいな頼み事をするくらい不可能ではないだろう。
「あやつならば他者に口外することなく、手隙の折にでも厨房長へ手紙を届けてくれるはずだ」
日々忙しく働き回っている男だが、ファラムンドの執務室を張っていれば出入りのタイミングで接触は叶うと思われる。
仕事の邪魔をするのは本意ではないけれど、ほんの二、三言ばかり交わせば用は済む。
幼い子どもの容姿と、屋敷の主の娘という立場を利用するようで若干気が引けるが、どちらも嘘偽りのない自身だから堂々とあたるより他ない。
<何度か廊下の向こう側に姿を見つけたことはありますね。あの立ち振る舞いの隙のなさは得体が知れません、どうぞお気をつけを>
「そうだな。お前も交渉中に急に動いたり、話しかけたりはするなよ」
<いつも通り胸元でぎゅっと抱きしめておいて頂ければ、動きませんとも、ええ、ぎゅっと!>
「……いや、手紙を渡すのだからお前はポケットへ入れておくが」
どうにも、球体だけになってから妙な言動や態度が増えた気のするアルトを再びつつけば、<ぁふん>と気の抜けたような思念波が届く。
そして一度ぷるりと身を震わせてから倒れた体が起き上がる。
思考を司る部位とはいえ、やはり本体から切り離すのは良くなかっただろうかと思わないでもない。
持ち運びに便利な外見にはなったが、いつか自身が成長してインベントリを正常に扱うことが出来るようになったら、きちんと本体である杖へ戻してやろう。
多少嵩のある錫杖でも、その頃なら力がついて背丈も伸び、以前のように片手で携えることもできるだろうし。邪魔なようならまた部屋の隅にでも立てかけておけばいい。
こちらの都合で色々と無理ばかりさせたから、そのときはいくらでも休息させてやろう。
ぬいぐるみになってから構ってもらえることが増えて心底悦んでいるアルトをよそに、リリアーナは宝玉の異変を至極真面目に心配する。
別に内面は何も変わっておらず、元々の精神性が少しばかり表層化しただけだなんていうことは、もちろん想像だにしていなかった。
それは、リリアーナとしての新しい生を受け入れ、これから先の数十年をヒトとして生きていくと決意するに至った、大きな原動力だった。
極端な美食へ傾倒するつもりはない。ごく普通にありふれた料理で構わないし、食材だって高級なものや希少性などは特に気にしない。
これまで味わうことのできなかった数々の味覚を楽しみながら、与えられた『役割』を全うしつつ、戦乱や闘争とは縁遠い場所で気楽に生きて行けたらそれでいい。平穏においしく、第二の生を存分に楽しんでから死にたい。
……なんていう人生の目標はさておき、実際のところひどくお腹が空くのだ。
量もバランスも計算され尽くしているはずの食事だが、なぜかリリアーナの体にはそれが少しばかり足りないらしく、特に夕飯前と就寝前の空腹感が我慢し難い。
以前の体では空腹そのものを感じることがなかったため、慣れない感覚に毎日地味な苦しみを強いられていた。
ひもじいという程ではないし、我慢できない辛さでもない。だが空腹を知らなかった身として、小腹が空いたという腹の辺りが何とも切なくなる感覚は、毎日耐えるのがだいぶきつい。
胃のあたりから妙な音も鳴るし、体温が下がって動きも思考も鈍る。
『魔王』であった頃にも配下たちの食料調達のため、開拓や耕作の取り組みには腐心したものだが、やはり生物にとって空腹はよくない。腹が満たされる幸福感を知った今ではなおさらそう思う。
いつか成長して政務へ携われる身となった暁には、領内の食料事情の保守や向上に努めようと、決意も新たにするリリアーナだった。
「まぁまぁ、お手紙ですか、それは、まぁ!」
「色々と教えてもらったことだし、そろそろ実践してみたく思う」
「まぁまぁ、あらまぁ!」
教師のひとりとして読み書きの授業を受け持っている妙齢の夫人が、両手を広げ大げさに驚いてみせる。
リリアーナはすでに文字の書き取りも童話の音読も問題ないため、最近は階級に則した文章の書き方や、独特の言い回しなどを習っていた。
大陸文字は魔王領のキヴィランタでも共通であり、過去の記憶を持つリリアーナが筆記で困ることはないが、文章の作法となると話は別だ。
手紙であれば自身の性別や年齢、また受け取る相手の性別や地位や配偶者の有無によって使える言葉が大きく異なり、そこに千変万化の時節の挨拶などが織り込まれ、まるで暗号文のようになる。
飲み込みの早い生徒に気を良くした夫人が次々と課題を持ち込み、基本的に勤勉であるリリアーナがそれをどんどんクリアしていくため、今や四歳児の授業とは思えない構文を書くに至っていた。
すっかり調子づいた夫人も、他の子どもの出来を知らないリリアーナもその異常性には気づけないし、指摘する者もいない。
そんな折、授業の一環としてリリアーナから提案したのは「日々お世話になっている人へ、お礼の手紙を書きたい」というものだった。
愛らしい生徒の愛らしい提案に、婦人は「まぁまぁ」を延々と繰り返しながらリアクション大ボリューム大で感動を露わにする。
お世話になっている人、イコール自身の雇い主であるファラムンド伯という考えに凝り固まった夫人は、リリアーナが覚えたての文章で父親への手紙を書きたがっていると早合点したようだ。
……実際は、直接会いに行くことをひとまず保留とした厨房長アマダへ宛てる手紙だが。
なんと親想いな娘だろうかと、放っておけば感涙しかねない勢いの夫人にさり気なくせびり、翌日には可愛らしい装飾のついた便箋と封筒を手に入れることにも成功した。
四隅を薄紅色に染められた便箋は紙質も良く、きっと大切な相手へ宛てるための高価なものだろう。
予備として三枚を受け取ったが、書き損じはできない。かつて数千の臣下を前に行った演説などよりもよほど緊張しながら、リリアーナは練習用として与えられているペン軸を手に取った。
<手紙をお書きになられたのは結構ですが、それをどうやって厨房長へ届けるのです?>
「フッフッフ、それもちゃんと考えてある」
感謝と要望をしたためた手紙を書き終えた夜、ベッドで枕を抱きながらうつ伏せになっていたリリアーナは、隅に鎮座するアルトを指先でちょんとつついた。
一度向こう側へ倒れ、底の重りでまた立ち上がる。
ぬいぐるみの珍妙な外見にも慣れた今、こうして見ればその慣性による動作も中々愛らしいものだ。
「フェリバの耳に入ればきっと父親に内容を聞こうとするだろうからな。中継ぎは侍女たちとおしゃべりなどしない、口が固くてもっと上の立場の者が望ましいだろう」
<と、言いますと……?>
「侍従長のカミロだ」
父親、ファラムンドの秘書官として辣腕を振るいながら、数十人からなる屋敷の使用人を取りまとめる立場にいる、実質この屋敷の序列二位にあたる男。
灰色の髪を撫でつけて無骨な眼鏡をかけた外見からは年齢を推し量ることは難しいが、その貫禄と落ち着いた雰囲気を見るに、ファラムンドより年下ということはなさそうだ。
父は現在三十路を過ぎたあたりだから、おそらくそれよりは上、だが壮年というほど老けてはいないと思う。元々ヒトの外見年齢の見分けは不得手な上、いつもフレームの太い眼鏡をかけているせいで余計にわかりにくい。
カミロは普段リリアーナの行動圏に現れることは稀なため、同じ屋敷で過ごしていながら滅多に遭遇したことがなく、たまに後ろ姿を見かける程度。
もちろん、これまで私的な会話をしたことなど一度もないような間柄ではあるが、ささいな頼み事をするくらい不可能ではないだろう。
「あやつならば他者に口外することなく、手隙の折にでも厨房長へ手紙を届けてくれるはずだ」
日々忙しく働き回っている男だが、ファラムンドの執務室を張っていれば出入りのタイミングで接触は叶うと思われる。
仕事の邪魔をするのは本意ではないけれど、ほんの二、三言ばかり交わせば用は済む。
幼い子どもの容姿と、屋敷の主の娘という立場を利用するようで若干気が引けるが、どちらも嘘偽りのない自身だから堂々とあたるより他ない。
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多少嵩のある錫杖でも、その頃なら力がついて背丈も伸び、以前のように片手で携えることもできるだろうし。邪魔なようならまた部屋の隅にでも立てかけておけばいい。
こちらの都合で色々と無理ばかりさせたから、そのときはいくらでも休息させてやろう。
ぬいぐるみになってから構ってもらえることが増えて心底悦んでいるアルトをよそに、リリアーナは宝玉の異変を至極真面目に心配する。
別に内面は何も変わっておらず、元々の精神性が少しばかり表層化しただけだなんていうことは、もちろん想像だにしていなかった。
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