上 下
6 / 431

それは柔らかな ✧

しおりを挟む
 今日の採寸は、あと一ヶ月半後に控えたリリアーナの誕生祭で着用するドレスを仕立てるためのものだ。
 五歳を祝う誕生日。産まれた日を一周するごとの祝いは五度目になるが、ヒトの文化圏では五年毎の誕生日はことさら大きく祝うものらしい。

 体のいたるところを採寸されるのは煩わしくとも、数字の変化はそれだけ体が成長したことを示すもの。健やかな生育を基本方針としている現在、それを実感できるイベントはそこはかとない達成感も与えてくれる。
 それに加え、誕生日には普段にも増して豪華な食事が提供されるのを見てきた。いつもは部屋で侍女に囲まれて食事をとっているが、自分と兄たちの誕生日の晩だけは、広い食堂で家族が一堂に会しての晩餐となるのが慣例らしい。
 卓上に並ぶ見知らぬ料理の数々、色とりどりのフルーツの盛り合わせに甘い焼き菓子。四歳までは幼児用として別に作られたものを供されていたが、きっと五歳の祝いならば皆と同じように、卓上の料理へ手をつけることが許されるはず。
 五年もお預けを食らった誕生祭のご馳走に、リリアーナは大いに期待を膨らませていた。

 そうして一ヶ月半後の晩餐へ想いを馳せている間に、あっさりと採寸は終わった。どうやら色味や生地などの注文は先に済んでいたらしい。
 まだ仮縫いのものを合わせたりといった段階は残っているが、今日やるべきことはこれでおしまいだ。仕立て屋へ労いの言葉をかけて踵を返せば、妙にニコニコとしたフェリバが先導し扉を開ける。

 この年若い侍女は、リリアーナの世話をすることが毎日楽しくて仕方ないらしい。人にはそれぞれ生来の向き不向きというものがある中、彼女は世話をする役職に天賦の喜びを見出しているのだろう。少々構いたがりなきらいはあれど、その細やかな気遣いには日々助けられている。
 お付きの侍女の中では一番若く、人当たりのよい性格をしていて声をかけやすいため、ぬいぐるみへの細工も彼女へ依頼することにした。



「ちょうど下側に縫い目があるから、一回開いても目立たなそうですね。綿が入ってるし、もし落っことしてもガラス玉は割れずに済みますよー」

 少し危うい手付きで縫い目の糸をパチパチ切りながら、フェリバはご機嫌な様子で口と手を同時に動かし続ける。
 夕餉の支度まで侍女たちへ休憩時間が与えられている中、フェリバにだけ面倒な作業を頼んでしまい申し訳ないと思っていたのだが、その手仕事を楽しんでいる様子にリリアーナはこっそり安堵した。
 カウチソファの縁に腕とあごを乗せ、テーブルへ裁縫道具を広げ嬉々としながらぬいぐるみをいじっている侍女を眺める。少々はしたない格好であっても、こちらも休憩中なのだから構うまい。

「この玉を入れたら、起き上がり人形になりそうですね」

「何だそれは、呪いのアイテムの類か?」

「怖いこと言わないでくださいよ。あの棚の中にもひとつふたつはありますよ、下に重りが入っていて、倒しても自分で起き上がるお人形さんのことです」

「ほう」

 子どもが遊ぶために細工を施した人形のことか、と納得する。そういう意味でなら、あの玉を入れればどんな体勢からでも起き上がるぬいぐるみになることだろう。
 それどころか会話ができて、決して破損せず、いくらかの魔法まで行使可能なシロモノだ。

「という訳で、下の方に縫い込めておきますね」

「任せる」

「えー、糸は、黒でいいかな。……うーん、うーん?」

 フェリバは普段あまり繕いものをしないのだろう、今度は縫い針に糸が通らず苦戦しているらしい。うめき声を上げながら首をひねり手を上げ下げし、不思議な体勢で悪戦苦闘している様は見ていて飽きない。

「……」

 先程採寸した着衣も、仕立て人がああして小さな針を使って手仕事でちくちくと仕上げていくのだろうか。これまで他者が縫い物をしている場面などあまり観察したことはなかったが、一刺しずつ縫っていくなど気の遠くなるような作業だ。
 幼いリリアーナでもすでに何着もの衣服を与えられている。その全てが、どこかの誰かの手で一着ずつ、糸から丹念に作られたものなのだと今になって初めて意識した。

 以前、『魔王』として生きていた頃の着衣も同様に作られていたはずなのに、そんなことは一度も考えたことがなかった。糸を作り出すための畑と施設、紡績と機織りのための道具、そういった生産ラインにばかり気を取られて身の回りに目が向いていなかった己を恥じる。
 王たる自分に献上された衣服だ、どれも見事な仕事だったに違いない。だというのに、服飾に対し無頓着であることを理由に、携わった者たちへ大して労いの言葉をかけてやることもできなかった。
 寝間着も普段着も、『勇者』と対峙した際に纏っていたローブも、纏ったものに着心地が悪いと思ったことは一度もない。どれも身の丈にぴたりと合い、肌に馴染んで非常に動きやすかったのを覚えている。
 いっぺん死んだ今となってはもう遅すぎるが、もし機会に恵まれたなら、かつて丹念に衣服を仕立ててくれた者たちへ改めて礼を言いたいものだ。
 腕に顔を埋めながら、リリアーナはそっと悔恨の浸みた息を吐く。
 新しい人生をしっかり生きようと思っているのに、何かにつけては魔王城にいた頃のことばかり思い出してしまう。これはもしかしたら、郷愁の念というものだろうか。
 乾いた大地、荘厳な城、数多いた臣下たちは今頃どうしているだろう。



「リリアーナさまー、おねむでしゅかー、チュッチュッ」

「……何だその、チュチュというのは」

「ウサちゃんの鳴き声です」

 リリアーナが顔を伏せていると、後頭部に柔らかいものがぽすぽすと当たる感触がした。
 縫込みが終わったのだろう、頭を持ち上げればすぐ目の前で薄青色のぬいぐるみが跳ねている。

「兎には声帯がない」

「えっ、ウサちゃんって鳴かないんですか? へー、リリアーナ様は物知りですねぇ」

 フェリバの手によりぴょんぴょんと跳ねてきた兎、もといボアーグルのぬいぐるみは、最後に大きく跳ねるとリリアーナの小さな手の中へ収まった。
 丸みを帯びた台形はたしかに兎が座っているように見えなくもないが、これはおそらくボアーグルの頭部だろう。だが背面に尻尾らしき紐が生えているのは解せない。
 綿が詰められていて枕のように柔らかい中、揉んでみれば底のあたりに丸いものが収められているとわかる。その部分にだけ質量の比重が偏っているから、これならばたしかに平らな面で倒しても自重で起き上がるだろう。

 起き上がりぬいぐるみとして新生したアルトバンデゥス。
 宝玉の冷たい表面を直に触れなくなったのは少しばかり残念でも、これならば普段リリアーナがそばに置いたり持ち歩いたりしても不自然には見えないはず。
 自身の外見年齢が幼いことを利用するのは何だか微妙な心地になるけれど、実際に幼児なのだから仕方ない。

「フェリバ、ありがとう。面倒をかけたな」

「いえいえ、どういたしまして。リリアーナ様はもっとじゃんじゃんお願い事したり、我が侭を言ってもいいんですよ」

「領主の娘だからか? まだその代償となるような仕事は何も請け負っていないが」

「そーいうんじゃなくて。私がリリアーナ様に何かしてあげたいんです」

「……?」


 ふわりと目を細め、柔らかな表情を浮かべる侍女へリリアーナは疑問符を返す。
 臣下を使い、護り、命じることに慣れた王は、仕える者たちへの労いも上に立つ者の役目だと当然のように考える。自身を慮る情の温かみを知ってはいても、そのほとんどが『魔王』という立場に対して向けられたものだと思っている。
 愛情とも、献身とも言えるような庇護は、上から下へと向けるものしか未だ理解し得ない。

 心底わからないという顔をするリリアーナに、このときばかりは歳よりも幾分大人びた顔でフェリバは微笑んで見せるのだった。
 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!

七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

処理中です...