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杖の受難

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 音も色彩もなく、闇も光もない、『ない』という概念だけが広がるその場所で、杖は考え続ける。自らの内で幾度となく、延々と。
 肉体も手足も備えず、道具という自発的な動作が叶うべくもない身の上、思考だけが唯一許された行いだった。
 無にたゆたいながら、アルトバンデゥスの杖はたえることなく考える。
 どうして己の主は失われてしまったのか。なぜ主は無惨に殺されなければならなかったのか。どうすれば彼は生き永らえることができたのだろうかと。

 すべては終わってしまったこと、いくら後悔を積み上げたところで取り返すことはできない過去の出来事。
 それでもなお、考えずにはいられなかった。ここにあっては考える以外にできることもないため、その思索は逸れることも止まることも許されず延々続いていく。

 幸か不幸か、杖は主の死に際を視覚情報として得ることが叶わなかった。
 最期まで共にとの願いは空しくも棄却され、侵入者によって魔王城の大扉が開かれるその直前に収蔵空間インベントリへ押し込められたのだ。
 それから数時間の後、主との所有の繋がりがぷつりと途絶えたのを感知した。
 広間に他の重臣たちの姿はなく、また侵入者も大扉までたどり着けた気配はひとつだけ。手を下した当の本人以外、正確に主の今わの際を知る者はいないのだろう。

 ……最後の言葉も、最期の表情も。
 そのことが、なぜだかどうしようもなく苛立たしい。


 それからしばらくの時が経過した。
 自身の計測に狂いがなければ、大陸では三十三年と百九十四日が過ぎていったはずだ。彼の死によりいささかの変化迎えたであろうそこは、もう主の失われてしまった世界。その所有物たる杖には何の未練も興味もありはしない。
 このまま何十年でも何百年でも、取り戻せないものを想いながら、益体もない思考を続けていくのだろう。
 こうして収蔵されている限りは物質的な劣化が起こらず、道具として朽ちることもない。
 あんなにも輝かしい存在がわずかな年数しか生きることを許されなかったというのに、無能な自身が永遠ともいえる時間を安寧に過ごすとは、何て皮肉なことだろうか。

 どうすれば。一体どうすれば、彼を救うことができた?
 杖は思索の海に沈み、沈み、どこまでも沈んで、あてどもない思考を繰り返す。上も下もない無の世界で、ただ深く想い沈んでゆく。


 ちりりとした微細な刺激、火花にも似た煌めきはあまりに小さすぎた。
 それゆえ感知が遅れる。外側からの接触という万に一つもない事態に、杖の正常な分析が向けられるまでそれこそ有り得ないタイムラグが起きた。

(…………?)

 突然届いた外からの干渉。瞬時にして思考以外の保有機能が目を覚ました。
 何かの間違いか、それとも本当に自身の機能が狂いでもしたのか。
 ――否、疑念と仮定を取り下げる。
 外界から伸びてきたそのか細い接触、どれだけ微細なものであろうと変わらない、それは誰何と状態の確認、そして引き出しの意図をもって差し伸べられた明確な命令オーダーだった。


(うおぉぉー!)

 杖は沸き立つ。
 体温や血流など存在しない無機物でありながら、思考の宝玉が沸騰し今にも粉微塵に破裂しそうな衝動。
 狂おしいほど激しい熱量にも似た何かがあふれ出し、思考という機能のすべてを埋め尽くさん勢いで激情がせり上がる。
 収蔵空間インベントリの行使、収蔵と引き出しはその正当な所有者だけに許された行為である。『魔王』である彼の役割は未だ引き継ぎがなされていないはず。

 ……であれば、この命令を発することができるのは世界でただひとり。

 一体何が起きたのか、どうしてそのようなことが可能なのか、複数浮かぶ疑問その解決はすべて後回しとする。恒常のタスクをひっくり返し、ありもしない熱に浮かされた思考がその命令に最優先実行を決定付ける。
 道具である杖には震える装置も叫び出す機能もない、ただ縋るような思いでその接触の糸を受け入れた。

 誰何には与えられし名称を。――――『アルトバンデゥスの杖』
 状態の確認には現状報告を。――――『待機中・異常なし』
 引き出しの命令には受諾を。――――『応!』

 ……その刹那。
 杖はこれまで経験したことがないほどの強さで、自身が物理的な強制をもって引っ張られるのを感じた。
 大気も重力も存在しない空間の直中で、質量に働きかける吸引力を感じ取ったのである。
 その異常性へ思考が警鐘を鳴らした時にはすでに遅く、現出への挙動が始まってしまった。そもそも、道具の側から引き出しの命令にキャンセルなどできようはずもないのだ。

 通常であれば収蔵の空間から直接持ち主の元へと表出するはずが、糸のように細い繋がりは物質世界と『無』の世界に針で突いたような小さな穴をこじ開ける。
 隔たりを貫く目視も不可能な細い線、それは糸というよりも極細の管。かろうじて表と通じたそのトンネルを通って、現出せよというのだ。
 それが何を意味するのか気づいてしまっても、もう本当に手遅れだった。

<――あだだだだだだだだだだっ、いたっ、痛い、痛みは感じないけど痛いですこれは! 無理ッ、無理無理無理むりむりむりムリィィ!!!!>

 体積も何もかもを無視して小さな穴に無理矢理吸い込まれ、柄がひしゃげ、装飾が曲がり、埋め込まれた青い宝玉が絞られその未知なる負荷に悲鳴をあげる。
 思念波でも悲鳴をまき散らすが、それを聞き届け救いの手を差し伸べるものは誰もいない。
 容赦なく吸い込まれる。
 変わらない吸引力。

 そうしている間にも硬質な本体にはメキメキといやな衝撃が走り、原型を留めない無惨な姿になるまで秒読みと思われた。

<要求:現出方法の再考を願う、修復不可な破損の恐れありぃーっ!>

 必死の思いで糸の先へと思念を送る。
 道具の分際で使用者に対し要望を述べるなどおこがましいにも程がある行いであるが、このままねじ込まれては粉微塵の破片が穴の向こうの彼にふりかかるだけである。
 自身を必要とされているのにそれを叶えられないなど、道具としては憤懣やるかたない。ゆえにいたく真っ当な、仕方のない要求といえた。そう、仕方ない、ほんとむり。

 もう一押しで真っ二つ、という負荷の限界ギリギリのところで、吸引の力がぴたりと止まった。
 細い細い管の向こう、まだ見えぬ彼のもとへメッセージが届いたのだ、自身の願いを受け入れてもらえたのだと宝玉の内に歓喜がにじむ。
 感謝を伝えたい、無事を喜びたい、言葉を交わしたい、かつて過ごした他愛のない日々のように。
 向こう側に確かに存在する彼へと向けて、次に何と言葉を送ろうか。喜びに浮かれる思考をなだめながらもそんなことを思う間に、杖の身に次なる異変が起きた。

 ――ぽろり。

 杖の上部にはめ込まれた、思考を司る拳大の青い宝玉が本体からこぼれ落ちる。

<疑問:はぇ?>

 思考武装具インテリジェンンスアーマとして造り出されてからこのかた、どんな衝撃を受けても、どれだけ大がかりな魔術を行使しようとも、一度も台座から外れたことなどはなかった。
 宝玉に込められているのは人造の『意志』であり、思考武装としてはいわば心臓部。
 それが、唐突にぽろりと外れた。
 裸の球体として重力のない空間を漂いながら、猛烈にイヤ~~な予感に襲われる。
 持ち主の指示により、留め金の部分が開いたのだ。花のように開いた形はまるで「健闘を祈る、バイバイ」とでも言って無責任に手を振っているかにも見えた。

<確信:まさかーっ!>

 思念の叫びは誰にも届かない。抱いた予感に相違なく、拘束を外れた宝玉は再び細い管へと引き寄せられる。
 たとえ棒が玉になったところで、針で開けたような穴を通り抜けることなどできるわけがない。形と大きさが多少コンパクトになっただけで質量がまるで見合っていない。
 そんなことは分かり切っている、管の向こうで呼んでいる彼とて想像できないはずもない。
 だからこそ瞬時にして理解した。
 杖から宝玉だけを抜くことで変化させたのは、大きさでも形状でもなく、その構成物質なのだと。
 青い大粒の単結晶酸化鉱物。そこに込められた『意志』をそのままに、本体と記憶のリンクを維持しつつ、分子レベルまで自己分解して穴をくぐり抜けて来いと、主はそう言っているのだ。

<理解:そ、そんなむちゃくちゃなぁー……ッ!!!>

 思念の叫びは誰にも届かない。
 そうこうしている内にも穴からの吸引力は増していく。球体を保ったままでは、いずれ負荷に絶えきれず粉々に割れてしまうだろう。
 自分から粉微塵になるか、物理的に木っ端微塵になるかの選択を迫られている。どちらもいやです。

 ……そして、ふと杖は思い出した。
 それは天啓にも似た閃き、極限状態が見せる都合のよい幻のような過去。
 主は時折想像もしない無茶を言い出しはしたが、決して無理を通すような性分ではなかったと。
 そう、主は不条理な命令を押しつけたりはしない。彼はこれを「できる」と思って命じているのだ、限りなく不可能と思える案であっても、《大全の叡智》アルトバンデゥスの杖ならば思考武装具インテリジェンンスアーマとしての疑似人格を有したまま、金属元素と酸素だけになってトンネルをくぐり抜け、再び元のカタチを復元できると!!!

<受諾:かしこまりました、このアルトバンデゥス、見事そのご期待に応えてみせまぁぁァああああああァァァいだだだだっっ割れる壊れる無理無理無理無理やっぱりムリでーす――っ!!!!!>


 ……思念の叫びは誰にも届かない。
 塩水を流す機能などなければ、可能か不可能かを選び取る余地もない。
 泣く泣く、球体の端から少しずつ自己分解をして次元に開いた小さな穴をくぐり抜け、バラバラになった分子を結合し無事に宝玉としての姿を復元しきるまでに、それから一年と二ヶ月の時間を要したのであった。


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