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赤毛の狼

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 庭園を一人でのんびり歩きながら綺麗な花びらが落ちてないか探してみるけど、欲しいと思ったときに無いのが世の常だよな。
 ドンさんやミレーさんにお願いしたら花を切り分けてくれるかもしれないけど、それはちょっともったいないしな。咲いてる花は、やっぱり咲いているまま見ていたいんだ。
 ちょっと西の森の入り口付近まで足をのばしてみる。確か小さくて青い花の群生地があったんだよな。前に湖までピクニックに行ったときに見つけて、すごく可愛かったから覚えていた。
 集中して足元ばかり見ていたから、の存在に気づいたのは森に入ってからだった。

 木の陰から覗く赤い尻尾……えっ?と思って木陰を覗き込むと、そこには燃えるような赤い毛並みの狼が横たわっていた。
 体長が俺ほどまであるんだが……どうしよう、めちゃくちゃ怖い。異世界の動物ってこんなにでかいの?

 狼は耳をぴくぴく動かしたかと思うと、鋭い緑目を開けてこちらをじっと見た。この森みたいな、透き通るような緑色。
 しばらく睨み合いながら、内心は走りだしたいのをぐっと堪えていた。俺の脳内で昔見たサバイバル番組の内容が走馬灯のように駆け巡る。野生の動物と遭遇した時は背中を見せちゃいけないって言ってたよな。
 でもたぶん、この狼がその気になればそんなこと気にする暇もなく一瞬で屠られる。

 狼はしばらくこちらを観察していたけど、俺に敵意がないとわかったからかそれとも興味がなくなったのか前足に顎を乗せて目を閉じた。耳だけはピンと後ろに立てていて、完全には警戒を解いていないことがわかる。
 じり、とゆっくり後退しかけたとき、ふと狼の脇腹が赤黒くなっていることに気づく。赤毛だからよく目を凝らさないとわからなかった。

「……怪我、してるのか?」

 思わず声に出してしまって、はっと口をつぐむ。息を詰めて様子を伺うけど、反応がない。

 ゆっくりと後退しながら、狼が見えなくなるまで離れられたことを確認する。踵を返して一気に走りだしたけど、心臓がどくどくとうるさくて早く走れない。
 足をもつれさせながら森を抜けて、庭園の四阿まで戻ってくると心底安心した。こ、怖かった!もう二度と一人では森に入らないぞ。
 座り込んで息を整えて……気になる。あの怪我、気になるぞ。どうしよう。今ロイスとレオンハルトは騎士団で婚約式当日の教会周辺の警備担当を決めているし、オーランドは王宮だし。セバスチャンに聞いてみようかなって屋敷中探し回ったけどいない。とりあえず部屋に戻ると、部屋に置いてある簡易救急箱を見つけてしまった。見つけてしまったら、居ても立っても居られない。その小さな箱を持ってもう一度森に向かった。
 怖いのに、どうしても気になっちゃうんだ。あのまま放っておくことができない。

 恐る恐るさっきの場所まで行くと……いた。さっきよりぐったりしてる気がする。もしかして傷が深くて動けないのか?
 足音や匂いで俺が来ることがわかっていたのか、狼がゆっくりと目を開ける。どうしてまた来た?みたいに驚いた顔が、なんだか人間くさくて可笑しかった。

「これ、傷薬!わかる?わからないよなぁ」

 言葉が通じればいいのに。消毒液を出して掲げて見せるけど、目の前の狼は無関心だ。思いきって、腕を伸ばしてそろそろと鼻のそばまで持っていく。くん、と匂いを嗅いで嫌そうに顔を逸らした。

「これ傷につけてもいいか?包帯もあるから」

 ゆっくり近づくけど、もう狼は動けないみたいだ。息が荒いし、脇腹が血だらけだ。こんなに出血して、死んじゃったりしないよな?

「消毒するぞ?」

 確認しながら、じりじりと近づく。しなやかな筋肉が隆々と覆う立派な体格だ……こんな状況じゃなかったら、触れることなんてできなかっただろう。
 気絶したのか、もう俺の声にも反応しなくなった。一瞬ひやりとしたけど、お腹は上下に動いてる。大丈夫、まだ生きてる。
 もう大きな狼への恐怖は消えていて、慌てて駆け寄って傷口を確認する。ひどい、なにかに刺された傷なのか、縦にぱっくりと割れた傷口が見える。もう血は止まってるみたいだけど、結構深い傷だ。
 持ってきたガーゼに消毒液を染み込ませて、それをゆっくりと傷口にあてていく。ぴくりと体が動いたけど、起きる気配はない。
 もう一度清潔なガーゼに消毒液をばしゃばしゃと浸して、それを傷口に当てたら包帯を巻いて……って、でかいから巻けない!
 狼の体を持ち上げたら絶対に傷口が開いちゃうから、包帯の端を持って狼の胸の下あたりから手を潜り込ませた。出来るだけ狼の体を動かしたくなくて、地面にぐっと自分の手を押し付けて潜らせる。ざりざりの土で手を盛大に擦りむいて痛い。ぐっと唇を噛んで痛みを堪えながらどうにかこうにか包帯を巻き終えて、詰めていた息を吐き出した。

 こんなに出血してたら助からないんじゃないか?
 ここまでひどい傷だと思わなかったから一人で戻ってきちゃったけど、心配になって急いで屋敷へと走りだした。やっぱり誰か助けを呼ぼう。縫わなきゃいけない傷だったら大変だ。

 屋敷中走り回って、ロイスの執務室で書き物をしていたらしきセバスチャンを捕まえることができたのはいいんだけど、血だらけの俺を見てセバスチャンが卒倒しかけたのは言うまでもない。

「リト様!その血はっ⁉︎」
「大丈夫、俺の血じゃないんだ。森で狼が怪我してて、と、とにかく一緒に来て」
「狼……ですと?」
「そう!とにかく早く来て!ひどい怪我なんだ」

 話してるとだんだん感情が昂って涙が出てくる。死んでしまうかもしれない、早く戻ってあげなきゃ。

 昔ばあちゃんちで飼ってた犬を思い出す。茶色い雑種犬で、いつも全力で俺に甘えてきてくれた。抱きしめると枯れ草みたいな匂いがして、ぽかぽか温かい気持ちになれたんだ。名前はチョコ。チョコレート色だからかと思ったら、赤ちゃんの頃ちょこちょことよく動くからチョコにしたってばあちゃんが言ってた。
 老衰で死んでしまった可愛いチョコ。冷たくなったチョコの背を撫でた日の、あの震えるような心の痛みが蘇る。

「は、早く助けに行ってあげなきゃっ」
「……わかりました。我々が向かいますから、リト様は部屋で身を清めてきてください」
「俺も一緒に行く」
「ですが……危険かもしれない場所にリト様を連れて行くわけには」
「俺も行きたい。お願い」

 セバスチャンは心底困った顔をして、それでも護衛を数名連れて行くことで同意してくれた。

 セバスチャン達を連れて急いで戻ったけど、そこにはもうあの大きな狼の姿はなかった。
 赤い血溜まりだけが残っていて、すごい出血量だとわかる。その場で座り込んで動けなくなった俺にセバスチャンの落ち着いた声が届いた。

「その狼の怪我を治療したと?」
「うん。最初はそこまでひどい怪我してるって気づかなかったんだ。俺っ、もっと早く人を呼んでくれば良かったっ……っっ」

 次々と涙があふれてくる。わかってる、あの狼はチョコじゃない。だけど死んでしまってたらどうしよう。

「リト様、狼は警戒心の強い動物ですから。動けたということはどこかに身を隠し傷を癒しているのでしょう」

 大丈夫ですよ、と背中を優しく撫でられて、涙を拭って頷く。
 戻りましょう、と促されて立ち上がると、血溜まりの中にきらりと光るなにかを見つけた。近づいて拾いあげると、それはあの狼の瞳の色のような、美しい緑色の石だった。
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