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照魔鏡
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――木原響さんですね。あなたのお父様がお亡くなりになりました。
弁護士だと名乗る男から連絡が来たのは、新宿の小汚ねぇホテルで知らんオッサンにチンポを突っ込まれてた、その最中だった。
留守電に吹き込まれた、淡々と事務的なメッセージ。
俺のスマホの番号なんぞ、どこでどうして調べたのかはサッパリわからねぇ。
だって俺は、俺の「親父」の顔なんぞ、物心ついてからは一度も、見たこと無かったのだ。
「親父」が金持ちだったらしいってことは、死んだお袋に聞いて知ってたが、とっくに縁なんか切れてるし、会いたいと思ったこともなかった。
死んだのは三ヶ月前らしい。
とっくに葬儀は終わってるんだと。
なんで、今更俺なんかに連絡が来たんだ?
赤ん坊の頃別れて、顔も知らない「親父」だ。
どうせ遺産のオコボレはこねぇだろうし――、と留守電メッセージを再生途中で切り上げて、削除しかけた時だった。
――俺にどうやら、「弟」がいるらしいってことを、知ったのは――。
ジメジメした梅雨の夕暮れ時、生ゴミの据えた臭いのするアパートに帰った後で、俺はうっかり、同居人に今日あった出来事を話しちまった。
「へぇ。そんで、その金持ちの屋敷に明日、来いって? やったじゃん」
コンビニの食べカスと酒の空き缶が散らかった、1Kの築四十年のアパート。
年中出っぱなしの炬燵の上で、俺の買ってきたカップ麺を勝手に食いながら言ったのは、俺の元カレ、つうか今は単なる食い詰めた居候のリョウだ。
ボサボサの残念なソフトモヒカンに、食い物の汁で汚れたトレーナー、すね毛ボーボーのハーフパンツ姿。元イケメンが台無しだ。
ま、最近は太っちまってみる影もねぇがな。
リョウは俺が何考えてるかなんて思いもよらず、目を輝かせた。
「お前もイサンとかもらえんじゃね?」
「いや、ねーだろ。普通に怖ぇし、呼び出しとか……」
俺は擦り切れた畳に荷物を放り投げて、脱色しすぎて髪が傷みまくった頭を撫でた。
大昔に流行ったジョン・コナー風テクノカットは、オッサン客の評判はいいが、維持するのに金がかかって手入れまでは行き届かねぇ。
コンビニの袋をガサガサやり始めると、リョウがコタツから這い出て、俺の背中に抱きついてきた。
「ちょっ……てめぇとはもうやんねーよ。してぇなら金、払えや」
「ちげーよ、勘違いすんな。お前がそんな金持ちの坊ちゃんだったなんて、初耳じゃねぇか。ちょっとはむしり取ってこいよ、金をさぁ。ほら、イリューブンつうの?」
ニンニクラーメンを食ったリョウの息が猛烈に臭い。
「てめぇには関係ねぇだろ! ったく、お前、一体いつになったら出てくんだよ」
肩を強く押すと、リョウは不貞腐れながらコタツ机に戻り、不器用に麺をブチブチと噛み千切りながらカップ麺の続きを食べ始めた。
「だってよ、カネがねぇんだもん。出てけっつうなら、カネくれよぉ」
ちなみにリョウっつうのは、本名じゃない。
タチ専でウリを始める時に店長に付けられた源氏名だ。
本名はダセェから、名乗りたくないらしい。
リョウはとにかく性格がだらしなくて、入店当初は見てくれやら、ちんこのデカさやらで客がついてたものの、最近はサッパリ客が付かねぇらしい。
タチしかやんねぇから、ウケの気持ちってやつがサッパリ分からねぇせいで、エッチもど下手糞だしな。
付き合ってた頃にヒモに成り下がり、別れてからは時々襲ってくる居候《いそうろう》に格オチ。
時々日雇いに行ってるっぽいけど、貸した金なんぞ返しやしねぇでパチンコで溶かしちまう。
こんな男にカネなんかやっても無駄、やんなくてもたまに寝てる間に俺の財布からカネ抜くし、マジでどうしようもねぇクソだ。
似たような境遇だったからって、いっときウッカリ付きあっちまったことがあったことが、運の尽きだった。
ただまぁ……うるせぇこいつが家にいる間は、寂しくはない。
俺はコンビニの袋からやっすいチューハイ缶を出しながら、ため息混じりに昔話を始めた。
「……俺の母親は元々、売れっ子のキャバ嬢だったんだけどさ。昔、客だったどこぞのジジイをだまくらかして玉の輿に乗ったらしくて」
「へー、すげーじゃん! だから響は美人なんだなぁ。つか、そのジジイが響のオヤジなんだろ?」
リョウがタトゥーだらけの指を組んで神サマに祈るポーズで身を乗り出す。
俺は首を横に振りながら、タンスの上に十年置きっぱの骨壷に、チラリと目をやった。
――母親は、派手好きで遊び好きの女だった。
素知らぬ顔で奥様になっときゃ良かったのに、彼女は、良家の嫁の生活ってヤツには馴染めなかったのだ。
結婚前からいい仲だったチンピラと浮気してるのがバレ、産み落とした一人息子ごと、彼女は旦那に捨てられた。
「……多分、母親の浮気相手が俺の本当の父親なんだよな。何しろ、結婚してる最中から、ジジイの留守中に家でヤリまくってたらしいし」
「うへぇ、さすが響の母親だなー。たいしたヤリマンだぜ」
さっきからこいつは、俺のことを褒めてるんだから馬鹿にしてるんだか。
まあ、何も考えてねぇんだよな。
こいつは心に浮かんだことをそのまんま喋っちまうアホだ。
母親もリョウと似たようなアホだった。
あんだけ浮気しといて、俺はその金持ちのジジイの子だと、信じて疑わなかった。
だから、自分が離婚して「斉藤」に戻った後も、俺の姓は「木原」のまんま変えずに残した。
――あいつが死んだら、あんたは遺産がもらえるんだよ。
あんたにかけた金、みぃんな返して貰って、アタシはマレーシアに豪邸建てて、いい暮らしをするんだ。
だってアタシはそのためにアンタを連れてきたんだもん――それが口癖だった。
でも、スネに傷を持つ身だったせいか、お袋は離婚後、爺さんとの接触は一切していなかったらしい。
養育費のよの字も知らん女だったし、親子関係が本当にあんだか、ねぇんだかって所に突っ込まれるのも、嫌だったんだろうな。
キャバ時代はナンバーワンだったお袋も、コブ付きの年増じゃあ、昔の店に舞い戻るって訳にもいかなかった。
かと言って、昼職をやるような覚悟も才能も学歴もなく。
仕方なく彼女は、今の俺と同じ仕事――男にカラダを売って生きる世界に再就職した。
そんな母親があっけなく死んじまったのは、俺が16の時だ。
客の男にこっそりクスリを盛られて、中毒死。
いるんだ、親切そうにペットボトルだの、ケーキだのを差し入れしてきて……そこにクスリを仕込む、ひでぇヤツが。
母親はアホだったから、貰ったモンを喜んで飲み食いしちまったんだろう。
俺なんか、客に何貰っても、絶対その場では口にしねぇのにな。
ラブホの従業員が気づいた時には、裸のお袋が一人、床に転がって死んでたらしい。
クスリ盛った客の方だって、目の前で急変したとして、そりゃあ救急車も呼べねぇだろうよ。
こっそり逃げて、それきりだ。
ド底辺の高校には入ったものの、通学せずにブラブラしてた俺には、青天の霹靂ってやつ。
しかも、母親は知らん間に借金を残してて。
父親が誰かもわからねぇ、母親以外に身寄りもねぇ俺が選べる選択肢は、ハナからほとんどなかった訳だ――。
「――何で呼ばれたんだかはサッパリ分かんねぇけど。……まあ、一回だけ、どんなもんだか見てくるわ。大金持ちの家ってのがさ」
「いいなぁ。ついでになんか、カネになりそーなモン、パクってこいよ」
「無理だっつーの……」
良い加減な相槌を打ちながら、俺は炬燵机の上でぬるくなったチューハイの缶を開けた。
[newpage]
次の日――月曜の昼下がり。
通り過ぎたことすらもない文京区のとある地下鉄の駅の出口に、俺は立っていた。
空は重く雲が垂れ込めていて、今にも降り出しそうだ。
うすら寒い空気にうんざりしながら待ち合わせの場所に待っていると、灰色のスーツ姿の男がジロジロとこっちを見てくる。
完璧に撫で付けた七三の黒髪に眼鏡をかけた、いかにも神経質そうなオッサン。
対して俺は、ダメージジーンズに洋楽のライブTシャツ、スタッズの付いたベルト、耳には左三つ右二つピアスってな、いつもの家着だ。
ひとしきり俺を見定めて、男は声を掛けてきた。
「木原《きはら》響《ひびき》さんですね。弁護士の野村です。お越し頂いて感謝しております」
言葉とは裏腹にニコリともしないその表情には、さっさとこの不本意な仕事を終わらせちまいたい、という本心がありありと透けている。
何も、そんな露骨に態度に表すことねぇじゃん、なんて思うのは、俺が一応「接客業」だからかね。
とはいえ、今更、他人のフリして帰る訳にもいかねぇ。
壊れかけたビニール傘を片手に、男のあとをノコノコとついていく。
たどり着いたのは、レモンクリーム色の分厚く高い塀に囲まれた、豪邸の門前だった。
来る途中、テレビでチラホラ聞いたような政治家の苗字がついた表札も見かけたから、この辺りは相当なお屋敷街なんだろう。
弁護士がインターホンを鳴らすと、どういう仕組みなんだか、立派な鉄の門が勝手にガラガラと横に開いた。
中は、白砂利に立派な松の木、石灯籠なんかが配置された、和風の庭園になっている。
キョロキョロ眺めながら通り過ぎると、今度は、正直そこだけで既に俺んちよりも広い、大理石の玄関に通された。
ボロボロのきったねぇスニーカーを脱いで上がると、今度はホテルのエントランスみたいな、天井の高い客間に通される。
都会のど真ん中だってのに、窓からは公園みたいな庭園が見える上、恐ろしいほど静かで、車の音ひとつ聞こえない。
相変わらず弁護士センセイは無言だし。
家政婦らしきおばあちゃんに出された紅茶の赤い水面を眺めながら、だんだんムカついてきた。
俺、マジで、何で呼ばれたんだろ?
道すがらも、俺なんかと余計なクチは聞きたくねぇって感じで、弁護士センセイは何も話してくれねぇしよ。
もしかして、後継ぎにこんなだらしねぇ兄がいると恥だから、DNA鑑定しろとか、木原を名乗るなとか、そういう話?
すげぇあり得る。リョウと付き合う前はゲイ向けAVも出てたし、窃盗でパクられたこともある。
こういう家にとっちゃあ、信じられねぇスキャンダルだろうしな。
だんだんむかついてきたぜ。
何言われてもキッパリ断ってやる。
斜向かいに座ってる弁護士センセイはどんな顔するだろうな?
いや……それよりもいい考えがあるぞ。
今、財産が俺の「弟」とやらのモンなら……その弟が死ねば、自動で俺に遺産が来るんじゃねぇの?
事故か、何かに見せかけて……。
そしたら俺は、借金返せるどころか、大金持ち……。
なんてな、まぁ、無理無理。悪い夢見すぎだっての。
よし、話振られたら、タダじゃ無理っつって、メチャクチャ手切れ金ふっかけてやろう。
そんで、お袋の骨と一緒に、マレーシアにでも移住すんのもいいかもなー。
パスポートの取り方とか知らねぇし、骨が飛行機乗れんのかも分かんねぇけどさ。
イライラと貧乏ゆすりしながら待ってたら、目の前の、金色のドアノブのついた重そうな木の扉がパッと開いた。
現れたのは、色素の薄い栗毛のショートカットの、天使みたいに整った容姿の女の子だ。
その睫毛の密生したクリクリのでっかい目が、一目俺を見た途端、さらにドングリみたいになった。
「お兄様!」
その声を聞いて、茶を盛大に吹き出しそうになった。
そのハスキーボイスは、明らかに、声変わり前後の少年《ガキ》そのもの。
しかも、言うに事欠いてこの俺に「お兄様」だ。
ってこたぁ、こいつが俺の「弟」ってやつか!?
どんどん相手が近寄ってくるので、俺は本能的にフカフカのソファを立ち上がった。
――絶対こいつ面倒臭いガキだし、そもそも頭が相当にヤバいヤツだ。
ウリ専のボーイの長年のカンてやつが警鐘を鳴らす。
だが、そのガキはあろうことか俺の行手を塞ぎ、ガバーッと正面から抱きついてきた。
「うげっ……!」
ガキに抱きつかれたのなんて人生で初めてだ。
しかもこいつ、顔はガキの癖に俺とほとんど身長かわんねぇじゃねぇか!
腕の中で完全に固まっていると、俺が黙ってるのをいいことに、「弟」は涙ぐみながら俺にまくしたてた。
「ああ、お兄様。ずっと、お会いしたかったんです! 来てくださって本当に嬉しいです、有難うございます……!」
――育ちの良さってのは、恐ろしいもんだよな。
どうやったら会ったこともねぇ人間に、そんなに夢を見られるんだよ。
それとも、なんか変なクスリでもキメてんのか?
ヤバい「弟」の名前は、木原《きはら》高臣《たかおみ》。
年齢は十四歳。日本一偏差値が高いらしい、名門男子中学のニ年生、しかも二年ですでに生徒会長をやってるとかいう、「秀才オボッチャマ」らしい。
病弱な母親が小学生の頃に他界して、今回父親のジジイも死んだことで、遺言書により、この立派な家の財産は全部高臣一人が受け継いだ。
弁護士センセイは爺さんの生前から指名されてた未成年後見人だという。
そして、今回のこの奇妙な出会いは、高臣が「どうしても」と望んだことらしい。
遺産整理で出てきた昔の写真で、俺の母親と、その息子の存在をウッカリ知ってしまったんだと。
実の母親も、父親もあの世。
親戚連中とは元々財産関係のことで関係が冷え切っていて、俺はこの世でたった一人の肉親なんだそうな……。
本当に血が繋がってるかどうかもわかんねぇのにな。
そんでもって、どうやら、縁を切るとかそんな話じゃあ無さそうだ。
むしろその反対、つまり……それ以上に面倒な話に巻き込まれつつあるのかも……。
悪い予感でいますぐ帰りたかったのに、うっかり「お兄様、お好きな食べ物は」などと聞かれて、「肉」と答えてしまったが為に、じゃあ夕飯まで――なんて話になり、俺は夜まで帰れないことになっちまった。
「――ここは僕の部屋です。お兄様も赤ちゃんの頃にここでお過ごしになったんですよ。お写真が残ってました」
夕飯までの間に、高臣に広大な屋敷を案内されることになり、あっちこっちウロウロと歩かされる。
お袋はここで暮らしてたこともあったんだろうが、俺の方はまさか覚えてる訳がない。
はしゃぎながら俺を案内する高臣の後ろで、弁護士の野村は苦虫を噛み潰したような顔をしてる。
……やっとセンセイの気持ちが分かったぜ。
親代わりにこのワガママ天真爛漫坊ちゃんに振り回されるなんて、気分がいい訳がない。
しかも、何を勘違いしたんだか、俺みたいなチンピラをお兄様扱いと来たらな。
歩きながらゲンナリしてると、まるで美術館の一室みたいな、腰高のガラスケースだらけの部屋に通された。
ケースの中は二段に分かれ、中に敷かれた緑の毛氈の上に、大小、細々した古そうな小物が並べられている。
「父は、アンティークや美術品の収集に凝ってたんですよ。ここはその父のコレクションの部屋です。凄いでしょう?」
「へぇ……」
……としか言えない。
金ピカのツボだの、何が書いてあんのかさっぱり分からん巻物やら掛け軸だの……全く価値がわかんねぇけど、多分、このへんの中の一つでも「ナントカ鑑定団」やらに持って行ったら、すげぇ値段になるんだろうな。
一つくらいコッソリパクってもバレねぇんじゃねえか、なんて思いながら眺めてると、部屋の一角に、妙に気になるものがあった。
部屋の一番奥に一つだけ、神棚みたいな立派な祭壇の上に鎮座した、白い光沢のある布を被ったお宝。
大きさは大人の手のひらくらいだろうか。
明らかに扱いが他のお宝と違う。
「なぁ、あそこには何が置いてあるんだ?」
初めて積極的に質問らしいものをした「オニイサマ」に、残念な「弟」は嬉しそうにぱっちり目をキラキラさせて答えた。
「あちらは、照魔鏡です」
「しょうまきょう……?」
「ええ。魔を照らす鏡、と書きます。あの鏡で照らされると、美男や美女に化けた魔物もたちまち正体を現すとか……。とても古いもので、元々は神社で御神体として祀られていたものみたいです。お父様はこの鏡を、この家の守り神だとおっしゃってました」
「ふうん。おもしれぇな」
――やっぱ、値打ちものか。
心の中で確信しつつ、その後も高臣の後について回った。
キンキラキンの鯉のいる池だの、立派なホテルの一室みたいなゲストルームだの。
そして最後に居間に戻ってきてソファで向かい合うと、はしゃいでいた高臣は急に真面目な顔になり、俺に向き合った。
「お兄様。良かったらですが、この屋敷で僕と一緒に、暮らしませんか」
ぬるくなった紅茶を、今度こそ吹き出しそうになって、慌てて飲み込んだ。
「は……?」
「本当に、ごめんなさい。お兄様が今、どんな生活をなさっているか、少し調べさせてもらいました。お家賃も、数ヶ月分滞納されてると伺っています」
「……。今、ダチが転がり込んできてて、そいつのせいで光熱費がかさんでるだけだ」
「そのご友人の方も、詐欺のグループの末端の構成員をされてるようですし……」
ゲッ。
時々スマホでなんかやり取りしてると思ったら、あいつ、そんなことやってたのか。
つか、俺もしらねぇそんなこと、どうやって調べたんだか。
「……だったとしても、今更驚きゃしねーよ。あいつクズだし」
つか、リョウについてそこまで調べてるってことは、俺の仕事も完全に割れてるってことだよな。
それ分かって、こんなこと言ってる?
狂ってんだろ……。
「……いつお兄様がトラブルに巻き込まれてしまうかも知れないと思うと、心配です。ご不自由は無いようにいたしますから。よろしかったら、二、三日お試しでも構いません」
マジかよ、何なんだコイツ。
何の権限があって、堂々と俺の人生にクビ突っ込んでこようとしてんだ?
――他人の、しかもガキのクセに。
痩せこけたカワイソーな野良犬が居たら、上から目線で抱き上げて、親から転がり込んできたカネで施し?
遺産はビタ一文くれねぇけど、オコボレで助けてやろうって?
完全にガキの発想なのに、下手に金持ってて、周りの大人を巻き込んでくるのがマジでタチが悪ィな。
完全に頭に来て、それから、社会ってやつをナメてるこいつのおめでたい頭に冷や水をかけて目を醒させてやるのも、兄としての勤めなんじゃねぇかと思えてきた。
だが、この場で「馬鹿にするんじゃねぇよ」と怒鳴ってみたって、こういうガキは理路整然と反論してくる。
それなら……。
いい考えが浮かんで、俺はニヤッと微笑んだ。
「……いいぜ。ちょうど今日明日は仕事、入れてねぇし。今夜、早速泊まらせてくれるんなら、『お試し』させてもらうよ」
高臣の色白で整った顔立ちが、パァッと明るくなる。
完璧な歯並びを覗かせながら、やつは何度も頭を下げた。
「お兄様、本当に有難うございます。この家を気に入ってもらえるように、僕、頑張りますから」
頑張るのはお前じゃなくて、お手伝いさんだろ。
そもそも、誰も俺のことなんて歓迎してねぇし。
横にいる弁護士先生なんぞ、顔色が真っ青だ。
そりゃそうだろうな。
今まで顔も知らなかったアカの他人のチンピラを、戸籍上の兄だって理由だけで家に招き入れるなんてな。
最初からメチャクチャに反対してて、それをこのガキに押し切られた挙句、最悪の事態になった――心境はそんな所だろう。
そんな野村弁護士に、俺はニヤつきながらわざと、深々と頭を下げてやった。
「ーーじゃあ。世話になりまーす」
[newpage]
その夜に食ったステーキは、今までの人生でどの客が奢ってくれた肉よりも柔らかかった。
しかも、ダイニングはまるでレストランか? ってくらい広く、高窓に暖炉付き、天井からはシャンデリアなんかがぶら下がってやがる。
しかも、白いテーブルクロスが掛けられた長テーブルを囲んでんのは、俺と「弟」だけっていう、おかしな状況だ。
高臣は父親のことやら、生徒会長をやってるらしい自分の学校のことやら、ご立派な友人のことやらを一人で楽しそうに喋ってた。
……それにしてもこいつ、毎晩こんな場所で、一人で飯食ってんのか?
そうなんだろーな、弁護士もサッサと帰っちまったし、近くに住んでるらしい家政婦さんも飯は別らしいし。
そりゃ、こいつの頭もおかしくなるわ。
で、俺はといえば、肉を食ってすぐ胸焼けがして、胃の方がおかしくなった。
ガキの方は同じもん食っても涼しい顔してるのに。
そういや俺、金欠で普段から一日ほぼ一食、しかもろくなもん食ってねぇから、胃がそもそも弱ってんだよな……。
脂汗をかいてる俺に、高臣が大袈裟に心配そうな顔をする。
「お兄様、大丈夫ですか? 具合が悪そうです。お薬、お持ちしましょうか」
「平気だよ。……つか、横になりてぇんだけど」
「分かりました! ご案内しますから、ついてきてください!」
高臣に先導されて長い廊下へ出る。
「こちらです」
案内されたのは、ベッドと一人用ソファ、ご丁寧にミニ冷蔵庫やテレビまでが置かれた、豪勢な客用寝室だった。
完璧にベッドメイクされたシーツを剥がして横になると、女の子みたいな目鼻立ちをした「弟」が眉を下げ、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「本当にごめんなさい。突然こんな場所に呼びつけられて、お疲れになりましたよね。配慮が足りず、たくさんお話ししてしまって、申し訳ありません。生まれて初めて兄弟というものができて、嬉しくて……どうか、ゆっくり休んでくださいね」
柔らかいその表情が、一瞬、美術か何かの授業で見た絵画の天使のカオに見えて、戸惑った。
なんだ、今の。こんな頭おかしいやつだぞ……。
まさかな。
「お水は、そこの小さな冷蔵庫の中にペットボトルが入ってます。僕は隣の自分の部屋で勉強しているので、何かあったらいつでも話しかけてくださいね」
時折後ろ髪を引かれるように振り向きながら、高臣が電気を消して部屋を出ていく。
やっと一人になれて、ホッとすると、いくらか胃の違和感が減った。
そのまんましばらく休んでから、そろりとベッドから降りる。
抜き足、差し足で客間を抜け出し、俺が目指したのは――昼間に案内された、「親父」のコレクションの部屋だった。
狙いは、あそこにある一番の宝らしい、『照魔鏡』とやら。
――あれを盗んで、売っぱらってやるんだ。
幸い俺の仕事用の携帯には、そっちの方面にも詳しそうな客の名前がいくつかある。
警察に通報されたら、「俺が俺んちのモンを売って、何が悪ぃんだ」と居直りゃいい。
何しろ、俺の名前は木原な上に、今日からここに住み始めたってことは、あの弁護士先生も見てるしな。
そうしたら、あのおめでたい弟は、自分の激しい勘違いに気付いて、二度と俺に干渉する気を無くすだろう――。
屋敷の一番奥にあるコレクション部屋の扉は、案の定、鍵が閉まっていたが、想定内だった。
バッテンにして前髪を止めていた二本のヘアピンを抜きとり、ジーンズのポケットからバタフライナイフを出して、片方の先端の玉を削り取る。
一本は針金状にし、もう一本は折り目をつけ、鍵穴にぶちこんで……何十秒か操作して、あっという間に鍵は開いた。
防犯のためなのか、部屋の壁には窓がない。
だが、ちょうどあの照魔鏡の真上に天窓がついていて、青白い月明かりが祭壇をスポットライトのように照らしていた。
あの目立ちようは、まるで盗んでくれって言ってるようなもんだ。
見たところ防犯カメラなんかも無さそうだし、マジでいいカモに見える。
ほくそ笑みながらガラスケースの真ん中を意気揚々と歩き、祭壇の前に立った。
照魔鏡とやらが被っている光沢のある白布を掴み、一気に剥がして床に捨てる。
現れたのは、木製の支えの上に据えられた、まん丸の平べったい鏡だった。
大きさは、直径30センチくらいだろうか。
なんの金属だからわからねぇが、縁を覆う重そうな金属に細かい細工が施されていて、鏡の表面はピカピカに磨かれている。
持ち上げてデコボコした裏面を見ると、恐怖に歪んだようなおどろおどろしい鬼の顔が彫られていた。
……何だこりゃ。
いくら骨董品とはいえ、こんな不気味なもん、本当に欲しがる奴がいるかな。
やっぱ、別のヤツにするか……?
そう思いながら、鏡を表に返すと――そこに、ガラス張りの天窓の月が映った。
まんまるの、小さな満月だ。
その下に俺の顔が映る。
……奇妙なことに気付いた。
鏡の中の俺の髪型だ。
限界まで脱色して、ジャニ系好きにウケる為に、長めの前髪で片目を隠してた――はずなんだが、鏡の中の俺の髪は真っ黒で、月光を艶々と照り返している。
よく見ると、顔も変だ。
全体的に頬がふっくらして、眉も、全然手入れしていないみたいに太い。
ハッキリした奥二重の瞳だけは変わらず、こちらを真っ直ぐに見ている。
耳に空いてるはずのピアス穴もない……。
……これ……まるで、昔の俺……?
――唐突に気付いた。
悪い冗談だ、昔の俺の顔が、鏡に映ってるなんて。
しかも俺が右を向けば鏡の中の少年も右を向く。
「ひいっ……!」
気味が悪くなり、俺は無意識に悲鳴を上げた。
俺は恐怖に引き攣っているのに、鏡の中の少年はニヤッと笑う。
恐怖で震えが止まらない。
鏡を放り出したいのに、手が、指が、鏡に貼り付いたように離れない!
逆に、鏡の中の俺の顔は、鏡から飛び出さんばかりに近づいてくる。
俺は恐怖のあまり目を閉じ、顔を必死に背けた。
信じ難いことに、鏡の中から、冷たい息づかいの音が聞こえ――顔に、ふぅーっとふきかかる。
脳みそまで冷たくなったような感覚がして、俺は必死に叫んだ。
「だっ、誰かっ!! たっ、助けてくれーっ!!」
その途端、部屋のドアがバンと開く音がした。
「お兄様!! どうしました!?」
掠れた少年の声が叫ぶ。
「か、鏡に、化け物が!!」
俺が恐怖に悲鳴を上げながら振り返ると、高臣が血相を変えてこっちに走り寄ってくる所だった。
「お、お兄様、その鏡を覗いたんですね……!?」
俺は声を出すこともできず、何度も頷いた。
「これっ、手から離れない……っ」
「大丈夫です、落ち着いて! 震えて指の力が抜けなくなってるだけです。さあ、鏡をこっちに」
俺は、鏡を見るのが嫌すぎて、顔を背けたまま、鏡面を高臣に向けるようにして差し出した。
上から降り注ぐ月光が鏡に跳ね返り、高臣を照らす。
「ああ……!!」
一瞬、高臣の悲鳴が聞こえて、その瞬間、俺は鏡を指から落としてしまった。
割れる!
……と思ったが、高臣が鏡に飛びつくように両手を伸ばし、キャッチする。
ホッとしたのも束の間――何かがおかしいことに気付いて、ギョッとした。
床に倒れ込んだ高臣の背中が、一回り大きくなった――ように見える。
気のせいかと思って目を擦って二度見したが、高臣の身体はやっぱり大きくなっていて、さっきまでかなりゆったりしたサイズに見えていたスウェットの部屋着が、パンパンになって腰の素肌が見えていた。
「お、おい……大丈夫か……」
思わず尋ねると、高臣が苦しそうに息を吐きながら顔を上げた。
男らしいしっかりした鼻筋に、繊細な睫毛に縁取られた平行二重の目、少し薄い唇、男らしく締まった感じのする頬――どう見てもそれは二十代後半のものすごいイケメンで、俺は目が点になった。
「お、おい、た、た、たた」
「お兄様、僕は大丈夫です。……これで、2回目ですから……まずいことになったな」
額に垂れ落ちた長めの前髪を掻き上げながら、高臣が立ち上がる。
その背の高さに、無茶苦茶にビビった。
いやいや、巨人か!?
二メートルは超えてるんじゃ……そう思ってから、ハッとした。
いや、違う……俺、縮んでないか……!?
悪い予感でいっぱいになる俺に、照魔鏡が手渡される。
「ひっ……!」
その中で恐怖に顔を歪めていたのは、明らかに、十五、六ぐらいの、黒髪の……俺だった。
そういや、ズボンも、Tシャツも、妙にブッカブカで脱げそうなくらいだ――。
「ななな、なっ。何で俺、若返ってんの!?」
「落ち着いてください、お兄様。ちゃんと元に戻れますから……!」
鏡を持ったままパニックになる俺を、奇妙なほど落ち着いている高臣が宥めてくる。
「お前っ、なんか知ってるのかよ……!?」
「いえ、僕も、詳しくは……ですが、この鏡……僕、前にも一度だけ、夜にこの鏡を覗き込んで、こんな風に身体が急に成長したことがあったんです」
彫りの深い顔立ちに影を落としながら、高臣は静かに、俺の手から鏡を取り返した。
「後で調べた古い記録によると、これが起こるのは、満月の夜に、月と一緒に自分の姿をこの鏡に映した時だけです。元に戻るには、もう一度同じことをすれば……前は、それで、その晩の内に元に戻れました」
「じゃあっ、さっさとそれをやらせろよ……!」
俺は半狂乱になって、高臣の手から鏡を奪おうとした。
「待って……! 上を見てください」
「何だよ……!?」
言われて顔を上げると、天窓の上の空にいつのまにか暗く厚い雲が垂れ込め、月を覆い隠している。
「ああ……っ」
俺は頭を抱え、その場にへたりこんだ。
「ああもうっ、何なんだ、その鏡……っ、何が起こってんだよ。完全に何かの罠じゃねぇかよぉ……っ」
高臣がしゃがんで、俺の肩にそっと手を置く。
デカくて、骨ばってる大人の男の手だ――。
「この鏡には、不思議な力が宿ってるんです。……これは僕の推測ですが、恐らく、この鏡は魔物だけでなく、人間の正体をも映すんじゃないかと」
「正体……?」
「人間の場合は、本性……というか、精神と同じ姿というか……。そして、満月の夜、この鏡の不思議な力が強まってる時にこの鏡を覗いてしまうと、その人間が、『正体』を暴かれてしまうんじゃないかと……」
「はぁ……? 何言ってんのかわかんねーよ!! どうすりゃいいんだっ、こんなの……!!」
「大丈夫です、落ち着いて。もう一度雲が晴れるのを待ちましょう」
高臣の声はあくまで冷静だ。
こいつ、俺が勝手に鍵開けてここに入ったの、分かってるよな……なんでこんな、落ち着いてんだ。
まさか。
俺はピシャリと高臣の手を跳ね除け、相手を睨みつけた。
「お前、分かってたのか……俺が、ここにきて、こうなること……!?」
「そんな訳ありません! 僕は、お兄様の声が聞こえてここに来たんですから。まさかこんなことになるなんて……信じてもらえなかったとしても、ちゃんと言っておくべきでした。申し訳ありません……」
本当に済まなそうに、高臣が綺麗な眉を寄せて頭を深く下げる。
その伏せられた彫りの深い瞼の美しい影に、ドキリと心臓が跳ねた。
ああ、クソ……こいつ……いや、こいつの正体……いや、精神年齢か?
俺よりも年上ってのがものすごくムカつくけど、もっと嫌なのは、大人のこいつが、無駄に俺の好みの顔してやがる所だ。
しかも、俺はガキに戻っちまったってのに、こいつは……。
俺が中身こいつよりもガキってことかよ!?
めちゃくちゃにムカつく……!
「ほんっとだよ、知ってたんなら言えよ、こんな妙なことになる前に!」
俺は盗みに入ったのも棚に上げ、イライラと言い放った。
「申し訳ありません……」
大きな身体を縮めるように、高臣がもう一度謝る。
俺がぷいと横を向くと、彼はズボンのポケットに入っていたらしいスマホを取り出し、点灯させた。
「なにしてんだ、こんなときに!」
「……この近辺の天気を調べようと思って。いつ雲が晴れそうか」
「そうかよ……んで、いつ元に戻れるんだ」
「……困りました……。今夜はもう、晴れないみたいです……前はすぐに元に戻れたのに……どうしよう」
「はあ!? じゃあ、俺たち、朝までこのままってこと……!?」
「いえ、正確には、次の満月の29.5日後まで元に戻れません」
思わず、ヒッと息を呑んだ。
こんなナリじゃ、仕事が入っても行けねぇし、アパートに帰っても……リョウがいたら、入れてもらえねぇじゃん。
「ずっとここにいるしかないってことかよ!?」
「いえ、それは多分無理です。住み込みのお手伝いさんがいるので、彼女が出勤してきたら不審人物として通報される可能性が……というかそれ以前にこの部屋、人感センサーが付いてて、夜中に人の出入りを感じると、警備会社の人が来ちゃうんです。多分もうすぐ来ます」
「っんな!? 逃げなきゃヤバいじゃねぇか……!」
「……ですね。警備会社に誤作動だと連絡すれば最終的には帰ってもらえると思いますが、現に不審人物が二人ここにいると流石に騒ぎに」
「流石にじゃねえよ! 俺はもう行くからな!」
俺が猛然と立ち上がると、高臣も慌てて立った。
「ま、待ってください! 僕も一緒に出ます、見つかりにくい出口を案内しますから……荷物を取ってくるので待っててください!」
「さっさとしろよ! パクられるなんてごめんだぞ!」
大事な鏡を布に包んで抱え、一緒に部屋を出ると、既に家の塀の外が騒がしくなっている。
真っ青になりながら廊下で待っていたが、なかなか高臣が帰ってこない。
「おい! ちんたらしてんじゃねぇぞ!!」
痺れを切らして高臣の部屋のドアをバンと開けると、きちんと身体に合った大人の服――というか、ポロシャツにチノパンっていう、日曜のサラリーマンみたいな服を着て、リュックを背負った高臣が現れた。
「父の服を借りました。お兄様の服も、僕のものですが、用意してあります。それから、靴も……外に出たら人目につかない所で着替えてください」
「ちっ、わかったよっ。出口、案内しろ!」
「はい! あっ、スマホも電源切って置いていかないと……GPSで居場所を探られると面倒なことに」
「何でもいいからさっさとしろ!」
「ええ、こっちへ!」
よく知ってる屋敷内を大股で先導する高臣に、コンパスが短くなっちまった俺もどうにかついてゆく。
半地下に行く階段を降りて、そこに造られた駐車場に入って――死んだ親父のコレクションらしい、ピッカピカの外車が並んでんのに、目ん玉飛び出しそうになった。
クソッ、俺に免許取る金がありゃあ、こっち盗んだ方がカネになったのによ。
そしてもちろん高臣だって運転なんか出来るわけねぇ。
俺は駐車場で貰った服に着替え、微妙にでかい高臣の靴を履いた。
さすがおぼっちゃまだけあって、シャツはシルク混だし、黒いスラックスもシワひとつない。
車の出入り用シャッターの脇にある勝手口からコッソリと外に出ると、路地の向こうにはもう、警備会社の車両のケツが見えていた。
「今のうちです。電車に乗って、早くここを離れましょう」
「あ、ああ……」
高臣と並び、人っ子一人通らねぇ真っ暗な住宅街の道を、駅の方へとひた走る。
終電間際の地下鉄の駅の構内に飛び込んで、ひと息ついていると、高臣は駅前のATMで金をおろし始めた。
「一ヶ月暮らせるくらいの現金はここで下ろしておかないと……あとは切符を買うので待っててくださいね」
「ICカード、持ってねぇのかよ」
「持ってますが、使うと行動履歴がバレるので、万が一捜索された時にお兄様が誘拐を疑われます」
な、なるほどな……。
納得して俺も隣で切符を買った。
並んで改札に向かおうとすると、高臣が無言でじっと俺の方を見てくる。
「何だよ!?」
睨みつけると、イケメンオーラ全開で高臣が微笑んだ。
「――なんていうか、明るい所で見ると、今のお兄様は、凄く可愛いらしいですね……?」
クッソ、この事態なのに馬鹿にしてんのか!?
頭お花畑なのかよ。
「うるせぇ! てか、お兄様はやめろ。変な目で見られるだろうが!」
「でも、とっても美少年です」
「何気持ち悪いこと言ってやがんだよ。俺はもう、お前のことなんて知らねぇからな!」
家に無事に帰れるかどうかしらねぇけど、この「弟」とこれ以上関わるのはもう真っ平だ。
「すみません。でも、29日後に鏡を覗かなきゃならないのは僕たち二人ともなんですが……」
「それまで一緒にいなきゃなんねぇ理由なんか――」
言いかけて、ハッとした。
待てよ。
帰るところがねぇっつう意味では、俺もこいつも同じなんだよな。
だって今、俺とこいつは、この世のどこにもいないはずの人間になってるんだから。
てことはだ、ここ一ヶ月の間、木原高臣って人間は正真正銘の「行方不明」ってことになるよな。
そんで、その状態がずっと続いたら……?
あの高級車も、お屋敷も、コレクションも、何もかも、全部――誰のものになる?
もし、こいつが行方不明のまま消えて、俺だけが元に戻れば……。
母親が夢見たみたいに、使いきれない金で一生遊んで暮らせるじゃん……。
とてつもなく黒い、悪魔の誘惑。
そんな闇に取り憑かれて、俺はくるりと振り返って高臣を見つめた。
こいつ……この姿のまんま、どこかでこっそり、殺しちまえばいいんじゃねぇか……?
死体が見つかっても、どこの誰だか誰にも分からない……こんな、好都合なことあるか……?
でも、俺は今子供だ。
こいつを殺してどうにかするには余りにも非力で……。
そうだ、リョウ……。
リョウに事情説明してなんとか分かって貰えば、殺すのも、死体の始末も、喜んで手伝ってくれんじゃねぇか?
あいつは俺以上のクズだし、使いきれねぇほどの金のためなら、犯罪でも何でもするだろう。
今の高臣は結構体格がいいが、油断させて、寝込みを襲うとかすれば……。
俺はもしかすると、照魔鏡とやらで、体の中の悪魔を暴き出されちまったのかもしれない。
だって。
世の中結局、金が全てだろ。
俺は身体も魂も、全部切り売りしてやっと生きてきた。
そうやって稼いだ金もみんな他人に搾取されて、いい思いなんかひとつもしたことがねぇよ。
そんな、どう考えてもお先真っ暗な俺の人生を変える、この世でたった一つのチャンスが転がり込んできたんだぜ。
このチャンスを手に入れるためなら……人殺しの一人や二人――今更なんじゃねぇのか……。
考えを巡らせてから、俺は高臣に声を掛けた。
「――しかたねぇなぁ、お前も俺のアパートに来い。同居人がいて狭いけど、我慢すんなら一ヶ月、面倒見てやるよ」
「お兄様のアパートに!? ありがとうございます、ぜひお邪魔します!」
高臣は俺の思惑も知らず、胸の前で手を合わせてキラキラと大きな瞳を輝かせた。
ズキンと謎の痛みが胸に走る。
何だよ。
……こんな奴、本当の弟でも何でもねぇ、どうでもいい他人……ただの、金背負ってわざわざやってきたカモだろうが。
「お兄様……?」
「だからそれはやめろ……。行くぞ」
俺は高臣の視線に背を向け、改札に先に入っていった。
[newpage]
――汚ねぇ繁華街から一本入った狭い裏路地にある、風呂なし築四十年のアパートは、流石に「弟」にはカルチャーショックだったらしい。
真夜中なのに明かりもなく、今にも崩れ落ちそうな様子の俺の自宅を見て、高臣は質問責めしてきた。
「せ、洗濯機がドアの外に放置されて……何でですか!?」
「世間知らずかよ……古いアパートはそういうこともあんだよ。ちなみにそいつは壊れてるから、近くのランドリーでしか洗濯出来ねぇぞ」
「そもそも、ベランダも庭もないのに、みなさんどこに服を干してらっしゃるんでしょう」
「窓の外に吊るす以外ねぇだろうが。物干しがついてんだろ」
「なるほど!?」
しょうもないことで感心してる高臣の前で、一階の俺の部屋のドアノブを捻る。
鍵はかかっておらず、易々とドアが開いたが、中はシンとしていた。
「なんだ、リョウ、いねぇのか……」
面倒臭ぇことになったなと思った。
俺が外から帰ってくる状況なら、「どちら様ですか」から始めて外に連れ出し、今までの経緯も話せるけど、俺ら二人がいて、アッチが帰ってくる状況となると、ややこしくなる。
しかし、外で延々と待つ訳にもいかねぇしな。
「入れよ」
俺のと、リョウの持ち込んだ靴がワンサカ散乱した、足の踏み場もない玄関に高臣を招き入れた。
「お邪魔いたします」
馬鹿丁寧に頭を下げて、高臣は一旦外で靴を脱ぎ、そのまんまそこに置いて、他の靴を踏まないようにソロソロとつま先立ちで中に入ってきた。
音を立てないようにドアを静かに閉めると、高臣は目を丸くした。
食べカスに小蝿の湧いた台所、敷きっぱなしの布団。
カップラーメンのゴミだらけのゴミ袋。
隅に出しっぱなしのコタツが、湿っぽい部屋の面積の殆どを締めている。
「……まあ、座れよ。荷物は適当に置いとけ」
俺は高臣に、いつもリョウが座ってるコタツの壁側の定位置を指差した。
コタツ机の上も、半分がタバコやら空き缶やら、テレビのリモコンやらで溢れかえってて、布団の上はリョウの、脱いだやつなのか洗濯したやつなのかさっぱり分からん服が散らかってるし、いつもに増して酷い有様だ。
アイツだらしねぇから、俺が1日いねぇだけでかなり家が荒れるんだよな。
子供かっての……。
一応冷蔵庫からペットボトルの麦茶を出し、コップを二つ、狭いシンクで無理やり洗って、二人分の茶を注いだ。
「ご友人がお留守の時に上がり込んでしまって、申し訳ないです」
グラスを置くと、高臣が済まなそうに頭を下げる。
俺は向かいの定位置に座り、自分のグラスに口を付けながら首を振った。
「別に。リョウは、ご友人なんて大したもんじゃねぇよ。お前も知ってんだろ。元カレだよ、元カレ」
「……。お兄様は、ゲイの方だったんですね。打ち明けてくださって有難うございます」
飲みかけた茶を盛大に吹きそうになった。
「お前、俺のことあの弁護士に調べさせたんだろ。知らなかったのかよ?」
「ええ、お兄様の性的嗜好までは……」
ニコニコ笑って高臣が頷く。
しかし、よく考えりゃ当たり前のことだった。
弁護士が俺の個人情報を調べて知ってたとして、未成年の中学生に、あなたのお兄さんはウリセンの元AV男優のゲイですよ、なんて正直に伝えるわけがねぇよな。
こいつが俺なんかに夢見ちまったのも、その辺に遠因があるのかもしれない。
あの弁護士センセイにいろんな意味で同情するわ。
さて、リョウはいねぇし、俺の計画はどうしたもんだか……。
後ろに寝転がり、つまらねぇスマホゲームの日課をやりながらボンヤリしていると、いつのまにかキッチンのミニ冷蔵庫を高臣が漁っていた。
「お兄様、この中、お茶の他はお酒ばかりで食材が何もないようなんですが、朝ごはん、どうしましょうか」
俺は起きるのも面倒で、手を上げてヒラヒラさせた。
「うちは朝ごはんなんてもんは食わねぇんだよ。食べたきゃ自分でどうにかしろ」
「そうなんですか……」
何だよ、もうそんな腹減ってんのか?
ガキはこれだから嫌だ。
うんざりしてスマホを持った手をコタツ布団の上に投げ出す。
コタツ机の向こう側では、高臣がいそいそと台所を片付け始めた。
自分は寝てるのに誰かが台所に立ってるなんて、母親ととここに住んでいた時以来だ。
溜め息をつきながら横を向くと、捨てるタイミングを失ったゴミ袋や、散乱した洋服が目についた。
金が手に入ったら、こんな狭苦しくて最悪なアパート、すぐに出てやる。
マレーシアに行って、芸能人みたいな広い家で暮らすんだ……。
「マレーシア」「豪邸」なんかでスマホを検索してるうちに、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
そしてその夜は、久々に母親の夢を見た。
滅多に料理なんてしなかったくせに、慣れねぇ台所に立って、何か一生懸命に作ってる。
そういや、小学生の時、たまに遠足なんかある日には、無理して早起きして、弁当作ってくれたっけな。
ところどころ真っ黒に焦げた卵焼きと、焼いただけのウインナーと、ノリ弁……。
ガキだったから、そんなんでも無性に嬉しかった。
「母ちゃん、なぁ」
話しかけようとして、自分の声で目が覚めた。
年中閉めっぱなしの遮光カーテンの奥から、チラチラ入ってくる光。
換気の悪い部屋の中に漂う、味噌と、炊いた米の匂い。
「は……?」
何事かと思って起き上がる。
時計は11時を指していた。
そいつはいつもの俺の生活ペースだから、別にいいとしてもだ。
周りを見ると、すっかりゴミが片付けられていて、出しっぱなしだった布団も、ついでに俺が寝てたこたつのコタツ布団も消えて、代わりにタオルケットが掛けられている。
「あれ……俺の布団は……? なんか、色々無くなってる……?」
「敷布団は干して、掛け布団は近くのクリーニングに出しました。ゴミは、今日、燃える日の収集日だったみたいなので、まとめて出してあります。ごめんなさい、つい、勝手に色々触ってしまって……お兄様、よく寝ていらしたので」
言われて周囲を見回すと、ゴミ溜めみたいだった部屋が何となく、スッキリして見える。
台所も片付いてるし、洋服もビシッと畳んでひとまとめにされていた。
目の前にいる、タレント並みの爽やかさを纏った男を見上げる。
こいつ、寝ないで片付けてたのか……?
「朝ごはん、簡単ですけど作ってあります。味噌汁もあっためますね」
言われて、裸になったこたつ机の上を見ると、おにぎりと出汁巻き卵が皿の上に二つ鎮座していた。
「お前が作ったのか……?」
「はい。昨日の夕飯も実は僕が」
「マジかよ……」
「母も病弱でしたし、家政婦の三井さんはだいぶご年配なので、僕も小学生の頃からなるべく家のことをするようにしてて……掃除は流石に広すぎて無理ですが」
三井さんというのはあの、俺に茶を出してくれた通いの婆さんのことだろう。
「さよか……つうか、買い物……金は?」
「昨晩、ひと月暮らせるぐらいのお金は下ろしましたから、心配ありません」
確かにまあ、そうだったな。
ひと月暮らせるだけの預金があるとか、おぼっちゃまってのは、余裕がある人種でいいこった。
「あ、それから――」
高臣が湯気の出る味噌汁の入った椀を俺の前に置きながら、思いついたように顔を上げた。
「あの、こちらのお家、お風呂がないみたいなんですけど……」
◇ ◇ ◇
――何の因果で、にわかに現れた「弟」と、裸の付き合いなんかするハメに?
風呂なしアパートの宿命だから仕方ねぇんだけどさ。
俺もいい加減、風呂行きたかったし。
それにしたって、殺そうかと思ってる相手と、うっかり一緒に行く場所じゃねぇ。
心の中で悪態つきながら、俺は仕方なく、高臣に馴染みの銭湯を案内した。
替えの下着やらは途中のコンビニで買わせて、銭湯の看板が見え始めた時から、高臣はすごいテンションになりやがった。
まるで初めて散歩に連れ出した犬かっていう勢い。
いや、犬なんか飼ったことねぇけど……多分想像するにこんな感じだよ。
「僕、銭湯って初めてなんです。楽しみだなぁ!」
「何か知っておいた方がいいマナーがあったら、是非教えてください!」
「ここに靴、入れるんですね! 鍵はどうしたらいいですか!?」
図体はデカいのに、会話が小中学生のガキそのまんまで、目立つったらない。
「おい、はしゃぐな。恥ずかしいだろうが」
「はい、気をつけます!」
ニコニコスマイルで返しやがって、全く反省してねぇー。
番台のオヤジにも愛想を振り撒いて、俺は思わず他人のフリをした。
いや、もともと他人だけどよ……。
せめて離れたロッカーを使おうとしたら、これまた犬みたいに後ろから「お兄様、お兄様」と付いてくるもんだから、それもできねぇ。
しかも今の俺は、身長160センチあるかないかの、どっからどう見ても中学生のガキ。
番台のおっちゃんからの視線が痛すぎる。
「お兄様、ほとんど誰もいませんね!」
「平日の昼間だから当たり前だろが。あっちこっち見てないでさっさと脱げ。ロッカーの鍵、忘れんなよ」
イヤイヤ世話を焼いてやりながら服を脱いだら、自分の体の痩せっぽちで貧弱な様に驚いた。
まあ、大人になった俺だってそう変わらねぇが……。
あと、ゲイビデビューする前に全身脱毛したはずの毛が、生えてる……。
元々そんな濃い方じゃねぇけど、ショボショボした毛が半端に生えてるのは、どうにも情けなさが際立った。
それに引き換え高臣は、明らかに180センチ超えの長身に、SNSに裸の写真でも乗っけたら、ひと月でゲイのフォロワーが数千付きそうなすげぇいい身体してやがる。
なんかしら陸上系のスポーツやってる感じで、肩幅がガッシリして、上半身も下半身もバランスよく筋肉がついてる、みたいな。
そこに整った顔立ちも加わって、映画に出てくる美形のアクション俳優みたいにオーラがあった。
しかも、下着を脱いだ時のイチモツは、ゲイビに出てた俺でも滅多に見かけない、日本人離れしたサイズ。
ゴクンと生唾を呑んでから、ハッとした。
くそ、頭おかしくなったのか、俺は。
好みの顔の上に好みの体くっつけてるからって、何を血迷ってんだ。
こいつは中身はウザいガキの上に、これから一ヶ月以内に殺ろうって相手だぞ。
なのに、清潔感の中に妙な色気のある切長の目がこっちを見て、少し厚めの男らしい唇がとろけるような微笑みを浮かべると……無性に、胸が苦しくなる。
苦しくなるだけならともかく、下半身の方も――。
何しろこっちはいきなりヤリたい盛りの10代に戻らされてる訳で、本人の意思とか全く関係なくアッチが反応するからな。
「先に行くからな!?」
タオルで半勃ちを隠して、さっと洗い場に出ていく。
そのまんま一番端っこの洗い場で髪でも洗って、一人静かにおさまるのを待ってたかったのに、高臣の方はそんな俺のシモの事情なんて、お構いなしに真横を陣取ってくる。
いや、どこもかしこも空いてんのに何で隣!?
悶絶して頭を抱えてると、備え付けのボディーソープをタオルに取りながら、高臣は鏡越しに楽しそうに微笑みかけてきた。
「お兄様と、ネットでしか知らなかった銭湯に来られて、本当に楽しいです。連れてきてくださって有難うございます!」
……クッソ。事故物件でも何でもいいから、風呂ありのアパートに引っ越しておくべきだった……!
――そんな後悔が先に立つはずもなく。
下半身をなんとか静かにさせて、熱々の風呂に入った後も、高臣のはしゃぎっぷりは凄かった。
イチゴ牛乳とコーヒー牛乳しか売ってない自販機やら、壊れかけのマッサージ機やら、湯上がりの扇風機やらに、いちいち感動しては、お兄様、お兄様! と話しかけてくる。
場末の商店街を通る帰り道を、俺はゲンナリ、高臣はスキップしそうな感じで歩いていると、相手は俺の隣にピッタリくっついてきて、いかにも親しげに聞いてきた。
「お兄様、お昼ご飯何にしましょうかね」
「いや、俺はさっきが朝飯だったし……」
「じゃあ、素麺でも茹でましょうか?」
「好きにしろ……」
もう、何か言う気力もない。
高臣はタオルを肩にかけたまんま、破顔して頷くと、スーパーに足を向けた。
あれもこれもと両手いっぱいの買い物袋を持った高臣と家に帰って、改めて家の変わりっぷりにビックリした。
なんか、片付けられすぎてて俺の家じゃねぇ……。
帰るなり疲れて倒れた俺の横で、高臣はいつの間にやら買ったエプロンを身につけ、鼻歌混じりに素麺を茹で始めた。
俺なんか、身体が変わって、こいつがそばにいるだけでウンザリするほど疲れてんのに、こいつと来たら、まるで前からここに住んでたのかってほどの馴染みっぷり……。
これが心の若さってやつか……。
ついていけないオッサンの俺は、居眠りの後に肩をゆすられ、起こされた。
ボンヤリしたまんま辛うじてコタツ机の前に座ると、目の前に、母親が死んでから一度も使ってなかった貰いもんの大きな琉球ガラスの器が鎮座していた。
中にはちゃんと氷の入った、絹糸みたいに真っ白な細い素麺が入ってる。
いや、それだけじゃねぇ……細く切ったきゅうりと、カニカマと、なんか黄色いやつ……卵……? まで添えて。
それを見つめたまんま、俺は動けなくなった。
最後に母親が珍しく俺に作ってくれた昼飯が、素麺だったことを思い出したからだ。
水道水で冷やしただけ、何にも具なんかねぇ、ぬるくてまずい素麺。
『響、ほら、ソーメン。おかわりはないから、早いもん勝ちだよ』
母親の笑顔を思い出して、なんとも言えない、胸が詰まったような感覚に襲われる。
……それは心の中に、勝手に踏み込まれたみたいな不快感だった。
一応、麺つゆの入った、これまた滅多に使わない欠けた器を持ってはみるものの、手がそれ以上動かない。
「お腹が空いてなければ、無理して食べなくても大丈夫ですから。余ったら、僕が全部食べますね」
余計な気を遣われて、俺の口から思わず、ぼろっと本音が出た。
「……家、勝手に片付けたり、飯作ったり、……朝から、何なんだ? ひとんちで好き勝手しすぎだろうがよ……」
すると、高臣は一瞬ビックリした顔をして、すぐに首を横に振った。
「お世話になるので、当然のことと思って……。お兄様の気に触ったなら、申し訳ありません」
深く頭を下げられて、ハッとした。
いけねぇ……殺る時までは、こいつとはうまくやんねぇと。
「別に、そういう訳じゃ……。ちょっとびっくりしただけだ……」
俺が言い訳すると、にこーっと笑って高臣が顔を上げる。
「……素麺、お嫌いですか」
「別に。食うよ……残したら勿体ねぇし」
素麺に箸を伸ばしながら、密かに舌打ちした。
こいつ、低姿勢なくせに、すげぇ自分のペースに人を巻き込んでくんな……。
客にも、知り合いにもいねぇタイプの人間だ。
嫌な予感しかしねぇ……。
俺が無言で器を片手にズルズルやり始めると、高臣も背筋をシャンと正して正座し、綺麗な箸使いで行儀良く素麺をすする。
「……夕飯はお魚にしますね」
おい……長年連れ添った奥さんみたいに唐突に話しかけてくるんじゃねぇよ……。
「……俺、魚嫌い」
せめてもの抵抗をすると、高臣は手を止めて聞いてきた。
「どうしてですか?」
「……。箸がうまく持てねぇから、骨がよけられなくて喉に刺さる……」
手元をマジマジと覗き込まれて、サッと手を引っ込めた。
やっちまった。大人の癖に未だに箸が持てないなんて、バカにしてくるかもしれないのに……うっかり本当のことを言っちまったじゃねえか。
だが、高臣は何てことないって感じで、ニッコリ頷いてきた。
「分かりました。それなら、メカジキにしましょう」
「なんだ、それ……魚の名前か? ゲテモノは食わねぇぞ」
釘を刺すと、高臣は穏やかに首を振った。
「大丈夫です。美味しいですよ」
その笑顔に、俺は何だか、毒気を抜かれてしまった……。
――あーあ。こいつ、マジで変なやつだ。
会ったこともねぇ大人に変なお兄様ごっこを押し付けてきたり、人んちで好き勝手に家事やったり……俺のことも最初から、今も、全く警戒してねぇしよ。
殺そうとしてんだぞ、こっちは。
まあ、警戒0の方が殺りやすいか。
……それにしてもだ。
殺した場合、やっぱ、死体を始末に困るよな。
この家、風呂場はねぇし……。
例えば、俺がここで包丁持ってこいつを刺す……なんてことができたとしてもだ。
死体の始末はすぐにどうにかする必要がある。
今の俺の力じゃ、こいつの身体を運び出してどっかに捨てるなんてことも出来ない。
どうしたってリョウの助けがいる。
リョウは金がなくなりゃ、絶対ここに戻ってくる。
それまでは、ダルいけど……こいつに付き合って、兄弟ゴッコをするしかねぇな……。
[newpage]
おかしな鏡のせいで訳のわからないことになってから、もう一週間が経った。
あの鏡は、うっかり割っちまわないよう、そんでもって盗まれたりもしないように、押し入れの中に厳重にしまってある。
一方で、高臣はネットカフェから自分のメールアカウントを操作し、お手伝いさんには有給を取らせ、後見人の弁護士にはまるで家にいるかのように装ったメールで安心させて、自分の不在をうまいことごまかしていた。
学校宛には、一ヶ月、私費で短期留学に出たことにして、まんまと円満欠席をもぎ取ったらしい。
父親の死で天涯孤独になったので、傷心を慰めるために少し環境を変えたい……とかなんとか同情を買い、突然の嘘をそれらしく演出して教師どもを丸め込んだって言うんだから、恐ろしいガキだ。
もちろん、自宅の警備会社にも連絡して、あの夜のことが警察沙汰になるのは早々にストップさせて、俺も晴れてお咎めなし。
全く――殺される本人が着々と完全犯罪の手伝いをしてくれるなんて、有り難いの極みだぜ。
何もかも準備は整ったってのに、殺人を手伝わせるはずの肝心のリョウは未だ帰ってこねぇ。
思い余って電話したら、料金不払いでとっくに解約されてやがった。
スマホ代なんか、今時食うや食わずの奴でも払ってるヤツだろーが、全く。
俺一人でヤる勇気は流石にねぇ……。
よりにもよって一番肉が腐りやすい季節だしな。
こうなりゃ知り合いのヤクザでも頼るか?
下手すりゃあ俺が殺されそうだな……。
クソッ、時間限られてるってのに、どうすりゃいいんだ――。
苛立つ俺の焦りをよそに、アパートは、高臣によって当初の面影がないほどに改造され尽くされていた。
DIYで作られた棚に整然と並べられた食器。
調理器具も元々、鍋とフライパンくらいしか無かったのに、今はナントカクッキングのスタジオかと思うくらいの充実ぶりだ。
押入れに収まりきらない服はハンガーラックに行儀よく並び、床は相変わらず擦り切れた畳だが、毎日掃除機がかかっている。
今度、新しい畳か、今風のフローリングに貼り替える交渉を、高臣が勝手に大家としているらしい。
突然現れ、俺の家賃滞納分をネット送金で全部払ってくれたハンサムな「兄」に、大家のババアも一発でいかれちまったって訳だ。
二つ返事でOKの返事が来たとか……二十年以上ここに住んでるが、俺なんぞ、顔合わすたんびに睨まれてたのにな。
……結局、金が全てかよ。
金があるから、大家のババアもヘコヘコする。
金のある環境で育ったから、自信満々で、誰とでも物怖じせずに交渉できる。
てことは、俺だって、母親がバカじゃなけりゃあ、金持ちの家でこいつみたいに育ってたはずだ。
金さえあれば……。
高臣を誰にも知られないまま消しちまえば――俺だってこの先、人生やり直せるはずなんだ。
それなのに何でか、サッパリうまくいかねぇ……。
「お兄様、今日の夕飯のハンバーグ、どうでしたか?」
「あー……悪くねぇんじゃねぇ……」
生返事した俺の前には、壊れてたヤツのかわりに買い替えられた、不釣り合いにデカいテレビ。
画面には、これまた高臣に買わせた最新の据え置きゲーム機で格闘ゲームが映っている。
何しろ、ウリの仕事は出来ねぇし、パチンコ屋も出入り禁止だし。
で、仕方なく、まるで夏休みの小学生みてぇな感じで一日中、ゲームばっかやってるのだった。
最近は高臣もやり始めて、殺すはずの相手とゲームで対戦……一体、何やってんだ。
「クソ……アチィなぁ……ビール呑みてぇ」
「だめですよ。お兄様の体はいま、子供なんですから」
ピシャリと言われて、俺は高臣を睨みつけた。
「どうせ元に戻ったら大人なんだし、関係ねーだろ!?」
「でも、今は身体に毒ですから」
クソッ。
こいつ、従順そうな顔して、すげぇ頑固な野郎だ。
それにしても、こんな建前みたいなこと堂々と言ってくるやつ、大人でも俺の周りに居ただろうか――。
「あっ」
いけねぇ、操作をミスった。
「やった! 初めてお兄様に勝てましたね! 僕、すごく上達したと思いませんか? やったことなかったのに」
「たまたまだろ」
「次も負けませんよ」
……あーあ。
なにもかもうまくいかねぇのは、俺の人生、よくあることだけどな……。
不貞腐れながらゲームの続きをしていると、ガラガラと音の濁る、玄関の壊れかけインターホンが鳴った。
「お兄様、どなたか来ましたよ。僕、出ますね」
「待て。出るな」
高臣を制止して、玄関の方へ行く。
リョウはわざわざインターホンを鳴らす、なんてことはせずにいきなり入ってくるはずだ。
となると……今ここに来るのは、闇金の取り立てか、警察の二択……。
電気メーター覗かれると、誤魔化しも効かねぇし、参ったな……。
とかナントカ考えてるうちに、外からガラの悪い声が聞こえてきた。
「おーい。中にいんのは分かってんだぞ。居留守使ってねぇで、さっさと出てこいや!」
……いつも取り立ての電話かけてきやがる、顔馴染みのチンピラだ。
俺がスマホ切っちまってる上、職場にも現れねぇから、痺れを切らしてきたんだろう。
こうなると、俺から金を搾り取るまで、ドアの前で大騒ぎだ。
だが、最近の俺には稼ぎなんてねぇ。
借金のことが高臣に知られて、妙なことになるのも面倒だし……クソクソ、何でいつも俺はこうも八方塞がりなんだ!?
「お兄様、警察を呼びましょうか」
不審に思った高臣が立ち上がりかけたが、俺は首を振った。
「余計なことすんな! 俺の問題だから、俺が何とかする。ほっとけ」
そう言い捨てて、取り敢えず玄関に出る。
扉を開くと、肩まで伸びた赤茶けた長髪に安物の派手な開襟シャツを着た、いかにも下っ端のチンピラが、並びの悪い歯を見せて笑った。
「なんだ、いんじゃん……て、なんだ、ガキンチョか。てめぇ誰だよ。木原はどこだ」
「今はいねーんだよ。後できっちり全額耳揃えて返してやるけど、今は無理だ。諦めて帰れ」
「はぁ~? ガキの使いなんか残しやがって、ふざけんなよ! てめえ、弟か?」
てめぇこそオツカイのチンピラで、いい勝負だと思うが――相手は俺から回収したアガリの何割かが懐に入るもんだから、そう易々とは帰っちゃくれない。
「ちげーよ。あいつに家族なんかいねぇのはお前も知ってんだろうが」
「わかんねぇぞ。木原のお袋さん、モテてたじゃあねぇか? で、てめえの兄貴分は、金も返さずに、電話も電源切りっぱ、店もばっくれっぱなし……ガキ一人にオキャクサマの相手させて、マジで人間のクズだな? ――なあ、弟君はそんな無責任なことはしねぇよなあ。兄貴の居所、おじさんにコッソリ教えてくれよ?」
そこまでチンピラが言いかけた時、俺の後ろに、背の高い男が立ちはだかる気配がした。
「ちょっと待ってください。お兄様を侮辱するようなことをおっしゃられるのは、聞き捨てておけません」
ギョッとして振り向く。
急に玄関先に現れた見知らぬ大人に、チンピラは目を白黒させた。
「はぁ……? オニイサマ? おいおい、今日は一体、何の茶番だ。まさかの弟くん二号かよ……木原の悪知恵かなんかで、俺を煙に巻く為の芝居かなんかしてるつもりなら、てめぇら――」
声音を変えた男に、全く落ち着き払った感じで高臣が口を挟む。
「僕は、木原響の実の弟です。あなたは違法な貸金業者の方ですね?」
おいっ、言うに事欠いてそんなストレートに突っ込む奴がいるか!?
慌てる俺を板挟みに、チンピラは案の定激昂し始めた。
「はぁーーー? てめぇ、何勘違いしてやがる」
チンピラが、細い三白眼を至近距離まで近付け、高臣を睨む。
「あんなぁ。こちとら、業者とか、闇金とかじゃあねぇーんだよ。個人間融資だよ、個人間融資。分かる? 俺の兄貴が、むかぁし、木原の母ちゃんと懇意にしてて、ちょいとカネを貸した、木原はそれを返してる。トーゼンだろうがよ」
「そのような事情が事実だったとしても、こういった取り立ての方法は法律違反のはずです。あなた方のことは弁護士に調べさせて、然るべき法的措置を取らせて頂きます」
毅然とした高臣の言葉――中でも、「弁護士」というワードに、男の顔色がサッと変わった。
「――まだお帰りにならないなら警察に相談させて頂きますが」
一歩も引かない高臣に、チンピラは後退った。
「お前、絶対あの野郎の弟なんかじゃねぇだろ!? クソがっ。また来るからな!」
まるで漫画に出てくる負け犬みたいな台詞を吐いて、慌てて階段を降りていく。
俺が呆気に取られていると、高臣が俺の肩をぐいと掴み、無理やり向き合う形にされた。
「――お兄様。違法業者に借金があったのですね!?」
怒るみたいな真剣な口調と、綺麗な二重の目の鋭い視線に射抜かれて、つい、吐いちまった。
「ま、まあ……200万くらい……? お袋が残して死んじまったヤツ……」
「何故、相続放棄しなかったんです」
「そういうのが通じる相手じゃねぇーんだよ、見てりゃ分かんだろ……!?」
綺麗な眉根に皺を寄せて、高臣がため息をついた。
「野村さんにメールしておきます。彼もお兄様のことを調べた時に知ったはずなのに、どうして教えてくれなかったのか……。もう安心してください、完全に手を切れるようにしておきますから。彼らはもう二度と来ません」
「ちょっ……何余計なこと……お前には関係ねぇだろうが……!!」
カッとして手を振り払おうとしたが、逆に、ギュウっと厚い胸板に抱き締められた。
熱い体温に包まれて、頭が真っ白になる。
耳元で、優しく穏やかな声が低く囁いた。
「――すみません、出過ぎた真似をして。でも、今は僕が大人です。だから……守りたいんです、お兄様を」
胸が火をつけられたように熱くなり、呻き声が漏れそうになった。
何なんだ、何なんだこいつ……!!
俺の中に無理やり入ってくるな。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
こんなことして、俺がお前を、好きになるとでも思うのか。
弟だって認めて、抱きしめ返して、泣きながら感謝するとでも!?
金に困ったことなんか一度もない、何不自由ない人生生きてきて……俺のことなんか、何一つしらねぇ癖に。俺の人生にお前なんか一度も現れたことなかった癖に、何もかもそうやって、したり顔で一瞬で解決して……!
俺の人生は、お前の慈善遊びの玩具じゃねぇんだよ……!!
「離せ、鬱陶しいんだよ!! 善人ヅラで、頼んでもねぇのに、好き勝手余計なことばっかりしやがって!!」
ついにキレて、俺は高臣の胸をドンと突き飛ばした。
勢いでそのまんま、アパートを飛び出す。
殺すまではうまくやるはずだったのに、とか。
チンピラに借金してんのが知られて、恥ずかしい、とか。
俺がいい大人の癖に解決できなかった問題を、急にさらわれて、御坊ちゃまの頭と金の力で握りつぶされて、悔しい、とか。
頭の中がグチャグチャだった。
でも何より、俺のダメージになってたのは……。
――実の母親だって、俺のことをあんなふうに抱き締めたりしたことはなかったってことだ。
いつだって、俺のことなんか鬱陶しそうにそうにして、スマホの画面で誰か他の男とやりとりしてる、キャミソールの丸まった背中の記憶しかない。
リョウだってそうだ。
俺に触ってくるのは、自分が性欲を吐き出したい時だけで……。
死ぬほどムカついてるのに、もう二度と触らせたくないと思ってるのに、力強い腕の感触が、皮膚にこびりついて、いや、俺の内側の肉にまで染み透ってくる。
気がついたら、泣きたくもねぇのにボロボロに涙が出て止まらなかった。
何なんだこれ。
母親が死んだ時も、一滴だって涙なんて、出なかったのに。
俺は、誰かにあんな風にされたかったのか。
本当は大人の庇護が欲しかったってのかよ。
高臣に、そのことに気付かされたことが、死ぬほど悔しかった……。
顔に垂れる水を必死でぬぐいながら、近くの公園まで走った。
空に赤みが差していて、長いこと時間の感覚が無かった俺に、ようやく今が夕方なんだと分かる。
太い木が長い影を落としている他は、砂場とブランコしかない、寂れた場所だ。
そこに入った途端、後ろから大きな声が上がった。
「お兄様!」
ギャッと叫びそうになった。
後ろを振り向くと、汗だくになった高臣がガシガシ公園の入り口の坂を登ってくるところだった。
「っ……!」
あんだけブチ切れたってのに、なんで追いかけてくんだよ、ストーカーか!?
慌てて後ろを向いて顔をガシガシ拭う。
そしたらまた――。
後ろから背中を、ギュッと強く抱き締められた。
最悪だ。
もう駄目だ。
めちゃくちゃ努力して涙止めたのにまた出てくる。
しかも、なんか……伝わってくる体温に、身体が既に馴染み始めてるのがやばい。
「……本当に申し訳ありません。お兄様の気持ちも確かめずに、余計なことを色々してしまって……よく人にも言われるんです、自分の信念で行動しすぎて、周囲が見えてない時があるって」
見えてないどころじゃねぇだろ……!?
なんなんだ、最初から。
一度も会ったことねぇ相手を、お兄様お兄様って。
もはや頭がおかしいだろ、そんなの。
ふざけんなよ、殺してやるつもりだったのに、逆にどんどん俺の方がおかしくなる一方じゃねぇか。
なんか言ってやりたいのに、情けないほどエグエグとすすり上げてしまって、涙声しか出ない。
「てめえの押し売り親切なんかいらねぇよ……」
「これからは気を付けます。……だから、一緒に家に帰ってくださいますか?」
「ヤダ……」
顔を覆って首を振ると、高臣がスッと離れていく。
ビクッと動揺して振り向いたら、彼は二つ並んだブランコの向こう側に座るところだった。
「じゃあ、公園で遊んでから帰りましょうね」
「は、はぁ……!?」
何でそうなる!? と突っ込みかけて、高臣がまだ中学生だったってことを思い出した。
まあ、よくある仲直りの流れかもしれねぇな、小学生ならよ……。
誘いに乗るのはシャクだが、俺に行く宛なんかあるはずもない。
一人じゃカネもねぇし……結局、こいつをヤるまでうまくやるしかねぇんだ。
「あーあ、意味わかんねぇし……!」
悪態をつきつつ仕方なく隣のブランコに腰を下ろそうとしたら、
「あーっ! そこ、座ったら駄目です! 座るところに鳥のフンが付いてるので。そっちは立ち漕ぎ専用です!」
アホみたいな理由で遮られて、俺は空気椅子のまま目を丸くした。
「はぁ!? じゃあなんでお前、鳥のフンがついてない方にチャッカリ座ってんだよ!?」
「僕はこの身長だと立ち漕ぎしたら、頭が支柱にぶつかっちゃうんです!」
悪びれない笑顔で言われて、俺まで気分がすっかり小学生だ。
「おま、俺がチビだって言いてぇのか!?」
「そんなつもりないです! でも、今は僕の方が背が高いから、すみません。ふふふっ」
ひどく子供っぽい笑い声に毒気を抜かれる。
さっきまで、メチャクチャ大人を演じてた癖に、訳がわからねぇ。
……アホなガキみたいな会話をしてるうちに、何もかもどうでも良くなってきて、俺の涙も引っ込んだ。
弱まった太陽光の下で、防災行政無線の放送器から、夕焼け小焼けが流れ出す。
聞き慣れたそれを、殺すはずの「弟」と二人で聞いてることが、不思議で堪らなかった。
ヤケになって、ブランコがひっくり返りそうなくらい、さんざん立ち漕ぎする。
……何でこんなガキ臭い遊びに付き合う気になったのかは分からない。
俺の気持ちも何一つ解決してねぇし。
だけど、何でか気分は悪くなくて……。
そのまんまずいぶん長いこと、俺と高臣は座り漕ぎと立ち漕ぎで、一緒にブランコを揺らした。
[newpage]
――あの借金取りの一件の時に、干渉をハッキリ拒絶しきらなかったからだろうか。
その日から、高臣は謎なくらい遠慮なしになって、ますます俺にベタベタしてくるようになった。
飯が出来てるのに構わずにゲームしてたら、後ろからコントローラー取り上げてきて、軽く取っ組み合いになったり。
高い所のモノを取ろうとしてたら、いきなり両脇抱えられて持ち上げたり。
最初は俺も怒って抵抗してたんだが、相手の方はさっぱり反省がねぇもんだから、今は拒絶する気力も失せた。
何しろ二十四時間ほぼベッタリ一緒にいるから、俺の感覚までおかしくなってきて、気付いたらうっかり背中に寄りかかってスマホしてた、なんてことまで……。
つまり、流されっぱなしだ。
挙句――こたつ布団がクリーニング屋の「冬までお預かりサービス」とやらで無くなっちまってから、布団とタオルケット一組の端と端で寝てたんだが――寝てると、いつの間にやら後ろから抱きつかれてたりする。
暑苦しいから蹴っ飛ばすんだけど、気が付いたら磁石みたいに戻ってくる。
そもそも家自体がメチャクチャ狭いから、離れようがねぇ。
そんな訳で、今朝も――。
「おい……チンコ当たってるっつうの……」
日当たり最悪の窓でもうっすら朝だって分かる、明け方。
寝苦しくて起きてみたら、やっぱり、高臣は俺の背中にひっついて寝てやがった。
全く、そろそろ夏だってのに、どんだけ人肌に飢えてんだよ……。
「おい。お前、あっち行けっ!」
頭をポカっと殴りつけたら、描いたみたいに綺麗に生えた眉を顰めて「あいたっ」とか寝言言って、それでもまだ離れない。
しかも、朝勃ちしまくってるデッカいのが尻の間をぐいぐい押し上げてきて……寝息が、首筋の裏をくすぐり、胸筋がしっかり浮き出た胸板の熱で、背中が汗ばむーー。
あークソクソクソ!! 勃っちまった……っ!
中身はガキのくせに、見た目も身体もなんもかんも……ドストライクに入っちまってるから……っ。
兄弟なんて居たことねぇけど、もしかしてどこもこんななのか?
いや、ねーよ。んな訳があるか。
横を向いたまんま、歯を食いしばって身を硬くしても、勃っちまったもんはどうにもならねぇ。
もっかい殴りつけてやろうかと、振り上げるために握った拳を――逆にタオルケットの中に入れて、パンツの中に突っ込む。
あぁ……。
ここんとこ、ヤれねぇわ、抜ける状況じゃねぇわで、ガッチガチに充血してる……。
「……っ」
竿を掴んで取り出し、ゆるゆる擦ると、すんげぇ気持ちよくて、すぐにヌルヌルの先走りが垂れてくる。
「はぁっ……は、あっ」
オカズはもちろん、俺の尻の狭間をグイグイ圧迫してる、極太でカリ高のデカチンだ。
擦り付けるみたいに尻を押し付けると、焦らされてるみたいな気分になって、尻の穴が勝手にヒクヒク締まる。
「ぁああ……っ」
こんなでかくて長いチンポで、腹の奥までガン突きされたら、どんな気持ちいいんだろ……?
想像するだけで、頭がとろけたようになって、気持ちいいのが腰の奥にズンと来る。
「はあっ、入れてぇ……っ、ナカにチンポほしぃ……っ」
尻の割れ目が丸見えになるくらいパンツずりおろして、夢中になって扱いてると、高臣がモゾモゾっと動いた。
や、やべっ……振動が伝わっちまったか。
ギクリとして動きを止めると、高臣は俺の身体に腕を回し直して、再び安らかな寝息を立て始めた。
そのゴツゴツした男らしい長い指が、Tシャツ越しにちょうど、俺の乳首に当たりやがって――。
「あぅん……っ」
客を相手にしてる時の演技じゃねぇ、変な声が出た。
「クソ……っ」
血なんかつながってないとはいえ、スヤスヤ寝てるこんなガキにおっ勃って、必死にオカズにしてる自分が情けなくて、涙が滲む。
……何で俺、いつから、こんな風になっちまったんだっけ……。
別に、ハハオヤが死ぬまでは俺、普通に彼女とかいた気がするし……。
でも、すげぇ好きで付き合ってた訳じゃなかった。いや、人間自体があんまり……。
その方面の割り切りが早かったから、ウリするのにも抵抗とかあんま、なかったのかも知れねぇ。
男相手の方が、それもバックがやれる方が金になるとか、そんな感じでズブズブはまって、なし崩しにゲイものAV出て、その後、リョウと付き合って――。
今更女抱けるかって言われたら、無理な気がする。
でも後ろのコイツは、俺が殺さなきゃ、このままあと十年もしたら普通に働いて、美人で育ちもいい女と結婚して、中出ししてガキ作って――俺なんかとは全然違う人生を、当たり前に歩くんだろうな……。
畜生、ムカつく……。
「はあっ、あっ」
本物の大人になったこいつは、どんな風に、女を抱くんだろ。
きっとメチャクチャ優しく、気遣って抱くんだろうな。
いや、性格的にかなり強引なとこあるから、案外Sッ気が強めかも……?
はは、マジで意味ねぇ妄想してる、俺。
『お兄様、気持ちいいですか?』
突然、幻聴が耳元で囁いて、ビクンと腰が跳ねた。
「ぁ……」
握った手の中で、ひときわ竿が敏感になって、危うくイキそうになる。
『もう、出そうなんですか? ずいぶん早いんですね?』
我慢できなくて、先走りをつけた自分の中指で、亀頭を責め立てる。
『弟のチンポを欲しがって欲情するなんて、お兄様は何考えてるんですか? これは、あなたの為のものじゃないんですよ……?』
分かってるよ。
でも、オカズにしてオナるくらい、いいだろ。
尻でちんぽを挟むみたいにして煽りながら、Tシャツの襟ぐりを噛み締めて喘ぎ声を抑える。
「ン……」
流石に眠りが浅くなったのか、尻でちんぽをしごいてやるたんびに、高臣が、吐息をまぜたやらしい感じの呻きをかすかに漏らし始めた。
もしかして、俺の尻で感じてる……?
はは、いい気味……。
あーあ、俺の尻で、夢精しちまえばいいのに。
いや、いっそこのまんま乗っかって、本当に童貞奪ってやろうかな……?
想像したらすげぇ気持ちよくなって、射精感が込み上げてきた。
近くのティッシュ箱から何枚か抜き取って、吹き出してきた白濁を受け止める。
身体も若返ってるせいか、最近ないぐらいの、すげぇ勢いで、大量に出て……。
「はーっ、はーっ……」
吐ききって、冷静になって……ものすごい、頭が混乱した。
俺、何で、殺すはずのヤツのチンポで抜いてんだろ……。
高臣もたいがい頭おかしいヤツだけど、俺まで、おかしくなってきちまった――。
自己嫌悪しまくりなまま二度寝して、その次は、高臣の体温の余りの暑苦しさで目が覚めた。
一発抜いた後、無理矢理剥がして離れて寝たはずだったのに、どういうことだ。
肘鉄を喰らわせると、ムニャムニャ言いながら、高臣が目を覚ます。
「……痛っ……なんですかぁ……」
「何ですかぁ、じゃあねーよ! お前、鬱陶しいんだよ、ベタベタ、ベタベタ。いい加減、起きろ」
「はぁい……」
間の抜けた返事。
こっちの気もしらねぇーで、いい気なもんだ。
こんな狭すぎる部屋でオナったせいか、部屋がイカ臭せぇ気がして仕方ねぇ。
相手がリョウなら何も気にしねぇけど、こいつにバレるのは正直、スゲー嫌だ……。
うんざりしながら起きようとして、頭がメチャクチャ痛いことに気付いた。
「? なんか、変だな……」
そういや、高臣と離れた直後から、異常に寒くて、肌がビリビリ痛いような……?
嫌な予感がして体温を測ってみたら、39度あって、ビックリした。
風邪を貰いそうな場所なんて、銭湯くらいしか行ってねぇのに。
「お兄様……! すごい熱ですよ……!」
背後からウッカリ体温計を見られたが最後――。
俺は強制的に、布団に逆戻りさせられることになった。
……保険証の年齢が見た目と違うから医者も行けねぇし、病気は基本、市販薬だけでどうにかするしかない。
流石の高臣もメチャクチャうろたえて、寝てる俺の周りを、落ち着かない犬みたいにずっとウロウロしてた。
「すみません、まだタオルケットだけにするのは早過ぎましたね……こんなことになるなんて……!」
「いや、別に……寒かったわけじゃ……」
「やっぱり、僕がいると邪魔で熟睡できなくて、体力を失ってたのかも……」
「それはある……」
「本当にすみません……! 僕、これからでもどこか他の所に泊まりましょうか!?」
それは、殺せねぇからダメだ……。
「いいよ、別にここにいろよ……」
「! お兄様、なんて優しい……」
何言ってんだ。
俺はお前を殺してぇだけだっつーの……。
それにしても、見てくれは大人なのに、情けない泣きそうな顔しやがって……。
熱でボンヤリした頭で、俺は手を伸ばし、俺の顔を覗き込む高臣の前髪に触れて、撫でた。
いかにも育ちのいい整った肌と、男らしい眉に、表情のハッキリ出る、でかくて切長の二重の目。
――ああ、やっぱすげえ、好みの顔してるな、こいつ。
ぼーっと見惚れてたら、高臣が頬を赤くしながら心配そうに眉を顰めた。
「お兄様、どうかしましたか……?」
ハッとして、手を引っ込めて横を向く。
「別に、何も……」
「……。何か、食べたいものはありませんか……?」
食べたいもの、か。
今朝までは、お前のちんぽ食いたかったけど、とか――流石にウッカリ言わねえよ。
「何もいらねぇ……」
「解熱剤が効かないなんて、やっぱり救急車を呼んだ方が」
「大袈裟だっつぅの……元々風邪引くと、熱出やすいんだ……大丈夫だから、ほっとけよ……」
「お兄様……」
その後も、高臣は、一日中家を出たり入ったりして、薬にゼリー、アイスノンやら、ポカリスエットやら、色んなもんを俺の周りに並べ立てた。
風邪引いて、誰かに世話されるなんて、何年振りだか思い出せねぇ。
だから、そんなに世話されても、戸惑うばっかりなんだけど……。
ただ、昼間……久しぶりに一人だけで布団を使ったら、すげぇ寒くて、なんか寂しいって思ってる自分に、ドン引きした……。
◇ ◇ ◇
――三日後、風邪がようやく治った俺は、家に籠りきりの生活にすっかり飽き飽きしていた。
寝過ぎのせいで、この俺としたことが朝早く起きちまうし。
仕方なく、一組しかない布団の隣に寝てる高臣の尻をペシンと叩く。
「なぁ、おい。いい加減、家にいんの飽きた。お前、金持ってんだろ。今日は、外行こうぜ、外……」
高臣はううん、とか唸ってる。
結局、俺が風邪っぴきでも夜は同じ布団に寝てたんだよな、こいつ……何でか、感染しなかったけど。
「お兄様……?」
子供みたいに欠伸しながら起きると、高臣は俺の顔を見て、驚いたみたいに声を張った。
「お兄様……! 元気になったんですね!」
「まあな」
体力は落ちてる気がするが、もうこれ以上、布団に縛られた生活は嫌すぎる。
こいつ、俺がウロウロしようとするとすぐ寝かせようとしてくるし。
看病されんのも、意外と楽じゃねぇなって、人生で初めて気付いちまったぜ……。
「大丈夫なら、お出かけぜひ行きましょう! 僕、一度お兄様と遊びに行ってみたかったんです」
相手は「散歩」って言われた犬みたいに、分かりやすく全身で喜んでいる。
「へーえ。パチンコ屋にでも一緒に行くか? 教えてやるぜ」
「それはダメです。お兄様は身体が、僕も中身が18歳未満ですし」
調子に乗った所でキッパリ断られて、ガクッと肩が落ちた。
「じゃ、身分証確認しねぇ闇カジノは」
「違法なのはもっとダメです……! あの、買い物とか、遊園地とか、映画とかじゃダメなんでしょうか」
「……」
結局――結論は健全に「買い物」になった。
高臣は下着以外はオヤジの服を持ってきたまんま、ずっと着た切りスズメだったしな。
向かったのは、バスで行く、駅からちょいと離れたショッピングモールだ。
安くて流行のアイテムが手に入るでかい服屋に二人で入って、あちこち見て回った。
普段が制服生活の高臣は、家で着る物はいつもお手伝いさんに適当に買って貰っていたらしく、自分で服を選ぶ習慣が無かったらしい。
やっぱガキだなぁ、と思いつつ、言い出したのは俺だから、付き合うしかない。
「お兄様、どれが似合うと思いますか!?」
……なんてイチイチ聞かれて、渋々、俺が好きな服を指さしてるうちに……すげぇ、まずいことになった。
あくまでも見た目だけだが、好みの外見の男が、ますますキラッキラして見えるようになっちまったんだ。
「兄弟で買い物するとか、ずっと夢だったんです。嬉しいな……有難うございます」
並んでショッピングモールを歩きながら、意識しすぎてギクシャクする。
天然で色素の薄い、程よくウェーブがかかってる前髪長めの短髪に、オーバーサイズの白黒バイカラーのシャツに、脚の長さが際立つ黒スキニー、ウォレットチェーンにローカットの同色厚底スニーカー。
極めつけの、俺の背丈よりだいぶ高い場所で犬っころみたいにはしゃいでる笑顔――をうっかり見て、破壊光線みたいなのにヤラれそうになった。
「……別に、買ったのはお前だし、買い物は普通の買い物だろ……」
「普通じゃないですよ! 僕にとっては、特別なことです。お兄様、初めてお会いした時もカッコいいなぁと思ったんですけど、お洒落ですよね。……そうだ、お礼にお兄様の洋服、プレゼントしたら駄目ですか? ゆるゆるですし……可愛いけど」
上から全身見下ろされて、思わず飛び退いた。
「かっ、可愛いとか言うな。……お、俺は別に、オーバーサイズ気味なだけでお前ほど困ってねーし……Tシャツとか多少デカくても問題ねぇしっ」
やばい、何で俺はこんな、無闇に動揺してんだ……っ。
褒め言葉なんて、客には言われ慣れてんだろうが……。
「でも……あ、あれ」
高臣が何かに気付いて、足を止めた。
「何だよっ」
要らねぇっつってんだろ、と続けようとして、どうやら相手が見つけたもんが、俺の思ってたのと違うのに気付く。
高臣の目線は、ショッピングモールの四階ぶち抜きの吹き抜けになったアトリウムの真ん中に置かれた、でかいグランドピアノに注がれていた。
「ご自由に弾いて下さい」ってなことが書かれた看板が、その前に立っている。
「――あの、家を離れてからピアノの練習サボってしまってるんで……弾いてきてもいいですか?」
そう言うと、俺が返事をする前に、高臣はピアノに向かって歩き出した。
俺はといえば、なんて言うか――育ちの「差」ってやつをまた見せつけられた気分で、呆然としていた。
お前、男の癖にピアノなんか弾けんのかよ……。
いや、今時は男も女もねぇんだろうけど。
そもそも楽器なんてものは、習うのにも、練習すんのにも金がかかる、金持ちの象徴みたいな趣味だ。
俺がこれからカネを手に入れたとしても、今更もう手に届かねぇような遠い世界。
易々と、当たり前のようにその世界に住んでいる高臣に、俺は、一人ぼっちで置いてかれたような、すげぇ惨めな気分になった。
笑顔でピアノの前に座るあいつは、そんな俺のことなんて全く目に入ってない。
これからここで弾くって、俺は一体、どれくらいの間、ポツンと一人で待てばいいんだよ?
俺はご大層な音楽に興味なんかねぇし、絶対つまんねぇのに。
行き場のない腹立ちが止まらなくなって、思いついた。
……いいや、買い物は済んだんだし、置いて帰っちまえば良いんじゃねぇか。
……これ以上差を見せつけられても、ムカつくだけだし。
そう思って背を向けた途端――アトリウムの客のざわめきを破ったピアノの音が、後ろから俺の心臓を貫いて、足が動かなくなった。
次の瞬間、キラキラした、繊細な音の洪水が、ショッピングモールの広い空間に、さざなみのように溢れ出す。
前に進もうとしてたのに、俺はうっかり振り返っていた。
ピアノの前に座る男の、黄金比の横顔。
速すぎてよく見えないぐらいの畳み掛けるスピードで、鍵盤に走る、長い指。
その指が生み出す、切なく、胸が痛くなるような音色が、全部を拒絶して帰ろうとしてた俺の胸の中に嫌でも飛び込んできて、喉が詰まる。
それは、流行りの曲とかでは全然なくて、どこかでうっすら聞いたことのあるような、クラシックだったと思う。
でも、生で聴く初めてのそれは、余りにも新鮮で煌びやかで、俺の全てが包み込まれて、別の世界に連れて行かれるような……魔法みたいな音だった。
立ち尽くしてる俺の後ろに、いつの間にか、人が集まってくる。
「何だっけ、これ。……ショパン?」
「幻想即興曲ってやつだよね」
「凄いね、音が全然乱れないし、すごく感情がこもってて……しかも弾いてる人、超イケメン」
後ろで、女性客達が会話してて――発作的に振り向いた。
口を開きかけて、自分で自分にビックリした。
俺は言いかけてた――「あれ、俺の弟なんだぜ」って。
まるで、自慢でもするみたいに……。
恐ろしくなって、俺はピアノに聴きに集まってきた人の中に分け入って、ノロノロとその場を離れ始めた。
弟。
俺の。
――そんな訳ねぇだろ。
アカの他人じゃねぇか、どう見ても。
あんな、背筋ただして楽しそうにピアノを弾いて綺麗な音を操る、品行方正で完璧な男が、俺の弟な訳がない。
それなのに、「俺の弟」?
俺、どうしちまったんだろ……。
頭が痛くなって、額を押さえる。
少し離れたところで柱の影に入ったら、向こうから来た体格のいい男とドンとぶつかって、跳ね飛ばされてよろけ、柱に背中をぶつけた。
「いたっ」
「――ちっ。邪魔なんだよ、ガキ」
悪態をついた相手の声に聞き覚えがあって、まさかと思いながら相手の顔を見る。
元は良かっただろうと思うような目鼻立ちが、無惨に脂肪に埋もれて垂れたような顔、ソフトモヒカンの茶髪――。
目を見開いて、俺は絶句した。
「りょ……」
――ずっと音信不通だったリョウが、そこに立っていた。
「りょ、リョウ」
思わず名前を呼ぶと、リョウは怪訝そうに俺を睨みつけた。
「あん? お前、何で俺の名前知ってんだよ」
「あ……」
――口と舌が、痺れたみたいに動かなくなった。
言わなくちゃ。
こんな姿だけど、俺は響なんだ。
今はこんなだけど、すぐに元に戻れる。
金持ちの弟を一緒に殺すのを手伝ってくれよ。財産は、山分けしてやるからさって……。
でも、何でか俺は、首を横に振っていた。
「ひと……違いした……」
「チッ。うぜぇなぁ」
舌打ちするリョウの後ろで、鼻から耳に垂れるピアスをした、地雷系ファッションの女が声を上げた。
「ねーえー、リョウ。さっきから何、そこでモタついてんの? アタシの買い物に付き合ってくれるって言ったじゃん!」
「あー、わりーわりー。行くって」
その瞬間、アトリウムが盛大な拍手に包まれた。
リョウは俺に一瞥もくれず、女と腕を組んで雑踏の中に紛れていく。
呆然としてその背中を見送りながら、動き始めた人だかりの中で俺はポツンと突っ立っていた。
そっか、リョウ……帰ってこねぇなと思ったら……次の寄生先が、見つかったのか。
いや、もしかしたら。
俺と高臣が銭湯にでも行ってる間に、リョウは一度帰ってきてたのかもしれねぇ。
あの家の様子を見たら、とても元のアパートと同じ家とは思わない……。
俺が黙ってどこかに引っ越しちまったと思うよな。
そもそもリョウはスマホ代払ってなくて、俺の電話番号、持ってたかどうかも怪しいし。
それで仕方なく、新しく養ってくれる相手を探して……。
本当のところは分からない。
ただ、思い知らされた。
一緒に暮らしてたはずなのに、俺とリョウの間にあった縁の糸は、俺が思ってたよりもずっと細かったんだってことを。
俺はそんな相手に、俺の人生一発逆転を賭けようとしてた訳で……。
「お兄様、お待たせしてすみません」
ショックと自己嫌悪で呆然としてたら、後ろから声をかけられた。
ピアノを弾き終わり、健康的な頬をほんのりと赤くした、高臣の機嫌良さそうな顔――。
目を逸らすと、顔を覗き込まれた。
「お兄様? 顔色が……どうかしましたか」
「別に……」
何て反応すればいいのか分からずに、背中を向ける。
「良かった。じゃあ、帰りましょう」
横に並ばれて、仕方なく早足で歩き始めた。
バス停に向かう為にショッピングモールのガラス戸の外に出ると、午後のむわっとする熱い空気が、眩暈のするほどキツい。
ガラスが鏡のように、俺たち二人の歩く姿を映す。
顔も体格も、似ても似つかない。
ヒョロヒョロで、母親に似た幸の薄い女顔の、貧相なガキの俺。
長身で、彫りの深い男らしいイケメンの、高臣――。
「……お前、ピアノまで弾けんのな……」
俺がボソリと言った言葉に、高臣が遠慮がちに反応する。
「いえ、そこまでは……。音楽は教養の一つだと、父に……他にも、毎日のように色んな習い事に通ってたんです。今は、生徒会の仕事が忙しいので少しですけど」
「教養ね……俺には無縁の言葉だな……」
渇いた笑いが漏れて、高臣が慌てた。
「すみません、不調法なことを言いました。お兄様を不快にさせるつもりは」
「気にしてねぇよ、別にな。……ただ、やっぱさ……お前と俺は……何にも共通点とかねぇよなって……」
薄々気付いてた。
俺がもし、うまくコイツを殺して金を手に入れても、本当にこの先の人生、逆転できる訳がないって……。
マトモな両親とか、マトモな愛情とか、マトモな学生生活とか、マトモな家とか、常識とかさ。
そんな、子供の時に、俺の手のひらからとっくにこぼれ落ちたもんは、この先も手に入る予定なんか、永遠に無いって……分かってたよ……本当は。
長いため息をついて、俺は足を止めた。
「……お兄様?」
高臣もまた歩みを止め、前に回り込んで俺の顔を覗き込んでくる。
綺麗な顔と見つめ合って、今度こそはっきり気付いてしまった。
俺に、こいつは殺せない。
協力者がいないからじゃねぇ。
……こんな奴に、会わなければ良かった。
あんな鏡、覗かなければ良かったのに。
高臣に遭わずに、ずっとリョウと汚ねぇアパートでつるんでりゃ……。
自分が今まで、誰かを本当に好きになることも、好きになってもらうこともできない寂しいクズだったんだってこと、永遠に気付かないで済んだ。
殺せないなら、俺の人生はこの先も変わらねえってことで……劣等感と、人肌欲しさに苦しんでまで、高臣と一緒に居る理由はねぇよな……。
高臣の胸を手のひらで思い切り押して、俺は俯いたまま呟いた。
「……飽きた」
「え?」
「……お前と兄弟ごっこすんの、飽きたって言ったんだ」
わざとトゲトゲした声で、はっきり言う。
「お兄様……!?」
高臣のいい声に、動揺と不安が混じった。
それを……心のどこかで嬉しいと思う自分も、心底嫌になる。
恋愛とか以前に……誰かに期待するとか、信じるとか、そーいう……心を他人にもってかれるようなのは、馬鹿らしいって思ってたのにな。
よりにもよって、殺そうとしてた相手に……。
……心、持ってかれるなんて……。
「なあ、お前ももう、分かってんだろ? 俺たち、育ちが違うばかりか、これっぽっちも似てねえってこと」
わざと挑発するように言って、高臣の優しい目を睨みつける。
「そ、そんなことは」
「あるだろーがよ。だって、俺の母親、浮気しまくってたんだからな。俺は、どう考えてもその浮気相手の子供だよ。お前と俺はさぁ、血なんか一滴だって繋がってねぇんだ」
あーあ、バカだな、俺は……。
もしこいつと会う前の俺なら、殺さなくても、お人好しのコイツを一生騙し続けて、金ズルにするって手も使えたんだろうにな……。
――黙っちまった相手に、俺は更に畳み掛けた。
「お前がガキだから、兄弟ごっこに付き合ってやってたけどよ。いい加減もう、疲れたし、やってらんねぇんだよ。アカの他人と家族ごっこなんてさ」
半笑いでそう言ってやったら、高臣は、泣き出す寸前の迷子の子供みたいな顔になった。
身体は大人のくせに、まるきりガキみたいな、変な顔。
「おにい……」
「変な呼び名で気安く呼ぶんじゃねえーよ! 最初っから迷惑だったんだよ、ハッキリ言って!! いきなり現れて、人の人生に首突っ込んできやがって……!」
ビクンと、高臣のガッチリした肩が大きく震えた。
急に叱られた子供みたいに。
でも俺はお構いなしに、高臣をとことん傷付ける言葉を選んで続けた。
「もうさあ、お前、出てってくれねぇかな。金あるし、あんなボロアパートに居る必要なんか一ミリもねぇだろ? 満月の日になったら、テキトーにどっかでおちあって、それぞれ元に戻ったら、それでオシマイ。金輪際、バイバイってことにしよーぜ」
「そんな……っ」
「じゃーな。てめえ、絶対俺んちに帰ってくんじゃねぇぞ」
驚いてその場でたたずむ高臣をその場に残したまんま、俺は発車しようとしてた駅前行きのバスに飛び乗った。
あれだけキツくはっきり言やあ、あいつも流石にもう、クズの「お兄様」に変な夢なんか見ることはないだろう。
金持ちだけが通う学校に戻って、同じような恵まれた奴らに囲まれて、そん中で、幸せに暮らせばいいんだ。
そんで、俺も……やっと、静かな、泥みたいな生活に戻れる。
……悪い夢も、もう二度と手にはいらねぇ余計な何かも、何も見ないで済む、慣れた一人きりの生活に。
いや……むしろ、もう……大人に戻りたいともおもわねぇな……。
元々、どこで人生が終わったって構わないと思って生きてきた。
借金のことも面倒だったし、生きてても何も楽しいことなんて無かったし、どっか高いところから飛んじまおうかなって、考えたことは何度もある。
今、身元不明の少年Aのこの姿のまんま、どこかのビルから飛び降りちまったって……別に全然いいんだよな……。
バスを降りて、久々の一人歩きをしながら、どこに行こうか考えあぐねた。
別に今すぐ死のうと思った訳じゃねぇけど……木原響って人間の人生にはとっくに愛想が尽きてて、今日で一層、面倒くさくなったのは確かだ。
駅前のメインストリートを外れ、パチンコ屋の裏口と、居酒屋やキャバクラが軒を連ねる狭い路地に入っていく。
色んな店の看板を覗くフリはするものの、目的とかは特に無かった。
元々、昔母親と住んでたあのアパート以外、居場所なんかない。今の状況打ち明けられるような友達とかも、一人もいねぇし。
けど、高臣が自分の城みたいにしちまった、あの家には何となく帰りたく無かった。
――そんな俺の状況を、悪魔だか神様だかが、見てたんだろうか。
「よお、また会ったな? 木原のオトートさんよぉ」
……気がつくと俺の目の前に、この前の借金取りのお使いのチンピラがニヤつきながら立ちはだかっていた。
「本当に奇遇だなぁ? オジサンさぁ、どうしても木原君に会いたいんだよねぇ。君だったら知ってるだろうと思ってさ。取り敢えず、二人きりでどこかで話そうぜ。な?」
口調は穏やかだが、声は脅すように鋭い。
男の赤茶けた長髪は伸びっぱなしで、頭のてっぺんがほとんど白髪になっている。
この前会った時よりも無精髭も酷い上に、だらしなく黒ずんだ歯茎に付いた前歯が、今は一本欠けていた。
恐らく、事務所に帰ってから上に相当詰められたんだろう。
その腹いせに報復する為に、……特にガキの俺が、一人になる瞬間を狙ってたのかもしれない。
俺はくるりと後ろを向き、大股で猛然と走り始めた。
「このガキがぁ!!」
脅すように叫んで、すぐ背後をチンピラがイノシシみたいに前のめりで追いかけてくる。
死に物狂いで走ったが、最近全く外に出てなかった俺の体は、体力が枯れ果てちまっている。
ゼイハア息を切らして逃げるうちに、だんだんとひとけがない狭い路地に追い込まれていた。
気付けば、工事中の表示のある、でかいベニヤ板で仕切られた袋小路のような場所に目の前を阻まれている。
壁を背にするようにして後ろを振り向くと、ハゲかかった長髪を振り乱したチンピラが、悪鬼のような顔で迫ってきていた。
「手間取らせやがって……てめぇらのせいで、俺は散々な目に……!! ガキだからって、手加減なんかしねぇぞ!!」
吐き捨てるように叫びながら、男は一気に距離を詰め、俺の鳩尾に容赦のねぇ拳を撃ち込んできた。
「うっ、げぇ……っ」
猛烈な痛みと、ウエイトの無さで、身体が背後の板にガンと音を立てて打ち付けられ、ズルズルと沈む。
地面に足を投げ出して対抗できなくなった俺の横っ面を、男は更に回し蹴りで張り飛ばした。
「がっ……」
脳震盪起こしたみたいに意識が遠くなって、痛みと息苦しさで頭がグラグラした。
「……木原の野郎はどこだ。また誤魔化しやがったら次はねぇぞ」
欠けた前歯の奥から不快な音が漏れる、歪んだ笑み。
――殺されるかもしれねぇな……。
そう思ったら、可笑しくなった。
昨日までは、俺がその人殺しになろうとしてたのによ……。
「何笑ってやがる!」
男がガニ股になりながら俺の襟首を掴み、またでかい拳を振りかざす。
俺はもはや避ける気力もなく、されるがまんまになった。
「お兄様!」
――この後に及んで、そんなウザい呼び名の幻聴が聞こえるなんてな。
何でだよ、と思ったら、急に男の手が離れ、俺は地面に転がった。
生理的な涙で滲んだ視界の中に、まさかの本物の高臣の姿がうっすら見える。
「……?」
頑張って目を見開くと、確かにそれは高臣で、男の背後に立ち、その腕を後ろ手に締め上げているところだった。
「イテテテテ! 誰だ、テメェ……っ」
「お兄様っ、今のうちに早く逃げてください!」
そう言われても、足が疲れすぎてるのと、腹やら肩やらが痛いのと両方で、さっぱり両足が言うことを聞かない。
「舐めた真似しやがって! ぶっ殺すぞ!!」
「ちょっと暴れないでください、この身体だと手加減が分かりません!」
ズルズルと男が俺の前から引き離される。
揉み合ってる二人の声でやっと意識がハッキリして、俺は両手をつき、やっと立ち上がれた。
「お兄様! はやく、逃げて……!!」
高臣は促したが、俺は逆に、揉み合う二人の方へ足を向けた。
「お兄様!?」
一歩下がって助走を付けてから、思い切り、男の股間に飛び蹴りを喰らわせる。
「ゔ、ぉぉぉおおおお」
獣じみた雄叫びを上げながら、男がドサリと崩れ落ち、転げ回り始めた。
「行くぞ、高臣!!」
反射的に叫んで高臣に手を差し出すと、相手はでっかい綺麗な瞳を驚きでまん丸にして、俺の手をギュッと握り締めた。
「お、お兄様、……今、僕の名前……初めて」
「そういうのは今はいいから!!」
「は、はい!!」
全身痛くて、頭がテンパってたのもあるが――俺は、高臣の手を握ったまんま、必死に家まで走ってた。
男同士で手ぇ繋いで走るなんて、正直、人生で初めての経験だ。
高臣の手が、デカくて熱くて、手を引いてるのは俺なのに、堪らなく安心した。
さっきの今で、本当は不本意で恥ずかしい展開のはずなのに。
脳内でアドレナリンが出てるせいか、心臓がバクバクして、走りながらやたらめったら楽しかった。
――痛みなんか、吹っ飛ぶぐらい……今までの人生で、こんな楽しかったこと、あったか? ってくらい……。
二人してアパートまでの近道になる近所の公園まで走ってきて、この前一緒に漕いだブランコの場所まできたあたりで――俺にもようやく正気が戻ってきて、慌てて繋いでた手をもぎ離した。
「おい、離せ」
それでも高臣が目をキラッキラに輝かせたまんま、俺の肩を掴む。
「そうだ、お怪我が……! 病院に行かなくちゃ」
俺は視線を逸らしながら吐き捨てた。
「あのな、こんな明らかに暴力沙汰の傷なんて、行ったら怪しまれるだろうが。行かねぇよ」
「でも、診断書と写真を取っておかないと、警察にーー」
「今の俺についた傷を、元に戻ってから警察に訴えるなんて、できる訳ねぇだろうが……」
ため息混じりに吐き出しながら、『立ち漕ぎ専用』ブランコに足を掛ける。
しゅんとしながら、高臣も隣のブランコに腰を下ろした。
あーあ……ちょい前にスッパリ「兄弟じゃねぇ」宣言したつもりだったのに、格好つかねぇったらない。
「……ホントは兄弟なんかじゃねぇって、俺、言ったよな。何で来たんだよ」
今更ながらに問いただすと、高臣はブラブラ揺れながらしばらく黙り込んでしまった。
何だよ……イジメてるみたいで気分が悪いじゃねぇか。
それ以上何も言えず、俺も立ち漕ぎしながらブラブラ揺れていると、不意に――高臣が前を向いたまま、口を開いた。
「……ご迷惑かもしれないってことは、思ってはいたんです。本当の兄弟じゃないかも知れないってことも、弁護士からは聞かされていました」
「……。分かってたんなら、何で……っ」
驚いて問いただすと、高臣はブランコを止めて、ちょっと寂しげな感じで微笑んだ。
「僕、母は体が弱くてほとんど病院暮らしで……父も、普通の家庭の父親としての関わりはあまりなく育ったんです」
脈絡もなく始まった身の上話に、目が点になる。
「……お兄様はもしかするとご存知ないかも知れませんが、父は政治の世界との関わりがあって……父は僕に、将来はそういう世界に入るように望んでました。だから、僕の名前も、末は大臣になれって意味で、高臣と……父がつけました」
木原がそんな家だなんて、母親は一言も言ってなかったから、俺は驚いていた。
俺の名前は、母親が、好きなアイドルか何かから勝手に付けた名前だ。
俺の母親がワガママじゃなくて、爺さんに名前を付けさせていたら、俺が「高臣」って名前になってた可能性もあるんだな……。
ちょっとゾッとしながらも耳を傾けていると、高臣は更に話を続けた。
「僕は3歳の時から、何事においても人よりも秀でていることを求められました。毎日様々な習い事に通い、自分を厳しく律し、人より上に立てるよう、常に勉強するようにと……実際、僕は何をしても人並み以上にできて、お父様も喜んで下さっていました。……でも、本当は……僕は、単に何かが人よりできることを、幸せだとも楽しいとも、いいことだとも……思えた事はなかった」
高臣がブランコの鎖を握り締め、こちらを見上げる。
「心の中では、学校から帰ったら、公園で友達と日が暮れるまで遊んだり、ゲームをしたり……料理して、家族と美味しいものを一緒に食べたり、時間を気にせずに買い物したり……そんな、普通の家庭に、ずっと憧れていたんです」
それって……俺とお前の、今の生活そのものってことじゃん……。
絶句してると、高臣が木漏れ日の中で寂しそうに笑った。
「……だから、僕にお兄様がいるって知った時、本当に嬉しかったんです。……ずっと兄弟が欲しかったし、僕はこの世で一人きりじゃ無かったんだ、家族がいたんだって……。半分しか血が繋がっていなくても……もしかしたら、それも無かったとしても、僕はあなたを、お兄様だと思いたかった……だから、照魔鏡のお陰で、お兄様と一緒に暮らせたのも……お兄様にとっては不幸な出来事でしたが、僕にとっては……」
毎日あんなに楽しそうだったのは、お前が、望んでいた生活だったから……?
「――でも、だからといって僕の願望を、過剰にお兄様に押し付けるなんてことは、本当は許されないことでした。お兄様にとっては、僕の存在すら知ったばかりなのに、ご迷惑でしたよね。……突然、他人同然の人間と暮らすことになって、嫌になってしまうのも、当たり前です。本当に、ごめんなさい」
殊勝に謝り倒されて、俺の方がどうしていいのか分からなくなる。
「別に……今更……」
最初は頭のおかしいガキだと思ってたけど……。
今は、ちょっとだけ、気持ちが分からなくもねぇ、みたいな気分になっちまって……。
俺はふと思いついて、質問した。
「……そういや、ピアノも、あんなすげぇ弾けるのに、楽しく無かったのかよ」
高臣が嬉しそうにブランコから立ち上がり、両手の平を空中に差し出した。
「……さっきは、すごく楽しかったです。自分が弾きたくて、弾いたのは初めてだったかもしれません。手が大きくなってて、ミスしたりもしましたけど……楽しかった」
俺はブランコを飛び降りて、砂利を踏みながら背を伸ばし、高臣に向き合った。
「じゃあ、これからは、弾きたい時だけ弾いたらいいだろ。……もう親は二人ともいねぇんだし、別に好きなことだけして生きれんじゃねえか。大臣なんか、ならなくて済むし――」
高臣が一瞬驚いたような顔をして、すぐにふわりと微笑む。
「……そうですね。気付かせて下さって、有難うございます。――響さん」
普通に名前を呼ばれたうえ、キラキラした澄んだ瞳に見つめられて、かーっと頭に血がのぼった。
「なななな、何」
「兄弟じゃないと言われてしまったので、お名前で呼ぶことにしました。僕の中では、お兄様はやっぱり、お兄様なんですけど……ダメですか?」
無邪気にそう宣言されて、余計に頭の中がパニックになる。
理想が服着て歩いてるみたいな男に、名前で呼ばれるとか……絶対ヤバいだろ。
なのに、今更お兄様でいいとも言えねぇしよ。
結局俺が答えられたのは、「好きすれば」って一言だけだった。
そんで次の瞬間、盛大に抱きつかれた――ついさっき、アカの他人宣言したはずなのに!
◇ ◇ ◇
その日の夕方……俺は自分のアパートでゲームの続きをしながら、内心首を傾げていた。
おかしい……完全に訳が分からない事態になってきた。
兄弟じゃねぇって俺はぶっちゃけたし、相手も一応、それは分かってる、みたいな話だったよなぁ?
俺は、呼び名のことは好きにしろって言ったが、別にまた一緒に暮らすのを同意した訳じゃねぇ。
……なのに、なんで高臣は、ちゃっかり俺のアパートに一緒に帰ってきて、あろうことか、今もなんかしら鍋で煮てんだ……?
そういう話の流れじゃぁ、無かったと思うんだけど……。
いや、最後、俺がウッカリ、高臣に同情した風になっちまってたからか……?
俺はずっと違和感を感じてはいるんだけど、高臣は昨日までとおんなじ調子、どころか、益々俺の家に馴染んでる風だ。
「響さん、申し訳ありません、醤油を切らしてしまいました! ちょっとひとっ走りスーパーに行って買って来るので、火を見てて頂いていいですか?」
シーンとしてる俺のそばで、高臣が今日、洋服のついでに買ったカフェ風のカーキ色のエプロンを脱ぎ捨てる。
その下は、走って汗だくになってた服を着替えた後の、ボーダーのTシャツにちょっと透けてる七分袖シャツ重ねて、ややワイドめな黒のパンツっていう、俺には死んでも似合わない爽やかコーデ。
量販店で買ったのに、モデル体型が着るとどう見てもハイブランドに見える。
「豚の角煮、お嫌いでしたか……?」
綺麗な眉を顰めて、ウェーブのかかった前髪の下から子犬みたいな目で覗き込まれる。
「いや、角煮は好物だけどよ……」
「良かったです」
いやいや。
満月の日まで別々に……って、俺言ったよな?
何でなんも無かったことになってんだよ。
いや今更もういいけどさ……なんか時間かかりそうなモン作ってるしよ。
「仕方ねぇな。醤油ぐらい、俺が行ってやる」
テレビの前から俺が立ち上がると、
「駄目です! またあんな暴漢に狙われたらどうするんですか!? 響さんを一人で、外になんか出せません」
肩を掴まれて必死に止められ、面食らった。
「あのなぁ、なんでそんな俺のこと心配してくんだよ。俺とお前は他人だっつったろうが……」
「そうだったとしても、響さんが若返られてしまったのは、僕の責任です。僕は最後まで響さんを守る義務がありますから……!」
それでお前、結局家にいるってこと……?
最後っていつまでだよ……。
俺の当惑がよっぽど顔に出ていたのか、高臣の表情も叱られたガキみたいになっていく。
「だから、その。ごめんなさい、元に戻るまでは一緒に居させてください……。それと、一人では行動しないでください。……お願いの順番が前後しちゃって、申し訳ありません……」
いや、謝られても困る。
本当に、どうしたらいいんだよ、こんなの。
立派なこと言ったって、お前、所詮中身は子供だろうが。
トラブルに巻き込まれた時だって、昨日みたいに上手くいくとは限らねぇ。
でも一番困るのは、俺の中でこいつの存在がどんどん大きくなってるってことだ。
前髪を搔き上げて額を押さえながら、俺は吐き捨てた。
「後悔しても知らねぇぞ……。そもそも、俺とお前は他人だし、住んでる世界が全然ちげぇだろ。お前は分かってねぇみたいだけどよ。最初から関わんねぇ方が良かったっていつか思うぞ」
そしたら、返事の代わりに帰ってきたのは――強引な抱擁だった。
「響さん! 僕は絶対にそんなこと思いません。そんな寂しいこと、言ったら駄目です……っ」
一瞬で、背丈が20センチも違う男の胸に、顔を押し付けられるみたいにして力いっぱいに抱かれる。
触れた場所から熱が流れ込んできて、ぴくりとも動けない。
叫びそうになった。
こんなこと、俺に教えるなよ。
これ以上、俺なんかと家族ごっこしてどうすんだよ。
お前が寂しいからって、俺を一人で立っていられなくすんなよ……。
「……少なくとも僕は、あなたと一緒に暮らせたこと、心の底から幸せに思っています。……あなたが望んでいなかったとしても」
もう、ダメだ。
胸の中で何かが爆発して、裏返った声が喉の奥から漏れ出した。
「そうだよ……俺は最初から望んでなんかねぇよ。今はまだいいけどよ、元に戻ったら、今度こそ、他人同士に戻るからな……!」
「響、さん……」
だって。
――元に戻ったら、お前はあのでかい家に住んで、元通り学校に行って、前と同じ人生、送るんだろ。
そうなったら、俺は……。
俺は、どうなるんだよ。
今度はあの家で、子供に戻ったお前と、兄弟ごっこしろって?
でもそれだって、お前が大人になって、どこぞのお嬢様と結婚して、本物の家族を作るまでの間だけだろ。
お前がそれで満足でもさ……。
あろうことか、今はこの世に居ないはずの、大人のお前を好きになって……そいつとベッタリ一緒にいることに慣れさせられて、欲情までするようになっちまった頭のオカシイ俺は、一生報われねぇじゃねえか。
俺は顔を伏せたまま、無理やり高臣の胸を両手で押して、低い声で言った。
「頭冷やすついでに、醤油、買って来る。一番近いコンビニ行くから、余計な心配すんな。絶対追ってくんなよ!?」
素早く玄関に向かい、スニーカーをつっかけて外に飛び出す。
気が付いたら涙がボロボロ溢れていた。
本当にあり得ねぇけど、生まれて初めて、本気で、人間を好きになっちまったんだなと、改めて思う。
前に、流されて付き合ったリョウの時とは全然違ってた。
心が煮られてるみたいで、肺が苦しくて、息がしずらい。
しかも戸籍上の弟、中身はまだガキっていう……どうしようもない相手。
自分のバカさ加減に、乾いた笑いが喉から漏れて止まらなかった。
――俺の、クソみたいな人生でこんな事があるなんて……。
あの鏡のせいで、暴かれてしまった。
俺が、本当は誰よりも……。
そばにいてくれる誰かを、優しくしてくれる家族を、友達を、恋人を、望んでたっていう……情けない事実を……。
「はぁ……クソ……ッ」
悪態をつきながら、何度も涙を拭って、アパートから百メートルぐらい離れたコンビニに入り、棚の間をウロウロしながら醤油を探した。
この店に調味料なんて買いに来たのは初めてだ。
案の定、手のひらに収まりそうな小さいボトルに入ったやつしかない。
袋なしでそいつを買って、冷房のない外に出ると、むわっとした湿った空気に身体が包まれて、足が重くなった。
ああ、もう……。
別れ際にあんなこと言って、俺は一体、どんな顔して帰りゃいいんだよ?
このまんまアパートに帰らねぇで、最後の日までどっかにばっくれちまおうかな。
けど、小銭だけの財布と醤油ボトル持ってどこに行けるんだか……。
アホすぎるだろ……。
足が止まりかけたけど、仕方なく家に向かう。
チンピラは懲りたのか、行きも帰りもそれっぽい人影もない。
なるべくのんびりのんびり歩いたが、結局、アパートの薄いドアの前まで俺は帰ってきてしまった。
はぁ~、と大きなため息をついて、ドアノブに手を掛ける。
「……ただいま……」
何年振りに言ったかわかんねぇ言葉は――テレビから盛大に聞こえてきた、『俺の』甘ったるい喘ぎ声でかき消された。
『ンァッ、はアッ、チンポ気持ちいい……っ、中に出してっ、はやくぅ……っ』
湯気の吹き出した、トロ火のついた鍋。
コタツ机の前で、ゲーム機のコントローラーを握ったまんま固まってる高臣を見て、俺は手に持った醤油をごとりとタタキの上に落とした。
「おま……何見て……」
ハッとして俺の方を振り向いた高臣の顔が、真っ赤に染まっていく。
「あああああの、ににににに煮てる間、ひひひひ暇だったのと、響さんがどんなお話が好きなのかを……知りたくてこれを開けてしまって、あのそのあの」
100円ショップに売ってるDVD用のプラスチックケースがコタツ机の上で開いてるのを見て、俺は全てを察した。
そいつは、リョウがわざわざパソコンから落として焼いてやがった、俺の出てるエロ動画――。
しかも、よりによって複数プレイでマワされてるやつ……。
ゲームのハードはDVDも見られるから、そいつをうっかり、映画か何かと勘違いしてプレイしちまったって所だろう。
『イク……っ、お尻っ、もっと突いてっ、すごい気持ちいいよぉ……っ!』
でかいテレビの中で、『俺』が、ベッドでひっくり返って自分で股を開き、かわるがわる男たちに尻を犯されている。
とめどなく流れるアヘ声の中で、俺は後ろ手にドアを閉めた。
俺が靴を脱いで、醤油のボトルを拾い上げてる内に、やっと喘ぎ声が止まる。
テレビの画面がディスクの再生前の青い画面に切り替わり、急に部屋の中が静まり返った。
「……」
中に一歩踏み込んで、コタツ机の台所に近い側に座ってる高臣の目の前に醤油のボトルを置く。
「有難う、ございます……」
礼は帰ってきたが、まるで金縛りにでもあったみたいに高臣は醤油を見つめたまんま、動かなくなってしまった。
俺もどうしていいか分からない。
とりあえずコタツ机の反対側に、醤油とDVDケースを挟んで向かい合ったが、相手と目が合わない。
そのうちに、ピピピッ、ピピピッという耳障りな甲高い音が鳴り始めた。
その音に弾かれたように高臣が立ち上がり、ガス台のひねりが回る微かな音が聞こえて来る。
火が消えてから、高臣が振り向き、再びコタツ机の向こう側に座った。
「……あの……見るつもりは、無かったんです……」
高臣のはっきりした二重の目が、うっすら涙ぐんでいる。
耳や首まで真っ赤にして……とんでもないものを見ちまったことがよほどショックだったんだろう。
「あったら問題だろうが……未成年……」
とんだ間抜けなやり取りをしながら、何もかも終わったなと思った。
いや、そもそも何も始まっちゃいねえけど。
まともな人間を演じたつもりは一切ねぇけど、俺が世間で言うところの、マトモな人間じゃないってことは、甘ちゃんのこいつにも分かったはずだ。
「前の男がさ、ソレ、流しながらヤるのが趣味だったんだよ……。付き合う時にゲイビ辞めさせたくせに、矛盾してるよな……」
自分で自分のエロ動画を取っておく人間じゃあねぇぞ、ってことは一応主張してみたが、なんの意味もないことに気付いた。
案の定、高臣も聞いてないって感じで、一方的な質問が飛び出す。
「……あ、あの、あれ、……本当にお兄様なんですか……」
……皮肉にも、呼び方が元に戻ってやがる。
よっぽどビックリしたんだろうな。
しかもど直球で、あれは俺かって……まさか、AV女優家族バレあるあるを、この天涯孤独の俺が喰らうことになるとは。
そうなっちまったらもう……開き直るしかねぇ。
「……他の誰に見えんだよ。手っ取り早く金になるから、出ただけだ。結構評判良かったんだぜ、感度がいいってさ……。意外と気持ち良くてさ、チンポでケツの穴掘られんのも、男の穴に突っ込むのも――」
「お、お兄様!! 生々しすぎます……!!」
耳まで真っ赤になった高臣を見て、俺はわざと、コタツ机の上に身を乗り出した。
「お兄様じゃねぇってずっと言ってんだろ。住む世界が違うってのは、こういうことだから……。ああ、弁護士センセイから聞いてなかったのか? 俺の仕事。男にカラダ売って生きてきたってこと――」
高臣が長いまつ毛を伏せ、黙って頷く。
裏切った訳じゃねぇけど、酷い気分になった。
こういうの、何て言うんだろうな……。
性的虐待?
元からクズな俺が、更に最低のクズになっちまったな……。
「……まあ、お前には理解出来ねぇ世界だと思うし、して欲しいとも思わねぇよ」
テレビの下に無造作に置いてあるゲーム機のボタンを押して、俺はDVDを取り出した。
ラベルも何にも貼ってねぇそれを、バキンと音を立てて真っ二つに割る。
割ったからって俺の過去までなくなる訳じゃねぇし、今起こったことが帳消しになる訳でもない。
「……やっぱり出てくなら、さっさとしろよ。お前が持ち込んだもん、全部捨ててってくれ」
俺がそう言うと、高臣は深々と頭を下げた。
「……傷つけて、すみません……あなたが、人に見られたくなかったものを、見てしまってごめんなさい……」
おいおい……。
ウッカリ変なもん放置してたのは俺のせいなのに、何でコイツ謝ってんだ。
「別に、どうでもいい……。今の俺の仕事も、これと大して変わらねぇし。だから……もしこの先あのチンピラがまた来たとしても、お前が心配することなんて、この先何もねぇんだぜ。――俺は、最初から落ちるとこまで落ちてる……金のためなら何だってする、クズだからさ」
高臣の顔色が変わった。
あーあ……。
俺の初恋……なんて言い方、ちゃんちゃらおかしいけど……消えちまったな。
割ったDVDとボックスに入ってた残りを手に取って立ち上がり、キッチンの側のゴミ箱に投げ入れる。
そのまま近くの冷蔵庫を開け、ずっと冷えっぱなしのまんま放置してた缶酎ハイを取り出した。
プルタブを開けて液体を胃に流し込むと、わずかの間に味覚が変わっちまったのか、久々の酒は死ぬほどマズかった。
それでも殆ど一気飲みの勢いで飲み干して、ガンと音を立ててシンクの中に缶を転がす。
全然、足りねぇよ、こんなもんじゃ。
新しい酒、買ってこねぇと。
高臣が出てっても、さっぱりわかんねぇぐらい酔えるやつ……。
黙って高臣のすぐ背後を通り過ぎ、玄関に出て行こうとしたら、後ろから手首を突然、ガッと掴まれた。
「響さん!」
驚いてドクンと心臓が飛び跳ねる。
引っ張られてバランスを崩し、床に膝を突きながら、俺は高臣の手を振り払おうとした。
「なんっだよ、離せよ……!」
揉み合ってるうちに、体重差で床にダンと押し倒される。
相手の両腕の間に閉じ込められる形になり、視線を上げると、宝石みたいに澄んだ高臣と目があって、そこから、涙が俺の頬に一粒、転がり落ちてきた。
「あなたは、誰の助けもなかったのに、立派に一人で生きてこられた、本当に強い人です。だから、落ちてもいないし、クズでもありません……!」
「はあ!? 意味わかんねぇし! 人の醜態勝手に暴いて、クッソ気持ち悪ぃ理解者演じてんじゃねえよ、偽善者が!!」
罵りながら何もかもどうでも良くなって、この際全部、俺はぶっちゃけ始めた。
「……俺はなぁ、一緒に暮らしながら、お前のこと、殺してやろうと思ってたんだぜ……! そしたら一生遊んで暮らせる金が手に入るかもってさ……照魔鏡だって、盗むつもりであの部屋に入ったら、このザマだ! ……俺は、そーいう、最低の人間なんだよ。……お前と家族ごっこやれるような、ご立派なお兄様じゃぁねえ――分かったら、早く出てけ!!」
「……出ていきません!! だって、『思ってた』って、過去形じゃあないですか。僕を殺そうと思えば、今まで機会はいくらでもあったし、出来たはずですよね!? でも、それをしなかったのは……それで今更、僕を遠ざけようとするのは……あなたが本当は……!!」
「ああもう、うるせぇんだよ!! さっさとどけよ、早く!!」
渾身の力で脇腹を殴りつけたのに、高臣の身体はビクともしない。
「何なんだよ、勘弁しろよ!! ガキのくせに……何もかも分かってる風な顔しやがって……っ!! これ以上……俺をミジメにさせんなよぉ……っ」
涙がとめどなく溢れて、最後の方は獣みたいな濁声になり、言葉にならなかった。
高臣の前髪が俺の眉間をくすぐり、長い睫毛が伏せる。
「……ごめんなさい。お兄様を、こんなに泣かせて……。でも僕は、何を言われたって、今さらお兄様を嫌いになったり出来ないんです」
濡れた頬を指で拭われて、額を近づけながら、優しい、小さな声で囁かれた。
「たくさん意地を張って悪ぶって、一人でも平気なふりをして……でも本当は、臆病で傷つきやすくて、いつも寂しそうで……そういう、あなたの弱くて柔らかいところが……僕は、大好きになってしまったので……」
「……!?」
絶句して、時が止まったみたいになる。
い、今……。
俺、とんでもないこと言われたんじゃねぇのか……?
ていうか、何で俺が強がってること、全部ばれてんだ……。
余計なことゲロったからか?
いや、今はそれどころじゃなくて、こいつ、俺のこと、好きって……。
訳が分からないほど顔が熱くなって、背中から汗がどっと、押し倒されてるキッチン床のビニールシートに染みそうなぐらい噴き出てくる。
身体も色んなところが触ってるし、顔と顔の距離があまりにも近すぎて、そんな自分を見られてることにも堪えられない。
なんだ、この感情。これ……「死ぬほど恥ずかしい」っていう、やつ……か。
子供の時に何かで経験して以来の、ゴロゴロ転がりたいぐらいの居た堪れなさに襲われて、まともに息も出来ない。
恥ずかしい、色んなこと見透かされてたのが死ぬほど恥ずかしい……!
なのに、好きとか言われて舞い上がって……。
絶対そういう意味じゃないのに、何でだよ、バカじゃねぇのか、俺っ!?
「何言って……もう、やだ……変なこと言って、俺のことグチャグチャにするなよぉ……!!」
泣きながら顔を覆うことしか出来ない。
「僕、変なことなんて何も言ってません……あと……響さん、あの……」
目を伏せたまま、何かを言い淀んでる高臣の視線の先を追う。
俺の…腹の、下……?
見た瞬間、今度はサーっと全身から血の気が引いた。
……いつの間にか俺、めちゃくちゃに勃起してて……しかもその、テントを張ったハーフパンツの布の頂点が、ジットリ染みになるほど濡れてる。
しかもそれが、密着してる高臣のワイドパンツにまで黒々と移って……。
「うそうそうそ、何で何で何で……ッ」
何かしらねぇ間に、もっ、漏らした?
そもそも、何で俺、ギンギンに勃ってんの? いつから?
押し倒されてなんか勘違いした……!?
それとも好きって言われた時からか……っ。
あああもう、マジで恥ずかしい……っ。
「み、見るなぁ……っ」
両手で暴発寸前の股間を抑えながら膝を閉じたら、今度は顔が隠せなくなった。
「す、すみません……っ」
茹でた蛸みたいに頬を赤らめながら、高臣がキスできそうな距離から俺の涙目を覗き込む。
「でも、恥ずかしがってる響さん、可愛い……」
その言葉が、視線が、俺の腹にナイフみたいに突き立って、ナカにズブズブ、切り込んでくる。
「あ、ア……!」
隠してる手の下で、びくびくっとちんぽが震えて、またじわぁっと濡れた感覚が広がった。
ただの欲情じゃなくて、腹の奥でイかされる、のに限りなく近いような……どうしようもない熱感が。
「もっ、ガキの癖にからかってくんじゃねぇよ……!」
腰がヒクヒク、甘イキしたみたいに震えてるのを誤魔化すように、大声で叱り飛ばす。
俺の身体、おかしい。
不意打ちの「好き」で、チンポがズキズキ疼いて、痛いぐらい敏感になってて。
絶対、カラダがバカになっちまってる。
最近後ろでしてなくて、欲求不満が溜まってたから?
だからって普通っ、ここまでになるか!?
「早く、上からどいてくれよ……っ、トイレ、行きたいぃ……っ」
「ご、ごめんなさい、響さん……その……それが……できなくて」
「何でだよ!?」
「すみませんっ、僕も、なんて言うか……股の間に違和感が」
誤魔化すように高臣が横に向けた頬が、汗ばんで赤い。
「はあ!? 倒れた時、俺、ウッカリお前のを蹴っちまってたとか……!?」
「いえ、そうじゃなくて……っ、なんて言うのか」
言葉で言い表せず、思い余った、みたいな感じで、高臣は自分の柔らかい素材のパンツのウエストゴムを掴み、下着ごと引き下ろした。
覗き込んだ俺の視界に、むわあっと湯気が出そうな、フル勃起したデカチンポが飛び込んでくる。
「あっ……あっ……」
赤黒くズル剥けになったカリ高の亀頭がジットリと濡れて、臍に付くほど反り返ってて……うっかり、見入る。
これ、ずっと……欲しかったやつ……っ。
布越しでも凄かったけど、勃起してんのじかに見たら……。
生唾を飲み込みながら、そうっと先端に手を伸ばす。
触るか、触らないかの所で熱気を指で感じながら、じっと高臣の顔を見た。
「なっ、何で、お前まで勃ってんの……?」
期待めいたもので、声がどうしても甘えるみたいになるのを、抑えられない。
「……わから、ないです……。響さんの泣いてる顔見てたら、さっきの動画の響さんの可愛い声、思い出して……気づいたら、こう、なってて」
「ば、バカ……! お、お前なぁ……!! あ、あんなどう考えても演技の汚ぇ喘ぎ声に、何言ってんの……!?」
「え、演技なんですか……!? 凄いですね……っ」
ヘンな尊敬すんな、恥ずかし過ぎるだろ……っ。
「お前はさぁ、この後に及んで……俺がどういうことしてた人間なのか、分かってねぇだろ、全然……っ」
話してるうちに、ウッカリ指が、高臣のペニスの先端をヌルリと触れてしまう。
「アッ……悪……っ」
「ウアッ……! お兄様……っ」
壮絶に色っぽい顔をして呻いた高臣に、頭が真っ白になった。
心臓がドキドキするのを耐えながら、とにかくこの事態をどうにかしなくちゃ、なんて無い頭を回す。
そうだ、お、俺が下にいるんじゃ、お互いどうにもなんねぇ……!
思い余った俺は、油断していた高臣の胸を両手で強く押した。
「わっ」
床に転がった相手の、半端にズボンと下着が脱げた太腿のあたりに素早く跨って、逆転されない体勢を作る。
そんで……上からじっと、高臣のそり返ったデカマラを見下ろした。
「……お前、自分でコレ、どーにか出来んのかよ……。ちんぽ擦って出したことあんの……?」
ストレートな質問に、高臣が顔を真っ赤にして頷く。
「に、二回くらいは……」
良かった……全く何も知らねぇ訳じゃねぇのか……。
まあこんだけ立派なモノ持ってたら、実際かなり持て余すだろうしな……。
「俺の声、良かったんなら……ホンモノ、聞かせてやるよ。特別に、タダで……。そんで、自分で処理しろ……」
俺の下で、高臣が困惑しきった声をあげる。
「お兄様、な、何を……」
構わずに、腕を交差させてTシャツの裾を掴み、それを床の上に脱ぎ落とす。
次に手早くハーフパンツと下着のウエストゴムを掴み下ろして、俺自身の、カウパーでトロトロのちんこを取り出した。
「はぁ……も、すぐ、出ちゃいそう……」
身体をのけぞらせ、わざと腰を揺らして見せつけながら、ヌプヌプと自分の陰茎を擦り始める。
「ンッ、気持ちいい……見られながらチンポ、擦るの、すげぇ、くる……っ」
年端も行かないガキに、自分のオナニー見せつけるとか……。
俺、終わってる……。
湧き上がってくる真っ黒な背徳感が、欲情を駆り立てる。
「腰、溶けちゃいそう……なぁ、お前もしろよ……。それとも、この凄いのに、俺の、擦り付けちゃっていい……?」
高臣は、視線を俺の痴態に集中しながら、コク、コクと頷いた。
すぐ隣のシンクの下の扉に手を伸ばし、ローションのボトルを取り出す。
家が狭いっていうのは、まあ、便利なもんだ……。
俺の股間と、高臣の臍の下にそれをドバドバと垂らすと、冷たかったのか、哀れなうめき声が上がる。
「お兄様……っ」
「悪い……すぐ、あっためてやるからさ……。なぁ、俺の名前呼んで……」
俺は腰を浮かせて下半身にまとわりついてた緩いズボンと下着も脱ぎ去ると、全裸になって、高臣の胴に抱きついて、身体をピッタリと密着させた。
もちろん、下半身も……。
「お兄……響さん、当たってます……」
「はあっ、当ててんだよ……。ほら、ヌルヌルで気持ちいいだろぉ……っ」
ニチャア、とローションの糸を引かせながら、やらしく腰を振って……俺のちんぽの裏筋を、高臣のそれに擦り合わせる。
「ふっ……あ!」
『弟』の口からやらしい喘ぎが漏れて、俺はゾクゾクと背筋を震わせた。
まだ慣れてないから、やっぱ、感じやすいんだ……?
ああ……。これをもし、俺の中に入れてやったら、どんな反応すんだろ……。
見たいな……。俺の中にぶちこんで、精液吐き出すまで、やらしく腰振ってるこの男が見たい。
ゆる、ゆると腰を前後に揺するたんびに、尻の奥が切なくキュンキュン痙攣する。
両手で一緒に握ってまとめて扱いたら、相手はビキビキに血管が浮いて、ますますデカくなった。
それが、可愛くて、嬉しくて……。
……純粋無垢のガキに、最低なことをしてる。
それなのに、この純粋で綺麗な男が、俺の身体の下で喘いでるのを見るのが……堪らない。
「……うぁ、ちょっ」
「あぅう……っ、はぁっ、熱い、信じらんないくらい気持ちいぃ……お前も……一緒に気持ちよくなって……っ?」
腰をずらして、今度は自分の尻の狭間に、デカいちんぽの裏っ側を敷いた。
そのまま適度に圧をかけ、前後にヌルヌル擦り付けながら、前を握って扱く。
「響さんっ、響さん待ってっ……!」
制止なんか聞くはずがない。
カリの出っ張りが尻の穴を擦れるたび、頭の奥がジンと痺れて、チンポの奥から一気に快感が迫り上がる。
「あッ、ン……イク……ッう……ッ」
目を閉じて快感に耽りながら、Tシャツの胸あたりに汚ねぇ欲をぶちまけてやったら……同時に高臣の、筋肉の割れた腹が波打ち始めた。
「ンッ……」
密着させてた尻を少し持ち上げ、肩を捻って振り返る。
途端、でっかいペニスが元気に上下に跳ねながら、俺のヒクつくアナルに向かって、ドロドロの熱い精液をビュッ、ビュッと飛ばしてきた。
肩でする呼吸を繰り返しながら、高臣がトロンとした目で俺を見上げる。
「おにい、様……っ」
「いっぱい出したな……? イイコ、イイコ……」
手を伸ばしてまだびくびくしてるチンポをナデナデしてやると、俺の手に懐くみたいに、またハッキリと硬さと熱を帯び始めて、嬉しくなった。
「ここに来て、初めて抜いたのか……? すげぇ量……」
指を輪っかにして扱きながら聞いてやると、高臣は喘ぎながら、生理的な涙の滲む視線をゆらめかせる。
「夜寝てる時に……勝手に出てたことは……」
「そっか……。ごめんな……? 悪いオニイサマが、ヘンなことして……」
わざとらしく謝ったって、俺はとっくに犯罪者だ。
高臣のチンポも、もう引き返せないぐらいもう一度、俺の手の中でビキビキに勃ちあがっている。
「響さんは、悪くなんか……ウ、はぁ……っ」
「あは……ごめん、強過ぎたな……」
ぱ、と手を離してやったけど、ちんぽの角度は相変わらずで、ドロドロの俺の尻にピッタリと寄り添ってくる。
目が眩むほどムラムラしてきて、俺は高臣の前髪を撫でた。
「可愛い……ごめんな、ちょっと目、瞑っててくんねぇ……?」
「は、い……?」
素直に目を閉じた高臣の前でケツを浮かせ、自分の尻穴にベットリ付いてる粘液を、指先ごとアナルの中に押し込んだ。
「は、あァ……ン……っ」
狭い……他人の穴みてぇだ。
どうやらガバガバだった俺のケツは、若返ってすっかり処女に戻っちまっていたらしい。
上半身は逞しい胸に抱きつくように低くして、腰だけを高く上げ、グチグチねばっこい水音を立てて指を出し入れする。
ケツの後ろで高臣のデカいのが寂しそうにヒクヒクしてたけど、わざと放置した。
だって流石に、無理矢理犯して俺のケツで初めてを奪うのは鬼畜すぎんだろ……。
それはまあ、こいつに釣り合う、どこかのお嬢様の為にとっておいてやらねぇとな。
だからって、こんな手段でセックスしてる気分出すのも、十分犯罪だが……。
ローションと精液を何度も奥まで塗り込むうちに、ナカがだんだんほぐれてくる。
いい頃合いで、更に一際奥まで中指と人差し指を突っ込んで、自分で前立腺をグニグニ虐めた。
高臣にチンポをガンガン突っ込まれてるのを想像すると、ナカがギュンとうねって、指を痛いほど締め上げる。
あぁ、アナニー久々なのもあるけど……こんなに感じたことねぇってほど、クる……。
また、あっという間にイきそう……。
もっと深くまで指を入れたくなって、俺は上体を起こした。
高臣が目を閉じてるのをいいことに、跨いでる両脚を限界まで開いて、片手で身体を支えながら後ろに倒れ、アナルを見せつけるみたいな体勢で、もう一度、ローションを擦り付けたら二本の指をズプズプと入れ直す。
「はあっ、高臣、い、ぃっ……!」
――気分を出し過ぎて、思わず名前を呼んだのが良くなかった。
呼ばれた当人が、パッチリと大きな目を開けて、俺の視線を捉え、次に……指を根本までズッポリ飲み込んだ、恥ずかしい穴に吸い寄せられる。
無防備に開いて美味そうに指食ってるそこが、高臣の澄んだ瞳にしっかりと映り込んだ。
「あ……! バカ、見んな……!」
「……! ひびき、さん……お尻……? どう、なって……」
「はっ、ア……ぁ……っ、だめだめっ、勝手に締まるぅ……っ」
別に俺、人に見られて悦ぶ性癖なんて、サッパリなかったのに。
高臣に見られてると思うと、それだけで中がいやらしくうねって、ひとりでにイクのが止められなくなった。
「うンッ、ぅう……っ!」
ケツをビクビク上げ下げしながら、ポトポト漏れ出るみたいにチンポから精液が垂れ落ちる。
徐々に指を抜くと、そこはまるでイソギンチャクみたいに、ゆっくりした収縮を繰り返した。
「凄い……響さんのお尻の穴、生き物みたいに動いてますね……」
純粋な好奇心みたいな感じの言葉をぶつけられて、ハアハアしながら曖昧に笑うことしかできない。
ほんと、子供すぎて……。とんでもない変態の戸籍上の兄を持ったことを、いつか後悔するんだろうけどよ……。
「は……変なもん見せて、悪かったよ……。お前のも、手でもう一回してやるから――」
言いながら、高臣の腹の上から降りようとした時だった。
「響さん……っ」
がばりと高臣が上半身を起こしてきて、顔が近くなり、ビックリした。
「なっ、何……」
腰にでかい両手を回されて掴まれ、抱っこされるみたいな体勢になり、急に心臓がドドドッと高鳴って、苦しくなる。
ああ、俺、情けないくらい、本当にこいつに翻弄されっぱなしだ――。
「あの……。入れたら、ダメなんですか……。あの動画みたいに……響さんの、中に……あれ、してみたい……」
真剣な目で、だけどどこか色っぽい声音で聞かれて、ギュッと胸が絞られた。
「だっ。ダメに決まってんだろ……」
フイと視線を逸らしたら、駄々っ子みたいにほっぺをすりっと、に揉み上げのあたりに擦り付けられた。
「どうして……?」
「それは……。お前がまだ、子供だから……っ」
「今は、大人なのに?」
耳元で囁くみたいに聞かれて、また、ブルブルっと体の奥に快感が走る。
「ダメ、だ……っ」
「どうしても?」
ああ、もう、理性がぶち壊れそう……。
本当は俺が入れてくれって土下座して泣きつきたいぐらいなのに、どういう拷問してくれてんだよ。
「ダメだってば……っ」
「……じゃあ、キスしていいですか……?」
キス、なんて単語が飛び出してくると思わなくて、ギョッとした。
「だ、ダメに決まってるだろ……!? キ、キスは女の子としろよ……!!」
身の危険を感じてぎゅう、とTシャツの胸を押し返すと、強引に、こめかみにチュッと口付けされた。
喉の奥から、はわわっ、みたいな情けない変な声が出る。
「僕は今、響さんにしたいんですけど」
よく分かんねぇ反論をされながら、今度は口にキスされそうになって、必死に手の甲で守って避けたら、その上にキスされた。
「く、口はダメ……、お前、したことないだろ!?」
「ないから、したいです」
平然と言われて、もう何度目か分かんねーけど、心底、高臣の正気を疑った。
「あのな、俺、たまたま若返ってるけど、中身汚ねぇオッサン」
「響さんは汚くないですし、28歳はオジサンじゃありません」
そういう話はしていない……!!
「それに、俺はお前にとって『お兄様』なんだろ!? 普通兄弟でそんなこと、しねーから……っ」
「兄弟じゃないって言ったのは、響さんですよね?」
「うぐっ……」
黙らされた挙句、更なる屁理屈が俺を襲った。
「口がダメなら、口以外ならいいですよね……?」
そこまで言われちまうと、もう、根負けするしか無かった。
本当は、手の甲以外にもキスして欲しくて、さっきから全身、熱っぽくなってフワフワする……。
「……いい……」
小さい声で頷いたら、高臣が無邪気に抱きついてきた。
「嬉しいです……っ」
輝かんばかりの人懐っこい笑顔で言われて、一瞬ほうけてしまう。
早速汗ばんだ首筋に唇を押し付けられて、びくんと身体が跳ねた。
「そ、そこは、くすぐったいからやだ……」
「そうなんですか? じゃあ、ここは……?」
顔を見られながら、顎先にもキスされて、自然に唇がとろんと開いた。
「……ぁ……」
異常な距離感で、長いまつ毛が俺の額に当たる。
「響さん、どうしたらいいのか分からないくらい、可愛い……」
甘い言葉で蕩かされながら、鼻筋にも柔らかくキスされて、頭の中が沸騰する。
それで、つい……あまりに、近いから……両腕を高臣の首の後ろに回しながら……俺も、高臣の頬に、ぎこちなく、キスしてた。
そんな風に衝動的に、誰かの頬に、したくてキスしたことなんて、初めてだ。
母親はベタベタされるのが嫌いだったし、俺もそうだった。
リョウは歯槽膿漏だかなんだかで、いつも口がクセェから、キスはどうしようもない時以外は断固拒否ってたし。
仕事でするキスも、するのもされんのも、内心いつも吐きそうに気持ち悪かった。
それなのに、高臣のしてくるキスも、こっちからするキスも……泣きそうになるぐらい気持ち良さしかない。
もしかしたら、本当に俺たち、兄弟なのかもな、なんて……そんな戯言を思いつくくらいに、触れたところが溶け合うみたいに、違和感がなかった。
そしてそれに気付いてからは、もう、むしろ俺の方が高臣にキスしまくってしまった……。
綺麗なまつ毛に、男らしい眉尻に、理想の形をしたまっすぐな鼻にも。
相手も、何かそういう競争でもしてるみたいに、負けじとじゃれるみたいに俺にキスし始めた。
髪の生え際とか、まぶたとか……。
耳にもキスされてエロいため息を吐くと、今度は下唇のギリギリ下にチュッとやられる。
キスだけで腰から下が甘く蕩けて、またチンポがジンジンし始めた。
高臣のも、さっきからすげぇことになってるし。
「も、もおストップ……」
のけぞりながら訴えたのに、今度は唇に軽く、チュッとされた。
「わ……っ、ちょ、いまの……く、」
全部言い終わる前にもう一回唇に、今度は長めに吸われる口付けをされる。
か、完全に、確信犯じゃねぇか……。
「く……、ち……」
抗議するはずの単語が、もう一回、とねだってるみたいな、甘い鼻声になる。
そしたら角度を変えてまた、ちゅうう、と表面をねちっこく吸われて……ついに、我慢できなくなり、俺から舌を――綺麗な唇の間を舐めるみたいに、一瞬だけ差し込んだ。
ビク、と震えが伝わって、驚かせたのが分かる。
「ご、ごめん……?」
やば、と思って謝ったが、すぐに「じゃあこっちもいいんですね」とばかり、俺の方にも強引に舌が入ってきた。
「んぅう……っ」
息が苦しくなるくらい、高臣が奥まで入ってくる。
根本の分厚い、大人の男の舌……それが、最初は遠慮してた俺を煽るみたいに、口の中を無遠慮に探り始めた。
「うン……っ、んふぅ……っ」
それはただぎこちなく、舐めまわされてるだけなのに、堪らなく甘くて……脳髄に溢れる多幸感で、もう何も考えられない。
……こんなやらしくて激しい、純粋にお互いがしたくてする恋人キスは、誰ともしたこと無かった。
夢中になって、ずいぶん長い間、何度も、舌を吸ったり吸われたり、擦り合わせたりし続けた。
バカになってたから数えてねぇけど、多分、何度か、キスだけでイかせられてたと思う……。
下半身ぐちゃぐちゃのまんま、溺れるみたいにキスしながら、いつのまにかまた俺が下になって押し倒されて……無意識に脚も腕も、赤ん坊がしがみつくみたいに、高臣に絡ませて、縋っていた。
それで……ほんとに、気付いたら。
おれのだらしなくほぐれた穴に、グイグイ、高臣のいきりたったイチモツが押し付けられていて――。
「だ、ダメ、い、入れんなぁ……っ」
「ごめんなさい……、響さん……無理です……」
ごめんで済む、話じゃねぇ。
張り飛ばしてでもやめさせるべきなのに、俺の口から出たのは、情けない懇願だった。
「ご、ゴム……っ、俺の、財布ん中、入ってるからぁ……、とって……っ」
自分のアホさ加減に涙が出る。
全部、我慢できなくて、俺が誘っちまってるじゃねーか。キスも、セックスも……。
高臣が俺の頭の上で、パンツのポケットから財布を出したはいいものの――躊躇した挙句、俺に渡してきた。
「ごめんなさい、人のお財布を開けるのは……」
こんな時まで育ちが良すぎて笑うけど、弟に犯してもらうためにゴムを出す俺が、一層間抜けで、卑劣な大人に思えた。
「後悔、しても知らねぇからな……っ」
震える指でパッケージを切りながら、免罪符を探してるような言葉を投げつける。
違う。
多分、後悔すんのは俺だ……。
今なら、止まれるのに……。
もつれる指でやっと取り出したゴムを、物珍しそうに高臣がじっと見つめる。
「初めて見ました」
そう言って微笑む『弟』は、信じられないほど純粋で無垢で、罪悪感で心が切り裂かれるほど痛む。
ああ、違う、違う、こいつは弟じゃない、弟じゃない……!
でも、じゃあ、こいつは俺の、何なんだ?
弟でもなければ、友人でも、客でもない、まして恋人でも――なのに、どうして俺たち、こんなことに……。
こんなにゴム、付けるのに時間かけたことない、てぐらい、俺の手際は悪かった。
毛を巻き込んだり、痛がらせたりしながら、やっと根元まで巻きを下ろして、もうその時には、俺はすっかり正気に戻っちまってて、ただ、震えていた。
「なあ、本当にすんの……っ?」
その問いに答えるかわりに、高臣が、俺の尻の間に、暴発寸前の息子を、今度こそ本気の圧をかけて、押し付けてきた。
先端が、グブグブと泡を立てながら、俺の中を拡げていく。
ローションも足したりしてはみたが、ガキに戻ってる上に、すっかり処女に戻ってた俺のケツには、かなり無理のある質量だ。
「うぐっ、やば、痛、め、めちゃくちゃ、太い、む、むり、とまっ、ひぃ……っ」
泣きながら暴れる俺の腰をがっちりと掴んで、容赦なく、高臣が奥まで入ってくる。
「ひ、びきさん、……ごめんなさい、もう、止まれない……っ」
息を詰めながら、一気に、誰も入ったことないほど奥までずん、と突かれて、エロい電流みたいなのが、穴からちんぽの先までビリビリ駆け抜け、女の子みたいな高い喘ぎ声が溢れた。
「やあぁ……っ、い、変……も、そこ、たぶん、腸……っ、入らない、で……むり……っ」
――腹が、破れるかと思った。
俺の身体が小さくなってるせいなのか、高臣がデカ過ぎるせいなのか、すんごい奥まで来すぎてて。
「ひ、びきさん、動かないで、出る……っ」
そう言う高臣の方が、俺の腹の奥、探るみたいにグイグイ、突いてきて……。
「だって……うン……っ、苦し……、はう……っ、奥、やらぁ……っ」
「……っ。この、奥、気持ちいいんですか……?」
「ちが、ぅう……っ!」
「え? でも……すごく、吸いつくみたいに……ほら……」
もう一回そこを、ジュポジュポかき混ぜるみたいに小突かれて、もう、汚い喘ぎ声の他には、何も喋れなくなった。
「あふう……!! やら……深……ずっとイッて……っ、ひぐぅ……っ!」
「響さん……!」
名前を呼びながら、俺の身体を、高臣が乱暴に床に押し付ける。
そのまま動物の雄みたいなメチャクチャなピストン始めて、抱き潰す勢いで犯されて、もう何も考えられなくなった。
「……ああ、すごく気持ちいいです……響さん……っ。セックスって、こんなに気持ちいいんですね……」
深く腹に響く甘い声。
……俺だって、知らなかった。
これで稼いでたし、なんの新鮮さも無くなるほど全部知ってるつもりだったのに、何も分かってなかった。
好きなやつとするセックスが、こんなに狂おしくて、苦しくて、泣くほど気持ち良くて……どうにもならないものだったなんて。
二人分の熱い吐息が切迫する。
俺の一番奥で、高臣の動きが徐々に鈍くなって、正反対に、俺を抱く腕が強くきつくなる。
「はあっ、響さん……!」
抱かれながら耳元で名前を呼ばれて、脈打つように、俺の中で若くて熱い欲望の塊が、絶頂を迎える。
気持ち良すぎて、夢を見てるみたいに、意識が半分飛んでく……。
無力なマグロみたいになっちまった貧相な身体をガクガク揺すぶりながら、俺を抱いてる誰かの言葉が、まだ俺を追い詰めていた。
「……ね、響さん。これって、恋人同士がすることですよね……?」
え。なに……。
「……今、僕、気付いてしまいました……別に、それでもいいんじゃないかって――響さんのそばにいられるなら」
何、言ってるんだろ。
意味が、わかんね、え……。
「元に戻っても、屋敷が嫌なら、貴方の好きな場所で構いませんから。……だから、一緒に暮らしたい……あなたを、幸せにしたい、な……」
なんだ、それ。
そんなの、無理に決まってるじゃねえか。
本当のお前は、義務教育も終わってねぇ子供だろ。
子供のお前とは、俺は多分できない。
そして、お前が本当に子供じゃなくなる時がきたら……この姿になるまで成長したその時、大人のお前は、何も知らないお前をドロドロに汚したこの俺の醜さに気づく、必ず。
恋人になりたいだなんて、思ったことすら反吐が出るくらいに。
しかも……こうまでなっちまって、俺も、薄々気付いちまった。
多分、今のお前は、リョウと付き合い始めた頃の俺と、同じなんだ。
一人きりでとにかく寂しいから、自分を求めてくれる、同じくらい寂しい相手を探してた……俺はたまたま、そこにハマった都合のいい相手で……お前の「好き」って、そういうことだよな……?
……幸せにする?
幸せってなんだよ。
俺には分からない。……欲しい時にいつでもチンポ突っ込んで貰えるってこと……?
そんなの、ずっと続くわけ、ねぇじゃん……。
[newpage]
……高臣はその後も、取り憑かれたみたいに俺の中に何度も入れたがった。
最後はゴムが足りなくなっちまったほど。
ナカでイキ過ぎてぶっとんでた俺は、それを止めるどころか、やらしく自分で尻を掴んで開いて、お願いだから中出ししてくれと、強請《ねだ》った。
入ってきた生チンポで前立腺擦られて、強烈な快感に、更に夢中になって、すっかり歯止めが効かなくなった。
孕まされそうなくらいに種付けされて、その白い残滓を垂れ流しながら、もっともっとと、求め続けた。
最後は俺が上になって、浅ましく腰を使って、高臣を搾り取った。
俺の、意志で。
俺の今の姿は、醜い俺の本性そのものだ。
……自己嫌悪とか不安とか寂しさとか……全部忘れたくて、この高臣が好きだってことと、今の快楽のことばかり考えてた。疲れて、気絶するまで。
気付くと、俺は真っ暗な部屋で、いつもと変わらない古い天井を見ていた。
まさか、と隣を見て、裸の男が静かに眠っていることに安堵する。
身体中の関節が軋んで痛い。
もしかして、熱、出てんのかも……腹も痛くて、もうすぐ下す時のような悪寒がした。
仕方ない、生でもいいからしろって言ったのは俺だ……。
俺が汚したのに、相変わらず綺麗で無垢な高臣の寝顔を見ているうちに、ぽたっと布団に涙が垂れ落ちて、自分が泣いてることに気付いた。
……ずっと、このまんまでいたい。
ぼんやりした頭にそんな気持ちが湧き上がってきた。
やっと、この世で大事だと思える、たった一つのものを見つけて、手に入れたのに。
元に戻りたくないし、戻させたくない。
――いっそ、一番最初の計画通りに高臣を殺して、俺も死んでしまおうか?
死体の始末を考えなくていいなら、それはかなり簡単なことに思えた。
高臣の腹を跨いで、両手のひらで胸から首を撫でつける。
喉仏に親指をあて、指先に少し力を入れてみた瞬間――高臣がゆっくりと睫毛をしばたたかせ、目を開けた。
穏やかで、澄んだ視線が俺を捉えて、その手が俺の頬に触れる。
「……響さん、日が出たら一緒にお風呂いきましょうね。混まない内に……」
優しい手が頬から肩へ、そこから、高臣の首を絞めようとした俺の腕に移って、手の甲を掴み、愛おしそうに、手のひらにくち付けされた。
我慢できなくなって、俺は高臣の裸の肩にそのまま覆い被さるみたいに抱きついて、その胸で涙を拭いた。
「……ウン……いく……」
――小さな声で答えながら、俺は、高臣を殺すことを、もう一度諦めることにした。
それから、俺たちは何だかよく分からない関係のまんま、一日一日を過ごした。
昼間はホンモノの兄弟みたいに、よく街に遊びに行った。
アイス食ったり、ホラー映画見に行ったり……。ゲーセンでシューティングとか、UFOキャッチャーしたり。
高臣は頭が良くて何でも出来るから、狭い家があっという間にぬいぐるみだらけになった。
ショッピングモールのストリートピアノで、高臣がいろんな曲を弾いてくれるのを、横でいつまでも聴いたりもした……。
そんなことしてる間に、俺は母親が死ぬ前の、気楽で無責任な子供に戻ってた。
明日のことなんて何一つ心配せずに、日が暮れるまで散々遊んで、家に帰って、飯食って……。
ただ夜は、俺が誘ったり、高臣が誘ってくれたりして、毎晩激しいセックスをした。
あんなに感じていた罪悪感も、心の奥に押し込んで、忘れたフリをした。
俺がしてやることを、高臣はあっという間に学んで、俺以上に上達していく。
フェラも、ローションを使った遊びも。
しかも、高臣はあの大きな目で俺の反応一つ一つを捉えて離さず、俺の感じる場所を一つ一つ、どんどん把握していった。
俺のことなんか、生きてるオナホぐらいにしか思ってねぇ奴にしか抱かれたことのなかった俺は、ヤバいクスリにハマるみたいに、もうどうしようもなく、ズブズブにとろかされて、高臣の恋人セックスの虜になっていくしかなかった。
俺はわざと、もう、何も先のことを考えなくなった……ある、一つのこと以外は――。
「響さん。このまま東京にいると、満月の日は曇ってしまうみたいなんです。僕たち、多分、少し離れた場所に……当日確実に晴れる所に、旅に出た方がいい気がします」
――布団の中で抱き合いながら、俺のスマホで天気を調べていた高臣にそう言われて、俺は現実に戻された。
正直……その日のことを、考えたくなかったし、行きたくはなかった。
俺自身は、日数を数えもしていなかった。
出来るならずっと今の生活が続いて欲しかったけど、そんなことが叶うはずもない。
高臣には、俺には無い、普通の人生が……戻る場所が、あるからだ。
学校も、友人も、塾や、習いごとも……。
大人の高臣を見慣れすぎて、そんなこと、もう想像も出来ねぇけど……。
「そっか……。じゃあ、少し早めに出て、最後にたくさん思い出、作ろうぜ」
顔を見られないようにそっぽを向いたまま、頑張ってわざと明るく言ってやったら、しっけた布団の中で、急に背中を抱き寄せられた。
「何言ってるんですか。最後じゃ無いです。元に戻ったって、これからも一緒に居るんですからね」
泣きたいような、温かで切ない何かが喉を締め付けて、俺は誤魔化すみたいに曖昧に笑うことしか出来ない。
……今のお前は、そんな風に言ってくれるんだな。
「ン……。そうだな、悪い……」
……お前と、同じ未来が見られたら、どんなに良かっただろう。
密かに唇を震わせていたら、首筋に額を押し付けられ、布団の中で剥き出しの腰を掴まれた。
「何だよ、暑苦しいな……?」
咎めると、小さなため息がうなじにかかる。
「お兄様……僕は、何だか、不安です……」
心臓がドキッとした。
「何が? 何も、お前が不安がるようなことねぇだろ……」
「何も? ありますよ。だって、僕は子供に戻ってしまうでしょう。そうしたら、響さんをあんなに、喜ばせてあげられなくなって……」
「は、はぁ……?」
「学校も忙しくなるから、こうやって毎日もできないし。そうしたら、響さんが浮気するかも」
「な、何言っちゃってんだ、お前は……!」
……高臣の勝手に考えてる未来は、俺には流石に予想外過ぎた。
面食らって、顔が熱い……。
「ねえ、響さん。僕、早く今と同じくらいの身長になれるように、努力するので……。だから、僕を捨てたりしたらダメですよ。ちゃんと、待っててくれないと」
必死な感じで訴えられて、思わず笑ってしまった。
「ははっ……分かったよ、待ってる……」
「絶対ですよ! 十八になったら、ちゃんと結婚も申し込みますからね。それまで、他の男の人としたらダメですよ。……お仕事なら、仕方ないから我慢しますけど……」
「ふははっ。何それ……理解ある旦那様すぎるだろ……!?」
笑い出した俺の尻に、熱い手がさらりと落ちてきて、そっと触れる。
その手に、俺も手を重ねて、いやらしく撫でた。
「ほんとに我慢できんのか……?」
「勿論。……あなたのこと、世界一愛してるから……どんなことでも我慢できます」
愛、と言う言葉を初めて使われて、全身が震えた。
「そ、か……」
俺には、その言葉を返せそうになかった。
本当に心の底から、高臣のことを、好きになりすぎていたから。
「……他の男とは寝ない。……お前が大人になるの、ずっと待ってる……」
――振り向いて口付けしながら、俺は、半分守れない約束をした。
[newpage]
満月の日の朝、俺たちは電車に乗って、二人きりで旅に出かけた。
俺にとっては多分、人生最初で最後の、『家族旅行』だ。
台風を避ける形で、目的地は東北になった。
ネットで予約が出来て、鍵が暗証番号式の遠隔チェックインで、素泊まりすれば誰かと顔を合わせるのは最小限で済みそうなところ。
そんな条件で、俺も一緒に探して、リノベーションした一棟貸しの古民家に決まった。
すぐそばに風情のある谷川があり、敷地内に温泉が付いていてるのがウリらしい。
東京駅から新幹線に乗り、いよいよ都会を離れると、俺も高臣も子供みたいにはしゃいだ。
お互いの弁当を奪い合ったり、カードゲームしたり、景色見ながら取り止めもなく喋ったりもした。
「響さん、ほら。あそこに鉄塔が見えるでしょう。知ってますか、鉄塔ってね、性別があるんですよ」
そう言った高臣が指差しているのは、田んぼの中や山の合間にしょっちゅう見える、なんてことのない鉄塔だ。
「何だそりゃ……なんかが違うのか?」
「あんな風に、男性が肩を張ってるみたいに見えるのが、『懸垂型鉄塔』と言って、あだ名が『男』鉄塔なんです。で、あっちの首飾りを付けているみたいに見える方が、『女鉄塔』」
「へーえ。じゃあ、あの、柱が一本立ってるみたいに見えるやつは?」
「あれは環境調和型の鉄塔ですね。モノポール鉄塔といいます」
「……お前、マニアックだなぁ」
高臣が得意げに微笑む。
「意外と多いんですよ、鉄塔マニア。それに、色んな種類の鉄塔を探してると、何時間電車に乗っていようが、飽きません。あっ、ほら、今、潜り抜けたの、分かりにくいけど、門型鉄塔です」
……俺の過去にも触れず、高臣の帰っていく世界にも触れることのない、ただ優しいだけの会話。
変わり映えのしない郊外の景色を嬉々として楽しんでいる高臣は、酷く眩しく見えた。
そして、俺にも小さな子供の頃、そうやって世界の全てが輝いて見えていた時があったなって思い出せた。
俺もそんな頃に戻った気持ちになって、新幹線からローカル電車に乗りかえた後も、一緒に珍しい鉄塔をずっと探していたら、すっかり鉄塔に詳しくなってしまった……。
電車を降りて、バスに乗って、しばらく食事や観光に寄り道したり、暑さのあまりアイスクリームを食ったり、夕飯の食材買ったりしつつ、俺たちは目的地に向かった。
川沿いの温泉街の、だいぶ外れにある宿に辿り着いたのは、ちょうどチェックインの午後三時頃だ。
築百二十年の別荘を改装したらしい古民家で、小さな日本庭園の簡易な柵の向こうの深い谷川を渡るため、赤い欄干の和風の反り橋がついている。
そこを渡ると川向こうの離れの温泉に行けるようになっていた。
家の中は、襖で仕切られた畳の和室と、レトロなタイル張りのキッチン、他に天井の梁なんかをあらわにした、囲炉裏付きの板の間がある、こじんまりしたつくり。
高臣が布にくるんで大切に持ってきた照魔鏡は、うっかり壊したりしないように、庭に面した和室の床の間に置いた。
「国立天文台のサイトによると、今日は月の出が十七時で、入りが夜中の一時三十三分です。ちょうど南中する午後十時前を目指して庭に出れば、元に戻ることができます」
「……分かった」
「それまでは、温泉に入って、ご飯を食べて、旅行、楽しみましょうね」
観音開き式の壁の物入れを開け、高臣があそいそと荷物を片付ける。
俺は備え付けの茶を入れてみたり、座卓に置いてあったサービスの胡桃ゆべしを食ったりしていた。
「なあ、これ、美味い」
高臣に話しかけたら、目の前に浴衣を差し出された。
「え。風呂入る前に着替えんの……?」
「ここで着替えていくと、すぐに温泉に入れるので。――はい、響さん、万歳してください」
ニコニコしながら言われて、素直に両手を上げたら、汗ばんだTシャツをスポンと上に脱がされた。
「いや、子供じゃねぇんだけど……」
「だって、少年の響さんを甘やかしたりできるのは、これで最後でしょう」
真剣な顔でそう言われたから、俺は仕方なく、されるがまんまになることにした。
ウエストがゴムになってるハーフパンツも同じように脱がされて、ボクサーパンツ一枚にされる。
畳に膝を着き、浴衣を手に取ろうとする高臣の隣で、俺は自分でそいつも脱ぎ捨て、素っ裸になった。
「響さん? そこまで脱がなくても……」
「すぐにヤれるから良いだろ?」
わざとらしくそう言ってやったら、整った形の唇が吸い寄せられるみたいに、俺のちんぽの先端に口付けた。
「……あ……」
高臣の波打った柔らかい髪に触れ、押し付けるように誘うと、濡れた熱い舌が滑り、あっという間にそこに血が集まる。
「……もっと……」
口に含んで吸って欲しくて、ねだるように腰を揺らして先端を擦り付けたら、わざと避けるように根本にキスされた。
「風邪、引いてしまいますから。まずお風呂に行きましょう?」
「う……。分かったよ……」
この、勃起しまくってるの、どうすりゃいいんだ……。
身体にスイッチが入ってエロい気分になってるのに、肩から浴衣を掛けられる。
仏頂面になってたら、合わせを閉じる前にも乳首に吸い付くようなキスをされて、泣き声みたいな喘ぎが漏れた。
「そこ……弱いの、知ってるだろ……っ」
「ええ。後でたくさん、可愛がってあげますね」
「……っ、とんだスケベ男に育っちまって……」
「あははっ。お兄様にそう言って貰えるのは、光栄です」
ギュッと帯を締められて、不自然に股間に皺が出来てはいるが、ちゃんと浴衣を着せられた。
ムラつきと、仕返ししてやりたい気持ちで、高臣を睨みつける。
「俺も、お前に浴衣着せる。今度はお前の番」
「どうぞ」
了承されて、腕を上げてもらったはいいものの。
自分よりも身体のデカいヤツを脱がすっていうのは、想像するよりも難しい作業だった。
デニムのベルトを外し、窮屈そうな前立てを開けて、ズボンを脱がせたのはいいものの、Tシャツは流石に厳しい。
「脱がせにくいから、座ってくれよ」
「分かりました」
正座で畳に高臣を座らせ、俺は膝立ちになってシャツの前ボタンを外していく。
至近距離からじぃっと顔を見つめられて、自分で言い出したことなのに居心地が悪くなってきた。
「……見過ぎ……」
「ごめんなさい。響さんが、生まれた時から僕のお兄様だったら、こんな感じだったのかなって」
「……弟に欲情しまくりながら服脱がせるお兄様がどこの世界にいるんだよ……」
「ふふ。そうですね」
肩を震わせて笑っている高臣の上半身からシャツを剥ぎ落とす。
色は白いけど、筋肉のしっかりついた、分厚く逞しい上半身。
その腕の中で強く抱き締められながらされた時の熱っぽさを思い出して、下半身がズキズキする……けど、我慢して浴衣を上から肩に掛けた。
「ええと……どっちが上だっけ……?」
戸惑ってるうちに、さっと相手が立ち上がり、手早く浴衣を着はじめる。
「おい、ちょっと、何で」
抗議したら、フッとエロい感じの流し目で、言われた。
「響さんの浴衣が、濡れてきてしまってるので……早く着なくちゃって」
「……!」
確かに、下を見ると、股間のところに情けないシミが付いてしまっていて、思わず両手で隠した。
「誰のせいだよ!?」
「すみません、そんなに期待して下さってるのが、可愛くて……」
「そうだよっ、期待してるよ……っん」
唇を塞がれて、尻をギュッと掴まれて揉まれながら、優しく、唇に触れるだけの焦らすキスを繰り返された。
「っは、高臣、なあ、お願い、舐めさせて……っ?」
良い加減に焦れ過ぎて、必死になって頼んでしまう。
「僕のこと、我慢できなくさせるつもりで言ってます?」
涙目でこく、こくと頷いた。
「可愛いな……少しだけですよ」
俺は嬉々として、高臣の足元に膝立ちになった。
浴衣の前が目の前で開いて、下着のゴムがずらされ、半勃ちの太いモノが視界に飛び出してくる。
――この男に会うまでは、フェラは仕事を早く終わらせるために仕方なくやる、単なる苦行でしかなかったのに……。
高臣と目を合わせながら、舌を伸ばして、心底味と感触を楽しみながら、色んな角度から少しずつ、舌を這わせた。
しっかり生えてる毛の根本に口づけをして、裏筋に細かく舌を当てて……ずっとしゃぶってられるように、指はわざと一切使わずに、唇と舌だけで焦らすように愛撫する。
それでも高臣はしっかりと硬さが出てきて、先端からもカウパーがダラダラと溢れ、いやらしい水音が立った。
ハァハァと息遣いが乱れて、高臣の表情が、穏やかなそれから、欲情した雄のものに変わっていく。
俺が焦らすのに耐えられない、って感じで、腰が震えてるのがわかる。
内心嬉しくなりながら、唇の中に先端を含んだ途端――ずん、と喉奥まで突かれて、おぐぅ、と変なうめきが漏れてしまった。
高臣が俺の後ろ髪を掴んで、息だけで喘ぎながら、デカすぎるモノを、遠慮なしで喉に擦ってきて……。
唇の端に痛みが走って、少し切れちまったのが分かった。
でも、そのくらい焦れてくれてるのが逆に嬉しくて堪らない。
そのまんま舌を下げて喉奥を広げ、目一杯受け入れて、ジュポジュポとディープスロートを続ける。
口いっぱいに頬張ったそれが、健気に痙攣し始めて、心からこの男が愛おしい。
出して……。
と、懇願するように、バキュームを深くする。
なのにいきなり、ずるぅっと乱暴にチンポが口の中から抜き出されて、直後にビチャビチャと激しい顔射を喰らった。
「んぷっ、……はぁ……っ」
温かい感触に舌を伸ばして舐めると、舌触りが重く苦い精液と、俺の血の味が混じって、ますます興奮する。
でも、高臣の方は自分で自分の行動にビックリしたらしく、畳に手をついて全力で頭を下げてきた。
「ごめんなさいっ、ああ、いつのまに血が……っ、酷いことを……っ」
「別に、そんな痛くねぇよ。……口ん中で出しても良かったのに……」
「ああもう……響さん……っ」
酷い顔を座卓の上にあったおしぼりで拭かれて、笑ってしまった。
だけど、高臣の方は真剣な顔で眉を寄せて、跡が残るほど俺の背中に指を食い込ませ、抱きしめてきた。
「……僕、どうしたらいいんでしょう……最近、嫉妬が止まらないんです。響さんに、こういうことを教えた人に……」
子供っぽさの混じった素直な告白を口にする高臣に、ちょっと驚いた。
同時に、愛しさと、申し訳なさで胸が締め付けられる。
ごめんな、と謝ろうとしたら、逆に謝られた。
「ごめんなさい、こんなこと言っても……困らせるだけなのに……っ」
首を横に振って、俺は高臣の胴を抱きしめた。
「ううん、俺は、嬉しい。……すごく……お前にも、そんな子供っぽいところがあるんだな?」
からかうようにそう言ったら、畳の上に押し倒されて、浴衣の胸をガバッと緩められた。
「ちょっ、何する……」
あっという間に高臣の熱い手が入ってきて、乳首が優しく摘まれて、クリクリと倒しながら力をこめられる。
「あァァ……っ、や……、はぁ……ン、ンン……っ」
器用な高臣の指の、絶妙な力加減でそれをされると、ちんぽを擦られてる時と同じくらい、恥ずかしいほどヨくて……のけぞりながらビクビク感じてしまう。
「乳首がこんなに感じやすいのも、何でなのかって思うと……」
乳首の先っぽをギュムと搾られ、イくのに近い、強い疼きがゾクリと腰に響く。
「やぁ……っ! うっあ……そ、それはぁ……、お前としてからっ、初めてこんな弱いって気付いたんだってば……、あんまり、しつこくいじる、からっ、ひ……っ」
腰をねだりがましく揺らし過ぎて、せっかく着た浴衣も乱れに乱れ、ずぶ濡れのちんぽも、ヒクついてる尻も、すっかりむき出しになっていた。
「ああ、響さん……ごめんなさい、こんなことにして……」
背を丸めて恐縮する高臣の、態度とは裏腹にもう元気になってる股間を足の指で撫でる。
俺は吐息の混じった声で、懇願した。
「なあ……風呂、連れてって……。もっと、俺のやらしいとこ、見つけてくれよ……」
◇ ◇ ◇
……俺たちは、まるで少しでも離れ難い獣のつがいみたいに、手を繋いで、庭から橋を渡った。
離れの小さな湯殿は、滝の音が聞こえる、風情のある露天で、高台から温泉街を見下ろす眺めがすごく良いっていう評判だ。
小さい小屋になってる、新しくて清潔な感じの屋根のある脱衣所に入って、秒で浴衣を脱ぎ捨てる。
サッシになってる扉を開けて、すぐ外――温泉の手前の壁際に付いてる小さな洗い場に、俺は高臣に手を引かれて連れてかれた。
そこで立ったまんま、優しく抱きしめられてから、まるで赤ん坊でも大事に洗うみたいに、身体の隅々をボディーソープで洗われ始めた。
指の先から、足の先まで。
髪も、背中も、尻も、全部。
「目を閉じてください。泡が入ってしまうから……」
言われて素直に目を閉じると、背中から尻をゆっくり手で撫で下ろされて、ゾクゾクする。
さっきイクのも入れてもらうのも我慢したから、勃起したまんまだし、どこもかしこもめちゃくちゃ感じやすくなってるのに。
いつのまにか背後に回られて、後ろから尻を指で広げられて、敏感な会陰をくすぐられたかと思えば、前から硬くなった竿や玉をやらしくヌルヌル手のひらで転がされて、翻弄される。
「あっ、はァ……っ」
腰がガクガクして、やらしい吐息が我慢できなくなった。
「な、あ、目……開けちゃダメ……? 感じすぎて、辛ぇんだけど……」
「ダメです。ちゃんと、閉じていて下さい……」
後ろからピッタリ密着されて、びくんと身体が跳ねる。
泡でぬめった尻に、熱くて硬いものを当てられたまんま、擦られて、焦らされて……。
「あぅう……っ、それ、ほしい……っ、高臣……っ」
尻をずらして入れてもらおうとするのに、視界がないから、難しい。
どうにか両手を使って、後ろにあるちんぽを掴んで固定しようとしたら、その腕を取られて、手拭いで縛られてしまった。
「ちょっ。こんなプレイ、教えた覚えねぇんだけど……っ!?」
流石にびっくりして、後ろに向かって抗議する。
「だって、響さんを自由にすると、すぐ僕に色々しようとするでしょう」
ああ、確かに……? そりゃ仕事のクセだ……。
「だから、せめて今日は……その、ここからは、僕が響さんを気持ちよくしたくて」
耳元で囁かれながら、俺の脇腹から、胸の方へ、大きなヌルヌルの手がゆっくりと這っていく。
「あ、あぁぁ……っ」
期待で乳首がハッキリと勃つのが分かる。
こんな状態で、触れられたら――。
目を瞑ったまま震える俺の張った乳首の根本――乳輪から近付くように、優しく指が周囲をなぞり始めた。
「ウン……っ! 乳首やばいっ、外なのにっ、声っ、止まんなくなるからぁ……っ」
「いいですよ、いやらしい声、いっぱい出して……だって、アパートだと響さん、我慢してたでしょう」
そりゃまあ、隣に筒抜けだからな……!
それでも何回か、壁ドン喰らっちまったけど……。
腰の後ろで手首を縛られてるせいで、逃げることも出来ず、高臣の腕の中でゾクゾクと感じ続けることしかできない。
「はァっ、オッパイ触られんの、感じすぎる……っ」
先っぽを搾られて引っ張られたり、潰されるみたいに扱かれたり……。
更には、うなじに強く吸い付かれるみたいな感覚がして、腰が砕けそうになる。
跡がつきそうなぐらい強く、キスされてる……。
高臣のものだって印を付けられたみたいで、堪らない気分になった。
必死で尻を相手の腰に押し付けながら、自分でも身体をよじって、高臣の指に乳首を擦り付ける。
「気持ちいいですか? 乳首だけしか触ってないのに……?」
ぎゅむーっと乳首をつねられて、痺れるような淫靡な快感が限界までそこに集まって、弾けた。
「……うンン……っ、いく、乳首だけでイッちゃう……っ、アアアッ、い、くぅ、ぁぁ……ッ」
ちんぽ触ってもらえてねぇせいで、下っ腹をヒクヒクさせながらメスイキしてしまい、膝がガクガクになる。
「響さん、本当に敏感ですね……我慢してちゃんと立っててください」
注意されて、ハァハァしながらどうにか頑張って踏ん張って堪えた。
高臣の手が俺の下腹に降りていく気配がして、放置されてたちんぽをゆるりと温かい感覚に包まれる。
「あ……っ」
期待に震えると同時に、俺の背中の上から下へと、強く吸う口付けが移った。
熱い唇に無防備な背骨周りを吸われるたび、目眩がするほど感じる。
高臣の手の中でも、ちんぽがひとりでに何度も跳ね上がった。
「まっ、背中もっ、弱いぃ……っ」
「知ってます」
自信たっぷりに言われながら、尻の間にまで――キスされた。
「こら、やめ……っ、おまっ、それは絶対ダメだって……そんなことっ、一度もさせたことなかっただろ……!? 泡ついてるしっ、ほんとマジで、病気になるから、やめ……、あ……っ!!」
必死に止めたのに、俺の中に生温かい肉がズブリと入ってくる。
ああ、ナカ、舐められて、る……。
「やぁっ、ダメだ、ナカ、ぁ……ア」
尻を閉じようとして力を込めても、結局高臣の舌をエロく締め上げてしまうばっかりで、甘い喘ぎ声ばかりが漏れてしまう。
しかも、ちんぽの方も亀頭をくすぐるみたいに指でヨシヨシされてるのか、気持ちよさと我慢汁が止まらない。
「あうう、無理、立ってらんねえ……っ」
ガクン、と膝が折れて、前のめりになりかけたのを、腰を支えて止められる。
上半身だけ支えを失い、前屈みたいな変な体勢になっちまっても、高臣は俺のそこを深く突きこむように舐め回し続けた。
ナカがとろけるみたいに熱く、ヒクヒクが止まらなくなって、腰がガクガク震える。
「あんっ、はぁっ、まって、まっ、だめ、また、イッ……ぐ……っ!」
今度は尻でイき果てて、高臣の手の中にもドピュドピュ白いのを出してしまって……やめさせなきゃ、よりも「気持ちイイ」で頭ん中がいっぱいになる。
痙攣しっぱなしの卑猥な肉の中を、堪能するみたいにぐるりと舐めた後で、舌がやっと引き抜かれた。
「だめ、て、いった、のに……」
膝がガクンと崩れ落ちて、流石に目を開ける。
俺は、高臣の膝の上に座らされていた。
「響さん、可愛かった……このまま泡を流して洗ったら、お風呂行きましょうね……」
後ろから抱きしめられながら言われた言葉に、俺は驚愕した。
「なんでっ、手、外してくれねぇの……!?」
「ダメです。僕が全部やるので」
天使の笑顔で言われて、ゲッとなった。
「お前、人当たりはいいのに、性格、ほんと強引……っ」
「ふふ。今更気づいちゃいました?」
「最初っから気付いてるよ……けどまあ今は」
そんなとこも好きだけど、とうっかり言いかけて、口をつぐんだ。
好きだなんて、そんなこと……俺には、言う資格ねぇだろ……。
「……今は?」
「……何でもない」
黙ってると、腰を支えて再び立たされて、拘束されたまんまシャワーを浴びせられた。
丁寧に体の隅々までなぞられて洗われながら、胸の奥がチリチリ疼く。
俺も、好きって言ったら、どうなるんだろ……。
いや、それはダメだよな……。
悩んでる間にも、エロい感じで下腹とか内腿の間とか洗われて、陰毛も指でとかすみたいにされて……もう頭の中、ソレしか考えられなくなってくる。
高臣もそれが分かってるみたいに、指先でわざと俺のアナルをゆっくりかすめたり、張ってる玉の方を確認したり、エッチな触りかたされて……。
何回か軽く甘イキしながら、とうとう全身綺麗になったところで、やっと縛られてたのを解いてもらえた。
ふらついてるのを支えられながら、一緒に温泉につかった後も、高臣の膝に座らされて、後ろから抱っこされ、甘やかされ放題だ。
「……あと、少ししか時間がありません。……大人の僕に、してほしいことがあったら、何でも言ってください」
耳元で優しく囁かれて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「あの鏡は、また事故があると危ないので、処分するつもりなので……」
言われて、ハッとした。
そう、か。
あの鏡……。
今日で最後……。
湯面に、俺の顔が映ってる。
幼くて頼りない、子供の俺の顔。
それを眺めたまま、俯いて、小さな声で頼んだ。
「……。部屋に帰って……エッチなことして、一緒に手、繋いで寝て欲しい……」
「勿論、いいですよ。……僕もそうしたいです。でも、夕飯もちゃんと食べましょうね……」
優しく強く、包み込むように抱きしめられて、涙が一粒、ぽろっと落ちた。
◇ ◇ ◇
――湯の中でも散々、キスしたり、入れないまでも、後ろを慣らされたりして……のぼせてフラフラしながら母屋に帰る頃には、すっかり日が傾き始めていた。
誰も見ていないのをいいことに、手を繋いで歩いていると、熱が残っている体がフワフワする。
母屋に帰る赤い橋を渡る時に、俺は足を止めて、吸い寄せられるみたいに、数メートルほど下の谷川を眺めた。
梅雨がまだ明けていないせいか、ずいぶん水位が高くて、水も濁っている。
「……響さん、気を付けて。欄干が低いから、脚を滑らせたりしたら大変です」
手を強く握り直されて、橋の真ん中に引き戻された。
……高臣以外に誰かにそんなに心配されたのは、もう記憶が薄れるくらいにずいぶん昔だ。
父親のようで、兄のようで、弟のようで……友達のような、恋人のような。
高臣が俺の人生になかった全部を、一生懸命、一人で俺に注ぐから、俺はすっかり、以前とは別の人間になっちまった。
多分、元に戻って、すぐにもう一度照魔鏡を覗き込んでも、今の俺と同じ姿になることは無いだろう……。
――傾いた日の光に照らされ、夢の中を歩いているみたいな気分で、母屋に帰った。
逆光を背中に、縁側に下駄を脱いで一緒に部屋に上がる。
もうすぐ日が暮れてしまう……。
外を眺める俺の後ろで、高臣が二人分の敷布団を敷いてくれた。
「響さん」
呼ばれて振り返ると、高臣が布団の上に座り、両手を広げて待っている。
俺は素直にそばに言って、押し倒すみたいに思い切り抱きついた。
「おっと」
ギュッと抱きしめあいながら、ゴロゴロと布団の上を転がる。
俺が上になる体勢で布団の真ん中に来ると、高臣は楽しそうに笑い声を立ててから俺の髪を撫で、黙ってしがみついてる俺の耳に、優しく囁いた。
「大好きです、響さん」
ウン、と頷くことしかできない。
顎を上げて、目線を合わせたら、唇が重なった。
舌を入れてしっかりと絡める大人のキスをされながら、高臣の我慢強い、硬いちんぽに太腿を擦り付ける。
「ン、……っ、うっ、……ふぅっ」
クチュクチュ舌を吸われながら、浴衣の尻をがば、と捲られた。
尻たぶをぐにぐに揉まれながらキスされると、アヘった喘ぎ声が唇の間から漏れて、期待してるのがバレバレになってしまう。
そのうちに、先走りでヌルヌルした高臣の亀頭の先が俺の尻の間をズリズリ擦り始めて、俺は慌てて唇をもぎ離した。
「はぁっ、まっ、濡らすから……」
今の俺の穴は小さくて狭すぎて、流石にローション無しじゃ、高臣の太さはキツい。
高臣の身体の上にのしかかったまま、布団の脇に置いたリュックサックに手を伸ばし、ポケットを開けて、四角い、薄いパッケージを二つ取りだす。
ローションの方を破ろうとしたら、勝手に両方とも高臣に奪われた。
「おいっ」
抗議の声を上げた俺の尻の狭間に、冷たくぬめった潤滑液が滴り落ちる。
「……ん……っ」
高臣の指がこぼれ落ちないようにそれを掬い、風呂で可愛がられて柔らかくなってる俺の穴の中に、素早く塗り込んだ。
「あぅ……っ」
ずっと待ち焦がれてた俺の穴は、その刺激だけでももう、堪らなくなる。
優しく中を慣らしてくれてるだけの高臣の指を、キュウキュウ締め付けて、気持ちいいところを擦って貰うために、深く呑み込もうとしてしまう。
「響さん、お尻揺れてる……指だけで気持ちいいの?」
両手を布団について身体を支えながら、うん、うんと何度も頷く。
俺の下にいた高臣が、不意に身体をずらして、乱れた浴衣の間から、俺の腫れぼったい乳首に吸い付いてきた。
「あ! あぁはぁ……っ」
前立腺をコリコリと指で責めるのと合わせながら、優しく何度も乳首を舌で転がされ、涎が垂れそうになるほど、快感に夢中になっていく。
「だめ、だめ、いく……それすぐイクからやめて……っ」
逃げようとして身体をのけ反らせると、危ういところで指がぬぷりと外れた。
「ハアッ、はぁぁ……っ」
穴が寂しがってギュンギュン痙攣し、ローションがドロリと溢れ出す。
ボーッとしてたら、高臣が回転するみたいに体勢を変えてきて、俺の背中が布団に押し付けられ、相手が上になっていた。
「ちょっ、なんだよ……」
戸惑いながら綺麗な顔を睨むと、黙って俺の腰から浴衣の紐が抜かれて――それで、手首を縛られ始めた。
「おいっ、なんでまた……っ」
「言ったでしょう。僕が、全部したいから……」
俺の手首を縛り終えて、そう言った高臣は、上体を起こし、自分の浴衣を逞しい肩から外し始めた。
その姿は、雄っていう言葉がピッタリなくらい、野生的でセクシーで、ドキドキした。
「わかった……、からっ、早く……」
縛られた手首を、伸びをするみたいに高く上げて、交尾待ちのメスって感じで、両脚を限界まで開く。
「言われなくても、僕ももう……つ」
高臣は手早くゴムを付けるなり――すぐに俺の中に突っ込んできた。
「ああああっ! 高臣ぃ……っ!」
性急な挿入で、ビキビキに血管の走ったチンポを奥の奥まで受け入れた途端――恥ずかしげもなく、叫びながらイキ果てていた。
甘い痛みも息苦しさも、高臣の我慢できないって感じの一方的な乱暴さも、嬉しくて、愛おしくて、堪らなく気持ちいい……。
「響さん、僕のこれ、好きですか……っ?」
ズコズコ遠慮なく突かれながら、俺は必死で首を縦に振り、縛られたまんまの腕を彼の首に回した。
「ウンッ、好き……っ、大好き……っ!」
「今までの男よりも……!?」
「いちばん、これが、好き……っ、てかもう、これしか好きじゃねぇよっ、……ア……!? ちょ、なんで、また太くなって……うゥっ、ンッ……!」
キスで唇を塞がれて、呼吸困難になりながら、なんとか鼻で息をするんだけど、追いつかない。
意識が朦朧となりながら、もう一回、高臣を強く締め上げながらイく。
「うんっ、ハアッ、はんん、イイっ、デカいちんぽ奥にあたってるっ、あンッ、すげえ気持ちいい……っ、いっぱいイってるぅ……っ」
今までいた安普請のアパートじゃねぇし、周りは自然に囲まれていて他の建物もないもんだから、喘ぎ声がつい大きくなる。
それに興奮したのか、高臣もますます激しく腰をふってきて、すぐに俺の中でビクビクと震えてイキ始めた。
長く吐ききってから、全然萎えねぇのがズルリと抜かれて、パチンとゴムが外される。
そん中に、白いのがいっぱい溢れそうになってるのを見て、たまんなくなり、俺はつい懇願してしまった。
「なぁっ、生でして……っ。ゴム、変えるたび、抜かれんの、寂しくてやだぁ……っ。俺ん中で、ずーっと、いっぱい中出しして……ずっと、シて……っ!?」
「響さん……!! ……後悔しても、知りませんよ……っ」
高臣の目が爛々として、獲物を狙う肉食獣みたいに鋭くなる。
うっとりとしながら、俺は微笑みながら頷いた。
「孕むまで出されたって、後悔しねぇから……っ」
――俺の望みを、高臣は勿論、宣言した通りに……叶えてくれた。
その後もキスしながら、三回も中出ししてもらって……。
あとで、もっかい風呂入って、掻き出して。
掻き出してるうちにまた盛り上がって、結局そこでもバックでヤッちまって。
戻ってきて少し休んで、ようやく落ち着いてから、二人してキッチンに立って、夕飯にカレーを作った。
俺は、学校の調理実習以来の料理で、まあ、控えめに言っても、散々手こずった。
「そこは猫の手です」とか、「ジャガイモが小さ過ぎる」とかなんとか、色んなこと言われまくったけど、最後は無事に形になったカレーは、俺が人生で食べた中で、間違いなく、一番に美味いカレーだった。
食ったあと、洗面所で並んで、尻を叩き合ったり、鏡越しに笑わせあったり、ふざけながら歯を磨いて、新しい予備の浴衣に着替えて……あんなに楽しかったこと、生きててなかった。
刻一刻と、タイムリミットは迫ってたけど。
……そして、俺の願いで、最後の時間が来るまでは、一緒の布団で少しだけ、手を繋いで兄弟みたいに眠ることにした。
お互い旅路とセックスで疲れてたから、ちゃんと起きられるようにアラームをかけて。
――日が落ちて真っ暗になった部屋の中に、怖いほどの静寂が訪れる。
聞こえるのは、高臣の規則正しい寝息だけだ。
俺は目を開けて、高臣が完全に眠ってしまうのを静かに待った。
カレーを食べる時に、高臣のコップにだけ、家から持ってきた睡眠薬を入れておいたから……疲れとそのせいで、高臣はすぐに寝入った。
手を離して起き上がり、スマホのアラームを消す。
試しに高臣を枕元で揺さぶると、ウーン、とか反応するけど、夢うつつな感じで完全には起きない。
俺は静かに立ち上がり、寝室の障子を大きく開け放った。
月明かりが和室の奥まで、さあっと差し込んでくる。
月がもう、空に上がっている。
俺は床の間に行って、布をかけてある、あの鏡を注意深く手に取った。
それをそうっと持ってきて、高臣の布団の横で裏返しにして、慎重に布を取る。
今の俺と同じ……裏面の、醜く、恐れをなした鬼の顔が現れた。
眠る高臣の、布団の腹のあたりにその鏡を置き、少し斜めにして、まんまるな白い月を映す。
……その強い反射光の中に割り込むように、俺は鏡を覗き込んだ。
金髪になるまで髪を脱色した、青白い暗い顔の男が、恨みがましげにこちらをじっと見つめてくる。
手が少しずつでかくなり、骨ばって、少し大きかった浴衣の袖が、ちょうどよくなって……。
「本当に、戻りやがった……」
髪に触ると、バッサバサの酷い感触がした。
さっき高臣が丁寧にリンスして、櫛でときながら乾かした俺のツヤツヤの黒髪は、もうどこにもない。
手首の縛った跡も、切れた唇の端の傷も、首筋や胸、それに多分、背中に付けられた鬱血痕も……全部跡形もなく、消えてしまった。
――残ったのは、誰にも愛されたことがない、不健康で憂鬱な、汚い大人の俺だけだ。
大きくため息を吐きながら、次の仕事に取り掛かった。
鏡の反射光に当たらないように注意しながら、体格が近くなって持ち上げやすくなった高臣の上半身を支えて起こす。
月の反射光を高臣の顔に当てながら、俺は高臣の身体をゆすった。
「なあ、起きろ、高臣。一瞬だけでいいから、ほら」
ペチペチ頬を叩いて無理矢理に起こすと、長いまつ毛が震え、眠たげな半目になりながら、高臣が目を開けた。
その瞳が一瞬鏡の光を映し、すぐに閉じる。
でも、――それでもう、十分だった。
腕の中の高臣が、どんどん小さく、華奢になっていって。
身体が薄くなり、顔のパーツが小作りになって、頬は少年らしくふっくらとして……。
そして俺の腕の中に残ったのは、少女にも見えるようなあどけない寝顔をした、俺の弟だった。
初めて会った時は、気付かなかった。
気付けなかった。
こんなにも、頼りないほど幼い、可愛い顔をしていたんだってことに。
「ごめん……。本当に、ごめんな……っ」
安らかな寝顔を見つめながら、鏡を見るように、自分の醜悪さを思い知った。
いや、心のどこかではずっと気付いてた。
こいつはただ、兄弟や家族が欲しかっただけの、寂しい子供だった。
なのに俺は、高臣の純粋さ、子供らしさ、そして生来の愛情深さにつけ込んだんだ。
殺すのをやめてからも、カネも、愛情も、何もかも俺は高臣から奪いっぱなしだった。
そのくせ俺は、自分の心に空いた大きな穴を塞ぐために、高臣の寂しさと、身体まで利用して、全部奪い続けた。
他人に満たされる欲を知らない身体にそれを教えて、これから知るはずだった、本当に大切な人との初めての思い出さえも奪った。
俺の穴は生まれて初めて、埋まった――高臣から奪ったもので。
でも、高臣の人生に空いてしまった穴はもう二度と元に戻せない。
照魔鏡を裏返し、それを胸に抱いて、俺は声をあげて号泣した。
ごめん、ごめんと謝り続けながら。
涙が止まらないまんま、俺は鏡を取り、浴衣と肌の間、胸の上にしっかりとしまい込んだ。
縁側から出て庭の砂利を踏んで、二人で手を繋いで渡った橋へと向かう。
この世から消えることは少しも怖くなかったし、それが当然だと思えた。
元に戻って、高臣と別れた俺の人生には、重い罪以外は、もう何も残らない。
汚い大人に戻った後ものうのうと高臣と一緒にいたとしても、いつか成長した「弟」は、自分の幼さを利用されたことに気付いて、俺を強く憎むだろう。
その前に、俺は俺を消してしまいたかった。
身勝手だと自分でも思うんだ。
しかも、こんな選択をしたところで、高臣につけた傷は取り返しがつかない……。
それでも……高臣が眠ってる間に俺が照魔鏡と一緒に消えれば、高臣の中で俺とのことは、悪い夢みたいに、無かったことにできるんじゃないかって……そんな、浅はかな考えにすがらざるを得なかった。
欄干に乗り出し、暗闇の中で、黒々と濁った川を見つめる。
俺は泳げない。泳げなさすぎて、小学校のプールの授業さえ、全部サボってた。
だからここなら、確実に死ねると思った。
後もう少し、前のめりになれば。
欄干を掴み、ずり、と身体を前に押し出した瞬間。
「響さん!!」
遠くで、少年ぽい掠れた声が悲鳴のように上がって、俺は驚いた。
もしかしたら、幻聴だったのかもしれない。
躊躇してる暇は少しもなかった。
浮遊感と共に、俺の体はもう、水面に向かって落ち始めていた。
――水に入った瞬間、身体に衝撃と痛みが走り、どぷんと鈍い水音が鼓膜に響く。
真っ暗な水面の中にあぶくと共に落ちた俺は、もう、上も下も分からなくなった。
落としちまったのか、胸に抱いた照魔鏡がいつのまにかなくなっている。
山の川の水は夏なのに冷たく、身体が痺れたように重く動かなくなった。
少しも経たないうちに猛烈な苦しさに襲われ、意識が遠くなる。
――その時、遠くで何かが、強く光った。
真っ白な光が、夜の川の水中を、眩しいほどの閃光で照らしだす。
水底にある白い丸い光源を見て、照魔鏡が自ら光っているんだと……気付いた。
上を見ると、濁った川の水面がその光を受けて乱反射し、キラキラと輝いている。
なんて綺麗なんだろう……まるで、高臣の弾いていたピアノの音みたいな……。
その光の中に、たくさんの高臣の姿が見えた。
俺が知らないはずの、母親にあやされている赤ん坊の時の姿。
ランドセルを背負って、制服を着て、なんでか仏頂面の高臣。
誰かの葬式で棺にすがり泣き崩れてる小さな背中……。
一人きりで自分の部屋で勉強しながら、突っ伏して泣いてる、震える肩。
ああ。
もっと昔から、お前の生まれた時から、ずっとそばにいられたらよかったのに。
こんなおかしなことになるんじゃなくて、本物の兄貴みたいに。
抱きしめてやりたかった。
大人の、俺の腕で。
でももう遅い。
苦しささえも忘れてそれに手を伸ばすと、幻は全部かき消えて、また闇の中に消えた。
◇ ◇ ◇
刺すような全身の痛みと酷い寒さで、俺は目を覚ました。
川の轟々と流れる音が頭の中にまで響いてうるさい。
あたりは真っ暗だが、かろうじて月明かりがところどころを照らしていて、自分が藪の中に倒れていることを知った。
全身が痛くて、ずぶ濡れで、身体には重く水を吸った浴衣が張り付いている。
手足の先が、血が通ってないんじゃないかというほど冷たい。
足元も背中の下も、草が鬱蒼と生えてる他は、濡れた、デカくてゴツゴツした石だらけだ。
「なん、……ここ、どこ、だ……」
あたりを見回すと、隣の暗闇の中から呻き声が聞こえてきた。
誰かが深い藪の中に倒れている。
同じ浴衣の柄がチラリと見えて、嫌な予感がした。
「え……」
慌てて藪の中を掻き分け、ヨロヨロしながらそいつに近付く。
月明かりで確かめたその顔は――。
全身ぐっしょりと濡れ、目を閉じたまま、額の右端から真っ赤な血をドクドクと流している……少年の高臣だった。
「たっ……高臣」
――何でだ。
何で高臣がここに……眠らせたはずなのに。
「おいっ、高臣っ、起きろ、高臣……!!」
何度呼びかけても高臣は目を覚まさない。
触ると、どこもかしこも死人みたいに冷たかった。
顔色は真っ青で、唇も紫色だ。息は僅かにしてるみたいだけど、反応が全くない。
このまんまじゃ死んじまう……!!
――初めて味わう、自分の一部のような人間を失うかも知れない恐怖が背中を駆け巡る。
俺は高臣にすがり、泣きじゃくりながら、無我夢中で叫んだ。
「高臣、起きてくれっ、お願いだ……!! 助けを、救急車、よんでくるから……!! っ……目を覚ましてくれよ、頼む、高臣……っ!!」
……俺が飛び降りた時、なぜ、高臣は目を覚ましてしまったんだろう。
だいぶ経ってから考えてみると、あっさり答えは分かった。
俺の身体が元に戻る時、全ての傷は元に戻って、何から何まで、照魔鏡を覗く前の俺に戻っていた。
高臣もそうだったのだとしたら、睡眠薬の効果の効いていた身体が失われて、元の身体が戻ってきて……すぐに目を覚ましてしまったのは、不思議じゃない。
あの時、高臣は一人で死のうとしてる俺に気付いた。
そして直後に川に飛び込み、自分が怪我をしてでも俺を川から引き上げ、力尽きたんだ。
俺が通りすがりの人に頼んで呼んでもらった救急車で、高臣は東北のでかい救急病院に運ばれた。
翌朝には、すぐに東京から、後見人の野村弁護士が血相を変えてやってきた。
彼は俺たちの状況を一目見ると、すぐに警察に通報した。
俺は警官に囲まれ、病室から引き離されて、高臣が目を覚まさない内に、未成年者誘拐罪の容疑で逮捕された。
――そのまま留置所に送致、勾留され、高臣がどうなったのか全く分からないまま、取り調べの刑事から、何度も何度も繰り返し、同じことを聞かれた。
被害者を誘拐したのか。
殺すつもりで誘拐したのか。
殺人を目論み、証拠を隠滅するために、被害者に不在の偽装工作を命じたのか。
一緒に暮らしながら被害者を脅し、カネを搾取したのか。
死体を始末しやすくする為に、東北に連れ出したのか。
被害者は橋から落ちて、頭を岩で強く打っているが、お前が突き落としたのか。
揉み合ってる内に、お前まで橋の上から落ちてしまったのか……。
全ての質問に、イエスで答えたにも関わらず、俺は不起訴になった。
つまり、殺人未遂の罪で問われることもなく、実刑を喰らうこともなかった。
失踪中の俺と高臣の生活は、あまりにも不可解な点が多かったのと、救急車を呼ぶように頼んだのが俺だったこと、目を覚ました高臣自身が断固として被害を訴えず、家出は自分の意思で、一緒にいた期間、俺はとても優しい、いい兄だったと……検察に訴えたと同時に、俺を告訴した後見人の弁護士を説得したからだ。
……ただし、その弁護士の申し立てにより、裁判所から俺に、高臣への接近禁止の命令が出た。
弟を洗脳した悪人の兄には、高臣に会う資格は無い、ってことだ。
ブタ箱から出た俺は、今度こそ本当に、何もかもを全部失った。
だけど、検事さんを通じて、高臣が生きている、目を覚ましたってことを断片的に知れただけで、もう十分だった。
そして俺は、自分を殺すことを、やっと諦めた。
……あれからもう五年の月日が経つけど、俺はまだ、どうにか生きている。
[newpage]
陽光とアスファルトからの照り返しで焼けこげそうな、真夏の住宅街。
立ち漕ぎの自転車を踏み込み、汗だくになりながら坂を登る。
西武新宿線沿線の、古い住宅街。
途中で自転車を止めて水分補給して、やっと辿り着いた目的の家は、昭和から一度もリフォームされた気配もないような古い戸建てだった。
自転車を停め、地味なユニフォーム姿で玄関先に立って、チャイムを押す。
「こんにちは。シャトーケアサービスの木原です」
上がる息を堪えながら、社員証をかざして名乗ると、人の良さそうな総白髪の小柄な奥さんが、俺を出迎えてくれた。
「ああ、木原さん。いつもありがとうございます。さ、入ってちょうだい」
「お邪魔します」
買い物カートの置かれた埃っぽい玄関を上がり、狭い廊下を通って、一階の畳の部屋に入る。
奥で、頭の禿げた無口な爺さんが、介護用ベッドに座って俺を待っていた。
……今の俺の、「お客」の一人だ。
「田中さーん、お元気ですか。お風呂の前に、体温と血圧、測らせていただきますね」
俺は出来るだけゆっくりはっきり喋ってから、入浴介助前の体調確認をし始めた。
――訪問介護のヘルパーになって、もうだいぶ経つ。
不起訴になってから、俺はお人好しの常連客にカネを借り、更に高臣が買ってくれたテレビやらゲームやらを全部中古で売り払って資金に変え、東京23区の東側から西側へと引っ越した。
母親の遺骨も格安の合同墓地に入れてもらって、一人きりの出発だ。
裁判所の命令通り、もう二度と高臣と関わらないように、迷惑をかけないように……駅も路線も変え、ひっそりと暮らしている。
――死のうとしたことも、それにあいつを巻き込んだことも、俺のしたことは全部最低だったと思うから……。
今の仕事は初めて行ったハローワークで紹介されたのがキッカケだ。
職場で資格を取らせてもらったりしながら、色んな事情で何度か事業所を変わって、今は三社目になる。
なかなか思うように稼げない厳しい時もあったが、今の事業所は、訪問と訪問の間の時間もきちんと時給が出るし、夜勤の仕事も週何回かあるから、やっと生活が軌道に乗った。
……肉体労働だし、ありとあらゆることをやらされるし、人の命がかかるような時もあって、正直きつい。時々クレームもあるし。
ウリやってた前よか、全然稼げねぇけど、あの時高臣が俺の借金を整理してくれたお陰で、何とか生きられていた。
前の仕事をやめたのは、高臣との約束を守りたかったからだ。
……何の意味もなくても、あの夜にした約束を半分だけでも守りたかったし、そんで……会えなくても、せめて迷惑かけない、「いい兄」になれたらなと思った。
いつか高臣が偉くなった時、俺が週刊誌にすっぱ抜かれたんじゃ、困るしな。
同僚のおばちゃん達もみんな気が良くて、この間なんか、事務所で昼飯を食ってたら、地元の阿波踊りサークルに誘われちまった。
東京なのに阿波踊りって、と思ったが、阿波踊りのサークル、『連』は意外と日本全国にあって、関東でも踊る祭があるらしい。
「木原くんみたいなイケメンが入ってくれたら、若い子が大喜びするわ」なんて言われたけど、聞く限りスポ根部活並みに練習厳しいらしくて、とてもそんな気にはなれなかった。
おばちゃん達はお節介だけど、事務所に行けば誰かと会話ができんのは、心の救いだ。
ご利用者さん達も、週一とか週二とかだけど、自分の爺さんや婆さんか?っつうぐらいに頻繁に会うもんだから、気心が知れてくるし……。
お陰で、幸せでもないが、不幸でもない日々を送れてる。
「――お邪魔しました。それじゃあ、また来週」
「ありがとうございます。いつも本当に助かるわ。また来週、宜しくお願いね」
ご利用者さんの奥さんに見送られて、俺はリュックを背負い、自転車を漕ぎ出した。
仕事と仕事の合間、自転車を漕いでる間だけは俺の自由時間だから、片耳イヤホンで音楽聴きながら、色んなことを考える。
高臣は今、どうしてんだろう、とか。
ピアノ、まだ、弾いてんのかな、とか。
高臣が教えてくれたクラシックのピアノ曲を、今でも時々、スマホで聴いていた。
移動中とか、寝る前とか……。
おばちゃんヘルパーさん達には、老けてるねぇなんて笑われたけど、今では俺の唯一の趣味だ。
俺を今、生かしてくれてるのは、俺をかろうじて必要としてくれる社会と、思い出だけだからな……。
夕方事業所に帰って、洗い物当番の洗濯をしてたら、ちょうど戻りの時間の被った、太めの同僚のおばちゃんが俺ににこやかに話しかけてきた。
「木原くん、それ終わったら上がるんでしょ? これからちょっと、頼まれてくれない?」
「頼まれ……何すか?」
「ほら、佐藤さん、駅前の商店街の阿波踊り祭りで踊るじゃない? いつも毎年夏は、会社の行ける人で観に行くんだけど、踊ってるところを撮って欲しいって頼まれてさ。でもアタシ、用事が入っちゃって今日は行けないのよ。場所取りは中山さんがしてくれてるんだけど、あの人、高齢者用のガラケーしか持ってないし。木原くん、お願いできない? お酒、奢るからさ」
「別に、タダでいいっすよ。ちょっとどんなもんか、見てみたかったし」
「あらやだ、木原くん、本当にイイコねぇ」
しみじみ言われて、なんて反応していいのか分からない。
ただ、そんな風に言って貰えんのは、有難いなとは思う。
「――じゃ、行ってきます。中山さんに連絡すれば、場所わかりますかね?」
「うん! よろしくねぇ! あと、凄い混んでるから自転車は無理よぉ」
――空がオレンジ色に染まる頃、私服に着替えた俺は、忠告通り、徒歩で事業所を出た。
見慣れたはずの駅が近づいて来ると、すれ違う時にぶつかりそうになるくらい人混みが激しくなってきて、いつもの駅前とは別の世界みたいだ。
沿道に車両規制がかかって、あちこちで誘導の警備員が叫んでいる。
熱気に満ちた空気と、少しずつ大きくなる、太鼓やら鉦《かね》やら、鳴り物の音。
満員電車みたいな人混みなのに……どうしてか逆に、体の中に孤独がじわじわと染み込んでいく。
――そういえば高臣とは、祭に行ったことはなかった。
あの時、もっと色んな場所に行けば良かった……。
祭も、遊園地も……。
「――そこのお兄さん、止まんないで!」
警備員に注意されてハッとする。
俺はいつのまにか立ち止まってしまっていて、人にぶつかっていた。
「すみません」
そうだ、中山さんに連絡をとらねぇと。
スマホを出して、以前、強引に入れられたライングループを開く。
『すみません、中山さんいまどこですか』
『南演舞場の、コンビニの前にいます』
おばちゃんと連絡を取り、祭のホームページの地図を頼りに、あたりをつけて、人ごみの中を掻き分けて進んだ。
汗だくになりながら、俺は何やってるんだろう、と自分で自分に呆れた。
断って、家で酒でも飲んで寝てりゃ良かったのに、ついうっかり来ちまったな……。
かなり苦労して、やっとのことで目的の観覧場所まで辿り着く頃には、真っ暗になっていた。
「木原くん! こっちこっち! もう来ちゃうわヨォ、佐藤さん!」
小柄なカーリーヘアのおばちゃんが、沿道でピョンピョンしながらこっちに向かって叫んでいる。
俺はぜいぜいしながらおばちゃんのそばまで入り込んで、やっと地面に腰を下ろした。
紅白の幕が張られ、ござが道に敷かれて演舞場となった大通りに、陽気な掛け声が響く。
急いでスマホを動画モードに切り替えた途端、佐藤のおばちゃんが踊ってるという連が目の前に来た。
沿道にいる見物人達も、何かのプロなんじゃないかと思うような感じで、「ヤットーサー」と玄人っぽい掛け声を上げている。
編笠を深く被り、つま先立ちの下駄で、一糸乱れずに踊る女踊りの一群が華やかに目の前を通り過ぎる。
その中でしゃなりしゃなりと踊る佐藤のおばちゃんを撮影しながら、俺は踊りの一群に見惚れた。
艶やかな女達の後から続く、勇壮でありつつ、ちょっとコミカルな、うちわと半被の男踊りの一団。
踊り手も観客も、みんなが笑顔で、祭に夢中になっている。
その非日常的な光景に、心が揺り動かされた。
……生まれて初めて、こういうのも、いいもんだな、と思わされたのだ。
最後の陽気な鳴り物の列まで、気がついたら夢中になって撮影していて、うっかり、左の中山のオバチャンじゃない方、右隣に座ってる、上背の高い男にぶつかっちまった。
「おっと、すみません」
いなせな濃紺の浴衣を着たその人から、すぐに返事が返ってくる。
「いえ、こちらこそ」
低いけど、若い男の声だ。
なんだか、聞き覚えのある、懐かしいような……。
思わず顔を上げると、相手の男と目が合った。
癖のある茶色っぽいベリーショートの前髪の下、はっきりした平行二重の涼やかな瞳。
表情は優しい印象なのに、意志の強そうなキリッと上がった眉と、まっすぐな鼻梁、男らしい高い頬のライン、それに、額の右端にはっきりと分かる傷跡……。
アッと叫びそうになって、すぐに目を逸らした。
――高臣……に、似てる。
いや、まさかな。
あいつの家からここは遠いし、あれから一度も会ってねぇのに、まさかこんな所でバッタリ会っちまうはずねぇよな……。
携帯をリュックにしまいながら、動悸が止まらない。
なるべく顔を隠して下を向いていたら、隣の男から強めに声をかけられた。
「……響さん? 響さんですよね」
なんてこった。
こいつ、本当に高臣だ……。
確信して、頭を抱えてうずくまりたい気分になった。
引越しまでしたのに、ここで今更会うなんて――。
「違います。……人違いですよ」
人生でつちかった演技力を全力総動員して、俺はしらを切った。
高臣がよく知ってるのは、15、6の時の俺の容姿のはずだ。
しかも今は仕事的に黒髪で、ジジババの目に優しそうに見えるマッシュのゆるパーマにしてるし、ピアスも目立たないのにして、五年前とは全然見た目が違う。
ところが、高臣は認めなかった。
「そんな……だって、響さんですよね……?」
身体が一瞬、硬直した。
偶然、前の客と会っても相手には全く気づかれねぇぐらいにはなったのに……何で三週間ちょっとしか一緒にいなかった高臣が、俺だって分かるんだ!?
「違うって言ってんだろ」
低い声で拒絶すると、俺からはよく見えない、高臣の後ろで若い男の声が上がった。
「高臣、お前どうしかしたのか?」
友達か誰かと一緒に居たのか分からないが、その隙に俺はすぐに隣のおばちゃんの肩を叩いた。
「中山さん、俺、ちょっと帰りますね。もう撮るもんは撮ったし」
「えっ!? あら、もう帰っちゃうの!?」
中山のオバチャンは阿波踊りに夢中で、俺と高臣のやりとりは聞いてなかったらしい。
俺は沿道で立ち上がり、前方の座ってる人たちの間を無理やり通って、後ろの立ち見の人混みにいそいで紛れ込んだ。
「響さん!」
驚いたことに、高臣は諦めずに後ろから追いかけてくる。
押し寄せる人間の間を、もみくちゃになりながら息を上げ、逃げて逃げて……。
「響さん! 何で逃げるんですか!」
高臣の声が遠ざかる。
何で?
当たり前だ。
そもそもお前と俺は、会っちゃいけない人間同士のはずだろ!?
もう俺のことなんて、忘れたか、思い出したくもない過去になってるか、どっちかだろうと思ったのに。
それなのに、何で追いかけてくるんだよ。
そんなふうにされたら、また俺は、身の程知らずの望みを抱いちまう。
お前はもう、元の世界に帰ったのに。
大人になったお前は、もうあの時みたいな寂しい子供じゃない。友達も、なんなら彼女もいて……。
――住む世界が違う俺は、やっぱりもう二度と、お前に近づいちゃいけねぇんだ……お前の幸せを壊さない為に。
できる限りのスピードで駅前まで急いで、駅から出ようとする人波に逆らい、どうにか改札に滑り込む。
最後に後ろを振り向いたけど、流石に、人の群れの中に高臣の姿は見当たらなかった。
良かった。
もう、これで一生、会うことなんかない。
ホッとしたら、何でか涙が出てきて止まらなくなった。
リアルの高臣は、年齢的にはあの時の高臣よりも下なんだろうけど、でも、大人っぽくなってた。
そりゃそうだよな、中身も大人になってるんだし……。
一緒にいたの、友達かな。
もしかして、男だけど恋人とかだったりして。
そうだとしたら、俺のせいで男しかいけなくなっちまったのかも……辛ぇな……。
いやどっちにしたって……。
俺に出来んのは、遠いとこから幸せを祈ることくらいしかねぇ。
明日も仕事、朝早くから頑張んねぇとだし……。
涙を拭って、俺はホームの階段を上がった。
――そう、それでその夜のことは、幕引きになるはずだったのに――。
次の日に俺が仕事終えて事業所に帰ると、なぜだか分からんが、職場の休憩所のテーブルがワイワイ賑わっていた。
昨日の祭の写真でも見てんのかなと思って素通りしようとして、様子がおかしいことに気づく。
おばちゃんヘルパー達に囲まれて座ってる、見慣れない、背の高い男がいる――。
「響さん! お疲れ様です」
俺に向かって手を振る、ポロシャツ姿の好青年の姿に、一気に凍りつく。
「ななな、なん、何で?」
動揺する俺に、小柄な中山さんがササッと寄ってきた。
「ほら、お兄ちゃん。弟さんがきたわよぉ!」
高臣は椅子から立ち上がると、いかにも済まなそうな顔で、深々と俺に頭を下げた。
「すみません、こんな所までお邪魔してしまって。――お兄様」
その場に凍りついて口を開けたまんまの俺を、おばちゃんたちが取り囲む。
「木原くんにこんなイケメンの弟がいるだなんてねぇ。しかも長いこと会えてなかったんですって? 韓流ドラマみたいねぇ」
「弟さん、木原くんのこと、ずっと探してたんですって。昨日、どうしても会いたいって頼まれちゃって」
中山さんが俺の背中を叩く。
「今日はアタシたちが洗濯やっといてあげるから、一緒に早く帰んなさいね」
あれよあれよと、持って帰ってきた介護グッズを剥ぎ取られて、着替えも渡されて、俺は高臣と一緒に会社を出るしかなくなっていた。
……忘れてた。
高臣が、こうって決めたことは絶対曲げねぇ性格だってことを……。
駅からメチャ遠い今の俺の貧乏アパートまで高臣を連れてく気にはならなくて、取り敢えず、俺たちは電車に乗り、数駅先の繁華街に出ることにした。
東京イチってくらい治安が悪くて、人混みがすげぇそこに行けば、いざとなったら高臣を簡単に撒けるってのもあるし、まあ、ウリやってたのがそこだから土地勘があったってのもある。
日が暮れ、眩しいほどのネオンサインに満ちた汚ねぇ通りを、うんざりするほどの人混みが行き交う。
居酒屋やら風俗の客引きをかわしながらしばらく歩いて、ファストフード店と迷った挙句、若い奴が好きそうな感じのするコリアンカフェに入った。
まさか18歳連れて居酒屋に入る訳にはいかねぇしな。
裏路地入ったら、すぐラブホっていう、ひでぇ場所だけど。
狭いテーブルからはみ出そうなデカいメニューでとりあえず飲み物だけ選んでたら、唐突に聞かれた。
「どうして昨日、逃げたんですか。嘘までついて」
何にも喋らずにここまで連れてきた俺を、高臣が対面から睨んでくる。
上背が高くて、肩幅も広くて。
芸能人みたいに透明感のある肌に、意志の強そうな綺麗に上がった眉、まつ毛の長い、綺麗な切長の目……。
初めてまともに目を合わせた相手は、あの時と同じ、背筋がゾワっとするくらいイケメンに育っていた。
「……なんでって。お前の弁護士が俺のこと、遠ざけたんだろ。接近禁止とかなんとか」
「そんなのもう、とっくに期限がきれてます。そもそも僕はもう法的に成人したので、後見人は関係ありません。……」
「……そうかよ。いいから、早く決めろよ。何飲むんだ」
「……貸して」
苛立った感じでメニューを取り上げられた。
一瞬手の指同士が触れて、ズキッと痛みのようなものが胸に走る。
コールボタンを押して、俺は梨ジュースを頼んだけど、高臣は烏龍茶を頼み、さっさとメニューを店員に押し付けた。
周りはうるさいのに、俺たち二人の間には怖いような張りつめた空気が漂っている。
それに呑まれないように精一杯になってると、高臣が口を開いた。
「……僕は、退院した後、あれからすぐあなたのアパートに行ったんです。なのに、誰もいなくて。携帯は解約されているし、住民票は元々あの町にないし……どうやっても、あなたに辿り着けなくて……。どんなに、僕が響さんに会いたかったか」
綺麗な目を涙ぐませて切々と訴える相手に、俺はいますぐ、この場から逃げ出してしまいたくなった。
だって、あれから何年も経ったのに、余りにも高臣が、変わってなくて……。
しかも今の俺は全然別人の三十過ぎのオッサンなのに、何でそんな風に言えるのか、訳が分かんなくて。
……危うく、俺も死ぬほど、会いたかった、なんて言ってしまいそうで……それをようやく飲み込んで、俺は高臣を睨み返した。
「……俺は別に、お前となんて会いたくねえんだよ。つか、オバチャン使って職場まで来るとか、どういう神経してんだよ」
「それは謝ります。でも、それしかなかったんです。あなたが逃げるから」
「……逃げるだろ。つかお前、5年も経って、いつまでアカの他人の俺にこだわってんだよ。恋人ごっこも兄弟ごっこもあんとき十分やって、もうあれで気が済んだだろうが?」
「響さんは、気が済んだって言うんですか。こっそり自殺未遂までして……!」
低い声で恨みがましげに聞かれて、鼻で笑うフリをした。
「ああ、ウンザリするほどな。やっぱ俺には家族なんか必要ねぇって思ったよ。死のうとしたのは、元々生きんのが面倒で、フラッとやっちまっただけだし。つか、勘違いすんなよ? お前とはあの時だけの遊びだったんだ。お前、元々俺の好みでも何でもねぇし」
半笑いでそう言いながら、靴の中で足のつま先が氷みたいに冷たくなった。
――足が……膝がガクガク震えてんの、まさかバレやしねぇよな。
「そもそもお前、ゲイじゃねぇんだろ。最初の時も、たまたま俺のAV見て血迷っただけで?」
年上の余裕っぽさを必死で演じながら、下卑た質問で相手をどうにか煙に巻こうとした。
でも……。
「……。そうですね。ゲイじゃないと思います。あれから、あなた以外の男性を見ても、何とも思わなかったので」
高臣があくまでもまっすぐに向かってくるから、俺は目を細めるフリをして視線を天井に逸らした。
「男が好きじゃねぇんなら、いつまでも俺にこだわってねぇで、サッサと女と結婚しろよ。家族ごっこできる相手なら他にいくらでもいるだろ。……話はそんだけだ。こんなとこまで連れてきて悪かったな。――じゃ」
まだ注文したもんも届いてない内に立ちあがろうとすると、腕をガシッと強く掴まれた。
「ってぇな、離せよ……!」
冷や汗で肌がぬめってるのがバレそうで、必死にもぎ離そうとしたが、全然離れない。
クソッ、仕事で結構鍛えたと思ったのに……。
「響さんは、それでいいんですか!?」
「っ、声でけえよ、お前……っ」
仕方なく座り直して、延長戦の体勢で向き直る。
そしたら、高臣の肩の端が、ブルブル震えていて……。
「僕は、響さんともう一度暮らすってことをずっと夢見て、生きてきたんです」
必死な感じで言われて、俺の方が泣きそうになった。
何でだよ。
どうしてあの時と一つも変わってねぇんだよ、お前。
普通、もっと色々……、我に返るとか、やっぱ女の子の方が良かったって自分のアホさに気付くとか、間違ってたって後悔するとか……あるだろ!?
なのに……。
きっと俺、高臣を知らん間に洗脳しちまったんだ……あの弁護士が言ってた通り。
こんなの本当にダメだ、こいつの人生が、俺のせいでメチャクチャになっちまう。
そんなの、俺が嫌だ……!!
「勝手な夢、見てんじゃねぇよ……俺はお前と暮らすつもりなんか金輪際ねぇんだよ!」
「……っ。新しい恋人が、出来たからですか?」
食い気味に聞かれて、ハッとした。
……そうだ、いることにしちまえば、流石に目が覚めるんじゃねぇか。
俺は大きく息を吸って吐いて、頷いた。
「ああ、出来た。……今、一緒に暮らしてんだ。俺にすげぇぞっこんで、今は幸せだ」
ウリやってた時ですらここまでの大嘘はついたことがない。
「どんな人なんですか」
無茶苦茶に傷ついたって感じの、悲痛な面持ちでそう聞かれて、俺の方が激しく動揺した。
クソクソ、嘘、突き通せよ、ここまで来たんだから……!
「年上の、普通のリーマンだよ。元々客だったやつ……。てか、何でお前にそんなこと聞かれねーといけねーんだよ。関係ねぇじゃん!」
「……。その人に言われて、今の仕事に、変わったんですか……っ?」
俺の言葉の後半、ほとんど聞いてねえし……。
「そんなこと、何でお前に……てか、昼職やってるからって、夜の方は辞めたとは限らねぇだろ」
「……」
絶句したみたいに高臣が黙り込んでしまったので、これがチャンスだと思った。
思い切り呆れさせて、俺なんか追いかけて探して損した、俺のことなんてどうでも良くなった、って思わせる為の……。
店員が来て、梨ジュースが俺の目の前に置かれる。
ストローでガラガラ氷をかき混ぜながら、俺は言い放った。
「仕事のこともそーだけど。俺、酔っ払って気分良くなると、どこの誰とでもウッカリ寝ちまうからさ……。お前ん時もそうだったけど。……今の彼氏はその辺も理解してくれて、ホント相性最高なんだよ。――お前みたいな真面目なおぼっちゃまには理解不能な世界だろ?」
高臣は俯いたまんまだ。
――もう、俺が席を立ったって大丈夫だろう。
「そういうことだから。……じゃあな」
そう言って、席を立ち上がろうとしたら――今度は高臣も席を立って、見上げるほどの長身を使って前を通せんぼされた。
「ちょ、邪魔……」
「いくらですか」
烏龍茶の値段かと思って、俺は首を振った。
「……別に、俺が払うし」
「そうじゃなくて。あなたの。一晩の値段」
悪い夢でも見てんのかと思った。
こんな普通の喫茶店でその話、てのもあるし、まさか高臣の口からそんな言葉が飛び出すなんてことも想像すらしない。
「ガキの癖に、てめえ往来で何てこと言い出してやがる……っ」
「子供じゃありません。失礼なこと言ってたら本当にごめんなさい、謝ります……でも、さっきから響さん、すぐ逃げようとするでしょう。だから、ちゃんと話をする為に一晩、あなたの時間を買いたいんです」
高臣はポケットから札を出して伝票と一緒にレジに置くと、釣りももらわずに外に出た。
モヤっとした熱帯夜の空気をかき分けるみたいに、喫茶店の入ってた雑居ビルの裏へと俺を引きずっていく。
「まっ、俺、売るなんて一言も言ってない……!」
「新しい恋人の男性、寛容なんですよね? じゃあ、僕が響さんの一晩を買っても気にされませんよね。それに、何もしなければ疑われるようなこともないし」
高臣の言葉は語調がひどくトゲトゲしい。
怒ってる……?
にしても、こいつがこんなに怒ってるところ、初めて見た。
こんな顔、するのか……。
昔より子供っぽくなってるとこもあるんだな……。
気圧されたり、妙に感慨にふけっちまったりしてる内に、気が付いたら周りはラブホしか並んでなくて、ヒッと息を飲む。
こんなところ歩いたら、俺の中の高臣が汚れる……!!
「あっ、あのなぁっ。俺にも客を選ぶ権利が! てか、なんでそんな強引!?」
「あそこでいいですよね」
「だからちょっと、待っ」
制止も効かない感じで古いラブホに連れ込まれて、その久々の薄暗い雰囲気がウゲっと胃に来た。
何千回きたって、いや、何千回も来たからこそ、マジで苦手な空気だ。
「ここから部屋、選べばいいんですよね?」
壁のパネルの前で平然と聞かれて、黙りこくってたら、勝手に部屋を選ばれた。
「7階です。もし途中で逃げたりしたら、明日も迎えに行きますからね」
ああ、そうかよ……。
ったく、こうなったら仕方ない。一緒に暮らすつもりはない、で、とことん地蔵みたいに一晩ダンマリを決めてやる。
それでもって、ぜってー俺には指一本触らせねぇ。
そう決意してたのに、エレベーター出てすぐの部屋に入って、ぱたんと扉が閉まった途端――いきなりすげぇハヤワザで、振り返った相手に正面から思い切り身体を抱きしめられてしまった。
「響さん、響さん……っ、無事で本当に良かった……、……本当に、会えて、嬉しかった……っ」
涙ながらに囁かれながら、そんなこと言われたらもう、……俺だって、心のない石像になんかなりきれる訳がねぇ。
「離せよ……、何にもしねぇんだろうが……っ」
高臣の胸を押す手に、どうしても力が入んなくて、心底困った。
だって、今も好きだった。
この世で一番、この男が好きなんだ……家族としても、男としても。どうしようもないほど……。
「……無理です、響さん、ごめんなさい。だって、やっと会えたのにっ、我慢できない」
ずっとお預けくらってた犬みたいに、ベショベショに泣かれて、もう、無理だった。
気が付いたら、俺もしがみつくみたいに、高臣の汗ばんだ背中に腕を回してた。
「バカ……! 何でだよ。何でこの期に及んで俺なんだよ……っ」
「だって、響さん、前よりももっと可愛いくなってるし、今の仕事してる時のこととか、会社で聞いて……やっぱり、あなたのことが、愛おしくて堪らなくて。……しかも、クラシックピアノの曲をよく聞いてる、って同僚の方たちが……前はそんなこと、無かったのに……僕と一緒に暮らしてた時のこと、忘れてなかったってことですよね!?」
ば、バカは俺だ……っ。
ヘナヘナと体から力が抜ける。
無防備になっちまった俺に、高臣が必死な感じで、頬擦りしてきて……。
「ああ、本物の響さんだ……。もう、何回も夢にみて……。意地っ張りで可愛い響さんも、エッチでいやらしい、響さんも……。目が覚める度に、あなたがいなくて、辛かった……。もしかしたら会えるかもって、休みのたんびに人のたくさん集まりそうな場所にでかけてたんです。……もう、死んでも離したくない……っ」
「やめ、俺、恋人いるんだってぇ……っ」
もがいてるのに、全然離してもらえない、どころか、片手で腰を抱え上げられて、ベッドの方連れてかれた。
「恋人がいても、誰とでもするって言ったの、響さんですよね?」
どさっとダブルベッドの真ん中に背中から投げ出されて、もう開始早々、完全に負け試合だ。
「するけど、お前とはヤダ……っ、お前とだけはヤダ……!!」
駄々っ子みたいに対抗してたら、上からのしかかられて、じっと目を覗き込まれた。
ああ、顔が近すぎて、俺を閉じ込める両腕も、厚い胸も、脚も絡まりそうなくらい密着して、心臓ヤバい、おさまらない……っ。
「……僕が好みじゃないから?」
「そうだよ!!」
「じゃあ、一度抱きしめただけなのに、どうしてここ、こんなに勃起させてるの」
「ひ、ぁ……っ」
指で、いつのまにか盛ってたハーフパンツの股間を引っ掻かれて、ビグウッと腰が引けた。
素直すぎる俺の下半身もだけど、それよりもショックなのは……。
た、高臣が、あんな可愛かったのに、ボッキとか言ってることだ……っ。
「恋人じゃない、好みでもない男に、こんなに反応するなんて……そんなことある?」
太腿入れ込まれて、股間をグリグリされて、……高臣もはちきれそうに勃ってることを、俺の内股にも擦り付けてアピールされて……まだ俺で勃ってくれるの、死ぬほど嬉しくて、もう下半身はどんどん、熱でジンジンして、バカになってて……。
「アァっ、やらぁあ……っ! 何にもしないって、言ったのにぃ……っ」
「僕はもう何もしてないよ? 響さんが俺のに、擦り付けてるだけ……」
言われて、腰がユラユラ浮いちまってることに気付いた。
だって、無理だ、俺の身体、覚えてるもん……、高臣のが俺んなか、入ってきたら、どうなっちゃうか……っ。
「大人なのに、気持ちいいの我慢出来ないの? 本当に可愛いね……?」
ゴムのウエストは、易々と引きずり下ろされて……、朝晩ユニフォームに着替えるからって、脱ぎやすい服で着ちまったの、心底後悔した。
熱い、器用な高臣の指は、俺の息子を捕まえると、俺の好きだった恥ずかしい場所を、勝手知ったるなんとやらで、ネットリといやらしい手つきでいじくりだす。
右で皮を使って竿を細かく扱いて、左の手のひらで鬼頭を包んで、いろんな方向に倒しながら乱暴に撫でるみたいに可愛がって……。
全部包まれるくらい手がデカくて、しかも器用だから、もう、気持ち良すぎてひとたまりもない。
「やっ、触んな、やら、はァンっ、それだめ、アッ、よわぃ……っ、敏感すぎるからぁっ、ちんぽの皮剥いちゃやだぁ……っ」
「響さん……感じてくると、言葉遣い幼くなるの、自分で気付いてる? 変わってないの、ほんと、たまんない……」
そういうお前は、いつのまにか敬語どっか置いてきちまってるし、変わりすぎだろうがよ!?
なんて突っ込む暇もなく、両脚からパンツもズボンも全部剥ぎ取られて、ベッドの下に捨てられた。
もうこんなことになったら、部屋から無理やり逃げ出すこともできない。
しかも、さらに両足首掴まれた上、チングリ返し的な体勢にさせられちまって……。
「ば、バカぁ……っ、まだ風呂も入ってねぇのに何、脱がしてんの!? 俺ずっと仕事外っ、……汗くせぇだろが……!!」
必死でTシャツの裾を股間にむけて引っ張ったが、隠せるわけがない。
「臭くないです、むしろいい匂い……それに、そんな隠しても、響さんのツルツルのいやらしいおちんちん……丸見えだよ」
無理やり膝を押されて左右に開かされて……トロットロになってるちんぽの先に、くびれに、裏筋に……チュ、チュって、先走りの糸を引きながらいっぱい、唇でキスされまくって。
「ァン、はァあっ、やら、汚ねぇからっ、そんなとこチュウすんなよぉ……っ」
痛いくらい感じてしまって、俺は思わず漏れないように、自分のちんぽの根本を握り込んだ。
「久しぶりだから、いっばいキスしてあげてるんだよ……可愛いね、そうしてないと出ちゃいそう?」
俺の動きの意図はバレバレで、高臣はさらに大胆に、俺の先端をすっぽりと、咥え込んできて……。
ジュポジュポ、卑猥な音を立ててしゃぶられて、もう駄目だった。
「ンッあ、でちゃうっ……はなしてもう出ちゃうから……!! んひぃっ……」
腰を痙攣させながら、ここ数年間一度もなかったくらいの、強い射精感に身を任せるしかなくなった。
気持ちいい、……泣くほど、気持ちいい……好きな人から貰う、愛撫。
こうなるって分かってるから、嫌だったのに……。
気づいたら、高臣の口が離れた後もダラダラいつまでも吐精しながら、俺は情けないぐらい、エグエグしゃくりあげながら泣いちまってた。
「はなしてって……いったのに……無理やりしやがってぇ……」
「ごめんね、響さん……。五年間も会えなくて、我慢出来なかった……」
高臣は天使の笑顔でそう言うと、こんなホテルの備品には絶対無かったはずの、ローションのパッケージ、いつのまにか口で開けてて……息が止まるかと思った。
こいつ今日、完全に「そのつもり」で来てたんじゃねぇのか……?
俺に恋人がいようが、いまいが……。
俺が待っていようが、待ってなかろうが。
俺の身体が、高臣のくれる快楽に、めちゃくちゃに弱いの知ってて……。
初めて会った時の俺の直感は、正しかった。
高臣は俺がどうこうしたとか、大人とか子供とかそういうの抜きにしても、今まで会った中でも、相当にタチが悪い部類の男だったんだ。
執念深いっていうか、ほとんど狂気みたいな、5年経っても何一つ変わらねぇぐらいの執着を持ち続ける程には……。
呆然としてたら、冷たいまんまのローションを性急にソコに塗り込まれ始めて、あひいっとか変な声が出る。
高臣は首を傾げながら、俺の顔をじっと見下ろした。
「ここ、固い……。締まってる……?」
……そりゃ、毎晩のようにデカマラ受け入れてた時と比べたら、今なんて完全にセカンド・バージンに決まってる。
出すもん出して多少冷静になったのもあって、俺は尻を強く締めてそれ以上高臣の指が入ってくるのを拒絶した。
「……おいっ。俺の身体、買うつもりなら、本番はなしだっ。つうか、付き合うのも今夜一晩だけだからな……っ。それでもう、諦めろよっ、頼むから……っ」
入れられたりしたら、絶対ワケ分かんなくなって、変なこと喋っちまうから、そう釘を刺したのに、高臣は俺の尻をいじるのを止めようとはしなかった。
「……分かりました、入ったりしないから……響さんを気持ちよくするだけ……」
グイグイ指で突き上げてきながら、高臣が俺の乳首に吸い付いてくる。
「あ……!!」
ビリリっとおりてきた快感で尻を締めてた筋肉が一瞬緩んで、一気に指がヌルンと入り込んできた。
ローションをまとったその指先は、久しぶりだってのに、易々と俺の前立腺を探り当て、コリコリとマッサージし始める。
「やっ……なんで、んなっ、すぐ……っ」
ビクンビクン腰を震わせながら驚いてると、高臣が俺の胸元でクスッと笑った。
「大人の響さん、ここが大きくなってるから、前より見つけやすくなってて。……自分じゃ分からない?」
グリッ、と強く持ち上げられて、またちんぽが情けなく持ち上がり、だらしないアへ声が漏れる。
高臣は調子に乗って指を増やし、ピストンするみたいに何度もそこをトントンしはじめた。
「うはァ……っ、だめだめっ、ケツっ、久々だからヤバいぃ……っ」
「やっぱり、ずっとしてなかったの? 響さん、こんなに可愛くていやらしい身体なのに……」
高臣のキスが、少しずつ身体をのぼってくる。
乳首から、鎖骨へ、そして首筋から、顎に……。
その度、震えながら高臣の指を締め上げてしまって、恥ずかしいのに、もっとして欲しい……。
遂に、くちびるが触れそうなほど近くなって、綺麗な澄んだ瞳が、戸惑って震えてる俺を映した。
「……僕が恋人だったら、もうあなたを放っておいたりしないよ……一生」
重たすぎる告白と一緒に、唇が柔らかく重なって……キスしながら、高臣のアレを思い出させるみたいに、唇の中も、尻の中も、優しく入ってきて犯される。
――入れられるの、気持ちいいよね?
ーーもっと太いの、奥まで入れて欲しいでしょ?
舌も、指も、そう言ってるみたいに俺をとことん追い詰めて来る。
どっちでそうなったのかはわかんねぇけど、いつのまにか俺は、全身痙攣しながらイキ果てて、尻穴も口もだらしなく開きっぱなしの、ヤラレっぱなしになっていた。
「気持ちイイ……っ、もっと……、もっとして……」
キスから解放された口は、よだれ垂らしながらそんな言葉しか出てこない。
「もっとって? 何を?」
指を、焦れるほどゆっくりゆっくり出し入れされながら聞かれた。
「……っ、き、きす……」
「違うよね。もっと欲しいもの、あるでしょう。……響さんの身体のことなら、全部知ってる……ここ、僕のカタチに変わってたよね? 前は……」
もう嫌だ。……完全に見透かされてる……俺が、高臣のちんぽの奴隷だってこと。
それでも最後の抵抗で、唇を噛んでブルブル首を横に振った。
高臣がふーっと長いため息をついて、俺のナカから指を抜く。
「……すみません。少し冷静になるから……待ってて……」
そう言って、ベッドを軋ませ、高臣が離れていく。
服着て出てくチャンスなのに、キスの余韻と、尻の穴がヒクヒクしっぱなしなのとで、足に力が入らない。
ただ、動かせる視線だけ、ホテルの部屋をぐるりと見渡した。
奥にあるガラス張りのシャワーブース、手前にこじんまりしたソファ、壁掛けテレビ……殺風景な部屋だ。
高臣がポロシャツをソファに脱ぎ捨てて、……デニムのベルト外して、それも同じ場所に置く。
大人っぽい黒いボクサーを下ろすと、ヘソに当たりそうなほど屹立したかっこいいちんぽが、ブルッと割れた腹筋に当たった。
隆起した胸筋も、鍛えた二の腕も、理想的なカタチした鼻梁の横顔も、目を奪われて、視線を離せない。
シャワーブースに入ってもまだ見つめてたら、それに気付いた高臣が、手のひらをガラスの壁に滑らせて、俺に流し目で優しく微笑みかける。
シャワーの水音の中で、その指が、胸を、腹を撫で下ろして、最後に、俺の欲しいものを見せつけるみたいに、ちんぽの根本を撫でる……。
思わず、それが入って来るのを想像して、ビクンと下腹が震えた。
……俺のナカ、もう一回あのカタチに……して、欲しい。
思わず手が尻に伸びて、……いつも自分一人でするみたいに、指をそこに入れた。
ローションで濡らしていっぱい解されたお陰で、そこは今すぐ入れられそうなぐらい、ヤワヤワになっている。
「ンッ、きもちいぃ……たかおみのっ、ちんぽ、もっとぉ……っ」
音は聞こえないのを良いことに、ズポズポ指を突っ込んで、足りないものを追い求める。
こんなことしてる場合じゃねぇのに、止められない。
だって、欲しくて、見せつけられて、気が狂いそうなのに。
しかも自分の指じゃあ全然、欲しいところに届かない。
「アぁっ、も、ぜんぜん、イケね、無理ぃ……っ」
下半身ドロドロで諦めて、シーツに両手を投げ出した所で、全裸の高臣が帰ってくる。
一瞬で我にかえって、起き上がって端に逃げると、ベッドが軋み、焦れに焦れたそのタイミングで、ベッドヘッドにもたれるみたいに長い足を投げ出して高臣が隣に座った。
バッキバキに勃起した凄いのを目の端で見ながら、逃げ腰で座ってる俺の腰に、裸の腕が回る。
「響さん、……凄い煽り方するね? ガラス一枚越しに、お尻で気持ちよくなるとこ見せつけて……しかも、僕の名前呼んでた」
「よ、呼んでない……」
「そう? ……唇の形がそうだったけど。こっちきて……キスしてあげるから」
完全に高臣のペースにハメられてるって分かりながらも、俺は自分で引き寄せられて、……高臣の膝の上に乗った。
望み通りにキスが与えられて、夢中になって舌を絡める。
「ん……、はふ……っ」
舌を優しく甘噛みされながら、オッパイを二つとも優しく摘まれて、引っ張ったり潰されたりされてる内に、頭がどんどんおかしくなる。
「んぅ……ッ! ちくびっ、尻まで響いて変になるからぁ……っ」
堪えきれなくて唇を離すと、浮かせてる尻が勝手に高臣のちんぽに懐いた。
ここに、当たってるでっかいの、少し腰をずらせばもう、入ってしまう……。
肩を抱かれて、耳の穴に言葉を吹き込まれる。
「……響さんが自分で入れて?」
甘えるみたいな、でも有無を言わせない、命令に近い『お願い』。
「……欲しいよね?」
ダメ押しでもう一度聞かれて……俺の薄弱な意志は、ついに完全に折れてしまった。
「はあっ、……はあっ……っ」
息を吐きながら膝を立て、なるべく身体の力を抜いて、でも下っ腹は、トイレで大きいのをする時みたいに、軽くいきんで、……高臣のちんぽの上に尻を下ろす。
共同作業でトロトロのメス穴に仕上がってるそこが、熱い雄の頭にキスしたとたん……ジン、と涙が出そうな感覚が腹に広がって……あとはもう、全部飲み込んで気持ちよくなることしか考えられなくなった。
「きつい……締めないで、響さん……すぐ出ちゃう……っ」
締めてない、ヤッてねぇから狭くなってるだけで……。
それでも無理矢理、ズブズブ奥まで高臣が入ってきて、俺の中を広げてゆく。
「ア、ンッ、ン~~~っ……」
ひっさびさの引き攣れるみたいな痛さと、内臓押し分けられる苦しさと、それだけじゃない……快感。
その全部に背中を丸めてブルブル堪えてると、額にキスされながら、抱きしめられた。
「響さん……。やっと捕まえた、僕の、大切なお兄様……」
「……っ、お前っ、ほんと、あたまおかしい……っ、こんなの……っ」
「違うでしょ……響さん。僕をそんな風にしたのは、響さんだよ。――責任、とって……?」
確かに、確かにそうだけど、金よこせとか、死んで詫びろとか、そういう方向性の責任の取り方しか、俺は知らない訳で……こんなのは……っ。
「ひいっ」
腰をグッと押さえられて、細かく下から突き上げられ、声が裏返る。
「本当に好きなとこ、前立腺じゃなくて、奥《ここ》でしょ? ――響さん……っ」
何年も欲しかった、閉じてるとこをこじ開けられ、グジュグジュ突きまくられて、もうまともな反論なんか出来る訳がない。
「あはあっ、す、好きじゃな……っ! 奥っ、も、入ってくんなぁ……っ」
「響さんの中、僕にキスしてるよ。――好きって……!」
ズン、と強くナカを捏ねられて、身体が後ろに倒れそうになる。
「おっと」
支えられながら両手をシーツに突いて……そのまんま、腹のイイ所に捩じ込まれて、イキっぱなしみたいな状態に入り始めた。
「アアアっ!! いぐ、ぅ……っ!!」
白目剥きながらガクガク震える俺を、容赦なく高臣がゆする。
「僕のこと好きでしょう? 響さん……!」
「んっ、好き、高臣が好き……っ、大好き……っ」
自分でも腰をめちゃくちゃに振りながら、もう、心の中身がダダ漏れになっていく。
「恋人が居るなんて、嘘だよね」
「う、ン……っ、いないっ、ほんとはっ」
「……死のうとしたのも、何度も逃げようとするのも、――いつか僕に嫌われるのが怖かっただけだよね!?」
瞬きすらしない強い視線に追い詰められて、俺はもう、自分を明け渡すしかなかった。
「だってっ、俺なんか、クズだし、男だし、金もない、15も年上のオッサンだし、汚れてる……どう考えてもっ、絶対きらわれる……っ」
「まだ、そんなこと言って……! 分からせてあげるね……これから、一生かけて。どんなに響さんじゃないとダメで、響さんが好きか。……愛してる。僕が何歳になっても、絶対に変わらない」
真綿みたいな愛の言葉に包まれて、涙が溢れる。
人間はいつか変わっちまうものだから、そんなふうに言われたって、心の底からは信じられない。
でも、今の高臣がそう言ってくれるのが、あんまり嬉しかったから……高臣にしがみつきながら、俺の唇からもうっかり、溢れていた。
今まで本当の意味では一回だって使ったことのない言葉が、涙と一緒に。
「俺も愛してる……愛してる、高臣……っ、会いたかった、ずっと……っ、本当は死ぬほど、会いたかったんだ……っ」
腹の奥の方で、ビクビク高臣が痙攣して、目の前綺麗な顔が、可愛く歪む。
「はあっ、響さん、ごめん……っ」
優しく謝られながら、俺の中にいっぱいに出されていく熱いものを感じる。
幸せで気が遠くなりそうになりながら――俺は高臣の額の傷に、慈しむようにキスをした。
その後――。
俺達は二人で、都心にある高臣のマンションで一緒に暮らしている。
あの無意味に広い屋敷も、照魔鏡以外の骨董品も、つい最近処分しちまったらしい。
その金を元手に、友達巻き込んで起業して、既に自分の収入だけで生活はなんとかなってるって言うから、恐ろしい奴だ。
防音室付きの、程よく狭くて広い2LDKで、俺は通いで仕事して、高臣は大学行って、時々兄弟喧嘩しながらも、ささやかな家族暮らしをそれなりに謳歌している。
兄弟みたいな、恋人みたいな、どっちとも言える、変な関係。
もしかしたら、いつかは心が離れ離れになっちまうこともあるのかも知れないけど、……高臣が俺にくれたものは、離れてもちゃんと残るし、頑張れるって、五年間のあいだに分かったから……俺は、少しだけ心が強くなった。
……あくまで少しだけで、今でもよく劣等感にイラつくし、意地張るしで、高臣を困らせるけどな。
「……お前、大学で俺のこと、何て言ってんの?」
後ろから抱っこされながら、ソファでテレビ見るのが、今の俺の定位置だ。
「……自慢のお兄様と、一緒に暮らしてるって言ってるけど?」
いけしゃあしゃあと言われて、呆れ果てる。
「お前、ほんっと……変なヤツ。ブラコン」
「それは、響さんもでしょう」
ギュッと強く抱き締められて、確かになぁ、と否定できない俺がいる。
エッチなことしてねぇ時も、すっかり素直な性格になっちまったもんだ。
あの屋敷の、あの変な鏡に照らされてから。
俺とは何もかも正反対な、高臣と出会ってから……。
照魔鏡がなけりゃ、こんなふうになることもなかったんだろうな……。
川に沈んだまま、消えてったあの不思議な光を、今でも時々思い出す。
あの光があったから、高臣は川底で俺を見つけて、助けられたんだって……後で、教えられた。
「響さん」
甘い声で呼ばれて、キス待ちで顔を上げながら、目を閉じる。
何事も、大人になってからハマると抜けられなくなるっていうけど……。
――何しろ兄弟を持つのが遅かった俺は、どうやら一生、幸せなブラザー・コンプレックスを抜け出せそうにない。
《終わり》
弁護士だと名乗る男から連絡が来たのは、新宿の小汚ねぇホテルで知らんオッサンにチンポを突っ込まれてた、その最中だった。
留守電に吹き込まれた、淡々と事務的なメッセージ。
俺のスマホの番号なんぞ、どこでどうして調べたのかはサッパリわからねぇ。
だって俺は、俺の「親父」の顔なんぞ、物心ついてからは一度も、見たこと無かったのだ。
「親父」が金持ちだったらしいってことは、死んだお袋に聞いて知ってたが、とっくに縁なんか切れてるし、会いたいと思ったこともなかった。
死んだのは三ヶ月前らしい。
とっくに葬儀は終わってるんだと。
なんで、今更俺なんかに連絡が来たんだ?
赤ん坊の頃別れて、顔も知らない「親父」だ。
どうせ遺産のオコボレはこねぇだろうし――、と留守電メッセージを再生途中で切り上げて、削除しかけた時だった。
――俺にどうやら、「弟」がいるらしいってことを、知ったのは――。
ジメジメした梅雨の夕暮れ時、生ゴミの据えた臭いのするアパートに帰った後で、俺はうっかり、同居人に今日あった出来事を話しちまった。
「へぇ。そんで、その金持ちの屋敷に明日、来いって? やったじゃん」
コンビニの食べカスと酒の空き缶が散らかった、1Kの築四十年のアパート。
年中出っぱなしの炬燵の上で、俺の買ってきたカップ麺を勝手に食いながら言ったのは、俺の元カレ、つうか今は単なる食い詰めた居候のリョウだ。
ボサボサの残念なソフトモヒカンに、食い物の汁で汚れたトレーナー、すね毛ボーボーのハーフパンツ姿。元イケメンが台無しだ。
ま、最近は太っちまってみる影もねぇがな。
リョウは俺が何考えてるかなんて思いもよらず、目を輝かせた。
「お前もイサンとかもらえんじゃね?」
「いや、ねーだろ。普通に怖ぇし、呼び出しとか……」
俺は擦り切れた畳に荷物を放り投げて、脱色しすぎて髪が傷みまくった頭を撫でた。
大昔に流行ったジョン・コナー風テクノカットは、オッサン客の評判はいいが、維持するのに金がかかって手入れまでは行き届かねぇ。
コンビニの袋をガサガサやり始めると、リョウがコタツから這い出て、俺の背中に抱きついてきた。
「ちょっ……てめぇとはもうやんねーよ。してぇなら金、払えや」
「ちげーよ、勘違いすんな。お前がそんな金持ちの坊ちゃんだったなんて、初耳じゃねぇか。ちょっとはむしり取ってこいよ、金をさぁ。ほら、イリューブンつうの?」
ニンニクラーメンを食ったリョウの息が猛烈に臭い。
「てめぇには関係ねぇだろ! ったく、お前、一体いつになったら出てくんだよ」
肩を強く押すと、リョウは不貞腐れながらコタツ机に戻り、不器用に麺をブチブチと噛み千切りながらカップ麺の続きを食べ始めた。
「だってよ、カネがねぇんだもん。出てけっつうなら、カネくれよぉ」
ちなみにリョウっつうのは、本名じゃない。
タチ専でウリを始める時に店長に付けられた源氏名だ。
本名はダセェから、名乗りたくないらしい。
リョウはとにかく性格がだらしなくて、入店当初は見てくれやら、ちんこのデカさやらで客がついてたものの、最近はサッパリ客が付かねぇらしい。
タチしかやんねぇから、ウケの気持ちってやつがサッパリ分からねぇせいで、エッチもど下手糞だしな。
付き合ってた頃にヒモに成り下がり、別れてからは時々襲ってくる居候《いそうろう》に格オチ。
時々日雇いに行ってるっぽいけど、貸した金なんぞ返しやしねぇでパチンコで溶かしちまう。
こんな男にカネなんかやっても無駄、やんなくてもたまに寝てる間に俺の財布からカネ抜くし、マジでどうしようもねぇクソだ。
似たような境遇だったからって、いっときウッカリ付きあっちまったことがあったことが、運の尽きだった。
ただまぁ……うるせぇこいつが家にいる間は、寂しくはない。
俺はコンビニの袋からやっすいチューハイ缶を出しながら、ため息混じりに昔話を始めた。
「……俺の母親は元々、売れっ子のキャバ嬢だったんだけどさ。昔、客だったどこぞのジジイをだまくらかして玉の輿に乗ったらしくて」
「へー、すげーじゃん! だから響は美人なんだなぁ。つか、そのジジイが響のオヤジなんだろ?」
リョウがタトゥーだらけの指を組んで神サマに祈るポーズで身を乗り出す。
俺は首を横に振りながら、タンスの上に十年置きっぱの骨壷に、チラリと目をやった。
――母親は、派手好きで遊び好きの女だった。
素知らぬ顔で奥様になっときゃ良かったのに、彼女は、良家の嫁の生活ってヤツには馴染めなかったのだ。
結婚前からいい仲だったチンピラと浮気してるのがバレ、産み落とした一人息子ごと、彼女は旦那に捨てられた。
「……多分、母親の浮気相手が俺の本当の父親なんだよな。何しろ、結婚してる最中から、ジジイの留守中に家でヤリまくってたらしいし」
「うへぇ、さすが響の母親だなー。たいしたヤリマンだぜ」
さっきからこいつは、俺のことを褒めてるんだから馬鹿にしてるんだか。
まあ、何も考えてねぇんだよな。
こいつは心に浮かんだことをそのまんま喋っちまうアホだ。
母親もリョウと似たようなアホだった。
あんだけ浮気しといて、俺はその金持ちのジジイの子だと、信じて疑わなかった。
だから、自分が離婚して「斉藤」に戻った後も、俺の姓は「木原」のまんま変えずに残した。
――あいつが死んだら、あんたは遺産がもらえるんだよ。
あんたにかけた金、みぃんな返して貰って、アタシはマレーシアに豪邸建てて、いい暮らしをするんだ。
だってアタシはそのためにアンタを連れてきたんだもん――それが口癖だった。
でも、スネに傷を持つ身だったせいか、お袋は離婚後、爺さんとの接触は一切していなかったらしい。
養育費のよの字も知らん女だったし、親子関係が本当にあんだか、ねぇんだかって所に突っ込まれるのも、嫌だったんだろうな。
キャバ時代はナンバーワンだったお袋も、コブ付きの年増じゃあ、昔の店に舞い戻るって訳にもいかなかった。
かと言って、昼職をやるような覚悟も才能も学歴もなく。
仕方なく彼女は、今の俺と同じ仕事――男にカラダを売って生きる世界に再就職した。
そんな母親があっけなく死んじまったのは、俺が16の時だ。
客の男にこっそりクスリを盛られて、中毒死。
いるんだ、親切そうにペットボトルだの、ケーキだのを差し入れしてきて……そこにクスリを仕込む、ひでぇヤツが。
母親はアホだったから、貰ったモンを喜んで飲み食いしちまったんだろう。
俺なんか、客に何貰っても、絶対その場では口にしねぇのにな。
ラブホの従業員が気づいた時には、裸のお袋が一人、床に転がって死んでたらしい。
クスリ盛った客の方だって、目の前で急変したとして、そりゃあ救急車も呼べねぇだろうよ。
こっそり逃げて、それきりだ。
ド底辺の高校には入ったものの、通学せずにブラブラしてた俺には、青天の霹靂ってやつ。
しかも、母親は知らん間に借金を残してて。
父親が誰かもわからねぇ、母親以外に身寄りもねぇ俺が選べる選択肢は、ハナからほとんどなかった訳だ――。
「――何で呼ばれたんだかはサッパリ分かんねぇけど。……まあ、一回だけ、どんなもんだか見てくるわ。大金持ちの家ってのがさ」
「いいなぁ。ついでになんか、カネになりそーなモン、パクってこいよ」
「無理だっつーの……」
良い加減な相槌を打ちながら、俺は炬燵机の上でぬるくなったチューハイの缶を開けた。
[newpage]
次の日――月曜の昼下がり。
通り過ぎたことすらもない文京区のとある地下鉄の駅の出口に、俺は立っていた。
空は重く雲が垂れ込めていて、今にも降り出しそうだ。
うすら寒い空気にうんざりしながら待ち合わせの場所に待っていると、灰色のスーツ姿の男がジロジロとこっちを見てくる。
完璧に撫で付けた七三の黒髪に眼鏡をかけた、いかにも神経質そうなオッサン。
対して俺は、ダメージジーンズに洋楽のライブTシャツ、スタッズの付いたベルト、耳には左三つ右二つピアスってな、いつもの家着だ。
ひとしきり俺を見定めて、男は声を掛けてきた。
「木原《きはら》響《ひびき》さんですね。弁護士の野村です。お越し頂いて感謝しております」
言葉とは裏腹にニコリともしないその表情には、さっさとこの不本意な仕事を終わらせちまいたい、という本心がありありと透けている。
何も、そんな露骨に態度に表すことねぇじゃん、なんて思うのは、俺が一応「接客業」だからかね。
とはいえ、今更、他人のフリして帰る訳にもいかねぇ。
壊れかけたビニール傘を片手に、男のあとをノコノコとついていく。
たどり着いたのは、レモンクリーム色の分厚く高い塀に囲まれた、豪邸の門前だった。
来る途中、テレビでチラホラ聞いたような政治家の苗字がついた表札も見かけたから、この辺りは相当なお屋敷街なんだろう。
弁護士がインターホンを鳴らすと、どういう仕組みなんだか、立派な鉄の門が勝手にガラガラと横に開いた。
中は、白砂利に立派な松の木、石灯籠なんかが配置された、和風の庭園になっている。
キョロキョロ眺めながら通り過ぎると、今度は、正直そこだけで既に俺んちよりも広い、大理石の玄関に通された。
ボロボロのきったねぇスニーカーを脱いで上がると、今度はホテルのエントランスみたいな、天井の高い客間に通される。
都会のど真ん中だってのに、窓からは公園みたいな庭園が見える上、恐ろしいほど静かで、車の音ひとつ聞こえない。
相変わらず弁護士センセイは無言だし。
家政婦らしきおばあちゃんに出された紅茶の赤い水面を眺めながら、だんだんムカついてきた。
俺、マジで、何で呼ばれたんだろ?
道すがらも、俺なんかと余計なクチは聞きたくねぇって感じで、弁護士センセイは何も話してくれねぇしよ。
もしかして、後継ぎにこんなだらしねぇ兄がいると恥だから、DNA鑑定しろとか、木原を名乗るなとか、そういう話?
すげぇあり得る。リョウと付き合う前はゲイ向けAVも出てたし、窃盗でパクられたこともある。
こういう家にとっちゃあ、信じられねぇスキャンダルだろうしな。
だんだんむかついてきたぜ。
何言われてもキッパリ断ってやる。
斜向かいに座ってる弁護士センセイはどんな顔するだろうな?
いや……それよりもいい考えがあるぞ。
今、財産が俺の「弟」とやらのモンなら……その弟が死ねば、自動で俺に遺産が来るんじゃねぇの?
事故か、何かに見せかけて……。
そしたら俺は、借金返せるどころか、大金持ち……。
なんてな、まぁ、無理無理。悪い夢見すぎだっての。
よし、話振られたら、タダじゃ無理っつって、メチャクチャ手切れ金ふっかけてやろう。
そんで、お袋の骨と一緒に、マレーシアにでも移住すんのもいいかもなー。
パスポートの取り方とか知らねぇし、骨が飛行機乗れんのかも分かんねぇけどさ。
イライラと貧乏ゆすりしながら待ってたら、目の前の、金色のドアノブのついた重そうな木の扉がパッと開いた。
現れたのは、色素の薄い栗毛のショートカットの、天使みたいに整った容姿の女の子だ。
その睫毛の密生したクリクリのでっかい目が、一目俺を見た途端、さらにドングリみたいになった。
「お兄様!」
その声を聞いて、茶を盛大に吹き出しそうになった。
そのハスキーボイスは、明らかに、声変わり前後の少年《ガキ》そのもの。
しかも、言うに事欠いてこの俺に「お兄様」だ。
ってこたぁ、こいつが俺の「弟」ってやつか!?
どんどん相手が近寄ってくるので、俺は本能的にフカフカのソファを立ち上がった。
――絶対こいつ面倒臭いガキだし、そもそも頭が相当にヤバいヤツだ。
ウリ専のボーイの長年のカンてやつが警鐘を鳴らす。
だが、そのガキはあろうことか俺の行手を塞ぎ、ガバーッと正面から抱きついてきた。
「うげっ……!」
ガキに抱きつかれたのなんて人生で初めてだ。
しかもこいつ、顔はガキの癖に俺とほとんど身長かわんねぇじゃねぇか!
腕の中で完全に固まっていると、俺が黙ってるのをいいことに、「弟」は涙ぐみながら俺にまくしたてた。
「ああ、お兄様。ずっと、お会いしたかったんです! 来てくださって本当に嬉しいです、有難うございます……!」
――育ちの良さってのは、恐ろしいもんだよな。
どうやったら会ったこともねぇ人間に、そんなに夢を見られるんだよ。
それとも、なんか変なクスリでもキメてんのか?
ヤバい「弟」の名前は、木原《きはら》高臣《たかおみ》。
年齢は十四歳。日本一偏差値が高いらしい、名門男子中学のニ年生、しかも二年ですでに生徒会長をやってるとかいう、「秀才オボッチャマ」らしい。
病弱な母親が小学生の頃に他界して、今回父親のジジイも死んだことで、遺言書により、この立派な家の財産は全部高臣一人が受け継いだ。
弁護士センセイは爺さんの生前から指名されてた未成年後見人だという。
そして、今回のこの奇妙な出会いは、高臣が「どうしても」と望んだことらしい。
遺産整理で出てきた昔の写真で、俺の母親と、その息子の存在をウッカリ知ってしまったんだと。
実の母親も、父親もあの世。
親戚連中とは元々財産関係のことで関係が冷え切っていて、俺はこの世でたった一人の肉親なんだそうな……。
本当に血が繋がってるかどうかもわかんねぇのにな。
そんでもって、どうやら、縁を切るとかそんな話じゃあ無さそうだ。
むしろその反対、つまり……それ以上に面倒な話に巻き込まれつつあるのかも……。
悪い予感でいますぐ帰りたかったのに、うっかり「お兄様、お好きな食べ物は」などと聞かれて、「肉」と答えてしまったが為に、じゃあ夕飯まで――なんて話になり、俺は夜まで帰れないことになっちまった。
「――ここは僕の部屋です。お兄様も赤ちゃんの頃にここでお過ごしになったんですよ。お写真が残ってました」
夕飯までの間に、高臣に広大な屋敷を案内されることになり、あっちこっちウロウロと歩かされる。
お袋はここで暮らしてたこともあったんだろうが、俺の方はまさか覚えてる訳がない。
はしゃぎながら俺を案内する高臣の後ろで、弁護士の野村は苦虫を噛み潰したような顔をしてる。
……やっとセンセイの気持ちが分かったぜ。
親代わりにこのワガママ天真爛漫坊ちゃんに振り回されるなんて、気分がいい訳がない。
しかも、何を勘違いしたんだか、俺みたいなチンピラをお兄様扱いと来たらな。
歩きながらゲンナリしてると、まるで美術館の一室みたいな、腰高のガラスケースだらけの部屋に通された。
ケースの中は二段に分かれ、中に敷かれた緑の毛氈の上に、大小、細々した古そうな小物が並べられている。
「父は、アンティークや美術品の収集に凝ってたんですよ。ここはその父のコレクションの部屋です。凄いでしょう?」
「へぇ……」
……としか言えない。
金ピカのツボだの、何が書いてあんのかさっぱり分からん巻物やら掛け軸だの……全く価値がわかんねぇけど、多分、このへんの中の一つでも「ナントカ鑑定団」やらに持って行ったら、すげぇ値段になるんだろうな。
一つくらいコッソリパクってもバレねぇんじゃねえか、なんて思いながら眺めてると、部屋の一角に、妙に気になるものがあった。
部屋の一番奥に一つだけ、神棚みたいな立派な祭壇の上に鎮座した、白い光沢のある布を被ったお宝。
大きさは大人の手のひらくらいだろうか。
明らかに扱いが他のお宝と違う。
「なぁ、あそこには何が置いてあるんだ?」
初めて積極的に質問らしいものをした「オニイサマ」に、残念な「弟」は嬉しそうにぱっちり目をキラキラさせて答えた。
「あちらは、照魔鏡です」
「しょうまきょう……?」
「ええ。魔を照らす鏡、と書きます。あの鏡で照らされると、美男や美女に化けた魔物もたちまち正体を現すとか……。とても古いもので、元々は神社で御神体として祀られていたものみたいです。お父様はこの鏡を、この家の守り神だとおっしゃってました」
「ふうん。おもしれぇな」
――やっぱ、値打ちものか。
心の中で確信しつつ、その後も高臣の後について回った。
キンキラキンの鯉のいる池だの、立派なホテルの一室みたいなゲストルームだの。
そして最後に居間に戻ってきてソファで向かい合うと、はしゃいでいた高臣は急に真面目な顔になり、俺に向き合った。
「お兄様。良かったらですが、この屋敷で僕と一緒に、暮らしませんか」
ぬるくなった紅茶を、今度こそ吹き出しそうになって、慌てて飲み込んだ。
「は……?」
「本当に、ごめんなさい。お兄様が今、どんな生活をなさっているか、少し調べさせてもらいました。お家賃も、数ヶ月分滞納されてると伺っています」
「……。今、ダチが転がり込んできてて、そいつのせいで光熱費がかさんでるだけだ」
「そのご友人の方も、詐欺のグループの末端の構成員をされてるようですし……」
ゲッ。
時々スマホでなんかやり取りしてると思ったら、あいつ、そんなことやってたのか。
つか、俺もしらねぇそんなこと、どうやって調べたんだか。
「……だったとしても、今更驚きゃしねーよ。あいつクズだし」
つか、リョウについてそこまで調べてるってことは、俺の仕事も完全に割れてるってことだよな。
それ分かって、こんなこと言ってる?
狂ってんだろ……。
「……いつお兄様がトラブルに巻き込まれてしまうかも知れないと思うと、心配です。ご不自由は無いようにいたしますから。よろしかったら、二、三日お試しでも構いません」
マジかよ、何なんだコイツ。
何の権限があって、堂々と俺の人生にクビ突っ込んでこようとしてんだ?
――他人の、しかもガキのクセに。
痩せこけたカワイソーな野良犬が居たら、上から目線で抱き上げて、親から転がり込んできたカネで施し?
遺産はビタ一文くれねぇけど、オコボレで助けてやろうって?
完全にガキの発想なのに、下手に金持ってて、周りの大人を巻き込んでくるのがマジでタチが悪ィな。
完全に頭に来て、それから、社会ってやつをナメてるこいつのおめでたい頭に冷や水をかけて目を醒させてやるのも、兄としての勤めなんじゃねぇかと思えてきた。
だが、この場で「馬鹿にするんじゃねぇよ」と怒鳴ってみたって、こういうガキは理路整然と反論してくる。
それなら……。
いい考えが浮かんで、俺はニヤッと微笑んだ。
「……いいぜ。ちょうど今日明日は仕事、入れてねぇし。今夜、早速泊まらせてくれるんなら、『お試し』させてもらうよ」
高臣の色白で整った顔立ちが、パァッと明るくなる。
完璧な歯並びを覗かせながら、やつは何度も頭を下げた。
「お兄様、本当に有難うございます。この家を気に入ってもらえるように、僕、頑張りますから」
頑張るのはお前じゃなくて、お手伝いさんだろ。
そもそも、誰も俺のことなんて歓迎してねぇし。
横にいる弁護士先生なんぞ、顔色が真っ青だ。
そりゃそうだろうな。
今まで顔も知らなかったアカの他人のチンピラを、戸籍上の兄だって理由だけで家に招き入れるなんてな。
最初からメチャクチャに反対してて、それをこのガキに押し切られた挙句、最悪の事態になった――心境はそんな所だろう。
そんな野村弁護士に、俺はニヤつきながらわざと、深々と頭を下げてやった。
「ーーじゃあ。世話になりまーす」
[newpage]
その夜に食ったステーキは、今までの人生でどの客が奢ってくれた肉よりも柔らかかった。
しかも、ダイニングはまるでレストランか? ってくらい広く、高窓に暖炉付き、天井からはシャンデリアなんかがぶら下がってやがる。
しかも、白いテーブルクロスが掛けられた長テーブルを囲んでんのは、俺と「弟」だけっていう、おかしな状況だ。
高臣は父親のことやら、生徒会長をやってるらしい自分の学校のことやら、ご立派な友人のことやらを一人で楽しそうに喋ってた。
……それにしてもこいつ、毎晩こんな場所で、一人で飯食ってんのか?
そうなんだろーな、弁護士もサッサと帰っちまったし、近くに住んでるらしい家政婦さんも飯は別らしいし。
そりゃ、こいつの頭もおかしくなるわ。
で、俺はといえば、肉を食ってすぐ胸焼けがして、胃の方がおかしくなった。
ガキの方は同じもん食っても涼しい顔してるのに。
そういや俺、金欠で普段から一日ほぼ一食、しかもろくなもん食ってねぇから、胃がそもそも弱ってんだよな……。
脂汗をかいてる俺に、高臣が大袈裟に心配そうな顔をする。
「お兄様、大丈夫ですか? 具合が悪そうです。お薬、お持ちしましょうか」
「平気だよ。……つか、横になりてぇんだけど」
「分かりました! ご案内しますから、ついてきてください!」
高臣に先導されて長い廊下へ出る。
「こちらです」
案内されたのは、ベッドと一人用ソファ、ご丁寧にミニ冷蔵庫やテレビまでが置かれた、豪勢な客用寝室だった。
完璧にベッドメイクされたシーツを剥がして横になると、女の子みたいな目鼻立ちをした「弟」が眉を下げ、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「本当にごめんなさい。突然こんな場所に呼びつけられて、お疲れになりましたよね。配慮が足りず、たくさんお話ししてしまって、申し訳ありません。生まれて初めて兄弟というものができて、嬉しくて……どうか、ゆっくり休んでくださいね」
柔らかいその表情が、一瞬、美術か何かの授業で見た絵画の天使のカオに見えて、戸惑った。
なんだ、今の。こんな頭おかしいやつだぞ……。
まさかな。
「お水は、そこの小さな冷蔵庫の中にペットボトルが入ってます。僕は隣の自分の部屋で勉強しているので、何かあったらいつでも話しかけてくださいね」
時折後ろ髪を引かれるように振り向きながら、高臣が電気を消して部屋を出ていく。
やっと一人になれて、ホッとすると、いくらか胃の違和感が減った。
そのまんましばらく休んでから、そろりとベッドから降りる。
抜き足、差し足で客間を抜け出し、俺が目指したのは――昼間に案内された、「親父」のコレクションの部屋だった。
狙いは、あそこにある一番の宝らしい、『照魔鏡』とやら。
――あれを盗んで、売っぱらってやるんだ。
幸い俺の仕事用の携帯には、そっちの方面にも詳しそうな客の名前がいくつかある。
警察に通報されたら、「俺が俺んちのモンを売って、何が悪ぃんだ」と居直りゃいい。
何しろ、俺の名前は木原な上に、今日からここに住み始めたってことは、あの弁護士先生も見てるしな。
そうしたら、あのおめでたい弟は、自分の激しい勘違いに気付いて、二度と俺に干渉する気を無くすだろう――。
屋敷の一番奥にあるコレクション部屋の扉は、案の定、鍵が閉まっていたが、想定内だった。
バッテンにして前髪を止めていた二本のヘアピンを抜きとり、ジーンズのポケットからバタフライナイフを出して、片方の先端の玉を削り取る。
一本は針金状にし、もう一本は折り目をつけ、鍵穴にぶちこんで……何十秒か操作して、あっという間に鍵は開いた。
防犯のためなのか、部屋の壁には窓がない。
だが、ちょうどあの照魔鏡の真上に天窓がついていて、青白い月明かりが祭壇をスポットライトのように照らしていた。
あの目立ちようは、まるで盗んでくれって言ってるようなもんだ。
見たところ防犯カメラなんかも無さそうだし、マジでいいカモに見える。
ほくそ笑みながらガラスケースの真ん中を意気揚々と歩き、祭壇の前に立った。
照魔鏡とやらが被っている光沢のある白布を掴み、一気に剥がして床に捨てる。
現れたのは、木製の支えの上に据えられた、まん丸の平べったい鏡だった。
大きさは、直径30センチくらいだろうか。
なんの金属だからわからねぇが、縁を覆う重そうな金属に細かい細工が施されていて、鏡の表面はピカピカに磨かれている。
持ち上げてデコボコした裏面を見ると、恐怖に歪んだようなおどろおどろしい鬼の顔が彫られていた。
……何だこりゃ。
いくら骨董品とはいえ、こんな不気味なもん、本当に欲しがる奴がいるかな。
やっぱ、別のヤツにするか……?
そう思いながら、鏡を表に返すと――そこに、ガラス張りの天窓の月が映った。
まんまるの、小さな満月だ。
その下に俺の顔が映る。
……奇妙なことに気付いた。
鏡の中の俺の髪型だ。
限界まで脱色して、ジャニ系好きにウケる為に、長めの前髪で片目を隠してた――はずなんだが、鏡の中の俺の髪は真っ黒で、月光を艶々と照り返している。
よく見ると、顔も変だ。
全体的に頬がふっくらして、眉も、全然手入れしていないみたいに太い。
ハッキリした奥二重の瞳だけは変わらず、こちらを真っ直ぐに見ている。
耳に空いてるはずのピアス穴もない……。
……これ……まるで、昔の俺……?
――唐突に気付いた。
悪い冗談だ、昔の俺の顔が、鏡に映ってるなんて。
しかも俺が右を向けば鏡の中の少年も右を向く。
「ひいっ……!」
気味が悪くなり、俺は無意識に悲鳴を上げた。
俺は恐怖に引き攣っているのに、鏡の中の少年はニヤッと笑う。
恐怖で震えが止まらない。
鏡を放り出したいのに、手が、指が、鏡に貼り付いたように離れない!
逆に、鏡の中の俺の顔は、鏡から飛び出さんばかりに近づいてくる。
俺は恐怖のあまり目を閉じ、顔を必死に背けた。
信じ難いことに、鏡の中から、冷たい息づかいの音が聞こえ――顔に、ふぅーっとふきかかる。
脳みそまで冷たくなったような感覚がして、俺は必死に叫んだ。
「だっ、誰かっ!! たっ、助けてくれーっ!!」
その途端、部屋のドアがバンと開く音がした。
「お兄様!! どうしました!?」
掠れた少年の声が叫ぶ。
「か、鏡に、化け物が!!」
俺が恐怖に悲鳴を上げながら振り返ると、高臣が血相を変えてこっちに走り寄ってくる所だった。
「お、お兄様、その鏡を覗いたんですね……!?」
俺は声を出すこともできず、何度も頷いた。
「これっ、手から離れない……っ」
「大丈夫です、落ち着いて! 震えて指の力が抜けなくなってるだけです。さあ、鏡をこっちに」
俺は、鏡を見るのが嫌すぎて、顔を背けたまま、鏡面を高臣に向けるようにして差し出した。
上から降り注ぐ月光が鏡に跳ね返り、高臣を照らす。
「ああ……!!」
一瞬、高臣の悲鳴が聞こえて、その瞬間、俺は鏡を指から落としてしまった。
割れる!
……と思ったが、高臣が鏡に飛びつくように両手を伸ばし、キャッチする。
ホッとしたのも束の間――何かがおかしいことに気付いて、ギョッとした。
床に倒れ込んだ高臣の背中が、一回り大きくなった――ように見える。
気のせいかと思って目を擦って二度見したが、高臣の身体はやっぱり大きくなっていて、さっきまでかなりゆったりしたサイズに見えていたスウェットの部屋着が、パンパンになって腰の素肌が見えていた。
「お、おい……大丈夫か……」
思わず尋ねると、高臣が苦しそうに息を吐きながら顔を上げた。
男らしいしっかりした鼻筋に、繊細な睫毛に縁取られた平行二重の目、少し薄い唇、男らしく締まった感じのする頬――どう見てもそれは二十代後半のものすごいイケメンで、俺は目が点になった。
「お、おい、た、た、たた」
「お兄様、僕は大丈夫です。……これで、2回目ですから……まずいことになったな」
額に垂れ落ちた長めの前髪を掻き上げながら、高臣が立ち上がる。
その背の高さに、無茶苦茶にビビった。
いやいや、巨人か!?
二メートルは超えてるんじゃ……そう思ってから、ハッとした。
いや、違う……俺、縮んでないか……!?
悪い予感でいっぱいになる俺に、照魔鏡が手渡される。
「ひっ……!」
その中で恐怖に顔を歪めていたのは、明らかに、十五、六ぐらいの、黒髪の……俺だった。
そういや、ズボンも、Tシャツも、妙にブッカブカで脱げそうなくらいだ――。
「ななな、なっ。何で俺、若返ってんの!?」
「落ち着いてください、お兄様。ちゃんと元に戻れますから……!」
鏡を持ったままパニックになる俺を、奇妙なほど落ち着いている高臣が宥めてくる。
「お前っ、なんか知ってるのかよ……!?」
「いえ、僕も、詳しくは……ですが、この鏡……僕、前にも一度だけ、夜にこの鏡を覗き込んで、こんな風に身体が急に成長したことがあったんです」
彫りの深い顔立ちに影を落としながら、高臣は静かに、俺の手から鏡を取り返した。
「後で調べた古い記録によると、これが起こるのは、満月の夜に、月と一緒に自分の姿をこの鏡に映した時だけです。元に戻るには、もう一度同じことをすれば……前は、それで、その晩の内に元に戻れました」
「じゃあっ、さっさとそれをやらせろよ……!」
俺は半狂乱になって、高臣の手から鏡を奪おうとした。
「待って……! 上を見てください」
「何だよ……!?」
言われて顔を上げると、天窓の上の空にいつのまにか暗く厚い雲が垂れ込め、月を覆い隠している。
「ああ……っ」
俺は頭を抱え、その場にへたりこんだ。
「ああもうっ、何なんだ、その鏡……っ、何が起こってんだよ。完全に何かの罠じゃねぇかよぉ……っ」
高臣がしゃがんで、俺の肩にそっと手を置く。
デカくて、骨ばってる大人の男の手だ――。
「この鏡には、不思議な力が宿ってるんです。……これは僕の推測ですが、恐らく、この鏡は魔物だけでなく、人間の正体をも映すんじゃないかと」
「正体……?」
「人間の場合は、本性……というか、精神と同じ姿というか……。そして、満月の夜、この鏡の不思議な力が強まってる時にこの鏡を覗いてしまうと、その人間が、『正体』を暴かれてしまうんじゃないかと……」
「はぁ……? 何言ってんのかわかんねーよ!! どうすりゃいいんだっ、こんなの……!!」
「大丈夫です、落ち着いて。もう一度雲が晴れるのを待ちましょう」
高臣の声はあくまで冷静だ。
こいつ、俺が勝手に鍵開けてここに入ったの、分かってるよな……なんでこんな、落ち着いてんだ。
まさか。
俺はピシャリと高臣の手を跳ね除け、相手を睨みつけた。
「お前、分かってたのか……俺が、ここにきて、こうなること……!?」
「そんな訳ありません! 僕は、お兄様の声が聞こえてここに来たんですから。まさかこんなことになるなんて……信じてもらえなかったとしても、ちゃんと言っておくべきでした。申し訳ありません……」
本当に済まなそうに、高臣が綺麗な眉を寄せて頭を深く下げる。
その伏せられた彫りの深い瞼の美しい影に、ドキリと心臓が跳ねた。
ああ、クソ……こいつ……いや、こいつの正体……いや、精神年齢か?
俺よりも年上ってのがものすごくムカつくけど、もっと嫌なのは、大人のこいつが、無駄に俺の好みの顔してやがる所だ。
しかも、俺はガキに戻っちまったってのに、こいつは……。
俺が中身こいつよりもガキってことかよ!?
めちゃくちゃにムカつく……!
「ほんっとだよ、知ってたんなら言えよ、こんな妙なことになる前に!」
俺は盗みに入ったのも棚に上げ、イライラと言い放った。
「申し訳ありません……」
大きな身体を縮めるように、高臣がもう一度謝る。
俺がぷいと横を向くと、彼はズボンのポケットに入っていたらしいスマホを取り出し、点灯させた。
「なにしてんだ、こんなときに!」
「……この近辺の天気を調べようと思って。いつ雲が晴れそうか」
「そうかよ……んで、いつ元に戻れるんだ」
「……困りました……。今夜はもう、晴れないみたいです……前はすぐに元に戻れたのに……どうしよう」
「はあ!? じゃあ、俺たち、朝までこのままってこと……!?」
「いえ、正確には、次の満月の29.5日後まで元に戻れません」
思わず、ヒッと息を呑んだ。
こんなナリじゃ、仕事が入っても行けねぇし、アパートに帰っても……リョウがいたら、入れてもらえねぇじゃん。
「ずっとここにいるしかないってことかよ!?」
「いえ、それは多分無理です。住み込みのお手伝いさんがいるので、彼女が出勤してきたら不審人物として通報される可能性が……というかそれ以前にこの部屋、人感センサーが付いてて、夜中に人の出入りを感じると、警備会社の人が来ちゃうんです。多分もうすぐ来ます」
「っんな!? 逃げなきゃヤバいじゃねぇか……!」
「……ですね。警備会社に誤作動だと連絡すれば最終的には帰ってもらえると思いますが、現に不審人物が二人ここにいると流石に騒ぎに」
「流石にじゃねえよ! 俺はもう行くからな!」
俺が猛然と立ち上がると、高臣も慌てて立った。
「ま、待ってください! 僕も一緒に出ます、見つかりにくい出口を案内しますから……荷物を取ってくるので待っててください!」
「さっさとしろよ! パクられるなんてごめんだぞ!」
大事な鏡を布に包んで抱え、一緒に部屋を出ると、既に家の塀の外が騒がしくなっている。
真っ青になりながら廊下で待っていたが、なかなか高臣が帰ってこない。
「おい! ちんたらしてんじゃねぇぞ!!」
痺れを切らして高臣の部屋のドアをバンと開けると、きちんと身体に合った大人の服――というか、ポロシャツにチノパンっていう、日曜のサラリーマンみたいな服を着て、リュックを背負った高臣が現れた。
「父の服を借りました。お兄様の服も、僕のものですが、用意してあります。それから、靴も……外に出たら人目につかない所で着替えてください」
「ちっ、わかったよっ。出口、案内しろ!」
「はい! あっ、スマホも電源切って置いていかないと……GPSで居場所を探られると面倒なことに」
「何でもいいからさっさとしろ!」
「ええ、こっちへ!」
よく知ってる屋敷内を大股で先導する高臣に、コンパスが短くなっちまった俺もどうにかついてゆく。
半地下に行く階段を降りて、そこに造られた駐車場に入って――死んだ親父のコレクションらしい、ピッカピカの外車が並んでんのに、目ん玉飛び出しそうになった。
クソッ、俺に免許取る金がありゃあ、こっち盗んだ方がカネになったのによ。
そしてもちろん高臣だって運転なんか出来るわけねぇ。
俺は駐車場で貰った服に着替え、微妙にでかい高臣の靴を履いた。
さすがおぼっちゃまだけあって、シャツはシルク混だし、黒いスラックスもシワひとつない。
車の出入り用シャッターの脇にある勝手口からコッソリと外に出ると、路地の向こうにはもう、警備会社の車両のケツが見えていた。
「今のうちです。電車に乗って、早くここを離れましょう」
「あ、ああ……」
高臣と並び、人っ子一人通らねぇ真っ暗な住宅街の道を、駅の方へとひた走る。
終電間際の地下鉄の駅の構内に飛び込んで、ひと息ついていると、高臣は駅前のATMで金をおろし始めた。
「一ヶ月暮らせるくらいの現金はここで下ろしておかないと……あとは切符を買うので待っててくださいね」
「ICカード、持ってねぇのかよ」
「持ってますが、使うと行動履歴がバレるので、万が一捜索された時にお兄様が誘拐を疑われます」
な、なるほどな……。
納得して俺も隣で切符を買った。
並んで改札に向かおうとすると、高臣が無言でじっと俺の方を見てくる。
「何だよ!?」
睨みつけると、イケメンオーラ全開で高臣が微笑んだ。
「――なんていうか、明るい所で見ると、今のお兄様は、凄く可愛いらしいですね……?」
クッソ、この事態なのに馬鹿にしてんのか!?
頭お花畑なのかよ。
「うるせぇ! てか、お兄様はやめろ。変な目で見られるだろうが!」
「でも、とっても美少年です」
「何気持ち悪いこと言ってやがんだよ。俺はもう、お前のことなんて知らねぇからな!」
家に無事に帰れるかどうかしらねぇけど、この「弟」とこれ以上関わるのはもう真っ平だ。
「すみません。でも、29日後に鏡を覗かなきゃならないのは僕たち二人ともなんですが……」
「それまで一緒にいなきゃなんねぇ理由なんか――」
言いかけて、ハッとした。
待てよ。
帰るところがねぇっつう意味では、俺もこいつも同じなんだよな。
だって今、俺とこいつは、この世のどこにもいないはずの人間になってるんだから。
てことはだ、ここ一ヶ月の間、木原高臣って人間は正真正銘の「行方不明」ってことになるよな。
そんで、その状態がずっと続いたら……?
あの高級車も、お屋敷も、コレクションも、何もかも、全部――誰のものになる?
もし、こいつが行方不明のまま消えて、俺だけが元に戻れば……。
母親が夢見たみたいに、使いきれない金で一生遊んで暮らせるじゃん……。
とてつもなく黒い、悪魔の誘惑。
そんな闇に取り憑かれて、俺はくるりと振り返って高臣を見つめた。
こいつ……この姿のまんま、どこかでこっそり、殺しちまえばいいんじゃねぇか……?
死体が見つかっても、どこの誰だか誰にも分からない……こんな、好都合なことあるか……?
でも、俺は今子供だ。
こいつを殺してどうにかするには余りにも非力で……。
そうだ、リョウ……。
リョウに事情説明してなんとか分かって貰えば、殺すのも、死体の始末も、喜んで手伝ってくれんじゃねぇか?
あいつは俺以上のクズだし、使いきれねぇほどの金のためなら、犯罪でも何でもするだろう。
今の高臣は結構体格がいいが、油断させて、寝込みを襲うとかすれば……。
俺はもしかすると、照魔鏡とやらで、体の中の悪魔を暴き出されちまったのかもしれない。
だって。
世の中結局、金が全てだろ。
俺は身体も魂も、全部切り売りしてやっと生きてきた。
そうやって稼いだ金もみんな他人に搾取されて、いい思いなんかひとつもしたことがねぇよ。
そんな、どう考えてもお先真っ暗な俺の人生を変える、この世でたった一つのチャンスが転がり込んできたんだぜ。
このチャンスを手に入れるためなら……人殺しの一人や二人――今更なんじゃねぇのか……。
考えを巡らせてから、俺は高臣に声を掛けた。
「――しかたねぇなぁ、お前も俺のアパートに来い。同居人がいて狭いけど、我慢すんなら一ヶ月、面倒見てやるよ」
「お兄様のアパートに!? ありがとうございます、ぜひお邪魔します!」
高臣は俺の思惑も知らず、胸の前で手を合わせてキラキラと大きな瞳を輝かせた。
ズキンと謎の痛みが胸に走る。
何だよ。
……こんな奴、本当の弟でも何でもねぇ、どうでもいい他人……ただの、金背負ってわざわざやってきたカモだろうが。
「お兄様……?」
「だからそれはやめろ……。行くぞ」
俺は高臣の視線に背を向け、改札に先に入っていった。
[newpage]
――汚ねぇ繁華街から一本入った狭い裏路地にある、風呂なし築四十年のアパートは、流石に「弟」にはカルチャーショックだったらしい。
真夜中なのに明かりもなく、今にも崩れ落ちそうな様子の俺の自宅を見て、高臣は質問責めしてきた。
「せ、洗濯機がドアの外に放置されて……何でですか!?」
「世間知らずかよ……古いアパートはそういうこともあんだよ。ちなみにそいつは壊れてるから、近くのランドリーでしか洗濯出来ねぇぞ」
「そもそも、ベランダも庭もないのに、みなさんどこに服を干してらっしゃるんでしょう」
「窓の外に吊るす以外ねぇだろうが。物干しがついてんだろ」
「なるほど!?」
しょうもないことで感心してる高臣の前で、一階の俺の部屋のドアノブを捻る。
鍵はかかっておらず、易々とドアが開いたが、中はシンとしていた。
「なんだ、リョウ、いねぇのか……」
面倒臭ぇことになったなと思った。
俺が外から帰ってくる状況なら、「どちら様ですか」から始めて外に連れ出し、今までの経緯も話せるけど、俺ら二人がいて、アッチが帰ってくる状況となると、ややこしくなる。
しかし、外で延々と待つ訳にもいかねぇしな。
「入れよ」
俺のと、リョウの持ち込んだ靴がワンサカ散乱した、足の踏み場もない玄関に高臣を招き入れた。
「お邪魔いたします」
馬鹿丁寧に頭を下げて、高臣は一旦外で靴を脱ぎ、そのまんまそこに置いて、他の靴を踏まないようにソロソロとつま先立ちで中に入ってきた。
音を立てないようにドアを静かに閉めると、高臣は目を丸くした。
食べカスに小蝿の湧いた台所、敷きっぱなしの布団。
カップラーメンのゴミだらけのゴミ袋。
隅に出しっぱなしのコタツが、湿っぽい部屋の面積の殆どを締めている。
「……まあ、座れよ。荷物は適当に置いとけ」
俺は高臣に、いつもリョウが座ってるコタツの壁側の定位置を指差した。
コタツ机の上も、半分がタバコやら空き缶やら、テレビのリモコンやらで溢れかえってて、布団の上はリョウの、脱いだやつなのか洗濯したやつなのかさっぱり分からん服が散らかってるし、いつもに増して酷い有様だ。
アイツだらしねぇから、俺が1日いねぇだけでかなり家が荒れるんだよな。
子供かっての……。
一応冷蔵庫からペットボトルの麦茶を出し、コップを二つ、狭いシンクで無理やり洗って、二人分の茶を注いだ。
「ご友人がお留守の時に上がり込んでしまって、申し訳ないです」
グラスを置くと、高臣が済まなそうに頭を下げる。
俺は向かいの定位置に座り、自分のグラスに口を付けながら首を振った。
「別に。リョウは、ご友人なんて大したもんじゃねぇよ。お前も知ってんだろ。元カレだよ、元カレ」
「……。お兄様は、ゲイの方だったんですね。打ち明けてくださって有難うございます」
飲みかけた茶を盛大に吹きそうになった。
「お前、俺のことあの弁護士に調べさせたんだろ。知らなかったのかよ?」
「ええ、お兄様の性的嗜好までは……」
ニコニコ笑って高臣が頷く。
しかし、よく考えりゃ当たり前のことだった。
弁護士が俺の個人情報を調べて知ってたとして、未成年の中学生に、あなたのお兄さんはウリセンの元AV男優のゲイですよ、なんて正直に伝えるわけがねぇよな。
こいつが俺なんかに夢見ちまったのも、その辺に遠因があるのかもしれない。
あの弁護士センセイにいろんな意味で同情するわ。
さて、リョウはいねぇし、俺の計画はどうしたもんだか……。
後ろに寝転がり、つまらねぇスマホゲームの日課をやりながらボンヤリしていると、いつのまにかキッチンのミニ冷蔵庫を高臣が漁っていた。
「お兄様、この中、お茶の他はお酒ばかりで食材が何もないようなんですが、朝ごはん、どうしましょうか」
俺は起きるのも面倒で、手を上げてヒラヒラさせた。
「うちは朝ごはんなんてもんは食わねぇんだよ。食べたきゃ自分でどうにかしろ」
「そうなんですか……」
何だよ、もうそんな腹減ってんのか?
ガキはこれだから嫌だ。
うんざりしてスマホを持った手をコタツ布団の上に投げ出す。
コタツ机の向こう側では、高臣がいそいそと台所を片付け始めた。
自分は寝てるのに誰かが台所に立ってるなんて、母親ととここに住んでいた時以来だ。
溜め息をつきながら横を向くと、捨てるタイミングを失ったゴミ袋や、散乱した洋服が目についた。
金が手に入ったら、こんな狭苦しくて最悪なアパート、すぐに出てやる。
マレーシアに行って、芸能人みたいな広い家で暮らすんだ……。
「マレーシア」「豪邸」なんかでスマホを検索してるうちに、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
そしてその夜は、久々に母親の夢を見た。
滅多に料理なんてしなかったくせに、慣れねぇ台所に立って、何か一生懸命に作ってる。
そういや、小学生の時、たまに遠足なんかある日には、無理して早起きして、弁当作ってくれたっけな。
ところどころ真っ黒に焦げた卵焼きと、焼いただけのウインナーと、ノリ弁……。
ガキだったから、そんなんでも無性に嬉しかった。
「母ちゃん、なぁ」
話しかけようとして、自分の声で目が覚めた。
年中閉めっぱなしの遮光カーテンの奥から、チラチラ入ってくる光。
換気の悪い部屋の中に漂う、味噌と、炊いた米の匂い。
「は……?」
何事かと思って起き上がる。
時計は11時を指していた。
そいつはいつもの俺の生活ペースだから、別にいいとしてもだ。
周りを見ると、すっかりゴミが片付けられていて、出しっぱなしだった布団も、ついでに俺が寝てたこたつのコタツ布団も消えて、代わりにタオルケットが掛けられている。
「あれ……俺の布団は……? なんか、色々無くなってる……?」
「敷布団は干して、掛け布団は近くのクリーニングに出しました。ゴミは、今日、燃える日の収集日だったみたいなので、まとめて出してあります。ごめんなさい、つい、勝手に色々触ってしまって……お兄様、よく寝ていらしたので」
言われて周囲を見回すと、ゴミ溜めみたいだった部屋が何となく、スッキリして見える。
台所も片付いてるし、洋服もビシッと畳んでひとまとめにされていた。
目の前にいる、タレント並みの爽やかさを纏った男を見上げる。
こいつ、寝ないで片付けてたのか……?
「朝ごはん、簡単ですけど作ってあります。味噌汁もあっためますね」
言われて、裸になったこたつ机の上を見ると、おにぎりと出汁巻き卵が皿の上に二つ鎮座していた。
「お前が作ったのか……?」
「はい。昨日の夕飯も実は僕が」
「マジかよ……」
「母も病弱でしたし、家政婦の三井さんはだいぶご年配なので、僕も小学生の頃からなるべく家のことをするようにしてて……掃除は流石に広すぎて無理ですが」
三井さんというのはあの、俺に茶を出してくれた通いの婆さんのことだろう。
「さよか……つうか、買い物……金は?」
「昨晩、ひと月暮らせるぐらいのお金は下ろしましたから、心配ありません」
確かにまあ、そうだったな。
ひと月暮らせるだけの預金があるとか、おぼっちゃまってのは、余裕がある人種でいいこった。
「あ、それから――」
高臣が湯気の出る味噌汁の入った椀を俺の前に置きながら、思いついたように顔を上げた。
「あの、こちらのお家、お風呂がないみたいなんですけど……」
◇ ◇ ◇
――何の因果で、にわかに現れた「弟」と、裸の付き合いなんかするハメに?
風呂なしアパートの宿命だから仕方ねぇんだけどさ。
俺もいい加減、風呂行きたかったし。
それにしたって、殺そうかと思ってる相手と、うっかり一緒に行く場所じゃねぇ。
心の中で悪態つきながら、俺は仕方なく、高臣に馴染みの銭湯を案内した。
替えの下着やらは途中のコンビニで買わせて、銭湯の看板が見え始めた時から、高臣はすごいテンションになりやがった。
まるで初めて散歩に連れ出した犬かっていう勢い。
いや、犬なんか飼ったことねぇけど……多分想像するにこんな感じだよ。
「僕、銭湯って初めてなんです。楽しみだなぁ!」
「何か知っておいた方がいいマナーがあったら、是非教えてください!」
「ここに靴、入れるんですね! 鍵はどうしたらいいですか!?」
図体はデカいのに、会話が小中学生のガキそのまんまで、目立つったらない。
「おい、はしゃぐな。恥ずかしいだろうが」
「はい、気をつけます!」
ニコニコスマイルで返しやがって、全く反省してねぇー。
番台のオヤジにも愛想を振り撒いて、俺は思わず他人のフリをした。
いや、もともと他人だけどよ……。
せめて離れたロッカーを使おうとしたら、これまた犬みたいに後ろから「お兄様、お兄様」と付いてくるもんだから、それもできねぇ。
しかも今の俺は、身長160センチあるかないかの、どっからどう見ても中学生のガキ。
番台のおっちゃんからの視線が痛すぎる。
「お兄様、ほとんど誰もいませんね!」
「平日の昼間だから当たり前だろが。あっちこっち見てないでさっさと脱げ。ロッカーの鍵、忘れんなよ」
イヤイヤ世話を焼いてやりながら服を脱いだら、自分の体の痩せっぽちで貧弱な様に驚いた。
まあ、大人になった俺だってそう変わらねぇが……。
あと、ゲイビデビューする前に全身脱毛したはずの毛が、生えてる……。
元々そんな濃い方じゃねぇけど、ショボショボした毛が半端に生えてるのは、どうにも情けなさが際立った。
それに引き換え高臣は、明らかに180センチ超えの長身に、SNSに裸の写真でも乗っけたら、ひと月でゲイのフォロワーが数千付きそうなすげぇいい身体してやがる。
なんかしら陸上系のスポーツやってる感じで、肩幅がガッシリして、上半身も下半身もバランスよく筋肉がついてる、みたいな。
そこに整った顔立ちも加わって、映画に出てくる美形のアクション俳優みたいにオーラがあった。
しかも、下着を脱いだ時のイチモツは、ゲイビに出てた俺でも滅多に見かけない、日本人離れしたサイズ。
ゴクンと生唾を呑んでから、ハッとした。
くそ、頭おかしくなったのか、俺は。
好みの顔の上に好みの体くっつけてるからって、何を血迷ってんだ。
こいつは中身はウザいガキの上に、これから一ヶ月以内に殺ろうって相手だぞ。
なのに、清潔感の中に妙な色気のある切長の目がこっちを見て、少し厚めの男らしい唇がとろけるような微笑みを浮かべると……無性に、胸が苦しくなる。
苦しくなるだけならともかく、下半身の方も――。
何しろこっちはいきなりヤリたい盛りの10代に戻らされてる訳で、本人の意思とか全く関係なくアッチが反応するからな。
「先に行くからな!?」
タオルで半勃ちを隠して、さっと洗い場に出ていく。
そのまんま一番端っこの洗い場で髪でも洗って、一人静かにおさまるのを待ってたかったのに、高臣の方はそんな俺のシモの事情なんて、お構いなしに真横を陣取ってくる。
いや、どこもかしこも空いてんのに何で隣!?
悶絶して頭を抱えてると、備え付けのボディーソープをタオルに取りながら、高臣は鏡越しに楽しそうに微笑みかけてきた。
「お兄様と、ネットでしか知らなかった銭湯に来られて、本当に楽しいです。連れてきてくださって有難うございます!」
……クッソ。事故物件でも何でもいいから、風呂ありのアパートに引っ越しておくべきだった……!
――そんな後悔が先に立つはずもなく。
下半身をなんとか静かにさせて、熱々の風呂に入った後も、高臣のはしゃぎっぷりは凄かった。
イチゴ牛乳とコーヒー牛乳しか売ってない自販機やら、壊れかけのマッサージ機やら、湯上がりの扇風機やらに、いちいち感動しては、お兄様、お兄様! と話しかけてくる。
場末の商店街を通る帰り道を、俺はゲンナリ、高臣はスキップしそうな感じで歩いていると、相手は俺の隣にピッタリくっついてきて、いかにも親しげに聞いてきた。
「お兄様、お昼ご飯何にしましょうかね」
「いや、俺はさっきが朝飯だったし……」
「じゃあ、素麺でも茹でましょうか?」
「好きにしろ……」
もう、何か言う気力もない。
高臣はタオルを肩にかけたまんま、破顔して頷くと、スーパーに足を向けた。
あれもこれもと両手いっぱいの買い物袋を持った高臣と家に帰って、改めて家の変わりっぷりにビックリした。
なんか、片付けられすぎてて俺の家じゃねぇ……。
帰るなり疲れて倒れた俺の横で、高臣はいつの間にやら買ったエプロンを身につけ、鼻歌混じりに素麺を茹で始めた。
俺なんか、身体が変わって、こいつがそばにいるだけでウンザリするほど疲れてんのに、こいつと来たら、まるで前からここに住んでたのかってほどの馴染みっぷり……。
これが心の若さってやつか……。
ついていけないオッサンの俺は、居眠りの後に肩をゆすられ、起こされた。
ボンヤリしたまんま辛うじてコタツ机の前に座ると、目の前に、母親が死んでから一度も使ってなかった貰いもんの大きな琉球ガラスの器が鎮座していた。
中にはちゃんと氷の入った、絹糸みたいに真っ白な細い素麺が入ってる。
いや、それだけじゃねぇ……細く切ったきゅうりと、カニカマと、なんか黄色いやつ……卵……? まで添えて。
それを見つめたまんま、俺は動けなくなった。
最後に母親が珍しく俺に作ってくれた昼飯が、素麺だったことを思い出したからだ。
水道水で冷やしただけ、何にも具なんかねぇ、ぬるくてまずい素麺。
『響、ほら、ソーメン。おかわりはないから、早いもん勝ちだよ』
母親の笑顔を思い出して、なんとも言えない、胸が詰まったような感覚に襲われる。
……それは心の中に、勝手に踏み込まれたみたいな不快感だった。
一応、麺つゆの入った、これまた滅多に使わない欠けた器を持ってはみるものの、手がそれ以上動かない。
「お腹が空いてなければ、無理して食べなくても大丈夫ですから。余ったら、僕が全部食べますね」
余計な気を遣われて、俺の口から思わず、ぼろっと本音が出た。
「……家、勝手に片付けたり、飯作ったり、……朝から、何なんだ? ひとんちで好き勝手しすぎだろうがよ……」
すると、高臣は一瞬ビックリした顔をして、すぐに首を横に振った。
「お世話になるので、当然のことと思って……。お兄様の気に触ったなら、申し訳ありません」
深く頭を下げられて、ハッとした。
いけねぇ……殺る時までは、こいつとはうまくやんねぇと。
「別に、そういう訳じゃ……。ちょっとびっくりしただけだ……」
俺が言い訳すると、にこーっと笑って高臣が顔を上げる。
「……素麺、お嫌いですか」
「別に。食うよ……残したら勿体ねぇし」
素麺に箸を伸ばしながら、密かに舌打ちした。
こいつ、低姿勢なくせに、すげぇ自分のペースに人を巻き込んでくんな……。
客にも、知り合いにもいねぇタイプの人間だ。
嫌な予感しかしねぇ……。
俺が無言で器を片手にズルズルやり始めると、高臣も背筋をシャンと正して正座し、綺麗な箸使いで行儀良く素麺をすする。
「……夕飯はお魚にしますね」
おい……長年連れ添った奥さんみたいに唐突に話しかけてくるんじゃねぇよ……。
「……俺、魚嫌い」
せめてもの抵抗をすると、高臣は手を止めて聞いてきた。
「どうしてですか?」
「……。箸がうまく持てねぇから、骨がよけられなくて喉に刺さる……」
手元をマジマジと覗き込まれて、サッと手を引っ込めた。
やっちまった。大人の癖に未だに箸が持てないなんて、バカにしてくるかもしれないのに……うっかり本当のことを言っちまったじゃねえか。
だが、高臣は何てことないって感じで、ニッコリ頷いてきた。
「分かりました。それなら、メカジキにしましょう」
「なんだ、それ……魚の名前か? ゲテモノは食わねぇぞ」
釘を刺すと、高臣は穏やかに首を振った。
「大丈夫です。美味しいですよ」
その笑顔に、俺は何だか、毒気を抜かれてしまった……。
――あーあ。こいつ、マジで変なやつだ。
会ったこともねぇ大人に変なお兄様ごっこを押し付けてきたり、人んちで好き勝手に家事やったり……俺のことも最初から、今も、全く警戒してねぇしよ。
殺そうとしてんだぞ、こっちは。
まあ、警戒0の方が殺りやすいか。
……それにしてもだ。
殺した場合、やっぱ、死体を始末に困るよな。
この家、風呂場はねぇし……。
例えば、俺がここで包丁持ってこいつを刺す……なんてことができたとしてもだ。
死体の始末はすぐにどうにかする必要がある。
今の俺の力じゃ、こいつの身体を運び出してどっかに捨てるなんてことも出来ない。
どうしたってリョウの助けがいる。
リョウは金がなくなりゃ、絶対ここに戻ってくる。
それまでは、ダルいけど……こいつに付き合って、兄弟ゴッコをするしかねぇな……。
[newpage]
おかしな鏡のせいで訳のわからないことになってから、もう一週間が経った。
あの鏡は、うっかり割っちまわないよう、そんでもって盗まれたりもしないように、押し入れの中に厳重にしまってある。
一方で、高臣はネットカフェから自分のメールアカウントを操作し、お手伝いさんには有給を取らせ、後見人の弁護士にはまるで家にいるかのように装ったメールで安心させて、自分の不在をうまいことごまかしていた。
学校宛には、一ヶ月、私費で短期留学に出たことにして、まんまと円満欠席をもぎ取ったらしい。
父親の死で天涯孤独になったので、傷心を慰めるために少し環境を変えたい……とかなんとか同情を買い、突然の嘘をそれらしく演出して教師どもを丸め込んだって言うんだから、恐ろしいガキだ。
もちろん、自宅の警備会社にも連絡して、あの夜のことが警察沙汰になるのは早々にストップさせて、俺も晴れてお咎めなし。
全く――殺される本人が着々と完全犯罪の手伝いをしてくれるなんて、有り難いの極みだぜ。
何もかも準備は整ったってのに、殺人を手伝わせるはずの肝心のリョウは未だ帰ってこねぇ。
思い余って電話したら、料金不払いでとっくに解約されてやがった。
スマホ代なんか、今時食うや食わずの奴でも払ってるヤツだろーが、全く。
俺一人でヤる勇気は流石にねぇ……。
よりにもよって一番肉が腐りやすい季節だしな。
こうなりゃ知り合いのヤクザでも頼るか?
下手すりゃあ俺が殺されそうだな……。
クソッ、時間限られてるってのに、どうすりゃいいんだ――。
苛立つ俺の焦りをよそに、アパートは、高臣によって当初の面影がないほどに改造され尽くされていた。
DIYで作られた棚に整然と並べられた食器。
調理器具も元々、鍋とフライパンくらいしか無かったのに、今はナントカクッキングのスタジオかと思うくらいの充実ぶりだ。
押入れに収まりきらない服はハンガーラックに行儀よく並び、床は相変わらず擦り切れた畳だが、毎日掃除機がかかっている。
今度、新しい畳か、今風のフローリングに貼り替える交渉を、高臣が勝手に大家としているらしい。
突然現れ、俺の家賃滞納分をネット送金で全部払ってくれたハンサムな「兄」に、大家のババアも一発でいかれちまったって訳だ。
二つ返事でOKの返事が来たとか……二十年以上ここに住んでるが、俺なんぞ、顔合わすたんびに睨まれてたのにな。
……結局、金が全てかよ。
金があるから、大家のババアもヘコヘコする。
金のある環境で育ったから、自信満々で、誰とでも物怖じせずに交渉できる。
てことは、俺だって、母親がバカじゃなけりゃあ、金持ちの家でこいつみたいに育ってたはずだ。
金さえあれば……。
高臣を誰にも知られないまま消しちまえば――俺だってこの先、人生やり直せるはずなんだ。
それなのに何でか、サッパリうまくいかねぇ……。
「お兄様、今日の夕飯のハンバーグ、どうでしたか?」
「あー……悪くねぇんじゃねぇ……」
生返事した俺の前には、壊れてたヤツのかわりに買い替えられた、不釣り合いにデカいテレビ。
画面には、これまた高臣に買わせた最新の据え置きゲーム機で格闘ゲームが映っている。
何しろ、ウリの仕事は出来ねぇし、パチンコ屋も出入り禁止だし。
で、仕方なく、まるで夏休みの小学生みてぇな感じで一日中、ゲームばっかやってるのだった。
最近は高臣もやり始めて、殺すはずの相手とゲームで対戦……一体、何やってんだ。
「クソ……アチィなぁ……ビール呑みてぇ」
「だめですよ。お兄様の体はいま、子供なんですから」
ピシャリと言われて、俺は高臣を睨みつけた。
「どうせ元に戻ったら大人なんだし、関係ねーだろ!?」
「でも、今は身体に毒ですから」
クソッ。
こいつ、従順そうな顔して、すげぇ頑固な野郎だ。
それにしても、こんな建前みたいなこと堂々と言ってくるやつ、大人でも俺の周りに居ただろうか――。
「あっ」
いけねぇ、操作をミスった。
「やった! 初めてお兄様に勝てましたね! 僕、すごく上達したと思いませんか? やったことなかったのに」
「たまたまだろ」
「次も負けませんよ」
……あーあ。
なにもかもうまくいかねぇのは、俺の人生、よくあることだけどな……。
不貞腐れながらゲームの続きをしていると、ガラガラと音の濁る、玄関の壊れかけインターホンが鳴った。
「お兄様、どなたか来ましたよ。僕、出ますね」
「待て。出るな」
高臣を制止して、玄関の方へ行く。
リョウはわざわざインターホンを鳴らす、なんてことはせずにいきなり入ってくるはずだ。
となると……今ここに来るのは、闇金の取り立てか、警察の二択……。
電気メーター覗かれると、誤魔化しも効かねぇし、参ったな……。
とかナントカ考えてるうちに、外からガラの悪い声が聞こえてきた。
「おーい。中にいんのは分かってんだぞ。居留守使ってねぇで、さっさと出てこいや!」
……いつも取り立ての電話かけてきやがる、顔馴染みのチンピラだ。
俺がスマホ切っちまってる上、職場にも現れねぇから、痺れを切らしてきたんだろう。
こうなると、俺から金を搾り取るまで、ドアの前で大騒ぎだ。
だが、最近の俺には稼ぎなんてねぇ。
借金のことが高臣に知られて、妙なことになるのも面倒だし……クソクソ、何でいつも俺はこうも八方塞がりなんだ!?
「お兄様、警察を呼びましょうか」
不審に思った高臣が立ち上がりかけたが、俺は首を振った。
「余計なことすんな! 俺の問題だから、俺が何とかする。ほっとけ」
そう言い捨てて、取り敢えず玄関に出る。
扉を開くと、肩まで伸びた赤茶けた長髪に安物の派手な開襟シャツを着た、いかにも下っ端のチンピラが、並びの悪い歯を見せて笑った。
「なんだ、いんじゃん……て、なんだ、ガキンチョか。てめぇ誰だよ。木原はどこだ」
「今はいねーんだよ。後できっちり全額耳揃えて返してやるけど、今は無理だ。諦めて帰れ」
「はぁ~? ガキの使いなんか残しやがって、ふざけんなよ! てめえ、弟か?」
てめぇこそオツカイのチンピラで、いい勝負だと思うが――相手は俺から回収したアガリの何割かが懐に入るもんだから、そう易々とは帰っちゃくれない。
「ちげーよ。あいつに家族なんかいねぇのはお前も知ってんだろうが」
「わかんねぇぞ。木原のお袋さん、モテてたじゃあねぇか? で、てめえの兄貴分は、金も返さずに、電話も電源切りっぱ、店もばっくれっぱなし……ガキ一人にオキャクサマの相手させて、マジで人間のクズだな? ――なあ、弟君はそんな無責任なことはしねぇよなあ。兄貴の居所、おじさんにコッソリ教えてくれよ?」
そこまでチンピラが言いかけた時、俺の後ろに、背の高い男が立ちはだかる気配がした。
「ちょっと待ってください。お兄様を侮辱するようなことをおっしゃられるのは、聞き捨てておけません」
ギョッとして振り向く。
急に玄関先に現れた見知らぬ大人に、チンピラは目を白黒させた。
「はぁ……? オニイサマ? おいおい、今日は一体、何の茶番だ。まさかの弟くん二号かよ……木原の悪知恵かなんかで、俺を煙に巻く為の芝居かなんかしてるつもりなら、てめぇら――」
声音を変えた男に、全く落ち着き払った感じで高臣が口を挟む。
「僕は、木原響の実の弟です。あなたは違法な貸金業者の方ですね?」
おいっ、言うに事欠いてそんなストレートに突っ込む奴がいるか!?
慌てる俺を板挟みに、チンピラは案の定激昂し始めた。
「はぁーーー? てめぇ、何勘違いしてやがる」
チンピラが、細い三白眼を至近距離まで近付け、高臣を睨む。
「あんなぁ。こちとら、業者とか、闇金とかじゃあねぇーんだよ。個人間融資だよ、個人間融資。分かる? 俺の兄貴が、むかぁし、木原の母ちゃんと懇意にしてて、ちょいとカネを貸した、木原はそれを返してる。トーゼンだろうがよ」
「そのような事情が事実だったとしても、こういった取り立ての方法は法律違反のはずです。あなた方のことは弁護士に調べさせて、然るべき法的措置を取らせて頂きます」
毅然とした高臣の言葉――中でも、「弁護士」というワードに、男の顔色がサッと変わった。
「――まだお帰りにならないなら警察に相談させて頂きますが」
一歩も引かない高臣に、チンピラは後退った。
「お前、絶対あの野郎の弟なんかじゃねぇだろ!? クソがっ。また来るからな!」
まるで漫画に出てくる負け犬みたいな台詞を吐いて、慌てて階段を降りていく。
俺が呆気に取られていると、高臣が俺の肩をぐいと掴み、無理やり向き合う形にされた。
「――お兄様。違法業者に借金があったのですね!?」
怒るみたいな真剣な口調と、綺麗な二重の目の鋭い視線に射抜かれて、つい、吐いちまった。
「ま、まあ……200万くらい……? お袋が残して死んじまったヤツ……」
「何故、相続放棄しなかったんです」
「そういうのが通じる相手じゃねぇーんだよ、見てりゃ分かんだろ……!?」
綺麗な眉根に皺を寄せて、高臣がため息をついた。
「野村さんにメールしておきます。彼もお兄様のことを調べた時に知ったはずなのに、どうして教えてくれなかったのか……。もう安心してください、完全に手を切れるようにしておきますから。彼らはもう二度と来ません」
「ちょっ……何余計なこと……お前には関係ねぇだろうが……!!」
カッとして手を振り払おうとしたが、逆に、ギュウっと厚い胸板に抱き締められた。
熱い体温に包まれて、頭が真っ白になる。
耳元で、優しく穏やかな声が低く囁いた。
「――すみません、出過ぎた真似をして。でも、今は僕が大人です。だから……守りたいんです、お兄様を」
胸が火をつけられたように熱くなり、呻き声が漏れそうになった。
何なんだ、何なんだこいつ……!!
俺の中に無理やり入ってくるな。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
こんなことして、俺がお前を、好きになるとでも思うのか。
弟だって認めて、抱きしめ返して、泣きながら感謝するとでも!?
金に困ったことなんか一度もない、何不自由ない人生生きてきて……俺のことなんか、何一つしらねぇ癖に。俺の人生にお前なんか一度も現れたことなかった癖に、何もかもそうやって、したり顔で一瞬で解決して……!
俺の人生は、お前の慈善遊びの玩具じゃねぇんだよ……!!
「離せ、鬱陶しいんだよ!! 善人ヅラで、頼んでもねぇのに、好き勝手余計なことばっかりしやがって!!」
ついにキレて、俺は高臣の胸をドンと突き飛ばした。
勢いでそのまんま、アパートを飛び出す。
殺すまではうまくやるはずだったのに、とか。
チンピラに借金してんのが知られて、恥ずかしい、とか。
俺がいい大人の癖に解決できなかった問題を、急にさらわれて、御坊ちゃまの頭と金の力で握りつぶされて、悔しい、とか。
頭の中がグチャグチャだった。
でも何より、俺のダメージになってたのは……。
――実の母親だって、俺のことをあんなふうに抱き締めたりしたことはなかったってことだ。
いつだって、俺のことなんか鬱陶しそうにそうにして、スマホの画面で誰か他の男とやりとりしてる、キャミソールの丸まった背中の記憶しかない。
リョウだってそうだ。
俺に触ってくるのは、自分が性欲を吐き出したい時だけで……。
死ぬほどムカついてるのに、もう二度と触らせたくないと思ってるのに、力強い腕の感触が、皮膚にこびりついて、いや、俺の内側の肉にまで染み透ってくる。
気がついたら、泣きたくもねぇのにボロボロに涙が出て止まらなかった。
何なんだこれ。
母親が死んだ時も、一滴だって涙なんて、出なかったのに。
俺は、誰かにあんな風にされたかったのか。
本当は大人の庇護が欲しかったってのかよ。
高臣に、そのことに気付かされたことが、死ぬほど悔しかった……。
顔に垂れる水を必死でぬぐいながら、近くの公園まで走った。
空に赤みが差していて、長いこと時間の感覚が無かった俺に、ようやく今が夕方なんだと分かる。
太い木が長い影を落としている他は、砂場とブランコしかない、寂れた場所だ。
そこに入った途端、後ろから大きな声が上がった。
「お兄様!」
ギャッと叫びそうになった。
後ろを振り向くと、汗だくになった高臣がガシガシ公園の入り口の坂を登ってくるところだった。
「っ……!」
あんだけブチ切れたってのに、なんで追いかけてくんだよ、ストーカーか!?
慌てて後ろを向いて顔をガシガシ拭う。
そしたらまた――。
後ろから背中を、ギュッと強く抱き締められた。
最悪だ。
もう駄目だ。
めちゃくちゃ努力して涙止めたのにまた出てくる。
しかも、なんか……伝わってくる体温に、身体が既に馴染み始めてるのがやばい。
「……本当に申し訳ありません。お兄様の気持ちも確かめずに、余計なことを色々してしまって……よく人にも言われるんです、自分の信念で行動しすぎて、周囲が見えてない時があるって」
見えてないどころじゃねぇだろ……!?
なんなんだ、最初から。
一度も会ったことねぇ相手を、お兄様お兄様って。
もはや頭がおかしいだろ、そんなの。
ふざけんなよ、殺してやるつもりだったのに、逆にどんどん俺の方がおかしくなる一方じゃねぇか。
なんか言ってやりたいのに、情けないほどエグエグとすすり上げてしまって、涙声しか出ない。
「てめえの押し売り親切なんかいらねぇよ……」
「これからは気を付けます。……だから、一緒に家に帰ってくださいますか?」
「ヤダ……」
顔を覆って首を振ると、高臣がスッと離れていく。
ビクッと動揺して振り向いたら、彼は二つ並んだブランコの向こう側に座るところだった。
「じゃあ、公園で遊んでから帰りましょうね」
「は、はぁ……!?」
何でそうなる!? と突っ込みかけて、高臣がまだ中学生だったってことを思い出した。
まあ、よくある仲直りの流れかもしれねぇな、小学生ならよ……。
誘いに乗るのはシャクだが、俺に行く宛なんかあるはずもない。
一人じゃカネもねぇし……結局、こいつをヤるまでうまくやるしかねぇんだ。
「あーあ、意味わかんねぇし……!」
悪態をつきつつ仕方なく隣のブランコに腰を下ろそうとしたら、
「あーっ! そこ、座ったら駄目です! 座るところに鳥のフンが付いてるので。そっちは立ち漕ぎ専用です!」
アホみたいな理由で遮られて、俺は空気椅子のまま目を丸くした。
「はぁ!? じゃあなんでお前、鳥のフンがついてない方にチャッカリ座ってんだよ!?」
「僕はこの身長だと立ち漕ぎしたら、頭が支柱にぶつかっちゃうんです!」
悪びれない笑顔で言われて、俺まで気分がすっかり小学生だ。
「おま、俺がチビだって言いてぇのか!?」
「そんなつもりないです! でも、今は僕の方が背が高いから、すみません。ふふふっ」
ひどく子供っぽい笑い声に毒気を抜かれる。
さっきまで、メチャクチャ大人を演じてた癖に、訳がわからねぇ。
……アホなガキみたいな会話をしてるうちに、何もかもどうでも良くなってきて、俺の涙も引っ込んだ。
弱まった太陽光の下で、防災行政無線の放送器から、夕焼け小焼けが流れ出す。
聞き慣れたそれを、殺すはずの「弟」と二人で聞いてることが、不思議で堪らなかった。
ヤケになって、ブランコがひっくり返りそうなくらい、さんざん立ち漕ぎする。
……何でこんなガキ臭い遊びに付き合う気になったのかは分からない。
俺の気持ちも何一つ解決してねぇし。
だけど、何でか気分は悪くなくて……。
そのまんまずいぶん長いこと、俺と高臣は座り漕ぎと立ち漕ぎで、一緒にブランコを揺らした。
[newpage]
――あの借金取りの一件の時に、干渉をハッキリ拒絶しきらなかったからだろうか。
その日から、高臣は謎なくらい遠慮なしになって、ますます俺にベタベタしてくるようになった。
飯が出来てるのに構わずにゲームしてたら、後ろからコントローラー取り上げてきて、軽く取っ組み合いになったり。
高い所のモノを取ろうとしてたら、いきなり両脇抱えられて持ち上げたり。
最初は俺も怒って抵抗してたんだが、相手の方はさっぱり反省がねぇもんだから、今は拒絶する気力も失せた。
何しろ二十四時間ほぼベッタリ一緒にいるから、俺の感覚までおかしくなってきて、気付いたらうっかり背中に寄りかかってスマホしてた、なんてことまで……。
つまり、流されっぱなしだ。
挙句――こたつ布団がクリーニング屋の「冬までお預かりサービス」とやらで無くなっちまってから、布団とタオルケット一組の端と端で寝てたんだが――寝てると、いつの間にやら後ろから抱きつかれてたりする。
暑苦しいから蹴っ飛ばすんだけど、気が付いたら磁石みたいに戻ってくる。
そもそも家自体がメチャクチャ狭いから、離れようがねぇ。
そんな訳で、今朝も――。
「おい……チンコ当たってるっつうの……」
日当たり最悪の窓でもうっすら朝だって分かる、明け方。
寝苦しくて起きてみたら、やっぱり、高臣は俺の背中にひっついて寝てやがった。
全く、そろそろ夏だってのに、どんだけ人肌に飢えてんだよ……。
「おい。お前、あっち行けっ!」
頭をポカっと殴りつけたら、描いたみたいに綺麗に生えた眉を顰めて「あいたっ」とか寝言言って、それでもまだ離れない。
しかも、朝勃ちしまくってるデッカいのが尻の間をぐいぐい押し上げてきて……寝息が、首筋の裏をくすぐり、胸筋がしっかり浮き出た胸板の熱で、背中が汗ばむーー。
あークソクソクソ!! 勃っちまった……っ!
中身はガキのくせに、見た目も身体もなんもかんも……ドストライクに入っちまってるから……っ。
兄弟なんて居たことねぇけど、もしかしてどこもこんななのか?
いや、ねーよ。んな訳があるか。
横を向いたまんま、歯を食いしばって身を硬くしても、勃っちまったもんはどうにもならねぇ。
もっかい殴りつけてやろうかと、振り上げるために握った拳を――逆にタオルケットの中に入れて、パンツの中に突っ込む。
あぁ……。
ここんとこ、ヤれねぇわ、抜ける状況じゃねぇわで、ガッチガチに充血してる……。
「……っ」
竿を掴んで取り出し、ゆるゆる擦ると、すんげぇ気持ちよくて、すぐにヌルヌルの先走りが垂れてくる。
「はぁっ……は、あっ」
オカズはもちろん、俺の尻の狭間をグイグイ圧迫してる、極太でカリ高のデカチンだ。
擦り付けるみたいに尻を押し付けると、焦らされてるみたいな気分になって、尻の穴が勝手にヒクヒク締まる。
「ぁああ……っ」
こんなでかくて長いチンポで、腹の奥までガン突きされたら、どんな気持ちいいんだろ……?
想像するだけで、頭がとろけたようになって、気持ちいいのが腰の奥にズンと来る。
「はあっ、入れてぇ……っ、ナカにチンポほしぃ……っ」
尻の割れ目が丸見えになるくらいパンツずりおろして、夢中になって扱いてると、高臣がモゾモゾっと動いた。
や、やべっ……振動が伝わっちまったか。
ギクリとして動きを止めると、高臣は俺の身体に腕を回し直して、再び安らかな寝息を立て始めた。
そのゴツゴツした男らしい長い指が、Tシャツ越しにちょうど、俺の乳首に当たりやがって――。
「あぅん……っ」
客を相手にしてる時の演技じゃねぇ、変な声が出た。
「クソ……っ」
血なんかつながってないとはいえ、スヤスヤ寝てるこんなガキにおっ勃って、必死にオカズにしてる自分が情けなくて、涙が滲む。
……何で俺、いつから、こんな風になっちまったんだっけ……。
別に、ハハオヤが死ぬまでは俺、普通に彼女とかいた気がするし……。
でも、すげぇ好きで付き合ってた訳じゃなかった。いや、人間自体があんまり……。
その方面の割り切りが早かったから、ウリするのにも抵抗とかあんま、なかったのかも知れねぇ。
男相手の方が、それもバックがやれる方が金になるとか、そんな感じでズブズブはまって、なし崩しにゲイものAV出て、その後、リョウと付き合って――。
今更女抱けるかって言われたら、無理な気がする。
でも後ろのコイツは、俺が殺さなきゃ、このままあと十年もしたら普通に働いて、美人で育ちもいい女と結婚して、中出ししてガキ作って――俺なんかとは全然違う人生を、当たり前に歩くんだろうな……。
畜生、ムカつく……。
「はあっ、あっ」
本物の大人になったこいつは、どんな風に、女を抱くんだろ。
きっとメチャクチャ優しく、気遣って抱くんだろうな。
いや、性格的にかなり強引なとこあるから、案外Sッ気が強めかも……?
はは、マジで意味ねぇ妄想してる、俺。
『お兄様、気持ちいいですか?』
突然、幻聴が耳元で囁いて、ビクンと腰が跳ねた。
「ぁ……」
握った手の中で、ひときわ竿が敏感になって、危うくイキそうになる。
『もう、出そうなんですか? ずいぶん早いんですね?』
我慢できなくて、先走りをつけた自分の中指で、亀頭を責め立てる。
『弟のチンポを欲しがって欲情するなんて、お兄様は何考えてるんですか? これは、あなたの為のものじゃないんですよ……?』
分かってるよ。
でも、オカズにしてオナるくらい、いいだろ。
尻でちんぽを挟むみたいにして煽りながら、Tシャツの襟ぐりを噛み締めて喘ぎ声を抑える。
「ン……」
流石に眠りが浅くなったのか、尻でちんぽをしごいてやるたんびに、高臣が、吐息をまぜたやらしい感じの呻きをかすかに漏らし始めた。
もしかして、俺の尻で感じてる……?
はは、いい気味……。
あーあ、俺の尻で、夢精しちまえばいいのに。
いや、いっそこのまんま乗っかって、本当に童貞奪ってやろうかな……?
想像したらすげぇ気持ちよくなって、射精感が込み上げてきた。
近くのティッシュ箱から何枚か抜き取って、吹き出してきた白濁を受け止める。
身体も若返ってるせいか、最近ないぐらいの、すげぇ勢いで、大量に出て……。
「はーっ、はーっ……」
吐ききって、冷静になって……ものすごい、頭が混乱した。
俺、何で、殺すはずのヤツのチンポで抜いてんだろ……。
高臣もたいがい頭おかしいヤツだけど、俺まで、おかしくなってきちまった――。
自己嫌悪しまくりなまま二度寝して、その次は、高臣の体温の余りの暑苦しさで目が覚めた。
一発抜いた後、無理矢理剥がして離れて寝たはずだったのに、どういうことだ。
肘鉄を喰らわせると、ムニャムニャ言いながら、高臣が目を覚ます。
「……痛っ……なんですかぁ……」
「何ですかぁ、じゃあねーよ! お前、鬱陶しいんだよ、ベタベタ、ベタベタ。いい加減、起きろ」
「はぁい……」
間の抜けた返事。
こっちの気もしらねぇーで、いい気なもんだ。
こんな狭すぎる部屋でオナったせいか、部屋がイカ臭せぇ気がして仕方ねぇ。
相手がリョウなら何も気にしねぇけど、こいつにバレるのは正直、スゲー嫌だ……。
うんざりしながら起きようとして、頭がメチャクチャ痛いことに気付いた。
「? なんか、変だな……」
そういや、高臣と離れた直後から、異常に寒くて、肌がビリビリ痛いような……?
嫌な予感がして体温を測ってみたら、39度あって、ビックリした。
風邪を貰いそうな場所なんて、銭湯くらいしか行ってねぇのに。
「お兄様……! すごい熱ですよ……!」
背後からウッカリ体温計を見られたが最後――。
俺は強制的に、布団に逆戻りさせられることになった。
……保険証の年齢が見た目と違うから医者も行けねぇし、病気は基本、市販薬だけでどうにかするしかない。
流石の高臣もメチャクチャうろたえて、寝てる俺の周りを、落ち着かない犬みたいにずっとウロウロしてた。
「すみません、まだタオルケットだけにするのは早過ぎましたね……こんなことになるなんて……!」
「いや、別に……寒かったわけじゃ……」
「やっぱり、僕がいると邪魔で熟睡できなくて、体力を失ってたのかも……」
「それはある……」
「本当にすみません……! 僕、これからでもどこか他の所に泊まりましょうか!?」
それは、殺せねぇからダメだ……。
「いいよ、別にここにいろよ……」
「! お兄様、なんて優しい……」
何言ってんだ。
俺はお前を殺してぇだけだっつーの……。
それにしても、見てくれは大人なのに、情けない泣きそうな顔しやがって……。
熱でボンヤリした頭で、俺は手を伸ばし、俺の顔を覗き込む高臣の前髪に触れて、撫でた。
いかにも育ちのいい整った肌と、男らしい眉に、表情のハッキリ出る、でかくて切長の二重の目。
――ああ、やっぱすげえ、好みの顔してるな、こいつ。
ぼーっと見惚れてたら、高臣が頬を赤くしながら心配そうに眉を顰めた。
「お兄様、どうかしましたか……?」
ハッとして、手を引っ込めて横を向く。
「別に、何も……」
「……。何か、食べたいものはありませんか……?」
食べたいもの、か。
今朝までは、お前のちんぽ食いたかったけど、とか――流石にウッカリ言わねえよ。
「何もいらねぇ……」
「解熱剤が効かないなんて、やっぱり救急車を呼んだ方が」
「大袈裟だっつぅの……元々風邪引くと、熱出やすいんだ……大丈夫だから、ほっとけよ……」
「お兄様……」
その後も、高臣は、一日中家を出たり入ったりして、薬にゼリー、アイスノンやら、ポカリスエットやら、色んなもんを俺の周りに並べ立てた。
風邪引いて、誰かに世話されるなんて、何年振りだか思い出せねぇ。
だから、そんなに世話されても、戸惑うばっかりなんだけど……。
ただ、昼間……久しぶりに一人だけで布団を使ったら、すげぇ寒くて、なんか寂しいって思ってる自分に、ドン引きした……。
◇ ◇ ◇
――三日後、風邪がようやく治った俺は、家に籠りきりの生活にすっかり飽き飽きしていた。
寝過ぎのせいで、この俺としたことが朝早く起きちまうし。
仕方なく、一組しかない布団の隣に寝てる高臣の尻をペシンと叩く。
「なぁ、おい。いい加減、家にいんの飽きた。お前、金持ってんだろ。今日は、外行こうぜ、外……」
高臣はううん、とか唸ってる。
結局、俺が風邪っぴきでも夜は同じ布団に寝てたんだよな、こいつ……何でか、感染しなかったけど。
「お兄様……?」
子供みたいに欠伸しながら起きると、高臣は俺の顔を見て、驚いたみたいに声を張った。
「お兄様……! 元気になったんですね!」
「まあな」
体力は落ちてる気がするが、もうこれ以上、布団に縛られた生活は嫌すぎる。
こいつ、俺がウロウロしようとするとすぐ寝かせようとしてくるし。
看病されんのも、意外と楽じゃねぇなって、人生で初めて気付いちまったぜ……。
「大丈夫なら、お出かけぜひ行きましょう! 僕、一度お兄様と遊びに行ってみたかったんです」
相手は「散歩」って言われた犬みたいに、分かりやすく全身で喜んでいる。
「へーえ。パチンコ屋にでも一緒に行くか? 教えてやるぜ」
「それはダメです。お兄様は身体が、僕も中身が18歳未満ですし」
調子に乗った所でキッパリ断られて、ガクッと肩が落ちた。
「じゃ、身分証確認しねぇ闇カジノは」
「違法なのはもっとダメです……! あの、買い物とか、遊園地とか、映画とかじゃダメなんでしょうか」
「……」
結局――結論は健全に「買い物」になった。
高臣は下着以外はオヤジの服を持ってきたまんま、ずっと着た切りスズメだったしな。
向かったのは、バスで行く、駅からちょいと離れたショッピングモールだ。
安くて流行のアイテムが手に入るでかい服屋に二人で入って、あちこち見て回った。
普段が制服生活の高臣は、家で着る物はいつもお手伝いさんに適当に買って貰っていたらしく、自分で服を選ぶ習慣が無かったらしい。
やっぱガキだなぁ、と思いつつ、言い出したのは俺だから、付き合うしかない。
「お兄様、どれが似合うと思いますか!?」
……なんてイチイチ聞かれて、渋々、俺が好きな服を指さしてるうちに……すげぇ、まずいことになった。
あくまでも見た目だけだが、好みの外見の男が、ますますキラッキラして見えるようになっちまったんだ。
「兄弟で買い物するとか、ずっと夢だったんです。嬉しいな……有難うございます」
並んでショッピングモールを歩きながら、意識しすぎてギクシャクする。
天然で色素の薄い、程よくウェーブがかかってる前髪長めの短髪に、オーバーサイズの白黒バイカラーのシャツに、脚の長さが際立つ黒スキニー、ウォレットチェーンにローカットの同色厚底スニーカー。
極めつけの、俺の背丈よりだいぶ高い場所で犬っころみたいにはしゃいでる笑顔――をうっかり見て、破壊光線みたいなのにヤラれそうになった。
「……別に、買ったのはお前だし、買い物は普通の買い物だろ……」
「普通じゃないですよ! 僕にとっては、特別なことです。お兄様、初めてお会いした時もカッコいいなぁと思ったんですけど、お洒落ですよね。……そうだ、お礼にお兄様の洋服、プレゼントしたら駄目ですか? ゆるゆるですし……可愛いけど」
上から全身見下ろされて、思わず飛び退いた。
「かっ、可愛いとか言うな。……お、俺は別に、オーバーサイズ気味なだけでお前ほど困ってねーし……Tシャツとか多少デカくても問題ねぇしっ」
やばい、何で俺はこんな、無闇に動揺してんだ……っ。
褒め言葉なんて、客には言われ慣れてんだろうが……。
「でも……あ、あれ」
高臣が何かに気付いて、足を止めた。
「何だよっ」
要らねぇっつってんだろ、と続けようとして、どうやら相手が見つけたもんが、俺の思ってたのと違うのに気付く。
高臣の目線は、ショッピングモールの四階ぶち抜きの吹き抜けになったアトリウムの真ん中に置かれた、でかいグランドピアノに注がれていた。
「ご自由に弾いて下さい」ってなことが書かれた看板が、その前に立っている。
「――あの、家を離れてからピアノの練習サボってしまってるんで……弾いてきてもいいですか?」
そう言うと、俺が返事をする前に、高臣はピアノに向かって歩き出した。
俺はといえば、なんて言うか――育ちの「差」ってやつをまた見せつけられた気分で、呆然としていた。
お前、男の癖にピアノなんか弾けんのかよ……。
いや、今時は男も女もねぇんだろうけど。
そもそも楽器なんてものは、習うのにも、練習すんのにも金がかかる、金持ちの象徴みたいな趣味だ。
俺がこれからカネを手に入れたとしても、今更もう手に届かねぇような遠い世界。
易々と、当たり前のようにその世界に住んでいる高臣に、俺は、一人ぼっちで置いてかれたような、すげぇ惨めな気分になった。
笑顔でピアノの前に座るあいつは、そんな俺のことなんて全く目に入ってない。
これからここで弾くって、俺は一体、どれくらいの間、ポツンと一人で待てばいいんだよ?
俺はご大層な音楽に興味なんかねぇし、絶対つまんねぇのに。
行き場のない腹立ちが止まらなくなって、思いついた。
……いいや、買い物は済んだんだし、置いて帰っちまえば良いんじゃねぇか。
……これ以上差を見せつけられても、ムカつくだけだし。
そう思って背を向けた途端――アトリウムの客のざわめきを破ったピアノの音が、後ろから俺の心臓を貫いて、足が動かなくなった。
次の瞬間、キラキラした、繊細な音の洪水が、ショッピングモールの広い空間に、さざなみのように溢れ出す。
前に進もうとしてたのに、俺はうっかり振り返っていた。
ピアノの前に座る男の、黄金比の横顔。
速すぎてよく見えないぐらいの畳み掛けるスピードで、鍵盤に走る、長い指。
その指が生み出す、切なく、胸が痛くなるような音色が、全部を拒絶して帰ろうとしてた俺の胸の中に嫌でも飛び込んできて、喉が詰まる。
それは、流行りの曲とかでは全然なくて、どこかでうっすら聞いたことのあるような、クラシックだったと思う。
でも、生で聴く初めてのそれは、余りにも新鮮で煌びやかで、俺の全てが包み込まれて、別の世界に連れて行かれるような……魔法みたいな音だった。
立ち尽くしてる俺の後ろに、いつの間にか、人が集まってくる。
「何だっけ、これ。……ショパン?」
「幻想即興曲ってやつだよね」
「凄いね、音が全然乱れないし、すごく感情がこもってて……しかも弾いてる人、超イケメン」
後ろで、女性客達が会話してて――発作的に振り向いた。
口を開きかけて、自分で自分にビックリした。
俺は言いかけてた――「あれ、俺の弟なんだぜ」って。
まるで、自慢でもするみたいに……。
恐ろしくなって、俺はピアノに聴きに集まってきた人の中に分け入って、ノロノロとその場を離れ始めた。
弟。
俺の。
――そんな訳ねぇだろ。
アカの他人じゃねぇか、どう見ても。
あんな、背筋ただして楽しそうにピアノを弾いて綺麗な音を操る、品行方正で完璧な男が、俺の弟な訳がない。
それなのに、「俺の弟」?
俺、どうしちまったんだろ……。
頭が痛くなって、額を押さえる。
少し離れたところで柱の影に入ったら、向こうから来た体格のいい男とドンとぶつかって、跳ね飛ばされてよろけ、柱に背中をぶつけた。
「いたっ」
「――ちっ。邪魔なんだよ、ガキ」
悪態をついた相手の声に聞き覚えがあって、まさかと思いながら相手の顔を見る。
元は良かっただろうと思うような目鼻立ちが、無惨に脂肪に埋もれて垂れたような顔、ソフトモヒカンの茶髪――。
目を見開いて、俺は絶句した。
「りょ……」
――ずっと音信不通だったリョウが、そこに立っていた。
「りょ、リョウ」
思わず名前を呼ぶと、リョウは怪訝そうに俺を睨みつけた。
「あん? お前、何で俺の名前知ってんだよ」
「あ……」
――口と舌が、痺れたみたいに動かなくなった。
言わなくちゃ。
こんな姿だけど、俺は響なんだ。
今はこんなだけど、すぐに元に戻れる。
金持ちの弟を一緒に殺すのを手伝ってくれよ。財産は、山分けしてやるからさって……。
でも、何でか俺は、首を横に振っていた。
「ひと……違いした……」
「チッ。うぜぇなぁ」
舌打ちするリョウの後ろで、鼻から耳に垂れるピアスをした、地雷系ファッションの女が声を上げた。
「ねーえー、リョウ。さっきから何、そこでモタついてんの? アタシの買い物に付き合ってくれるって言ったじゃん!」
「あー、わりーわりー。行くって」
その瞬間、アトリウムが盛大な拍手に包まれた。
リョウは俺に一瞥もくれず、女と腕を組んで雑踏の中に紛れていく。
呆然としてその背中を見送りながら、動き始めた人だかりの中で俺はポツンと突っ立っていた。
そっか、リョウ……帰ってこねぇなと思ったら……次の寄生先が、見つかったのか。
いや、もしかしたら。
俺と高臣が銭湯にでも行ってる間に、リョウは一度帰ってきてたのかもしれねぇ。
あの家の様子を見たら、とても元のアパートと同じ家とは思わない……。
俺が黙ってどこかに引っ越しちまったと思うよな。
そもそもリョウはスマホ代払ってなくて、俺の電話番号、持ってたかどうかも怪しいし。
それで仕方なく、新しく養ってくれる相手を探して……。
本当のところは分からない。
ただ、思い知らされた。
一緒に暮らしてたはずなのに、俺とリョウの間にあった縁の糸は、俺が思ってたよりもずっと細かったんだってことを。
俺はそんな相手に、俺の人生一発逆転を賭けようとしてた訳で……。
「お兄様、お待たせしてすみません」
ショックと自己嫌悪で呆然としてたら、後ろから声をかけられた。
ピアノを弾き終わり、健康的な頬をほんのりと赤くした、高臣の機嫌良さそうな顔――。
目を逸らすと、顔を覗き込まれた。
「お兄様? 顔色が……どうかしましたか」
「別に……」
何て反応すればいいのか分からずに、背中を向ける。
「良かった。じゃあ、帰りましょう」
横に並ばれて、仕方なく早足で歩き始めた。
バス停に向かう為にショッピングモールのガラス戸の外に出ると、午後のむわっとする熱い空気が、眩暈のするほどキツい。
ガラスが鏡のように、俺たち二人の歩く姿を映す。
顔も体格も、似ても似つかない。
ヒョロヒョロで、母親に似た幸の薄い女顔の、貧相なガキの俺。
長身で、彫りの深い男らしいイケメンの、高臣――。
「……お前、ピアノまで弾けんのな……」
俺がボソリと言った言葉に、高臣が遠慮がちに反応する。
「いえ、そこまでは……。音楽は教養の一つだと、父に……他にも、毎日のように色んな習い事に通ってたんです。今は、生徒会の仕事が忙しいので少しですけど」
「教養ね……俺には無縁の言葉だな……」
渇いた笑いが漏れて、高臣が慌てた。
「すみません、不調法なことを言いました。お兄様を不快にさせるつもりは」
「気にしてねぇよ、別にな。……ただ、やっぱさ……お前と俺は……何にも共通点とかねぇよなって……」
薄々気付いてた。
俺がもし、うまくコイツを殺して金を手に入れても、本当にこの先の人生、逆転できる訳がないって……。
マトモな両親とか、マトモな愛情とか、マトモな学生生活とか、マトモな家とか、常識とかさ。
そんな、子供の時に、俺の手のひらからとっくにこぼれ落ちたもんは、この先も手に入る予定なんか、永遠に無いって……分かってたよ……本当は。
長いため息をついて、俺は足を止めた。
「……お兄様?」
高臣もまた歩みを止め、前に回り込んで俺の顔を覗き込んでくる。
綺麗な顔と見つめ合って、今度こそはっきり気付いてしまった。
俺に、こいつは殺せない。
協力者がいないからじゃねぇ。
……こんな奴に、会わなければ良かった。
あんな鏡、覗かなければ良かったのに。
高臣に遭わずに、ずっとリョウと汚ねぇアパートでつるんでりゃ……。
自分が今まで、誰かを本当に好きになることも、好きになってもらうこともできない寂しいクズだったんだってこと、永遠に気付かないで済んだ。
殺せないなら、俺の人生はこの先も変わらねえってことで……劣等感と、人肌欲しさに苦しんでまで、高臣と一緒に居る理由はねぇよな……。
高臣の胸を手のひらで思い切り押して、俺は俯いたまま呟いた。
「……飽きた」
「え?」
「……お前と兄弟ごっこすんの、飽きたって言ったんだ」
わざとトゲトゲした声で、はっきり言う。
「お兄様……!?」
高臣のいい声に、動揺と不安が混じった。
それを……心のどこかで嬉しいと思う自分も、心底嫌になる。
恋愛とか以前に……誰かに期待するとか、信じるとか、そーいう……心を他人にもってかれるようなのは、馬鹿らしいって思ってたのにな。
よりにもよって、殺そうとしてた相手に……。
……心、持ってかれるなんて……。
「なあ、お前ももう、分かってんだろ? 俺たち、育ちが違うばかりか、これっぽっちも似てねえってこと」
わざと挑発するように言って、高臣の優しい目を睨みつける。
「そ、そんなことは」
「あるだろーがよ。だって、俺の母親、浮気しまくってたんだからな。俺は、どう考えてもその浮気相手の子供だよ。お前と俺はさぁ、血なんか一滴だって繋がってねぇんだ」
あーあ、バカだな、俺は……。
もしこいつと会う前の俺なら、殺さなくても、お人好しのコイツを一生騙し続けて、金ズルにするって手も使えたんだろうにな……。
――黙っちまった相手に、俺は更に畳み掛けた。
「お前がガキだから、兄弟ごっこに付き合ってやってたけどよ。いい加減もう、疲れたし、やってらんねぇんだよ。アカの他人と家族ごっこなんてさ」
半笑いでそう言ってやったら、高臣は、泣き出す寸前の迷子の子供みたいな顔になった。
身体は大人のくせに、まるきりガキみたいな、変な顔。
「おにい……」
「変な呼び名で気安く呼ぶんじゃねえーよ! 最初っから迷惑だったんだよ、ハッキリ言って!! いきなり現れて、人の人生に首突っ込んできやがって……!」
ビクンと、高臣のガッチリした肩が大きく震えた。
急に叱られた子供みたいに。
でも俺はお構いなしに、高臣をとことん傷付ける言葉を選んで続けた。
「もうさあ、お前、出てってくれねぇかな。金あるし、あんなボロアパートに居る必要なんか一ミリもねぇだろ? 満月の日になったら、テキトーにどっかでおちあって、それぞれ元に戻ったら、それでオシマイ。金輪際、バイバイってことにしよーぜ」
「そんな……っ」
「じゃーな。てめえ、絶対俺んちに帰ってくんじゃねぇぞ」
驚いてその場でたたずむ高臣をその場に残したまんま、俺は発車しようとしてた駅前行きのバスに飛び乗った。
あれだけキツくはっきり言やあ、あいつも流石にもう、クズの「お兄様」に変な夢なんか見ることはないだろう。
金持ちだけが通う学校に戻って、同じような恵まれた奴らに囲まれて、そん中で、幸せに暮らせばいいんだ。
そんで、俺も……やっと、静かな、泥みたいな生活に戻れる。
……悪い夢も、もう二度と手にはいらねぇ余計な何かも、何も見ないで済む、慣れた一人きりの生活に。
いや……むしろ、もう……大人に戻りたいともおもわねぇな……。
元々、どこで人生が終わったって構わないと思って生きてきた。
借金のことも面倒だったし、生きてても何も楽しいことなんて無かったし、どっか高いところから飛んじまおうかなって、考えたことは何度もある。
今、身元不明の少年Aのこの姿のまんま、どこかのビルから飛び降りちまったって……別に全然いいんだよな……。
バスを降りて、久々の一人歩きをしながら、どこに行こうか考えあぐねた。
別に今すぐ死のうと思った訳じゃねぇけど……木原響って人間の人生にはとっくに愛想が尽きてて、今日で一層、面倒くさくなったのは確かだ。
駅前のメインストリートを外れ、パチンコ屋の裏口と、居酒屋やキャバクラが軒を連ねる狭い路地に入っていく。
色んな店の看板を覗くフリはするものの、目的とかは特に無かった。
元々、昔母親と住んでたあのアパート以外、居場所なんかない。今の状況打ち明けられるような友達とかも、一人もいねぇし。
けど、高臣が自分の城みたいにしちまった、あの家には何となく帰りたく無かった。
――そんな俺の状況を、悪魔だか神様だかが、見てたんだろうか。
「よお、また会ったな? 木原のオトートさんよぉ」
……気がつくと俺の目の前に、この前の借金取りのお使いのチンピラがニヤつきながら立ちはだかっていた。
「本当に奇遇だなぁ? オジサンさぁ、どうしても木原君に会いたいんだよねぇ。君だったら知ってるだろうと思ってさ。取り敢えず、二人きりでどこかで話そうぜ。な?」
口調は穏やかだが、声は脅すように鋭い。
男の赤茶けた長髪は伸びっぱなしで、頭のてっぺんがほとんど白髪になっている。
この前会った時よりも無精髭も酷い上に、だらしなく黒ずんだ歯茎に付いた前歯が、今は一本欠けていた。
恐らく、事務所に帰ってから上に相当詰められたんだろう。
その腹いせに報復する為に、……特にガキの俺が、一人になる瞬間を狙ってたのかもしれない。
俺はくるりと後ろを向き、大股で猛然と走り始めた。
「このガキがぁ!!」
脅すように叫んで、すぐ背後をチンピラがイノシシみたいに前のめりで追いかけてくる。
死に物狂いで走ったが、最近全く外に出てなかった俺の体は、体力が枯れ果てちまっている。
ゼイハア息を切らして逃げるうちに、だんだんとひとけがない狭い路地に追い込まれていた。
気付けば、工事中の表示のある、でかいベニヤ板で仕切られた袋小路のような場所に目の前を阻まれている。
壁を背にするようにして後ろを振り向くと、ハゲかかった長髪を振り乱したチンピラが、悪鬼のような顔で迫ってきていた。
「手間取らせやがって……てめぇらのせいで、俺は散々な目に……!! ガキだからって、手加減なんかしねぇぞ!!」
吐き捨てるように叫びながら、男は一気に距離を詰め、俺の鳩尾に容赦のねぇ拳を撃ち込んできた。
「うっ、げぇ……っ」
猛烈な痛みと、ウエイトの無さで、身体が背後の板にガンと音を立てて打ち付けられ、ズルズルと沈む。
地面に足を投げ出して対抗できなくなった俺の横っ面を、男は更に回し蹴りで張り飛ばした。
「がっ……」
脳震盪起こしたみたいに意識が遠くなって、痛みと息苦しさで頭がグラグラした。
「……木原の野郎はどこだ。また誤魔化しやがったら次はねぇぞ」
欠けた前歯の奥から不快な音が漏れる、歪んだ笑み。
――殺されるかもしれねぇな……。
そう思ったら、可笑しくなった。
昨日までは、俺がその人殺しになろうとしてたのによ……。
「何笑ってやがる!」
男がガニ股になりながら俺の襟首を掴み、またでかい拳を振りかざす。
俺はもはや避ける気力もなく、されるがまんまになった。
「お兄様!」
――この後に及んで、そんなウザい呼び名の幻聴が聞こえるなんてな。
何でだよ、と思ったら、急に男の手が離れ、俺は地面に転がった。
生理的な涙で滲んだ視界の中に、まさかの本物の高臣の姿がうっすら見える。
「……?」
頑張って目を見開くと、確かにそれは高臣で、男の背後に立ち、その腕を後ろ手に締め上げているところだった。
「イテテテテ! 誰だ、テメェ……っ」
「お兄様っ、今のうちに早く逃げてください!」
そう言われても、足が疲れすぎてるのと、腹やら肩やらが痛いのと両方で、さっぱり両足が言うことを聞かない。
「舐めた真似しやがって! ぶっ殺すぞ!!」
「ちょっと暴れないでください、この身体だと手加減が分かりません!」
ズルズルと男が俺の前から引き離される。
揉み合ってる二人の声でやっと意識がハッキリして、俺は両手をつき、やっと立ち上がれた。
「お兄様! はやく、逃げて……!!」
高臣は促したが、俺は逆に、揉み合う二人の方へ足を向けた。
「お兄様!?」
一歩下がって助走を付けてから、思い切り、男の股間に飛び蹴りを喰らわせる。
「ゔ、ぉぉぉおおおお」
獣じみた雄叫びを上げながら、男がドサリと崩れ落ち、転げ回り始めた。
「行くぞ、高臣!!」
反射的に叫んで高臣に手を差し出すと、相手はでっかい綺麗な瞳を驚きでまん丸にして、俺の手をギュッと握り締めた。
「お、お兄様、……今、僕の名前……初めて」
「そういうのは今はいいから!!」
「は、はい!!」
全身痛くて、頭がテンパってたのもあるが――俺は、高臣の手を握ったまんま、必死に家まで走ってた。
男同士で手ぇ繋いで走るなんて、正直、人生で初めての経験だ。
高臣の手が、デカくて熱くて、手を引いてるのは俺なのに、堪らなく安心した。
さっきの今で、本当は不本意で恥ずかしい展開のはずなのに。
脳内でアドレナリンが出てるせいか、心臓がバクバクして、走りながらやたらめったら楽しかった。
――痛みなんか、吹っ飛ぶぐらい……今までの人生で、こんな楽しかったこと、あったか? ってくらい……。
二人してアパートまでの近道になる近所の公園まで走ってきて、この前一緒に漕いだブランコの場所まできたあたりで――俺にもようやく正気が戻ってきて、慌てて繋いでた手をもぎ離した。
「おい、離せ」
それでも高臣が目をキラッキラに輝かせたまんま、俺の肩を掴む。
「そうだ、お怪我が……! 病院に行かなくちゃ」
俺は視線を逸らしながら吐き捨てた。
「あのな、こんな明らかに暴力沙汰の傷なんて、行ったら怪しまれるだろうが。行かねぇよ」
「でも、診断書と写真を取っておかないと、警察にーー」
「今の俺についた傷を、元に戻ってから警察に訴えるなんて、できる訳ねぇだろうが……」
ため息混じりに吐き出しながら、『立ち漕ぎ専用』ブランコに足を掛ける。
しゅんとしながら、高臣も隣のブランコに腰を下ろした。
あーあ……ちょい前にスッパリ「兄弟じゃねぇ」宣言したつもりだったのに、格好つかねぇったらない。
「……ホントは兄弟なんかじゃねぇって、俺、言ったよな。何で来たんだよ」
今更ながらに問いただすと、高臣はブラブラ揺れながらしばらく黙り込んでしまった。
何だよ……イジメてるみたいで気分が悪いじゃねぇか。
それ以上何も言えず、俺も立ち漕ぎしながらブラブラ揺れていると、不意に――高臣が前を向いたまま、口を開いた。
「……ご迷惑かもしれないってことは、思ってはいたんです。本当の兄弟じゃないかも知れないってことも、弁護士からは聞かされていました」
「……。分かってたんなら、何で……っ」
驚いて問いただすと、高臣はブランコを止めて、ちょっと寂しげな感じで微笑んだ。
「僕、母は体が弱くてほとんど病院暮らしで……父も、普通の家庭の父親としての関わりはあまりなく育ったんです」
脈絡もなく始まった身の上話に、目が点になる。
「……お兄様はもしかするとご存知ないかも知れませんが、父は政治の世界との関わりがあって……父は僕に、将来はそういう世界に入るように望んでました。だから、僕の名前も、末は大臣になれって意味で、高臣と……父がつけました」
木原がそんな家だなんて、母親は一言も言ってなかったから、俺は驚いていた。
俺の名前は、母親が、好きなアイドルか何かから勝手に付けた名前だ。
俺の母親がワガママじゃなくて、爺さんに名前を付けさせていたら、俺が「高臣」って名前になってた可能性もあるんだな……。
ちょっとゾッとしながらも耳を傾けていると、高臣は更に話を続けた。
「僕は3歳の時から、何事においても人よりも秀でていることを求められました。毎日様々な習い事に通い、自分を厳しく律し、人より上に立てるよう、常に勉強するようにと……実際、僕は何をしても人並み以上にできて、お父様も喜んで下さっていました。……でも、本当は……僕は、単に何かが人よりできることを、幸せだとも楽しいとも、いいことだとも……思えた事はなかった」
高臣がブランコの鎖を握り締め、こちらを見上げる。
「心の中では、学校から帰ったら、公園で友達と日が暮れるまで遊んだり、ゲームをしたり……料理して、家族と美味しいものを一緒に食べたり、時間を気にせずに買い物したり……そんな、普通の家庭に、ずっと憧れていたんです」
それって……俺とお前の、今の生活そのものってことじゃん……。
絶句してると、高臣が木漏れ日の中で寂しそうに笑った。
「……だから、僕にお兄様がいるって知った時、本当に嬉しかったんです。……ずっと兄弟が欲しかったし、僕はこの世で一人きりじゃ無かったんだ、家族がいたんだって……。半分しか血が繋がっていなくても……もしかしたら、それも無かったとしても、僕はあなたを、お兄様だと思いたかった……だから、照魔鏡のお陰で、お兄様と一緒に暮らせたのも……お兄様にとっては不幸な出来事でしたが、僕にとっては……」
毎日あんなに楽しそうだったのは、お前が、望んでいた生活だったから……?
「――でも、だからといって僕の願望を、過剰にお兄様に押し付けるなんてことは、本当は許されないことでした。お兄様にとっては、僕の存在すら知ったばかりなのに、ご迷惑でしたよね。……突然、他人同然の人間と暮らすことになって、嫌になってしまうのも、当たり前です。本当に、ごめんなさい」
殊勝に謝り倒されて、俺の方がどうしていいのか分からなくなる。
「別に……今更……」
最初は頭のおかしいガキだと思ってたけど……。
今は、ちょっとだけ、気持ちが分からなくもねぇ、みたいな気分になっちまって……。
俺はふと思いついて、質問した。
「……そういや、ピアノも、あんなすげぇ弾けるのに、楽しく無かったのかよ」
高臣が嬉しそうにブランコから立ち上がり、両手の平を空中に差し出した。
「……さっきは、すごく楽しかったです。自分が弾きたくて、弾いたのは初めてだったかもしれません。手が大きくなってて、ミスしたりもしましたけど……楽しかった」
俺はブランコを飛び降りて、砂利を踏みながら背を伸ばし、高臣に向き合った。
「じゃあ、これからは、弾きたい時だけ弾いたらいいだろ。……もう親は二人ともいねぇんだし、別に好きなことだけして生きれんじゃねえか。大臣なんか、ならなくて済むし――」
高臣が一瞬驚いたような顔をして、すぐにふわりと微笑む。
「……そうですね。気付かせて下さって、有難うございます。――響さん」
普通に名前を呼ばれたうえ、キラキラした澄んだ瞳に見つめられて、かーっと頭に血がのぼった。
「なななな、何」
「兄弟じゃないと言われてしまったので、お名前で呼ぶことにしました。僕の中では、お兄様はやっぱり、お兄様なんですけど……ダメですか?」
無邪気にそう宣言されて、余計に頭の中がパニックになる。
理想が服着て歩いてるみたいな男に、名前で呼ばれるとか……絶対ヤバいだろ。
なのに、今更お兄様でいいとも言えねぇしよ。
結局俺が答えられたのは、「好きすれば」って一言だけだった。
そんで次の瞬間、盛大に抱きつかれた――ついさっき、アカの他人宣言したはずなのに!
◇ ◇ ◇
その日の夕方……俺は自分のアパートでゲームの続きをしながら、内心首を傾げていた。
おかしい……完全に訳が分からない事態になってきた。
兄弟じゃねぇって俺はぶっちゃけたし、相手も一応、それは分かってる、みたいな話だったよなぁ?
俺は、呼び名のことは好きにしろって言ったが、別にまた一緒に暮らすのを同意した訳じゃねぇ。
……なのに、なんで高臣は、ちゃっかり俺のアパートに一緒に帰ってきて、あろうことか、今もなんかしら鍋で煮てんだ……?
そういう話の流れじゃぁ、無かったと思うんだけど……。
いや、最後、俺がウッカリ、高臣に同情した風になっちまってたからか……?
俺はずっと違和感を感じてはいるんだけど、高臣は昨日までとおんなじ調子、どころか、益々俺の家に馴染んでる風だ。
「響さん、申し訳ありません、醤油を切らしてしまいました! ちょっとひとっ走りスーパーに行って買って来るので、火を見てて頂いていいですか?」
シーンとしてる俺のそばで、高臣が今日、洋服のついでに買ったカフェ風のカーキ色のエプロンを脱ぎ捨てる。
その下は、走って汗だくになってた服を着替えた後の、ボーダーのTシャツにちょっと透けてる七分袖シャツ重ねて、ややワイドめな黒のパンツっていう、俺には死んでも似合わない爽やかコーデ。
量販店で買ったのに、モデル体型が着るとどう見てもハイブランドに見える。
「豚の角煮、お嫌いでしたか……?」
綺麗な眉を顰めて、ウェーブのかかった前髪の下から子犬みたいな目で覗き込まれる。
「いや、角煮は好物だけどよ……」
「良かったです」
いやいや。
満月の日まで別々に……って、俺言ったよな?
何でなんも無かったことになってんだよ。
いや今更もういいけどさ……なんか時間かかりそうなモン作ってるしよ。
「仕方ねぇな。醤油ぐらい、俺が行ってやる」
テレビの前から俺が立ち上がると、
「駄目です! またあんな暴漢に狙われたらどうするんですか!? 響さんを一人で、外になんか出せません」
肩を掴まれて必死に止められ、面食らった。
「あのなぁ、なんでそんな俺のこと心配してくんだよ。俺とお前は他人だっつったろうが……」
「そうだったとしても、響さんが若返られてしまったのは、僕の責任です。僕は最後まで響さんを守る義務がありますから……!」
それでお前、結局家にいるってこと……?
最後っていつまでだよ……。
俺の当惑がよっぽど顔に出ていたのか、高臣の表情も叱られたガキみたいになっていく。
「だから、その。ごめんなさい、元に戻るまでは一緒に居させてください……。それと、一人では行動しないでください。……お願いの順番が前後しちゃって、申し訳ありません……」
いや、謝られても困る。
本当に、どうしたらいいんだよ、こんなの。
立派なこと言ったって、お前、所詮中身は子供だろうが。
トラブルに巻き込まれた時だって、昨日みたいに上手くいくとは限らねぇ。
でも一番困るのは、俺の中でこいつの存在がどんどん大きくなってるってことだ。
前髪を搔き上げて額を押さえながら、俺は吐き捨てた。
「後悔しても知らねぇぞ……。そもそも、俺とお前は他人だし、住んでる世界が全然ちげぇだろ。お前は分かってねぇみたいだけどよ。最初から関わんねぇ方が良かったっていつか思うぞ」
そしたら、返事の代わりに帰ってきたのは――強引な抱擁だった。
「響さん! 僕は絶対にそんなこと思いません。そんな寂しいこと、言ったら駄目です……っ」
一瞬で、背丈が20センチも違う男の胸に、顔を押し付けられるみたいにして力いっぱいに抱かれる。
触れた場所から熱が流れ込んできて、ぴくりとも動けない。
叫びそうになった。
こんなこと、俺に教えるなよ。
これ以上、俺なんかと家族ごっこしてどうすんだよ。
お前が寂しいからって、俺を一人で立っていられなくすんなよ……。
「……少なくとも僕は、あなたと一緒に暮らせたこと、心の底から幸せに思っています。……あなたが望んでいなかったとしても」
もう、ダメだ。
胸の中で何かが爆発して、裏返った声が喉の奥から漏れ出した。
「そうだよ……俺は最初から望んでなんかねぇよ。今はまだいいけどよ、元に戻ったら、今度こそ、他人同士に戻るからな……!」
「響、さん……」
だって。
――元に戻ったら、お前はあのでかい家に住んで、元通り学校に行って、前と同じ人生、送るんだろ。
そうなったら、俺は……。
俺は、どうなるんだよ。
今度はあの家で、子供に戻ったお前と、兄弟ごっこしろって?
でもそれだって、お前が大人になって、どこぞのお嬢様と結婚して、本物の家族を作るまでの間だけだろ。
お前がそれで満足でもさ……。
あろうことか、今はこの世に居ないはずの、大人のお前を好きになって……そいつとベッタリ一緒にいることに慣れさせられて、欲情までするようになっちまった頭のオカシイ俺は、一生報われねぇじゃねえか。
俺は顔を伏せたまま、無理やり高臣の胸を両手で押して、低い声で言った。
「頭冷やすついでに、醤油、買って来る。一番近いコンビニ行くから、余計な心配すんな。絶対追ってくんなよ!?」
素早く玄関に向かい、スニーカーをつっかけて外に飛び出す。
気が付いたら涙がボロボロ溢れていた。
本当にあり得ねぇけど、生まれて初めて、本気で、人間を好きになっちまったんだなと、改めて思う。
前に、流されて付き合ったリョウの時とは全然違ってた。
心が煮られてるみたいで、肺が苦しくて、息がしずらい。
しかも戸籍上の弟、中身はまだガキっていう……どうしようもない相手。
自分のバカさ加減に、乾いた笑いが喉から漏れて止まらなかった。
――俺の、クソみたいな人生でこんな事があるなんて……。
あの鏡のせいで、暴かれてしまった。
俺が、本当は誰よりも……。
そばにいてくれる誰かを、優しくしてくれる家族を、友達を、恋人を、望んでたっていう……情けない事実を……。
「はぁ……クソ……ッ」
悪態をつきながら、何度も涙を拭って、アパートから百メートルぐらい離れたコンビニに入り、棚の間をウロウロしながら醤油を探した。
この店に調味料なんて買いに来たのは初めてだ。
案の定、手のひらに収まりそうな小さいボトルに入ったやつしかない。
袋なしでそいつを買って、冷房のない外に出ると、むわっとした湿った空気に身体が包まれて、足が重くなった。
ああ、もう……。
別れ際にあんなこと言って、俺は一体、どんな顔して帰りゃいいんだよ?
このまんまアパートに帰らねぇで、最後の日までどっかにばっくれちまおうかな。
けど、小銭だけの財布と醤油ボトル持ってどこに行けるんだか……。
アホすぎるだろ……。
足が止まりかけたけど、仕方なく家に向かう。
チンピラは懲りたのか、行きも帰りもそれっぽい人影もない。
なるべくのんびりのんびり歩いたが、結局、アパートの薄いドアの前まで俺は帰ってきてしまった。
はぁ~、と大きなため息をついて、ドアノブに手を掛ける。
「……ただいま……」
何年振りに言ったかわかんねぇ言葉は――テレビから盛大に聞こえてきた、『俺の』甘ったるい喘ぎ声でかき消された。
『ンァッ、はアッ、チンポ気持ちいい……っ、中に出してっ、はやくぅ……っ』
湯気の吹き出した、トロ火のついた鍋。
コタツ机の前で、ゲーム機のコントローラーを握ったまんま固まってる高臣を見て、俺は手に持った醤油をごとりとタタキの上に落とした。
「おま……何見て……」
ハッとして俺の方を振り向いた高臣の顔が、真っ赤に染まっていく。
「あああああの、ににににに煮てる間、ひひひひ暇だったのと、響さんがどんなお話が好きなのかを……知りたくてこれを開けてしまって、あのそのあの」
100円ショップに売ってるDVD用のプラスチックケースがコタツ机の上で開いてるのを見て、俺は全てを察した。
そいつは、リョウがわざわざパソコンから落として焼いてやがった、俺の出てるエロ動画――。
しかも、よりによって複数プレイでマワされてるやつ……。
ゲームのハードはDVDも見られるから、そいつをうっかり、映画か何かと勘違いしてプレイしちまったって所だろう。
『イク……っ、お尻っ、もっと突いてっ、すごい気持ちいいよぉ……っ!』
でかいテレビの中で、『俺』が、ベッドでひっくり返って自分で股を開き、かわるがわる男たちに尻を犯されている。
とめどなく流れるアヘ声の中で、俺は後ろ手にドアを閉めた。
俺が靴を脱いで、醤油のボトルを拾い上げてる内に、やっと喘ぎ声が止まる。
テレビの画面がディスクの再生前の青い画面に切り替わり、急に部屋の中が静まり返った。
「……」
中に一歩踏み込んで、コタツ机の台所に近い側に座ってる高臣の目の前に醤油のボトルを置く。
「有難う、ございます……」
礼は帰ってきたが、まるで金縛りにでもあったみたいに高臣は醤油を見つめたまんま、動かなくなってしまった。
俺もどうしていいか分からない。
とりあえずコタツ机の反対側に、醤油とDVDケースを挟んで向かい合ったが、相手と目が合わない。
そのうちに、ピピピッ、ピピピッという耳障りな甲高い音が鳴り始めた。
その音に弾かれたように高臣が立ち上がり、ガス台のひねりが回る微かな音が聞こえて来る。
火が消えてから、高臣が振り向き、再びコタツ机の向こう側に座った。
「……あの……見るつもりは、無かったんです……」
高臣のはっきりした二重の目が、うっすら涙ぐんでいる。
耳や首まで真っ赤にして……とんでもないものを見ちまったことがよほどショックだったんだろう。
「あったら問題だろうが……未成年……」
とんだ間抜けなやり取りをしながら、何もかも終わったなと思った。
いや、そもそも何も始まっちゃいねえけど。
まともな人間を演じたつもりは一切ねぇけど、俺が世間で言うところの、マトモな人間じゃないってことは、甘ちゃんのこいつにも分かったはずだ。
「前の男がさ、ソレ、流しながらヤるのが趣味だったんだよ……。付き合う時にゲイビ辞めさせたくせに、矛盾してるよな……」
自分で自分のエロ動画を取っておく人間じゃあねぇぞ、ってことは一応主張してみたが、なんの意味もないことに気付いた。
案の定、高臣も聞いてないって感じで、一方的な質問が飛び出す。
「……あ、あの、あれ、……本当にお兄様なんですか……」
……皮肉にも、呼び方が元に戻ってやがる。
よっぽどビックリしたんだろうな。
しかもど直球で、あれは俺かって……まさか、AV女優家族バレあるあるを、この天涯孤独の俺が喰らうことになるとは。
そうなっちまったらもう……開き直るしかねぇ。
「……他の誰に見えんだよ。手っ取り早く金になるから、出ただけだ。結構評判良かったんだぜ、感度がいいってさ……。意外と気持ち良くてさ、チンポでケツの穴掘られんのも、男の穴に突っ込むのも――」
「お、お兄様!! 生々しすぎます……!!」
耳まで真っ赤になった高臣を見て、俺はわざと、コタツ机の上に身を乗り出した。
「お兄様じゃねぇってずっと言ってんだろ。住む世界が違うってのは、こういうことだから……。ああ、弁護士センセイから聞いてなかったのか? 俺の仕事。男にカラダ売って生きてきたってこと――」
高臣が長いまつ毛を伏せ、黙って頷く。
裏切った訳じゃねぇけど、酷い気分になった。
こういうの、何て言うんだろうな……。
性的虐待?
元からクズな俺が、更に最低のクズになっちまったな……。
「……まあ、お前には理解出来ねぇ世界だと思うし、して欲しいとも思わねぇよ」
テレビの下に無造作に置いてあるゲーム機のボタンを押して、俺はDVDを取り出した。
ラベルも何にも貼ってねぇそれを、バキンと音を立てて真っ二つに割る。
割ったからって俺の過去までなくなる訳じゃねぇし、今起こったことが帳消しになる訳でもない。
「……やっぱり出てくなら、さっさとしろよ。お前が持ち込んだもん、全部捨ててってくれ」
俺がそう言うと、高臣は深々と頭を下げた。
「……傷つけて、すみません……あなたが、人に見られたくなかったものを、見てしまってごめんなさい……」
おいおい……。
ウッカリ変なもん放置してたのは俺のせいなのに、何でコイツ謝ってんだ。
「別に、どうでもいい……。今の俺の仕事も、これと大して変わらねぇし。だから……もしこの先あのチンピラがまた来たとしても、お前が心配することなんて、この先何もねぇんだぜ。――俺は、最初から落ちるとこまで落ちてる……金のためなら何だってする、クズだからさ」
高臣の顔色が変わった。
あーあ……。
俺の初恋……なんて言い方、ちゃんちゃらおかしいけど……消えちまったな。
割ったDVDとボックスに入ってた残りを手に取って立ち上がり、キッチンの側のゴミ箱に投げ入れる。
そのまま近くの冷蔵庫を開け、ずっと冷えっぱなしのまんま放置してた缶酎ハイを取り出した。
プルタブを開けて液体を胃に流し込むと、わずかの間に味覚が変わっちまったのか、久々の酒は死ぬほどマズかった。
それでも殆ど一気飲みの勢いで飲み干して、ガンと音を立ててシンクの中に缶を転がす。
全然、足りねぇよ、こんなもんじゃ。
新しい酒、買ってこねぇと。
高臣が出てっても、さっぱりわかんねぇぐらい酔えるやつ……。
黙って高臣のすぐ背後を通り過ぎ、玄関に出て行こうとしたら、後ろから手首を突然、ガッと掴まれた。
「響さん!」
驚いてドクンと心臓が飛び跳ねる。
引っ張られてバランスを崩し、床に膝を突きながら、俺は高臣の手を振り払おうとした。
「なんっだよ、離せよ……!」
揉み合ってるうちに、体重差で床にダンと押し倒される。
相手の両腕の間に閉じ込められる形になり、視線を上げると、宝石みたいに澄んだ高臣と目があって、そこから、涙が俺の頬に一粒、転がり落ちてきた。
「あなたは、誰の助けもなかったのに、立派に一人で生きてこられた、本当に強い人です。だから、落ちてもいないし、クズでもありません……!」
「はあ!? 意味わかんねぇし! 人の醜態勝手に暴いて、クッソ気持ち悪ぃ理解者演じてんじゃねえよ、偽善者が!!」
罵りながら何もかもどうでも良くなって、この際全部、俺はぶっちゃけ始めた。
「……俺はなぁ、一緒に暮らしながら、お前のこと、殺してやろうと思ってたんだぜ……! そしたら一生遊んで暮らせる金が手に入るかもってさ……照魔鏡だって、盗むつもりであの部屋に入ったら、このザマだ! ……俺は、そーいう、最低の人間なんだよ。……お前と家族ごっこやれるような、ご立派なお兄様じゃぁねえ――分かったら、早く出てけ!!」
「……出ていきません!! だって、『思ってた』って、過去形じゃあないですか。僕を殺そうと思えば、今まで機会はいくらでもあったし、出来たはずですよね!? でも、それをしなかったのは……それで今更、僕を遠ざけようとするのは……あなたが本当は……!!」
「ああもう、うるせぇんだよ!! さっさとどけよ、早く!!」
渾身の力で脇腹を殴りつけたのに、高臣の身体はビクともしない。
「何なんだよ、勘弁しろよ!! ガキのくせに……何もかも分かってる風な顔しやがって……っ!! これ以上……俺をミジメにさせんなよぉ……っ」
涙がとめどなく溢れて、最後の方は獣みたいな濁声になり、言葉にならなかった。
高臣の前髪が俺の眉間をくすぐり、長い睫毛が伏せる。
「……ごめんなさい。お兄様を、こんなに泣かせて……。でも僕は、何を言われたって、今さらお兄様を嫌いになったり出来ないんです」
濡れた頬を指で拭われて、額を近づけながら、優しい、小さな声で囁かれた。
「たくさん意地を張って悪ぶって、一人でも平気なふりをして……でも本当は、臆病で傷つきやすくて、いつも寂しそうで……そういう、あなたの弱くて柔らかいところが……僕は、大好きになってしまったので……」
「……!?」
絶句して、時が止まったみたいになる。
い、今……。
俺、とんでもないこと言われたんじゃねぇのか……?
ていうか、何で俺が強がってること、全部ばれてんだ……。
余計なことゲロったからか?
いや、今はそれどころじゃなくて、こいつ、俺のこと、好きって……。
訳が分からないほど顔が熱くなって、背中から汗がどっと、押し倒されてるキッチン床のビニールシートに染みそうなぐらい噴き出てくる。
身体も色んなところが触ってるし、顔と顔の距離があまりにも近すぎて、そんな自分を見られてることにも堪えられない。
なんだ、この感情。これ……「死ぬほど恥ずかしい」っていう、やつ……か。
子供の時に何かで経験して以来の、ゴロゴロ転がりたいぐらいの居た堪れなさに襲われて、まともに息も出来ない。
恥ずかしい、色んなこと見透かされてたのが死ぬほど恥ずかしい……!
なのに、好きとか言われて舞い上がって……。
絶対そういう意味じゃないのに、何でだよ、バカじゃねぇのか、俺っ!?
「何言って……もう、やだ……変なこと言って、俺のことグチャグチャにするなよぉ……!!」
泣きながら顔を覆うことしか出来ない。
「僕、変なことなんて何も言ってません……あと……響さん、あの……」
目を伏せたまま、何かを言い淀んでる高臣の視線の先を追う。
俺の…腹の、下……?
見た瞬間、今度はサーっと全身から血の気が引いた。
……いつの間にか俺、めちゃくちゃに勃起してて……しかもその、テントを張ったハーフパンツの布の頂点が、ジットリ染みになるほど濡れてる。
しかもそれが、密着してる高臣のワイドパンツにまで黒々と移って……。
「うそうそうそ、何で何で何で……ッ」
何かしらねぇ間に、もっ、漏らした?
そもそも、何で俺、ギンギンに勃ってんの? いつから?
押し倒されてなんか勘違いした……!?
それとも好きって言われた時からか……っ。
あああもう、マジで恥ずかしい……っ。
「み、見るなぁ……っ」
両手で暴発寸前の股間を抑えながら膝を閉じたら、今度は顔が隠せなくなった。
「す、すみません……っ」
茹でた蛸みたいに頬を赤らめながら、高臣がキスできそうな距離から俺の涙目を覗き込む。
「でも、恥ずかしがってる響さん、可愛い……」
その言葉が、視線が、俺の腹にナイフみたいに突き立って、ナカにズブズブ、切り込んでくる。
「あ、ア……!」
隠してる手の下で、びくびくっとちんぽが震えて、またじわぁっと濡れた感覚が広がった。
ただの欲情じゃなくて、腹の奥でイかされる、のに限りなく近いような……どうしようもない熱感が。
「もっ、ガキの癖にからかってくんじゃねぇよ……!」
腰がヒクヒク、甘イキしたみたいに震えてるのを誤魔化すように、大声で叱り飛ばす。
俺の身体、おかしい。
不意打ちの「好き」で、チンポがズキズキ疼いて、痛いぐらい敏感になってて。
絶対、カラダがバカになっちまってる。
最近後ろでしてなくて、欲求不満が溜まってたから?
だからって普通っ、ここまでになるか!?
「早く、上からどいてくれよ……っ、トイレ、行きたいぃ……っ」
「ご、ごめんなさい、響さん……その……それが……できなくて」
「何でだよ!?」
「すみませんっ、僕も、なんて言うか……股の間に違和感が」
誤魔化すように高臣が横に向けた頬が、汗ばんで赤い。
「はあ!? 倒れた時、俺、ウッカリお前のを蹴っちまってたとか……!?」
「いえ、そうじゃなくて……っ、なんて言うのか」
言葉で言い表せず、思い余った、みたいな感じで、高臣は自分の柔らかい素材のパンツのウエストゴムを掴み、下着ごと引き下ろした。
覗き込んだ俺の視界に、むわあっと湯気が出そうな、フル勃起したデカチンポが飛び込んでくる。
「あっ……あっ……」
赤黒くズル剥けになったカリ高の亀頭がジットリと濡れて、臍に付くほど反り返ってて……うっかり、見入る。
これ、ずっと……欲しかったやつ……っ。
布越しでも凄かったけど、勃起してんのじかに見たら……。
生唾を飲み込みながら、そうっと先端に手を伸ばす。
触るか、触らないかの所で熱気を指で感じながら、じっと高臣の顔を見た。
「なっ、何で、お前まで勃ってんの……?」
期待めいたもので、声がどうしても甘えるみたいになるのを、抑えられない。
「……わから、ないです……。響さんの泣いてる顔見てたら、さっきの動画の響さんの可愛い声、思い出して……気づいたら、こう、なってて」
「ば、バカ……! お、お前なぁ……!! あ、あんなどう考えても演技の汚ぇ喘ぎ声に、何言ってんの……!?」
「え、演技なんですか……!? 凄いですね……っ」
ヘンな尊敬すんな、恥ずかし過ぎるだろ……っ。
「お前はさぁ、この後に及んで……俺がどういうことしてた人間なのか、分かってねぇだろ、全然……っ」
話してるうちに、ウッカリ指が、高臣のペニスの先端をヌルリと触れてしまう。
「アッ……悪……っ」
「ウアッ……! お兄様……っ」
壮絶に色っぽい顔をして呻いた高臣に、頭が真っ白になった。
心臓がドキドキするのを耐えながら、とにかくこの事態をどうにかしなくちゃ、なんて無い頭を回す。
そうだ、お、俺が下にいるんじゃ、お互いどうにもなんねぇ……!
思い余った俺は、油断していた高臣の胸を両手で強く押した。
「わっ」
床に転がった相手の、半端にズボンと下着が脱げた太腿のあたりに素早く跨って、逆転されない体勢を作る。
そんで……上からじっと、高臣のそり返ったデカマラを見下ろした。
「……お前、自分でコレ、どーにか出来んのかよ……。ちんぽ擦って出したことあんの……?」
ストレートな質問に、高臣が顔を真っ赤にして頷く。
「に、二回くらいは……」
良かった……全く何も知らねぇ訳じゃねぇのか……。
まあこんだけ立派なモノ持ってたら、実際かなり持て余すだろうしな……。
「俺の声、良かったんなら……ホンモノ、聞かせてやるよ。特別に、タダで……。そんで、自分で処理しろ……」
俺の下で、高臣が困惑しきった声をあげる。
「お兄様、な、何を……」
構わずに、腕を交差させてTシャツの裾を掴み、それを床の上に脱ぎ落とす。
次に手早くハーフパンツと下着のウエストゴムを掴み下ろして、俺自身の、カウパーでトロトロのちんこを取り出した。
「はぁ……も、すぐ、出ちゃいそう……」
身体をのけぞらせ、わざと腰を揺らして見せつけながら、ヌプヌプと自分の陰茎を擦り始める。
「ンッ、気持ちいい……見られながらチンポ、擦るの、すげぇ、くる……っ」
年端も行かないガキに、自分のオナニー見せつけるとか……。
俺、終わってる……。
湧き上がってくる真っ黒な背徳感が、欲情を駆り立てる。
「腰、溶けちゃいそう……なぁ、お前もしろよ……。それとも、この凄いのに、俺の、擦り付けちゃっていい……?」
高臣は、視線を俺の痴態に集中しながら、コク、コクと頷いた。
すぐ隣のシンクの下の扉に手を伸ばし、ローションのボトルを取り出す。
家が狭いっていうのは、まあ、便利なもんだ……。
俺の股間と、高臣の臍の下にそれをドバドバと垂らすと、冷たかったのか、哀れなうめき声が上がる。
「お兄様……っ」
「悪い……すぐ、あっためてやるからさ……。なぁ、俺の名前呼んで……」
俺は腰を浮かせて下半身にまとわりついてた緩いズボンと下着も脱ぎ去ると、全裸になって、高臣の胴に抱きついて、身体をピッタリと密着させた。
もちろん、下半身も……。
「お兄……響さん、当たってます……」
「はあっ、当ててんだよ……。ほら、ヌルヌルで気持ちいいだろぉ……っ」
ニチャア、とローションの糸を引かせながら、やらしく腰を振って……俺のちんぽの裏筋を、高臣のそれに擦り合わせる。
「ふっ……あ!」
『弟』の口からやらしい喘ぎが漏れて、俺はゾクゾクと背筋を震わせた。
まだ慣れてないから、やっぱ、感じやすいんだ……?
ああ……。これをもし、俺の中に入れてやったら、どんな反応すんだろ……。
見たいな……。俺の中にぶちこんで、精液吐き出すまで、やらしく腰振ってるこの男が見たい。
ゆる、ゆると腰を前後に揺するたんびに、尻の奥が切なくキュンキュン痙攣する。
両手で一緒に握ってまとめて扱いたら、相手はビキビキに血管が浮いて、ますますデカくなった。
それが、可愛くて、嬉しくて……。
……純粋無垢のガキに、最低なことをしてる。
それなのに、この純粋で綺麗な男が、俺の身体の下で喘いでるのを見るのが……堪らない。
「……うぁ、ちょっ」
「あぅう……っ、はぁっ、熱い、信じらんないくらい気持ちいぃ……お前も……一緒に気持ちよくなって……っ?」
腰をずらして、今度は自分の尻の狭間に、デカいちんぽの裏っ側を敷いた。
そのまま適度に圧をかけ、前後にヌルヌル擦り付けながら、前を握って扱く。
「響さんっ、響さん待ってっ……!」
制止なんか聞くはずがない。
カリの出っ張りが尻の穴を擦れるたび、頭の奥がジンと痺れて、チンポの奥から一気に快感が迫り上がる。
「あッ、ン……イク……ッう……ッ」
目を閉じて快感に耽りながら、Tシャツの胸あたりに汚ねぇ欲をぶちまけてやったら……同時に高臣の、筋肉の割れた腹が波打ち始めた。
「ンッ……」
密着させてた尻を少し持ち上げ、肩を捻って振り返る。
途端、でっかいペニスが元気に上下に跳ねながら、俺のヒクつくアナルに向かって、ドロドロの熱い精液をビュッ、ビュッと飛ばしてきた。
肩でする呼吸を繰り返しながら、高臣がトロンとした目で俺を見上げる。
「おにい、様……っ」
「いっぱい出したな……? イイコ、イイコ……」
手を伸ばしてまだびくびくしてるチンポをナデナデしてやると、俺の手に懐くみたいに、またハッキリと硬さと熱を帯び始めて、嬉しくなった。
「ここに来て、初めて抜いたのか……? すげぇ量……」
指を輪っかにして扱きながら聞いてやると、高臣は喘ぎながら、生理的な涙の滲む視線をゆらめかせる。
「夜寝てる時に……勝手に出てたことは……」
「そっか……。ごめんな……? 悪いオニイサマが、ヘンなことして……」
わざとらしく謝ったって、俺はとっくに犯罪者だ。
高臣のチンポも、もう引き返せないぐらいもう一度、俺の手の中でビキビキに勃ちあがっている。
「響さんは、悪くなんか……ウ、はぁ……っ」
「あは……ごめん、強過ぎたな……」
ぱ、と手を離してやったけど、ちんぽの角度は相変わらずで、ドロドロの俺の尻にピッタリと寄り添ってくる。
目が眩むほどムラムラしてきて、俺は高臣の前髪を撫でた。
「可愛い……ごめんな、ちょっと目、瞑っててくんねぇ……?」
「は、い……?」
素直に目を閉じた高臣の前でケツを浮かせ、自分の尻穴にベットリ付いてる粘液を、指先ごとアナルの中に押し込んだ。
「は、あァ……ン……っ」
狭い……他人の穴みてぇだ。
どうやらガバガバだった俺のケツは、若返ってすっかり処女に戻っちまっていたらしい。
上半身は逞しい胸に抱きつくように低くして、腰だけを高く上げ、グチグチねばっこい水音を立てて指を出し入れする。
ケツの後ろで高臣のデカいのが寂しそうにヒクヒクしてたけど、わざと放置した。
だって流石に、無理矢理犯して俺のケツで初めてを奪うのは鬼畜すぎんだろ……。
それはまあ、こいつに釣り合う、どこかのお嬢様の為にとっておいてやらねぇとな。
だからって、こんな手段でセックスしてる気分出すのも、十分犯罪だが……。
ローションと精液を何度も奥まで塗り込むうちに、ナカがだんだんほぐれてくる。
いい頃合いで、更に一際奥まで中指と人差し指を突っ込んで、自分で前立腺をグニグニ虐めた。
高臣にチンポをガンガン突っ込まれてるのを想像すると、ナカがギュンとうねって、指を痛いほど締め上げる。
あぁ、アナニー久々なのもあるけど……こんなに感じたことねぇってほど、クる……。
また、あっという間にイきそう……。
もっと深くまで指を入れたくなって、俺は上体を起こした。
高臣が目を閉じてるのをいいことに、跨いでる両脚を限界まで開いて、片手で身体を支えながら後ろに倒れ、アナルを見せつけるみたいな体勢で、もう一度、ローションを擦り付けたら二本の指をズプズプと入れ直す。
「はあっ、高臣、い、ぃっ……!」
――気分を出し過ぎて、思わず名前を呼んだのが良くなかった。
呼ばれた当人が、パッチリと大きな目を開けて、俺の視線を捉え、次に……指を根本までズッポリ飲み込んだ、恥ずかしい穴に吸い寄せられる。
無防備に開いて美味そうに指食ってるそこが、高臣の澄んだ瞳にしっかりと映り込んだ。
「あ……! バカ、見んな……!」
「……! ひびき、さん……お尻……? どう、なって……」
「はっ、ア……ぁ……っ、だめだめっ、勝手に締まるぅ……っ」
別に俺、人に見られて悦ぶ性癖なんて、サッパリなかったのに。
高臣に見られてると思うと、それだけで中がいやらしくうねって、ひとりでにイクのが止められなくなった。
「うンッ、ぅう……っ!」
ケツをビクビク上げ下げしながら、ポトポト漏れ出るみたいにチンポから精液が垂れ落ちる。
徐々に指を抜くと、そこはまるでイソギンチャクみたいに、ゆっくりした収縮を繰り返した。
「凄い……響さんのお尻の穴、生き物みたいに動いてますね……」
純粋な好奇心みたいな感じの言葉をぶつけられて、ハアハアしながら曖昧に笑うことしかできない。
ほんと、子供すぎて……。とんでもない変態の戸籍上の兄を持ったことを、いつか後悔するんだろうけどよ……。
「は……変なもん見せて、悪かったよ……。お前のも、手でもう一回してやるから――」
言いながら、高臣の腹の上から降りようとした時だった。
「響さん……っ」
がばりと高臣が上半身を起こしてきて、顔が近くなり、ビックリした。
「なっ、何……」
腰にでかい両手を回されて掴まれ、抱っこされるみたいな体勢になり、急に心臓がドドドッと高鳴って、苦しくなる。
ああ、俺、情けないくらい、本当にこいつに翻弄されっぱなしだ――。
「あの……。入れたら、ダメなんですか……。あの動画みたいに……響さんの、中に……あれ、してみたい……」
真剣な目で、だけどどこか色っぽい声音で聞かれて、ギュッと胸が絞られた。
「だっ。ダメに決まってんだろ……」
フイと視線を逸らしたら、駄々っ子みたいにほっぺをすりっと、に揉み上げのあたりに擦り付けられた。
「どうして……?」
「それは……。お前がまだ、子供だから……っ」
「今は、大人なのに?」
耳元で囁くみたいに聞かれて、また、ブルブルっと体の奥に快感が走る。
「ダメ、だ……っ」
「どうしても?」
ああ、もう、理性がぶち壊れそう……。
本当は俺が入れてくれって土下座して泣きつきたいぐらいなのに、どういう拷問してくれてんだよ。
「ダメだってば……っ」
「……じゃあ、キスしていいですか……?」
キス、なんて単語が飛び出してくると思わなくて、ギョッとした。
「だ、ダメに決まってるだろ……!? キ、キスは女の子としろよ……!!」
身の危険を感じてぎゅう、とTシャツの胸を押し返すと、強引に、こめかみにチュッと口付けされた。
喉の奥から、はわわっ、みたいな情けない変な声が出る。
「僕は今、響さんにしたいんですけど」
よく分かんねぇ反論をされながら、今度は口にキスされそうになって、必死に手の甲で守って避けたら、その上にキスされた。
「く、口はダメ……、お前、したことないだろ!?」
「ないから、したいです」
平然と言われて、もう何度目か分かんねーけど、心底、高臣の正気を疑った。
「あのな、俺、たまたま若返ってるけど、中身汚ねぇオッサン」
「響さんは汚くないですし、28歳はオジサンじゃありません」
そういう話はしていない……!!
「それに、俺はお前にとって『お兄様』なんだろ!? 普通兄弟でそんなこと、しねーから……っ」
「兄弟じゃないって言ったのは、響さんですよね?」
「うぐっ……」
黙らされた挙句、更なる屁理屈が俺を襲った。
「口がダメなら、口以外ならいいですよね……?」
そこまで言われちまうと、もう、根負けするしか無かった。
本当は、手の甲以外にもキスして欲しくて、さっきから全身、熱っぽくなってフワフワする……。
「……いい……」
小さい声で頷いたら、高臣が無邪気に抱きついてきた。
「嬉しいです……っ」
輝かんばかりの人懐っこい笑顔で言われて、一瞬ほうけてしまう。
早速汗ばんだ首筋に唇を押し付けられて、びくんと身体が跳ねた。
「そ、そこは、くすぐったいからやだ……」
「そうなんですか? じゃあ、ここは……?」
顔を見られながら、顎先にもキスされて、自然に唇がとろんと開いた。
「……ぁ……」
異常な距離感で、長いまつ毛が俺の額に当たる。
「響さん、どうしたらいいのか分からないくらい、可愛い……」
甘い言葉で蕩かされながら、鼻筋にも柔らかくキスされて、頭の中が沸騰する。
それで、つい……あまりに、近いから……両腕を高臣の首の後ろに回しながら……俺も、高臣の頬に、ぎこちなく、キスしてた。
そんな風に衝動的に、誰かの頬に、したくてキスしたことなんて、初めてだ。
母親はベタベタされるのが嫌いだったし、俺もそうだった。
リョウは歯槽膿漏だかなんだかで、いつも口がクセェから、キスはどうしようもない時以外は断固拒否ってたし。
仕事でするキスも、するのもされんのも、内心いつも吐きそうに気持ち悪かった。
それなのに、高臣のしてくるキスも、こっちからするキスも……泣きそうになるぐらい気持ち良さしかない。
もしかしたら、本当に俺たち、兄弟なのかもな、なんて……そんな戯言を思いつくくらいに、触れたところが溶け合うみたいに、違和感がなかった。
そしてそれに気付いてからは、もう、むしろ俺の方が高臣にキスしまくってしまった……。
綺麗なまつ毛に、男らしい眉尻に、理想の形をしたまっすぐな鼻にも。
相手も、何かそういう競争でもしてるみたいに、負けじとじゃれるみたいに俺にキスし始めた。
髪の生え際とか、まぶたとか……。
耳にもキスされてエロいため息を吐くと、今度は下唇のギリギリ下にチュッとやられる。
キスだけで腰から下が甘く蕩けて、またチンポがジンジンし始めた。
高臣のも、さっきからすげぇことになってるし。
「も、もおストップ……」
のけぞりながら訴えたのに、今度は唇に軽く、チュッとされた。
「わ……っ、ちょ、いまの……く、」
全部言い終わる前にもう一回唇に、今度は長めに吸われる口付けをされる。
か、完全に、確信犯じゃねぇか……。
「く……、ち……」
抗議するはずの単語が、もう一回、とねだってるみたいな、甘い鼻声になる。
そしたら角度を変えてまた、ちゅうう、と表面をねちっこく吸われて……ついに、我慢できなくなり、俺から舌を――綺麗な唇の間を舐めるみたいに、一瞬だけ差し込んだ。
ビク、と震えが伝わって、驚かせたのが分かる。
「ご、ごめん……?」
やば、と思って謝ったが、すぐに「じゃあこっちもいいんですね」とばかり、俺の方にも強引に舌が入ってきた。
「んぅう……っ」
息が苦しくなるくらい、高臣が奥まで入ってくる。
根本の分厚い、大人の男の舌……それが、最初は遠慮してた俺を煽るみたいに、口の中を無遠慮に探り始めた。
「うン……っ、んふぅ……っ」
それはただぎこちなく、舐めまわされてるだけなのに、堪らなく甘くて……脳髄に溢れる多幸感で、もう何も考えられない。
……こんなやらしくて激しい、純粋にお互いがしたくてする恋人キスは、誰ともしたこと無かった。
夢中になって、ずいぶん長い間、何度も、舌を吸ったり吸われたり、擦り合わせたりし続けた。
バカになってたから数えてねぇけど、多分、何度か、キスだけでイかせられてたと思う……。
下半身ぐちゃぐちゃのまんま、溺れるみたいにキスしながら、いつのまにかまた俺が下になって押し倒されて……無意識に脚も腕も、赤ん坊がしがみつくみたいに、高臣に絡ませて、縋っていた。
それで……ほんとに、気付いたら。
おれのだらしなくほぐれた穴に、グイグイ、高臣のいきりたったイチモツが押し付けられていて――。
「だ、ダメ、い、入れんなぁ……っ」
「ごめんなさい……、響さん……無理です……」
ごめんで済む、話じゃねぇ。
張り飛ばしてでもやめさせるべきなのに、俺の口から出たのは、情けない懇願だった。
「ご、ゴム……っ、俺の、財布ん中、入ってるからぁ……、とって……っ」
自分のアホさ加減に涙が出る。
全部、我慢できなくて、俺が誘っちまってるじゃねーか。キスも、セックスも……。
高臣が俺の頭の上で、パンツのポケットから財布を出したはいいものの――躊躇した挙句、俺に渡してきた。
「ごめんなさい、人のお財布を開けるのは……」
こんな時まで育ちが良すぎて笑うけど、弟に犯してもらうためにゴムを出す俺が、一層間抜けで、卑劣な大人に思えた。
「後悔、しても知らねぇからな……っ」
震える指でパッケージを切りながら、免罪符を探してるような言葉を投げつける。
違う。
多分、後悔すんのは俺だ……。
今なら、止まれるのに……。
もつれる指でやっと取り出したゴムを、物珍しそうに高臣がじっと見つめる。
「初めて見ました」
そう言って微笑む『弟』は、信じられないほど純粋で無垢で、罪悪感で心が切り裂かれるほど痛む。
ああ、違う、違う、こいつは弟じゃない、弟じゃない……!
でも、じゃあ、こいつは俺の、何なんだ?
弟でもなければ、友人でも、客でもない、まして恋人でも――なのに、どうして俺たち、こんなことに……。
こんなにゴム、付けるのに時間かけたことない、てぐらい、俺の手際は悪かった。
毛を巻き込んだり、痛がらせたりしながら、やっと根元まで巻きを下ろして、もうその時には、俺はすっかり正気に戻っちまってて、ただ、震えていた。
「なあ、本当にすんの……っ?」
その問いに答えるかわりに、高臣が、俺の尻の間に、暴発寸前の息子を、今度こそ本気の圧をかけて、押し付けてきた。
先端が、グブグブと泡を立てながら、俺の中を拡げていく。
ローションも足したりしてはみたが、ガキに戻ってる上に、すっかり処女に戻ってた俺のケツには、かなり無理のある質量だ。
「うぐっ、やば、痛、め、めちゃくちゃ、太い、む、むり、とまっ、ひぃ……っ」
泣きながら暴れる俺の腰をがっちりと掴んで、容赦なく、高臣が奥まで入ってくる。
「ひ、びきさん、……ごめんなさい、もう、止まれない……っ」
息を詰めながら、一気に、誰も入ったことないほど奥までずん、と突かれて、エロい電流みたいなのが、穴からちんぽの先までビリビリ駆け抜け、女の子みたいな高い喘ぎ声が溢れた。
「やあぁ……っ、い、変……も、そこ、たぶん、腸……っ、入らない、で……むり……っ」
――腹が、破れるかと思った。
俺の身体が小さくなってるせいなのか、高臣がデカ過ぎるせいなのか、すんごい奥まで来すぎてて。
「ひ、びきさん、動かないで、出る……っ」
そう言う高臣の方が、俺の腹の奥、探るみたいにグイグイ、突いてきて……。
「だって……うン……っ、苦し……、はう……っ、奥、やらぁ……っ」
「……っ。この、奥、気持ちいいんですか……?」
「ちが、ぅう……っ!」
「え? でも……すごく、吸いつくみたいに……ほら……」
もう一回そこを、ジュポジュポかき混ぜるみたいに小突かれて、もう、汚い喘ぎ声の他には、何も喋れなくなった。
「あふう……!! やら……深……ずっとイッて……っ、ひぐぅ……っ!」
「響さん……!」
名前を呼びながら、俺の身体を、高臣が乱暴に床に押し付ける。
そのまま動物の雄みたいなメチャクチャなピストン始めて、抱き潰す勢いで犯されて、もう何も考えられなくなった。
「……ああ、すごく気持ちいいです……響さん……っ。セックスって、こんなに気持ちいいんですね……」
深く腹に響く甘い声。
……俺だって、知らなかった。
これで稼いでたし、なんの新鮮さも無くなるほど全部知ってるつもりだったのに、何も分かってなかった。
好きなやつとするセックスが、こんなに狂おしくて、苦しくて、泣くほど気持ち良くて……どうにもならないものだったなんて。
二人分の熱い吐息が切迫する。
俺の一番奥で、高臣の動きが徐々に鈍くなって、正反対に、俺を抱く腕が強くきつくなる。
「はあっ、響さん……!」
抱かれながら耳元で名前を呼ばれて、脈打つように、俺の中で若くて熱い欲望の塊が、絶頂を迎える。
気持ち良すぎて、夢を見てるみたいに、意識が半分飛んでく……。
無力なマグロみたいになっちまった貧相な身体をガクガク揺すぶりながら、俺を抱いてる誰かの言葉が、まだ俺を追い詰めていた。
「……ね、響さん。これって、恋人同士がすることですよね……?」
え。なに……。
「……今、僕、気付いてしまいました……別に、それでもいいんじゃないかって――響さんのそばにいられるなら」
何、言ってるんだろ。
意味が、わかんね、え……。
「元に戻っても、屋敷が嫌なら、貴方の好きな場所で構いませんから。……だから、一緒に暮らしたい……あなたを、幸せにしたい、な……」
なんだ、それ。
そんなの、無理に決まってるじゃねえか。
本当のお前は、義務教育も終わってねぇ子供だろ。
子供のお前とは、俺は多分できない。
そして、お前が本当に子供じゃなくなる時がきたら……この姿になるまで成長したその時、大人のお前は、何も知らないお前をドロドロに汚したこの俺の醜さに気づく、必ず。
恋人になりたいだなんて、思ったことすら反吐が出るくらいに。
しかも……こうまでなっちまって、俺も、薄々気付いちまった。
多分、今のお前は、リョウと付き合い始めた頃の俺と、同じなんだ。
一人きりでとにかく寂しいから、自分を求めてくれる、同じくらい寂しい相手を探してた……俺はたまたま、そこにハマった都合のいい相手で……お前の「好き」って、そういうことだよな……?
……幸せにする?
幸せってなんだよ。
俺には分からない。……欲しい時にいつでもチンポ突っ込んで貰えるってこと……?
そんなの、ずっと続くわけ、ねぇじゃん……。
[newpage]
……高臣はその後も、取り憑かれたみたいに俺の中に何度も入れたがった。
最後はゴムが足りなくなっちまったほど。
ナカでイキ過ぎてぶっとんでた俺は、それを止めるどころか、やらしく自分で尻を掴んで開いて、お願いだから中出ししてくれと、強請《ねだ》った。
入ってきた生チンポで前立腺擦られて、強烈な快感に、更に夢中になって、すっかり歯止めが効かなくなった。
孕まされそうなくらいに種付けされて、その白い残滓を垂れ流しながら、もっともっとと、求め続けた。
最後は俺が上になって、浅ましく腰を使って、高臣を搾り取った。
俺の、意志で。
俺の今の姿は、醜い俺の本性そのものだ。
……自己嫌悪とか不安とか寂しさとか……全部忘れたくて、この高臣が好きだってことと、今の快楽のことばかり考えてた。疲れて、気絶するまで。
気付くと、俺は真っ暗な部屋で、いつもと変わらない古い天井を見ていた。
まさか、と隣を見て、裸の男が静かに眠っていることに安堵する。
身体中の関節が軋んで痛い。
もしかして、熱、出てんのかも……腹も痛くて、もうすぐ下す時のような悪寒がした。
仕方ない、生でもいいからしろって言ったのは俺だ……。
俺が汚したのに、相変わらず綺麗で無垢な高臣の寝顔を見ているうちに、ぽたっと布団に涙が垂れ落ちて、自分が泣いてることに気付いた。
……ずっと、このまんまでいたい。
ぼんやりした頭にそんな気持ちが湧き上がってきた。
やっと、この世で大事だと思える、たった一つのものを見つけて、手に入れたのに。
元に戻りたくないし、戻させたくない。
――いっそ、一番最初の計画通りに高臣を殺して、俺も死んでしまおうか?
死体の始末を考えなくていいなら、それはかなり簡単なことに思えた。
高臣の腹を跨いで、両手のひらで胸から首を撫でつける。
喉仏に親指をあて、指先に少し力を入れてみた瞬間――高臣がゆっくりと睫毛をしばたたかせ、目を開けた。
穏やかで、澄んだ視線が俺を捉えて、その手が俺の頬に触れる。
「……響さん、日が出たら一緒にお風呂いきましょうね。混まない内に……」
優しい手が頬から肩へ、そこから、高臣の首を絞めようとした俺の腕に移って、手の甲を掴み、愛おしそうに、手のひらにくち付けされた。
我慢できなくなって、俺は高臣の裸の肩にそのまま覆い被さるみたいに抱きついて、その胸で涙を拭いた。
「……ウン……いく……」
――小さな声で答えながら、俺は、高臣を殺すことを、もう一度諦めることにした。
それから、俺たちは何だかよく分からない関係のまんま、一日一日を過ごした。
昼間はホンモノの兄弟みたいに、よく街に遊びに行った。
アイス食ったり、ホラー映画見に行ったり……。ゲーセンでシューティングとか、UFOキャッチャーしたり。
高臣は頭が良くて何でも出来るから、狭い家があっという間にぬいぐるみだらけになった。
ショッピングモールのストリートピアノで、高臣がいろんな曲を弾いてくれるのを、横でいつまでも聴いたりもした……。
そんなことしてる間に、俺は母親が死ぬ前の、気楽で無責任な子供に戻ってた。
明日のことなんて何一つ心配せずに、日が暮れるまで散々遊んで、家に帰って、飯食って……。
ただ夜は、俺が誘ったり、高臣が誘ってくれたりして、毎晩激しいセックスをした。
あんなに感じていた罪悪感も、心の奥に押し込んで、忘れたフリをした。
俺がしてやることを、高臣はあっという間に学んで、俺以上に上達していく。
フェラも、ローションを使った遊びも。
しかも、高臣はあの大きな目で俺の反応一つ一つを捉えて離さず、俺の感じる場所を一つ一つ、どんどん把握していった。
俺のことなんか、生きてるオナホぐらいにしか思ってねぇ奴にしか抱かれたことのなかった俺は、ヤバいクスリにハマるみたいに、もうどうしようもなく、ズブズブにとろかされて、高臣の恋人セックスの虜になっていくしかなかった。
俺はわざと、もう、何も先のことを考えなくなった……ある、一つのこと以外は――。
「響さん。このまま東京にいると、満月の日は曇ってしまうみたいなんです。僕たち、多分、少し離れた場所に……当日確実に晴れる所に、旅に出た方がいい気がします」
――布団の中で抱き合いながら、俺のスマホで天気を調べていた高臣にそう言われて、俺は現実に戻された。
正直……その日のことを、考えたくなかったし、行きたくはなかった。
俺自身は、日数を数えもしていなかった。
出来るならずっと今の生活が続いて欲しかったけど、そんなことが叶うはずもない。
高臣には、俺には無い、普通の人生が……戻る場所が、あるからだ。
学校も、友人も、塾や、習いごとも……。
大人の高臣を見慣れすぎて、そんなこと、もう想像も出来ねぇけど……。
「そっか……。じゃあ、少し早めに出て、最後にたくさん思い出、作ろうぜ」
顔を見られないようにそっぽを向いたまま、頑張ってわざと明るく言ってやったら、しっけた布団の中で、急に背中を抱き寄せられた。
「何言ってるんですか。最後じゃ無いです。元に戻ったって、これからも一緒に居るんですからね」
泣きたいような、温かで切ない何かが喉を締め付けて、俺は誤魔化すみたいに曖昧に笑うことしか出来ない。
……今のお前は、そんな風に言ってくれるんだな。
「ン……。そうだな、悪い……」
……お前と、同じ未来が見られたら、どんなに良かっただろう。
密かに唇を震わせていたら、首筋に額を押し付けられ、布団の中で剥き出しの腰を掴まれた。
「何だよ、暑苦しいな……?」
咎めると、小さなため息がうなじにかかる。
「お兄様……僕は、何だか、不安です……」
心臓がドキッとした。
「何が? 何も、お前が不安がるようなことねぇだろ……」
「何も? ありますよ。だって、僕は子供に戻ってしまうでしょう。そうしたら、響さんをあんなに、喜ばせてあげられなくなって……」
「は、はぁ……?」
「学校も忙しくなるから、こうやって毎日もできないし。そうしたら、響さんが浮気するかも」
「な、何言っちゃってんだ、お前は……!」
……高臣の勝手に考えてる未来は、俺には流石に予想外過ぎた。
面食らって、顔が熱い……。
「ねえ、響さん。僕、早く今と同じくらいの身長になれるように、努力するので……。だから、僕を捨てたりしたらダメですよ。ちゃんと、待っててくれないと」
必死な感じで訴えられて、思わず笑ってしまった。
「ははっ……分かったよ、待ってる……」
「絶対ですよ! 十八になったら、ちゃんと結婚も申し込みますからね。それまで、他の男の人としたらダメですよ。……お仕事なら、仕方ないから我慢しますけど……」
「ふははっ。何それ……理解ある旦那様すぎるだろ……!?」
笑い出した俺の尻に、熱い手がさらりと落ちてきて、そっと触れる。
その手に、俺も手を重ねて、いやらしく撫でた。
「ほんとに我慢できんのか……?」
「勿論。……あなたのこと、世界一愛してるから……どんなことでも我慢できます」
愛、と言う言葉を初めて使われて、全身が震えた。
「そ、か……」
俺には、その言葉を返せそうになかった。
本当に心の底から、高臣のことを、好きになりすぎていたから。
「……他の男とは寝ない。……お前が大人になるの、ずっと待ってる……」
――振り向いて口付けしながら、俺は、半分守れない約束をした。
[newpage]
満月の日の朝、俺たちは電車に乗って、二人きりで旅に出かけた。
俺にとっては多分、人生最初で最後の、『家族旅行』だ。
台風を避ける形で、目的地は東北になった。
ネットで予約が出来て、鍵が暗証番号式の遠隔チェックインで、素泊まりすれば誰かと顔を合わせるのは最小限で済みそうなところ。
そんな条件で、俺も一緒に探して、リノベーションした一棟貸しの古民家に決まった。
すぐそばに風情のある谷川があり、敷地内に温泉が付いていてるのがウリらしい。
東京駅から新幹線に乗り、いよいよ都会を離れると、俺も高臣も子供みたいにはしゃいだ。
お互いの弁当を奪い合ったり、カードゲームしたり、景色見ながら取り止めもなく喋ったりもした。
「響さん、ほら。あそこに鉄塔が見えるでしょう。知ってますか、鉄塔ってね、性別があるんですよ」
そう言った高臣が指差しているのは、田んぼの中や山の合間にしょっちゅう見える、なんてことのない鉄塔だ。
「何だそりゃ……なんかが違うのか?」
「あんな風に、男性が肩を張ってるみたいに見えるのが、『懸垂型鉄塔』と言って、あだ名が『男』鉄塔なんです。で、あっちの首飾りを付けているみたいに見える方が、『女鉄塔』」
「へーえ。じゃあ、あの、柱が一本立ってるみたいに見えるやつは?」
「あれは環境調和型の鉄塔ですね。モノポール鉄塔といいます」
「……お前、マニアックだなぁ」
高臣が得意げに微笑む。
「意外と多いんですよ、鉄塔マニア。それに、色んな種類の鉄塔を探してると、何時間電車に乗っていようが、飽きません。あっ、ほら、今、潜り抜けたの、分かりにくいけど、門型鉄塔です」
……俺の過去にも触れず、高臣の帰っていく世界にも触れることのない、ただ優しいだけの会話。
変わり映えのしない郊外の景色を嬉々として楽しんでいる高臣は、酷く眩しく見えた。
そして、俺にも小さな子供の頃、そうやって世界の全てが輝いて見えていた時があったなって思い出せた。
俺もそんな頃に戻った気持ちになって、新幹線からローカル電車に乗りかえた後も、一緒に珍しい鉄塔をずっと探していたら、すっかり鉄塔に詳しくなってしまった……。
電車を降りて、バスに乗って、しばらく食事や観光に寄り道したり、暑さのあまりアイスクリームを食ったり、夕飯の食材買ったりしつつ、俺たちは目的地に向かった。
川沿いの温泉街の、だいぶ外れにある宿に辿り着いたのは、ちょうどチェックインの午後三時頃だ。
築百二十年の別荘を改装したらしい古民家で、小さな日本庭園の簡易な柵の向こうの深い谷川を渡るため、赤い欄干の和風の反り橋がついている。
そこを渡ると川向こうの離れの温泉に行けるようになっていた。
家の中は、襖で仕切られた畳の和室と、レトロなタイル張りのキッチン、他に天井の梁なんかをあらわにした、囲炉裏付きの板の間がある、こじんまりしたつくり。
高臣が布にくるんで大切に持ってきた照魔鏡は、うっかり壊したりしないように、庭に面した和室の床の間に置いた。
「国立天文台のサイトによると、今日は月の出が十七時で、入りが夜中の一時三十三分です。ちょうど南中する午後十時前を目指して庭に出れば、元に戻ることができます」
「……分かった」
「それまでは、温泉に入って、ご飯を食べて、旅行、楽しみましょうね」
観音開き式の壁の物入れを開け、高臣があそいそと荷物を片付ける。
俺は備え付けの茶を入れてみたり、座卓に置いてあったサービスの胡桃ゆべしを食ったりしていた。
「なあ、これ、美味い」
高臣に話しかけたら、目の前に浴衣を差し出された。
「え。風呂入る前に着替えんの……?」
「ここで着替えていくと、すぐに温泉に入れるので。――はい、響さん、万歳してください」
ニコニコしながら言われて、素直に両手を上げたら、汗ばんだTシャツをスポンと上に脱がされた。
「いや、子供じゃねぇんだけど……」
「だって、少年の響さんを甘やかしたりできるのは、これで最後でしょう」
真剣な顔でそう言われたから、俺は仕方なく、されるがまんまになることにした。
ウエストがゴムになってるハーフパンツも同じように脱がされて、ボクサーパンツ一枚にされる。
畳に膝を着き、浴衣を手に取ろうとする高臣の隣で、俺は自分でそいつも脱ぎ捨て、素っ裸になった。
「響さん? そこまで脱がなくても……」
「すぐにヤれるから良いだろ?」
わざとらしくそう言ってやったら、整った形の唇が吸い寄せられるみたいに、俺のちんぽの先端に口付けた。
「……あ……」
高臣の波打った柔らかい髪に触れ、押し付けるように誘うと、濡れた熱い舌が滑り、あっという間にそこに血が集まる。
「……もっと……」
口に含んで吸って欲しくて、ねだるように腰を揺らして先端を擦り付けたら、わざと避けるように根本にキスされた。
「風邪、引いてしまいますから。まずお風呂に行きましょう?」
「う……。分かったよ……」
この、勃起しまくってるの、どうすりゃいいんだ……。
身体にスイッチが入ってエロい気分になってるのに、肩から浴衣を掛けられる。
仏頂面になってたら、合わせを閉じる前にも乳首に吸い付くようなキスをされて、泣き声みたいな喘ぎが漏れた。
「そこ……弱いの、知ってるだろ……っ」
「ええ。後でたくさん、可愛がってあげますね」
「……っ、とんだスケベ男に育っちまって……」
「あははっ。お兄様にそう言って貰えるのは、光栄です」
ギュッと帯を締められて、不自然に股間に皺が出来てはいるが、ちゃんと浴衣を着せられた。
ムラつきと、仕返ししてやりたい気持ちで、高臣を睨みつける。
「俺も、お前に浴衣着せる。今度はお前の番」
「どうぞ」
了承されて、腕を上げてもらったはいいものの。
自分よりも身体のデカいヤツを脱がすっていうのは、想像するよりも難しい作業だった。
デニムのベルトを外し、窮屈そうな前立てを開けて、ズボンを脱がせたのはいいものの、Tシャツは流石に厳しい。
「脱がせにくいから、座ってくれよ」
「分かりました」
正座で畳に高臣を座らせ、俺は膝立ちになってシャツの前ボタンを外していく。
至近距離からじぃっと顔を見つめられて、自分で言い出したことなのに居心地が悪くなってきた。
「……見過ぎ……」
「ごめんなさい。響さんが、生まれた時から僕のお兄様だったら、こんな感じだったのかなって」
「……弟に欲情しまくりながら服脱がせるお兄様がどこの世界にいるんだよ……」
「ふふ。そうですね」
肩を震わせて笑っている高臣の上半身からシャツを剥ぎ落とす。
色は白いけど、筋肉のしっかりついた、分厚く逞しい上半身。
その腕の中で強く抱き締められながらされた時の熱っぽさを思い出して、下半身がズキズキする……けど、我慢して浴衣を上から肩に掛けた。
「ええと……どっちが上だっけ……?」
戸惑ってるうちに、さっと相手が立ち上がり、手早く浴衣を着はじめる。
「おい、ちょっと、何で」
抗議したら、フッとエロい感じの流し目で、言われた。
「響さんの浴衣が、濡れてきてしまってるので……早く着なくちゃって」
「……!」
確かに、下を見ると、股間のところに情けないシミが付いてしまっていて、思わず両手で隠した。
「誰のせいだよ!?」
「すみません、そんなに期待して下さってるのが、可愛くて……」
「そうだよっ、期待してるよ……っん」
唇を塞がれて、尻をギュッと掴まれて揉まれながら、優しく、唇に触れるだけの焦らすキスを繰り返された。
「っは、高臣、なあ、お願い、舐めさせて……っ?」
良い加減に焦れ過ぎて、必死になって頼んでしまう。
「僕のこと、我慢できなくさせるつもりで言ってます?」
涙目でこく、こくと頷いた。
「可愛いな……少しだけですよ」
俺は嬉々として、高臣の足元に膝立ちになった。
浴衣の前が目の前で開いて、下着のゴムがずらされ、半勃ちの太いモノが視界に飛び出してくる。
――この男に会うまでは、フェラは仕事を早く終わらせるために仕方なくやる、単なる苦行でしかなかったのに……。
高臣と目を合わせながら、舌を伸ばして、心底味と感触を楽しみながら、色んな角度から少しずつ、舌を這わせた。
しっかり生えてる毛の根本に口づけをして、裏筋に細かく舌を当てて……ずっとしゃぶってられるように、指はわざと一切使わずに、唇と舌だけで焦らすように愛撫する。
それでも高臣はしっかりと硬さが出てきて、先端からもカウパーがダラダラと溢れ、いやらしい水音が立った。
ハァハァと息遣いが乱れて、高臣の表情が、穏やかなそれから、欲情した雄のものに変わっていく。
俺が焦らすのに耐えられない、って感じで、腰が震えてるのがわかる。
内心嬉しくなりながら、唇の中に先端を含んだ途端――ずん、と喉奥まで突かれて、おぐぅ、と変なうめきが漏れてしまった。
高臣が俺の後ろ髪を掴んで、息だけで喘ぎながら、デカすぎるモノを、遠慮なしで喉に擦ってきて……。
唇の端に痛みが走って、少し切れちまったのが分かった。
でも、そのくらい焦れてくれてるのが逆に嬉しくて堪らない。
そのまんま舌を下げて喉奥を広げ、目一杯受け入れて、ジュポジュポとディープスロートを続ける。
口いっぱいに頬張ったそれが、健気に痙攣し始めて、心からこの男が愛おしい。
出して……。
と、懇願するように、バキュームを深くする。
なのにいきなり、ずるぅっと乱暴にチンポが口の中から抜き出されて、直後にビチャビチャと激しい顔射を喰らった。
「んぷっ、……はぁ……っ」
温かい感触に舌を伸ばして舐めると、舌触りが重く苦い精液と、俺の血の味が混じって、ますます興奮する。
でも、高臣の方は自分で自分の行動にビックリしたらしく、畳に手をついて全力で頭を下げてきた。
「ごめんなさいっ、ああ、いつのまに血が……っ、酷いことを……っ」
「別に、そんな痛くねぇよ。……口ん中で出しても良かったのに……」
「ああもう……響さん……っ」
酷い顔を座卓の上にあったおしぼりで拭かれて、笑ってしまった。
だけど、高臣の方は真剣な顔で眉を寄せて、跡が残るほど俺の背中に指を食い込ませ、抱きしめてきた。
「……僕、どうしたらいいんでしょう……最近、嫉妬が止まらないんです。響さんに、こういうことを教えた人に……」
子供っぽさの混じった素直な告白を口にする高臣に、ちょっと驚いた。
同時に、愛しさと、申し訳なさで胸が締め付けられる。
ごめんな、と謝ろうとしたら、逆に謝られた。
「ごめんなさい、こんなこと言っても……困らせるだけなのに……っ」
首を横に振って、俺は高臣の胴を抱きしめた。
「ううん、俺は、嬉しい。……すごく……お前にも、そんな子供っぽいところがあるんだな?」
からかうようにそう言ったら、畳の上に押し倒されて、浴衣の胸をガバッと緩められた。
「ちょっ、何する……」
あっという間に高臣の熱い手が入ってきて、乳首が優しく摘まれて、クリクリと倒しながら力をこめられる。
「あァァ……っ、や……、はぁ……ン、ンン……っ」
器用な高臣の指の、絶妙な力加減でそれをされると、ちんぽを擦られてる時と同じくらい、恥ずかしいほどヨくて……のけぞりながらビクビク感じてしまう。
「乳首がこんなに感じやすいのも、何でなのかって思うと……」
乳首の先っぽをギュムと搾られ、イくのに近い、強い疼きがゾクリと腰に響く。
「やぁ……っ! うっあ……そ、それはぁ……、お前としてからっ、初めてこんな弱いって気付いたんだってば……、あんまり、しつこくいじる、からっ、ひ……っ」
腰をねだりがましく揺らし過ぎて、せっかく着た浴衣も乱れに乱れ、ずぶ濡れのちんぽも、ヒクついてる尻も、すっかりむき出しになっていた。
「ああ、響さん……ごめんなさい、こんなことにして……」
背を丸めて恐縮する高臣の、態度とは裏腹にもう元気になってる股間を足の指で撫でる。
俺は吐息の混じった声で、懇願した。
「なあ……風呂、連れてって……。もっと、俺のやらしいとこ、見つけてくれよ……」
◇ ◇ ◇
……俺たちは、まるで少しでも離れ難い獣のつがいみたいに、手を繋いで、庭から橋を渡った。
離れの小さな湯殿は、滝の音が聞こえる、風情のある露天で、高台から温泉街を見下ろす眺めがすごく良いっていう評判だ。
小さい小屋になってる、新しくて清潔な感じの屋根のある脱衣所に入って、秒で浴衣を脱ぎ捨てる。
サッシになってる扉を開けて、すぐ外――温泉の手前の壁際に付いてる小さな洗い場に、俺は高臣に手を引かれて連れてかれた。
そこで立ったまんま、優しく抱きしめられてから、まるで赤ん坊でも大事に洗うみたいに、身体の隅々をボディーソープで洗われ始めた。
指の先から、足の先まで。
髪も、背中も、尻も、全部。
「目を閉じてください。泡が入ってしまうから……」
言われて素直に目を閉じると、背中から尻をゆっくり手で撫で下ろされて、ゾクゾクする。
さっきイクのも入れてもらうのも我慢したから、勃起したまんまだし、どこもかしこもめちゃくちゃ感じやすくなってるのに。
いつのまにか背後に回られて、後ろから尻を指で広げられて、敏感な会陰をくすぐられたかと思えば、前から硬くなった竿や玉をやらしくヌルヌル手のひらで転がされて、翻弄される。
「あっ、はァ……っ」
腰がガクガクして、やらしい吐息が我慢できなくなった。
「な、あ、目……開けちゃダメ……? 感じすぎて、辛ぇんだけど……」
「ダメです。ちゃんと、閉じていて下さい……」
後ろからピッタリ密着されて、びくんと身体が跳ねる。
泡でぬめった尻に、熱くて硬いものを当てられたまんま、擦られて、焦らされて……。
「あぅう……っ、それ、ほしい……っ、高臣……っ」
尻をずらして入れてもらおうとするのに、視界がないから、難しい。
どうにか両手を使って、後ろにあるちんぽを掴んで固定しようとしたら、その腕を取られて、手拭いで縛られてしまった。
「ちょっ。こんなプレイ、教えた覚えねぇんだけど……っ!?」
流石にびっくりして、後ろに向かって抗議する。
「だって、響さんを自由にすると、すぐ僕に色々しようとするでしょう」
ああ、確かに……? そりゃ仕事のクセだ……。
「だから、せめて今日は……その、ここからは、僕が響さんを気持ちよくしたくて」
耳元で囁かれながら、俺の脇腹から、胸の方へ、大きなヌルヌルの手がゆっくりと這っていく。
「あ、あぁぁ……っ」
期待で乳首がハッキリと勃つのが分かる。
こんな状態で、触れられたら――。
目を瞑ったまま震える俺の張った乳首の根本――乳輪から近付くように、優しく指が周囲をなぞり始めた。
「ウン……っ! 乳首やばいっ、外なのにっ、声っ、止まんなくなるからぁ……っ」
「いいですよ、いやらしい声、いっぱい出して……だって、アパートだと響さん、我慢してたでしょう」
そりゃまあ、隣に筒抜けだからな……!
それでも何回か、壁ドン喰らっちまったけど……。
腰の後ろで手首を縛られてるせいで、逃げることも出来ず、高臣の腕の中でゾクゾクと感じ続けることしかできない。
「はァっ、オッパイ触られんの、感じすぎる……っ」
先っぽを搾られて引っ張られたり、潰されるみたいに扱かれたり……。
更には、うなじに強く吸い付かれるみたいな感覚がして、腰が砕けそうになる。
跡がつきそうなぐらい強く、キスされてる……。
高臣のものだって印を付けられたみたいで、堪らない気分になった。
必死で尻を相手の腰に押し付けながら、自分でも身体をよじって、高臣の指に乳首を擦り付ける。
「気持ちいいですか? 乳首だけしか触ってないのに……?」
ぎゅむーっと乳首をつねられて、痺れるような淫靡な快感が限界までそこに集まって、弾けた。
「……うンン……っ、いく、乳首だけでイッちゃう……っ、アアアッ、い、くぅ、ぁぁ……ッ」
ちんぽ触ってもらえてねぇせいで、下っ腹をヒクヒクさせながらメスイキしてしまい、膝がガクガクになる。
「響さん、本当に敏感ですね……我慢してちゃんと立っててください」
注意されて、ハァハァしながらどうにか頑張って踏ん張って堪えた。
高臣の手が俺の下腹に降りていく気配がして、放置されてたちんぽをゆるりと温かい感覚に包まれる。
「あ……っ」
期待に震えると同時に、俺の背中の上から下へと、強く吸う口付けが移った。
熱い唇に無防備な背骨周りを吸われるたび、目眩がするほど感じる。
高臣の手の中でも、ちんぽがひとりでに何度も跳ね上がった。
「まっ、背中もっ、弱いぃ……っ」
「知ってます」
自信たっぷりに言われながら、尻の間にまで――キスされた。
「こら、やめ……っ、おまっ、それは絶対ダメだって……そんなことっ、一度もさせたことなかっただろ……!? 泡ついてるしっ、ほんとマジで、病気になるから、やめ……、あ……っ!!」
必死に止めたのに、俺の中に生温かい肉がズブリと入ってくる。
ああ、ナカ、舐められて、る……。
「やぁっ、ダメだ、ナカ、ぁ……ア」
尻を閉じようとして力を込めても、結局高臣の舌をエロく締め上げてしまうばっかりで、甘い喘ぎ声ばかりが漏れてしまう。
しかも、ちんぽの方も亀頭をくすぐるみたいに指でヨシヨシされてるのか、気持ちよさと我慢汁が止まらない。
「あうう、無理、立ってらんねえ……っ」
ガクン、と膝が折れて、前のめりになりかけたのを、腰を支えて止められる。
上半身だけ支えを失い、前屈みたいな変な体勢になっちまっても、高臣は俺のそこを深く突きこむように舐め回し続けた。
ナカがとろけるみたいに熱く、ヒクヒクが止まらなくなって、腰がガクガク震える。
「あんっ、はぁっ、まって、まっ、だめ、また、イッ……ぐ……っ!」
今度は尻でイき果てて、高臣の手の中にもドピュドピュ白いのを出してしまって……やめさせなきゃ、よりも「気持ちイイ」で頭ん中がいっぱいになる。
痙攣しっぱなしの卑猥な肉の中を、堪能するみたいにぐるりと舐めた後で、舌がやっと引き抜かれた。
「だめ、て、いった、のに……」
膝がガクンと崩れ落ちて、流石に目を開ける。
俺は、高臣の膝の上に座らされていた。
「響さん、可愛かった……このまま泡を流して洗ったら、お風呂行きましょうね……」
後ろから抱きしめられながら言われた言葉に、俺は驚愕した。
「なんでっ、手、外してくれねぇの……!?」
「ダメです。僕が全部やるので」
天使の笑顔で言われて、ゲッとなった。
「お前、人当たりはいいのに、性格、ほんと強引……っ」
「ふふ。今更気づいちゃいました?」
「最初っから気付いてるよ……けどまあ今は」
そんなとこも好きだけど、とうっかり言いかけて、口をつぐんだ。
好きだなんて、そんなこと……俺には、言う資格ねぇだろ……。
「……今は?」
「……何でもない」
黙ってると、腰を支えて再び立たされて、拘束されたまんまシャワーを浴びせられた。
丁寧に体の隅々までなぞられて洗われながら、胸の奥がチリチリ疼く。
俺も、好きって言ったら、どうなるんだろ……。
いや、それはダメだよな……。
悩んでる間にも、エロい感じで下腹とか内腿の間とか洗われて、陰毛も指でとかすみたいにされて……もう頭の中、ソレしか考えられなくなってくる。
高臣もそれが分かってるみたいに、指先でわざと俺のアナルをゆっくりかすめたり、張ってる玉の方を確認したり、エッチな触りかたされて……。
何回か軽く甘イキしながら、とうとう全身綺麗になったところで、やっと縛られてたのを解いてもらえた。
ふらついてるのを支えられながら、一緒に温泉につかった後も、高臣の膝に座らされて、後ろから抱っこされ、甘やかされ放題だ。
「……あと、少ししか時間がありません。……大人の僕に、してほしいことがあったら、何でも言ってください」
耳元で優しく囁かれて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「あの鏡は、また事故があると危ないので、処分するつもりなので……」
言われて、ハッとした。
そう、か。
あの鏡……。
今日で最後……。
湯面に、俺の顔が映ってる。
幼くて頼りない、子供の俺の顔。
それを眺めたまま、俯いて、小さな声で頼んだ。
「……。部屋に帰って……エッチなことして、一緒に手、繋いで寝て欲しい……」
「勿論、いいですよ。……僕もそうしたいです。でも、夕飯もちゃんと食べましょうね……」
優しく強く、包み込むように抱きしめられて、涙が一粒、ぽろっと落ちた。
◇ ◇ ◇
――湯の中でも散々、キスしたり、入れないまでも、後ろを慣らされたりして……のぼせてフラフラしながら母屋に帰る頃には、すっかり日が傾き始めていた。
誰も見ていないのをいいことに、手を繋いで歩いていると、熱が残っている体がフワフワする。
母屋に帰る赤い橋を渡る時に、俺は足を止めて、吸い寄せられるみたいに、数メートルほど下の谷川を眺めた。
梅雨がまだ明けていないせいか、ずいぶん水位が高くて、水も濁っている。
「……響さん、気を付けて。欄干が低いから、脚を滑らせたりしたら大変です」
手を強く握り直されて、橋の真ん中に引き戻された。
……高臣以外に誰かにそんなに心配されたのは、もう記憶が薄れるくらいにずいぶん昔だ。
父親のようで、兄のようで、弟のようで……友達のような、恋人のような。
高臣が俺の人生になかった全部を、一生懸命、一人で俺に注ぐから、俺はすっかり、以前とは別の人間になっちまった。
多分、元に戻って、すぐにもう一度照魔鏡を覗き込んでも、今の俺と同じ姿になることは無いだろう……。
――傾いた日の光に照らされ、夢の中を歩いているみたいな気分で、母屋に帰った。
逆光を背中に、縁側に下駄を脱いで一緒に部屋に上がる。
もうすぐ日が暮れてしまう……。
外を眺める俺の後ろで、高臣が二人分の敷布団を敷いてくれた。
「響さん」
呼ばれて振り返ると、高臣が布団の上に座り、両手を広げて待っている。
俺は素直にそばに言って、押し倒すみたいに思い切り抱きついた。
「おっと」
ギュッと抱きしめあいながら、ゴロゴロと布団の上を転がる。
俺が上になる体勢で布団の真ん中に来ると、高臣は楽しそうに笑い声を立ててから俺の髪を撫で、黙ってしがみついてる俺の耳に、優しく囁いた。
「大好きです、響さん」
ウン、と頷くことしかできない。
顎を上げて、目線を合わせたら、唇が重なった。
舌を入れてしっかりと絡める大人のキスをされながら、高臣の我慢強い、硬いちんぽに太腿を擦り付ける。
「ン、……っ、うっ、……ふぅっ」
クチュクチュ舌を吸われながら、浴衣の尻をがば、と捲られた。
尻たぶをぐにぐに揉まれながらキスされると、アヘった喘ぎ声が唇の間から漏れて、期待してるのがバレバレになってしまう。
そのうちに、先走りでヌルヌルした高臣の亀頭の先が俺の尻の間をズリズリ擦り始めて、俺は慌てて唇をもぎ離した。
「はぁっ、まっ、濡らすから……」
今の俺の穴は小さくて狭すぎて、流石にローション無しじゃ、高臣の太さはキツい。
高臣の身体の上にのしかかったまま、布団の脇に置いたリュックサックに手を伸ばし、ポケットを開けて、四角い、薄いパッケージを二つ取りだす。
ローションの方を破ろうとしたら、勝手に両方とも高臣に奪われた。
「おいっ」
抗議の声を上げた俺の尻の狭間に、冷たくぬめった潤滑液が滴り落ちる。
「……ん……っ」
高臣の指がこぼれ落ちないようにそれを掬い、風呂で可愛がられて柔らかくなってる俺の穴の中に、素早く塗り込んだ。
「あぅ……っ」
ずっと待ち焦がれてた俺の穴は、その刺激だけでももう、堪らなくなる。
優しく中を慣らしてくれてるだけの高臣の指を、キュウキュウ締め付けて、気持ちいいところを擦って貰うために、深く呑み込もうとしてしまう。
「響さん、お尻揺れてる……指だけで気持ちいいの?」
両手を布団について身体を支えながら、うん、うんと何度も頷く。
俺の下にいた高臣が、不意に身体をずらして、乱れた浴衣の間から、俺の腫れぼったい乳首に吸い付いてきた。
「あ! あぁはぁ……っ」
前立腺をコリコリと指で責めるのと合わせながら、優しく何度も乳首を舌で転がされ、涎が垂れそうになるほど、快感に夢中になっていく。
「だめ、だめ、いく……それすぐイクからやめて……っ」
逃げようとして身体をのけ反らせると、危ういところで指がぬぷりと外れた。
「ハアッ、はぁぁ……っ」
穴が寂しがってギュンギュン痙攣し、ローションがドロリと溢れ出す。
ボーッとしてたら、高臣が回転するみたいに体勢を変えてきて、俺の背中が布団に押し付けられ、相手が上になっていた。
「ちょっ、なんだよ……」
戸惑いながら綺麗な顔を睨むと、黙って俺の腰から浴衣の紐が抜かれて――それで、手首を縛られ始めた。
「おいっ、なんでまた……っ」
「言ったでしょう。僕が、全部したいから……」
俺の手首を縛り終えて、そう言った高臣は、上体を起こし、自分の浴衣を逞しい肩から外し始めた。
その姿は、雄っていう言葉がピッタリなくらい、野生的でセクシーで、ドキドキした。
「わかった……、からっ、早く……」
縛られた手首を、伸びをするみたいに高く上げて、交尾待ちのメスって感じで、両脚を限界まで開く。
「言われなくても、僕ももう……つ」
高臣は手早くゴムを付けるなり――すぐに俺の中に突っ込んできた。
「ああああっ! 高臣ぃ……っ!」
性急な挿入で、ビキビキに血管の走ったチンポを奥の奥まで受け入れた途端――恥ずかしげもなく、叫びながらイキ果てていた。
甘い痛みも息苦しさも、高臣の我慢できないって感じの一方的な乱暴さも、嬉しくて、愛おしくて、堪らなく気持ちいい……。
「響さん、僕のこれ、好きですか……っ?」
ズコズコ遠慮なく突かれながら、俺は必死で首を縦に振り、縛られたまんまの腕を彼の首に回した。
「ウンッ、好き……っ、大好き……っ!」
「今までの男よりも……!?」
「いちばん、これが、好き……っ、てかもう、これしか好きじゃねぇよっ、……ア……!? ちょ、なんで、また太くなって……うゥっ、ンッ……!」
キスで唇を塞がれて、呼吸困難になりながら、なんとか鼻で息をするんだけど、追いつかない。
意識が朦朧となりながら、もう一回、高臣を強く締め上げながらイく。
「うんっ、ハアッ、はんん、イイっ、デカいちんぽ奥にあたってるっ、あンッ、すげえ気持ちいい……っ、いっぱいイってるぅ……っ」
今までいた安普請のアパートじゃねぇし、周りは自然に囲まれていて他の建物もないもんだから、喘ぎ声がつい大きくなる。
それに興奮したのか、高臣もますます激しく腰をふってきて、すぐに俺の中でビクビクと震えてイキ始めた。
長く吐ききってから、全然萎えねぇのがズルリと抜かれて、パチンとゴムが外される。
そん中に、白いのがいっぱい溢れそうになってるのを見て、たまんなくなり、俺はつい懇願してしまった。
「なぁっ、生でして……っ。ゴム、変えるたび、抜かれんの、寂しくてやだぁ……っ。俺ん中で、ずーっと、いっぱい中出しして……ずっと、シて……っ!?」
「響さん……!! ……後悔しても、知りませんよ……っ」
高臣の目が爛々として、獲物を狙う肉食獣みたいに鋭くなる。
うっとりとしながら、俺は微笑みながら頷いた。
「孕むまで出されたって、後悔しねぇから……っ」
――俺の望みを、高臣は勿論、宣言した通りに……叶えてくれた。
その後もキスしながら、三回も中出ししてもらって……。
あとで、もっかい風呂入って、掻き出して。
掻き出してるうちにまた盛り上がって、結局そこでもバックでヤッちまって。
戻ってきて少し休んで、ようやく落ち着いてから、二人してキッチンに立って、夕飯にカレーを作った。
俺は、学校の調理実習以来の料理で、まあ、控えめに言っても、散々手こずった。
「そこは猫の手です」とか、「ジャガイモが小さ過ぎる」とかなんとか、色んなこと言われまくったけど、最後は無事に形になったカレーは、俺が人生で食べた中で、間違いなく、一番に美味いカレーだった。
食ったあと、洗面所で並んで、尻を叩き合ったり、鏡越しに笑わせあったり、ふざけながら歯を磨いて、新しい予備の浴衣に着替えて……あんなに楽しかったこと、生きててなかった。
刻一刻と、タイムリミットは迫ってたけど。
……そして、俺の願いで、最後の時間が来るまでは、一緒の布団で少しだけ、手を繋いで兄弟みたいに眠ることにした。
お互い旅路とセックスで疲れてたから、ちゃんと起きられるようにアラームをかけて。
――日が落ちて真っ暗になった部屋の中に、怖いほどの静寂が訪れる。
聞こえるのは、高臣の規則正しい寝息だけだ。
俺は目を開けて、高臣が完全に眠ってしまうのを静かに待った。
カレーを食べる時に、高臣のコップにだけ、家から持ってきた睡眠薬を入れておいたから……疲れとそのせいで、高臣はすぐに寝入った。
手を離して起き上がり、スマホのアラームを消す。
試しに高臣を枕元で揺さぶると、ウーン、とか反応するけど、夢うつつな感じで完全には起きない。
俺は静かに立ち上がり、寝室の障子を大きく開け放った。
月明かりが和室の奥まで、さあっと差し込んでくる。
月がもう、空に上がっている。
俺は床の間に行って、布をかけてある、あの鏡を注意深く手に取った。
それをそうっと持ってきて、高臣の布団の横で裏返しにして、慎重に布を取る。
今の俺と同じ……裏面の、醜く、恐れをなした鬼の顔が現れた。
眠る高臣の、布団の腹のあたりにその鏡を置き、少し斜めにして、まんまるな白い月を映す。
……その強い反射光の中に割り込むように、俺は鏡を覗き込んだ。
金髪になるまで髪を脱色した、青白い暗い顔の男が、恨みがましげにこちらをじっと見つめてくる。
手が少しずつでかくなり、骨ばって、少し大きかった浴衣の袖が、ちょうどよくなって……。
「本当に、戻りやがった……」
髪に触ると、バッサバサの酷い感触がした。
さっき高臣が丁寧にリンスして、櫛でときながら乾かした俺のツヤツヤの黒髪は、もうどこにもない。
手首の縛った跡も、切れた唇の端の傷も、首筋や胸、それに多分、背中に付けられた鬱血痕も……全部跡形もなく、消えてしまった。
――残ったのは、誰にも愛されたことがない、不健康で憂鬱な、汚い大人の俺だけだ。
大きくため息を吐きながら、次の仕事に取り掛かった。
鏡の反射光に当たらないように注意しながら、体格が近くなって持ち上げやすくなった高臣の上半身を支えて起こす。
月の反射光を高臣の顔に当てながら、俺は高臣の身体をゆすった。
「なあ、起きろ、高臣。一瞬だけでいいから、ほら」
ペチペチ頬を叩いて無理矢理に起こすと、長いまつ毛が震え、眠たげな半目になりながら、高臣が目を開けた。
その瞳が一瞬鏡の光を映し、すぐに閉じる。
でも、――それでもう、十分だった。
腕の中の高臣が、どんどん小さく、華奢になっていって。
身体が薄くなり、顔のパーツが小作りになって、頬は少年らしくふっくらとして……。
そして俺の腕の中に残ったのは、少女にも見えるようなあどけない寝顔をした、俺の弟だった。
初めて会った時は、気付かなかった。
気付けなかった。
こんなにも、頼りないほど幼い、可愛い顔をしていたんだってことに。
「ごめん……。本当に、ごめんな……っ」
安らかな寝顔を見つめながら、鏡を見るように、自分の醜悪さを思い知った。
いや、心のどこかではずっと気付いてた。
こいつはただ、兄弟や家族が欲しかっただけの、寂しい子供だった。
なのに俺は、高臣の純粋さ、子供らしさ、そして生来の愛情深さにつけ込んだんだ。
殺すのをやめてからも、カネも、愛情も、何もかも俺は高臣から奪いっぱなしだった。
そのくせ俺は、自分の心に空いた大きな穴を塞ぐために、高臣の寂しさと、身体まで利用して、全部奪い続けた。
他人に満たされる欲を知らない身体にそれを教えて、これから知るはずだった、本当に大切な人との初めての思い出さえも奪った。
俺の穴は生まれて初めて、埋まった――高臣から奪ったもので。
でも、高臣の人生に空いてしまった穴はもう二度と元に戻せない。
照魔鏡を裏返し、それを胸に抱いて、俺は声をあげて号泣した。
ごめん、ごめんと謝り続けながら。
涙が止まらないまんま、俺は鏡を取り、浴衣と肌の間、胸の上にしっかりとしまい込んだ。
縁側から出て庭の砂利を踏んで、二人で手を繋いで渡った橋へと向かう。
この世から消えることは少しも怖くなかったし、それが当然だと思えた。
元に戻って、高臣と別れた俺の人生には、重い罪以外は、もう何も残らない。
汚い大人に戻った後ものうのうと高臣と一緒にいたとしても、いつか成長した「弟」は、自分の幼さを利用されたことに気付いて、俺を強く憎むだろう。
その前に、俺は俺を消してしまいたかった。
身勝手だと自分でも思うんだ。
しかも、こんな選択をしたところで、高臣につけた傷は取り返しがつかない……。
それでも……高臣が眠ってる間に俺が照魔鏡と一緒に消えれば、高臣の中で俺とのことは、悪い夢みたいに、無かったことにできるんじゃないかって……そんな、浅はかな考えにすがらざるを得なかった。
欄干に乗り出し、暗闇の中で、黒々と濁った川を見つめる。
俺は泳げない。泳げなさすぎて、小学校のプールの授業さえ、全部サボってた。
だからここなら、確実に死ねると思った。
後もう少し、前のめりになれば。
欄干を掴み、ずり、と身体を前に押し出した瞬間。
「響さん!!」
遠くで、少年ぽい掠れた声が悲鳴のように上がって、俺は驚いた。
もしかしたら、幻聴だったのかもしれない。
躊躇してる暇は少しもなかった。
浮遊感と共に、俺の体はもう、水面に向かって落ち始めていた。
――水に入った瞬間、身体に衝撃と痛みが走り、どぷんと鈍い水音が鼓膜に響く。
真っ暗な水面の中にあぶくと共に落ちた俺は、もう、上も下も分からなくなった。
落としちまったのか、胸に抱いた照魔鏡がいつのまにかなくなっている。
山の川の水は夏なのに冷たく、身体が痺れたように重く動かなくなった。
少しも経たないうちに猛烈な苦しさに襲われ、意識が遠くなる。
――その時、遠くで何かが、強く光った。
真っ白な光が、夜の川の水中を、眩しいほどの閃光で照らしだす。
水底にある白い丸い光源を見て、照魔鏡が自ら光っているんだと……気付いた。
上を見ると、濁った川の水面がその光を受けて乱反射し、キラキラと輝いている。
なんて綺麗なんだろう……まるで、高臣の弾いていたピアノの音みたいな……。
その光の中に、たくさんの高臣の姿が見えた。
俺が知らないはずの、母親にあやされている赤ん坊の時の姿。
ランドセルを背負って、制服を着て、なんでか仏頂面の高臣。
誰かの葬式で棺にすがり泣き崩れてる小さな背中……。
一人きりで自分の部屋で勉強しながら、突っ伏して泣いてる、震える肩。
ああ。
もっと昔から、お前の生まれた時から、ずっとそばにいられたらよかったのに。
こんなおかしなことになるんじゃなくて、本物の兄貴みたいに。
抱きしめてやりたかった。
大人の、俺の腕で。
でももう遅い。
苦しささえも忘れてそれに手を伸ばすと、幻は全部かき消えて、また闇の中に消えた。
◇ ◇ ◇
刺すような全身の痛みと酷い寒さで、俺は目を覚ました。
川の轟々と流れる音が頭の中にまで響いてうるさい。
あたりは真っ暗だが、かろうじて月明かりがところどころを照らしていて、自分が藪の中に倒れていることを知った。
全身が痛くて、ずぶ濡れで、身体には重く水を吸った浴衣が張り付いている。
手足の先が、血が通ってないんじゃないかというほど冷たい。
足元も背中の下も、草が鬱蒼と生えてる他は、濡れた、デカくてゴツゴツした石だらけだ。
「なん、……ここ、どこ、だ……」
あたりを見回すと、隣の暗闇の中から呻き声が聞こえてきた。
誰かが深い藪の中に倒れている。
同じ浴衣の柄がチラリと見えて、嫌な予感がした。
「え……」
慌てて藪の中を掻き分け、ヨロヨロしながらそいつに近付く。
月明かりで確かめたその顔は――。
全身ぐっしょりと濡れ、目を閉じたまま、額の右端から真っ赤な血をドクドクと流している……少年の高臣だった。
「たっ……高臣」
――何でだ。
何で高臣がここに……眠らせたはずなのに。
「おいっ、高臣っ、起きろ、高臣……!!」
何度呼びかけても高臣は目を覚まさない。
触ると、どこもかしこも死人みたいに冷たかった。
顔色は真っ青で、唇も紫色だ。息は僅かにしてるみたいだけど、反応が全くない。
このまんまじゃ死んじまう……!!
――初めて味わう、自分の一部のような人間を失うかも知れない恐怖が背中を駆け巡る。
俺は高臣にすがり、泣きじゃくりながら、無我夢中で叫んだ。
「高臣、起きてくれっ、お願いだ……!! 助けを、救急車、よんでくるから……!! っ……目を覚ましてくれよ、頼む、高臣……っ!!」
……俺が飛び降りた時、なぜ、高臣は目を覚ましてしまったんだろう。
だいぶ経ってから考えてみると、あっさり答えは分かった。
俺の身体が元に戻る時、全ての傷は元に戻って、何から何まで、照魔鏡を覗く前の俺に戻っていた。
高臣もそうだったのだとしたら、睡眠薬の効果の効いていた身体が失われて、元の身体が戻ってきて……すぐに目を覚ましてしまったのは、不思議じゃない。
あの時、高臣は一人で死のうとしてる俺に気付いた。
そして直後に川に飛び込み、自分が怪我をしてでも俺を川から引き上げ、力尽きたんだ。
俺が通りすがりの人に頼んで呼んでもらった救急車で、高臣は東北のでかい救急病院に運ばれた。
翌朝には、すぐに東京から、後見人の野村弁護士が血相を変えてやってきた。
彼は俺たちの状況を一目見ると、すぐに警察に通報した。
俺は警官に囲まれ、病室から引き離されて、高臣が目を覚まさない内に、未成年者誘拐罪の容疑で逮捕された。
――そのまま留置所に送致、勾留され、高臣がどうなったのか全く分からないまま、取り調べの刑事から、何度も何度も繰り返し、同じことを聞かれた。
被害者を誘拐したのか。
殺すつもりで誘拐したのか。
殺人を目論み、証拠を隠滅するために、被害者に不在の偽装工作を命じたのか。
一緒に暮らしながら被害者を脅し、カネを搾取したのか。
死体を始末しやすくする為に、東北に連れ出したのか。
被害者は橋から落ちて、頭を岩で強く打っているが、お前が突き落としたのか。
揉み合ってる内に、お前まで橋の上から落ちてしまったのか……。
全ての質問に、イエスで答えたにも関わらず、俺は不起訴になった。
つまり、殺人未遂の罪で問われることもなく、実刑を喰らうこともなかった。
失踪中の俺と高臣の生活は、あまりにも不可解な点が多かったのと、救急車を呼ぶように頼んだのが俺だったこと、目を覚ました高臣自身が断固として被害を訴えず、家出は自分の意思で、一緒にいた期間、俺はとても優しい、いい兄だったと……検察に訴えたと同時に、俺を告訴した後見人の弁護士を説得したからだ。
……ただし、その弁護士の申し立てにより、裁判所から俺に、高臣への接近禁止の命令が出た。
弟を洗脳した悪人の兄には、高臣に会う資格は無い、ってことだ。
ブタ箱から出た俺は、今度こそ本当に、何もかもを全部失った。
だけど、検事さんを通じて、高臣が生きている、目を覚ましたってことを断片的に知れただけで、もう十分だった。
そして俺は、自分を殺すことを、やっと諦めた。
……あれからもう五年の月日が経つけど、俺はまだ、どうにか生きている。
[newpage]
陽光とアスファルトからの照り返しで焼けこげそうな、真夏の住宅街。
立ち漕ぎの自転車を踏み込み、汗だくになりながら坂を登る。
西武新宿線沿線の、古い住宅街。
途中で自転車を止めて水分補給して、やっと辿り着いた目的の家は、昭和から一度もリフォームされた気配もないような古い戸建てだった。
自転車を停め、地味なユニフォーム姿で玄関先に立って、チャイムを押す。
「こんにちは。シャトーケアサービスの木原です」
上がる息を堪えながら、社員証をかざして名乗ると、人の良さそうな総白髪の小柄な奥さんが、俺を出迎えてくれた。
「ああ、木原さん。いつもありがとうございます。さ、入ってちょうだい」
「お邪魔します」
買い物カートの置かれた埃っぽい玄関を上がり、狭い廊下を通って、一階の畳の部屋に入る。
奥で、頭の禿げた無口な爺さんが、介護用ベッドに座って俺を待っていた。
……今の俺の、「お客」の一人だ。
「田中さーん、お元気ですか。お風呂の前に、体温と血圧、測らせていただきますね」
俺は出来るだけゆっくりはっきり喋ってから、入浴介助前の体調確認をし始めた。
――訪問介護のヘルパーになって、もうだいぶ経つ。
不起訴になってから、俺はお人好しの常連客にカネを借り、更に高臣が買ってくれたテレビやらゲームやらを全部中古で売り払って資金に変え、東京23区の東側から西側へと引っ越した。
母親の遺骨も格安の合同墓地に入れてもらって、一人きりの出発だ。
裁判所の命令通り、もう二度と高臣と関わらないように、迷惑をかけないように……駅も路線も変え、ひっそりと暮らしている。
――死のうとしたことも、それにあいつを巻き込んだことも、俺のしたことは全部最低だったと思うから……。
今の仕事は初めて行ったハローワークで紹介されたのがキッカケだ。
職場で資格を取らせてもらったりしながら、色んな事情で何度か事業所を変わって、今は三社目になる。
なかなか思うように稼げない厳しい時もあったが、今の事業所は、訪問と訪問の間の時間もきちんと時給が出るし、夜勤の仕事も週何回かあるから、やっと生活が軌道に乗った。
……肉体労働だし、ありとあらゆることをやらされるし、人の命がかかるような時もあって、正直きつい。時々クレームもあるし。
ウリやってた前よか、全然稼げねぇけど、あの時高臣が俺の借金を整理してくれたお陰で、何とか生きられていた。
前の仕事をやめたのは、高臣との約束を守りたかったからだ。
……何の意味もなくても、あの夜にした約束を半分だけでも守りたかったし、そんで……会えなくても、せめて迷惑かけない、「いい兄」になれたらなと思った。
いつか高臣が偉くなった時、俺が週刊誌にすっぱ抜かれたんじゃ、困るしな。
同僚のおばちゃん達もみんな気が良くて、この間なんか、事務所で昼飯を食ってたら、地元の阿波踊りサークルに誘われちまった。
東京なのに阿波踊りって、と思ったが、阿波踊りのサークル、『連』は意外と日本全国にあって、関東でも踊る祭があるらしい。
「木原くんみたいなイケメンが入ってくれたら、若い子が大喜びするわ」なんて言われたけど、聞く限りスポ根部活並みに練習厳しいらしくて、とてもそんな気にはなれなかった。
おばちゃん達はお節介だけど、事務所に行けば誰かと会話ができんのは、心の救いだ。
ご利用者さん達も、週一とか週二とかだけど、自分の爺さんや婆さんか?っつうぐらいに頻繁に会うもんだから、気心が知れてくるし……。
お陰で、幸せでもないが、不幸でもない日々を送れてる。
「――お邪魔しました。それじゃあ、また来週」
「ありがとうございます。いつも本当に助かるわ。また来週、宜しくお願いね」
ご利用者さんの奥さんに見送られて、俺はリュックを背負い、自転車を漕ぎ出した。
仕事と仕事の合間、自転車を漕いでる間だけは俺の自由時間だから、片耳イヤホンで音楽聴きながら、色んなことを考える。
高臣は今、どうしてんだろう、とか。
ピアノ、まだ、弾いてんのかな、とか。
高臣が教えてくれたクラシックのピアノ曲を、今でも時々、スマホで聴いていた。
移動中とか、寝る前とか……。
おばちゃんヘルパーさん達には、老けてるねぇなんて笑われたけど、今では俺の唯一の趣味だ。
俺を今、生かしてくれてるのは、俺をかろうじて必要としてくれる社会と、思い出だけだからな……。
夕方事業所に帰って、洗い物当番の洗濯をしてたら、ちょうど戻りの時間の被った、太めの同僚のおばちゃんが俺ににこやかに話しかけてきた。
「木原くん、それ終わったら上がるんでしょ? これからちょっと、頼まれてくれない?」
「頼まれ……何すか?」
「ほら、佐藤さん、駅前の商店街の阿波踊り祭りで踊るじゃない? いつも毎年夏は、会社の行ける人で観に行くんだけど、踊ってるところを撮って欲しいって頼まれてさ。でもアタシ、用事が入っちゃって今日は行けないのよ。場所取りは中山さんがしてくれてるんだけど、あの人、高齢者用のガラケーしか持ってないし。木原くん、お願いできない? お酒、奢るからさ」
「別に、タダでいいっすよ。ちょっとどんなもんか、見てみたかったし」
「あらやだ、木原くん、本当にイイコねぇ」
しみじみ言われて、なんて反応していいのか分からない。
ただ、そんな風に言って貰えんのは、有難いなとは思う。
「――じゃ、行ってきます。中山さんに連絡すれば、場所わかりますかね?」
「うん! よろしくねぇ! あと、凄い混んでるから自転車は無理よぉ」
――空がオレンジ色に染まる頃、私服に着替えた俺は、忠告通り、徒歩で事業所を出た。
見慣れたはずの駅が近づいて来ると、すれ違う時にぶつかりそうになるくらい人混みが激しくなってきて、いつもの駅前とは別の世界みたいだ。
沿道に車両規制がかかって、あちこちで誘導の警備員が叫んでいる。
熱気に満ちた空気と、少しずつ大きくなる、太鼓やら鉦《かね》やら、鳴り物の音。
満員電車みたいな人混みなのに……どうしてか逆に、体の中に孤独がじわじわと染み込んでいく。
――そういえば高臣とは、祭に行ったことはなかった。
あの時、もっと色んな場所に行けば良かった……。
祭も、遊園地も……。
「――そこのお兄さん、止まんないで!」
警備員に注意されてハッとする。
俺はいつのまにか立ち止まってしまっていて、人にぶつかっていた。
「すみません」
そうだ、中山さんに連絡をとらねぇと。
スマホを出して、以前、強引に入れられたライングループを開く。
『すみません、中山さんいまどこですか』
『南演舞場の、コンビニの前にいます』
おばちゃんと連絡を取り、祭のホームページの地図を頼りに、あたりをつけて、人ごみの中を掻き分けて進んだ。
汗だくになりながら、俺は何やってるんだろう、と自分で自分に呆れた。
断って、家で酒でも飲んで寝てりゃ良かったのに、ついうっかり来ちまったな……。
かなり苦労して、やっとのことで目的の観覧場所まで辿り着く頃には、真っ暗になっていた。
「木原くん! こっちこっち! もう来ちゃうわヨォ、佐藤さん!」
小柄なカーリーヘアのおばちゃんが、沿道でピョンピョンしながらこっちに向かって叫んでいる。
俺はぜいぜいしながらおばちゃんのそばまで入り込んで、やっと地面に腰を下ろした。
紅白の幕が張られ、ござが道に敷かれて演舞場となった大通りに、陽気な掛け声が響く。
急いでスマホを動画モードに切り替えた途端、佐藤のおばちゃんが踊ってるという連が目の前に来た。
沿道にいる見物人達も、何かのプロなんじゃないかと思うような感じで、「ヤットーサー」と玄人っぽい掛け声を上げている。
編笠を深く被り、つま先立ちの下駄で、一糸乱れずに踊る女踊りの一群が華やかに目の前を通り過ぎる。
その中でしゃなりしゃなりと踊る佐藤のおばちゃんを撮影しながら、俺は踊りの一群に見惚れた。
艶やかな女達の後から続く、勇壮でありつつ、ちょっとコミカルな、うちわと半被の男踊りの一団。
踊り手も観客も、みんなが笑顔で、祭に夢中になっている。
その非日常的な光景に、心が揺り動かされた。
……生まれて初めて、こういうのも、いいもんだな、と思わされたのだ。
最後の陽気な鳴り物の列まで、気がついたら夢中になって撮影していて、うっかり、左の中山のオバチャンじゃない方、右隣に座ってる、上背の高い男にぶつかっちまった。
「おっと、すみません」
いなせな濃紺の浴衣を着たその人から、すぐに返事が返ってくる。
「いえ、こちらこそ」
低いけど、若い男の声だ。
なんだか、聞き覚えのある、懐かしいような……。
思わず顔を上げると、相手の男と目が合った。
癖のある茶色っぽいベリーショートの前髪の下、はっきりした平行二重の涼やかな瞳。
表情は優しい印象なのに、意志の強そうなキリッと上がった眉と、まっすぐな鼻梁、男らしい高い頬のライン、それに、額の右端にはっきりと分かる傷跡……。
アッと叫びそうになって、すぐに目を逸らした。
――高臣……に、似てる。
いや、まさかな。
あいつの家からここは遠いし、あれから一度も会ってねぇのに、まさかこんな所でバッタリ会っちまうはずねぇよな……。
携帯をリュックにしまいながら、動悸が止まらない。
なるべく顔を隠して下を向いていたら、隣の男から強めに声をかけられた。
「……響さん? 響さんですよね」
なんてこった。
こいつ、本当に高臣だ……。
確信して、頭を抱えてうずくまりたい気分になった。
引越しまでしたのに、ここで今更会うなんて――。
「違います。……人違いですよ」
人生でつちかった演技力を全力総動員して、俺はしらを切った。
高臣がよく知ってるのは、15、6の時の俺の容姿のはずだ。
しかも今は仕事的に黒髪で、ジジババの目に優しそうに見えるマッシュのゆるパーマにしてるし、ピアスも目立たないのにして、五年前とは全然見た目が違う。
ところが、高臣は認めなかった。
「そんな……だって、響さんですよね……?」
身体が一瞬、硬直した。
偶然、前の客と会っても相手には全く気づかれねぇぐらいにはなったのに……何で三週間ちょっとしか一緒にいなかった高臣が、俺だって分かるんだ!?
「違うって言ってんだろ」
低い声で拒絶すると、俺からはよく見えない、高臣の後ろで若い男の声が上がった。
「高臣、お前どうしかしたのか?」
友達か誰かと一緒に居たのか分からないが、その隙に俺はすぐに隣のおばちゃんの肩を叩いた。
「中山さん、俺、ちょっと帰りますね。もう撮るもんは撮ったし」
「えっ!? あら、もう帰っちゃうの!?」
中山のオバチャンは阿波踊りに夢中で、俺と高臣のやりとりは聞いてなかったらしい。
俺は沿道で立ち上がり、前方の座ってる人たちの間を無理やり通って、後ろの立ち見の人混みにいそいで紛れ込んだ。
「響さん!」
驚いたことに、高臣は諦めずに後ろから追いかけてくる。
押し寄せる人間の間を、もみくちゃになりながら息を上げ、逃げて逃げて……。
「響さん! 何で逃げるんですか!」
高臣の声が遠ざかる。
何で?
当たり前だ。
そもそもお前と俺は、会っちゃいけない人間同士のはずだろ!?
もう俺のことなんて、忘れたか、思い出したくもない過去になってるか、どっちかだろうと思ったのに。
それなのに、何で追いかけてくるんだよ。
そんなふうにされたら、また俺は、身の程知らずの望みを抱いちまう。
お前はもう、元の世界に帰ったのに。
大人になったお前は、もうあの時みたいな寂しい子供じゃない。友達も、なんなら彼女もいて……。
――住む世界が違う俺は、やっぱりもう二度と、お前に近づいちゃいけねぇんだ……お前の幸せを壊さない為に。
できる限りのスピードで駅前まで急いで、駅から出ようとする人波に逆らい、どうにか改札に滑り込む。
最後に後ろを振り向いたけど、流石に、人の群れの中に高臣の姿は見当たらなかった。
良かった。
もう、これで一生、会うことなんかない。
ホッとしたら、何でか涙が出てきて止まらなくなった。
リアルの高臣は、年齢的にはあの時の高臣よりも下なんだろうけど、でも、大人っぽくなってた。
そりゃそうだよな、中身も大人になってるんだし……。
一緒にいたの、友達かな。
もしかして、男だけど恋人とかだったりして。
そうだとしたら、俺のせいで男しかいけなくなっちまったのかも……辛ぇな……。
いやどっちにしたって……。
俺に出来んのは、遠いとこから幸せを祈ることくらいしかねぇ。
明日も仕事、朝早くから頑張んねぇとだし……。
涙を拭って、俺はホームの階段を上がった。
――そう、それでその夜のことは、幕引きになるはずだったのに――。
次の日に俺が仕事終えて事業所に帰ると、なぜだか分からんが、職場の休憩所のテーブルがワイワイ賑わっていた。
昨日の祭の写真でも見てんのかなと思って素通りしようとして、様子がおかしいことに気づく。
おばちゃんヘルパー達に囲まれて座ってる、見慣れない、背の高い男がいる――。
「響さん! お疲れ様です」
俺に向かって手を振る、ポロシャツ姿の好青年の姿に、一気に凍りつく。
「ななな、なん、何で?」
動揺する俺に、小柄な中山さんがササッと寄ってきた。
「ほら、お兄ちゃん。弟さんがきたわよぉ!」
高臣は椅子から立ち上がると、いかにも済まなそうな顔で、深々と俺に頭を下げた。
「すみません、こんな所までお邪魔してしまって。――お兄様」
その場に凍りついて口を開けたまんまの俺を、おばちゃんたちが取り囲む。
「木原くんにこんなイケメンの弟がいるだなんてねぇ。しかも長いこと会えてなかったんですって? 韓流ドラマみたいねぇ」
「弟さん、木原くんのこと、ずっと探してたんですって。昨日、どうしても会いたいって頼まれちゃって」
中山さんが俺の背中を叩く。
「今日はアタシたちが洗濯やっといてあげるから、一緒に早く帰んなさいね」
あれよあれよと、持って帰ってきた介護グッズを剥ぎ取られて、着替えも渡されて、俺は高臣と一緒に会社を出るしかなくなっていた。
……忘れてた。
高臣が、こうって決めたことは絶対曲げねぇ性格だってことを……。
駅からメチャ遠い今の俺の貧乏アパートまで高臣を連れてく気にはならなくて、取り敢えず、俺たちは電車に乗り、数駅先の繁華街に出ることにした。
東京イチってくらい治安が悪くて、人混みがすげぇそこに行けば、いざとなったら高臣を簡単に撒けるってのもあるし、まあ、ウリやってたのがそこだから土地勘があったってのもある。
日が暮れ、眩しいほどのネオンサインに満ちた汚ねぇ通りを、うんざりするほどの人混みが行き交う。
居酒屋やら風俗の客引きをかわしながらしばらく歩いて、ファストフード店と迷った挙句、若い奴が好きそうな感じのするコリアンカフェに入った。
まさか18歳連れて居酒屋に入る訳にはいかねぇしな。
裏路地入ったら、すぐラブホっていう、ひでぇ場所だけど。
狭いテーブルからはみ出そうなデカいメニューでとりあえず飲み物だけ選んでたら、唐突に聞かれた。
「どうして昨日、逃げたんですか。嘘までついて」
何にも喋らずにここまで連れてきた俺を、高臣が対面から睨んでくる。
上背が高くて、肩幅も広くて。
芸能人みたいに透明感のある肌に、意志の強そうな綺麗に上がった眉、まつ毛の長い、綺麗な切長の目……。
初めてまともに目を合わせた相手は、あの時と同じ、背筋がゾワっとするくらいイケメンに育っていた。
「……なんでって。お前の弁護士が俺のこと、遠ざけたんだろ。接近禁止とかなんとか」
「そんなのもう、とっくに期限がきれてます。そもそも僕はもう法的に成人したので、後見人は関係ありません。……」
「……そうかよ。いいから、早く決めろよ。何飲むんだ」
「……貸して」
苛立った感じでメニューを取り上げられた。
一瞬手の指同士が触れて、ズキッと痛みのようなものが胸に走る。
コールボタンを押して、俺は梨ジュースを頼んだけど、高臣は烏龍茶を頼み、さっさとメニューを店員に押し付けた。
周りはうるさいのに、俺たち二人の間には怖いような張りつめた空気が漂っている。
それに呑まれないように精一杯になってると、高臣が口を開いた。
「……僕は、退院した後、あれからすぐあなたのアパートに行ったんです。なのに、誰もいなくて。携帯は解約されているし、住民票は元々あの町にないし……どうやっても、あなたに辿り着けなくて……。どんなに、僕が響さんに会いたかったか」
綺麗な目を涙ぐませて切々と訴える相手に、俺はいますぐ、この場から逃げ出してしまいたくなった。
だって、あれから何年も経ったのに、余りにも高臣が、変わってなくて……。
しかも今の俺は全然別人の三十過ぎのオッサンなのに、何でそんな風に言えるのか、訳が分かんなくて。
……危うく、俺も死ぬほど、会いたかった、なんて言ってしまいそうで……それをようやく飲み込んで、俺は高臣を睨み返した。
「……俺は別に、お前となんて会いたくねえんだよ。つか、オバチャン使って職場まで来るとか、どういう神経してんだよ」
「それは謝ります。でも、それしかなかったんです。あなたが逃げるから」
「……逃げるだろ。つかお前、5年も経って、いつまでアカの他人の俺にこだわってんだよ。恋人ごっこも兄弟ごっこもあんとき十分やって、もうあれで気が済んだだろうが?」
「響さんは、気が済んだって言うんですか。こっそり自殺未遂までして……!」
低い声で恨みがましげに聞かれて、鼻で笑うフリをした。
「ああ、ウンザリするほどな。やっぱ俺には家族なんか必要ねぇって思ったよ。死のうとしたのは、元々生きんのが面倒で、フラッとやっちまっただけだし。つか、勘違いすんなよ? お前とはあの時だけの遊びだったんだ。お前、元々俺の好みでも何でもねぇし」
半笑いでそう言いながら、靴の中で足のつま先が氷みたいに冷たくなった。
――足が……膝がガクガク震えてんの、まさかバレやしねぇよな。
「そもそもお前、ゲイじゃねぇんだろ。最初の時も、たまたま俺のAV見て血迷っただけで?」
年上の余裕っぽさを必死で演じながら、下卑た質問で相手をどうにか煙に巻こうとした。
でも……。
「……。そうですね。ゲイじゃないと思います。あれから、あなた以外の男性を見ても、何とも思わなかったので」
高臣があくまでもまっすぐに向かってくるから、俺は目を細めるフリをして視線を天井に逸らした。
「男が好きじゃねぇんなら、いつまでも俺にこだわってねぇで、サッサと女と結婚しろよ。家族ごっこできる相手なら他にいくらでもいるだろ。……話はそんだけだ。こんなとこまで連れてきて悪かったな。――じゃ」
まだ注文したもんも届いてない内に立ちあがろうとすると、腕をガシッと強く掴まれた。
「ってぇな、離せよ……!」
冷や汗で肌がぬめってるのがバレそうで、必死にもぎ離そうとしたが、全然離れない。
クソッ、仕事で結構鍛えたと思ったのに……。
「響さんは、それでいいんですか!?」
「っ、声でけえよ、お前……っ」
仕方なく座り直して、延長戦の体勢で向き直る。
そしたら、高臣の肩の端が、ブルブル震えていて……。
「僕は、響さんともう一度暮らすってことをずっと夢見て、生きてきたんです」
必死な感じで言われて、俺の方が泣きそうになった。
何でだよ。
どうしてあの時と一つも変わってねぇんだよ、お前。
普通、もっと色々……、我に返るとか、やっぱ女の子の方が良かったって自分のアホさに気付くとか、間違ってたって後悔するとか……あるだろ!?
なのに……。
きっと俺、高臣を知らん間に洗脳しちまったんだ……あの弁護士が言ってた通り。
こんなの本当にダメだ、こいつの人生が、俺のせいでメチャクチャになっちまう。
そんなの、俺が嫌だ……!!
「勝手な夢、見てんじゃねぇよ……俺はお前と暮らすつもりなんか金輪際ねぇんだよ!」
「……っ。新しい恋人が、出来たからですか?」
食い気味に聞かれて、ハッとした。
……そうだ、いることにしちまえば、流石に目が覚めるんじゃねぇか。
俺は大きく息を吸って吐いて、頷いた。
「ああ、出来た。……今、一緒に暮らしてんだ。俺にすげぇぞっこんで、今は幸せだ」
ウリやってた時ですらここまでの大嘘はついたことがない。
「どんな人なんですか」
無茶苦茶に傷ついたって感じの、悲痛な面持ちでそう聞かれて、俺の方が激しく動揺した。
クソクソ、嘘、突き通せよ、ここまで来たんだから……!
「年上の、普通のリーマンだよ。元々客だったやつ……。てか、何でお前にそんなこと聞かれねーといけねーんだよ。関係ねぇじゃん!」
「……。その人に言われて、今の仕事に、変わったんですか……っ?」
俺の言葉の後半、ほとんど聞いてねえし……。
「そんなこと、何でお前に……てか、昼職やってるからって、夜の方は辞めたとは限らねぇだろ」
「……」
絶句したみたいに高臣が黙り込んでしまったので、これがチャンスだと思った。
思い切り呆れさせて、俺なんか追いかけて探して損した、俺のことなんてどうでも良くなった、って思わせる為の……。
店員が来て、梨ジュースが俺の目の前に置かれる。
ストローでガラガラ氷をかき混ぜながら、俺は言い放った。
「仕事のこともそーだけど。俺、酔っ払って気分良くなると、どこの誰とでもウッカリ寝ちまうからさ……。お前ん時もそうだったけど。……今の彼氏はその辺も理解してくれて、ホント相性最高なんだよ。――お前みたいな真面目なおぼっちゃまには理解不能な世界だろ?」
高臣は俯いたまんまだ。
――もう、俺が席を立ったって大丈夫だろう。
「そういうことだから。……じゃあな」
そう言って、席を立ち上がろうとしたら――今度は高臣も席を立って、見上げるほどの長身を使って前を通せんぼされた。
「ちょ、邪魔……」
「いくらですか」
烏龍茶の値段かと思って、俺は首を振った。
「……別に、俺が払うし」
「そうじゃなくて。あなたの。一晩の値段」
悪い夢でも見てんのかと思った。
こんな普通の喫茶店でその話、てのもあるし、まさか高臣の口からそんな言葉が飛び出すなんてことも想像すらしない。
「ガキの癖に、てめえ往来で何てこと言い出してやがる……っ」
「子供じゃありません。失礼なこと言ってたら本当にごめんなさい、謝ります……でも、さっきから響さん、すぐ逃げようとするでしょう。だから、ちゃんと話をする為に一晩、あなたの時間を買いたいんです」
高臣はポケットから札を出して伝票と一緒にレジに置くと、釣りももらわずに外に出た。
モヤっとした熱帯夜の空気をかき分けるみたいに、喫茶店の入ってた雑居ビルの裏へと俺を引きずっていく。
「まっ、俺、売るなんて一言も言ってない……!」
「新しい恋人の男性、寛容なんですよね? じゃあ、僕が響さんの一晩を買っても気にされませんよね。それに、何もしなければ疑われるようなこともないし」
高臣の言葉は語調がひどくトゲトゲしい。
怒ってる……?
にしても、こいつがこんなに怒ってるところ、初めて見た。
こんな顔、するのか……。
昔より子供っぽくなってるとこもあるんだな……。
気圧されたり、妙に感慨にふけっちまったりしてる内に、気が付いたら周りはラブホしか並んでなくて、ヒッと息を飲む。
こんなところ歩いたら、俺の中の高臣が汚れる……!!
「あっ、あのなぁっ。俺にも客を選ぶ権利が! てか、なんでそんな強引!?」
「あそこでいいですよね」
「だからちょっと、待っ」
制止も効かない感じで古いラブホに連れ込まれて、その久々の薄暗い雰囲気がウゲっと胃に来た。
何千回きたって、いや、何千回も来たからこそ、マジで苦手な空気だ。
「ここから部屋、選べばいいんですよね?」
壁のパネルの前で平然と聞かれて、黙りこくってたら、勝手に部屋を選ばれた。
「7階です。もし途中で逃げたりしたら、明日も迎えに行きますからね」
ああ、そうかよ……。
ったく、こうなったら仕方ない。一緒に暮らすつもりはない、で、とことん地蔵みたいに一晩ダンマリを決めてやる。
それでもって、ぜってー俺には指一本触らせねぇ。
そう決意してたのに、エレベーター出てすぐの部屋に入って、ぱたんと扉が閉まった途端――いきなりすげぇハヤワザで、振り返った相手に正面から思い切り身体を抱きしめられてしまった。
「響さん、響さん……っ、無事で本当に良かった……、……本当に、会えて、嬉しかった……っ」
涙ながらに囁かれながら、そんなこと言われたらもう、……俺だって、心のない石像になんかなりきれる訳がねぇ。
「離せよ……、何にもしねぇんだろうが……っ」
高臣の胸を押す手に、どうしても力が入んなくて、心底困った。
だって、今も好きだった。
この世で一番、この男が好きなんだ……家族としても、男としても。どうしようもないほど……。
「……無理です、響さん、ごめんなさい。だって、やっと会えたのにっ、我慢できない」
ずっとお預けくらってた犬みたいに、ベショベショに泣かれて、もう、無理だった。
気が付いたら、俺もしがみつくみたいに、高臣の汗ばんだ背中に腕を回してた。
「バカ……! 何でだよ。何でこの期に及んで俺なんだよ……っ」
「だって、響さん、前よりももっと可愛いくなってるし、今の仕事してる時のこととか、会社で聞いて……やっぱり、あなたのことが、愛おしくて堪らなくて。……しかも、クラシックピアノの曲をよく聞いてる、って同僚の方たちが……前はそんなこと、無かったのに……僕と一緒に暮らしてた時のこと、忘れてなかったってことですよね!?」
ば、バカは俺だ……っ。
ヘナヘナと体から力が抜ける。
無防備になっちまった俺に、高臣が必死な感じで、頬擦りしてきて……。
「ああ、本物の響さんだ……。もう、何回も夢にみて……。意地っ張りで可愛い響さんも、エッチでいやらしい、響さんも……。目が覚める度に、あなたがいなくて、辛かった……。もしかしたら会えるかもって、休みのたんびに人のたくさん集まりそうな場所にでかけてたんです。……もう、死んでも離したくない……っ」
「やめ、俺、恋人いるんだってぇ……っ」
もがいてるのに、全然離してもらえない、どころか、片手で腰を抱え上げられて、ベッドの方連れてかれた。
「恋人がいても、誰とでもするって言ったの、響さんですよね?」
どさっとダブルベッドの真ん中に背中から投げ出されて、もう開始早々、完全に負け試合だ。
「するけど、お前とはヤダ……っ、お前とだけはヤダ……!!」
駄々っ子みたいに対抗してたら、上からのしかかられて、じっと目を覗き込まれた。
ああ、顔が近すぎて、俺を閉じ込める両腕も、厚い胸も、脚も絡まりそうなくらい密着して、心臓ヤバい、おさまらない……っ。
「……僕が好みじゃないから?」
「そうだよ!!」
「じゃあ、一度抱きしめただけなのに、どうしてここ、こんなに勃起させてるの」
「ひ、ぁ……っ」
指で、いつのまにか盛ってたハーフパンツの股間を引っ掻かれて、ビグウッと腰が引けた。
素直すぎる俺の下半身もだけど、それよりもショックなのは……。
た、高臣が、あんな可愛かったのに、ボッキとか言ってることだ……っ。
「恋人じゃない、好みでもない男に、こんなに反応するなんて……そんなことある?」
太腿入れ込まれて、股間をグリグリされて、……高臣もはちきれそうに勃ってることを、俺の内股にも擦り付けてアピールされて……まだ俺で勃ってくれるの、死ぬほど嬉しくて、もう下半身はどんどん、熱でジンジンして、バカになってて……。
「アァっ、やらぁあ……っ! 何にもしないって、言ったのにぃ……っ」
「僕はもう何もしてないよ? 響さんが俺のに、擦り付けてるだけ……」
言われて、腰がユラユラ浮いちまってることに気付いた。
だって、無理だ、俺の身体、覚えてるもん……、高臣のが俺んなか、入ってきたら、どうなっちゃうか……っ。
「大人なのに、気持ちいいの我慢出来ないの? 本当に可愛いね……?」
ゴムのウエストは、易々と引きずり下ろされて……、朝晩ユニフォームに着替えるからって、脱ぎやすい服で着ちまったの、心底後悔した。
熱い、器用な高臣の指は、俺の息子を捕まえると、俺の好きだった恥ずかしい場所を、勝手知ったるなんとやらで、ネットリといやらしい手つきでいじくりだす。
右で皮を使って竿を細かく扱いて、左の手のひらで鬼頭を包んで、いろんな方向に倒しながら乱暴に撫でるみたいに可愛がって……。
全部包まれるくらい手がデカくて、しかも器用だから、もう、気持ち良すぎてひとたまりもない。
「やっ、触んな、やら、はァンっ、それだめ、アッ、よわぃ……っ、敏感すぎるからぁっ、ちんぽの皮剥いちゃやだぁ……っ」
「響さん……感じてくると、言葉遣い幼くなるの、自分で気付いてる? 変わってないの、ほんと、たまんない……」
そういうお前は、いつのまにか敬語どっか置いてきちまってるし、変わりすぎだろうがよ!?
なんて突っ込む暇もなく、両脚からパンツもズボンも全部剥ぎ取られて、ベッドの下に捨てられた。
もうこんなことになったら、部屋から無理やり逃げ出すこともできない。
しかも、さらに両足首掴まれた上、チングリ返し的な体勢にさせられちまって……。
「ば、バカぁ……っ、まだ風呂も入ってねぇのに何、脱がしてんの!? 俺ずっと仕事外っ、……汗くせぇだろが……!!」
必死でTシャツの裾を股間にむけて引っ張ったが、隠せるわけがない。
「臭くないです、むしろいい匂い……それに、そんな隠しても、響さんのツルツルのいやらしいおちんちん……丸見えだよ」
無理やり膝を押されて左右に開かされて……トロットロになってるちんぽの先に、くびれに、裏筋に……チュ、チュって、先走りの糸を引きながらいっぱい、唇でキスされまくって。
「ァン、はァあっ、やら、汚ねぇからっ、そんなとこチュウすんなよぉ……っ」
痛いくらい感じてしまって、俺は思わず漏れないように、自分のちんぽの根本を握り込んだ。
「久しぶりだから、いっばいキスしてあげてるんだよ……可愛いね、そうしてないと出ちゃいそう?」
俺の動きの意図はバレバレで、高臣はさらに大胆に、俺の先端をすっぽりと、咥え込んできて……。
ジュポジュポ、卑猥な音を立ててしゃぶられて、もう駄目だった。
「ンッあ、でちゃうっ……はなしてもう出ちゃうから……!! んひぃっ……」
腰を痙攣させながら、ここ数年間一度もなかったくらいの、強い射精感に身を任せるしかなくなった。
気持ちいい、……泣くほど、気持ちいい……好きな人から貰う、愛撫。
こうなるって分かってるから、嫌だったのに……。
気づいたら、高臣の口が離れた後もダラダラいつまでも吐精しながら、俺は情けないぐらい、エグエグしゃくりあげながら泣いちまってた。
「はなしてって……いったのに……無理やりしやがってぇ……」
「ごめんね、響さん……。五年間も会えなくて、我慢出来なかった……」
高臣は天使の笑顔でそう言うと、こんなホテルの備品には絶対無かったはずの、ローションのパッケージ、いつのまにか口で開けてて……息が止まるかと思った。
こいつ今日、完全に「そのつもり」で来てたんじゃねぇのか……?
俺に恋人がいようが、いまいが……。
俺が待っていようが、待ってなかろうが。
俺の身体が、高臣のくれる快楽に、めちゃくちゃに弱いの知ってて……。
初めて会った時の俺の直感は、正しかった。
高臣は俺がどうこうしたとか、大人とか子供とかそういうの抜きにしても、今まで会った中でも、相当にタチが悪い部類の男だったんだ。
執念深いっていうか、ほとんど狂気みたいな、5年経っても何一つ変わらねぇぐらいの執着を持ち続ける程には……。
呆然としてたら、冷たいまんまのローションを性急にソコに塗り込まれ始めて、あひいっとか変な声が出る。
高臣は首を傾げながら、俺の顔をじっと見下ろした。
「ここ、固い……。締まってる……?」
……そりゃ、毎晩のようにデカマラ受け入れてた時と比べたら、今なんて完全にセカンド・バージンに決まってる。
出すもん出して多少冷静になったのもあって、俺は尻を強く締めてそれ以上高臣の指が入ってくるのを拒絶した。
「……おいっ。俺の身体、買うつもりなら、本番はなしだっ。つうか、付き合うのも今夜一晩だけだからな……っ。それでもう、諦めろよっ、頼むから……っ」
入れられたりしたら、絶対ワケ分かんなくなって、変なこと喋っちまうから、そう釘を刺したのに、高臣は俺の尻をいじるのを止めようとはしなかった。
「……分かりました、入ったりしないから……響さんを気持ちよくするだけ……」
グイグイ指で突き上げてきながら、高臣が俺の乳首に吸い付いてくる。
「あ……!!」
ビリリっとおりてきた快感で尻を締めてた筋肉が一瞬緩んで、一気に指がヌルンと入り込んできた。
ローションをまとったその指先は、久しぶりだってのに、易々と俺の前立腺を探り当て、コリコリとマッサージし始める。
「やっ……なんで、んなっ、すぐ……っ」
ビクンビクン腰を震わせながら驚いてると、高臣が俺の胸元でクスッと笑った。
「大人の響さん、ここが大きくなってるから、前より見つけやすくなってて。……自分じゃ分からない?」
グリッ、と強く持ち上げられて、またちんぽが情けなく持ち上がり、だらしないアへ声が漏れる。
高臣は調子に乗って指を増やし、ピストンするみたいに何度もそこをトントンしはじめた。
「うはァ……っ、だめだめっ、ケツっ、久々だからヤバいぃ……っ」
「やっぱり、ずっとしてなかったの? 響さん、こんなに可愛くていやらしい身体なのに……」
高臣のキスが、少しずつ身体をのぼってくる。
乳首から、鎖骨へ、そして首筋から、顎に……。
その度、震えながら高臣の指を締め上げてしまって、恥ずかしいのに、もっとして欲しい……。
遂に、くちびるが触れそうなほど近くなって、綺麗な澄んだ瞳が、戸惑って震えてる俺を映した。
「……僕が恋人だったら、もうあなたを放っておいたりしないよ……一生」
重たすぎる告白と一緒に、唇が柔らかく重なって……キスしながら、高臣のアレを思い出させるみたいに、唇の中も、尻の中も、優しく入ってきて犯される。
――入れられるの、気持ちいいよね?
ーーもっと太いの、奥まで入れて欲しいでしょ?
舌も、指も、そう言ってるみたいに俺をとことん追い詰めて来る。
どっちでそうなったのかはわかんねぇけど、いつのまにか俺は、全身痙攣しながらイキ果てて、尻穴も口もだらしなく開きっぱなしの、ヤラレっぱなしになっていた。
「気持ちイイ……っ、もっと……、もっとして……」
キスから解放された口は、よだれ垂らしながらそんな言葉しか出てこない。
「もっとって? 何を?」
指を、焦れるほどゆっくりゆっくり出し入れされながら聞かれた。
「……っ、き、きす……」
「違うよね。もっと欲しいもの、あるでしょう。……響さんの身体のことなら、全部知ってる……ここ、僕のカタチに変わってたよね? 前は……」
もう嫌だ。……完全に見透かされてる……俺が、高臣のちんぽの奴隷だってこと。
それでも最後の抵抗で、唇を噛んでブルブル首を横に振った。
高臣がふーっと長いため息をついて、俺のナカから指を抜く。
「……すみません。少し冷静になるから……待ってて……」
そう言って、ベッドを軋ませ、高臣が離れていく。
服着て出てくチャンスなのに、キスの余韻と、尻の穴がヒクヒクしっぱなしなのとで、足に力が入らない。
ただ、動かせる視線だけ、ホテルの部屋をぐるりと見渡した。
奥にあるガラス張りのシャワーブース、手前にこじんまりしたソファ、壁掛けテレビ……殺風景な部屋だ。
高臣がポロシャツをソファに脱ぎ捨てて、……デニムのベルト外して、それも同じ場所に置く。
大人っぽい黒いボクサーを下ろすと、ヘソに当たりそうなほど屹立したかっこいいちんぽが、ブルッと割れた腹筋に当たった。
隆起した胸筋も、鍛えた二の腕も、理想的なカタチした鼻梁の横顔も、目を奪われて、視線を離せない。
シャワーブースに入ってもまだ見つめてたら、それに気付いた高臣が、手のひらをガラスの壁に滑らせて、俺に流し目で優しく微笑みかける。
シャワーの水音の中で、その指が、胸を、腹を撫で下ろして、最後に、俺の欲しいものを見せつけるみたいに、ちんぽの根本を撫でる……。
思わず、それが入って来るのを想像して、ビクンと下腹が震えた。
……俺のナカ、もう一回あのカタチに……して、欲しい。
思わず手が尻に伸びて、……いつも自分一人でするみたいに、指をそこに入れた。
ローションで濡らしていっぱい解されたお陰で、そこは今すぐ入れられそうなぐらい、ヤワヤワになっている。
「ンッ、きもちいぃ……たかおみのっ、ちんぽ、もっとぉ……っ」
音は聞こえないのを良いことに、ズポズポ指を突っ込んで、足りないものを追い求める。
こんなことしてる場合じゃねぇのに、止められない。
だって、欲しくて、見せつけられて、気が狂いそうなのに。
しかも自分の指じゃあ全然、欲しいところに届かない。
「アぁっ、も、ぜんぜん、イケね、無理ぃ……っ」
下半身ドロドロで諦めて、シーツに両手を投げ出した所で、全裸の高臣が帰ってくる。
一瞬で我にかえって、起き上がって端に逃げると、ベッドが軋み、焦れに焦れたそのタイミングで、ベッドヘッドにもたれるみたいに長い足を投げ出して高臣が隣に座った。
バッキバキに勃起した凄いのを目の端で見ながら、逃げ腰で座ってる俺の腰に、裸の腕が回る。
「響さん、……凄い煽り方するね? ガラス一枚越しに、お尻で気持ちよくなるとこ見せつけて……しかも、僕の名前呼んでた」
「よ、呼んでない……」
「そう? ……唇の形がそうだったけど。こっちきて……キスしてあげるから」
完全に高臣のペースにハメられてるって分かりながらも、俺は自分で引き寄せられて、……高臣の膝の上に乗った。
望み通りにキスが与えられて、夢中になって舌を絡める。
「ん……、はふ……っ」
舌を優しく甘噛みされながら、オッパイを二つとも優しく摘まれて、引っ張ったり潰されたりされてる内に、頭がどんどんおかしくなる。
「んぅ……ッ! ちくびっ、尻まで響いて変になるからぁ……っ」
堪えきれなくて唇を離すと、浮かせてる尻が勝手に高臣のちんぽに懐いた。
ここに、当たってるでっかいの、少し腰をずらせばもう、入ってしまう……。
肩を抱かれて、耳の穴に言葉を吹き込まれる。
「……響さんが自分で入れて?」
甘えるみたいな、でも有無を言わせない、命令に近い『お願い』。
「……欲しいよね?」
ダメ押しでもう一度聞かれて……俺の薄弱な意志は、ついに完全に折れてしまった。
「はあっ、……はあっ……っ」
息を吐きながら膝を立て、なるべく身体の力を抜いて、でも下っ腹は、トイレで大きいのをする時みたいに、軽くいきんで、……高臣のちんぽの上に尻を下ろす。
共同作業でトロトロのメス穴に仕上がってるそこが、熱い雄の頭にキスしたとたん……ジン、と涙が出そうな感覚が腹に広がって……あとはもう、全部飲み込んで気持ちよくなることしか考えられなくなった。
「きつい……締めないで、響さん……すぐ出ちゃう……っ」
締めてない、ヤッてねぇから狭くなってるだけで……。
それでも無理矢理、ズブズブ奥まで高臣が入ってきて、俺の中を広げてゆく。
「ア、ンッ、ン~~~っ……」
ひっさびさの引き攣れるみたいな痛さと、内臓押し分けられる苦しさと、それだけじゃない……快感。
その全部に背中を丸めてブルブル堪えてると、額にキスされながら、抱きしめられた。
「響さん……。やっと捕まえた、僕の、大切なお兄様……」
「……っ、お前っ、ほんと、あたまおかしい……っ、こんなの……っ」
「違うでしょ……響さん。僕をそんな風にしたのは、響さんだよ。――責任、とって……?」
確かに、確かにそうだけど、金よこせとか、死んで詫びろとか、そういう方向性の責任の取り方しか、俺は知らない訳で……こんなのは……っ。
「ひいっ」
腰をグッと押さえられて、細かく下から突き上げられ、声が裏返る。
「本当に好きなとこ、前立腺じゃなくて、奥《ここ》でしょ? ――響さん……っ」
何年も欲しかった、閉じてるとこをこじ開けられ、グジュグジュ突きまくられて、もうまともな反論なんか出来る訳がない。
「あはあっ、す、好きじゃな……っ! 奥っ、も、入ってくんなぁ……っ」
「響さんの中、僕にキスしてるよ。――好きって……!」
ズン、と強くナカを捏ねられて、身体が後ろに倒れそうになる。
「おっと」
支えられながら両手をシーツに突いて……そのまんま、腹のイイ所に捩じ込まれて、イキっぱなしみたいな状態に入り始めた。
「アアアっ!! いぐ、ぅ……っ!!」
白目剥きながらガクガク震える俺を、容赦なく高臣がゆする。
「僕のこと好きでしょう? 響さん……!」
「んっ、好き、高臣が好き……っ、大好き……っ」
自分でも腰をめちゃくちゃに振りながら、もう、心の中身がダダ漏れになっていく。
「恋人が居るなんて、嘘だよね」
「う、ン……っ、いないっ、ほんとはっ」
「……死のうとしたのも、何度も逃げようとするのも、――いつか僕に嫌われるのが怖かっただけだよね!?」
瞬きすらしない強い視線に追い詰められて、俺はもう、自分を明け渡すしかなかった。
「だってっ、俺なんか、クズだし、男だし、金もない、15も年上のオッサンだし、汚れてる……どう考えてもっ、絶対きらわれる……っ」
「まだ、そんなこと言って……! 分からせてあげるね……これから、一生かけて。どんなに響さんじゃないとダメで、響さんが好きか。……愛してる。僕が何歳になっても、絶対に変わらない」
真綿みたいな愛の言葉に包まれて、涙が溢れる。
人間はいつか変わっちまうものだから、そんなふうに言われたって、心の底からは信じられない。
でも、今の高臣がそう言ってくれるのが、あんまり嬉しかったから……高臣にしがみつきながら、俺の唇からもうっかり、溢れていた。
今まで本当の意味では一回だって使ったことのない言葉が、涙と一緒に。
「俺も愛してる……愛してる、高臣……っ、会いたかった、ずっと……っ、本当は死ぬほど、会いたかったんだ……っ」
腹の奥の方で、ビクビク高臣が痙攣して、目の前綺麗な顔が、可愛く歪む。
「はあっ、響さん、ごめん……っ」
優しく謝られながら、俺の中にいっぱいに出されていく熱いものを感じる。
幸せで気が遠くなりそうになりながら――俺は高臣の額の傷に、慈しむようにキスをした。
その後――。
俺達は二人で、都心にある高臣のマンションで一緒に暮らしている。
あの無意味に広い屋敷も、照魔鏡以外の骨董品も、つい最近処分しちまったらしい。
その金を元手に、友達巻き込んで起業して、既に自分の収入だけで生活はなんとかなってるって言うから、恐ろしい奴だ。
防音室付きの、程よく狭くて広い2LDKで、俺は通いで仕事して、高臣は大学行って、時々兄弟喧嘩しながらも、ささやかな家族暮らしをそれなりに謳歌している。
兄弟みたいな、恋人みたいな、どっちとも言える、変な関係。
もしかしたら、いつかは心が離れ離れになっちまうこともあるのかも知れないけど、……高臣が俺にくれたものは、離れてもちゃんと残るし、頑張れるって、五年間のあいだに分かったから……俺は、少しだけ心が強くなった。
……あくまで少しだけで、今でもよく劣等感にイラつくし、意地張るしで、高臣を困らせるけどな。
「……お前、大学で俺のこと、何て言ってんの?」
後ろから抱っこされながら、ソファでテレビ見るのが、今の俺の定位置だ。
「……自慢のお兄様と、一緒に暮らしてるって言ってるけど?」
いけしゃあしゃあと言われて、呆れ果てる。
「お前、ほんっと……変なヤツ。ブラコン」
「それは、響さんもでしょう」
ギュッと強く抱き締められて、確かになぁ、と否定できない俺がいる。
エッチなことしてねぇ時も、すっかり素直な性格になっちまったもんだ。
あの屋敷の、あの変な鏡に照らされてから。
俺とは何もかも正反対な、高臣と出会ってから……。
照魔鏡がなけりゃ、こんなふうになることもなかったんだろうな……。
川に沈んだまま、消えてったあの不思議な光を、今でも時々思い出す。
あの光があったから、高臣は川底で俺を見つけて、助けられたんだって……後で、教えられた。
「響さん」
甘い声で呼ばれて、キス待ちで顔を上げながら、目を閉じる。
何事も、大人になってからハマると抜けられなくなるっていうけど……。
――何しろ兄弟を持つのが遅かった俺は、どうやら一生、幸せなブラザー・コンプレックスを抜け出せそうにない。
《終わり》
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