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俺とミーシャは、隣国のベルギーへ向かう北東向きの高速道路の途中で車を捨てた。
ヤンミンの組織に、そちらの方面へ逃げたと思わせる為だ。
タクシーを乗り継ぎながらミーシャは複数の地方都市の銀行でユーロを束で下ろして鞄に詰め、その一部で中古の目立たない国産車と、ミシュランのロードマップを買った。
最終的に目指す行き先はイタリア方面だ。
近場の駅や空港は待ち伏せされたら終わりだから、一旦国外に出て、俺が見た目で浮かない、なるべく日本人や中国人の観光客の多そうな都市を経由して逃げる――それが、ミーシャの提案だった。
イタリア北部のミラノに、国際空港のマルペンサがあり、最終的にはそこを目指す。
行くためには、大昔にローマと戦ったハンニバル将軍みたいにアルプス越えをしなきゃならない。
勿論、今はちゃんとトンネルが通ってるから、象で山を越える程は大変じゃないと思うけど……。
一度高速道路を逆方向に遡ったせいか、今日中に着くのはとても無理そうだ。
パリから直接行ったとしても、8時間以上はかかる道のりだった。
永遠に続くように感じる道を走って行くうちに、低く雲の垂れ込めた空と、なだらかな緑の小麦畑の地平線の向こうに、太陽が沈んでゆく。
「フランスは街を出るとどこもこんな感じだな……見渡す限り畑で、……あの遠くにポツンと建ってるのは何だ? 煙が出てる」
まっすぐで単調な道を運転しながら、ミーシャが俺に訊いた。
何だろうと左側のサイドガラスを彼の横顔ごしに覗き込むと、チェスの城のコマのような形をしたちょっと不気味な塔が遠くでもくもくと煙を吹き上げている。
「ああ、あれは原発だよ……この国にはいっぱいあるんだ」
「ふーん……こんな気候にも土地にも恵まれた国でも、そんなもんが必要なんだな」
「そう言われると不思議かもしれないね……」
ロシアはここよりずっと寒くて、確か、耕地率は国土の中で一割も無いはずだ。
永久凍土と、神秘的な針葉樹林の森がどこまでも広がる厳しくて美しい世界。
このままずっと東へ東へ走り続けて、ミーシャの育った国を、見てみたいような気がした。
車の中も外も次第に深い闇に包まれ始めていた。
ミーシャの手元の計器盤だけがボンヤリと光って、彼の白い顔を照らしている。
高速道路にはほぼ明かりというものは無いので、周囲で明るいのも、俺たちの乗っている車のライトと二百メートル以上車間距離の離れた前の車のテールランプだけ。
まっ暗闇でのドライブは特に見るものもなく、助手席で頑張って寝ないようにしていたのだけど、昨日全く眠れてなかったせいか、何度もガクッと寝落ちしてしまった。
ああ、運転してるミーシャは大変なのに、情けない。
不甲斐なさを嘆いている内に、結局俺は、本格的に寝入ってしまったらしい。
気付いたら車は止まり、ミーシャが優しく俺の肩をトントンと叩いていた。
「マコト。リヨンまで来た。疲れてるみたいだから、今晩はもう休もうか」
ハッと目覚めて驚きながら身を起こし、シートベルトを外した。
フロントガラスの前には、オレンジ色のライトで照らされた建物の壁が見えている。
時計を見ると、もう夜の8時だ。ここはどうやら、どこかの駐車場みたいだった。
エンジン音が止んで静かになった車内から降りると、全身が引き締まるような澄んだ冷たい空気に包まれる。
ダッフルコートを着てきたけど、それでも寒い……。
「見て、マコト」
はしゃぐように頭上を指したミーシャにつられて上を見ると、そこには、オレンジ色にライトアップされた巨大な大聖堂が聳えていた。
細かいレース状の彫刻を施された、貴婦人のような佇まいの聖堂に圧倒されながら、ここが有名なリヨンの聖堂だと気付く。
「おいで」
ボンヤリしていたら手をぎゅっと握られて、俺は無理やり駐車場の出口へと連れていかれた。
出口、と言っても壁やしきりがある訳じゃなく、目の前の公園と駐車場の間を低い柱が並んでいて――そこを越えて行くと、今いる小高い丘の下に、光の海のような美しい夜景が広がっていた。
「わぁ……」
大聖堂のあるフルヴィエールの丘から見る、夜の帳の下りた新旧の市街――話に聞く以上に華やかだ。
この街で合流する二本の大きな川を囲んで輝く古い街の灯と、麓でひときわ神々しく輝く、薔薇窓のあるゴシックの大教会……。
ミーシャと観覧車から見たパリの夜景を思い出してしまって、切なくなった。
俺、もう、二度とあそこには戻らないかもしれないんだな……。
感傷に飲み込まれそうになった俺の手が、ミーシャの手でぎゅうっと力を込めて握られる。
「マコト、寒くないか? ……」
気が付いたら隣に逞しい身体が密着していて、かーっと頰が熱くなった。
まって、ちょ、何で俺たちこんなくっついて、しかも手を繋いでるんだっけ!?
その上、周りをよく見たら夜景を見ながらキスしたり抱き合ったり、イチャついてるカップルばっかりでビビった。
「みっ、ミーシャ、泊まるところ探そうっ」
慌てて手を離そうとした俺の身体が、腕で巻き取るみたいに抱き寄せられる。
「寝顔、可愛かった。……」
耳元で囁かれてドキッと心臓が跳ね上がった。
視線を上げて相手の顔を見た途端、一瞬触れるだけのキスが降ってくる。
身体の内側が熱く波立つように高まって、抵抗できずにただ、唇を受け止めることしか出来ない。
「安心して一緒に眠れる場所、探さないとな……」
低い囁きに、ゾクリと背筋が疼く。
「わ、分かった、から、少し離れて……」
やっとの事で拒絶すると、ミーシャの体が名残惜しげにそばを離れた。
――それを寂しいと感じていることに気付いて、恐ろしくなる。
ずっと一緒にいられるとは思えない……なのに、離れたくないなんて。
今の関係が壊れたら、俺は一体、どうなるんだろう……。
ヤンミンの組織に、そちらの方面へ逃げたと思わせる為だ。
タクシーを乗り継ぎながらミーシャは複数の地方都市の銀行でユーロを束で下ろして鞄に詰め、その一部で中古の目立たない国産車と、ミシュランのロードマップを買った。
最終的に目指す行き先はイタリア方面だ。
近場の駅や空港は待ち伏せされたら終わりだから、一旦国外に出て、俺が見た目で浮かない、なるべく日本人や中国人の観光客の多そうな都市を経由して逃げる――それが、ミーシャの提案だった。
イタリア北部のミラノに、国際空港のマルペンサがあり、最終的にはそこを目指す。
行くためには、大昔にローマと戦ったハンニバル将軍みたいにアルプス越えをしなきゃならない。
勿論、今はちゃんとトンネルが通ってるから、象で山を越える程は大変じゃないと思うけど……。
一度高速道路を逆方向に遡ったせいか、今日中に着くのはとても無理そうだ。
パリから直接行ったとしても、8時間以上はかかる道のりだった。
永遠に続くように感じる道を走って行くうちに、低く雲の垂れ込めた空と、なだらかな緑の小麦畑の地平線の向こうに、太陽が沈んでゆく。
「フランスは街を出るとどこもこんな感じだな……見渡す限り畑で、……あの遠くにポツンと建ってるのは何だ? 煙が出てる」
まっすぐで単調な道を運転しながら、ミーシャが俺に訊いた。
何だろうと左側のサイドガラスを彼の横顔ごしに覗き込むと、チェスの城のコマのような形をしたちょっと不気味な塔が遠くでもくもくと煙を吹き上げている。
「ああ、あれは原発だよ……この国にはいっぱいあるんだ」
「ふーん……こんな気候にも土地にも恵まれた国でも、そんなもんが必要なんだな」
「そう言われると不思議かもしれないね……」
ロシアはここよりずっと寒くて、確か、耕地率は国土の中で一割も無いはずだ。
永久凍土と、神秘的な針葉樹林の森がどこまでも広がる厳しくて美しい世界。
このままずっと東へ東へ走り続けて、ミーシャの育った国を、見てみたいような気がした。
車の中も外も次第に深い闇に包まれ始めていた。
ミーシャの手元の計器盤だけがボンヤリと光って、彼の白い顔を照らしている。
高速道路にはほぼ明かりというものは無いので、周囲で明るいのも、俺たちの乗っている車のライトと二百メートル以上車間距離の離れた前の車のテールランプだけ。
まっ暗闇でのドライブは特に見るものもなく、助手席で頑張って寝ないようにしていたのだけど、昨日全く眠れてなかったせいか、何度もガクッと寝落ちしてしまった。
ああ、運転してるミーシャは大変なのに、情けない。
不甲斐なさを嘆いている内に、結局俺は、本格的に寝入ってしまったらしい。
気付いたら車は止まり、ミーシャが優しく俺の肩をトントンと叩いていた。
「マコト。リヨンまで来た。疲れてるみたいだから、今晩はもう休もうか」
ハッと目覚めて驚きながら身を起こし、シートベルトを外した。
フロントガラスの前には、オレンジ色のライトで照らされた建物の壁が見えている。
時計を見ると、もう夜の8時だ。ここはどうやら、どこかの駐車場みたいだった。
エンジン音が止んで静かになった車内から降りると、全身が引き締まるような澄んだ冷たい空気に包まれる。
ダッフルコートを着てきたけど、それでも寒い……。
「見て、マコト」
はしゃぐように頭上を指したミーシャにつられて上を見ると、そこには、オレンジ色にライトアップされた巨大な大聖堂が聳えていた。
細かいレース状の彫刻を施された、貴婦人のような佇まいの聖堂に圧倒されながら、ここが有名なリヨンの聖堂だと気付く。
「おいで」
ボンヤリしていたら手をぎゅっと握られて、俺は無理やり駐車場の出口へと連れていかれた。
出口、と言っても壁やしきりがある訳じゃなく、目の前の公園と駐車場の間を低い柱が並んでいて――そこを越えて行くと、今いる小高い丘の下に、光の海のような美しい夜景が広がっていた。
「わぁ……」
大聖堂のあるフルヴィエールの丘から見る、夜の帳の下りた新旧の市街――話に聞く以上に華やかだ。
この街で合流する二本の大きな川を囲んで輝く古い街の灯と、麓でひときわ神々しく輝く、薔薇窓のあるゴシックの大教会……。
ミーシャと観覧車から見たパリの夜景を思い出してしまって、切なくなった。
俺、もう、二度とあそこには戻らないかもしれないんだな……。
感傷に飲み込まれそうになった俺の手が、ミーシャの手でぎゅうっと力を込めて握られる。
「マコト、寒くないか? ……」
気が付いたら隣に逞しい身体が密着していて、かーっと頰が熱くなった。
まって、ちょ、何で俺たちこんなくっついて、しかも手を繋いでるんだっけ!?
その上、周りをよく見たら夜景を見ながらキスしたり抱き合ったり、イチャついてるカップルばっかりでビビった。
「みっ、ミーシャ、泊まるところ探そうっ」
慌てて手を離そうとした俺の身体が、腕で巻き取るみたいに抱き寄せられる。
「寝顔、可愛かった。……」
耳元で囁かれてドキッと心臓が跳ね上がった。
視線を上げて相手の顔を見た途端、一瞬触れるだけのキスが降ってくる。
身体の内側が熱く波立つように高まって、抵抗できずにただ、唇を受け止めることしか出来ない。
「安心して一緒に眠れる場所、探さないとな……」
低い囁きに、ゾクリと背筋が疼く。
「わ、分かった、から、少し離れて……」
やっとの事で拒絶すると、ミーシャの体が名残惜しげにそばを離れた。
――それを寂しいと感じていることに気付いて、恐ろしくなる。
ずっと一緒にいられるとは思えない……なのに、離れたくないなんて。
今の関係が壊れたら、俺は一体、どうなるんだろう……。
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