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 いつもならテンキーで開ける、地上階(レドショッセ)の背の高い扉は、爆風で吹き飛んで外れている。
 エレベーターは元々ない。
 中に入ると、ウチの建物に繋がる送電線は無事だったのか、共用部のオレンジ色の電灯が暗いながらも灯っているのが有難かった。
 狭い螺旋階段を上がり、借りている屋根裏部屋に向かう。
 途中で、上から来た顔見知りのフランス人のおじさんとすれ違った。
「ボンソワール、マコト! とっくに逃げたかと思ったのにどこに行く!?」
 でかいリュックを背負ったおじさんに早口で引き止められ、笑顔で誤魔化す。
「今晩はフランソワさん……、ちょっと荷物を取りに行くだけです、大丈夫」
「通りの向こう側の古いガス管からガスが漏れてて、それが爆発したんだって話だぞ。こっちの建物も、下の階ほどボロボロで、酷い有様だ。君の家は今はまだマシかもしれないが、また爆発があるかもしれないから早く逃げた方がいいぞ」
「はい、俺もすぐに逃げますんで……っ」
 そう言うと、フランソワさんは安心したようにまた階段を下り始めた。
 その薄くなりかけた後ろ頭を見送り、急いで階段を二段飛ばしで登る。
 ようやく部屋にたどり着き、黄土色のペンキのハゲたボロボロの扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。
 ガチャっと音がしてロックが解かれ、ドアをグっと奥に押したけれど、木枠が歪んでしまっているのか、どうしても開かない。
 でも、諦めるわけにはいかないんだ、ここに母さんの形見が……!
 意を決した俺は、少しドアから距離を取り、肩を前に向け、全力でドアに身体をぶつけた。
 木製の薄いドアとはいえ、骨に走る衝撃と痛みは半端ない。
 それでも諦めず、何度か繰り返すうちに、唐突にドアがバタンと向こう側に開いた。
「あ……っ!」
 そのまま身体ごと持ってかれる形でバリバリと蝶番からドアが外れ、部屋の中に古い木のドアが横倒しになる。
「あちゃぁ……」
 やり過ぎたかも。
 大家さんには、ガス爆発でやられたことにしておこう……。
 気を取り直して立ち上がり、ドアを越えて、自分の狭いワンルームの屋根裏部屋に足を踏み出した。
 たった一つしかない小さな観音開きの窓は、しっかりよろい戸を閉めていたのにガラスが中に割れ落ちている。
 狭い空間にぎゅうぎゅうに家具を配置してたせいで、手前左の、キッチンとの間仕切り代わりにしていた本棚が、向かいのベッドに向かって斜めに倒れていた。正面の窓際に置いていた小さな勉強机は無事だけど、ガラスまみれだ。
 母さんの写真は机の上の写真立てに入れて置いてあったはずだけど、見当たらない。
 衝撃で床に落ちたのか……?
 奥に行きたいけど、倒れてる本棚が邪魔で無理だ。
 仕方なく、ベッドに引っかかっている本棚を持ち上げようと手を伸ばした時、低いうなり声が足元で上がった。
「……うぅ……」
「!?」
 死ぬほど驚いて、心臓が飛び出しそうになる。
 膝を突いて恐る恐る本棚の下を覗き込んで、俺は驚愕した。
 床に落ちた本が血みどろになっていて、しかもその下から誰かの脚が二本出ている。
「っ、だっ、だれ……!?」
 俺一人で住んでる部屋の筈なのに、誰かが本棚の下敷きになってる……!!
 もしかして、泥棒!?
 ……いやいや、俺はメチャクチャに貧乏だし、それはない。
 家、間違えちゃった人かな!?
 慎重にもう一度本棚の下を覗き込む。
 謎の侵入者は、本棚から落ちた重い参考書や辞書の下敷きになっているようだ。
 出血も酷い。このままじゃ死んじゃうかも……!?
「だっ、大丈夫ですか!?」
 事の重大さにおののき、俺は焦って本棚を掴んだ。
 渾身の力で持ち上げながら、知人からの貰い物の重厚な本棚は、中身が入ってなくても物凄く重くて、ここに運ぶ時も二人掛かりだったことを思い出した。
 これが倒れてきたのならかなりの重症だ。
 地震とか無い土地柄だから、大丈夫だと思ってた。
 今日、洗い場当番にされてなくてもっと早く帰ってたら、こうなってたのは俺だったかも……。
 ゾーッとしながらも、どうにか一人で本棚を元の位置に戻し、辞書や教科書を掴んで本棚の仕切り板の上に積んでいく。
 やがて、床に仰向けに倒れている人の姿がやっと見えるようになり、俺は愕然とした。
「誰だ、この人……」
 それは、見たこともない、長身でがっしりした体型の若い男の人だった。
 服は全身黒ずくめで、血で濡れたような感じになっている。
 黒のトレンチコートに、同じく真っ黒なハイネックのニットとパンツ。
 髪は、血に染まってはいるけど、殆ど白に近い、肩下くらいまでの長い金髪で、乱れて床に散っている。
 前髪が顔を隠していて顔立ちがよく分からないけど、肌の色は抜けるように白い。
 体型とか髪色の感じからして、ラテン系の多いフランス人とはちょっと違う感じがするけど、一体どういう人なんだろう。
 恐々と指を伸ばして、その人の腰のあたりに落ちている本を取った時、ごりっと硬い感触がした。
「……?」
 トレンチコートの裾を指先ではだけて中を覗く。
 ――黒々とした銃がパンツのウエストに無造作に突っ込まれているのが視界に入り、俺は心底驚いた。
「ひっ!」
 布をバッと戻して飛びのく。
 フランスは銃は一応持てる国ではあるけど、規制がちゃんとあるし、強盗だってそうそう拳銃なんか持ってない。
 もしかしたら警察関係の人……? と一瞬思ったけど、それならちゃんとしたホルスターを身につけてる筈だ。
 しかも、俺が麻薬の売人でもない限り、不在中の市民の家に侵入なんて絶対しないはずで。
 一瞬にして、俺の頭の中に母さんの今際の際の言葉が思い出された。
 ――『あなたが大人になったことを知ったら、あなたまで殺しに来るかもしれない……』
「こ、この人っ、まさか俺を殺しに来た……!?」
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