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波乱の軍事訓練後半戦
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しおりを挟む集合時間まで少し時間があったので、呉宇軒は幼馴染を誘って散歩に出た。
宿舎近くの林にはちょっとした小道があり、中を散策できるようになっている。僅かに黄色く色づき始めた葉を見上げながら、呉宇軒はそれとなく口を開いた。
「お前さ、昔うちに家出してきたことあっただろ?」
「うん」
「あれ、原因はなんだったんだ? あっ、答えたくないなら別にいいけど」
普段から温厚で、叱ることはあれど本気で怒ったことのない李浩然の初めての反抗的な態度に、李家だけでなく呉家にも激震が走った。もしかしたら話してくれないかもしれないと不安になって様子を窺っていると、彼は僅かな間を置いて口を開いた。
「……父が、勝手に婚約の話を進めていた」
「婚約? お前の兄ちゃんみたいに?」
資産家だからか、李浩然の兄には親が決めた婚約者がいる。そして両親も見合い結婚だったらしいということを、呉宇軒は昔話として彼の母親から聞いていた。見合いと言っても両者の意思を尊重して、無理強いはされなかったという。
「それって断っても大丈夫なやつだよな? なんで喧嘩になるんだ?」
婚約話と喧嘩が結び付かず、呉宇軒は首を傾げた。
嫌なら断るだけでいいはずだ。現に李浩然の叔父は過去に見合い話を断っており、安おばさんとは恋愛結婚だった。
「婚約の話を勝手に進めていたことと……父の言葉が許せなかった」
僅かに顔を曇らせ、李浩然は淡々とした口調で事の経緯を教えてくれた。長年片想いしている人がいたこと、父から望みがないなら諦めろと言われたこと。
どれも呉宇軒には初耳だった。当時は大人たちに聞いても口を噤んで教えてはくれず、かと言って落ち込んでいる彼自身に聞くのは憚られたので聞けず終いだった。
いつもなら片想い相手をからかい混じりに尋ねるところだが、当時の思い詰めた彼の姿を思うと掛ける言葉が見つからない。
居た堪れない空気の中、どこか遠くからはしゃぎ回る同級生たちの声が聞こえてくる。明るいその声が場の空気を和らげることはなく、しばらく押し黙っていると、李浩然が穏やかに口を開いた。
「何故急に昔のことを?」
嫌なことを聞いてしまったと後ろめたい思いで居た呉宇軒は、彼の穏やかな声に安心すると、気まずさを誤魔化すように緩く微笑んで返した。
「あ、うん……昨日ちょっと元気がなさそうに見えたから、昔みたいに何かあったのかなって思って」
「何もなければ君に触れてはいけない?」
その言葉の意味をじっくり考え、呉宇軒はハッとして彼を見た。
「それってつまり……特に理由はないってこと?」
「うん。心配してくれてありがとう」
何も問題がないと分かり、呉宇軒はほっと胸を撫で下ろす。身内の悲しむ姿を見ることほど耐え難いものはない。
先ほどまでの気まずい空気が和らいだので、彼は持ち前の明るさを取り戻すと、いつもの調子でニヤリと笑って幼馴染を肘で小突いた。
「そういうことなら、お前はただの甘えん坊ってことだな!」
からかう声に李浩然は笑みを返し、呉宇軒の腰に手を回して抱き寄せると、悪戯っぽく囁いた。
「甘やかしてくれるか?」
尋ねる声はどこか楽しげで、彼が面白がっていることが分かる。すっかり開き直った幼馴染の頬を優しく抓ると、呉宇軒は満面の笑みを向けた。
「何してほしいんだ? 兄ちゃんが全部受け止めてやるよ」
笑みを浮かべたまま李浩然が口を開いたその時、近くにあった茂みがガサガサと激しく揺れ、続けて誰かの小さな悲鳴が聞こえてきた。その声が女子のものだったので、呉宇軒は慌てて音のした方へ駆け寄った。
「大丈夫か? って、猫猫先輩?」
茂みの向こうでひっくり返っていたのは、昨日知り合った猫猫先輩だ。彼女は軍事訓練の迷彩服を着ていて、カメラを大事そうに抱えたまま仰向けに倒れている。見るからに高そうなカメラを守るために背中から倒れたらしい。
二人がかりで助け起こしてやると、彼女の髪や服には枯れ葉がいっぱいくっついていた。
「二人ともありがとう。優しいのね」
李浩然と一緒に頭についた葉っぱを取っていると、先輩は申し訳なさそうにお礼を口にした。一体あんなところで何をしていたのだろう。
怪しむ視線に気付いた彼女は、言い訳がましく言葉を並べた。
「べ、別に後をつけてたとかじゃないのよ? この辺り結構猫ちゃんが居てね、追いかけてたらこんなとこまで来ちゃったの。そしたらいい雰囲気の二人が見えてつい……」
シャッターチャンスに興奮して足元をよく確認しないままカメラを構えた結果、バランスを崩して後ろに倒れてしまったようだ。
彼女の居た場所を見ると、ちょうど地面が堀のように窪んでいた。まるで天然のトラップだ。元は小さな水路があったのかもしれない。
少々プライベートな話をしていたので、聞かれていないと分かりほっとする。そそっかしい先輩に、呉宇軒はやれやれとため息を吐いた。
「雨の日とかじゃなくて良かったですね。ちゃんと周り見ないと危ないですよ?」
この辺りは落ち葉が多くぬかるみやすいので、もしこれが雨の日やその翌日だったら泥まみれになっていただろう。
後輩に叱られて苦笑いする猫猫先輩に、ふと李浩然が尋ねた。
「猫を撮るためにわざわざカメラを持ってきたんですか?」
「それもあるけど、広報用の写真を頼まれたのよ。そうだ、君たちの写真使わせてもらってもいい? 宣伝になりそうな見栄えのいい子探してたの」
話を聞いて、呉宇軒は彼女が出版サークルのお抱えカメラマンだと紹介されていたのを思い出す。確か愛猫の写真を撮っているうちに撮影の腕が上がり、今では人物写真も撮るようになったと言っていた。撮られた写真は、きっと近々出るサークル雑誌やネット記事に使われるのだろう。
「いいですけど、こいつ笑いませんよ?」
撮影慣れしている自分だけならともかく、カメラを向けても全く笑わない李浩然も一緒で大丈夫だろうかと心配になる。
猫猫先輩は笑って親指を立てた。
「いいのいいの。真面目な感じでお願い」
ツーショット写真を何枚か撮られ、画像を見せてもらうとやっぱり李浩然は無表情だった。どの写真もそうなので、呉宇軒はクスクス笑って幼馴染を指で突く。
「然然、せっかくの男前が台無しだぞ? こんなにいい男なのに勿体無い。これじゃあ、お前の笑顔は俺が独り占めだな」
「別にそれで構わないが?」
からかってくる幼馴染に、彼はツンとそっけなく返した。
お決まりのやり取りをしながら、呉宇軒は内心不思議に思う。今まで彼からは一度もモテたいという気概を感じたことがなかった。ところが先ほど、過去に片想いの相手がいたと言っていたのだ。普段からそんな様子は微塵もなく、まさに青天の霹靂だった。
すっと鼻筋の通った端正な横顔をじっと見ていると、視線を感じた李浩然は不思議そうな表情で見返してきた。今は幼馴染と一緒なので彼の雰囲気は穏やかで、まさしく紳士的な美青年だ。こんないい男が長年片想いするなんて、相手は一体どんな美少女だったのだろう。
「俺の顔に何かついてるか?」
「ううん、相変わらずいい男だなって見惚れてたとこだよ」
いつものようにそう言うと、彼は優しく目を細めてふっと笑い、君もいい男だ、と返してきた。
猫猫先輩を連れてみんなの元へ戻ると、待ちくたびれた様子で待っていた彼らは一人増えていることに驚いた。
「猫猫先輩じゃん! 何してたんですか? 髪に葉っぱついてるし」
出版サークル所属の王茗がすぐに気付き、不思議そうにしながら彼女の前髪に絡んだ葉っぱを手で取る。先ほど払った時に一つ見落としていたらしい。
彼の言葉に周りも彼女が昨日の会食に来ていた先輩だと気付いたようで、各々が軽く挨拶をする。特にイーサンはインタビューのついでにたくさん写真を撮られていたので、丁寧に挨拶をしていた。
猫猫先輩に頼まれてみんなで何枚か写真を撮っていると、いつの間にか集合時間ギリギリになっている。慌てて集合場所へ向かって駆け出すと、同じようにうっかり時間を忘れて遊んでいた生徒たちが走ってきた。彼らは同志がいたことに安堵の表情を浮かべたものの、時計を見て必死の形相になった。
どうにか時間には間に合ったが五分前行動ができていないという理由で叱られ、罰としてスクワット百回を言い付けられる。Luna先輩の差し金か、何故か呉宇軒とイーサンだけみんなより余計にスクワットをさせられた。
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