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夢いっぱいの入学式
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しおりを挟む出版サークルからの追加インタビューを受けたり、他の学部の学生と話をしているうちに夕食時になる。開けた窓から入ってくる空気が冷たくなってきたので、呉宇軒は賑やかな人の輪を抜けてそっと窓を閉めた。
橙色に染まりゆく空の下、遠くに見えるサークル歓迎会場に一つ、また一つと明かりが灯る。夜は夜で催し物があるらしく、煌々とした明かりに楽しげな雰囲気がこちらまで伝わってきそうだ。
ふと、窓ガラスに人影が映る。振り返るより前に、李浩然の穏やかな声が耳元で響いた。
「阿軒、陸編集長が呼んでいるから行こう。夕飯は彼が奢ってくれるみたいだ」
「マジで!? さすが編集長、太っ腹だな!」
彼らの出すサークル誌は、毎年かなりの売り上げがあるらしいと噂で聞いていた。今年は呉宇軒を始めとして有名人の入学が多いので、陸編集長はさらに売り上げが見込めると大喜びしていたのだ。彼は歴代編集長の記録を塗り替えたいと思っているらしい。
カーテンを引いてからみんなの元へ戻ると、すでにいくつかのグループに分かれて夕飯について話し合っていた。カレー組代表の王清玲が、呉宇軒たちが帰ってきたのを見て手を振って呼んでいる。
「チラシ持ってきておいて良かったわ。アニスに感謝ね」
携帯のメモアプリにそれぞれの希望を打ち込んでいる最中のようで、近くに行くとすぐにテイクアウトのチラシが回ってきた。メニューの写真はどれも美味しそうで、辛さも自由に選べる。呉宇軒は幼馴染と交換できるように、マトンカレーの辛さレベルを少し上にして注文した。
すぐに決めてしまったので時間が余り、李浩然を連れて他のグループを見て回る。他二つのグループはそれぞれ中華組、ピザ組に分かれていた。彼らもメニューを見ながらああでもないこうでもないと話し合っている。
ふと呉宇軒は帰国子女のイーサンが中華組に居るのを見て意外に思った。アメリカ暮らしが長いならピザを選びそうなものだが、彼は携帯画面に写った中華のメニューと睨めっこしている。
「なに難しい顔してんだ?」
声をかけると、彼は驚いて危うく携帯を落としそうになった。
「べ、別に……どのメニューが良いか見ているだけだ」
「好みを教えてくれたら俺が選んでやるけど?」
そう申し出ると、彼はぱっと顔を明るくさせ、良いのか!?と嬉しそうに言った。生まれてからずっとアメリカ暮らしだったので、メニューを見ても味の想像がつかなくて困っていたらしい。
「向こうで食べた中華は口に合わなくて。あと脂っこすぎて具合が悪くなった」
そう言って向こうのテイクアウトは油物が多いと愚痴を溢す。カロリー大国なだけあって、店側がそっちの方向に寄せていたのだろう。
「じゃあ蒸し料理とかさっぱりしたのが良いかもな。あとは茹でる系とか麺料理。麺は豆乳スープとか体に優しいのもあるから。間違っても炒める系の料理には手を出すなよ? 大抵油いっぱい使ってるからな。辛いのは平気か?」
メニューを見ながらあれこれ説明していると、イーサンは感心したようにため息を吐いた。
「お前凄いな、専門家みたいで。僕は辛いのは苦手だ」
「そりゃあプロ名乗れるくらいには色々やってるから。それに俺のじいちゃん一級の資格持ちなんだぜ?」
若い頃から料理に打ち込んできていた祖父は大ベテランで、昔でいう特級厨師の資格を持っている。今はほぼ隠居状態で娘や孫に任せきりだが、呉宇軒が生まれる前は弟子も多く、業界では一目置かれる存在だったらしい。
「なあ、しばらく一緒に食事してくれないか? 僕一人だと覚えきれないし」
「同じ学部のやつに頼めば? お前友達居ないのか?」
歓迎会で知り合いの一人や二人できただろうと尋ねるも、彼は渋い顔をした。彼の受講する外国語学部は思いの外女子が多く、彼女たちに囲まれて男子生徒と話ができなかったようだ。
どうしたものかと困った呉宇軒はちらりと幼馴染を見た。人見知りな彼は、二人の間に誰か入るとすぐ機嫌が悪くなってしまうからだ。
李浩然は話を聞いて僅かに眉を顰めたものの、目が合うと小さく頷いた。
困っている人はさすがに放っては置けないようだ。我儘よりも人助けを優先する真面目な彼らしい答えに、呉宇軒は温かな気持ちで微笑んだ。
「しょうがないからしばらくは付いててやるけど、友達作ってそいつらに教えてもらえよ? 話をする良い切っ掛けにもなるし。朝飯くらいなら作ってやっても良いけど」
「いや、そこまでしてもらってもいいのか?」
「別にみんなに作るついでだから。事前に連絡はしてくれよ? 変なとこで遠慮するなぁ、お前」
太々しい割に思いやりの心があるイーサンは、どこか呂子星と似た空気を感じた。二人を引き合わせてみたら案外気が合うのではと思う。
各々が注文を終えてしばらく待っていると、テイクアウトした料理が続々と届く。カレー組はサークル歓迎会場で会ったネパール出身のアニスが届に来てくれた。
彼はたくさんの人で溢れる会議室の中を見渡して羨ましそうにしていたので、呉宇軒はぜひ一緒にと誘ったが、残念ながら店が忙しくて抜けられないと悲しい顔をして帰って行った。
今日から夏休み明けの生徒が帰ってきているので、どの店も注文が殺到してパニックになっているのだろう。早めに注文を入れていたお陰で、全てのグループが遅れることなく食事を始められた。
「あ、今日はグリーンカレーにしたんだ。美味しい?」
米の盛られた皿を見て尋ねると、李浩然はスプーンで一口掬って差し出してきた。食べるとパクチーの仄かな香りの後から青唐辛子の辛味がやってくる。彼にしては少し辛さが控えめだ。
「もしかして、俺のために少し辛さを抑えてくれた?」
尋ねると、李浩然は答えの代わりに優しげに目を細めて微笑んだ。
「美味しい?」
「うん、すごく良いね! 俺のも食べて良いよ」
そう言うと、呉宇軒は千切ったナンの上に大きめの肉を乗せて幼馴染に食べさせてやった。肉は大きいがよく煮込まれているので、口に入るとホロホロと溶けてとても食べやすいのだ。
李浩然はゆっくりと味わうように咀嚼して、嬉しそうに幼馴染を見た。
「俺のために辛くしてくれたのか?」
「そうだよ! どう? 美味しい?」
「すごく美味しい」
お互い相手の好みに合わせていた事実に喜んでいると、前の方で苛立たしげな咳払いが聞こえてくる。視線を向けた先には、不機嫌顔の呂子星が居た。
「誰かこいつらを壁で囲ってくれないか? 目の前で鬱陶しいんだが」
「なんだよ子星、羨ましいならお前にも食べさせてやるぞ?」
「いらねぇ! 黙って食ってろ!」
巻き込まれたくないと手でしっしと払い、呂子星は心底嫌そうな顔をした。そんな彼の後ろでは、猫猫先輩が鼻息荒くカメラを構えている。さっきからずっと、幼馴染二人の正面に来る位置をキープし続けているのだ。
「先輩、食べなくて良いんですか?」
さすがに気になったのか、珍しく李浩然がよく知らない先輩に呼びかける。彼女は幸せそうに満面の笑みを浮かべてぐっと親指を立てた。
「お腹いっぱい夢いっぱいよ!」
会食が始まったばかりなので、お腹いっぱいは無理がある。
意味の分からないことを言う先輩を、いつの間にか来ていた猫奴が丸めたチラシで叩いた。
「訳わかんねぇこと言ってないで戻りますよ! 同じ写真そんなに何枚も撮らなくていいでしょうが」
先輩は何やら言い訳しながら抵抗していたが、猫奴は問答無用で彼女を引きずり、元の席に帰って行った。呂子星の中では熱い猫語りをする猫奴の印象が強く、彼の常識人的な振る舞いに驚き、しばらくぽかんとして二人の方を見ていた。
「猫奴、彼女の師匠なんだって。先輩可愛い黒猫兄弟を飼ってるんだ」
「この学校には何人猫狂いが居るんだ?」
呉宇軒が教えると、終わらない猫語りに付き合わされた思い出が蘇った呂子星は恐れ慄いた。彼は前に猫奴に不用意ことを言って酷い目に遭ったので、きっと同類の猫猫先輩はブラックリスト入りしたことだろう。
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