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波乱の軍事訓練前半戦
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しおりを挟む夕飯を終えて宿舎に帰ってくると、部屋の前で誰かが立ち尽くしていた。背中を丸めて不安そうな顔をしたその青年は、ドアノブに触れようとしては止めてを繰り返している。一瞬階を間違えたかと思った呉宇軒は、鍵に書かれた番号を確認してから見知らぬ青年に声をかけた。
「誰かの友だちか? 用があるなら呼んでやろうか?」
扉の向こうからルームメイトたちの賑やかな笑い声が聞こえてくる。声を掛けずらいのかと思って尋ねたのだが、話しかけた途端驚いたようにびくりと肩が跳ねた。見るからに怪しい青年は視線を泳がせていや、だとかえっと……と曖昧な返事を返す。
「……同室の生徒では?」
二人のやり取りを見て考えていた李浩然がふと言った。部屋のベッドは六つあるので、確かに最後の一人という可能性は大いにある。
どうやら当たっていたようで、彼は表情を強張らせたままこくこくと頷いた。
「だったら入って大丈夫だよ。おい、お前ら騒がしいぞ!」
そう言って扉を開けると、部屋の中に何故か女子たちが居た。寛ぐ彼女たちの視線を一身に浴びた呉宇軒は一旦扉を閉め直し、困った顔をして幼馴染を振り返る。
「俺たち部屋間違えたかも」
李浩然が何か言おうと口を開きかけたその時、ガチャリと内側から扉が開いた。顔を出したのは王茗の彼女の鮑翠だ。彼女は立ち尽くす男三人を不思議な顔で見て、扉を大きく開いた。
「何してんの? 早く入んなよ」
よく見るとそこは女子の部屋ではなく、ルームメイトたちが部屋の奥に追いやられているだけだった。
一体何があったのか、一番奥のベッドに三人がぎゅうぎゅうになって座っていてかなり窮屈そうだ。ちょっと留守にしている間に部屋を女子に乗っ取られてしまったらしい。
どうぞ、とまるで自分たちの部屋かのように言い、鮑翠が道を開けてくれる。
「なんで女子が居るんだ?」
部屋の奥に向かって尋ねると、ベッドの上で所在なさげに体育座りしていた呂子星が王茗の背中を蹴っ飛ばして答えた。
「コイツが呼び寄せたんだよ!」
「いてっ……ごめんって! 一緒にご飯食べたら楽しいかなって思って呼んだらこうなっちゃった……」
散々叱られた後なのか、王茗はしょんぼりしながら言い訳した。
部屋の隅にデリバリーのゴミがまとめて置いてある。食べに行く元気がないと言っていたくせに、女子たちとしっかり楽しんでいたらしい。
誘いを断られた挙げ句、楽しそうな集いから除け者にされた呉宇軒はジト目で王茗を睨んだ。
「俺の居ない間に随分ハメを外したみたいだな……」
この借りは高くつくぞ、と王茗を脅していると、呂子星にフンと鼻で笑われた。
「お前らも楽しんでたみたいじゃねぇか。ネットで女子たちが祭りになってるぞ」
そう言って携帯の画面を見せてくる。そこには二人掛けの席でカレーを食べさせ合う呉宇軒と李浩然が写っていた。ついさっき行ったカレー屋で、誰かがこっそり写真を撮ってネットに投稿したようだ。
まるで週刊誌の隠し撮りのような画像のコメント欄には、軒軒然然見守り隊のファンたちの嬉しそうな書き込みが大量に付いている。『天国はここですか?』やら『生きてて良かった』などと大層なはしゃぎようだ。確かに祭りになっている。
一つ一つにじっくり目を通していると、すぐ真横でねぇ、と声がした。まるで恨みを持った幽霊のような呼び声に、呉宇軒は飛び上がった。
「うわっ!? びっくりした……小玲?」
驚いて横を見ると、そこには浮かない顔をした王清玲が立っていた。がっくりと肩を落とした彼女は落ち込んだ様子で口を開いた。
「カレー美味しかった?」
羨ましそうに尋ねられ、呉宇軒は怪訝に思いながらも頷く。すると彼女は瞳を伏せ、ため息混じりに言った。
「そう……良かったわね」
「なんかあったの?」
どう見ても様子のおかしい王清玲に尋ねると、彼女の後ろから別の女子がひょっこり顔を出した。垂れ目でおっとりした雰囲気の彼女は、前に王清玲が送ってくれた写真に写っていたルームメイトだ。
「小玲もカレー屋さん行きたかったのよ。この子、インドカレー大好きだから」
そう言って彼女は可愛らしい笑みを浮かべ、孫卯羽と名乗った。
どうやら呉宇軒がカレーを食べに行ったと聞いて、後を追うか多数決があったらしい。その結果はご覧の通りだ。
外が暗いので一人で追いかけて行くこともできず、王清玲は泣く泣くカレーを諦めたものの、まだその一件を引きずって落ち込んでいるようだ。
「君もインドカレー好きなんだ。俺たち気が合うね。良かったら今度は一緒に……あー……みんなで行こう!」
二人でと言いかけて、講堂で彼女と呂子星がいい雰囲気だった事を思い出して言い直す。王清玲はたちまち元気になり、ぜひ近いうちにと飛びついた。今までの余所余所しい態度からは考えられないほど積極的で、呉宇軒は思わず吹き出した。
恥ずかしそうに照れた王清玲をからかっていると、呂子星が間に入ってきた。
「カレーが好きなら西館にも美味い店あるらしいぞ」
「本当なの!? 西館……ってどこだったっけ?」
どうやら講堂の一件から少し打ち解けたようで、呂子星は緊張することもなく彼女と普通に会話できている。二人が西館のカレー屋について熱心に話し合っているので、お邪魔虫の呉宇軒はそっと気配を消して離脱した。そして、先ほどから気になっていた六人目の青年に目を向ける。
彼は一番奥のベッドに腰掛け、つまらなそうな顔で携帯を弄っていた。猫背でやや目つきが悪く、どことなく陰気な雰囲気を纏っている。呉宇軒は靴を脱いでベッドに上がると、息を潜めて背後に回り込み、トントンと軽く肩を叩いた。
「何してんの? 自己紹介してよ。俺は呉宇軒」
耳元で急に聞こえてきた声に、彼はびくりとして危うく携帯を落としそうになった。そして恐る恐る声のした方を向き、笑顔の呉宇軒を見て鬱陶しそうな表情を浮かべた。
「……高進」
「よろしくな。ところで高進は……」
呉宇軒が質問をしようとした次の瞬間、高進は彼のことを拳で突き飛ばした。
「っるせぇな! あっち行ってろよ!」
突然の大きな声に部屋がしんと静まり返る。一触即発になりそうなただ事ではない雰囲気に、みんなの視線は渦中の二人に集まった。
「阿軒……」
ピリピリとした緊張の中、李浩然が幼馴染を心配して声をかける。そして幼馴染の肩にそっと手を置いて顔を覗き込み、たちまち青ざめた。
「それは駄目だ」
咎める声に、呉宇軒は心底嬉しそうな笑顔で返す。
「だって、お前も見ただろ? 今の!」
明らかにキレて暴力を振るわれたというのに、呉宇軒は興奮した様子で何故か喜んでいる。幼馴染を除いた全員が不思議に思ってことの成り行きを見守る中、謝桑陽がハッと気付いた。
これは軒軒がネット上でアンチにうざ絡みするいつものパターンだった。邪険に扱われるほど燃え上がる質の悪い性格をしていることは、彼のファンなら重々承知だ。
恐ろしい事実に気付いてしまった謝桑陽は、明日からのことを思って眩暈がした。呉宇軒は今の一連の出来事で生意気な高進をすっかり気に入ってしまっている。揉め事が起こるのは時間の問題だ。あとは彼の幼馴染の力に賭けるしかなかった。
「阿軒、おすわり」
早速李浩然の粛清が入り、なんやかんや幼馴染に逆らえない呉宇軒は渋々自分のベッドへ戻った。不満タラタラの顔で番人と化した李浩然を見るも、彼は断固として動かず幼馴染を高進から遠ざけた。
しばらくして王茗も事情に気付き、周りにこそこそと耳打ちする。呂子星は話を聞くなり顔を顰め、あいつおかしいんじゃねぇのと愚痴を溢した。
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