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波乱の軍事訓練前半戦
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しおりを挟む講義の後に体力測定とランニングを終え、すっかり疲れ果てた学生たちは暗がりの中、ゾンビのようにフラフラ歩きながら宿舎へ戻ってくる。
元気いっぱいの呉宇軒は、少し離れた場所にあるインドカレーの店へ行こうとルームメイトたちを誘ったが、走り込みで疲れ果てた彼らは食欲が無いと言って全く動こうとしない。仕方がないので、同じくピンピンしている幼馴染を連れて食事に行くことにした。
「あいつらだらしねぇな。せっかく美味しい店見つけたのに……」
「まだ初日だから、そのうち慣れるだろう」
李浩然はぐちぐちと文句を言っていじける幼馴染を慰めた。二人とも日頃から運動を欠かさずしているのでまだまだ余裕がある。呉宇軒に至っては元気が有り余りすぎて落ち着きがなくなっていた。
学歴社会の弊害で勉学に割く時間がかなりの割合を占めるため、ろくに体を動かしてこなかった学生は多い。軍事訓練はそんな彼らの生活習慣を正す目的もあるのだが、初日は慣れない運動のせいで大抵死屍累々になるのだ。
現に外を出歩く学生の数は昼間よりもうんと少なく、出歩くのが億劫になった生徒たちが頼んだデリバリーの配達員とばかりすれ違う。その中にはきっとルームメイトたちが呼んだ店のものも混じっているだろう。
八月も終わりが近付いてきているので、夜の気温は少し肌寒い。上着を羽織ってはいるものの、時折吹く風はひんやりとしている。肌を撫でる風の冷たさに身震いした呉宇軒は、暖を求めて幼馴染にくっついた。
ふと視線を上げると、暗闇の中に満天の星が輝いていた。明かりのない並木道は星空がよく見える。藍色の空に浮かぶ小さな星たちは、少しずつ秋の星座に変わり始めていた。
「二人で飯食いに行くのっていつ振りだっけ?」
意外なことに、これだけ長く一緒に居るのに二人での外食は数えるほどしか無い。いつも実家の店か家で食べるかで、外へ食べに行くという選択肢はそう選ばないのだ。
李浩然はしばらく考えてから、記憶を辿るようにゆっくりと口を開いた。
「……中学の頃だ。君が何も持たずに家を飛び出して、俺が迎えに行った」
「ああ! そういやあったな、そんなこと」
両親が離婚した後、父方の祖父母が孫を連れ帰ると乗り込んで来たのだ。離婚の原因は父にあるのに母を詰る彼らが許せず、カンカンに怒って勢いのまま家を飛び出した。何も持たずに出たせいで途方に暮れていた所を、探しに来た李浩然が保護して夕飯をご馳走してくれたのだ。
「あの時は助かったよ。何せ俺、一文無しだったから。それにしてもよく見付けられたな」
祖父たちに捕まらないよう民家の庭先に隠れていた呉宇軒を、彼は難なく発見した。土地勘があるとはいえ渾身の隠れ場所だったのに、あっさり見つかってしまって少しだけ悔しく思う。
当時の事を思い出した李浩然は、優しく目を細めると柔らかな笑みを浮かべた。
「君の居る場所ならすぐに分かる」
「へぇ、じゃあ今度大学で隠れんぼでもしてみるか? 俺を捕まえられたら、何でも一つ言うこと聞いてやるよ」
「何でもいいのか?」
嬉しそうに目を輝かせ、李浩然はそう尋ねた。余程見付け出す自信があるらしい。
「おう、やってみろよ。絶対捕まんねぇからな」
彼は確かに幼馴染の行動を読むのが上手いが、それは呉宇軒も同じだ。目を見ただけで何を考えているか分かるのだから、読み合いなら負ける気がしない。
土地勘の無い場所なら勝機はあると、呉宇軒は胸を張って大見栄を切った。
目的の店は昼に食べに行った食堂を通り過ぎた先の、住宅街にある二階建ての建物の中に入っていた。
一階がカレー屋で、二階はエスニック料理の店だ。どちらの店も異国情緒あふれる看板を出していて、極彩色の派手な見た目が遠目からでもよく見えた。
店の周辺は食欲を誘うスパイスのいい香りが漂っていて、早くもお腹が空いてくる。これは期待できそうだとウキウキしながら中へ入ると、店内には迷彩服を着た学生がちらほら居た。店の評判を聞きつけて、彼らも同じように食べに来たのだろう。
カウンター席にヒョロリとした見覚えのある後ろ姿を見つけ、呉宇軒は真横から覗き込んだ。
「猫奴! 奇遇だな!」
声を掛けられた猫奴は驚いて飛び上がり、天敵の顔を見るなり顰めっ面をした。
「げぇっ、何でここに居やがる! ストーカーか!?」
「俺もカレー食べたくて。それよりお前、既読無視すんなよ。部屋番号教えて!」
「嫌に決まってるだろ! 飯が不味くなるからあっち行け!」
迷惑がってそう言うと、心底嫌そうな顔をしてしっしと手で追い払う。呉宇軒は構わず隣に腰掛けようとしたが、幼馴染に首根っこを掴まれて二人掛けの席に連行された。
夜限定の日替わりセットメニューを二つと飲み物を頼み、しばらく待っているとカレーが運ばれてくる。呉宇軒はセットのナンをチーズ入りに変えていたので、トロリとしたチーズがたっぷり乗ったものがテーブルに置かれた。
「一枚持って行ってもいいよ」
お裾分けすると、李浩然は自分のナンを手で千切って交換してくれた。普通のナンはもっちりとした食感が堪らない。
念願のカレーを食べられてご満悦になっていると、李浩然がグリーンマサラカレーを乗せたナンを差し出してきた。
「一口食べてみるか?」
辛党の彼が頼んだものは通常より辛さレベルが上のものだが、それなりに辛いものが食べられる呉宇軒は構わず齧り付いた。
ほんのりパクチーの香るカレーは美味しいものの、辛すぎてだんだん舌と唇がヒリヒリしてくる。それなりに食べられるとはいえ、やはり幼馴染の食べるものは少し辛い。
こんな時のために頼んでいたラッシーを飲んで中和すると、呉宇軒は一息吐いて言った。
「今お前とキスしたら大変なことになるな」
それを聞くなり、李浩然は思い切り咳き込んだ。げほげほと激しく咳き込む幼馴染を心配して、呉宇軒は彼のラッシーを手の届く場所に置いてやった。
「大丈夫か? さすがにちょっと辛すぎた?」
「いや……」
咳き込みすぎて声が掠れている。飲み物を飲んで喉をなんとか落ち着かせ、李浩然は改めて口を開いた。
「今の発言は何だ?」
「何って、こんだけ辛かったら口に残るだろ? だから今キスしたら辛いだろうなって」
女の子とデートする時は気を付けろよ、と言うと複雑な表情を浮かべたので、呉宇軒は慌てて付け加えた。彼が恋人作りを諦めたらせっかくの計画が駄目になってしまう。
「辛いの平気な彼女を作れば問題ないな。それよりほら、俺のも食べてみろよ。美味しいぞ?」
そう言って程よい辛さのバターチキンをナンにつけて差し出す。すると、まだ冷め切っていなかったせいで、齧り付いた幼馴染の口からチーズが糸を引いた。
滅多に見られない面白い顔を写真に撮って笑っていると、李浩然は眉間にシワを寄せて足を蹴ってきた。
「消せ」
「やだね。お前の母ちゃんに送ってやろ」
李浩然は携帯を奪おうと手を伸ばしてきたが、間にカレーや飲み物があるのでいかんせん動きが鈍い。送信済み画面を見せてニヤニヤしていると、彼は悪戯のお返しにチーズナンを皿ごと持って行ってしまった。
「俺のナン!」
まだ二切れしか食べていないのに全部が辛いグリーンマサラまみれになる。こうなっては手が出せない。
呉宇軒は仕方なく追加でナンとチーズナン両方を頼み、幼馴染の魔の手から遠ざけて食べ切った。
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