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高校最後の夏
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しおりを挟むあれこれ考え事をしているうちに、いつの間にか自分の家の前に立っていた。呉宇軒の実家は深紅の壁に黒い瓦屋根が映える、昔ながらの風情あふれる飲食店だ。二階はかつて民宿として利用されていたが、ホテルが増えた今ではその役目を終え、店の個室に改装されている。
まだ夕食には少し早いのに、外のテーブル席では常連客のおじさん達三人が酒盛りしていた。見つからないようそっと通り抜けようとしたものの、赤ら顔で既に出来上がりつつある一人が呉宇軒に気付いて声を掛けてくる。
「よう宇軒! 今日は店に出ないのか?」
いつ見ても酔っ払っている王おじさんだ。毎日のように会っているのに素面の姿を一度も見たことがない。
今日に限って酔いが浅いのか見つかってしまった。馬鹿でかいその声に他の二人も振り返り、呉宇軒は苦笑いを浮かべて挨拶を返した。
「あー……うん。今日はちょっとね」
「まーた振られたのか坊主! ほら来い、周おじさんが一杯奢ってやる!」
常連と言うだけあってほぼ毎日店に顔を出している三人は、毎回振られて落ち込む呉宇軒を見ているのですぐに見抜かれてしまった。
離れているのにこっちまで酒の臭いが漂ってくる。一体どれだけ飲んでいるのか。
「いいっていいって、一旦部屋戻るからっ」
捕まえようと伸びてきた手をするりとかわし、呉宇軒は店の裏手へ逃げ込んだ。
店の中を通って家に帰ることもできるが、彼女に振られたばかりの若者はおじさんたちのいい肴だ。中に入ればまた別の常連客にあれこれ弄られるに決まっている。
店は家族経営なので、この時間は自宅に誰もいない。振られてむしゃくしゃした気持ちを消化するにはちょうど良かった。
黒い板に蛍光ピンクで呉宇軒以外立ち入り禁止!と書かれた派手なプレートが飾ってある扉を開けると、ベッドの上に先客が座っていた。
飛び込もうとしていた場所に人が居て、すんでのところで踏み止まった呉宇軒は危うく転びそうになる。
「浩然! 来てたんなら連絡しろよ!」
よりによって李浩然が居るとは。顔を見ていると、嫌でも彼女とのやり取りを思い出す。
李浩然は読んでいた参考書から顔を上げると、平然として返した。
「連絡ならした。気付かなかったのか?」
えっ?と携帯を見てみると、確かに一件連絡が入っている。暗い顔をした彼女に気を遣って携帯をしまっていたので、連絡が来たことに気付かなかったのだ。
「悪い。ちょっと取り込んでて気付かなかった」
入り口に立ち入り禁止と書いてはあるが、部屋に鍵がついてないので今まで誰も守った試しがない。母はいつでもお構いなしに入ってくるし、李浩然に至っては家の合鍵を持っているので、今日のようにいつの間にか部屋に居る。
李家では母親が壊滅的に料理ができないため、毎食近所にある呉宇軒の実家に頼っていた。兄の方は大学に行っているので今は来ていないが、李浩然とその両親は毎日店に通っている。今日もうちに夕飯を食べに来たのだろう。
羽織っていた麻のシャツを部屋に脱ぎ捨てると、呉宇軒は勉強中の幼馴染の横に腰掛けた。真剣な眼差しで参考書の文字を追う横顔をちらりと盗み見る。
インドア派の李浩然は色白できめ細やかな肌をした美男子だ。すっと通った鼻筋に切れ長の目、長いまつ毛が影を落とす。落ち着いた物腰と佇まいには聡明さが滲み、女子たちの密かな憧れの的だ。
視線に気付いた李浩然が目線だけを横に向ける。
「何かあったのか?」
「いや、いい男だなって思って」
華やかさはないが、代わりに清廉とした美しさがあった。こんなに完璧な男に勝てるわけがないとため息が漏れる。
李浩然は僅かに眉を顰めると、参考書をパタンと閉じた。
「何があった?」
何かあると確信した声だった。伺い見る眼差しは鋭く、目を合わせているだけで心を見透かされてしまいそうだ。
問い質された呉宇軒は一瞬誤魔化そうかと思ったものの、どのみち店に行けば常連達から何か言われるだろうと諦めた口調でわけを話した。
「……また彼女に振られた」
「李瑶美?」
「それ一つ前」
「……林晴明か」
相手に思い当たった李浩然は、振られた呉宇軒よりもずっと暗く沈んだ顔をした。一緒に悲しんでくれる優しい幼馴染の肩にもたれ掛かると、呉宇軒はあーあ、とわざとらしく残念そうな声を上げる。
「こんな色男を振るなんてもったいないよな」
冗談混じりに同意を求めると、李浩然は力強く頷いた。そして真剣な顔をしてキッパリと言い切った。
「彼女は見る目が無い」
普段誰のことも悪く言わない李浩然が、珍しく敵意を含んだ声を出す。自分のことのように怒ってくれる幼馴染に、呉宇軒は嬉しくなって一層寄り掛かった。
「お前が女の子だったら俺と結婚してくれた?」
突然の質問に李浩然は驚いたように目を見開き、それから少し考えて訝しげに尋ねた。
「何故女になる必要が?」
「例えだよ例え! それに男同士じゃ結婚できないだろ!」
それはそうだな、と納得する幼馴染を見て、呉宇軒は堪え切れず吹き出した。たまにこうして天然っぷりを発揮するから面白い。
ゴロンとベッドでうつ伏せになると、呉宇軒は携帯を出して『元』彼女の連絡先を消した。
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