51 / 83
10章 腐りたくはないものです
5.
しおりを挟む
「ユアの言ったとおりだよ。なんかピリピリ、チカチカ? してきたと思う」
パッと顔を上げてユアを見る。ごめん、ユアのオノマトペ、正解だったよ。
「そーなんですよ! そうなるともうやめた方がいいですよ。疲れちゃうから」
「え? 疲れる?」
それって、筋肉使い過ぎってことじゃない?
ん? と考え込む僕にカシルが声をかけた。
「カルシード公爵夫人がおっしゃったように、体内魔力循環による筋力増強は30分が限界と思われます。ハルトライア様の体力を考えますとできれば20分以内にした方がいいくらいでしょう」
にぎにぎを繰り返していた僕の動きを止めるように、カシルの大きな手が僕の小さな手を下から包み込んだ。
「魔力により筋力を増やしても筋肉自体が増えるわけではございません。それに筋肉を限界を超えて動かすと筋肉が壊れてしまうのです。なので、騎士は体内魔力循環によって筋力増強をすることは禁じられております」
「じゃあカシルは出来るけれど、使っていないということ?」
はい、とカシルはうなずいた。
「戦いの場において、騎士が自分の筋力の限界を見極めて魔力を調節することは難しいのです。過去には戦闘時に体内魔力循環を使用していた時代もありましたが、復帰できないほど体を壊してしまう騎士が増えたので、現在は禁止されております。他の魔法師が外から補助魔法をかける分には、その魔法師が正しく管理している限り大丈夫です。」
だからお前は毎日筋トレをしているんだね。と納得した。
たった30分のブースト機能か。役に立たないとは言わない。非常時に30分だけでも反撃できたり走ったりできることを思えば、やらないに越したことはない。
「ユア、ありがとう。教えてくれて。昼ご飯の片付けもまだだったのに僕を優先してくれて感謝するよ」
「いいえ! ハル坊ちゃまがいちばんですよぉ。片付けなんていつでもできます!」
にっこにっこで笑ってユアは「じゃあ、片付けしたら買い物行ってきますね~」と尻尾を振りながらホールから出ていった。
その姿を見送ってから、握られたままの手に視線を戻す。
ふぅ、と小さなため息が出た。
「ユアには申し訳ないけれど、あまり積極的に体内魔力循環をしたいとは思わないなぁ。毎日の訓練で基礎体力を上げないと結局生活できないんだから」
「そうでございますね。飛び越えるのではなく、一歩一歩順に進んでいった方が長い目で見て効果があるということです」
「お前の筋肉も日々の努力のたまものだね。カシルを見習ってもっとがんばるよ」
「ハルトライア様は、もう十二分に……いえ」
カシルは軽く首を左右に振ると、少し微笑んでこうべを垂れ、僕の手にそこを寄せていく。
「全身全霊、お手伝いいたします」
そうして僕の甲にふわと銀髪が触れる。カシルが額をそっと押し付けたのだ。
キスされるかと思って心臓が跳ね上がったけれど、額でも僕の脈は爆速になってしまった。
騎士が主君に忠誠を誓う、それは当たり前のこと。
だが両膝立ちでこうべを垂れるのは、騎士が女神にする最敬礼と一緒だ。
こんなことされて両手を握られ顔も隠せない状況で、どうすればいいんだ。僕は絶対真っ赤だ。
お願い、顔を上げないで。
だがすぐにサラフワ銀髪が動いた。
僕は慌てて頭をカシルみたいに頭を下げて自分の両手首につけた。
「ハルトライア様?」
「カシルの真似してるだけっ」
変な弁解になってしまった僕に、カシルはおだやかな声色で言う。
「ハルトライア様は、そのようなことをなさらなくてよいのでございますよ。あなたは私の主人なのですから」
僕の手を離し、うつむいたままの僕の背中に腕を回して抱きしめた。
「頭を下げないでくださいませ。あなたはいつでも前を向いて、進んで行ってください。私はそのお手伝いをしたいのです」
紡ぐ言葉はやはり従者そのもので。
僕はお前の仕草一つでこんなにも鼓動を乱されてしまうのに。
カシルの胸で頬の熱が消えるのを少し待って、僕は顔を上げた。
「ありがとうカシル、手伝ってくれて。体内魔力循環も緊急時に使えたら価値はあるから、もう少し付き合ってくれる?」
「かしこまりました」
ピリピリするまでは試してもいいということだから、指だけじゃなく、腕全体、足、あとは体幹なんかもやってみたい。
それから僕はカシルと共に体中の筋肉に筋力増強を試していった。
気付くともう夕方。
ユアが買い物から返ってきた。
「ただいまでーすっ」
ホールの扉からヒョコッと顔を出したユア。野菜の葉先がいくつも飛び出した籐の買い物カゴも一緒に見える。たくさん買い込んだみたいだ。
「辺境伯から先触れ来ましたよ~。明後日の午後来られるそうですっ。ハル坊ちゃまどうします?」
「お帰り、ユア。承知しましたって返事しといて」
「はあ~い」
疲れて体もホカホカしてきたしもうそろそろやめようと思い、
「ユア、手が空いたらお風呂お願いしていい?」
とたずねた。
返事は相変わらず可愛らしい。
「お野菜片付けたら入りましょ~」
「りょーかーい」
僕もユアにつられて声を伸ばしてしまった。
カシルに「では終わりに致しましょう」と促されたので、
「楽しみだな。カシルと辺境伯の手合わせ」
とカシルに視線を戻す。するとカシルの動きが一瞬止まった。
でも
「……ハルトライア様が望むのであれば」
と黒縁メガネの奥、緑の目を静かに伏せて頭を下げた。
本心はガロディア辺境伯と手合わせしたいのだろうと僕は思った。あの時NOと言わなかったのだから。
その静かな返答に僕はフフと笑った。
騎士としてのカシルは歳をとってもなお健在なのだ。
お前は腐るという言葉とは無縁だろう。
剣を持ち続け研鑽を辞めない精神。
僕はそれを尊敬しているし、そしてお前のことを誇りに思っているから。
パッと顔を上げてユアを見る。ごめん、ユアのオノマトペ、正解だったよ。
「そーなんですよ! そうなるともうやめた方がいいですよ。疲れちゃうから」
「え? 疲れる?」
それって、筋肉使い過ぎってことじゃない?
ん? と考え込む僕にカシルが声をかけた。
「カルシード公爵夫人がおっしゃったように、体内魔力循環による筋力増強は30分が限界と思われます。ハルトライア様の体力を考えますとできれば20分以内にした方がいいくらいでしょう」
にぎにぎを繰り返していた僕の動きを止めるように、カシルの大きな手が僕の小さな手を下から包み込んだ。
「魔力により筋力を増やしても筋肉自体が増えるわけではございません。それに筋肉を限界を超えて動かすと筋肉が壊れてしまうのです。なので、騎士は体内魔力循環によって筋力増強をすることは禁じられております」
「じゃあカシルは出来るけれど、使っていないということ?」
はい、とカシルはうなずいた。
「戦いの場において、騎士が自分の筋力の限界を見極めて魔力を調節することは難しいのです。過去には戦闘時に体内魔力循環を使用していた時代もありましたが、復帰できないほど体を壊してしまう騎士が増えたので、現在は禁止されております。他の魔法師が外から補助魔法をかける分には、その魔法師が正しく管理している限り大丈夫です。」
だからお前は毎日筋トレをしているんだね。と納得した。
たった30分のブースト機能か。役に立たないとは言わない。非常時に30分だけでも反撃できたり走ったりできることを思えば、やらないに越したことはない。
「ユア、ありがとう。教えてくれて。昼ご飯の片付けもまだだったのに僕を優先してくれて感謝するよ」
「いいえ! ハル坊ちゃまがいちばんですよぉ。片付けなんていつでもできます!」
にっこにっこで笑ってユアは「じゃあ、片付けしたら買い物行ってきますね~」と尻尾を振りながらホールから出ていった。
その姿を見送ってから、握られたままの手に視線を戻す。
ふぅ、と小さなため息が出た。
「ユアには申し訳ないけれど、あまり積極的に体内魔力循環をしたいとは思わないなぁ。毎日の訓練で基礎体力を上げないと結局生活できないんだから」
「そうでございますね。飛び越えるのではなく、一歩一歩順に進んでいった方が長い目で見て効果があるということです」
「お前の筋肉も日々の努力のたまものだね。カシルを見習ってもっとがんばるよ」
「ハルトライア様は、もう十二分に……いえ」
カシルは軽く首を左右に振ると、少し微笑んでこうべを垂れ、僕の手にそこを寄せていく。
「全身全霊、お手伝いいたします」
そうして僕の甲にふわと銀髪が触れる。カシルが額をそっと押し付けたのだ。
キスされるかと思って心臓が跳ね上がったけれど、額でも僕の脈は爆速になってしまった。
騎士が主君に忠誠を誓う、それは当たり前のこと。
だが両膝立ちでこうべを垂れるのは、騎士が女神にする最敬礼と一緒だ。
こんなことされて両手を握られ顔も隠せない状況で、どうすればいいんだ。僕は絶対真っ赤だ。
お願い、顔を上げないで。
だがすぐにサラフワ銀髪が動いた。
僕は慌てて頭をカシルみたいに頭を下げて自分の両手首につけた。
「ハルトライア様?」
「カシルの真似してるだけっ」
変な弁解になってしまった僕に、カシルはおだやかな声色で言う。
「ハルトライア様は、そのようなことをなさらなくてよいのでございますよ。あなたは私の主人なのですから」
僕の手を離し、うつむいたままの僕の背中に腕を回して抱きしめた。
「頭を下げないでくださいませ。あなたはいつでも前を向いて、進んで行ってください。私はそのお手伝いをしたいのです」
紡ぐ言葉はやはり従者そのもので。
僕はお前の仕草一つでこんなにも鼓動を乱されてしまうのに。
カシルの胸で頬の熱が消えるのを少し待って、僕は顔を上げた。
「ありがとうカシル、手伝ってくれて。体内魔力循環も緊急時に使えたら価値はあるから、もう少し付き合ってくれる?」
「かしこまりました」
ピリピリするまでは試してもいいということだから、指だけじゃなく、腕全体、足、あとは体幹なんかもやってみたい。
それから僕はカシルと共に体中の筋肉に筋力増強を試していった。
気付くともう夕方。
ユアが買い物から返ってきた。
「ただいまでーすっ」
ホールの扉からヒョコッと顔を出したユア。野菜の葉先がいくつも飛び出した籐の買い物カゴも一緒に見える。たくさん買い込んだみたいだ。
「辺境伯から先触れ来ましたよ~。明後日の午後来られるそうですっ。ハル坊ちゃまどうします?」
「お帰り、ユア。承知しましたって返事しといて」
「はあ~い」
疲れて体もホカホカしてきたしもうそろそろやめようと思い、
「ユア、手が空いたらお風呂お願いしていい?」
とたずねた。
返事は相変わらず可愛らしい。
「お野菜片付けたら入りましょ~」
「りょーかーい」
僕もユアにつられて声を伸ばしてしまった。
カシルに「では終わりに致しましょう」と促されたので、
「楽しみだな。カシルと辺境伯の手合わせ」
とカシルに視線を戻す。するとカシルの動きが一瞬止まった。
でも
「……ハルトライア様が望むのであれば」
と黒縁メガネの奥、緑の目を静かに伏せて頭を下げた。
本心はガロディア辺境伯と手合わせしたいのだろうと僕は思った。あの時NOと言わなかったのだから。
その静かな返答に僕はフフと笑った。
騎士としてのカシルは歳をとってもなお健在なのだ。
お前は腐るという言葉とは無縁だろう。
剣を持ち続け研鑽を辞めない精神。
僕はそれを尊敬しているし、そしてお前のことを誇りに思っているから。
64
お気に入りに追加
492
あなたにおすすめの小説
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?
麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。
秘匿された第十王子は悪態をつく
なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。
第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。
第十王子の姿を知る者はほとんどいない。
後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。
秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。
ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。
少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。
ノアが秘匿される理由。
十人の妃。
ユリウスを知る渡り人のマホ。
二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
ツンデレ貴族さま、俺はただの平民です。
夜のトラフグ
BL
シエル・クラウザーはとある事情から、大貴族の主催するパーティーに出席していた。とはいえ歴史ある貴族や有名な豪商ばかりのパーティーは、ただの平民にすぎないシエルにとって居心地が悪い。
しかしそんなとき、ふいに視界に見覚えのある顔が見えた。
(……あれは……アステオ公子?)
シエルが通う学園の、鼻持ちならないクラスメイト。普段はシエルが学園で数少ない平民であることを馬鹿にしてくるやつだが、何だか今日は様子がおかしい。
(………具合が、悪いのか?)
見かねて手を貸したシエル。すると翌日から、その大貴族がなにかと付きまとってくるようになってーー。
魔法の得意な平民×ツンデレ貴族
※同名義でムーンライトノベルズ様でも後追い更新をしています。
腐男子(攻め)主人公の息子に転生した様なので夢の推しカプをサポートしたいと思います
たむたむみったむ
BL
前世腐男子だった記憶を持つライル(5歳)前世でハマっていた漫画の(攻め)主人公の息子に転生したのをいい事に、自分の推しカプ (攻め)主人公レイナード×悪役令息リュシアンを実現させるべく奔走する毎日。リュシアンの美しさに自分を見失ない(受け)主人公リヒトの優しさに胸を痛めながらもポンコツライルの脳筋レイナード誘導作戦は成功するのだろうか?
そしてライルの知らないところでばかり起こる熱い展開を、いつか目にする事が……できればいいな。
ほのぼのまったり進行です。
他サイトにも投稿しておりますが、こちら改めて書き直した物になります。
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる