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4章 先生に会って気付きました

2.

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 そうして昼過ぎ、午後3時頃に先生はやって来た。
 玄関への出迎えはユアにお願いして、僕は応接間でソファでなく車いすに座り、後ろにカシルを立たせて待っている。ソファは体が変に沈み過ぎて、姿勢が保てなくてつらいから。

 数分のちに、ノックがあり、ユアの「お越しになりました」の声がした。
「どうぞお入りくださいませ」とカシルが返事をして、ドアが開いて入ってきたのは女性だった。
 30前後だろうか。人目を避けるためか黒いローブを頭から被っていて、その隙間からのぞく切れ長二重の緑の目がめだつ。さらに左目にモノクルをつけている。魔法使いの学者らしい格好だ。
 良い人だといいな、と期待をしつつ貴族らしくご挨拶しようと思ったのだが、僕より先に発言した女性の一声で全てかき消されてしまった。

「やぁ、ルゥ、久しぶり! 元気そうだね!」

 っぇぇぇええぇぇえ?!

 心の中で絶叫してしまった。
 ルゥ!? ってカシルのル?!

 僕はぐるんっと勢いよく後ろに控えている彼を振り返った。
 だが当のカシルは驚きと困惑の表情でいっぱいだった。どういうこと?

「……あなた、でしたか。お久しぶりでございます。ファリア=ミュー=カルシード公爵夫人。ご健勝のようで、心から安心いたしました。本日はようこそお越しくださいました。主人だけでなく私も心底歓迎いたします」

 どこかとげとげしい感じの挨拶をしたカシル。
 こんなこと言うカシル見たことない。

 なんか、胸がざわざわする。

「つれないなぁ。私とお前の仲じゃないか」
「あまりおふざけをなさいますとカルシード公爵が嘆かれます。そしてまずは私の主人にご挨拶するのがマナーでございます。ハルトライア様はリフシャル侯爵家のご令息ですよ」

「ははっ、ごめんごめん。やあ、私の名前わかったと思うけど、ファリアだ。どうも貴族らしい言動が苦手でね。昔からルゥに怒られてたんだけど、直らなくて。本当にごめんね。よろしく」

 あまりに気さくすぎる言葉遣い。まるで前世で新学期クラスメートになった隣の席の人に話しかけるみたいな。
 貴族としてはありえない態度に唖然として返事ができない僕。
 彼女はそんな僕を気にせず、さらに口を開く。

「私のことはファリアでいいよ、君はハルトライア君、だったよね。長いから、トラ君って呼ばせてもらうね」

 トラ君? 略し方それ!?

 キャパ越えしてしまって瞬きも忘れた。

「あ、フードかぶったままだったね。さらに失礼。昨日魔法実験に失敗してさ、髪の毛がぼっさぼさになってしまってねぇ。みすぼらしいから隠していたんだよ。ほら、なかなかの爆発具合だろう?」

 パサリとフードをとって出てきたのは、無残な頭だった。ちりちりに焦げてしまった右側はパンチパーマを当てたみたいになっていて、長さが右と左で20センチは違う。元は淡い水色だったのだろうということだけはわかる。

 ……瞬きってなんでしたっけ?

「では、トラ君、詳しい話を聞かせてもらおうか。ちなみに私は殿下に歴史を教えているけれど、魔法に関することなら何でも聞いてくれ。魔法史の研究を始めたのは魔法の成り立ちをもっと深く研究したかったからで、もともとは属性魔法の分類が私の研究分野なんだ。いつもは貴族学園に隣接する魔法研究所にいる。もちろん魔法もそこそこ使えるよ。ちなみにルゥと同じ緑属性だからね」

 モノクルに覆われていない目をウインクするファリア先生。そして「うーん、見た目うるさいしやっぱり隠しとくねっ」とフードを元に戻した。

 怖いくらい情報量が多すぎる。それにずっと僕の胸がざわついていた。
 そのせいか、僕は無意識のうちに手を伸ばしてカシルに縋り付いていた。
 カシルがすぐにかがんで僕の両肩に手を置き、心配そうな瞳を見せる。

「ハルトライア様、大丈夫でございますか? どうか、落ち着いてください。私のことは、お分かりになりますか?」

 コクコクとうなずいた僕に
「深呼吸、致しましょうか。吸って、吐いて、はいもう一回、吸ってください、ゆっくり吐いてください」
 カシルが筋トレのときみたいに声掛けする。

 少しだけ冷静になったけれどなぜか苦しくて、瞳がどうしてかうろうろと泳いでしまう。それでもカシルを見つめて尋ねた。

「カシルは、先生のこと知っ「あ、大丈夫。ルゥとは既知の仲だけどトラ君については何も知らないんだ。殿下にもここまでの道順教えてもらっただけだから。これから仲良く慣れたら嬉しいな。トラ君とどんな魔法の話ができるのか、考えるだけでワクワクするよっ」」

 僕の発言にかぶせるように先生が答えてしまった。機関銃みたいに聞いてないことまでしゃべる。殿下がちょっと変わっているって言ったのもわかる。カシル越しに顔を先生に向けたら、またウインクされた。
 なぜか僕の心臓がドクンドクンとうるさい。

「申し訳ございません、公爵夫人、少々静かにしてくださいませ。まずはお座りください。ユア、公爵夫人に紅茶をお出ししてください」

 何とか黙らそうとしたのだろう、カシルがお茶を促した。
「ああそうしようか、久しぶりにルゥに会ったこともだけどトラ君がすごく興「っ静かになさいませっ」」

 今度はカシルが先生の声にかぶせた。怒ってるのが伝わってくる。
 カシルがこんな感じなのやっぱり初めて見た。

 早鐘を打つ胸が痛い。
 息が、本当にしにくいんだ。


「カシル、……ルゥ、って……」

 もっと他に聞くことがあったろうに、結局口から出たのは嫉妬丸出しみたいな言葉だった。
 僕、やっぱりすごく動揺してる。
 唇が震えてしまう。カシルの胸元に顔をうずめて隠した。

 くるしい 
 くるしいよ

 ねぇ、先生はカシルの元恋人?

 ルゥなんてかわいい愛称で呼ぶなんて、そうに決まってる。

 ……カシルは
 ルゥと呼ばれてどんな顔で返事をしたの?
 抱きしめて、どんな顔でキスしたの?

 ……知らない、わからない

 ……いやだ……

 カシルが、僕の知らないカシルいるなんて


 ……怖いっ……!



「ふ、……っくっ」

 涙が、溢れてきた。


 嫌だ
 怖い
 嫌だ 怖い
 嫌だ 嫌だ
 怖い 怖い

 僕の脳がたった2つの言葉で埋まっていく。

 心臓が、痛い。全身に変な力が入って肌が熱い、なのに体の芯は冷たい気がする。

 あ、と思ったときには、ぞぞぞそぞぞと【つる】が動いていた。

 っ止められなっ……!

 その瞬間、緑が僕を包んだ。カシルの温かい腕と一緒に。
 浄化魔法で僕を包んでくれたんだ。 
 蠢いていた【つる】が、しゅううと大人しくなった。僕の頭も冷えていく。
 でも目は熱い。苦しい。
 震える唇で息をしようとしたら喉がひきつった。

「、ひぅっ…、ぅっ」 

 僕を抱きしめているカシルが僕にだけ聞こえる声量でささやいた。

「ハルトライア様、私はお傍におります。私はあなたの、あなただけの騎士なのです」


 うんうん、とうなずくしかなかった。
 ポロポロとこぼれる涙が、どうしても止められない。
 すりすり顔をこすりつけて涙をカシルの執事服に吸わせた。
 わかってる。カシルは僕の執事で僕の騎士。でも……

 こんなときに気づくなんて。
 カシルが当たり前に傍にいるから気付かなかった。
 僕を抱きしめる腕が、僕以外の誰かの唯一になることなんて一度も考えなかった。 

 怖い
 嫌だ
  
 渡したくない
 この先の未来、誰にも

 ずっと
 僕だけのカシルでいて

 だって
 だって

 好きだ
 好きだ

 僕はこんなに、カシルの事が好きなんだ


 それは、9歳児の僕が還暦越えだろうオジイに心底惚れていると気づいた瞬間だった。
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