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スカーフの人

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「あー、よく寝たわぁ」

部屋の窓を開けると吹き込んだ風がカーテンをふわりとはためかせている。

窓から見える木には、ツツドリが留まってポッポと鳴いていた。

夏から秋に変わる爽やかな空気を胸に吸い込むと、一気に目も覚めた。

部屋に降り注ぐ朝陽が、清々しい1日のスタートを切るようだ。


「さち子さん」

部屋をノックしてからそっとドアを開けたのは雅美だった。

「あれ、どうしました?」

「それがねぇ・・・」

雅美は困ったような表情で部屋を見回している。

「にゃんたが居ないのよ」

「えっ!あ、ほら。まりさんの部屋は?」

もう見てきたのだろう。

ため息をつきながら首を横に振った。

「縁側の戸が少しだけ開いてたのよね。気が付かなくて・・・」

「じゃあ私、散歩がてらに探してきます。きっと近くにいますよ」

「そう?ごめんなさいね・・・。朝ごはん出来てるから。用意するわね」

階段を降りていく床が、雅美が落ち込んでいるのを表すかのようにギシッ ギシッと不規則に軋んでいた。



「そう言えば、まりさんは?」

ふっくらとした出汁巻き玉子を食べ、炊きたてのご飯を食べる。

「面接なんですって」

「面接?何の?」

「本屋さん。よく行くお店らしくて、働きたいって言ったら面接においでって言われたらしいわよ。感じの良いおじ様なんですって」

「へぇ!良いですねぇ、好きな物に囲まれてお仕事ですか。あぁ、この鯖美味しい」

パリッと焼いた皮に対して、柔らかく程よく脂の乗った鯖は一口で幸せな気持ちにしてくれる。

最後にお味噌汁を飲んで体を温め「ごちそうさまでした」と手を合わせた。



「じゃ、ちょっと行ってきますね。先ににゃんたが戻ってきたら電話ください」

「はい。お願いしますね」

さち子は玄関まで見送りに出てきた雅美に頭を下げてから家を出た。


手芸用の綿を丸くちぎって並べたような鯖雲は、秋の訪れを感じさせる。

ついこの間までジリジリと蝉が鳴き、暑い日々だったのが嘘のように、心地よい涼しい風がそっと肌を撫でていく。

「そりゃあこんな気持ちよかったら、にゃんたもお外に行きたくなるわよねぇ」

家を出て暫く並木道を歩くも、出会う人の年齢層が高い。

すれ違うのはバギーを押したお婆さんだったり、仲睦まじく手を繋いで歩く老夫婦だ。

駅前に行けばファミレスが一件、あとは商店街にこれまたレトロな喫茶店があるが、若い人が好むような娯楽施設も無いこの小さな町は、入ってくる人より引っ越してしまう人の方が多くなってしまっていた。

さち子にとっては、海があるってだけでも十分なのだが。

「静かな町だわ。にゃんたー」

時々立ち止まり、草むらに呼び掛けてみるも、虫が草を揺らすだけでにゃんたの姿は無い。

商店街の美味しい匂いに釣られてるのではないだろうか。

・・・滝じぃにご飯でも貰ってるのかしら?

ふとそんな事が頭をよぎったさち子は、坂の向こうにある滝じぃのお店を目指して歩いた。




「ごめんくださーい」

「はいよ。あぁ、さち子さん」

相変わらず商品が積み上げられている店の奥から、滝じぃが「よっこらせ」とこちらへ歩いてきた。

「何か探し物かい」

「あぁ・・・いえ。にゃんた、来てませんか?」

「にゃんたなら、今朝早くに商店街の方に歩いてったよ。何だ、好きに散歩させとるわけじゃないのか」

「いえ。自由に出しちゃって他所様のお宅に粗相してもいけないので。散歩は誰かが連れて出るようにしてるんです」

「そうか。まぁ、そうだな」

「ありがとうございます。探してきます」

暫く歩いてから1度振り返ってみると、滝じぃは荷台を押してどこかへ歩いていく後ろ姿が見えた。


またどこか引っ越しだろうか。

「いや、それより急がないと」

さち子は商店街へと足を急がせた。




「あっ。さち子じゃない。豆腐買いに来てくれたの?」

白いエプロンと長靴姿の百合子が満面の笑みで迎えてくれた。

「ゆりちゃん。ううん、にゃんたが居なくなっちゃって。見てない?」

「さち子の所の猫ちゃん?いや、今日は見てないけど・・・最近たまーにだけど、この辺りウロウロしてるの見るわよ。見かけない白い猫と一緒に」

「白い猫?」

いつの間に友達ができたのだろう。

それよりも、さち子たちが気付かない間も友達が出来るほど出歩いていたことに驚いてしまった。

百合子と店の前で話していると、通りの向こうから歩いてくる人影が見えた。

「さち子さーん」

「あ、まりさん。あれっ、にゃんたもいる!」

「さち子!あの猫よ、白い猫」

百合子が指差す先の、にゃんたを抱き抱えるまりの足元には、ぴったりと速度を合わせるようにひょこひょこと歩く白い猫が居た。

「にゃんた、何処に居たんですか?」

「本屋さんの隣に空き家があるんですけど、そこの庭で遊んでたんですよ。びっくりしました。この白猫ちゃん、どこの子なんでしょう。男の子みたいなんですけど」

まん丸の目でこちらを見上げるその猫は、きっと猫界で言えばイケメンに分類されるだろう。

整ったそのイケメン白猫は、まりの足を体で撫でる様にしてみせた。

「あ!」

百合子が何かを思い出したかの様に大きな声を上げた。

地面を突っついていた雀が数羽、バタバタと慌てて飛び立った。

「宮崎さんちのユキちゃん!あ、違うユキ君!」

「ユキ?この猫の名前?」

「そうよ!絶対そう。まだ小さい娘さんが真っ白だからユキが良いって聞かなかったんだって、その子のお母さんが言ってたわ。随分ほっそりしてるから気付かなかったけど、よく見たらお尻に黒いハートマークあるでしょ」

百合子が「ここっ」と教えてくれたそれは、ハートと言えばハートに見えなくもない、いびつな黒い丸い模様だった。

「でも宮崎さん、引っ越しちゃったのよ。何でこの子だけ・・・」

置いていかれたのだろうか。

何とも言えない気持ちに苛まれたさち子は、取り敢えず、そのユキという白猫を家へと連れていくことにした。



「にゃんた、楽しそうね」

にゃんたとユキが庭で遊ぶ姿を見て目を細めた。

「この子、ここで飼うんですか?」

お茶で一息吐いたまりが、その様子をみてさち子に尋ねた。

「うーん」

どうしたものかと考えあぐねていた時、ガタガタと玄関を開ける音がした。

「おばさーん!」

「あ、健太郎君だわ。はーい、どうぞーって・・・その方は?」

廊下へ出ると、健太郎に促されて靴を脱ごうと屈んでいる女性が「初めまして」と申し訳なさそうに会釈をした。

「にゃんたのスカーフの人だよ!」

「うそっ。あ、いやごめんなさいね。どうぞ、あがってください」

さち子は、何度も頭を下げる彼女と健太郎を部屋へと案内した。

「えっと・・・じゃあ貴方が宮崎さん?」

宮崎と名乗る女性は小さく頷き、熱心に庭で草を嗅いでいる2匹の猫に目をやった。


まさか名前を聞いたその日の内に出会えるとは。

彼女は今では空き家となっている本屋の隣に住んでいたらしい。

その時に飼っていた白猫のユキと、野良猫のにゃんたが仲良くてよく遊びに来ていたそうなのだ。

だが、いざ引っ越しの日にユキが行方不明になってしまったらしい。

「ユキがなついていた娘とも一緒に探し回ったんですけど見つからなくて。時々ここに私だけ来て探してたんです。そしたらこの子・・・にゃんたを見つけて。ユキのスカーフを着けたら気が付いてこのお家に来てくれるんじゃないかと思って」

「そうだったんですか。引っ越して離ればなれになるのが嫌だったのかしら」

さち子がそう言うと、宮崎さんは「そうかもしれません」と小さく頷いた。

「ユキ君はどうするんですか?」

雅美が尋ねると宮崎さんは庭で遊ぶ2匹を見つめてため息を着いた。

「今のマンション、動物は1匹までって決まってるんですよ・・・ユキだけなら連れて帰れるんですけど」

「・・・じゃあうちで2匹飼うってのはどうでしょう。宮崎さんも娘さん連れて遊びに来たりして。うちは雅美さんもまりさんも居て、常に誰かが家にいますから」

「本当ですね!ここ、憩の場ですし」

「憩いの場?」

まりの言葉に、宮崎さんはキョロキョロと部屋を見回した。

「えぇ。玄関が開いてるときは適当に入ってのんびりお茶するなり、縁側でぼーっとするなり、憩いの場にしましょうって事でやってるんです」

「私が食事の用意が出来ているときは、ご飯もお出しできますよっていうね」

雅美がにっこりと笑うと、宮崎さんは「えぇ、食事まで出るんですか!?」と驚いた。

それから宮崎さんは何度も謝り、宜しくお願いしますと言って、ユキをつばめ荘に残して帰っていった。

健太郎は頑張って休みの度に張り込みをした甲斐があったと、誇らしげにしていた。



数日が経ったが、相変わらず2匹は毎日楽しそうに追いかけあったり、縁側で転げてじゃれあったり、のんきに昼寝をしたりしていた。

「最近構ってくれなくなったわねぇ 」

ぼやいたさち子の言葉がわかるのか、何故かその夜からは2匹がさち子の布団に潜り込むようになった。

「・・・狭いんだけど」

シングルの敷き布団の端に追いやられながら、2匹の背中を撫でてから眠りについた。
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