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番外編:れんげ草の看板娘
番外編:れんげ草の看板娘
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夜から朝にかけて、ひとしきり降った雨が止んで、開けた窓からは濃厚な土と緑の匂いが流れ込んできます。
雨の雫を垂らしたポプラの葉を、ようやく顔を出したお日様が照らし、やわらかな木漏れ日をテーブルに作り出しています。
淹れたての珈琲の芳ばしい香りと、手作りのシフォンケーキ。
滑らかなクリームに、鮮やかなミントを飾り付けて。
窓際の特等席に腰を降ろし、珈琲に口をつけようとした時、玄関のドアを小さくノックする音が聞こえました。
なんと、ドアを開けるとそこに居たのは小さな白うさぎです。
すると瞬く間に人間の女の子の姿になり、その場に膝から崩れ落ちてしまいました。
「まぁ!こちらへいらっしゃい」
女の子の手を引いて店に入れました。
何とか意識はあるようですが、とても疲れている様子。
もう雨は止んだというのに、髪も着物もびしょ濡れ。
泥汚れも酷く、着物はあちこちほつれたり破けたり、あまりにも酷い姿をしていました。
「待っていて。綺麗にしてあげますからね」
身体を綺麗に洗い流し、髪を乾かし。
大きいですが、私の服を着せてみました。
身体を洗って気が付いたのが、彼女の腕や足だけでなく、あらゆる場所が傷だらけ。古傷も含めたらもう見ているのも可哀そうでならない程です。
店に入って来てから何も喋らない彼女は、身体を綺麗にした今もぼんやりとしています。
「あ。何か食べる?サンドイッチか何か作りましょうか」
私が尋ねると、少女は私を見上げて力強く頷きました。
油を熱した所に、お出汁や塩コショウで味付けした卵を流し入れて、厚焼きの玉子焼きを作っていきます。
マヨネーズをパンに塗りましょう。
焼き立てのふわふわ玉子焼きを乗せて、もう一枚の食パンで挟みます。
パンの耳を切り落とし、長方形のサンドイッチの形に切り分けたら、和風たまごサンドの完成です。
寒かったでしょうから、ホットミルクと一緒に少女の待つテーブルへと運びました。
「どうぞ。ゆっくり食べてね」
私がそう言うと、女の子は大きな口でサンドイッチにかぶりつき、黙々と頬張っていました。
「ありがとうございました。美味しかった……」
ホットミルクの入ったマグカップを両手で包み込むようにして、ふぅふぅと冷ましています。
「ふふっ、喜んで貰えて良かったわ。怪我は?痛むところはある?」
私が尋ねると、ぶんぶんと頭を横に振ります。
話を聞くと、これまでの事をゆっくりと教えてくれました。
この近くにある飯森という山に住んでいたあやかしだという事。
意地悪な妖怪がいて、よく虐められていた事。
最近は月夜神社に住処を変えたけれど、それも気付かれてしまい。
何とかここまで逃げてきたのだそうです。
「ここの事、知っていたの?」
すると彼女は、ちいさく頷きました。
「昔、何度か月夜神社に遊びに行ったことがあって。美鈴様をお見受けしたことがありました。私のような下等な者が話しかけてはいけないかと思って隠れていたのです。祠の力が弱まった頃、美鈴様がこちらの方に姿を消したのを見ておりました……人間が怖くて追いかけは出来ませんでしたが」
そう言ってミルクを飲むと、ようやく初めて笑顔を見せてくれました。
あまり笑ったことが無いような、少しぎこちない笑顔。
表情の向こうに寂しさを隠したような笑顔でした。
「行く宛てが無いなら、私と一緒にこのれんげ草に住まない?ここはね、お店だから色々な人が来ると思うけれど、悩みや悲しみを持つ人たちが来る場所なの。あなたが最初のお客様。で、うちの看板娘。どうかしら」
「い、良いのですか……?私のような……その……か、下等な――」
「あら。私はあなたを下等だなんて思っていないわよ。ここに来てくれた、大切な女の子。出会いって言うのはね、縁があると傍にいる事が心地良いって思えるの。私は今、あなたとこうしてお話していると、とても穏やかな気持ちになれるわ。だからきっと、私とあなたは縁があるの。ね?無理には言わないけれど――」
「無理じゃないです。あ、ありがとう……ございますぅ」
彼女は、マグカップを持ったまま目を潤ませた。
「みーこちゃん。おつかいお願いしても良い?」
「もちろんですぅ!」
彼女と出会ったあの雨上がりの日から二年目の春。
みーこちゃんは今では立派なうちの看板娘です。
「急がなくても大丈夫ですからね。足元、転ばないように気を付けてね」
いつもより空気がひんやりとした今朝。
小さな赤色のマフラーを巻いてやり、お財布とお買い物のメモを渡しました。
「行ってきます!帰ったらタマゴサンドが食べたいです~」
「ふふっ。良いわよ。用意しておくわ。行ってらっしゃい」
元気よく駆けだしていったみーこちゃんの背中を見送ってから、店の脇あるポプラの木に、そっと触れました。
青々とした葉は、春の風にさらさらと揺れています。
やって来た野鳥が枝に止まり、可愛らしい鳴き声を響かせた後、再び空へと飛び立ちました。
ここを訪れるお客様。
これからどんな出会いがあるでしょう。
出会い、別れ。長い時を生きた私にとっては、人間の儚くも短い人生と関わる事は少し寂しさもありました。
ですが、そんな人間たちが。
かつて私を友人のように接してくれた女の子のように、寂しさを抱えている人たちが、少しでも心穏やかになれる場所であれば。
月夜神社から見える、れんげ草が咲き乱れる穏やかであたたかい風景。
陽だまりカフェ・れんげ草が、お客様にとって心落ち着く場所でありますように。
そう願いながら、淡いパステルカラーの空を見上げました。
雨の雫を垂らしたポプラの葉を、ようやく顔を出したお日様が照らし、やわらかな木漏れ日をテーブルに作り出しています。
淹れたての珈琲の芳ばしい香りと、手作りのシフォンケーキ。
滑らかなクリームに、鮮やかなミントを飾り付けて。
窓際の特等席に腰を降ろし、珈琲に口をつけようとした時、玄関のドアを小さくノックする音が聞こえました。
なんと、ドアを開けるとそこに居たのは小さな白うさぎです。
すると瞬く間に人間の女の子の姿になり、その場に膝から崩れ落ちてしまいました。
「まぁ!こちらへいらっしゃい」
女の子の手を引いて店に入れました。
何とか意識はあるようですが、とても疲れている様子。
もう雨は止んだというのに、髪も着物もびしょ濡れ。
泥汚れも酷く、着物はあちこちほつれたり破けたり、あまりにも酷い姿をしていました。
「待っていて。綺麗にしてあげますからね」
身体を綺麗に洗い流し、髪を乾かし。
大きいですが、私の服を着せてみました。
身体を洗って気が付いたのが、彼女の腕や足だけでなく、あらゆる場所が傷だらけ。古傷も含めたらもう見ているのも可哀そうでならない程です。
店に入って来てから何も喋らない彼女は、身体を綺麗にした今もぼんやりとしています。
「あ。何か食べる?サンドイッチか何か作りましょうか」
私が尋ねると、少女は私を見上げて力強く頷きました。
油を熱した所に、お出汁や塩コショウで味付けした卵を流し入れて、厚焼きの玉子焼きを作っていきます。
マヨネーズをパンに塗りましょう。
焼き立てのふわふわ玉子焼きを乗せて、もう一枚の食パンで挟みます。
パンの耳を切り落とし、長方形のサンドイッチの形に切り分けたら、和風たまごサンドの完成です。
寒かったでしょうから、ホットミルクと一緒に少女の待つテーブルへと運びました。
「どうぞ。ゆっくり食べてね」
私がそう言うと、女の子は大きな口でサンドイッチにかぶりつき、黙々と頬張っていました。
「ありがとうございました。美味しかった……」
ホットミルクの入ったマグカップを両手で包み込むようにして、ふぅふぅと冷ましています。
「ふふっ、喜んで貰えて良かったわ。怪我は?痛むところはある?」
私が尋ねると、ぶんぶんと頭を横に振ります。
話を聞くと、これまでの事をゆっくりと教えてくれました。
この近くにある飯森という山に住んでいたあやかしだという事。
意地悪な妖怪がいて、よく虐められていた事。
最近は月夜神社に住処を変えたけれど、それも気付かれてしまい。
何とかここまで逃げてきたのだそうです。
「ここの事、知っていたの?」
すると彼女は、ちいさく頷きました。
「昔、何度か月夜神社に遊びに行ったことがあって。美鈴様をお見受けしたことがありました。私のような下等な者が話しかけてはいけないかと思って隠れていたのです。祠の力が弱まった頃、美鈴様がこちらの方に姿を消したのを見ておりました……人間が怖くて追いかけは出来ませんでしたが」
そう言ってミルクを飲むと、ようやく初めて笑顔を見せてくれました。
あまり笑ったことが無いような、少しぎこちない笑顔。
表情の向こうに寂しさを隠したような笑顔でした。
「行く宛てが無いなら、私と一緒にこのれんげ草に住まない?ここはね、お店だから色々な人が来ると思うけれど、悩みや悲しみを持つ人たちが来る場所なの。あなたが最初のお客様。で、うちの看板娘。どうかしら」
「い、良いのですか……?私のような……その……か、下等な――」
「あら。私はあなたを下等だなんて思っていないわよ。ここに来てくれた、大切な女の子。出会いって言うのはね、縁があると傍にいる事が心地良いって思えるの。私は今、あなたとこうしてお話していると、とても穏やかな気持ちになれるわ。だからきっと、私とあなたは縁があるの。ね?無理には言わないけれど――」
「無理じゃないです。あ、ありがとう……ございますぅ」
彼女は、マグカップを持ったまま目を潤ませた。
「みーこちゃん。おつかいお願いしても良い?」
「もちろんですぅ!」
彼女と出会ったあの雨上がりの日から二年目の春。
みーこちゃんは今では立派なうちの看板娘です。
「急がなくても大丈夫ですからね。足元、転ばないように気を付けてね」
いつもより空気がひんやりとした今朝。
小さな赤色のマフラーを巻いてやり、お財布とお買い物のメモを渡しました。
「行ってきます!帰ったらタマゴサンドが食べたいです~」
「ふふっ。良いわよ。用意しておくわ。行ってらっしゃい」
元気よく駆けだしていったみーこちゃんの背中を見送ってから、店の脇あるポプラの木に、そっと触れました。
青々とした葉は、春の風にさらさらと揺れています。
やって来た野鳥が枝に止まり、可愛らしい鳴き声を響かせた後、再び空へと飛び立ちました。
ここを訪れるお客様。
これからどんな出会いがあるでしょう。
出会い、別れ。長い時を生きた私にとっては、人間の儚くも短い人生と関わる事は少し寂しさもありました。
ですが、そんな人間たちが。
かつて私を友人のように接してくれた女の子のように、寂しさを抱えている人たちが、少しでも心穏やかになれる場所であれば。
月夜神社から見える、れんげ草が咲き乱れる穏やかであたたかい風景。
陽だまりカフェ・れんげ草が、お客様にとって心落ち着く場所でありますように。
そう願いながら、淡いパステルカラーの空を見上げました。
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