70 / 90
第2部
25.薔薇と真紅(5)
しおりを挟む
それから一ヶ月は瑠奈の東京への引っ越し、ビザの取得に大地君の転院の手続き、僕の会社への入籍の報告と渡米の手続き、結婚式の準備にとおおわらわだった。
瑠奈は結婚式だなんて贅沢すぎる、婚姻届けだけでいいと言っていたのだが、僕がドレス姿を見たいのだと押し切った。参列者はマークとその奥さん、松本さんとその医師の恋人(!)だけだ。準備の期間が異様に短く、身内だけの式だと割り切っていたため、僕も瑠奈もそれでじゅうぶんだった。
結婚式の内容も簡素そのもので、ドレスと造花のブーケだけは専門店でレンタルしたが、メイクと着付けはマークの奥さんの担当。リングピローなどの細々とした小物は、瑠奈と松本さんが手分けをして作った。
そして冬の空に澄んだ紫の混じる青が広がる今日、僕と瑠奈との結婚式が行われることになった。会場は神戸の街外れにあり、歴史はあるが有名でも観光地でもない、小さなカトリック教会だ。
いよいよ結婚式まであと一時間だ。僕は花嫁の控室をノックした。
「はい、どうぞ」
瑠奈の代わりにマークの奥さんが応える。僕はゆっくりと扉を開け思わず息を呑んだ。
「ふふふ、惚れ直したでしょう?」
マークの奥さんがしてやったりと言った風に微笑む。
「素材がいいから腕が鳴ったわ~。ブライダルにも進出しようかしらねぇ」
マークの奥さんは著名なメイクアップアーティストだ。普段はコレクションのモデルなどを担当し、スクールや事務所の運営も手掛けている。そんなプロ中のプロに仕上げられたのだ。きれいにならないはずがなかった。
瑠奈はドレッサー前の椅子に腰かけ微笑んでいた。信じられないくらいきれいな瑠奈がそこにいた。世界で一番きれいな花嫁に違いないと思った。
「大丈夫? おかしくないかな?」
瑠奈は照れ臭さ半分、不安半分と言った風に尋ねる。
細い首から腰までは純白のレースに覆われ、足元までふわりとスカートが広がっている。栗色の髪は緩やかに結い上げられ、ドレスに負けないくらい白い肌が映えていた。唇には桜色のルージュが塗られている。
「……おかしくなんかない」
僕は瑠奈から目が離せなかった。
「すごく、きれいだ」
言葉がそれしか出てこない。
マークの奥さんは僕と瑠奈の顔を交互に見ていが、やがて空気を読みニヤリと笑いメイク道具を仕舞った。
「じゃ、しばらくごゆっくり。十分前になったら呼びにくるわ」
瑠奈は前に立った僕を見上げた。
「一樹君、タキシードすごくかっこいいね。モデルさんみたい」
目を細めニコニコと笑う。
「そうかな。落ち着かないよ」
僕は苦笑しながらも瑠奈の前に跪いた。華奢な両手を取り包み込む。
「い、一樹君?」
僕は縋るように瑠奈の栗色の瞳を見上げた。傍から見れば懺悔の姿勢にも見えたかもしれない。実際、ある観点から見れば懺悔ではあったのだ。僕はこの一ヶ月、溜めに溜めていた本音を吐き出した。
「瑠奈、僕は君に謝らなければならない。僕は君を金で買ったようなものだと思う」
「……」
「あんな脅しみたいな真似をしておいて、僕を好きになれとは言わない。ただ僕と、君と、大地君の三人で家族になれればと思っている。ここで改めてプロポーズをしたいんだ。もう一度返事をくれないだろうか?」
瑠奈は僕から目を逸らさなかった。やがて柔らかな微笑みを浮かべ、僕の手を緩やかに解くと、今度は自分の手で包み込む。瑠奈の手は小さく温かかった。
「一樹君が正直に言ってくれたから、わたしもぜんぶ正直に言うね」
瑠奈は僕の目を覗き込んだ。
「大地を助けてくれるって言っただけで、プロポーズを受けたわけじゃないの。わたし自身が嬉しかったのも本当なの。ふつうにお嫁さんになれるなんて、ぜんぜん思っていなかったから……」
横の窓から冬の淡い日の光が差し込み、純白に包まれた姿をより清らかに輝かせた。瑠奈の指にかすかに力が籠められる。
「一樹君のこともきっとまた好きになる。わたしもあなたを幸せにしたい。だけど、少しだけ… 少しだけ待ってくれる?」
瑠奈の言葉からは確かな意志が感じられた。栗色の瞳に涙が浮かんでもいる。
「……ありがとう」
僕も瑠奈の手を強く握り返す。同時に、涙を二度と流させない男でありたいと思った。
「それでじゅうぶんだ」
僕と瑠奈はあの男とのように絶対的な繋がりはない。一歩間違えばすぐにすれ違い別れてしまう他人だ。だからこそこれから築き上げていけるものがある。
――そう信じたかった。
瑠奈は結婚式だなんて贅沢すぎる、婚姻届けだけでいいと言っていたのだが、僕がドレス姿を見たいのだと押し切った。参列者はマークとその奥さん、松本さんとその医師の恋人(!)だけだ。準備の期間が異様に短く、身内だけの式だと割り切っていたため、僕も瑠奈もそれでじゅうぶんだった。
結婚式の内容も簡素そのもので、ドレスと造花のブーケだけは専門店でレンタルしたが、メイクと着付けはマークの奥さんの担当。リングピローなどの細々とした小物は、瑠奈と松本さんが手分けをして作った。
そして冬の空に澄んだ紫の混じる青が広がる今日、僕と瑠奈との結婚式が行われることになった。会場は神戸の街外れにあり、歴史はあるが有名でも観光地でもない、小さなカトリック教会だ。
いよいよ結婚式まであと一時間だ。僕は花嫁の控室をノックした。
「はい、どうぞ」
瑠奈の代わりにマークの奥さんが応える。僕はゆっくりと扉を開け思わず息を呑んだ。
「ふふふ、惚れ直したでしょう?」
マークの奥さんがしてやったりと言った風に微笑む。
「素材がいいから腕が鳴ったわ~。ブライダルにも進出しようかしらねぇ」
マークの奥さんは著名なメイクアップアーティストだ。普段はコレクションのモデルなどを担当し、スクールや事務所の運営も手掛けている。そんなプロ中のプロに仕上げられたのだ。きれいにならないはずがなかった。
瑠奈はドレッサー前の椅子に腰かけ微笑んでいた。信じられないくらいきれいな瑠奈がそこにいた。世界で一番きれいな花嫁に違いないと思った。
「大丈夫? おかしくないかな?」
瑠奈は照れ臭さ半分、不安半分と言った風に尋ねる。
細い首から腰までは純白のレースに覆われ、足元までふわりとスカートが広がっている。栗色の髪は緩やかに結い上げられ、ドレスに負けないくらい白い肌が映えていた。唇には桜色のルージュが塗られている。
「……おかしくなんかない」
僕は瑠奈から目が離せなかった。
「すごく、きれいだ」
言葉がそれしか出てこない。
マークの奥さんは僕と瑠奈の顔を交互に見ていが、やがて空気を読みニヤリと笑いメイク道具を仕舞った。
「じゃ、しばらくごゆっくり。十分前になったら呼びにくるわ」
瑠奈は前に立った僕を見上げた。
「一樹君、タキシードすごくかっこいいね。モデルさんみたい」
目を細めニコニコと笑う。
「そうかな。落ち着かないよ」
僕は苦笑しながらも瑠奈の前に跪いた。華奢な両手を取り包み込む。
「い、一樹君?」
僕は縋るように瑠奈の栗色の瞳を見上げた。傍から見れば懺悔の姿勢にも見えたかもしれない。実際、ある観点から見れば懺悔ではあったのだ。僕はこの一ヶ月、溜めに溜めていた本音を吐き出した。
「瑠奈、僕は君に謝らなければならない。僕は君を金で買ったようなものだと思う」
「……」
「あんな脅しみたいな真似をしておいて、僕を好きになれとは言わない。ただ僕と、君と、大地君の三人で家族になれればと思っている。ここで改めてプロポーズをしたいんだ。もう一度返事をくれないだろうか?」
瑠奈は僕から目を逸らさなかった。やがて柔らかな微笑みを浮かべ、僕の手を緩やかに解くと、今度は自分の手で包み込む。瑠奈の手は小さく温かかった。
「一樹君が正直に言ってくれたから、わたしもぜんぶ正直に言うね」
瑠奈は僕の目を覗き込んだ。
「大地を助けてくれるって言っただけで、プロポーズを受けたわけじゃないの。わたし自身が嬉しかったのも本当なの。ふつうにお嫁さんになれるなんて、ぜんぜん思っていなかったから……」
横の窓から冬の淡い日の光が差し込み、純白に包まれた姿をより清らかに輝かせた。瑠奈の指にかすかに力が籠められる。
「一樹君のこともきっとまた好きになる。わたしもあなたを幸せにしたい。だけど、少しだけ… 少しだけ待ってくれる?」
瑠奈の言葉からは確かな意志が感じられた。栗色の瞳に涙が浮かんでもいる。
「……ありがとう」
僕も瑠奈の手を強く握り返す。同時に、涙を二度と流させない男でありたいと思った。
「それでじゅうぶんだ」
僕と瑠奈はあの男とのように絶対的な繋がりはない。一歩間違えばすぐにすれ違い別れてしまう他人だ。だからこそこれから築き上げていけるものがある。
――そう信じたかった。
0
お気に入りに追加
262
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる