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第1部

32.暗闇と微睡(5)

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――雨が降っている。

 夜に音もなく降り頻る雨だ。木蓮の間の窓を浄めている。

 わたし達の罪と罰も洗い流してくれないだろうか。わたしはベッドの中で陽に抱かれながら、ぼんやりとその美貌を見上げた。

「瑠奈、どうした?」
「……」

 わたしはいつからこの温かさを感じて来たのだろう。お母さんのお腹の中から? あの茂みでの出会いから? それとも陽に初めて抱かれてから?

「なんでもない……」

 目を閉じ眠りに身を任せる。産まれる前に戻りたい――神様に切にそう願う。

 ああ、でも、天国とも地獄ともつかないその世界も、こんな風に優しく暖かいのかもしれない。きっとわたしたちは魂のまま二人で微睡まどろんでいたのだろう。

「瑠奈……? 眠ったのか……?」



*



 わたしが陽ときょうだいだと知ったのは、小学校に入学してすぐのころだったと思う。

 お父さんとお母さんが真剣な表情でわたしをダイニングに呼び出し、「お前にはお父さんとお母さんが二組いる」と告白したのだ。意味が分からずきょとんと首を傾げるわたしに、お父さんとお母さんは言葉を選びながら、複雑な家庭の事情をかみ砕いて説明していった。

 わたしはショックよりも何よりも、ずっと欲しかった「きょうだい」がいて、その「きょうだい」が世界で一番大好きな「あきらくん」で、自分が「おねえちゃん」だったことに興奮した。

 お父さんとお母さんに目をキラキラさせながら嬉しいと言って、「何の心配もなかったな」と苦笑されたのを覚えている。そして、その週末に樋野家に遊びに行った時、嬉しさのあまり陽に突撃してしまったのだ。



*



 陽は庭園の睡蓮の池のふちに佇んでいた。ぼんやりと虚ろな目で池を見下ろしている。わたしはそんな陽を見つけるが早いか、タックルをかけるかのように、横から飛び付き腕にじゃれついたのだ。

『ねえねえ、あきらくん!! きいた!? きいた!? わたしたち、きょうだいなんだって!!』

 陽は呆然とした顔でわたしを見つめた。

『うん。昨日父さんから、聞いた……』
『ふたごなんだって!! すごいねえ。おなじひにうまれたきょうだいだよ?』
『……』

 わたしははしゃぎながら陽の目を覗き込む。

『ねえ、おねえちゃんってよんで?』
『……どうして』
『あきらくん?』

 陽はぎゅっと目を閉じ首を振った。

『……嫌だ』
『えっ?』
『瑠奈を姉さんだなんて呼べない』

 陽の黒い瞳に涙が溜まっている。

『あきらくん、どうしたの?なにがかなしいの?』

 思いがけない反応にわたしは焦った。てっきり一緒に喜んでくれるものかと思っていたのだ。その間にもぽろりと滑らかな頬から雫がいくつも零れる。

『嫌だ……』
『あ、あきらくん、なかないで』

 わたしは慌ててポケットからハンカチを出し陽の頬を拭った。陽の涙はそれでも止まることはない。わたしは戸惑いながらも陽の背を撫で続けた。

『おねがいだから、なかないで……』



*



 涙の雫の透明が小雨の情景に重なる。

「う……ん」

 わたしは重い瞼を開けた。部屋の中は薄暗く雨の音だけが聞こえる。ここはどこなのかと狼狽える間に、見たばかりの夢をすっかり忘れてしまった。

 ふと、体を温かいものが覆っているのに気が付く。

「……?」

 すぐ間近に一三年見続けてきた美貌があった。陽がわたしを抱き寄せ、腕を回し胸に包み込んで、小さく寝息を立て眠っている。肌と肌が触れ合い二人とも裸なのだと分かった。

 ああそうかと陽の顔を見ながら記憶を辿る。ここはわたしが治療を受けた木蓮の間で、昨日わたしは陽と体を重ねたのだ。強引に押し倒すいつもとは違い、陽は壊れ物に触れるかのように、わたしをシーツに横たえ優しく抱いた。

――どうしても拒み切れなかった。

 あのお医者さんの言葉が、真実が、わたしから気力を奪っていた。

 同時に、陽の背を見られないのは当たり前だと思う。陽に抱かれる時にはいつも仰向けに組み敷かれ、眠りに落ちる時には強く抱き締められているのだから。そして、目覚めるころには既に姿を消している。だから、こうして寝顔を見るのも初めてになる。

 伏せられた長く黒い睫毛に、閉ざされた切れ長の瞳――わたしは手を伸ばし陽の額に触れた。何もない目元を拭い頬を撫でる。

 なぜだか、そうしなければならない気がしていた。

 けれどもその眠りも今の眠りも永遠には続かなかった

――一ヶ月後、一樹君が洋館にやってきたのだ。
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