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第1部
36.太陽と月(4)
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蝉が四重奏で鳴いている。庭園のケヤキの木で涼んでいるのだろう。ミンミンゼミにツクツクホウシにヒグラシにアブラゼミ――どれも小学校のころに陽から教えられた名前だ。陽はまだ小さな手に蝉を捕まえわたしによく見せてくれた。
『瑠奈、これがミンミンゼミ、こっちがツクツクホウシだよ』
『陽、よく知っているねぇ?わたし全部同じに見えるよ』
『よく見れば分かる。ああ、こっちはオスでこっちはメスだ。ほら、ぜんぜん違うんだよ』
ぜんぜん違うんだよ――。
*
――時が戻りわたしを今に引き戻す。
陽はふと唇の端で笑い膝の上に手を乗せた。
「ずいぶんと物騒な物言いをしますね」
陽のふざけるような口調に一樹君は釣られない。淡々と、それでもどこか激情を込め語り続ける。
「警察ですら君を疑わなかった。君は自分で手は下していないんだから当たり前だ。君は時期を的確に把握し引き金だけを引いた。まず、樋野のお義母さんの事故だ。……高野さんの気持ちをうまく利用したな?」
一樹君は「おかしいと思っていた」と呟いた。
「高野さんも黙っていればバレないことを、わざわざあの場で樋野のお父さんに告白した。……高野さんは君のお母さんがずっと好きだったんだろう? だから罪悪感に耐えられなかったんだ。あれだけ綺麗な人だったから血迷ってもおかしくない」
「……っ」
わたしは思わず口を押える。一樹君は更に畳み込むように続けた。
「高野さんは窓を閉めるのを忘れたと言っていた。でも、好きな人の事情を忘れるはずがない。君は高野さんが窓を閉めるタイミングを見計らって、断り切れない緊急の用事を言いつけたんじゃないか? あるいは君がお義父さんに言わせたのかもしれない。”そう言えば、あの庭木の手入れもまだでしたね。ついでですから高野に頼んでおいては?もうすぐ帰ってしまうそうですから今のうちに”――それだけでいい。この洋館で樋野のお義父さんの命令は絶対だ」
「……」
「高野さんはお義母さんを死なせ、死ぬほど絶望し後悔をした。そこに救世主として現れたのが君だ。君はお義母さんそっくりの顔で高野さんの罪を許し、今まで以上の待遇で内部事情にまで関わらせるようになった。高野さんはさぞかし君に感謝し傾倒したことだろう。これで従順な奴隷のできあがりだ」
陽はやはり何も答えなかった。一方、一樹君は記事の切り抜きを懐から取り出す。
「次は樋野のお義父さんだ。お義父さんは年末に亡くなった。新聞で読んだ時には冗談かと思ったよ。あんな浅い池で溺死だなんて。週刊誌も騒ぎ立てていたな」
くしゃくしゃになったそれをローテーブルに叩き付けた。
「普段アルコールを飲まない人がアルコールを飲んだ。それは……きっとひどく疲れていた時だ。お義父さんが亡くなったのはお義母さんの月命日。それも前日深夜過ぎまで会社で仕事をして帰ったあとの話だ。お義父さんは心も体も疲れて切っていた。
そこで書斎の――”月光の間”棚に置いてあった贈答品のブランデーが目に入る。ほとんど飾りでしかなくいつもは棚の奥にしまっていたものだ。それがその日に限ってメイドが週に二度の掃除で、ボトルの位置を入れ替えていた。
君はメイドに前もってこう言ったんじゃないか。”ああ、そうだ。書斎の棚の奥は念入りに掃除しておいてくれ。特にアルコールのボトルには埃がいついていると思うから、拭いておいてくれるとありがたい。父さんは潔癖症で綺麗好きだからね。位置を入れ替えてくれても構わないよ”――こうやってお父さんの目にブランデーが入るように計画した」
パパはアルコールで気を紛らわせようとボトルを持ち出し、グラスに一杯で見事に酔い薔薇の間に休みに行く。そこに帰って来た陽が薔薇の間へ行き、暖房のスイッチを押し立ち去る。
一樹君の声に強い確信が込められる。
「君はお義父さんがすぐに頭痛になりアスピリンを飲むことも、アルコールで体温が上昇しつづけ暖房で暑苦しくなることも分かっていたはずだ。お義父さんが気分がどうも優れない時には、庭園のあの池の付近を散歩する習慣も知っていた。君の罠にまんまと引っ掛かり、お義父さんは酔った頭とふらつく足取りで外へ出た」
庭園の涼しさにパパは気分を良くして歩いた。ところが、一ヶ月前入れ替えた睡蓮の池の縁石が、滑りやすい大理石になっていたことを知らなかった。アスピリンとアルコールで酔った頭であることも効果的に働いた。この件について高野さんは「旦那様には入れ替えを行ったと報告し忘れていた」と言っている。
ママの一件もありわたしは「また忘れたのだろうな」と高野さんを疑いもしなかった。ともかくパパは大理石で足を滑らせ前のめりに池に倒れてしまう。あげく”たまたま”池の中にあった石に頭をぶつけ気絶し、そのまま池の水を飲み溺れ死んでしまった。
「年末の殺人はいい時期を選んだと思ったよ。……一番警察の捜査がなおざりになる」
一二月の終わりごろにはスリや強盗、死亡事故が発生しやすく、警察は多忙になるのだそうだ。この時期、警察は事件性の少ない案件を迅速に処理しようとする傾向にあるのだと言う。
『瑠奈、これがミンミンゼミ、こっちがツクツクホウシだよ』
『陽、よく知っているねぇ?わたし全部同じに見えるよ』
『よく見れば分かる。ああ、こっちはオスでこっちはメスだ。ほら、ぜんぜん違うんだよ』
ぜんぜん違うんだよ――。
*
――時が戻りわたしを今に引き戻す。
陽はふと唇の端で笑い膝の上に手を乗せた。
「ずいぶんと物騒な物言いをしますね」
陽のふざけるような口調に一樹君は釣られない。淡々と、それでもどこか激情を込め語り続ける。
「警察ですら君を疑わなかった。君は自分で手は下していないんだから当たり前だ。君は時期を的確に把握し引き金だけを引いた。まず、樋野のお義母さんの事故だ。……高野さんの気持ちをうまく利用したな?」
一樹君は「おかしいと思っていた」と呟いた。
「高野さんも黙っていればバレないことを、わざわざあの場で樋野のお父さんに告白した。……高野さんは君のお母さんがずっと好きだったんだろう? だから罪悪感に耐えられなかったんだ。あれだけ綺麗な人だったから血迷ってもおかしくない」
「……っ」
わたしは思わず口を押える。一樹君は更に畳み込むように続けた。
「高野さんは窓を閉めるのを忘れたと言っていた。でも、好きな人の事情を忘れるはずがない。君は高野さんが窓を閉めるタイミングを見計らって、断り切れない緊急の用事を言いつけたんじゃないか? あるいは君がお義父さんに言わせたのかもしれない。”そう言えば、あの庭木の手入れもまだでしたね。ついでですから高野に頼んでおいては?もうすぐ帰ってしまうそうですから今のうちに”――それだけでいい。この洋館で樋野のお義父さんの命令は絶対だ」
「……」
「高野さんはお義母さんを死なせ、死ぬほど絶望し後悔をした。そこに救世主として現れたのが君だ。君はお義母さんそっくりの顔で高野さんの罪を許し、今まで以上の待遇で内部事情にまで関わらせるようになった。高野さんはさぞかし君に感謝し傾倒したことだろう。これで従順な奴隷のできあがりだ」
陽はやはり何も答えなかった。一方、一樹君は記事の切り抜きを懐から取り出す。
「次は樋野のお義父さんだ。お義父さんは年末に亡くなった。新聞で読んだ時には冗談かと思ったよ。あんな浅い池で溺死だなんて。週刊誌も騒ぎ立てていたな」
くしゃくしゃになったそれをローテーブルに叩き付けた。
「普段アルコールを飲まない人がアルコールを飲んだ。それは……きっとひどく疲れていた時だ。お義父さんが亡くなったのはお義母さんの月命日。それも前日深夜過ぎまで会社で仕事をして帰ったあとの話だ。お義父さんは心も体も疲れて切っていた。
そこで書斎の――”月光の間”棚に置いてあった贈答品のブランデーが目に入る。ほとんど飾りでしかなくいつもは棚の奥にしまっていたものだ。それがその日に限ってメイドが週に二度の掃除で、ボトルの位置を入れ替えていた。
君はメイドに前もってこう言ったんじゃないか。”ああ、そうだ。書斎の棚の奥は念入りに掃除しておいてくれ。特にアルコールのボトルには埃がいついていると思うから、拭いておいてくれるとありがたい。父さんは潔癖症で綺麗好きだからね。位置を入れ替えてくれても構わないよ”――こうやってお父さんの目にブランデーが入るように計画した」
パパはアルコールで気を紛らわせようとボトルを持ち出し、グラスに一杯で見事に酔い薔薇の間に休みに行く。そこに帰って来た陽が薔薇の間へ行き、暖房のスイッチを押し立ち去る。
一樹君の声に強い確信が込められる。
「君はお義父さんがすぐに頭痛になりアスピリンを飲むことも、アルコールで体温が上昇しつづけ暖房で暑苦しくなることも分かっていたはずだ。お義父さんが気分がどうも優れない時には、庭園のあの池の付近を散歩する習慣も知っていた。君の罠にまんまと引っ掛かり、お義父さんは酔った頭とふらつく足取りで外へ出た」
庭園の涼しさにパパは気分を良くして歩いた。ところが、一ヶ月前入れ替えた睡蓮の池の縁石が、滑りやすい大理石になっていたことを知らなかった。アスピリンとアルコールで酔った頭であることも効果的に働いた。この件について高野さんは「旦那様には入れ替えを行ったと報告し忘れていた」と言っている。
ママの一件もありわたしは「また忘れたのだろうな」と高野さんを疑いもしなかった。ともかくパパは大理石で足を滑らせ前のめりに池に倒れてしまう。あげく”たまたま”池の中にあった石に頭をぶつけ気絶し、そのまま池の水を飲み溺れ死んでしまった。
「年末の殺人はいい時期を選んだと思ったよ。……一番警察の捜査がなおざりになる」
一二月の終わりごろにはスリや強盗、死亡事故が発生しやすく、警察は多忙になるのだそうだ。この時期、警察は事件性の少ない案件を迅速に処理しようとする傾向にあるのだと言う。
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