14 / 66
本編
辞めるが勝ち!(4)
しおりを挟む
あっという間に十日が過ぎてしまい、明後日はついにアトス様との約束の日だ。
私はドナドナされる前の牛の気分で、箒とバケツを手に王宮の庭園の掃き掃除をしていた。
庭園はバラで作られた迷路や花園、ところどころにある彫像などを見て歩くと、優に三、四日はかかる広さである。
その庭園を一人で掃除しているのは、またしてもスパイに失敗した私への、マリカ様からのえげつない罰だった……。もう一週間もやっているのに全然終わらない……。
まあ、でも水責め、股裂き、鉄の処女にインされるよりははるかにマシか――などと、極めて低レベルでの比較をしつつも、ひたすらこれが最後の大仕事だと頑張った。
どうせ一週間後には私はここからいなくなる。マリアさんとも、エルマさんとも、マリカさまとも、アトス様ともお別れなのだ。
そう、アトス様――
その美貌を思い出すたびに頭上に暗雲が立ち込める。
アトス様は現在宮廷魔術師団の一部を引き連れ辺境へ出張中だ。堤防の決壊した川を塞き止めに行ったらしい。魔術師って兵器兼、自衛隊兼、重機兼、家電的な存在よね……。便利過ぎて宮廷が手放せないはずだわ。
それはともかく、アトス様は私をどう思っているのだろうか。
私はあの方のプライバシーを侵害したんだもの。どんな言い訳をしてもその事実は変わらない。許されなくても仕方がないと思うけど、軽蔑されるのはそれよりもずっと辛かった。
どうしてこんなに胸が痛むようになったのだろう。何ヶ月か前にはアトス様にキャーキャー言うマリアさんや同僚を、楽しそうでいいなだなんて遠巻きに見つめていたのに、アトス様のことばかりを考えるようになるなんて。
溜め息を吐きつつ箒とバケツを手に花園へ向かう。
花園は公園に似たつくりになっていて、蔓バラのアーチや東屋、ベンチなどが設けられ、季節の花々をゆっくり楽しめるようになっている。なお、花弁や落ち葉がひっきりなしに散るので、ここの掃除が一番大変だと思われた……。
いつもは午前には人はほとんどいない。ところが、その日は白髪に長い髭のお爺さんが、東屋のベンチで杖を手にまったりしていた。どこかで見たことがある気がするけど、簡素な身なりからして庭師さんだろうか。二十人いるうちの親方がこんな人だったはず……。
「こんにちは。休憩中ですか」
私は東屋の内側を掃除しながら挨拶をした。お爺さんが私に気づきにっこりと笑う。
「ああ、そうじゃよ。……おや?」
お爺さんは私のリボンに目を留めた。
「ああ、お前さんが例の仕事好きのメイドか。もう話は聞いておるよ。うん、働き者はいいことだ」
一瞬、私のことを知っているのかと驚いたけど、この一週間ひたすら庭園を掃除しているから、庭師の間で噂になってもおかしくはないだろう。
それにしても、仕事好きとか働き者とか、社畜とは微妙にニュアンスが違うけど、そんな言葉はそもそも日本にしかないか……。
私はお礼を言うと雑巾を取り出して、東屋の汚れた壁をひたすら拭いた。すると、お爺さんがニコニコと話しかけてくる。
「やれやれ、あれも父親と同じ趣味だのう。猫好きの血は二代に渡るか。お嬢ちゃんはいくつだい?」
「……?」
父親と同じ趣味とはなんのことだろうか。戸惑いながらも愛想笑いをしながら答えた。
「はい、今年十七歳になりました」
精神年齢はもっと疲れ切った年代だと思うけど……。
すると、お爺さんは腕を組んでうんうんと頷く。
「なら、もう結婚できる年だのう。いささか若い気もするが悪いことじゃない」
カレリアでは男女とも十六歳から結婚できて、遅くとも二十代半ばくらいまでには、ほとんどの人が誰か彼かと夫婦になっていた。と言っても、十六、十七で結婚するのはちょっと早い。二十歳からというのが定番だった。
私は苦笑しながら雑巾を裏返して今度はベンチを拭く。
「はい、ですが、私は仕事ばっかりで、結婚の予定なんてないですよ。メイドも来週には辞めちゃうし……」
今世も社畜に始まり社畜に終わる気がして、まともに結婚できる気がしないのが悲しい……。
お爺さんが「はっ!?」と目を剥き私を凝視した。
「い、いや、それはあれじゃろ。寿退社ってやつじゃろ」
一方、私は寿退社って憧れの言葉よねとしみじみとする。
「……? 違いますよ? ちょっと職場でもめちゃって、いづらくなっているので……」
お爺さんは青ざめた顔で横を向いた。ブツブツと何か呟いている。
「おい、どういうことじゃ……。話が違うじゃないか……」
そう言うが早いかヨロヨロと立ち上がると、鬼気迫った表情で私の肩をがっしと掴んだ。
「お嬢ちゃん……!! 一つだけ約束しておくれっ!! 例えメイドを辞めても、それから何も言わずに出奔するなんて真似だけはやめておくれっ!! アレが狂ってしまう。儂は先代の二の舞を見るのだけは嫌なんじゃ……!!」
このお爺さんは何を言っているのだろうか?
「??? いや、王都からは出ませんよ。やっぱりなんだかんだでお給料いい仕事多いですし……」
地方だとこうはいかないわよねと思いを馳せていると、「こうしちゃおれん」とお爺さんがくるりと身を翻した。
「アトスに知らせんと。カレリアの危機じゃーっっ!!」
「えっ、ちょっと、お爺さん、どこへ行くの!?」
ダッシュで走れるのにどうして杖がいるわけ!? それより前にどうしてアトス様の名前が出るわけ!?
風とともに去ったお爺さんに呆然としていると、ベンチに忘れられた杖が目に入った。届けなきゃ、でもどこに?と思いつつ拾い上げて驚く。柄に刻み込まれた文字に見覚えがあったからだ。
――クラウス・ラウリ・ヴァルハラ。
宮廷魔術師団の現総帥の名前じゃないの!!
私はドナドナされる前の牛の気分で、箒とバケツを手に王宮の庭園の掃き掃除をしていた。
庭園はバラで作られた迷路や花園、ところどころにある彫像などを見て歩くと、優に三、四日はかかる広さである。
その庭園を一人で掃除しているのは、またしてもスパイに失敗した私への、マリカ様からのえげつない罰だった……。もう一週間もやっているのに全然終わらない……。
まあ、でも水責め、股裂き、鉄の処女にインされるよりははるかにマシか――などと、極めて低レベルでの比較をしつつも、ひたすらこれが最後の大仕事だと頑張った。
どうせ一週間後には私はここからいなくなる。マリアさんとも、エルマさんとも、マリカさまとも、アトス様ともお別れなのだ。
そう、アトス様――
その美貌を思い出すたびに頭上に暗雲が立ち込める。
アトス様は現在宮廷魔術師団の一部を引き連れ辺境へ出張中だ。堤防の決壊した川を塞き止めに行ったらしい。魔術師って兵器兼、自衛隊兼、重機兼、家電的な存在よね……。便利過ぎて宮廷が手放せないはずだわ。
それはともかく、アトス様は私をどう思っているのだろうか。
私はあの方のプライバシーを侵害したんだもの。どんな言い訳をしてもその事実は変わらない。許されなくても仕方がないと思うけど、軽蔑されるのはそれよりもずっと辛かった。
どうしてこんなに胸が痛むようになったのだろう。何ヶ月か前にはアトス様にキャーキャー言うマリアさんや同僚を、楽しそうでいいなだなんて遠巻きに見つめていたのに、アトス様のことばかりを考えるようになるなんて。
溜め息を吐きつつ箒とバケツを手に花園へ向かう。
花園は公園に似たつくりになっていて、蔓バラのアーチや東屋、ベンチなどが設けられ、季節の花々をゆっくり楽しめるようになっている。なお、花弁や落ち葉がひっきりなしに散るので、ここの掃除が一番大変だと思われた……。
いつもは午前には人はほとんどいない。ところが、その日は白髪に長い髭のお爺さんが、東屋のベンチで杖を手にまったりしていた。どこかで見たことがある気がするけど、簡素な身なりからして庭師さんだろうか。二十人いるうちの親方がこんな人だったはず……。
「こんにちは。休憩中ですか」
私は東屋の内側を掃除しながら挨拶をした。お爺さんが私に気づきにっこりと笑う。
「ああ、そうじゃよ。……おや?」
お爺さんは私のリボンに目を留めた。
「ああ、お前さんが例の仕事好きのメイドか。もう話は聞いておるよ。うん、働き者はいいことだ」
一瞬、私のことを知っているのかと驚いたけど、この一週間ひたすら庭園を掃除しているから、庭師の間で噂になってもおかしくはないだろう。
それにしても、仕事好きとか働き者とか、社畜とは微妙にニュアンスが違うけど、そんな言葉はそもそも日本にしかないか……。
私はお礼を言うと雑巾を取り出して、東屋の汚れた壁をひたすら拭いた。すると、お爺さんがニコニコと話しかけてくる。
「やれやれ、あれも父親と同じ趣味だのう。猫好きの血は二代に渡るか。お嬢ちゃんはいくつだい?」
「……?」
父親と同じ趣味とはなんのことだろうか。戸惑いながらも愛想笑いをしながら答えた。
「はい、今年十七歳になりました」
精神年齢はもっと疲れ切った年代だと思うけど……。
すると、お爺さんは腕を組んでうんうんと頷く。
「なら、もう結婚できる年だのう。いささか若い気もするが悪いことじゃない」
カレリアでは男女とも十六歳から結婚できて、遅くとも二十代半ばくらいまでには、ほとんどの人が誰か彼かと夫婦になっていた。と言っても、十六、十七で結婚するのはちょっと早い。二十歳からというのが定番だった。
私は苦笑しながら雑巾を裏返して今度はベンチを拭く。
「はい、ですが、私は仕事ばっかりで、結婚の予定なんてないですよ。メイドも来週には辞めちゃうし……」
今世も社畜に始まり社畜に終わる気がして、まともに結婚できる気がしないのが悲しい……。
お爺さんが「はっ!?」と目を剥き私を凝視した。
「い、いや、それはあれじゃろ。寿退社ってやつじゃろ」
一方、私は寿退社って憧れの言葉よねとしみじみとする。
「……? 違いますよ? ちょっと職場でもめちゃって、いづらくなっているので……」
お爺さんは青ざめた顔で横を向いた。ブツブツと何か呟いている。
「おい、どういうことじゃ……。話が違うじゃないか……」
そう言うが早いかヨロヨロと立ち上がると、鬼気迫った表情で私の肩をがっしと掴んだ。
「お嬢ちゃん……!! 一つだけ約束しておくれっ!! 例えメイドを辞めても、それから何も言わずに出奔するなんて真似だけはやめておくれっ!! アレが狂ってしまう。儂は先代の二の舞を見るのだけは嫌なんじゃ……!!」
このお爺さんは何を言っているのだろうか?
「??? いや、王都からは出ませんよ。やっぱりなんだかんだでお給料いい仕事多いですし……」
地方だとこうはいかないわよねと思いを馳せていると、「こうしちゃおれん」とお爺さんがくるりと身を翻した。
「アトスに知らせんと。カレリアの危機じゃーっっ!!」
「えっ、ちょっと、お爺さん、どこへ行くの!?」
ダッシュで走れるのにどうして杖がいるわけ!? それより前にどうしてアトス様の名前が出るわけ!?
風とともに去ったお爺さんに呆然としていると、ベンチに忘れられた杖が目に入った。届けなきゃ、でもどこに?と思いつつ拾い上げて驚く。柄に刻み込まれた文字に見覚えがあったからだ。
――クラウス・ラウリ・ヴァルハラ。
宮廷魔術師団の現総帥の名前じゃないの!!
1
お気に入りに追加
1,889
あなたにおすすめの小説
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※
大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜
楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。
ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。
さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。
(リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!)
と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?!
「泊まっていい?」
「今日、泊まってけ」
「俺の故郷で結婚してほしい!」
あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。
やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。
ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?!
健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。
一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。
*小説家になろう様でも掲載しています
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果
てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。
とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。
「とりあえずブラッシングさせてくれません?」
毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。
そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。
※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる