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本編
プロローグは死んで始まる!?
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――あれは二週間ぶりに残業なしで帰れた日のことだったろうか。
疲れ果てて、カップラーメンを夕食に何気なくつけたテレビで、「日本のセレブ特集」のような深夜番組が放映されていた。
ネット通販で成功した実業家の邸宅は、現代のベルサイユ宮殿みたいだった。私の暮らすアパートの十倍の広さはある居間も、洗練されたデザインのテーブルもソファも、週末にはプロのピアニストを招待し、演奏させるという高価なピアノも、羨ましいと思う前に感心するばかりだった。別世界の出来事だとしか思えなかった。
『なんと、お手伝いさんが二人常勤だそうですね?』
『ええ、ですが、食事だけは妻に作ってもらっています。僕にとってはどんな一流料理店よりも、彼女の手料理が一番なんですよ』
麺をすすりつつ「すごいわねー」と独り言を呟く。
邸宅のあるじの実業家はこの十年で、ウン億近くの資産を築き上げたのだそうだ。
それを聞いてもまだふうんとしか思わなかったけれども、次にカメラがだだっ広い謎の部屋へと移動し、窓辺で日向ぼっこをするマンチカンが映され紹介された時には、世の中の理不尽さに割り箸を手から落とすほど動揺した。
『この子は斎藤さんの飼い猫のマロンちゃんです! まああ~、可愛いですねえ~!! ここはマロンちゃん専用のお部屋だそうですよ~!』
「ね、猫に部屋……?」
それもエアコン完備で一年中快適に過ごせるのだそうだ。
ナイスバディのレポーターが飼い主の実業家にインタビューする。
『マロンちゃんは普段どんなものを食べてるんですか?』
実業家は二十歳差はある妻の肩を抱き寄せHAHAHAと笑った。
『マロンは僕たちの娘みたいなものですから、当然健康には気を使っていますよ。オーガニックの専用フードを長野の牧場にオーダーしています』
一ヶ月のマロンちゃんの食費がババーンとテロップ表示される。私はその数字に愕然として「そ、そんな」と低く呻いた。こちらの食費の数倍はあったからだ。
『マロンちゃん、愛されていますね~!』
その他にも半年に一度の健康診断、別室の遊び部屋にふかふかのベッドと、マロンちゃんの生活は私よりはるかにレベルが高かった。なんと誕生日にはパーティを開き、ケーキも注文してもらえるらしい。
「く、食って寝てるだけなのに……。ただ可愛いだけなのに……」
マロンちゃんは画面の向こうで実に平和に惰眠を貪り、そのポンポンのお腹を視聴者らに無防備に曝け出している。だが、その可愛さが肝心なのだろう。私はちゃぶ台に突っ伏し、疲れもあって声もなく泣いた。
「私も可愛くなりたい。可愛いくなってお金持ちの飼い猫になりたい……」
私は大学卒業後、何度かの転職を経たのちに、広告代理店の下請けの制作会社に入社した。これがブラック中のブラック企業でサビ残、休日出勤は当たり前。そのくせ給料が高いわけでもなく、私はスーパーでお買い得品以外は買ったことがなかった。
まともな精神状態ならとっくに辞めていただろう。だけど、積もり積もった疲労が体だけではなく頭も侵し、正常な判断ができなくなっていたのだ。
父は学生時代に、母は数年前に亡くなっていて、実家を継いだ兄とは疎遠で、心配してくれる人がいなかったのもいけなかったのだろう。はっと気付いた時にはとっくに三十路を過ぎていて、結婚の予定どころか彼氏もいない社畜になっていた。
「私、今まで何してきたんだろう……」
ひたすら働いて年だけ取ってなんの実りもない。それでも、明日出勤しないという選択肢は思い浮かばなかった。
「……寝よ」
テレビを消すと、カップラーメンの空と割り箸はそのままに、敷きっぱなしの布団に入って電気を消す。
まさか、それが最後の晩餐になるとは予想していなかった。翌朝、過労による立ち眩みで、駅のホームから線路に転げ落ち、直後に滑り込んだ電車に轢かれ、呆気なく死んでしまうなんて思わなかった。
目の前に迫る車体を前に私が思ったのは、「来世は斉藤さんちのマロンちゃんになれますように」だった――
疲れ果てて、カップラーメンを夕食に何気なくつけたテレビで、「日本のセレブ特集」のような深夜番組が放映されていた。
ネット通販で成功した実業家の邸宅は、現代のベルサイユ宮殿みたいだった。私の暮らすアパートの十倍の広さはある居間も、洗練されたデザインのテーブルもソファも、週末にはプロのピアニストを招待し、演奏させるという高価なピアノも、羨ましいと思う前に感心するばかりだった。別世界の出来事だとしか思えなかった。
『なんと、お手伝いさんが二人常勤だそうですね?』
『ええ、ですが、食事だけは妻に作ってもらっています。僕にとってはどんな一流料理店よりも、彼女の手料理が一番なんですよ』
麺をすすりつつ「すごいわねー」と独り言を呟く。
邸宅のあるじの実業家はこの十年で、ウン億近くの資産を築き上げたのだそうだ。
それを聞いてもまだふうんとしか思わなかったけれども、次にカメラがだだっ広い謎の部屋へと移動し、窓辺で日向ぼっこをするマンチカンが映され紹介された時には、世の中の理不尽さに割り箸を手から落とすほど動揺した。
『この子は斎藤さんの飼い猫のマロンちゃんです! まああ~、可愛いですねえ~!! ここはマロンちゃん専用のお部屋だそうですよ~!』
「ね、猫に部屋……?」
それもエアコン完備で一年中快適に過ごせるのだそうだ。
ナイスバディのレポーターが飼い主の実業家にインタビューする。
『マロンちゃんは普段どんなものを食べてるんですか?』
実業家は二十歳差はある妻の肩を抱き寄せHAHAHAと笑った。
『マロンは僕たちの娘みたいなものですから、当然健康には気を使っていますよ。オーガニックの専用フードを長野の牧場にオーダーしています』
一ヶ月のマロンちゃんの食費がババーンとテロップ表示される。私はその数字に愕然として「そ、そんな」と低く呻いた。こちらの食費の数倍はあったからだ。
『マロンちゃん、愛されていますね~!』
その他にも半年に一度の健康診断、別室の遊び部屋にふかふかのベッドと、マロンちゃんの生活は私よりはるかにレベルが高かった。なんと誕生日にはパーティを開き、ケーキも注文してもらえるらしい。
「く、食って寝てるだけなのに……。ただ可愛いだけなのに……」
マロンちゃんは画面の向こうで実に平和に惰眠を貪り、そのポンポンのお腹を視聴者らに無防備に曝け出している。だが、その可愛さが肝心なのだろう。私はちゃぶ台に突っ伏し、疲れもあって声もなく泣いた。
「私も可愛くなりたい。可愛いくなってお金持ちの飼い猫になりたい……」
私は大学卒業後、何度かの転職を経たのちに、広告代理店の下請けの制作会社に入社した。これがブラック中のブラック企業でサビ残、休日出勤は当たり前。そのくせ給料が高いわけでもなく、私はスーパーでお買い得品以外は買ったことがなかった。
まともな精神状態ならとっくに辞めていただろう。だけど、積もり積もった疲労が体だけではなく頭も侵し、正常な判断ができなくなっていたのだ。
父は学生時代に、母は数年前に亡くなっていて、実家を継いだ兄とは疎遠で、心配してくれる人がいなかったのもいけなかったのだろう。はっと気付いた時にはとっくに三十路を過ぎていて、結婚の予定どころか彼氏もいない社畜になっていた。
「私、今まで何してきたんだろう……」
ひたすら働いて年だけ取ってなんの実りもない。それでも、明日出勤しないという選択肢は思い浮かばなかった。
「……寝よ」
テレビを消すと、カップラーメンの空と割り箸はそのままに、敷きっぱなしの布団に入って電気を消す。
まさか、それが最後の晩餐になるとは予想していなかった。翌朝、過労による立ち眩みで、駅のホームから線路に転げ落ち、直後に滑り込んだ電車に轢かれ、呆気なく死んでしまうなんて思わなかった。
目の前に迫る車体を前に私が思ったのは、「来世は斉藤さんちのマロンちゃんになれますように」だった――
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