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君だけしかいらない(3)

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 人よりいささか遅く、かつ初めての恋愛だったからか、真琴の失恋のダメージは相当なものだったらしい。恋愛そのものに臆病になり、「仕事に生きる」と宣言し、言葉どおりに残業や資格取得に精を出すようになった。

 直樹と付き合うまでは、「外出すると金が掛かる」との理由で、経済的な観点からインドアでいたのだが、それに拍車が掛かり、週末にも買い物以外はほとんど外に出なくなってしまった。

 そうしてあっという間に四年が過ぎた。その間に進路を決め、独立の道筋をつけた。司法試験に合格したと報告した時には、真琴は涙を流して喜んでくれた。

 これでようやくプロポーズする資格ができたと思った。

 義父の真之がまだ生きていた頃、真琴とこんな話をしていたことがあった。

『そうか、真琴ももう十六か。この分だと嫁に行くのもすぐか』

『やだ、お父さん。まだずっと先だよ』

『いいや、きっとあっという間さ。真琴、いいか。顔がいいとか背が高いとか、そんなことはどうでもいいんだ。俺は立派な仕事をしていて、浮気をしない誠実なやつじゃないと認めないからな』

 真琴を我が物にするのに躊躇はなかったが、真之への義理だけは果たしたかった。

 真之は夏柊以上に、いや、ただ一人父親であろうとしてくれた人だった。月子と再婚して家族として暮らし始めてからは、『息子がほしかったんだ』と可愛がってくれた。

 趣味の釣りに連れて行ってくれたり、キャンプへ行きたいという我儘を聞いてくれたり、誕生日にはケーキを買って来てくれたり、何よりもいつかの真琴と同じように、人としての道を違えそうになった時には、愛情を以て全力で叱ってくれた。

 夏柊からは虐待こそされてはいなかったものの、息子としての扱いを受けてはいなかったと思う。

 六歳までの記憶しかないが、今でも月子がいない間に向けられた、冷酷な眼差しをよく覚えている。あれは我が子を見る父親の目ではない。憎悪と嫌悪の込められた目だった。

――真琴にプロポーズを断られるとは考えてはいなかった。四年前のあの夜の写真を見せれば、こちらの要求を呑む確信があった。

 予定が狂ったのは卒業パーティから帰宅し、一人酒をしていた真琴の呟きを聞いてしまったからだ。

 真琴は自分を独立させたあとは、和歌子へのトラウマを精算し、第二の人生を歩むつもりでいた。それも、自分以外の見知らぬ男とだ。

 そのような真似が許せるはずもなく、だから、真琴の心を壊してでも再び犯した。



 秋や冬というわけでもないのに、肌寒いダイニングで一人胸の痛みに耐える。

 これまで後悔などとは無縁の人生だった。何をどうやろうと過去には戻れないので、時間の無駄だと捉えていたからだ。だが、今はそればかりに心を苛まれている。

 閉じ込める以前に連れて来なければ、強引に手に入れようとしなければ、直樹との仲を認めて諦めていれば、真琴は今頃朗らかに笑っていただろう。

 例え自分のものにはならなくとも、永遠に失うよりはずっとよかった。

「……っ」
 
 拳を爪が食い込むほどかたく握り締め、冷静になれ、後悔などそれこそあとからいくらでもできると、もう一度みずからに言い聞かせる。

 とにかく、高柳家についての調査・・・・・・・・・・は一旦打ち切り、真琴の捜索に専念しなければならない。

(……義父さん、母さん、ごめん。仇を取るのは少し待ってくれ)

 神も仏も一切信じていなかったのに、生まれて初めて目に見えない何かに祈る。

(真琴、どうか無事でいてくれ)

 いいや、無事などという贅沢は求めない。二目と見られぬ姿であろうと構わない。生きていてくれさえすればよかった。

 首を横に振って気を取り直すと、キッチンに向かい、昨日買ったミネラルウォーターの蓋を開ける。喉など乾いていないが、水分不足になっては動けない。

 すると、一気に半分ほど飲んだところで、ポケットに入れたスマートフォンの呼出音が鳴った。

 相手を確認してすぐさまアイコンをスライドさせる。

「はい、狩野ですが」

『おー、今いいか?』

 修習で世話になっている、三席検事の時任だった。

 警察に捜索願いを出す前に、まず時任に相談していたのだ。時任には県警に警部の親友がいると聞いている。そのコネを使って真琴を捜索してくれないかと頼み込んでいた。

 しかし、そう簡単に事が運ぶはずもなく、「う~ん、ちょっと待ってくれ」と、数日間返事を待たされていたのだ。

『お前の年上女房についてだけど、三日前から女子高生が一人行方不明になって、今ニュースで報道しているだろう。その捜索に絡めてついでにやってくれるそうだ』

 もちろん、その警部の個人プレーとなるので、一切口外するなよと念を押された。

「ありがとうございます……!」

 警察の協力を得られるのはありがたかった。警察は街中の防犯カメラなどの画像を確認できるからだ。

『てなわけで、女房の写真を何枚か寄越せ。横と正面の顔写真と全身像があるといいそうだ。あと身長、体重、身体的な特徴の情報な』

 一旦電話を切りすぐさま三枚の写真、真琴の情報を時任のスマートフォンに送信する。時任は先回りをして電話を掛け直してきた。

『おいおいおい、えらい美人だな? 見付かったら会わせろよ!』

「時任さん、結婚しているでしょう?」

『目の保養ってやつだよ!』

 薫は取り敢えずもう一度、「ありがとうございます」と礼を述べた。

「この恩は近いうちに必ず返します」

『あ~、出世払いでいいって。お前みたいな奴って必ず上に行くから』

 時任はガハハと笑いながら言葉を続ける。

『検察官は正義感がなきゃダメだって言われるだろう。あれは俺からすりゃまったく違う』

 愛も、正義も、法律も、すべてが時とともに形を変えるこの世の中では、確かなことなど何もない。

 曖昧な世界で何物にも揺るがない、絶対的な価値観がおのれの心にあるからこそ、流れに身を任せるのを躊躇わない――そうした人物が世の中を変えるのだと時任は語った。

『お前にはそれがある気がするんだよ』

「……買い被りですよ」

『謙遜は似合わないって!』

 最後に、「無事だといいな」とぽつりと呟く。

 「……そうですね」としか答えられなかった。



 こうして警察の協力は得られたものの、自分でも捜索はするつもりだった。

 人探しの基本の一つは、本人の行きそうな場所を、徒歩で虱潰しに探し回ることだ。

 そこで、真琴のよく利用していたスーパー、病院、美容院、カフェなどを片端から訪ねた。

 スーパーでは店長と店員の二人が、真琴の顔をよく覚えていた。

「あっ、この女の人知ってますよ。今時ちょっといない雰囲気で覚えてたんですよね」

「綺麗な人でしたよね」

 見掛けたら必ず連絡するだけではなく、店内に人探しのポスターも貼ると約束してくれた。

 真琴の掛かり付けのレディースクリニックにも出向いた。

「わかりました。こちらにいらっしゃいましたら、すぐに電話しますね」

 また、この辺りではまだ地元紙がよく読まれているので、人探しの記事を掲載してはどうかと勧められた。
 
 頭を下げ、来た道を戻ろうとしてはっとする。百メートルほど先にある寺が目に留まったからだ。

(あの寺は……)

 祖父とも思っていない祖父・・・・・・・・・・・・が眠っているはずの寺だった。
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