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君は誰よりも美しい(5)

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 今日の冬馬は月白の着物に臙脂の帯を締めていた。

 背後にある五輪塔型の墓前には、昏く燃える炎のような色の石楠花が、竹筒に挿されて供えられている。

(また赤い花……)

 真琴は、東京の両親の墓前には、フラワーショップで買った仏花や、義母の月子の好んだ白百合を供える。鶏頭や赤いカーネーションなども時々はあるが、あえてこうした深紅を選ぼうとは思わない。

 冬馬はあの墓に眠る死者に対し、どのような思いを抱いているのだろうか。

 石楠花は先祖代々の墓と思しき五輪塔型だけではなく、その左右にある長方形の墓二つの前にも供えられていた。

 これらの墓はより新しい時代のものらしく、五輪塔型ほど傷んではいない。特に左側の墓はまだ数十年も経っていないように見えた。

 気にはなりながらもひとまず頭を下げる。

「先日は楽しい時間と本をありがとうございました」

 続いて、

「本、とてもよかったです。あの時代については詳しくないんですが、主人公の生き方に感動しました」

、と感想を述べた。
 
 これはお世辞ではなく本心だった。眠るのも忘れて本を読み耽ったのは何年ぶりだろうか。

 幕末の江戸に生まれた天才仏師が、明治の神仏分離令により発生した、廃仏毀釈運動で居場所を失うところから物語は始まる。それでも、家族や恩人を裏切ってでも、おのれの心にある仏を彫らんとするのだ。

「長かったでしょう?」

「いえいえ、あっという間でした」
 
 冬馬の問い掛けを微笑んで否定する。

「読み終わったあとで、"わっ、私、こんなに長くて難しそうな本完読できたんだ!? "ってびっくりしました。"私もやるじゃない!"と思ったんですけど、それって私の頭がいいからじゃなくて、先生の作品が面白いからですよね」

 飾り気のない感想が楽しかったらしく、冬馬はくすくすと笑いながら真琴を見下ろした。

「楽しんでいただけたようなら何よりです。真琴さんはなかなかユーモアがありますね。見た感じと違うので驚きました」

(……? 見た感じ?)

 冬馬の目には自分はどのように映っているのだろう――想像できずに首を傾げていると、「ところで」とさり気なく話を切り替えられた。

「菊乃さんから私に話があるようだと聞いたのですが」

「あっ、はい。そうなんです。本の間にお金が挟まっていたんですけど」

 改めてバッグから現金入りの封筒を取り出し、二週間前の自宅での出来事を説明する。

「このお金は先生のものでしょうか?」

 冬馬は「ああ、確かに私のものです」と頷き、真琴から封筒を受け取った。

「どこへ落としたのかと探していたんですよ」 

 一万円札を取り出しゆっくりと数え出す。

「一枚、二枚、三枚……。おや、一枚足りない」

「えっ!?」

 今朝までは確かに十万円あったはずだ。まさか、疑われているのかと凍り付いていると、冬馬は「冗談ですよ」と唇の端を上げて笑った。

「全額揃っています。ありがとう。助かりました」

「……」

 バクバクと早鐘を打つ心臓を、落ち着かせるのに苦労する。

(もう先生、心臓に悪い冗談は止めてください……)

 この街で暮らす間は冬馬の機嫌を損ねたくはなかった。なにせ名士であるだけではなく、経済の中枢近くにいるのだから。そうした事態になれば自分だけではなく、薫にも不都合が出る可能性もある。

 冬馬は「それにしても」と呟き、真琴の目をじっと見つめた。

「黙っていることもできたでしょうに。少々悪い心があれば盗っていたと思うのですが、真琴さんは正直な方ですね」

 正直というよりは臆病といったほうがいいだろうと思う。犯罪に手を染めるにはそれなりの覚悟がいるのだ。

 答えは求めていなかったのか、冬馬は薄く笑いつつ片袖に手を差し入れた。

「そうした心の美しい方は昨今、何かと狙われる世の中です。……どうぞ気を付けてください」

 羽織と同色の布地でできた財布らしきものを取り出し、封筒を入れて再び片袖に戻す。

「あのう、先生。今のはお財布ですか?」

「そうですよ。袂落としと言って、和服用の財布です」

「初めて見ました」

 冬馬が、ん?といった表情になる。

「着物をお召しになったことがないのですか?」

「なかなか縁がなくて……」 
 
 着物はレンタルでも金がかかるので、節約のために成人式ではスーツにした。以降、なんとなく友人や同僚の結婚式でも、着物を身に纏うことはなかった。

「真琴さんならお似合いになると思いますよ。色白ですから生地は淡藤色などがよろしいでしょう」

「淡藤色?」  

「薄い柔らかな紫ですね。女性らしい色です。模様は、そうだな……。散って落ちた花がいい。それとも、手折られた桜の枝か。そうした儚く美しい柄がいい……」

 目が伏せられ琥珀色を帯びた瞳に影が落ちる。

 やがて、冬馬はそうだと手を打ち、寺のある小道の向こうに目を向けた。

「お礼と言ってはなんですが、着物をお貸ししましょうか」 

「えっ……」

「我が家はこの通り古い家ですから、代々の女性用の着物がいくつもあるのです。ですが、さすがに男の私が着るわけにもいかず、せいぜい博物館の特別展などに貸し出すだけでした。真琴さんに着ていただけるのならありがたい」

 菊乃は着付けの資格を持っているので、自分から頼んでおこうと冬馬は申し出てきた。

「真琴さんは何も用意しなくていいですよ。あくまで私からのお礼ですから」

「でも……」

 戸惑い、躊躇いながらも、冬馬の魅力的な提案に心惹かれる。

 人並みにドレスや着物には憧れがある。薫とは籍を入れるだけで、式は挙げないと決めており、花嫁衣裳に腕を通すことはないので尚更だった。

 また、名家である高柳家が受け継いで来た着物は、レンタルショップで借りられるレベルではないだろう。こうした機会は二度とないだろうと思うと、冬馬が関わるからとすぐに断るのは躊躇われた。

(薫に許してもらえるように頼んでみよう)

 結婚を決めてからは少々優しくなっているので、もしかすると許可してくれるかもしれない。

「お返事、しばらく待っていただいてもいいですか?」

 冬馬は「もちろんですよ」と肩を竦めた。

「ああ、そうだ。私の連絡先がいりますね」

 片袖から今度は手帳とペンを取り出し、すらすらと電話番号とLINEのIDを書き付け、そのページを千切って真琴に手渡す。

 十万円を返しただけでかえって気を遣わせ、むしろこちらが得をすることになってしまった。

 少々申し訳なくなってしまい、「あのう」と高柳家の墓に目を向ける。

「私もお墓に手を合わさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 冬馬は「ええ、どうぞ」と快く頷いてくれた。

「先祖も、父も、母も、兄も喜ぶでしょう」
 
「お兄様はもう亡くなっていらしたんですか?」

「ええ、もう二十年近く前になりますが、肺癌であっけなく……」

「それはお気の毒に……。なんてお名前だったんですか?」

 特別な意図があって聞いたわけではなかった。だから、その返事にはまさかと息を呑んだ。

「少々変わっていまして、夏の柊と書いて夏柊かしゅうと読みます。男児には季節名を入れた名を付けるのが我が家の習わしなんです」 

「えっ……」

――薫の実父と同じ名前だった。
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