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74.ウィルバートの嘆き

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「ルーカス、茶をいれてもらえないかい?」

 眠気覚ましにと、できるだけ濃いのを頼んだのだが、ルーカスが持って来た茶はひどく薄いものだった。

「殿下、少しはお休みになられた方がよろしいのではありませんか?」

 そう言って心配そうな顔でわたしを見るルーカスだって、ここのところほとんど睡眠をとっていないはずだ。

 あの悪夢のような日……アリス死亡の報告を受けて今日で3日目だ。いや4日目? もしかしたらそれ以上かもしれない。

 アリスが逃走したのでやむを得ず切りつけた。倒れたアリスは地面に倒れ、そのまま消えてしまった……カサラング公爵の長男であるカーティスから、そう報告を受けた。

 わたしのアリスになんてことを!!

 カッとして剣に手を伸ばしたが、いち早く察したアーノルドに手を押さえられ、騎士団に拘束されるようにして王宮へと連れ戻されてしまった。

 アリスは本当に死んでしまったのだろうか?
 いや、わたしは信じない。なんせ誰も遺体を見ていないのだから、アリスが生きている可能性は多いにある。

 だいたい人が消えてしまうなんて、そんな馬鹿な話があるか!! だがアリスは異世界からの客人だ。死んだら元の世界に戻ることなんて事があるのかもしれない。

 異世界からの客人……
 アリスのように外の世界から来た人間をそう呼ぶが、その実態についてはよく知られていない。

 わたし自身アリスに会うまでは、異世界なんて物語の中だけかと思っていた。そんな御伽噺レベルの存在である異世界からの客人が、この世界で死んだ場合体はどうなるのかなんて知っている者を探すのは本当に難しい。今のところ役に立ちそうな情報は全くない。

「死んだにせよ、元の世界に戻ったにせよ、アリスはもうこの世界にはいないのだから……」

 父は今回の出来事を首謀者死亡でかたをつけることにしたが、わたしは納得などしていない。

「よっ」

 わたしの沈む気持ちとは対照的に、明るい顔で執務室に入ってきたのはアーノルドだった。

「いい酒が手に入ったから一杯やらねーか?」

「何を言っているんだい。まだ日も沈んでいないじゃないか」 

 窓からは春の明るい光が差し込んでいる。

「朝だろうが夜だろうが、どうせ何も手につかないんだから一緒だろ?」

 そう言うとアーノルドは栓を抜き、自らグラスに酒を注いだ。

 正直飲みたい気分ではなかったが、アーノルドの言うとおり今は何もやる気が出ない。仕方ない。少しだけ付き合おう。

「キャロライン嬢は元気かい?」

「一応元気ではあるかな……何をしでかすか分からないから、今は親父に屋敷内に閉じ込められてるよ」

 アリスの死を知ったキャロラインが、カサラング邸に乗り込もうとしたと聞いた時は耳を疑った。あのいつも冷めた目で人を見ているキャロラインにもそんな熱い部分があったとは驚きだ。

 未遂に終わったからよかったものの、キャロラインの行動次第では貴族間にいらない争いが起きる可能性もある。それを心配したデンバー公爵によって今は軟禁状態のようだ。

「もっと飲めよ」

 そう言われて2杯目を飲み干した時だった。突然目の前の景色がぐにゃりと歪む。手から離れたグラスが割れる音が遠くに聞こえた。

「おい、大丈夫か?」

 大丈夫だと答えながらも、体を維持することができない。気を抜くとすぐにも崩れ落ちてしまいそうだ。異常なダルさが体をのっとっていく。

 酔いがまわったのか? 
 いや、いくら寝不足だといっても体のコントロールがきかなくなるほど飲んでいない。

 何か薬を飲まされたと気づいたのは、アーノルドの顔を見た時だった。

「……一体何を?」

「心配しなくても悪い薬じゃない。ただお前が眠れるようにしただけだ」

 いらないことをするな!!
 怒鳴りつけてやりたかったが、すでに言葉を発することすらできなくなっていた。

 いやだ。眠りたくない。
 眠るとまたアリスが死ぬ夢を見てしまう。わたしを寝かさないでくれ……

 抵抗もむなしく、わたしの意識はそこでプツリと切れてしまった。


☆ ☆ ☆


 ん? 
 何故わたしはここに……

 目を覚まして自分がベッドにいることに驚いた。そう言えばアーノルドに何か薬を飲まされたのだった。

 どうやら長時間眠っていたらしく、体に痺れと固さがある。思い切り両腕を伸ばすと血のめぐりがよくなっていくのを感じた。ぐっすりと眠ったおかげか、頭にかかっていたモヤが晴れて気分がいい。

 頭がクリアになったと同時に、何故だか急に空腹も感じてきた。そう言えば、アリスがいなくなってからまともな食事はしていなかった。

 寝ない、食べない、そんなことではルーカスやアーノルドが心配して当然だ。申し訳ないことをしたなという気持ちもあるが、だからと言って薬をもった事を許すかというと話は別だ。

 何にせよ、今は腹ごしらえだ。
 身支度を整え食事をすますと、一段と力が湧いてくる。

「本日殿下襲撃及びアリス様死亡の件について、騎士団長エドワード様の処遇について話し合われる予定です」

「エドワードは帰ってきたのかい?」

「はい。昨日お戻りになられました」

 わたしが襲われた際、騎士団長であるエドワードが私用で王宮を留守にしていたのは問題ではないか。そういう意見があることはわたしの耳にも届いている。

 エドワードが不在なせいで、首謀者であるアリスが死んだのだ。どう責任をとるつもりなのだとカサラング公爵が憤っているのも知っている。

 自分の息子がアリスに手をかけたのに、よくもまぁそんな事が言えたものだと呆れるが、カサラング公爵はこの期にデンバー公爵の息子であるエドワードも潰しておきたいのだろう。

 まぁだからと言って、エドワードが処罰されるようにならないと思うが……父上にとって厄介な事は確かだ。

 アリスが切られた時、周りにはカサラング家の私設騎士団しかいなかった。なぜ我が王立騎士団が誰一人同行しなかったのか? わたしにとってはエドワードの不在よりも、同行しなかった副団長達の方が恨めしい。

 アリスはか弱い普通の少女なのだ。
 たとえ逃げようとしたのが本当であっても、傷付けずに捕らえる方法はいくらでもあったはずだ。いや、そもそもアリスは本当に逃走したのだろうか? 初めからアリスを移送するつもりはなく、消すつもりだったのではないのか?

 カサラング公爵ならやりかねない。
 邪魔なアリスに罪をきせてを消してしまえば、自分の娘を王太子妃にするチャンスができる。

 今回のことは全てカサラング公爵の仕組んだ事に間違いないだろう。だがそれを証明することはできない。

「その会議にはわたしも出席しよう。いつからだい?」

「あと一時間ほどで始まる予定ですが……」

 言いにくそうなルーカスから聞き出したことによると、わたしはアリスに思い入れが強いため会議の参加は許可されていないらしい。会議場で怒りを爆発させ、王太子はご乱心だと騒がれてしまうのは困るようだ。

「暴れるわけないだろう。心配ならば剣は預けて行こう」

「ですが陛下の命令ですので……」

 どうか従ってほしいとルーカスが必死に頭を下げる。この態度からすると、父から余程きつく言われているのだろう。

 ルーカスを押し切り、無理やりにでも参加することはできる。しかしそれでは父の怒りを買い、ルーカスに処罰がくだされる可能性もある。それは避けたいところだ。

「……結局わたしには何もできないのだな」

 自分の無力さが虚しく自嘲気味に笑った。このまま何もせず座っていたら、暗い感情に流されてしまいそうだ。

「どこに行かれるんですか?」
 部屋を出ようとするわたしに、ルーカスが慌てて声をかける。

「心配しなくても、会議には出ないよ」
 心配そうな目でわたしを見るルーカスにそう告げ王宮の中を行く。

 わたしが気分転換に行く場所は決まっている。書庫の重たい扉を開き中に入ると、少し湿ったような独特の匂いがした。

 ここでアリスと初めて出会ったんだ。

 内装はすっかり変わってしまったが、書庫の匂いだけは変わらない。古い本の匂いを思いきり吸い込むと、気分もいくらか落ちついてきた。

 誰もいないと思っていた書庫の奥に人の姿が見える。あの後ろ姿は……ソファーに座っている人物を驚かせないよう、小さく声をかけた。

 振り向いたアナベルの顔を見て、一瞬言葉を失った。わたしを見るアナベルの瞳は虚で、疲れきったような表情を浮かべる顔にはいつもの明るさはない。

「……ずいぶん具合が悪そうだけれど、寝ていないのかい?」

「寝たくないんです。寝てしまうと嫌な夢ばかり見てしまうので……」

「そうは言っても少しは寝ないと。このままでは倒れてしまうよ」
 わたし自身もルーカスやアーノルドに散々言われた言葉だ。

「あの時わたしが無理矢理にでもアリス様に同行していれば……」
 後悔に満ちたアナベルの言葉に胸が痛んだ。

 あぁ、アナベルもわたしと同じなんだな……

「悪いのはアナベルではないよ。悪いのはわたしなんだから。わたしがもっと用心していれば、アリスを危ない目にあわすことなんてなかったはずなんだ」

 あの日から何度思ったことだろう。
 もしあの時わたしがアリスの移送をとめていたら? もしわたしがカサラング邸での晩餐会を断っていたら? もしあの時……後悔は次から次へと押し寄せてくる。

「ウィルバート様、これだけは信じてください。アリス様はグレース様やウィルバート様の襲撃を計画するような方じゃありません!!」

 アナベルが悲しみに満ちた瞳でわたしを見つめる。

「もちろん。アリスがそんなことするわけないと分かっているよ」
 わたしの言葉に「よかった」と呟いたアナベルは、安心したような顔をして微笑んだ。

 そうだ。絶対にアリスがそんなことをするはずがない。絶対に他に首謀者がいるはずなんだ。もう二度と何もできなかったと後悔だけはしない。

 少し丸まった弱々しいアナベルの背中を見ながら、わたしがアリスの無実を証明してみせると心に誓った。
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