上 下
56 / 117

56.二人の公爵令嬢

しおりを挟む
「グレース様、書庫の改装はすすんでらっしゃいますか?」

 キャロラインの問いかけが合図だったかのように、公爵令嬢二人による褒め合い合戦が始まった。

「王宮の書庫の改装を任されるなんて、さすが才女のグレース様だ」「そういうキャロライン様こそ……」「いやいやグレース様の方が……」みたいなやりとりを、イチゴのショートケーキを食べながら眺める。

 はぁ。やっぱり本物の令嬢同士のやりとりは迫力が違うわね。キャロラインとグレースのやりとりを見ていると、やはり産まれながら名家の令嬢は一味違うと実感せざるをえない。どんなに勉強と訓練をしても、私じゃこんな大物感は出せないだろう。

「でも羨ましいですわ。グレース様はアリス様と毎日ご一緒できるんですもの」

 まだ誤解の解けていないキャロラインが今日一番の力強い笑みを浮かべた。それに対してグレースも「そうですね」とキャロラインに負けず劣らずの迫力ある笑みを見せた。

 なんだこれ……
 微笑みあってはいても、キャロラインとグレースの間にピリピリっと見えない火花が飛んでいる。

 キャロラインがグレースに敵対心を向けるのは、私とグレースが仲がいいと思ったキャロラインの誤解によるものだと分かっている。でもグレースは? グレースはどうしてキャロラインに対して挑む様な微笑みを浮かべているのだろう。

 張り詰めた空気の茶会は、表面上にこやかなまま続いていく。

 キャロラインが、いかに私と関係が深いかについて話せば、グレースも負けじと私との関係について話をする。私はそんなグレースの意図が分からず、頭を悩ませることしかできない。

 私と仲良くもなく、仲良くしたいとも思っていないはずのグレースがどうして私との仲をキャロラインと競うのか?

 その答えが分かったのは、私が2杯目のお茶のお代わりをした頃だった。

「でもまさか、ウィルバート様がわたくしだけでなく、キャロライン様にまでアリス様の事をお願いされているとは思いませんでした」

 ウィルにお願いされたって何の事?

 グレースの話が気になるけれど、口を挟めない私はひっそりと首を傾げるしかできない。でもグレースがやけにキャロラインに絡むのは、きっとウィルが関わっているからなのだろう。そう思うとグレースの態度にも納得だ。

「グレース様は、ウィルバート様に何かお願いをされているんですか?」

 自分は何もお願いなどされていないと微笑むキャロラインに対して、「分かっています」とグレースが頷いた。

「そうですよね。アリス様の前ではお話しにくいですわよね」

 グレースは一人で勝手に納得しましたみたいな顔してるけど、キャロラインはどうなのだろう?
 微笑みを浮かべたまま表情の変化がないから、全く分からない。

 もし二人が納得していたとしても、私は納得いかないんですけど。私の前では話せない事って一体なんなのよ!

 黙ってやりすごす方がいいと分かっているのに、つい口を開いてしまった。

「お二人はウィルバート様から何か私の事を頼まれているんですか?」

「わたくしは何も……」と言うキャロラインの声に被せるように、「アリス様と仲良くするよう頼まれているんです」とグレースが言った。

 私の前では話しにくいと言っていた割にすんなりと話し出したグレースによると、ウィルは友達のいない私がかわいそうだから、仲良くして欲しいとグレースに頼んでいたらしい。

「ウィルバート様もお忙しいのに、アリス様のお相手は大変じゃありませんか。ですからわたくしやキャロライン様がアリス様と仲良くしてウィルバート様の負担を減らしてさしあげているんです」

「そうなんですか……」

 どうしよう。ショックなんだけど……
 言葉が続かない私にグレースが追い討ちをかける。

「ウィルバート様の頼みでなければ、わたくしやキャロライン様があなたと仲良くしようなどと思うわけがありませんわ」

 同意を求めるようにグレースがキャロラインへと視線を向けた。正直グレースなんてどうでもいいけど、キャロラインが私と仲良くしてくれていたのが嫌々だったとしたら……そう思うと怖くてキャロラインの顔を見ることができない。

「まぁアリス様!? 表情が冴えないみたいですが、もしかしてショックを受けておられますか?」

 大袈裟に驚いたような声をあげるグレースに何と言えばいいんだろう。「別に……」っと痩せ我慢してみせる? それとも「ショックで泣きそうです」っと同情を誘う? それより「そんな事だろうと思ってました」と強がってみる方がいいだろうか?

 頭はクリアで思考ははっきりしているのに、口から言葉が出てこない。まるで頭と口を繋ぐ回路が切れてしまってみたいだ。そんな私を嘲笑うかのようにグレースは言葉は終わる気配がない。

「ウィルバート様は本当にお優しいですわよね。アリス様のように教養も礼儀もない方の事も親身になって面倒を見てらっしゃるんですから」

 もうダメだ。完全に戦意喪失、グレースと話をする気力なんて残っていない。泣かないように我慢する事だけで精一杯だ。もうさっさと部屋に戻って布団を被って寝てしまいたい。

「グレース様、くだらない妄想はそれくらいにしてくださいませ」

 もう顔をあげることすらできない私の耳に、するどい声が響いた。

「あら、キャロライン様。わたくしがいつ妄想なんてしましたか?」

「先程からずっとじゃありませんか」

 キャロラインの不愉快そうな口調が気になり何とか顔をあげると、キャロラインが真面目な顔をして私を見ていた。

「アリス様、グレース様の話を信じてはいけませんわ」

「まぁ、キャロライン様はわたくしの事を嘘つき呼ばわりされるのですか?」

 キャロラインはグレースに対してイエスともノーとも言わなかった。ただ「わたくしはウィルバート様からアリス様と仲良くするよう頼まれたことはございません」と私に向けてキッパリと言い切った。

「わたくしは、アリス様が好きだからこそ、このようにアリス様とお付き合いしているのです」

 私に向けられるキャロラインの眩しい笑顔が、闇に堕ちかけた私の心を照らしてくれる。キャロラインの言葉が嬉しくて、我慢していた涙が決壊して溢れ出してしまいそうだ。

 ズビー、ズビビー

 やけに激しく鼻をかみ、皆の視線を独り占めしているアナベルは私以上に涙でぐちゃぐちゃだ。泣きながら笑っているもんだから、見ている私まで思わず笑ってしまう。キャロラインもキャロラインの侍女も温かな眼差しでアナベルを見つめている。

「さぁ、アリス様お部屋へ戻りましょう」

 早々と立ち上がったキャロラインがグレースに向け、「お招きありがとうございました。グレース様の作り話はとても興味深かったですわ」と微笑んだ。

 見ている私的にはキャロラインの嫌味は強烈だと思うけれど、グレースは全く気にもしていないようだ。それどころか「キャロライン様のお考えは分かりますわ」っと憐れむような顔をしている。

「キャロライン様は、ウィルバート様のパートナーの座を取り戻したくてアリス様のご機嫌をとっているのでしょう?」

「また新しい妄想話ですか?」

 半分馬鹿にしたような笑いを含んだ口調で喋っているのに、キャロラインの笑顔がいつも通りな事が逆に怖い。

「誤魔化さなくても分かっておりますわ。パートナーの件でもなければ、アリス様と仲良くするメリットがありませんものね」

 もう口もききたくないとでもいうように、キャロラインはグレースを見て無言で首を横に振った。

「キャロライン様、どれだけアリス様のご機嫌をとっても無駄ですわ。ウィルバート様の春喜宴のパートナーはわたくしに決まりましたから」

 グレースを無視して立ち去ろうとしていたキャロラインの足が止まった。ゆっくりと振り向き、「今何とおっしゃいましたか?」っとグレースに尋ねる。

「わたくし、春喜宴でウィルバート様のパートナーをさせていただくことになりましたの」

「どうしてあなたが……」

 滅多な事では動じないキャロラインの瞳が一瞬大きく開いた。もちろんグレースがその表情の変化を見逃すはずがない。勝ち誇ったような顔で紅茶を一口飲んだ。

 春喜宴の話は前に聞いた事がある。確かその文字の示す通り、春を喜ぶ宴のことだったはずだ。普段は王都に来ることのない王族が一同に会するため、一年で一番盛大な宴になるのだとルーカスは言っていたっけ。

 その宴でグレースがウィルバートのパートナーになった聞かされた事は、その場にいた全員に衝撃を与えたようだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛されたくて悪役令嬢になりました ~前世も今もあなただけです~

miyoko
恋愛
前世で大地震に巻き込まれて、本当はおじいちゃんと一緒に天国へ行くはずだった真理。そこに天国でお仕事中?という色々と規格外の真理のおばあちゃんが現れて、真理は、おばあちゃんから素敵な恋をしてねとチャンスをもらうことに。その場所がなんと、両親が作った乙女ゲームの世界!そこには真理の大好きなアーサー様がいるのだけど、モブキャラのアーサー様の情報は少なくて、いつも悪役令嬢のそばにいるってことしか分からない。そこであえて悪役令嬢に転生することにした真理ことマリーは、十五年間そのことをすっかり忘れて悪役令嬢まっしぐら?前世では体が不自由だったせいか……健康な体を手に入れたマリー(真理)はカエルを捕まえたり、令嬢らしからぬ一面もあって……。明日はデビュタントなのに……。いい加減、思い出しなさい!しびれを切らしたおばあちゃんが・思い出させてくれたけど、間に合うのかしら……。 ※初めての作品です。設定ゆるく、誤字脱字もあると思います。気にいっていただけたらポチッと投票頂けると嬉しいですm(_ _)m

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

処理中です...