紅雨-架橋戦記-

法月

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一章

八十五話・隠れ陽[4]

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櫻夜の部屋には何度も来たことがあった。
以前は自ら人の部屋に押し掛けることで、自分の部屋に他人を入れることを避けていた櫻夜だったが、今現在恋人であり主人のような存在である杳己は当然、来慣れていた。はずだった。

使用人としての仕事を大方終えた夜の自由時間。そこを使って調べに来た杳己が見たものは​────

「うっそだろオイ……」

忍びの部屋には珍しくない、隠し扉や隠された収納の存在。いや当然それくらいは覚悟していたが、その中にまさか自身の盗撮写真となくしたと思っていた私物がこれでもかと詰まっていた時どういうリアクションをすればいいかは考えていなかった杳己は、その場で頭を抱える。

櫻夜が宴会当日何時にどこにいて何をしていたかを仕事中に使用人達からそれとなく聞き出し、その情報と自身の記憶とを頼りに大体ざっくりとまとめて、怪しい動きがなかったことを確認した。そこまではよかった。
宴会中はずっと使用人として共に働いていたし(むしろ杳己の方が会場に居られない時間が長かったのだが)、仕事ができる分準備にも積極的に駆り出されていたし、事件が起こったその時間はむしろ月咲とその取り巻きが好き勝手しないよう櫻夜が目を光らせていたらしく、杳己以外に被害者が出ていなかったのはアイツの功績だと唐箕の親戚であり杳己の第二の兄のような存在である嶺亜が話してくれた。聞いてる間、流石俺の櫻夜、と頭の中で惚気る杳己に嶺亜は「はるがまたやられたって聞いてからの殺気がヤバくてさあ~!も~いつ暴れ出すかわかんなくて月咲様に目光らせる櫻夜に俺らが目光らせてたかんね!?」と何やら大変だったことまで教えてくれた。

とはいえ、忍びが図るなら当然アリバイは用意するし、当日怪しくなかったからといって主犯でない証明にはならない。今はとにかく櫻夜に関する情報が必要、そう判断して調べにきた自室。
杳己自身も恋人への愛の重さや強さは嫌でも自覚するレベルではあるため、盗撮等そのものはそれほど嫌でもなくむしろ櫻夜ならやりかねないし、やっぱりな、とまで思った。ただそれはそれとして、このタイミングで出て来るのはいかがなものか。上に報告しづらすぎるし、一緒に調査を進めているメンツにすら見せたくない。ていうか未成年が混ざっている時点で絶対に見せられないようなものがわんさかある。際どいどころではない自身の写真の山に「ヒェ……」と情けない声を漏らしながらも、杳己は一応全てに目を通してみることにした。

すると気づいたことが一つ。どの写真にも居ない、否、どの写真からも切り取るなどの方法で明らかに人為的に消されている人物がいる。
それは杳己の敬愛する主人、里冉だった。

櫻夜自身もりっくんりっくんと呼び懐いていたというか可愛がっていたというか、とにかく里冉との仲は良かった印象だったが故に、杳己は少しショックを受ける。
自身が里冉を慕いすぎている自覚ももちろんあったが、まさか櫻夜がそこに対して何かを思っているとは。

(もしかして俺が里冉様に心酔してるのが本当は気に食わなかった……とか……?)

杳己がそんなことを考えていると、部屋にノックの音が響く。
先輩、いますか?と可愛らしい声が扉の向こうから聞こえ、ノックの主が鈴であることに少し安堵する。こんな大量のヤバい写真を広げているところに問答無用で入ってくるような相手が訪ねてきたらその時は櫻夜も杳己も一巻の終わり……とまではいかないかもしれないが、法雨にいづらくなってしまうのは確かである。
素直に待っていてくれそうな鈴だから、と安心したものの相手は未成年。ちょっと待ってね……!と一言かけながら杳己は大急ぎで全ての写真を元の収納の中に戻そうとするが、ふと思い直して一部の普通の日常の盗撮は残してあとは仕舞った。

「調査の進捗どうですか?」

入っていいよ、の声の後に扉の向こうから顔を覗かせた鈴はそう言いながら部屋に恐る恐る入ってくる。
正体が楽だと知っている杳己でさえその光景に少し背徳感を覚え、そういえばこんな時間に男子寮の廊下で一人待たされているところを誰かに見られたらそれはそれでまずいのか、と今更ながらに思う。誰にも見られていなければいいのだが。

「進捗というか……ある意味すごいものが出てきて困惑してたとこだよ」
「ある意味すごいもの?」

これ、と言いながら仕舞わずに残した写真を指さす。視線をそちらへと滑らせ、誰が写っているのか認識した鈴が「わあ……」と声を漏らした。

「確かにこれは……え、そういうことですよね?」
「だね。俺全く知らなかったから」
「恋人とはいえ、って感じです…ね……?」

私恋人いたことないのでその辺の感覚わからないですけど……と付け足す鈴。そうなんだ?と杳己が食いつくと「今は私の話してる場合じゃないですっ」と話を戻された。

「これひとつ気になることがあって」
「もしかして里冉様が消されてます……?」
「流石に気付くの早いね。そう」

自分が里冉様に心酔し過ぎてるせいで嫉妬が向いたのかもしれない。杳己の中で浮かんだ仮説を共有し、鈴の意見も聞こうと写真を観察して貰う。
少ししてから、鈴も「確かにそれ以外の理由があまり考えられませんね……愛ゆえかと……」と杳己と同じ答えを出した。話を聞く限りの今の櫻夜が行動にまで移す強烈な感情、となると杳己が絡んでいると見てほぼ間違いないからだ。

「櫻夜がちょっと行き過ぎてるのは察してたとは思うんだけど」
「ええ、まあ」
「行き過ぎる方向がこういう感じなんだよね……」

写真を見つめながら、まあそんな不器用な一途さも好きなんだけど……と流れるように惚気が口をついて出る杳己。を、じっと見つめる鈴。
言葉で反応がかえってこないことに対して、おう待てもしかして俺またやらかしたか?これだから人のこと言えない不器用コミュ障は……と杳己がお得意のネガティブを発揮しかけたとき、見た目に合わない少年の声が鈴から発せられた。

「素でいっすか」
「あ、うん。うん?はい」

敬語かどうかが分からなくなって返事を重ねてしまう杳己に、敬語いらないっすよ。と言いながら、鈴……否、楽はベッドの縁へと腰掛ける。
つられて杳己もその隣に座ると、突然「はる兄はさ」とこれまで楽にされたことの無かった呼ばれ方をされ、少し驚く。

「距離詰めんの早いね」
「だめすか」
「いや、だめじゃないけど……で、俺が何って?」
「はる兄は、元々男が好きな人…だよな?」

その質問に、また少し面食らう。

「まあ…うん。なんでわかったの?」
「なんとなく、っす。……法雨じゃそういうの、隠さなくても居場所あるんだなって、思って」
「あぁ、あの羨ましいってそういう……」

確かに法雨では杳己がゲイであることは周知されており、特にこれと言って嫌な扱いをされることは無い。あくまで個人の特性で、他の者が持つ個性と何ら変わらないものとして認識されている。それもまあ、本家内、に限るのだが。

「忍びって職についてる以上、やっぱ色に現を抜かすこと自体が悪とされる節もまああるじゃないっすか」
「そうだね。昔と比べると絶対禁止!みたいな感じではなくなったけど……」
「法雨は使用人の教育も厳しいし、恋愛って禁止なのかと勝手に思ってた……てかまあそうだったと思うんすけど、お二人はそうでもないどころかセクシャルまで受け入れられてて、すげーなぁって…」

 何となくわかるのは杳己も同じで、元はノンケ、或いは限りなくノンケに近いバイなのだろうと認識していた楽本人からセクシャルというワードが出てくると思っておらず、また驚く。
しかしマイノリティ側かもしれないと思うとアンテナが立つのは自身も覚えのあることであり、彼も彼なりに自分の性に向き合ってきたのだと察する。

「……うーん、いや、アイツら…雪也達が良い奴なだけだよ。十様が許してくれてるのも多分、単に俺らの個人的な感情とかそういうのに一切興味が無いだけで、問題になるようなことがあればすぐ解雇する気だろうし…まあ今がその問題なんだけど」

むしろ利用されてる辺りが忍びの家らしい。しかし本当に上が櫻夜の犯行だと判断してしまった場合や、真犯人が暴かれなかった時が怖い。この状況が続けば続くほどモロに被害を被るのは櫻夜と杳己の二人で、一刻も早く牢から解放したいのが本音だ。
でも焦りは禁物だ。物事には必ず機というものがある。今はまだその時ではないし、無駄話くらいする余裕はある。基本樹と一緒にいる鈴が一人で杳己のもとを訪ねてきた辺り、そういうことだろうし。

「昨日分家の奴らに色々言われてたじゃん、俺」
「ああ、絡まれてましたね。下衆野郎共に」
「君意外と口悪いよね。……でさ、身体売るとか昔からそれしか取り柄が~とかって言われてたの、聞いてた……?」
「まあ」
「事実……では流石にないんだけど、そう言われても仕方ない経緯が実はあってさ。分家時代からまあその、好きな人がいて。彼氏っていうか……使用人としての先輩だったんだけど」

樹様と同い年の少年相手に話す内容か?と冷静になりかける杳己だったが、多分もう遅い。

「相手は別に元々そうなわけじゃなくて、でも俺のせいで周りからホモって差別されるようになっちゃって」
「あー……」
「昔からそんなんばっかでさ。中等部くらいかな、家庭教師とヤってるとこ親父に見られて死ぬほどブチギレられて」
「家庭教師と」
「そ。そんとき家自体が荒れてたから俺不登校で、来てもらってたんだけど、それですげー嫌な思いさせちゃって。……まあ相手婚約者いたし俺は遊びだったんだけど」
「え、あ、おおう……?」

急な情報量に「ちょっと待って」と杳己を一度止め、頭を整理し始める楽。少し間を空けて、「なんかすげー大変だったんすね……」と飲み込めたのかそれとも考えるのをやめたのか分からないリアクションが返ってきた。

「使用人の中に俺みたいな褐色肌で黒髪ポニテの子居るのわかる?あきってんだけど」
「あ、はい。苗字一緒だし親戚かなって思ってた」
「アイツ俺の兄貴のとこの長男で、甥っ子なんだけど、家が荒れすぎててアイツにまで飛び火しかけたの庇った時に、これ、できて」

杳己がそう言って自分の目の下の傷跡を指さす。

「そんときに吹っ切れて、も~~あとは親父の言うことまるで聞かずにピアスあけたりメッシュ入れたり家出したりで完全に反抗期でさ。家に帰らないために男と寝まくってたし、ちょっと人には言えないようなこともいっぱいしてた」

あはは、とこうして軽く笑いながら昔のことを話せるようになったのも、櫻夜と結ばれてから。つまり最近のことだ。

「その頃から法雨の使用人としての勉強はしてたし、ある程度繋がりはあったから、そんときの噂というかが今も残っちゃってて、格好のカモになってんだよね」
「なるほど……」

本当、改めて助けてくれてありがとうございました。と丁寧なお礼が杳己から飛んできて、いえいえそんな、と思わず丁寧に返す楽。

「法雨の……それも俺らの周りのごく一部がすげえあったかいだけで、いくら男色が珍しくない忍びの世界といえどまだ全然俺みたいなのは隠れて生きてた方が楽だよ」
「やっぱそうなんすね……」
「俺は隠れられるほど器用じゃなかったし、やってられるか、ってなっただけ」

まあ法雨本家は確かに異質ってくらい男色家多いから受け入れられやすいのはあるね、色々あったんだと思うけど。と続ける杳己に、確かに……と思う楽。樹が浮いて見えるくらいには、少なくとも楽から見える範囲はその傾向がある。

「一応聞くけど、ていうか聞いていい?自認も男……?」
「この格好で言っても説得力ないかもっすけど、男っすね」
「女の子好きになったことは?」
「実は無い……けど里冉のことは最初女だと思ってました」
「あ、へえ~そうなんだ」

そうしてしばらくお互いの話をした二人。
楽がここ最近ずっと考えていた里冉への想いについて話すと、杳己も「それじゃやっぱちゃんと確かめるためにも記憶は戻さなきゃだな~!」と背中を押してくれた。

二人で話してみて、尚更楽は樹と話していたときの杳己に対しての『精神弱々に見える(見えるだけ)』『なんだかんだ強い』『ああいうのが一人はいた方が』等の言葉に納得がいった。
近くで見るとよく分かるが法雨家とは系統が違うだけで結構な美人、だからといって怖い訳ではなくむしろヘタレ……に見えて実は優しくて芯の強いお兄さん。話しぶりからして相手に困らないくらい男からモテるのも、なんとなく分かる気がする。楽からの印象はそんな風に変化していた。

隠れられるほど器用じゃなかっただけとはいえ隠れず自分らしくあることを諦めずに生きていて、漫画のような経緯で想い人と結ばれたことにも納得ができるくらい一生懸命で魅力的。
知れば知るほどやはり羨ましいとは思ってしまうがそれは決して嫌な感情ではなく、素直にすごいと思える、尊敬に似た感情。色々あったその分だけ、乗り越えてきた人だ。

でも杳己の話によれば、自分なんかはまだいい方で今話した過去が霞むくらい使用人含む本家の人間は皆それぞれに濃い過去を持っている、らしい。
だからこそ個々が忍びとしても認められており、そんな者達が集まっているが故に甲賀の忍び衆の頭として君臨し続けている。
それが法雨という場所で、十はそんな法雨の現当主。
甲賀者なら嫌でも感じ続けるであろうその存在の大きさを改めて意識し、今回の事の重大さを認識する。

すると襲撃の話を聞いてからずっと何かが引っ掛かっていた楽の中でふと、ひとつの考えが浮かんだ。

「里冉様が消されている理由、嫉妬かもしれないって言いましたよね」
「あ、うん。急に鈴に戻るんだ……?」
「もし例の襲撃が本当は十様ではなく〝里冉様を狙ったものだった〟としたら……櫻夜先輩がやった可能性、出てきますよね」
「確かに……まだ可能性の域を出ないけど、ね……」

そう。可能性でしかない。
しかしこんな物が出てきてしまった以上、その可能性は否定しなければならない。

「ターゲットがどっちだったか、まずは確かめましょうよ」
「……!どうやって?」

楽の頭の中には、いつかの菊の露での里冉の姿が浮かんでいた。

「誘い出すんですよ、犯人を」
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