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第9章 正常 中編
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施設長は休憩室で筋トレをしていた。
普段は『汗臭い』と苦情を言うところだが、今の綿貫にはそんな余裕はない。
無言のまま部屋の中に入ると、施設長は目を丸くした。
ペットはどうしても付いてきたから、部屋の近くで待たせている。
「施設長……」
「どうしたんですか!?」
血だらけの綿貫の姿を見て、施設長は慌てて駆け寄った。
「また猪にでも襲われたんですか!?」
この時ばかりは、施設長の金切り声がうっとうしかった。
でも、顔をしかめる気力も残っていない。
「違います。これは全部、返り血なんです」
「返り血……?」
疑問符を浮かべる施設長に対して、綿貫はすがりついた。
まるで、大人に助けを求める子供みたいに。
「全部、全部を教えてください」
施設長は困惑しながらも、綿貫の目をまっすぐに見る。
「落ち着いてください。何があったんですか?」
「乙葉が、死んだ」
施設長の顔は、みるみる青くなっていった。
「そうですか……」
感傷なんてお構いなしに、必死な綿貫は言葉をつぐ。
「施設長、あなたはこの惨劇を予見していた。一体、何を知ってるんですか?」
「すみません。私は何も知りません。朧げに見えるだけなんです」
「何が、見えているんですか?」
施設長は、しばらく考え込んでしまった。
5秒ほど後、舌の上で転がすように言葉を吟味ししながら、ゆっくりと口を開く。
「今のあなたに、話すことはできません」
「なんでですか?」
「あなたが錯乱しているからです」
綿貫は一瞬、施設長の言葉を飲み込めなかった。
だけど、じんわりと理解できてくる。
「俺が錯乱……?」
自分は錯乱している。
なぜか、とてもしっくりと来た。
そう考えれば、あらゆることに辻褄が合う気がした。
「そうです。あなたは最近ずっと、錯乱していました」
施設長は綿貫にそっと近づき、震える手に触れる。
「自分の手をじっと見てください」
「手……?」
「どんな手ですか?」
綿貫は湧き上がる疑問を押し込めながらも、冷静に答える。
「どうって、普通の手ですよ」
「もっと具体的に言ってください」
慎重に言葉を選びながら、再度答える。
「ゴツゴツしていて、野太くて、立派なオッサンの手指です」
ふと、ため息が聞こえた。
綿貫が顔を上げると、施設長はとても切なそうに目を伏せていた。
「私には、そう見えていません」
「は?」
思わず、抑揚のない声が漏れ出た。
それほどまでに、理解できない言葉だった。
「あなたの手は、もっと細くて、皺だらけなんです」
「何を言って……」
そう言われた瞬間、自分の手があやふやに見え始める。
野太いような、か細いような、がっしりしたような、ひょろひょろのような……。
どっちつかずに見えてしまう。
だけど、徐々に『老人の手指』に定まっていく。
(何が起こっているんだ!?)
困惑した様子の綿貫を前に、施設長はさらに告げる。
「あなたはこの施設のスタッフではありません」
もはや、綿貫は声が出せなかった。
「あなたは、この施設の利用者の一人なんです」
そうだ。
今までは、スタッフの真似事をしているだけだった。
「いえ、正確に言えば出資者なんです。あなたのお金で、この施設は運営されています」
そうだ。
俺は人生で稼いだ金の大半をつぎ込んで、この施設での特権を手に入れたんだ。
「俺は、何で……?」
ずっと、勘違いしていたのだろうか。
綿貫は疑問を口に出していなかったが、察した施設長が答える。
「心配することはありませんよ。あなたは病気なんですから。仕方がないんです」
「病気……」
病気。
その2文字は、まるで免罪符のように感じられた。
病気だから許される。
病気だから仕方がない。
病気だから、俺は悪くない。
病気のせいなら、どんなことをしてもいい。
そんな最低な考えに至ってしまう。
(そんなこと、あるわけないだろ!)
綿貫は頭を大きく振って、思考を振り払おうとする。
それなのに、こびり付いていて、どうしても離れない。
そんな自分が怖くて、か細い声を出す。
「助けてくれ、猫野郎」
ヶケッ
主人の助けに、耳ざとく反応したのだろう。
鳴き声と同時に、ペットは部屋に入ろうとしてきた。
2メートル越えの体に、鋭い鱗に、大きすぎる頭部とペニス。
それに、腐った瞳。
ペットのことは何度も撫でて、愛情表現をしてきた。
本当に愛おしくて、愛くるしくて、かけがえのない存在だった。
だけどもう――
ただの化け物にしか見えない。
「来ないでくれっ!!!」
ビクッ、と。
ペットが動きを止めた。
しばらく固まっていたのだけど、主人の怯えを察したのか、姿を消した。
一連の出来事を目撃して、施設長は口を開く。
「どうやら、化け物が『猫』に思えなくなってきたみたいですね」
「……はい」
「今のあなたは、少しだけ病気を克服しました。その状態なら、見えるはずです」
「なにがですか?」
施設長はもったいぶるように腕を上げていき、綿貫の背後を指さした。
「あなたの背後にいる、化け物ですよ。
前日私を襲ったのとは、別の――もっと恐ろしい存在です」
「……え?」
前日襲った化け物とは、猫野郎のことだ。
それ以外に、化け物がいる。
自覚した途端、とてつもない悪寒に襲われた。
明確な存在を感じるようになっていた。
背後に何かがいる。
不気味で、凶悪で、最悪なナニカが。
(見てはいけない。そのはずだが――)
唾を飲み込みながらも、振り向いてしまう。
次の瞬間、綿貫の頭は真っ白になった。
彼の瞳には、女性の顔が映っていた。
「お前は……」
その顔には見覚えがあった。
いや、 忘れるはずがない顔だ。
ずっと探していたのだから。
クソ親から逃げた先の職場で出会って。
付き合って、婚約までして。
それなのに、結婚資金を持ち逃げして、蒸発したはずの女。
背後にいた化け物。
その正体は――
乙葉に似た、婚約者だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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「施設長……」
「どうしたんですか!?」
血だらけの綿貫の姿を見て、施設長は慌てて駆け寄った。
「また猪にでも襲われたんですか!?」
この時ばかりは、施設長の金切り声がうっとうしかった。
でも、顔をしかめる気力も残っていない。
「違います。これは全部、返り血なんです」
「返り血……?」
疑問符を浮かべる施設長に対して、綿貫はすがりついた。
まるで、大人に助けを求める子供みたいに。
「全部、全部を教えてください」
施設長は困惑しながらも、綿貫の目をまっすぐに見る。
「落ち着いてください。何があったんですか?」
「乙葉が、死んだ」
施設長の顔は、みるみる青くなっていった。
「そうですか……」
感傷なんてお構いなしに、必死な綿貫は言葉をつぐ。
「施設長、あなたはこの惨劇を予見していた。一体、何を知ってるんですか?」
「すみません。私は何も知りません。朧げに見えるだけなんです」
「何が、見えているんですか?」
施設長は、しばらく考え込んでしまった。
5秒ほど後、舌の上で転がすように言葉を吟味ししながら、ゆっくりと口を開く。
「今のあなたに、話すことはできません」
「なんでですか?」
「あなたが錯乱しているからです」
綿貫は一瞬、施設長の言葉を飲み込めなかった。
だけど、じんわりと理解できてくる。
「俺が錯乱……?」
自分は錯乱している。
なぜか、とてもしっくりと来た。
そう考えれば、あらゆることに辻褄が合う気がした。
「そうです。あなたは最近ずっと、錯乱していました」
施設長は綿貫にそっと近づき、震える手に触れる。
「自分の手をじっと見てください」
「手……?」
「どんな手ですか?」
綿貫は湧き上がる疑問を押し込めながらも、冷静に答える。
「どうって、普通の手ですよ」
「もっと具体的に言ってください」
慎重に言葉を選びながら、再度答える。
「ゴツゴツしていて、野太くて、立派なオッサンの手指です」
ふと、ため息が聞こえた。
綿貫が顔を上げると、施設長はとても切なそうに目を伏せていた。
「私には、そう見えていません」
「は?」
思わず、抑揚のない声が漏れ出た。
それほどまでに、理解できない言葉だった。
「あなたの手は、もっと細くて、皺だらけなんです」
「何を言って……」
そう言われた瞬間、自分の手があやふやに見え始める。
野太いような、か細いような、がっしりしたような、ひょろひょろのような……。
どっちつかずに見えてしまう。
だけど、徐々に『老人の手指』に定まっていく。
(何が起こっているんだ!?)
困惑した様子の綿貫を前に、施設長はさらに告げる。
「あなたはこの施設のスタッフではありません」
もはや、綿貫は声が出せなかった。
「あなたは、この施設の利用者の一人なんです」
そうだ。
今までは、スタッフの真似事をしているだけだった。
「いえ、正確に言えば出資者なんです。あなたのお金で、この施設は運営されています」
そうだ。
俺は人生で稼いだ金の大半をつぎ込んで、この施設での特権を手に入れたんだ。
「俺は、何で……?」
ずっと、勘違いしていたのだろうか。
綿貫は疑問を口に出していなかったが、察した施設長が答える。
「心配することはありませんよ。あなたは病気なんですから。仕方がないんです」
「病気……」
病気。
その2文字は、まるで免罪符のように感じられた。
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病気のせいなら、どんなことをしてもいい。
そんな最低な考えに至ってしまう。
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綿貫は頭を大きく振って、思考を振り払おうとする。
それなのに、こびり付いていて、どうしても離れない。
そんな自分が怖くて、か細い声を出す。
「助けてくれ、猫野郎」
ヶケッ
主人の助けに、耳ざとく反応したのだろう。
鳴き声と同時に、ペットは部屋に入ろうとしてきた。
2メートル越えの体に、鋭い鱗に、大きすぎる頭部とペニス。
それに、腐った瞳。
ペットのことは何度も撫でて、愛情表現をしてきた。
本当に愛おしくて、愛くるしくて、かけがえのない存在だった。
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ただの化け物にしか見えない。
「来ないでくれっ!!!」
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ペットが動きを止めた。
しばらく固まっていたのだけど、主人の怯えを察したのか、姿を消した。
一連の出来事を目撃して、施設長は口を開く。
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「……はい」
「今のあなたは、少しだけ病気を克服しました。その状態なら、見えるはずです」
「なにがですか?」
施設長はもったいぶるように腕を上げていき、綿貫の背後を指さした。
「あなたの背後にいる、化け物ですよ。
前日私を襲ったのとは、別の――もっと恐ろしい存在です」
「……え?」
前日襲った化け物とは、猫野郎のことだ。
それ以外に、化け物がいる。
自覚した途端、とてつもない悪寒に襲われた。
明確な存在を感じるようになっていた。
背後に何かがいる。
不気味で、凶悪で、最悪なナニカが。
(見てはいけない。そのはずだが――)
唾を飲み込みながらも、振り向いてしまう。
次の瞬間、綿貫の頭は真っ白になった。
彼の瞳には、女性の顔が映っていた。
「お前は……」
その顔には見覚えがあった。
いや、 忘れるはずがない顔だ。
ずっと探していたのだから。
クソ親から逃げた先の職場で出会って。
付き合って、婚約までして。
それなのに、結婚資金を持ち逃げして、蒸発したはずの女。
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