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第2章

2.三人と一羽の食事会①

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 最初にルスカときちんと顔を合わせたのは、あの展示会の翌日だった。
 ソペットの家にルスカから招待状が届いたのだ。

『本日の夜七時、目抜き通りにあるレストラン・森の天秤で、リジンを待っています、ですって』

 内容を読み上げたマレイは、招待状から顔を上げて肩をすくめた。

『こんなに愛想のない招待状、見たことないわ』
『招待を受けているのはリジンだけなのかい?』

 ソペットは隣に座るリジンの手を握りながら尋ねる。すると、意外にもマレイは首を横に振った。

『追伸として、美術館で会った女性とハトさんはぜひ一緒にって書いてあるわ。ロティアさんとフフランさんのことよね』

 その場にいた全員の目線がロティアとフフランに注がれた。

『えっ、わたしたちですか』
『こう言ったらさみしいけど、オイラたち部外者だぞ』
『だからこそかもしれないわ。わたしや父さんが一緒だと、あの人からリジンを庇っちゃうからね』

 マレイは皮肉っぽい笑顔で、『あの人っぽいわ』とつぶやいた。
 リジンの手がロティアの手に触れる。その顔には不安が浮かんでいた。

『……一緒に来てくれる?』
『もちろん。お邪魔じゃなければね』

 ロティアが優しく微笑むと、リジンはフルフルと首を横に振った。

『全然、邪魔なんかじゃないよ。むしろ、来てほしい』
『わたしからもお願いするわ、ロティアさん。リジンがまた泣いて帰ってくるようなことがあったら、わたしは今度こそあの人をぶつと思うから』
『わかりました。そういうことなら、リジンに同行して、しっかり務めを果たしてきますっ』
『オイラもリジンを護るぞ!』
『ありがとう。お願いするわ』


 一張羅に着替えたふたりと一羽は、約束の時間よりも少し前に、「森の天秤」というレストランに向かった。
 夕食時の目抜き通りは多くの人でにぎわっている。人ごみを並んで歩きながら、ロティアはリジンをチラッと見た。肩は緊張で少し力が入り、顔も強張っている。

 本当に緊張してるんだな。

 ロティアは昨日のこと、リジンとリジンの父親が顔を合わせた時のことを思い出した。


 リジンが「父さん」とつぶやいた後、しばらくの間、ふたりは黙りこみ、ただ見つめ合っていた。
 その真ん中でどうすることもできないロティアとフフランがふたりを交互に見ていると、ふいにリジンの父親が口を開いた。

『……良い絵ばかりだな』

 絞り出すようだけれど優しい声に、リジンの瞳が震えた。
 そのリジンをジッと見つめ返すと、リジンの父親はその場を去って行った。

 話し方や表情だけだが、ロティアはリジンの父親に悪い印象は受けなかった。
 むしろその話し方も表情も、愛情に満ちているように感じられた。

 きっと、良い再会になる。

 ロティアはそう願いながら、リジンの固くなった背中にそっと手を添えた。


 レストランの入り口は、イチイの木を模した真っ白い柱で囲われている。看板には天秤の絵が描かれ、それぞれの皿の上には木の実がどっさり乗っていた。甘いベリーの香りが漂っているため、恐らく森の恵みであるベリーを使った料理が評判の店なのだろう。
 今日のような場面でなかったら、もっとお腹がグーグー鳴って、リジンが笑ってくれただろうな、とロティアは思った。
 
 店の中に入ってルスカの名前を伝えると、巨木のオブジェで死角になっている席に案内された。ルスカはまだ到着していなかった。
 ふたりは並んで椅子に座り、運ばれてきた水を飲んだ。この時、ロティアは自分が緊張していることに気が付いた。のどがカラカラで、コップ一杯分の水をあっという間に飲んでしまったのだ。チラッとリジンの方を見ると、リジンのコップも空だった。

『いい匂いがするなあ。今度ゆっくり一羽とふたりで来ようぜ。オイラ木の実には目がないんだよー』

 テーブルに座っているフフランは、ご機嫌に丸い頭を揺らした。ダンスのようなかわいらしい動きを見ていると、ロティアとリジンはクスッと笑った。

『そうだね。またフォラドに来た時にでも来ようか』
『リジンも知らないお店だったの?』
『うん。ちょっと高いからね』

 コッソリと答えたリジンの顔にはいたずらっぽい笑顔が浮かんでいる。ロティアはホッとして『なるほどね』と答えた。

『お待たせしました』

 厳しくも爽やかな声が上がり、ふたりはパッと顔を上げた。そこには、仕立ての良いスーツに身を包んだルスカが立っていた。
 ロティアは慌てて立ち上がり、ルスカと握手を交わした。

『お招きいただき、ありがとうございます。リジンの友人の、ロティア・チッツェルダイマーです。彼もリジンの友人のフフランです』
『ルスカ・キューレです。来てくださってありがとうございます』

 リジンは唇をかみしめてうつむいている。それに対してルスカは何も言わず、ふたりの向かい側の席に座った。

『ここはベリーのソースがうまいんです。お口に合うと良いのですが』
『わあ、良いですね! 楽しみです』
『オイラにもちょっとくれよ、ロティア』
『味見してみてからね。しょっぱいといけないから』
『それならフフランさんには味付けしていないベリーを頼みましょうか。恐らく用意してもらえますよ』
『本当か! やった! ありがとな、ルスカさん!』

 フフランはテーブルの上を移動して、ルスカの前で小躍りをした。それを見たルスカはキリッとした目元を緩めて微笑んだ。
 その後料理が運ばれてきてもリジンはほとんど話さなかった。一度だけ『おいしいね』と言い、ルスカが『そうか』と答えると、大げさに体を震わせて黙りこんだ。
 ロティアは最後までおいしく料理を食べることができたが、リジンは絶品のソースの味もわからなかっただろう。


 食後のコーヒーとデザートが運ばれてくる前に、リジンは外の空気を吸いに席を外した。酒の匂いに酔ってしまったフフランもついて行った。

『すごくおいしかったですね』
『それはよかった。フフランさんもベリーに喜んでいましたし、ここを選んでよかったです』
『フフフッ。お皿に山盛りだったのに、全部食べちゃいましたもんね』

 ルスカも笑いながらうなずいた。しかしすぐに笑顔が消えた。

『……ご友人を、家族の問題に巻き込んでしまって、すみません』

 ロティアはハッとして、きちんと座りなおした。

『いえ。リジンが心配だったので、招待されていなかったとしてもついてきたと思いますよ』
『そんなにもリジンのことを。ありがとうございます』

 ルスカは一杯水を飲んでから、再び口を開いた。

『ロティアさんは、リジンと友人なんですよね』
『はい。大親友です』
『では、恋人ではない?』
『……えっ』

 ロティアの頬が火をつけられたようにボッと赤くなると、ルスカはすぐに『すみません』と声を上げた。

『恥をかかせようとしたわけではないんです。ただ、そう見えたので、確認をと思って』
『あ、な、なるほど。ど、どうなんでしょう。……恋人かはわからないですけど、リジンのことはフフランと同じくらい大事です』
『フフランさんも大親友ということですか?』
『はい。ふたりとも、わたしの人生にいないと困ります』

 ロティアが真っすぐに目を見て答えると、ルスカはまぶしそうに目を細めた。

『……そんな風に言ってもらって、リジンは幸せ者ですね』
『わたしもリジンにはたくさん幸せにしてもらってますよ』
『そうですか。……大親友のロティアさんに、頼みたいことがあるんです』
『何ですか?』
『これから話すことを、リジンに伝えてほしいんです』

 ロティアは何も答えず、うなずきもしなかった。それでもルスカは話し出した。

『リジンに対する愛情は、無くなったわけではなかったんです、今も昔も。ただ若さと職業柄、人を傷つけることが許せなかったんです。自分勝手な正義を振りかざし、縁を切るとまで言えばリジンが画家を諦めると、甘く考えていました。しかしリジンは、家族よりも絵を選びました。それがショックだったんです』

 話をするルスカの表情は、まるで泣き出しそうな子どものようだった。怒られている時の子どもではなく、自分のしたことを後悔した、自分にガッカリした子どものような顔だ。

『リジンは私と目も合わせようとしない。だから、ロティアさん。今の話をリジンにしてやってくれませんか。私がリジンを愛していると、伝えてください』

 ロティアはテーブルクロスの下でギュウッと手を握り締めた。

『……生意気だと思われるかもしれませんが、それはルスカさんの口から伝えるべきです』

 ルスカの瞳が震える。リジンと同じ群青色の瞳だ。
 その瞳にロティアの決意は揺らぎそうになる。ロティアは爪を手のひらに立ててギュウッと握り締める。

『わたしからじゃダメです。リジンを否定してしまったルスカさんが、きちんと話さなきゃダメです。そうじゃなきゃ、リジンは救われません。リジンは、ルスカさんの愛情を待っています』
『……そんなこと、あり得ません』
『いいえ。だってリジン、言ってました。お父さんとの思い出で生きていけるって。それってルスカさんとの日々が宝物だってことじゃないですか。優しかったルスカさんの記憶にすがって、リジンは今生きているんですよ。早くリジンを、記憶じゃない本物の愛で包んであげてください』

 ロティアは一言一言をできるだけきれいに、丁寧に話した。ルスカ自身も救われてほしいという思いが伝わるように。
 ルスカはグラスに目を移し、残っていた水をグイッと飲み干した。

『……格好悪いかもしれませんが、同席していただけますか?』
『もちろんです。リジンのこともルスカさんのことも心配ですから』

 つい安心してこぼれ出た本音に、ロティアは慌てて口をふさいだ。しかしルスカは怒らなかった。むしろ優しい笑顔で、『ありがとう』と言った。その顔はリジンの笑顔とよく似ていた。
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