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第一章

11.パッションフラワーのハーブティーと寝息

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「ただいま、おばあちゃん」
「キャンッ」
「お邪魔します」

 安楽椅子に座って編み物をしていたアンリエッタは、エリクに気が付くと「あらあら」と嬉しそうな声を上げた。

「お友達?」
「うん。最近引っ越してきたエリクだよ」
「はじめまして。シュゼットとブロンには、……困ってたところを助けられて、それから世話になってます」

 エリクは丁寧にあいさつをして、アンリエッタと握手を交わした。その口元には微笑みが浮かんでいる。

「はじめまして、シュゼットの祖母のアンリエッタです。ごめんなさいね、お構いできなくて。今、足を怪我してて」
「シュゼットから聞いてますから、気にしないでください」
「ありがとうございます。お優しいんですね。ブロンも懐いていますし」

 アンリエッタはエリクの足元に絡みつくブロンを見てクスクス笑った。

「かわいい奴ですよね」
「キャンッ」

 大切な祖母と愛犬と一緒にエリクが楽しそうに話している光景に、シュゼットは嬉しくなった。



『――エリクさえよかったら、安眠効果のあるハーブをいろいろ試してもらいたいなと思って。でも試すには、長いと三日くらい時間が必要な行程もあるんだ』
『前に言ってた民間療法ってやつか。興味あったから、構わないぞ』
『本当に! 良かった。それじゃあ、うちに来てもらっても良い? 今、あんまり手元に必要なものがそろってなくて』
『シュゼットの家にお呼ばれか。ちょっと楽しみだ』
『ふふふ、それじゃあ行こうか』
『キャンッ』



 こんな会話があり、シュゼットはエリクを連れて家に帰って来たのだ。

「さてと。まずはアロマテラピーのためのパッチテストをしてもらおうかな」

 エリクをリビングルームのソファに座らせたシュゼットは、パチンと手を叩いた。

「パッチテスト?」
「うん。わたしは精油とオイルを使って、体や顔、手をマッサージする施術・アロマトリートメントもしてるんだけど、その精油とオイルが体に合わない人が時々いるんだ。かゆくなったり、痛くなったり。だから、アロマトリートメントをする前には、精油入りのオイルを少しだけ体につけて、そういう反応が無いかを確認してるんだ。その確認時間がだいたい一日くらいかかるの。だから、エリクの時間をもらいたくて」

 パッチテストに関する知識も、神のお告げ、つまりは前世の記憶に基づくものだ。
 前世ではオイルつまり基材となるキャリアオイルを最初に一日皮膚に塗布し、その翌日に精油入りのキャリアオイルを一日塗布し、様子を見る。
 しかしシュゼットは、この二回の行程の違いが分からなかった。
 その上、この世界の人間は、前世の人間よりも植物に過剰な反応をすることは少ない。そこでシュゼットは、パッチテストには一日だけを使うことにしているのだ。

「確かに草花でかぶれる奴がいるから、必要かもな」
「ご理解ありがとうございます。それじゃあ、とりあえずラベンダーの精油入りのオイルをつけるから、腕を出してもらえる?」

 エリクは手早くボタンをはずし、シャツを捲った。シャツの下から現れた骨太な腕の内側に、手提げカゴにいつも入れているラベンダーの精油入りのオイルを、ぴちょんっと垂らす。そして、人差し指と中指を揃え、小さく塗り広げた。

「これでよしと。ちょっとでもかゆみや痛みを感じたらすぐに言ってね」

 エリクはオイルを塗った腕を鼻に引き寄せながら、「ああ」と答えた。

「良い匂いだな。こんだけリラックスさせてくれるんだから、たぶん合わないってことは無いけどな」
「念には念をね。次はハーブティーだね。これはすぐにでも試せるから、今日飲んでいって。お湯を沸かすから、ちょっと待っててね」

 シュゼットがヤカンに水を入れ、コンロの火にかける間、エリクはブロンとじゃれて遊んでいた。エリクに構ってほしいらしく、ブロンは何度も顔を伏せてお尻を上げてシッポを振っている。
 しかしいつまでも遊んでいては、エリクが休まらない。シュゼットはエリクにはジンジャー入りのクッキーを、ブロンには犬用のクッキーを用意して、ふたりを引き離した。

「うまそうなクッキーだな。もらって良いのか?」
「うん。ジンジャークッキー好き?」
「好き好き。あるとあるだけ食う」

 その言葉通り、皿にたっぷり盛ったクッキーはすぐにエリクのおなかの中に消えた。

「そう言えば、今回もブロンがお手柄だったんだよ。人ごみの中をスイスイーと駆けて行って、エリクを見つけたんだから」

 アンリエッタは「お利口ねえ」と言って、ブロンをフワフワなでた。

「へえ。最初の時もブロンが?」
「うん。急に吠えたからどうしたんだろうって思ったら、倒れて寝てるエリクを見つけたの。なんかこういうこと多いんだよね、ブロンって。植物の力を必要としてそうな人に気が付くって言うのかな? 妙に勘が良い時があるんだ」

 ブロンは誇らしげにフワフワした胸を張った。

「ブロンは魔法動物なのかもな」
「「魔法動物?」」

 シュゼットとアンリエッタは声を揃えてオウム返しをする。

「魔法動物はふつうの動物と違って、魔力を持ってるんだ。でも別に魔法が使えるわけじゃなくて、ふつうの動物が持ってなかったり能力を持ってたり、ふつうの動物が持ってる能力でもそれの数倍精度が良かったりするんだ」
「へえ! それじゃあブロンは、体が弱ってる人に気が付く犬ってこと?」
「そうかもな。すげえ優しい能力だな、ブロン」
「キャンッ!」

 エリクはブロンを抱き上げ、ワシャワシャとなでた。

「いろんなことをご存じなのね、エリクさん。すごいわ」とアンリエッタ。
「前の町で警吏をしてる時、魔法動物の犬と一緒に仕事をしてたので、知ってるってだけですよ」
「あら、そうなの」
「はい。人の心を感じ取る能力に長けている犬だそうで、犯罪を未然に防ぐために働いていました」
「エリクが居なくなって、その子はさみしいだろうね」
「かもな。結構懐いてくれてたから。まあ、町役場の犬だから、連れてこられなかったのは仕方ないけどな」

 そう言いつつも、エリクの目はさみしそうに見えた。きっと仲が良い相手だったのだろう。エリクの気持ちに気が付いたのか、ブロンはエリクの顔をペロッとなめた。エリクは優しい声で「ありがとな」とささやいた。


 湯が沸くと、シュゼットはキッチンの戸棚からハーブティーの茶葉が入った瓶をいくつか取り出し、エリクの隣に座った。

「エリクは苦手な味とかある? せっかくハーブティーを飲んでもらうなら、できるだけおいしく飲んでもらいたいんだけど」
「特には。ハーブティーって聞くと苦いだけかと思うけど、うまく飲めるもんなのか?」
「うん。砂糖を入れたり、フルーツとかを混ぜたりして、飲みやすくしてあるのもあるよ。でも、今回はシンプルなのが良いかな」

 シュゼットは瓶を見比べてから、一つの瓶をエリクの前に置いた。

「これがパッションフラワーのハーブティーです」
「初めて聞く植物だな」
「癖が少ない草花の香りがするお茶だから、飲みやすいと思うよ。口にあったら、今日持って帰って、寝る前に飲んでみてくれる? きっとよく眠れるから」
「りょーかい。楽しみだ」

 茶葉をティーポットに入れ、沸騰したてのお湯を注いでいく。三分から五分蒸らしてから、来客用の青い花柄のカップにそっと注いだ。うっすらと緑を帯びた黄色いお茶の豊かな葉や花の香りがふわっと広がると、エリクは目を閉じて、「あ、好きな匂いだ」とつぶやいた。その口元には笑みが浮かんでいる。

「よかった。口にも合うと良いんだけど。はい、どうぞ」

 エリクの前にカップを置くと、エリクはすぐに口をつけた。
 シュゼットは少し緊張しながらその様子を見守る。ブロンもこの時はジッとして、エリクの顔を見つめた。

「うん。うまいな」
「本当に! よかったあ!」

 シュゼットとブロンがピョコンッと飛び跳ねると、エリクは笑顔でうなずきながら、もう一杯を自分で注いだ。

「なんか落ち着く味だな」
「鎮静効果もあるからじゃないかな。心身が落ち着くんだと思うよ。それじゃあ、今日はこのハーブティーを持って帰ってね。今、小瓶に分けるから。よかったら残りも飲んでて」
「ありがとな」

 シュゼットはリビングルームを出て、キッチンへ向かった。消毒済みの瓶はキッチンに置いてあるのだ。


 キッチンから戻ると、アンリエッタがニコニコしてブロンを抱いている姿が目に入って来た。ブロンも珍しく大人しくしている。
 不思議に思いながら「お待たせ」と口を開こうとすると、アンリエッタが「シーッ」と人差し指を唇に当てた。アンリエッタはニコッとして、エリクが座っているソファを指で示した。
 そろそろとエリクの正面に回り込んだシュゼットは、納得したようにうなずいた。
 エリクは眠っていた。腕を組み、スースーと規則正しい寝息を立てている。
 ハーブティーの効果だろうか。何にせよ、少し前に広場で寝ていた時よりも顔つきは穏やかだ。
 シュゼットは小瓶をテーブルに置いて、ソファの背もたれにかけてある毛布でエリクの体を包んだ。

「ゆっくり休んでね、エリク」

 エリクの心地よさそうな寝息を聞きながら、シュゼットは瓶の中にハーブティーの茶葉を移し入れた。
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