64 / 114
癒えない古疵
3
しおりを挟む嗚呼、目眩がする。
あのアカウントが自分のものじゃないと世間に向けて否定する術を持たない僕はどうすることもできない。
次に何が投稿されるのか見当もつかず、ただ指をくわえて見ていることしかできない。そんな現状が更に苛立たしさを増幅させる。
最近はオーディション番組に出演したというのもみんなの頭から抜け落ちて、注目も落ち着いてきたのに。これじゃ、また逆戻り。数ヶ月前よりも遠慮のない視線が僕を貫く。
「まだ投稿をするようなら、弁護士に相談しよう。俺もいろいろ調べておくから」
「うん……」
アカウントを作ったひとは、カラオケの動画の他に僕の動画でも持っているのだろうか。
頼りになる幼なじみの言葉を聞きながら、新たな不安が芽生えてくる。だけど無理に笑顔を作って、家まで送ってくれた奏を見送った。
――パタン。
ドアを閉じて、僕はずるずるとその場にしゃがみこんだ。
もうこれだけ広まってしまったのだ。
いっそ、カラオケ動画だけで終わるならいい。
なりすましの犯人は、僕を貶めるようなことをするつもりなのだろうか。
顔を埋めていれば、玄関に着信音が鳴り響く。体がびくりと過剰に反応して、恐る恐る鞄からスマホを取り出した。
画面を見て、一気に緊張の糸が弛んだ。
どうして貴方はこんな時に。
落ち込んでいるのを見透かされているみたい。
いつもなら躊躇ってしまうけれど、今はただその声に癒されたくて、僕は立ち上がって靴を脱ぎながら電話に出た。
「もしもし」
『もしもし、紡?』
いつもと変わらない、甘いキャラメルを溶かしたような優しい声にほっとしてなんだか泣きそうになった。
「りつ……」
『落ち込んでるかなぁと思ってさ。まぁ俺が声聞きたかったっていうのも勿論あるけど』
「…………」
『あのアカウント、紡じゃないんでしょ?』
神さまは耳が早い。
単刀直入に切り出された話題が現実を突きつけてきて、胃の中に重たいものが積み上げられる。
だけど、律の確信めいた口調がそれを少しずつ取り除いていく。
『紡はそういうことするタイプじゃないと思ったから』
「誰かが勝手に作ったみたい」
『やっぱりそうか……』
律が僕のことを分かってくれている。
ただそれだけで無限に勇気が湧いてきて、僕は前を向ける。
『紡』
「ん?」
『全部が嫌になってどうしようもなくなった時は俺のところに逃げてきていいからね』
見ず知らずの人に一方的に存在を知られているというのは僕にとっては恐怖でしかなくて、今まであった居場所がどんどん失われていく感覚に陥っていた。
そんな暗闇を裂いて、神さまは光を導く。
春の陽気のような、ぽかぽかして心地良い陽だまりのよう。
じーんと熱いものがこみ上げてくる。
泣いているのがバレないよう、僕は声を抑えることに必死だった。
『本当はすぐ傍で守ってあげたいけど、それはできないから……。ちゃんと周りに気をつけるんだよ。夜道は特に』
「うん」
『俺はいつでも紡の味方だからね』
「……っ」
耐えきれなくて漏れてしまった嗚咽が律に届いていなければいい。
そんなことを考えながら、通話の切れた電話を枕の横に置いて、僕はごろんとベッドに横になった。
2
お気に入りに追加
181
あなたにおすすめの小説


【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる