トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣

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色は匂へど

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 じんわりと目の奥からこみ上げてくるものを必死に押し留める。ここで泣いたら、相手を悪者にしてしまう。翠とマネージャーが不仲になるのは、翠の仕事の妨げになるのは、嫌だった。


 「陽?」
 「来たか。ほら、行くぞ」


 鞄を持って戻ってきた翠は僕の顔を見ると、表情を一変させた。鋭い眼光を向けられたマネージャーは、先を急ごうとする。


 「お前、陽に何言ったんだよ」
 「sui、ここで押し問答してる暇はない。一分刻みのスケジュールだって、分かってるだろ」


 そう言ったマネージャーは、逃げるようにして玄関を出て行く。ずっと張り詰めていた糸が弛んで、僕はほっと息を吐いた。


 「陽、ごめん」
 「ううん、僕なら平気。お仕事、頑張ってね」
 「うん……、それは頑張るけど」


 問題になるようなことは、何も無かった。そう思ってもらえるように作り笑いで誤魔化そうとするけれど、翠は訝しんだまま何か言いたげだ。

 悩んだのは一瞬だった。翠の着ているシャツを掴んで、背伸びをする。なんとか届いて、触れ合う唇。すぐに離したそこから、ちゅとかわいらしいリップ音が鳴って恥ずかしくなる。目を見開いた翠がぼっと一気に赤くなるのを新鮮に思いながら、柔らかな笑みを浮かべる。


 「行ってらっしゃい」


 この期に及んでまだ手を出すのか、とまた責められそうだけど、翠の気を引くのはこれしかないと思った。僕の目論見通り、ふうと大きく息を吐き出した翠は「夜、覚悟しててね」と囁くとそのまま家を出て行った。

 よかった、バレなかった。ガチャンとドアが閉まるのと同時に、力が抜けてずるずるとその場に座り込む。

 ――覚悟、しておかないと。
 いつ捨てられてもいいように、翠から離れてひとりで生きていく覚悟を。

 ぎゅっと抱え込んだシャツから翠の香りがして、涙がぽろりと零れ落ちた。


 ◇◇

 一頻り涙を流した後、ふらふらと立ち上がって、ウォークインクローゼットまで歩く。無意識にそこを開けた僕は、たくさんの宝物を前に悩み始める。


 (これがいい……)
 (駄目、あそこに置くのは別のがいい)

 何のために選んでいるのか、自分でもよく分かっていない。選んだ基準も理由もうまく説明できないまま、僕はいくつかの服を拝借して腕に抱え込んだ。

 向かったのは、昨夜翠と交わったベッド。残り香がまだ漂っているそこはぴったりだ。この香りに包まれているだけで、自然と落ち着く。

 こだわって選んだ服を理想通りに並べていく。数ミリのズレも許されないから、丁寧に。やがて、長い時間をかけて出来上がった服の山に潜り込めば、世界で一番安心できる場所にほっと息を吐いた。

 翠に散らかしたって、怒られたらどうしよう。僕はただの家政夫だから、掃除をしたり片付けたりするのが仕事なのに。そんな不安が襲ってくるけれど、元に戻そうとは思わなかった。この中なら、あの人の意地悪だって遮断できる気がした。


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