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色は匂へど

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 「顔見せてよ、まだ恥ずかしい?」
 「だって……、翠はああいうことに慣れてるかもしれないけど、僕は初めてだったんだもん」


 もごもごと口にするのも恥ずかしい言い訳を並べれば、翠は「何だ、そんなこと」と気の抜けた笑顔をこぼした。


 「俺も初めてだったんだけど」
 「……は?」
 「セックス。昨日、初めてした」
 「うそだ……」
 「ほんとだよ。俺は陽に嘘つかない」


 疑いの目を向けても、返ってくるのは真剣な眼差し。嘘をついているようには見えなくて、俄に信じ難い気持ちの中にじんわりと喜びが湧き上がってくる。

 僕なんかが初めてでよかったのかな。そんな不安も混じるけれど、自分でうまくコントロールできない表情筋は勝手に緩んでしまう。


 「嬉しそうだね」
 「……バネを感じてるだけ」
 「バネ?」
 「これまでの人生がどん底だったから、それをバネにして、今受け止められないぐらいの幸せを感じてるんだよ」
 「…………」


 この幸せが終わったら、またどん底に戻るのだろうけど、それでもこの思い出を抱いていれば何があったって頑張れる。

 だから、この瞬間を記憶から少しでも消さないようにする。翠との時間を僕という器から一ミリも消したくない。突然引き摺り込まれた非日常が終わりを告げても、ちゃんと自分の足で立っていられるように。


 「……今日がピークみたいな言い方しないで」
 「……?」
 「俺が陽のことをもっともっと幸せにするから」


 眉を下げた翠にぎゅうと力強く抱き締められる。一般人が言うとちょっぴり歯の浮くような台詞も、相手が翠だからまっすぐ心に響く。

 まるでプロポーズみたい。そんなわけがないのに。
 自嘲した笑みを浮かべて翠の頭を撫でれば、回された腕に更に力が入った。

 
 「今日も俺は一日仕事だけど、すぐに帰ってくるからいい子で待っててね」
 「……ワガママ、言ってもいい?」
 「うん、何でも言ってごらん」
 「…………翠の服、ちょうだい」
 「ッ、うん! もちろん、好きなだけ使っていいよ」


 がばりと顔を上げた翠は、先程までとは打って変わって喜色満面。どれがいいかな、と悩んでいるけれど、僕が欲しいのはもう既に決まっていた。


 「あのシャツ、借りてもいい?」
 「そんなかわいいワガママならいくらでも聞くよ」


 昨日、リビングで奪われたシャツの存在がどうしても忘れられなくて、恐る恐る聞けばすぐに頷いた翠は立ち上がって寝室を出て行った。

 わざわざ、腰が痛む僕のために取りに行ってくれたんだ。胸の中がぽわんとあたたかくなる。大人しく体を起こしてベッドの上で翠を待っていれば、静かな部屋にピンポーンとインターホンの音が鳴り響いた。

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