ヒルダの魔法香油店

葦原とよ

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 お店は十五時で一度閉める。それから休憩や軽い食事を取り、十九時五分前には必ず私は店に戻る。

 空間編成の呪文を唱えると店の中が瞬く間に彩りを変えた。

 白とピンクの色彩は赤と黒へ、可憐な花とフリルとレースは黒薔薇と黒いベルベットへ、昼間はキラキラしていた小瓶たちは七色の妖しい輝きへとすっかり変わる。

 それから自分にも魔法をかける。

 ロングドレスは体にピタリと絡みつく唐草のような臙脂のドレスへ、可愛らしくカールさせていた紫の髪は一房だけ垂らしたまとめ髪へと変貌した。

 のぞいた鏡の中の私の顔には、紫色のアイシャドウと真っ赤な口紅が引かれて、真紅の瞳が煌めいていた。

 さあ、夜の魔法香油店のオープンだ。

 営業中の札をかけてしばらくすると、ドアベルさえも音を変えてシャララランと鳴った。

 のっそりと頭を下げて扉をくぐってきたのはオークの男性だ。きっちりとタキシードを着こなし、緑色の顔の上にはシルクハットが行儀よく収まっている。

 お一人かと思ったら、その巨体の後ろにお連れ様がいた。こちらはヒューマンの女性のようだけれど、白銀の鎧にふわりとしたロングスカートがアンバランスで、肩章から見るにどうやら近衛騎士の位にあるらしい。

「いらっしゃいませ」

 にこやかに微笑みかけると、オークの紳士はかなり緊張した様子で口を開いた。

「す、すまない……その、私たちはだな……」

 言い淀んでしまった紳士の前に出るようにして、ヒューマンの女性が凛々しく言い放つ。
 まあ、言われなくても要件は大体分かっているのだけれども。

「……その、彼のものが大きすぎて入らないのだ! こちらには良いものがあると聞いて参った次第だ」

 堂々と言った女性に対し、隣でオークの男性がかああっと顔を赤くさせている。うーん、なんとも可愛らしいお二人。私はくすくすと笑いながら、すっと一本大瓶を差し出した。

「……よくあることですよ。こちらをどうぞ」

「使い方は?」

普通のもの・・・・・と同じで大丈夫です。口にしても無害ですし、筋弛緩効果とほんの少しの催淫効果もあります」

「ではそれを二本貰おう!」

 またしても後ろでオークの男性が顔から火を噴きそうになっている。お昼に聞いた身持ちの堅いらしいサキュバスより、この女性の方がサキュバスの素質があるんじゃないかしら、と思った。

 そうして女性は満足げに、男性は巨体を縮こまらせて帰っていった。

 ひらひらと手を振って二人を見送り、赤と黒の店内へと戻る。

 そう、夜の魔法香油店は同じ魔法香油は魔法香油でも使用用途が異なるものを売っている。

 昼の商品が恋の手助けをするものだとしたら、夜の商品は恋のその先、満ち足りた夜の生活を送るためのものを扱っている。

 明け透けに言ってしまえば媚薬とローションだ。

 媚薬はお昼に扱っている魔法香油よりも、更に種族と催淫効果に特化したものを。ローションは先ほどのように主に異種族間で使われることが多い。

 大体がさっきのように大きすぎたりアレ・・が特殊形状だったりして、痛い・入らないというお悩みに答えるためのものだ。

 故に娼館からの大量発注も多く、夜の間も店はかなり繁盛している。おかげで私の手元には大通りに面したところに店を借りれるほどのお金があるのだけれど、扱っている商品の特性上、裏通りにしかお店を出せないというジレンマだ。お客さんも入りにくくなってしまうから。

 今度、使い魔の黒猫を利用した通販も検討しようかしら、なんて考えていると再びシャララランとドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ……あら伯爵、お久しぶりですね」

「ああ、久しいね」

「随分とご機嫌ですね。ここにこられた……ということは、良い宝石が手に入ったのかしら」

「ご名答だ」

 モノクルの奥の眼差しが嬉しそうに笑った。透き通るような真っ白の肌を黒いマントで包んだこの方は、吸血鬼の通称「伯爵」。実際の爵位ではないらしいのだけれど、まあそこは詮索するだけ無粋というもの。

「宝石の種類は?」

「……珍しい東洋の、九尾の妖狐だ。とても綺麗な白い尾の持ち主でね」

「まあ、それは確かに珍しいですね。妖狐、妖狐……と」

 この辺ではまずお目にかかることのない種族だから、流石に配合も覚えていない。お手製の配合事典を引っ張り出してきて、ぱらぱらとページをめくる。今日はよくこの事典を使う日だこと。

「ああ、ありました。今、調合しますから少しお待ちくださいね」

 奥の保管庫から「処女真珠の破瓜の血」と「オアゲの星蜜煮」を持ってくる。
 ……ところでこの「オアゲ」って、専用の素材商人から購入しているのだけれど、一体原料は何なのか。滅多に使わないからあまり深く考えたことがなかった、と思いながらお昼と同じように歌に想いを乗せて調合した。

 「伯爵」は珍獣ハンターもしくは動物愛護家だ。珍しい妖獣や神獣をこよなく愛し、こよなく・・・・愛す。お屋敷にはそうして集めたという獣たちが、みな伯爵に恋い焦がれて暮らしていると言うから凄い。

 なんでもテクニックの方が尋常じゃないとか何とか。少し気になるけれど伯爵の愛が獣たち以外に向かうことはないだろうから、味わう機会はないだろう。

「はい、お待たせしました」

「ああ、いつもありがとう。これで警戒心の強いあの子も少し落ち着いてくれるだろう」

 伯爵は必ずしも魔法香油に頼りきりな訳ではない。その獣によって特性を見極めて、魔法香油を使うか使わないかを考えている、といつだか仰っていた。

 相変わらずいつも少しだけお代を多めに払って、伯爵はマントを翻し嬉しそうに去って行った。



 それからお客さんが来たり、こうのとりの魔法便が素材を配達してくれたりと何かと忙しくして、ふと気づいて時計を見ると、もう二十三時の閉店時間まであと少しだった。

 ぐぐっと背伸びをして、体をほぐす。最近の私は少し働きすぎじゃないかと思う。でもお客さんが喜んでくれるのが嬉しくて、今日みたいに思いもかけない調合があったりしてやはり楽しい。

 疲れている訳ではないけれど、ここのところ食事・・も疎かにしていたことにハタと気づいた。たまにはきちんと食べようかしら……と思っていると、シャラララララーーン!とドアベルがけたたましい音をたてた。

 思わずびっくりして振り向くと、走ってきたのか真っ赤な顔で肩で息をしているジークがいた。

「……どうしたの、ジークさん」

「ヒ、ヒルダさんっ……その格好……っ⁉︎」

「ああ、そうね。ジークさんは夜にお店に来るの初めてだものね。それで、どうしたのかしら。お昼に調合したもの、効かなかった?」

 ぶんぶん、とジークが首を思い切り横に降る。

「あ、あのっ……今、同期の騎士に道ですれ違って……さっきここで買ったって聞いて……」

 慌ててイマイチ要領を得ない説明から察するに、先ほどの豪快な女騎士さんはジークのお知り合いだったようだ。

「それで……その……僕にも下さいっ!」

「……はい?」

「その、サキュバス用の潤滑剤をっ!」

 ぶはっと思わず吹き出してしまった。

「あのねぇ、ジークさん。サキュバスにローションなんて必要ないわよ? 好みの男さえいれば勝手にとろっとろになるんだから」

「で、でも……僕、全然脈がなくて……それにその、僕が初めてで、きっと上手くないから痛い思いさせたくないし……」

 ふーっと溜息をつく。正直言ってさっきも言った通りサキュバスに潤滑剤なんて必要ない。勃ったものが目の前にあれば大丈夫なんだから。あと多分、痛いのもどうってことない。痛みさえ快楽に変換する、それがサキュバスだ。

 ……まあ、見かけによらずジークのものが滅茶苦茶小さいとかだったら、その身持ちの固いらしいサキュバスも少しがっかりするかもだけれど、それでも濡れるものは濡れる。

 とは言え、がちがちになっているジークの緊張を解して、自信をつけさせるためのお守りくらいにはなるかな、と同情した私はそれを調合することを了承した。

「ジークさん、今日はこれで店仕舞いするから、申し訳ないけれど表の札をかけ直しておいてくれる?」

「は、はいっ!」

 ぱあっと笑って扉の方へ駆け行くジークは、まるで大型犬のようだ。それを微笑ましく思いながらも、私はマスクをしてその上から更に布を巻いて口と鼻を覆うと、保管庫へ向かった。

 保管庫の奥の奥、厳重に封をされた箱の中にその素材は入っている。

 ダークエルフ側の成分となる「闇夜の銀月草」はそこまで珍しいものでも危険なものでもないので、普通に保管棚に並べている。

 問題はもう一つの方だ。呪文を唱えて魔法錠を開錠すると、これまた真空魔法で密閉された素材が出てきた。

 ……出来ればこれは取り扱いたくなかったんだけど。

 真紅の透き通ったそれ・・は、色だけ見れば本当に綺麗だ。
 「蜜夢の名残り」と呼ばれるその素材は、サキュバスが食事をした後にごく稀に取れる結晶のようなもので、食事が美味しければ美味しいほど大きな結晶ができるとされている。

 その二つを手に持って店へと戻ると、素材を見たジークがギョッとした。

「な、な、何ですかそれ……っ⁉︎」

「……まあ、ほら。対サキュバス用の素材だからね」

 とは言え私もそう思う。色は魅入られるような真紅なんだけれど……形が……どう控えめに言っても男性のアレなのだ。しかもご丁寧に二つの袋まで付いている。サキュバスが生み出す形らしいと言えば最高にらしいんだけど。

 私は混合魔法を唱える直前まできっちりと口と鼻を覆い、その素材がとろけた瞬間に混合魔法を急いで歌った。

 ジークの想い人の鈍感なサキュバスさん、この香油のように身も心も溶けておしまいなさい、と。

 小瓶に液体が吸い込まれるのとほぼ同時にくらいに私は止めていた息を吐き出した。まずい、少し吸ってしまったかも。

 小瓶に収まった真紅の液体には銀色の煌めきが星のように浮かんでいる。こんなの久し振りに作ったなあ、また素材を補充しておかなきゃ、と思いながらそれをジークへ渡した。

「……はい。あんまり必要ないとは思うけれど」

「ありがとうございます!」

 それを受け取ったジークは本当に嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、ああ、やっぱりこの仕事っていいなぁ、と思う。

 けれどもそう思っていられたのもそこまでだった。

「本当にありがとうございます。これで……ようやくこっちも使えます」

 そう言ってジークが取り出したのは、昼間に調合した魔法香油だった。きゅぽん、と小瓶の蓋が開けられて、私が止める間も無くジークはそれを数滴、耳の付け根につける。まずい……っ!

「ジ、ジークさん、お店はもう終わりよ……!」

 咄嗟に口と鼻を手で覆ったけれど、あっという間に漂い始めた香りに四肢が絡め取られるような感覚を覚える。

 自分で作った魔法香油の性能は、自分が一番よく知っている。

 じりじり、とジークが近づいて来て、思わず私は後ずさった。

「……ヒルダさん、全然気づいてくれないんだから」

 情けなさそうに言うジークがとてもおいしそう・・・・・に見える。

「こんなにお店に通って、ずっと見つめてるのに全然無頓着で。でも楽しそうに仕事をしているヒルダさんがとても素敵だったから……」

 ああ、そう言えばいたわ、ここに。

 身持ちが固くて、仕事熱心で鈍感なサキュバスが。
 身持ちが固いって言うか、仕事をしすぎて食事を忘れていただけなんだけど。

「ヒルダさん……好きです。いつもキラキラ楽しそうに働いているところを見ているのが、僕の楽しみなんです。情けない僕の話もいつもちゃんと聞いてくれて、でもサキュバスなのに全然がっついていなくて……」

 思わぬ告白に顔がぽっと火照った。

「……サキュバスに恋なんてしたら後悔するわよ。自由奔放に食べ散らかすんだから」

「他に目移りしないくらい愛します。それにヒルダさん、食事より仕事が好きでしょう?」

「うっ……」

 それはあながち間違っていない。食事も楽しくないわけではないんだけれど、刹那的だし、魔法香油を作っている時の方が最近は何だか面白くてもうサキュバスとして枯れてきちゃったのかな、と思っていたりはした。

 サキュバスにとっての「食事」は嗜好品と必需品の中間みたいなもので、取らなくても生きていけるけど、たまには取った方が体に良い、くらいのものだ。

「……とりあえず、お試しで食べてみませんか。初めてだけど、僕、頑張りますから」

 真摯な態度のジークにほだされて。なんとなくそちらが向けなくて、私はこくりと頷きだけで返事をした。


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