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愛と拒絶
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穏やかな土曜日の昼下がり。
里中洋一は、表参道沿いにあるお洒落な静かなカフェで、牧野ユミの到着を待っていた。
昨日の夜、牧野ユミから電話があって、大事な話しがあると言われて何事かと思って一晩を明かした。
電話じゃダメなのか?と聞くと、どうしても会って話したいということだった。
思えばこうして明るい場所で牧野ユミと会うのは、いったいいつぶりくらいだろう?
いつも彼女と会うのは、日の暮れた渋谷のホテル街だったから、今までと違うシチュエーションにどこか浮き足立つ思いだった。
ここのところ、マンネリ気味だったからか、こういう恋人っぽい雰囲気の流れでホテルに行くのも悪くはない。
「アイスコーヒーで」
里中洋一はウエイトレスに頼んだ。
暦の上ではもう秋だというのに、連日真夏日が続いていた。今日も暑くなりそうだ。
アイスコーヒーが運ばれてきて、それからどれくらい経ったか、約束の時間から少し遅れて牧野ユミがカフェに入って来た。
「ごめんなさい、ちょっと体調が悪くて」
「大丈夫?暑い日が続いてるからちゃんと食べて体力つけないと」
そこへウエイトレスが注文を取りにやって来た。
牧野ユミはレモネードを頼み、弾む息を整える。
「それで、大事な用事があるって言ってたけど、何があったの?」
洋一がさっそく切り出す。
「無いの」
牧野ユミは、多くの人が行き交う表参道の通りを見ながら、一言ポツリと呟いた。
「何が?何か無くし物?」
「来ないの、生理が」
その一言が何を意味するのか理解するまで、洋一は少し時間を必要とした。
「マジか?」
牧野ユミは小さく頷く。
「どうしようか・・・」
洋一の口から辛うじて力なく一言漏れた。
「堕ろすわよ。当たり前じゃない」
牧野ユミは、そうさらっと言うと里中洋一に堕胎同意書を差し出す。
「これにサインして」
「いいの?政臣の子供かもしれないのに、自分一人で堕ろすなんて決めて」
「まーくんとは、最近全然してないから計算が合わなくなっちゃうのよ」
牧野ユミは、しれっと言った。
このドライな感覚が良かった。余計な感情は抜きにして、お互いに利害が一致してこれまでずっと楽しんできた。
だからこそ、今まで関係が続いてきたという側面もあるだろう。
だが、ことこういう状況になってみると、逆にそのドライさが冷酷に感じる。
「俺じゃ、ダメかな?」
「何が?」
牧野ユミの口からは、感情のこもっていない言葉が一言吐き出された。
「俺達、結婚して子供と一緒に家族にならないか?」
「嫌よ。何を言ってるの?冗談はやめて、この状況で」
「今、わかったんだ、俺の本心に。俺はユミちゃんのことが好きなんだって」
洋一の口の中は緊張でカラカラになっていた。
どうか、『はい』と言ってくれ。
「イヤ」
だが、牧野ユミの口からは、たった一言ハッキリとした拒絶が返ってきた。
「どうして?いつも政臣より俺の方がいいって言ってたじゃないか?」
「それは、セックスのことだけでしょ?じゃあ、あなた、政臣に他に何で勝ててる?ルックスも年収も学歴も、何から何まで政臣に優ってるものがある?無いじゃない!たかが妊娠したくらいで、私は自分の人生設計の計画を諦めるつもりは無いわ。ほら、さっさとサインして、急いでいるのよ」
今まで洋一が見たことのないような厳しい表情で、牧野ユミは捲し立ててきた。
それでも諦めきれない洋一は、尚も牧野ユミに縋り付くように懇願した。
「もういいわ、あなたにはガッカリよ。もうあなたには頼まない。他の男に頼むは」
「え?他の人って?」
「あなた、私が付き合っているのが自分一人だけだとでも思っていたの?私、他の男友達もいるのよ。この際誰でもいいわ、そいつらに頼むから。さよなら、もう連絡して来ないでね」
そう言い残すと、牧野ユミは伝票を残してカフェから出て行った。
一人取り残された洋一の目からは、一筋の涙が頬を伝った。
洋一は涙を拭うでもなく、ただ俯くしか出来なかった。
しかし、やがて洋一の拳には次第に力が込められ、腹の底から沸々と湧き上がる怒りによって小刻みに震えはじめた。
ふざけるな、あのアバズレめ!
俺がせっかく覚悟を決めたのに、それをむげにしやがって。
いいだろう、お前が俺を怒らせたのが悪いんだ。
こうなったら、絶対にあの女を不幸にしてやる!
まずはお前と俺の関係を政臣に言ってやる。
その後も俺はお前に付き纏って、お前に彼氏ができたり結婚することになるたびに、これまでのことを全てぶち撒けて邪魔してやる。
その時になって後悔しても遅いからな、覚悟しておけ。
そう思うと、洋一の顔は穏やかになり、涙も乾いたその表情は笑顔に変わっていた。
洋一はこれから先、自分が計画した行動を実行に移すことを考えるだけで楽しくなった。
そんな洋一の様子を、隣の席からそれとなく窺っている一人の中年男性がいた。
男は、少し様子のおかしい里中洋一を一人残して、自らの伝票を持って会計へと向かった。
里中洋一は、表参道沿いにあるお洒落な静かなカフェで、牧野ユミの到着を待っていた。
昨日の夜、牧野ユミから電話があって、大事な話しがあると言われて何事かと思って一晩を明かした。
電話じゃダメなのか?と聞くと、どうしても会って話したいということだった。
思えばこうして明るい場所で牧野ユミと会うのは、いったいいつぶりくらいだろう?
いつも彼女と会うのは、日の暮れた渋谷のホテル街だったから、今までと違うシチュエーションにどこか浮き足立つ思いだった。
ここのところ、マンネリ気味だったからか、こういう恋人っぽい雰囲気の流れでホテルに行くのも悪くはない。
「アイスコーヒーで」
里中洋一はウエイトレスに頼んだ。
暦の上ではもう秋だというのに、連日真夏日が続いていた。今日も暑くなりそうだ。
アイスコーヒーが運ばれてきて、それからどれくらい経ったか、約束の時間から少し遅れて牧野ユミがカフェに入って来た。
「ごめんなさい、ちょっと体調が悪くて」
「大丈夫?暑い日が続いてるからちゃんと食べて体力つけないと」
そこへウエイトレスが注文を取りにやって来た。
牧野ユミはレモネードを頼み、弾む息を整える。
「それで、大事な用事があるって言ってたけど、何があったの?」
洋一がさっそく切り出す。
「無いの」
牧野ユミは、多くの人が行き交う表参道の通りを見ながら、一言ポツリと呟いた。
「何が?何か無くし物?」
「来ないの、生理が」
その一言が何を意味するのか理解するまで、洋一は少し時間を必要とした。
「マジか?」
牧野ユミは小さく頷く。
「どうしようか・・・」
洋一の口から辛うじて力なく一言漏れた。
「堕ろすわよ。当たり前じゃない」
牧野ユミは、そうさらっと言うと里中洋一に堕胎同意書を差し出す。
「これにサインして」
「いいの?政臣の子供かもしれないのに、自分一人で堕ろすなんて決めて」
「まーくんとは、最近全然してないから計算が合わなくなっちゃうのよ」
牧野ユミは、しれっと言った。
このドライな感覚が良かった。余計な感情は抜きにして、お互いに利害が一致してこれまでずっと楽しんできた。
だからこそ、今まで関係が続いてきたという側面もあるだろう。
だが、ことこういう状況になってみると、逆にそのドライさが冷酷に感じる。
「俺じゃ、ダメかな?」
「何が?」
牧野ユミの口からは、感情のこもっていない言葉が一言吐き出された。
「俺達、結婚して子供と一緒に家族にならないか?」
「嫌よ。何を言ってるの?冗談はやめて、この状況で」
「今、わかったんだ、俺の本心に。俺はユミちゃんのことが好きなんだって」
洋一の口の中は緊張でカラカラになっていた。
どうか、『はい』と言ってくれ。
「イヤ」
だが、牧野ユミの口からは、たった一言ハッキリとした拒絶が返ってきた。
「どうして?いつも政臣より俺の方がいいって言ってたじゃないか?」
「それは、セックスのことだけでしょ?じゃあ、あなた、政臣に他に何で勝ててる?ルックスも年収も学歴も、何から何まで政臣に優ってるものがある?無いじゃない!たかが妊娠したくらいで、私は自分の人生設計の計画を諦めるつもりは無いわ。ほら、さっさとサインして、急いでいるのよ」
今まで洋一が見たことのないような厳しい表情で、牧野ユミは捲し立ててきた。
それでも諦めきれない洋一は、尚も牧野ユミに縋り付くように懇願した。
「もういいわ、あなたにはガッカリよ。もうあなたには頼まない。他の男に頼むは」
「え?他の人って?」
「あなた、私が付き合っているのが自分一人だけだとでも思っていたの?私、他の男友達もいるのよ。この際誰でもいいわ、そいつらに頼むから。さよなら、もう連絡して来ないでね」
そう言い残すと、牧野ユミは伝票を残してカフェから出て行った。
一人取り残された洋一の目からは、一筋の涙が頬を伝った。
洋一は涙を拭うでもなく、ただ俯くしか出来なかった。
しかし、やがて洋一の拳には次第に力が込められ、腹の底から沸々と湧き上がる怒りによって小刻みに震えはじめた。
ふざけるな、あのアバズレめ!
俺がせっかく覚悟を決めたのに、それをむげにしやがって。
いいだろう、お前が俺を怒らせたのが悪いんだ。
こうなったら、絶対にあの女を不幸にしてやる!
まずはお前と俺の関係を政臣に言ってやる。
その後も俺はお前に付き纏って、お前に彼氏ができたり結婚することになるたびに、これまでのことを全てぶち撒けて邪魔してやる。
その時になって後悔しても遅いからな、覚悟しておけ。
そう思うと、洋一の顔は穏やかになり、涙も乾いたその表情は笑顔に変わっていた。
洋一はこれから先、自分が計画した行動を実行に移すことを考えるだけで楽しくなった。
そんな洋一の様子を、隣の席からそれとなく窺っている一人の中年男性がいた。
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