箱入り息子はサイコパス

広川ナオ

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第1章 箱入り息子とFラン女子高生

13 美少女っぽさ

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 それから僕たちは校内をぶらぶらと散策しながら、様々なクラスや部活の催し物を見て回った。

 エリカさんと一緒に歩いていると、時折彼女は同じ西南高校の生徒から声を掛けられていた。同輩、先輩だけでなく、入学したばかりであるはずの一年生からも。まるで芸能人にでも出会でくわしたかのような好奇と羨望の目を向けてくる人たちに、彼女も笑顔で答えていた。
 僕も何度かとばっちりを受けて「どこの学校?」などと聞かれ、事実を答えるたびに「マジで!?」とか「ハンパねえ!」とか仰々しいリアクションを見せられたものだ。

 しばらくして美術部の展示室で落ち着いていた頃、前を歩くエリカさんに何気なく言ってみた。

「ネット上の【リカリカ】だけでなく、現実のエリカさんも随分と人気者ですね」

 普段の彼女ならこうしておだてられると鼻を高々と伸ばすところだが、彼女からは、

「そんなことないよ」

 と、思いのほか低いトーンの声が返ってきた。

「たしかにさっきみたいに声をかけに来てくれる子もいるけど、反対にあたしのこと嫌ってる人も多いみたいだし」
「気にされるているのですか?」
「別に、そんなんじゃないわよ……」

 嘘だ、明らかに気に病んでいる。彼女のような直情型の人間は、言葉で嘘をつけても態度では嘘をつけない。
 そんな彼女を励ましてやろうと思ったわけではないが、暗い口調の彼女に違和感を覚えてしまった。
 そして、その違和感を解消するために僕は言った。
 
「『喬木きょうぼくは風に折らる』という言葉を知っていますか?」
「なによソレ」
「上に立つ者ほど周囲からの風当たりが強くなる、という意味のことわざです」
「へー、よくそんなこと知ってるわね」

 エリカさんが向けてくる感心の眼差しを避けるべく、僕は通路の反対側に飾られている絵に視線を向けながら言った。

「ですから周囲から妬まれたり嫌われたりするのも、あなたが人気者である証なのでしょう」

 それに対し、エリカさんからの反応はすぐには返って来なかった。いつも思ったことを間髪入れずに吐き散らかす彼女にとっては珍しい。
 反応がない代わりに、視界の外側からそろりと気配が近寄ってきた。視線を右に向けると、僕と同じくらいの高さにあるエリカさんの大きな瞳がじっとこちらを見つめていた。

「……なんですか?」
「もしかしてコーダイ、あたしのこと励まそうとしてくれてる?」

 益体もない問いかけに、僕は坦々と答えた。

「いいえ、僕はただ人間心理に基づいた一般論を述べただけです」
「なーんだ、つまんないのー」

 この一言で、僕は今後エリカさんが落ち込んでいても励まさないと決めた。

 エリカさんはわざとらしく唇を尖らせながら僕から離れると、少し離れたところで今度は笑顔をこちらに向けた。

「でも、ありがと! いいこと聞いたわ。
 『』だっけ?」
「いえ、そうではなく——」
「うん、そうよね! これくらいのことでくよくよしてたらアイドルなんてやってられないよね!」

 そう言って彼女は胸の前で小さくガッツポーズを作った。先ほどまで薄まっていた天真爛漫オーラを全開に振り撒いて。

 ——まあ、何でもいいか。

 僕は言おうとしていたことを飲み込んだ。彼女の陽気に当てられると、なんだかこちらの調子も狂ってしまうのだ。



 そうこうしているうちに1時間近くが経過し、僕はエリカさんに連れられて体育館へとやって来た。

「はい、コーダイはここで待っててね」

 なぜかステージの正面で待機しているように命じられたので、言われたとおりにドイツ語の単語帳を開きながらしばらく待っていると、やがてスピーカーから何やらロックな洋楽が流れてきた。

「お待たせしました! これより西南高校ダンス部による、ダンスパフォーマンスを披露いたします! みなさん、どうぞお楽しみください!」

 司会の女生徒がアナウンスすると、いつの間にか僕の周囲を埋め尽くしていた観衆から歓声が上がった。

 直後、黒地にピンク色で『SENAN』とプリントされた、お揃いのTシャツを着た男女が20人ほど、舞台袖から手拍子とスキップをしながら登場した。

 ステージ上に並び、すでに流れ始めていた音楽に合わせてパフォーマンスを披露し始めるダンス部員たち。その向かって右端のほうには——やはりか。長い髪を後ろで一括りに束ねたエリカさんの姿があった。どうやら何も言わずにいきなりステージ上に登場することで僕を驚かせるつもりだったらしい。最初からそんな予感がしていたので、別段驚くこともなかったが。

 しかし折角なので、僕は単語帳をカバンに仕舞ってステージ上でのパフォーマンスを鑑賞することにした。

 育ち柄、僕は幼少期から様々な芸術や文化に触れてきた。舞踊もその一つだ。世界の様々なジャンルでのトップレベルの演技を見て、目を肥やした。そんな僕の目から評価させてもらうと、やはりこの人たちのパフォーマンスは素人のものだ。体の芯が硬く、動きに緩急が足りない。

 肝心のエリカさんはどうかといえば——うん、なかなか悪くない。この部は実力よりも長幼の序を重んじるのか、センターを務めているのは最上級生のようだが、ダンスの実力では、2年生のエリカさんが少なくともこのメンバーの中では確実に頭ひとつ抜けている。仮にもアイドルを目指していただけのことはあるようだ。
 だが、それでも所詮は高校生レベル。世界のトップダンサーとはやはり比較にならない。正直、このレベルのダンスならば、わざわざ時間を割いて鑑賞する価値はないだろう。

 ——そう思っていた。ダンスが始まったばかりの頃は。

 しかし10秒経っても、20秒経っても、僕はその場から動かず、ステージ上のパフォーマンスから目を離すこともしなかった。
 その間、どうやら僕はずっとステージの右端で踊っている彼女を目で追っていたらしい。正確には、彼女の表情をだ。

 演技中の彼女の笑顔はとても魅力的だった。それこそ世界トップレベルのパフォーマンスに比肩するほどに。もともと彼女はアイドル顔負けのルックスに恵まれているが、そういう単純な魅力とは違う。なにがそんなに魅力的なのか、よく分からない。論理的に説明できない。客観的に評価できない。 
 ただひとつ感じたことは、踊っている時の彼女はとても楽しそうだ。瞳が朝日のようにキラキラと輝いて、この世で一番の幸せ者なのではないかというくらい体が生き生きと動いている。
 なぜそれが、こんなにも魅力的に感じるのだろう。
 踊っているのは彼女であって、僕ではない。
 楽しんでいるのも彼女であって、僕ではない。

 それなのに、彼女が楽しそうに踊っているのを見て、僕も楽しんでいる。
 なぜだろう——

 少し考え、やがてひとつの解にたどり着く。

 ああ、そうか。これが〝共感〟というやつなのか。

 共感、という言葉を僕はよく知っている。心理学では、他者が抱いている感情を感じ取り、あたかもそれを自分自身も体験しているかのように感じる現象を指す。

 だが思えば言葉を知っているだけで、僕には実際にそれを体験した記憶がなかった。
 人の感情などその時々によって絶えず変動し続けるものであり、理屈と違って不安定なものだ。そんなものに振り回されるような生き方は上手くいかないことばかりで、ストレスが多い。他人と感情をぶつけ合って諍いを起こしたり、取り返しのつかない過ちを犯したりすることなど実に愚かだ。ゆえに人生を上手くコントロールするためには、感情という不安的な要素に頼っていてはならない。
 そう考えて生きてきた僕は、人の感情というものをずっと軽視していた。

 だから初めてだった。他人の笑顔を見て、自分も楽しいと感じたのは。

 きっとこれが彼女の持つ〝美少女っぽさ〟というやつなのだろう。他者に愉快な感情を伝える力。愉快に笑っている彼女を見るだけで、人は幸せになれる。だから、たくさんの人が彼女の元へと集まってくる。

 なるほど、道理でサイコパスの僕には分からなかったわけだ——

 そんなことを考えていたら、ふとステージ上で踊るエリカさんと僕の視線がはっきりと交わった。
 その瞬間、彼女は公演中にも関わらず、事もあろうか観衆の中にいる僕に向かってはしたなく舌を出してきた。もちろん僕はすぐに視線を外し、それ以降はなるべく視線を右側に向けないように心がけた。
 まったく、どこまでも破茶滅茶な人だな。

 ボルテージが沸騰しそうなほどの大熱狂の体育館の中で披露された、わずか2分あまりの短いダンスパフォーマンスは、僕のこれまでの人生の記憶に強く深く刻み込まれた。
 

 
 ダンス部のパフォーマンスが終わってから、しばらく体育館に入り口に立って余韻に浸っていると、制服姿に着替えたエリカさんが顔にわずかな火照りを残したまま戻ってきた。

「お待たせ! どう? ビックリしたでしょ」
「いいえ、最初からそんな気はしていました」

 開口一番に得意げに種明かしをしてくるのを素気無くあしらってやると、エリカさんは「なーんだ、つまんないのー」と両手を頭の後ろに回しながら不貞腐れた。

「ですが、ダンスのほうはお見事でした。エリカさんにあのような一芸があったとは意外です」

 彼女の機嫌を取ろうと思ったわけではないが、彼女のパフォーマンスに対する評価もきちんと伝えておく。たとえ相手がサルであろうと、素直に感心したものに対しては賞賛の意を表すのが僕の流儀である。

「ふふーん、そうでしょー? アイドル志望を舐めないでよね!」

 ついでに彼女の機嫌も絶好調になってくれたようで何よりだ。

 このあと彼女はクラスの喫茶店に戻らなくてはならないようだったので、僕らは校門の前まで一緒に行き、そこで別れることになった。

「今日はお招きいただき、ありがとうございました」
「どういたしまして。あたしも楽しかったわ」
「それはよかったです。では、僕はこれで」

 体を反転させ、駅へ向かって歩き出そうとしたが、

「あたしの魅力!」

 直後、背後からエリカさんの澄んだ声に引き止められた。振り返ると、彼女の茶色味がかった大きな瞳がまっすぐにこちらを見ていた。

「ちゃんと伝わったかしら?」

 彼女は以前と同じことを尋ねてきた。だけど、前より少しばかり照れ臭そう。表情が心なしか硬い。外にいる時は【リカリカ】ではなく、完全にエリカさんだからだろうか。 

「はい、伝わったと思います」

 迷わず答えると、彼女の肩から緩やかに力が抜けていくように見えた。

「そう。なら、本当にちゃんと分かったのか、テストさせてもらうからね!」
「テスト、ですか?」
「明日までに動画を仕上げてあたしに提出すること! いい?」

 なんだ、そういうことか。

「分かりました。帰ったらすぐに取り掛かります」
「よろしい! 頑張りたまえ!」

 彼女はやんちゃな笑みを満面に浮かべ、グッと親指を立てた。僕はそれにどうやって応えたら良いのか分からなかったので、とりあえずもう一度軽い会釈をして踵を返した。

 早く家に帰らなければ。
 先ほど体験した記憶が新鮮なうちに、作業に取り組みたい。
 今の僕には自分でも驚くほどのやる気がみなぎっていた。かつてこれほど意欲というものに駆り立てられたことがあっただろうか。

 振り返れば、この日のことがきっかけで、僕は本当の意味で彼女のプロデューサーになることを決意したのだった。



 それから休日を丸々使い潰して編集し、めでたくエリカさんからのゴーサインも受けた《リカリカチャンネル》初の投稿動画は、投稿してからわずか半月のうちにチャンネルで過去最高の再生回数を記録した。

 その後の投稿も続々とヒットし——



 ——気がつけば1年の間に《リカリカチャンネル》は登録者数50万人を超えるほどにまで成長していた。
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