箱入り息子はサイコパス

広川ナオ

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第1章 箱入り息子とFラン女子高生

11 アイドルの魅力

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 初めての収録が終わり、【リカリカ】——ではなくエリカさんが帰って行った後、昼過ぎから僕はさっそく動画の編集作業に取り掛かった。

 パソコンに先ほど撮影したばかりの映像データを取り込み、動画編集ソフトにアップロードする。こちらのソフトも2万円ほどする高性能の代物だ。読み込ませた映像は改めて早送り再生しながら何度も見直し、どういう演出にするか頭の中で構想を練り上げていく。
 
 どんなビジネスでもここが一番難しいところだ。どのような商品ないしサービスがターゲットの興味を引けるのか。そんなことは専門書を読み漁ったってなかなか分かるものではない。市場というのは売り手も買い手も千差万別だ。その中で売れる商品を生み出すには、自らの商品の強みをしっかりと理解し、それをターゲットに向けて巧みにアピールしなければならない。

 そのためにまず重要となるのは、ターゲット層の分析だ。
 僕が調査した限りだと、【リカリカ】の動画を視聴している多くは、彼女と同年代の若者だ。男性も多いが、コスメ動画などの女性向けのコンテンツの人気も高いことから、女性のファンも多いことが伺える。そうなると若者全般に受けるようなデザインの動画にするのが良いだろう。イメージとして参考になりそうなのは、やはりアイドルのような若手の女性芸能人あたりか。

 構想が概ね固まってきたところで、動画の削り出し作業を進めていく。1時間近い収録映像を10分以内の動画2本分にまとめなくてはならないので、全体としてのストーリーをうまく要約していくことを意識しながら、最初のうちは大胆に削っていく。それから映像をさらに細かく研磨しつつ、時折横アングルも織り交ぜることで映像に視覚的な動きを加えていく。

 とても地道な作業だが、苦ではなかった。こういうクリエイティブな仕事はやっていて楽しいし、つい時間が経つのを忘れてしまう。結局その日は夕食の時刻になるまで、ずっとフリールームに引きこももって作業していた。

 そして明くる日曜日の朝。

 昨日に比べて一段とラフな格好で我が家を訪ねてきたエリカさんに、僕はひとまず7割ほど編集が進んだ動画を確認してもらった。ワーキングチェアに座ってパソコンに向かった彼女は、映像を鑑賞しながら「おー」とか「へー」とか「ふむふむ」とか多様な感嘆詞を漏らしていた。

 しかし、しめて20分弱の動画を見終わると、彼女は椅子の背もたれに寄り掛かりながら腕を組んで首を捻った。

「うーん、なんか違うんだよなあ」
「何かご不満な点でもありましたか?」

 後方から尋ねると、彼女は椅子を横に回転させながらこちらを見て言った。

「なんていうかねー、全体的にどーも切り抜くポイントがずれてるのよ」
「具体的にどのような所が?」

 別にダメ出しをされて不快になったわけではない。ただ自らの成果物に対し、客観的視点からどのような評価を受けるのか気になった。

「そうね、たとえば2試合目の最後らへんとか、ちょっとカットし過ぎじゃない? 収録のときはめっちゃ盛り上がってたのに」
「ええ、あの辺りは動画としては不適切な発言などが多かったので」
「なによ、〝うんこ〟が不適切だっていうの? そんなの昭和のアイドルでもない限り誰だって毎日してるじゃない」
「たとえそのとおりでも、倫理的に口にすべきでない言葉もあるでしょう」

 よくいるだろう。何かにつけて羽目を外し、周囲の視線を顧みずに馬鹿騒ぎをする連中が。橋から川に飛び込んだり、夜の街中で裸になったり。ああいうのと同じになってはならない。

 大事なのは、受け手がどう思うか。消費者ファーストこそ、マーケティングの基本だ。

 ——という理屈を説いたつもりだったが、彼女は依然きっぱりとした口調で反論してきた。

「倫理ぃ? テレビじゃあるまいし、そんなこと気にしなくていいのよ! みんなはそういう作られたイメージに飾られない、ありのままのあたしに会いに来てくれるんだから!」
「それでも人前に顔を出す以上は、人として最低限の節度は守るべきだと思います」
「その〝人として〟っていうのは君の価値観でしょ? 世の中の大半は君みたいないいトコ育ちのお坊っちゃまとは違うの!」

 エリカさんの語気が段々と強くなっていく。いつしか椅子を反転させて体を完全にこちらへ向けていた。

 彼女の主張が正しいとは思わないが、間違っているわけでもない。間違ってない以上、それを無理やり押し退けるように反論するのは、僕の嫌いなエゴイズムになってしまう。

 どうやら話し合いは水掛け論の様相を呈してきたようだ。エリカさんには新しいものに出会った時に、それを積極的に吸収しようとする柔軟性があるが、それでも元から人の内面に存在する価値観を覆すことは極めて難しい。それどころか、あまり執拗に説得しようとすると、口論という生産性の欠片もない愚かな事態へとエスカレートし兼ねない。

 まったく、これだから価値観の合わない人間に関わると始末が悪いのだ。

 パートナーとして契約を交わしたばかりで早くも足並み揃わない現状にひとつため息でも吐いてやろうかと思ったが、その前に、エリカさんのほうから思いがけなく落ち着いた声で尋ねてきた。

「ねえ、君はってなんだと思う?」
「魅力、ですか」

 すごい質問だ。相手に自分の魅力を言わせようとするなんて、よほどの図太さがなければ出来ることではない。

 図太いところ、と答えてやろうと思ったが、一応僕もアイドルもどきのプロデューサーもどきとして、タレントの魅力くらいは堂々と語れるべきなのだろう。

「そうですね、行動力があること、でしょうか。あとは感性が柔軟であることとか」
「なによ、その通知表の所見に書いてあるみたいな真面目な評価は!」

 実に彼女らしい、キレのいいツッコミが入る。

「エリカとしてのあたしじゃなくて、【リカリカ】としてのあたしのこと。もっとこう、ないの? 【リカリカ】のこんな所が好き、みたいなの」

 思考的ではなく、感情的な観点からの意見がほしいということか。それなら、

「仮にもアイドルを自称しているわけですから、可愛らしさとか、清らかさといったところではないでしょうか」
「具体的には? どんなところが可愛いと思う?」
「それはまあ、容姿や仕草などかと」

 会話が一度途切れる。何なのだ、この大手企業の採用面接のような深掘り質問攻めは。心なしか部屋の空気がピリピリと張り詰めているような気さえする。

 しかし当のエリカさんにはそんな様子もなく、ワーキングチェアをゆさゆさと揺すりながらながらおもむろに語りだした。

「あたしもあれから少し真剣に考えてみたんだけどさ。アイドルの〝可愛さ〟って見た目や仕草じゃなくて、雰囲気だと思うのよね」
「どういうことですか?」
「ほら、スポーツ選手とかでもよくいるじゃん。実際に顔が整っているわけじゃないのに、なんかすっごいイケメンに見える人って」
「ええ……たしかに」

 僕もスポーツ観戦は嗜むほうだが、彼女の言い分にはどことなく賛同できた。

「あたしだって見た目だけならそこらのアイドルよりずっと美少女だろうけどさ」

 ここは何も突っ込まない。突っ込んだら負けだ。

「でも、世の中には外見だけ可愛くても人気が出ない人はたくさんいるわけで……トップアイドルみたいに売れるのって〝美少女〟じゃなくて〝美少女っぽい〟人なのよね、きっと」
「……なるほど」

 感心した。まさかあのエリカさんがここまで真面目に考察していたとは。

 はっきり言って彼女の意見は論理的ではないし、具体性にも欠けている。それでも説得力は十分にあった。

 たしかに芸能界などにも美男美女というよりも、『美男っぽい』『美女っぽい』と形容したほうが妥当だと思われる人気タレントがいる。ユングのタイプ論によるところの典型的な思考型である僕でさえ、直感的にそう感じる。そういう外見には表れない、伏在的な魅力が重要なファクターであることは、おそらく真理なのだろう。

 それを踏まえた上でもう一度、エリカさんは僕に問いかけてきた。

「ねえ、あたしの〝美少女っぽい〟ところって、何だと思う?」

 美少女っぽいところか——

 今度はすぐに答えられなかった。

 〝美少女っぽさ〟などという尺度は極めて曖昧なものだ。体系化された理論の中に答えを求められるとは到底思えない。ならばきっとその答えとは、彼女の個性の中にあるものだ。

 そういうことなら——ダメだ、お手上げだ。

 僕は心理学的な知見から客観的に他人を分析するのは得意だが、主観的にその人の魅力を感じ取ることが苦手だ。なぜなら他者に関心が持てないサイコパスだから。

「すみません、僕にも分かりません」

 素直に降参した。するとエリカさんは溜め息とまではいかない小さな鼻息を吐き、

「仕方ないわね」

 何やらスマホを操作して椅子から立ち上がった。

「じゃあ君、今度あたしと一日付き合いなさい」
「はい……?」

 まごついていた僕の目の前にずかずかとやって来た彼女は、先ほど操作していたスマホの画面を僕に見せつけてきた。そこに表示されていたのは、彼女の通っている偏差値38の西南高校のホームページだった。

「これ! 来週の土曜日にうちの高校で《卯月祭》があるから、君も来て」
「えっ……なぜ僕が?」

 あまりの唐突さに思わず疑問で返してしまうと、エリカさんはスマホを引っ込め、代わりに綺麗な顔面を僕の鼻っ面に触れんばかりに近づけて言った。

「社会勉強のためよ! ついでに世間知らずの箱入り息子に庶民の文化っちゅうもんを叩き込んであげる!」

 その時、エリカさんの勢いに飲まれて首を縦に振ってしまったことを、僕は久しぶりに後悔した。
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