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令嬢たちは海辺へむかう
優雅なる報復
しおりを挟む夕方、食事のあいだもこの話題で皆、もちきりだった。
「アンダーソンさんにその話を聞いたとたん、あり得るって思ってしまって」
と、ローズが言う。
「そうよね、ローズのお兄さんも、ローズの乳母の…」
キャリーが視線をめぐらせると、ローズが壁際に立っている使用人の女性を指し示した。
「ハリエットよ、口煩いの」
本人を目の前にして、ローズは堂々と言い過ぎじやないかしら。口煩いと名指しされたハリエットは目を見開き、わざとらしい咳払いをしてみせた。
ハリエットは50絡みの小太りで黒髪の女性で、控えめで無口だし、ここへきてもほとんどを部屋でローズの世話をして過ごしているので、私もあまりお会いしていない。
大きな商家の奥さんだそうだけれども、ご両親がまだ鬼籍に入る前から、ローズの世話をしているそうだ。
「それで、街は見れたの?」
アリーナがふと、私にきいた。
「いいえ、なんというか、全く時間がなくて。でも何故ウィリアム殿下がアンダーソン子爵と一緒にいたのかしら?」
ウィリアムは少し首をかしげ、
「アリス夫人に、こちらに滞在している令嬢と話がしたいと手紙をおくった。そうしたら、この男が迎えにきた」
とアンダーソンを指し示した。
「そういうことでしたのね。そうと言ってくださらないから、逃げてしまいましたわ」
そうねえ、とアリス夫人が唇をナフキンで拭きながら、こちらをみた。
「アンダーソンはそういうのに理解があるの。貴女達はお嫁に行ってしまったら、駆け落ちなんてできないんだから、いまのうちよ?」
なんて、無邪気に頬笑む。
「駆け落ちなんてしません」
キャリーが頬を膨らまして言う。
「でも、もし、ラウドさまがそう言うなら、キャリーは従っちゃうんでしょう?」
ローズがキャリーの頬をつついて言った。
「それは、まあ、そうねえ」
キャリーは赤くなってうつむいた。
「でもラウドさまは王宮の執務官でしょう?駆け落ちなんてする必要ないわよね?」
ローズがうっとりという。来年には、キャリーもローズも花嫁になる。
駆け落ちどころか、たくさんのひとに祝福されて、大手をふって結婚できるのだ。
私は、どうすべきなんだろう。本当はわたしこそ、誰か探して遠い国にでも逃げるべきなのかもしれない。
ジークフリードをちらりと伺い見た。いつからこちらをみていたのか、瞳のなかの深いみどり色が煌めいて、美しい口もとがふわりと言葉もなくほほえんだ。理由まではわからない。
スチルの何倍もきれいだわ。と、ため息をついた。まだ、もう少しだけ、そばにいたい。……お願いだから。
「ラウド・クラレンス政務官。他人の生き死にを日がな1日穴ぐらで書き付けるだけの、小役人だな」
とんでもない言葉が聞こえて、私は思索の森から引き戻された。キャリーが、音を立ててカトラリーを取り落とす。ジークフリードは目を見開き、兄を見ている。
アンダーソンが、突然ひきつけたような声で笑い出した。
「黙って下さる?」
低い、地を這うような声でローズがそれを止めた。
異様な沈黙が、食堂に満ちた。ウィリアムは首をかしげて、こちらをみているけれど、どうやら自分がキャリーになにを言ったのか、わかっていないようだ。
どうすべきか戸惑っていると、
「…アリス夫人、晩餐、ありがとうございました…お先に失礼しますわ」
アリーナが突然、優雅に口もとを拭きながらたちあがり、アリス夫人に話しかけた。
「あ、ええ、おやすみなさい」
アリス夫人もぽかんとしたままこたえて、皆はアリーナがながれるような美しい動作で、ウィリアムの側まで歩いて行くのを見まもった。
「ウィリアムさま、上着を脱いでわたくしの方をみてくださいますかしら」
アリーナはウィリアムの横に立つと、そう言った。ウィリアムは、なにを言い出したのか分からずにそれに従う。私たちも何が起きているのか、わからないままじっと見ている。
ウィリアムがアリーナの目の前に立つと、アリーナは氷水の入ったグラスを手にとり。殿下のシャツの肩にもう一方の手をつい、とかけてつま先立ち、お互いの息がかかるほどに、近づいて。
氷水を、ウィリアムの、あたまから、かけたのだ。
「アリーナ・フェニックス!!」
マクシミリアンがアリーナを拘束しようと駆け寄るのを、ウィリアムが腕を伸ばして止めた。
アリーナは美しくルージュのひかれた唇をひきあげてわらって、
「…風邪をひく前にホテルにもどったほうが宜しくてよ?」
そういって立ち去っていった。
少し間をあけてキャリーが泣き出し、ローズがそのキャリーを連れ出してゆく。
窓のそとでは、小雨がふりだしていた。
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