6 / 53
閑話1
戻ることのない道の途中で
しおりを挟む
晴天の霹靂というか、運命は突然に動くものなのだ。
「イライザさま!イライザさま!」
従者たちが駆け寄るのを、私はただ呆然と見守っていた。マクシミリアンと早駆けに出かけると言った私に、いつもながら一緒に行きたいだの、一緒に乗せろだのとわめきたてていたから、乗馬が得手ではないと知りながらも、一人で乗って自力でついてこれるならと無茶を言ったのは私だ。
真新しい馬具をつけた、この日のためにと用意した血統のよい馬を連れてきたイライザの、私を見上げるその表情はいつも通りのやたらときらきらした笑顔だった。
婚約者とはいっても、それは随分と幼い頃から親…とくに私の父である王陛下が勝手に決めてきたものだ。
なぜか男子ばかり産まれる王侯のなかにあって、父王の異母兄の孫にあたるイライザは久方ぶりの女の子だった。それだけで王陛下は彼女を溺愛した。正直、我々王子三人より、あるいは愛妾から正妃に成り上がった義母上より、イライザは優遇され慈しまれた。それこそ実は内親王ではと噂になるほどに。
イライザの母親が病弱ではやくに亡なったために、それは単なる噂にとどまったが、イライザは周囲の愛情を当たり前にうけて育った少女だった。
パーティーがあれば、私の隣には必ずイライザがいた。何ゆえか彼女は私を好いていて、突き飛ばそうが足をかけて転ばせようが、背中にセミの脱け殻を八匹ぶんも投げ込んでも涙目ながらもついてきた。
正直鬱陶しかったし、なによりそうしたとき、王陛下が真っ先に駆け寄って(わたしたちが掴み合いの喧嘩をしても知らん顔で乳母たちまかせの癖にだ)抱き上げ、泥をはらい涙をぬぐってやる姿に、より一層嫉妬心と自己嫌悪でやりきれなくなる。
婚約者、パートナーというより、疎ましい妹のようなものだとおもっていたのだ。
「少し、考えさせていただきます」
敢然といい放った彼女が、未だにベッドから降りられないでいるのだと気づいて、愕然とした。
お前が落馬させたも同然なのだから、責任をもつと誓ってこいと王陛下に詰め寄られてしぶしぶもってきた古くさい指輪は、イライザの趣味ではなかっただろうけれど、何日かまえのイライザなら、飛び付いてよろこんだシロモノ。始祖の王妃の指輪なのだから。
ぞわぞわ、とあしもとから崩れるような恐怖があがってくる。彼女が落馬したと知ったときも、おなじようにかんじたそれは、医師にもう問題ないと言われたときにおさまったとおもっていた恐怖だ。
「ただ、恐ろしいのです」
そういって、たよりなくベッドのうえにすわっていた彼女に、かけるべき言葉がみつからない。
『落馬させてわるかった』?
『婚約指輪を投げつけるような求婚の仕方をしてわるかった』?
謝るべきことは幾つもあったはずなのになにも言えずに扉をしめた。
園遊会はわたりに船だった。からだの具合はもうすっかり回復したと聞いていたから、いつも通り従僕に代筆させて園遊会に誘い出した。多分私はイライザの元通りの姿を求めていたのだと思う。
露出過多のシノワズリのドレスは、うちにきていたデザイナーに、プレゼントとしてつくらせたものだけど、わたしが『思い切りセクシーにしてやってくれ』とふざけ半分でいったから、年増のオールドミスみたいなつくりで、あれを着ていつも通りについてくるイライザを確認できれば、もうこんなわけのわからない気持ちには、ならないとおもったのだ。
イライザは、ドレスを作りなおしていた。
最高級のシルクを、そのうまれた地の民族衣装になぞらえてゆるやかに首もとを辿るような襟の、シンプルながら優美なものに。届いたのは数日ほど前のはずなのに、いつこんなに手直しをしたのかとおもう。
きっちりと胸の前ではストイックにしまりながら、ゆるく結い上げた襟足と、大胆なほどにその真っ白いうなじがみえている。それは、まるでなにか聖女の服の内側をかいまみるような、背徳感を伴う艶をかんじておもわず目をそらした。たかが、首なのに。
わたしがたずねていっても、駆け寄るどころか警戒したようにゆっくりとこちらへすすんでくる。浮かない顔のまま、挨拶を済ませてそっとわたしの肘に手を乗せた。
どうしたらいいのかわからないまま、私はただ彼女をぎくしゃくとエスコートした。
彼女はもう、以前のイライザではない。
無邪気な子供でいられた時代はおわったと言いたいのか。簡単に手にはいったはずのあの笑顔が、懐かしくせつなかった。
「イライザさま!イライザさま!」
従者たちが駆け寄るのを、私はただ呆然と見守っていた。マクシミリアンと早駆けに出かけると言った私に、いつもながら一緒に行きたいだの、一緒に乗せろだのとわめきたてていたから、乗馬が得手ではないと知りながらも、一人で乗って自力でついてこれるならと無茶を言ったのは私だ。
真新しい馬具をつけた、この日のためにと用意した血統のよい馬を連れてきたイライザの、私を見上げるその表情はいつも通りのやたらときらきらした笑顔だった。
婚約者とはいっても、それは随分と幼い頃から親…とくに私の父である王陛下が勝手に決めてきたものだ。
なぜか男子ばかり産まれる王侯のなかにあって、父王の異母兄の孫にあたるイライザは久方ぶりの女の子だった。それだけで王陛下は彼女を溺愛した。正直、我々王子三人より、あるいは愛妾から正妃に成り上がった義母上より、イライザは優遇され慈しまれた。それこそ実は内親王ではと噂になるほどに。
イライザの母親が病弱ではやくに亡なったために、それは単なる噂にとどまったが、イライザは周囲の愛情を当たり前にうけて育った少女だった。
パーティーがあれば、私の隣には必ずイライザがいた。何ゆえか彼女は私を好いていて、突き飛ばそうが足をかけて転ばせようが、背中にセミの脱け殻を八匹ぶんも投げ込んでも涙目ながらもついてきた。
正直鬱陶しかったし、なによりそうしたとき、王陛下が真っ先に駆け寄って(わたしたちが掴み合いの喧嘩をしても知らん顔で乳母たちまかせの癖にだ)抱き上げ、泥をはらい涙をぬぐってやる姿に、より一層嫉妬心と自己嫌悪でやりきれなくなる。
婚約者、パートナーというより、疎ましい妹のようなものだとおもっていたのだ。
「少し、考えさせていただきます」
敢然といい放った彼女が、未だにベッドから降りられないでいるのだと気づいて、愕然とした。
お前が落馬させたも同然なのだから、責任をもつと誓ってこいと王陛下に詰め寄られてしぶしぶもってきた古くさい指輪は、イライザの趣味ではなかっただろうけれど、何日かまえのイライザなら、飛び付いてよろこんだシロモノ。始祖の王妃の指輪なのだから。
ぞわぞわ、とあしもとから崩れるような恐怖があがってくる。彼女が落馬したと知ったときも、おなじようにかんじたそれは、医師にもう問題ないと言われたときにおさまったとおもっていた恐怖だ。
「ただ、恐ろしいのです」
そういって、たよりなくベッドのうえにすわっていた彼女に、かけるべき言葉がみつからない。
『落馬させてわるかった』?
『婚約指輪を投げつけるような求婚の仕方をしてわるかった』?
謝るべきことは幾つもあったはずなのになにも言えずに扉をしめた。
園遊会はわたりに船だった。からだの具合はもうすっかり回復したと聞いていたから、いつも通り従僕に代筆させて園遊会に誘い出した。多分私はイライザの元通りの姿を求めていたのだと思う。
露出過多のシノワズリのドレスは、うちにきていたデザイナーに、プレゼントとしてつくらせたものだけど、わたしが『思い切りセクシーにしてやってくれ』とふざけ半分でいったから、年増のオールドミスみたいなつくりで、あれを着ていつも通りについてくるイライザを確認できれば、もうこんなわけのわからない気持ちには、ならないとおもったのだ。
イライザは、ドレスを作りなおしていた。
最高級のシルクを、そのうまれた地の民族衣装になぞらえてゆるやかに首もとを辿るような襟の、シンプルながら優美なものに。届いたのは数日ほど前のはずなのに、いつこんなに手直しをしたのかとおもう。
きっちりと胸の前ではストイックにしまりながら、ゆるく結い上げた襟足と、大胆なほどにその真っ白いうなじがみえている。それは、まるでなにか聖女の服の内側をかいまみるような、背徳感を伴う艶をかんじておもわず目をそらした。たかが、首なのに。
わたしがたずねていっても、駆け寄るどころか警戒したようにゆっくりとこちらへすすんでくる。浮かない顔のまま、挨拶を済ませてそっとわたしの肘に手を乗せた。
どうしたらいいのかわからないまま、私はただ彼女をぎくしゃくとエスコートした。
彼女はもう、以前のイライザではない。
無邪気な子供でいられた時代はおわったと言いたいのか。簡単に手にはいったはずのあの笑顔が、懐かしくせつなかった。
3
お気に入りに追加
124
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
悪役令嬢ですが、ヒロインの恋を応援していたら婚約者に執着されています
窓辺ミナミ
ファンタジー
悪役令嬢の リディア・メイトランド に転生した私。
シナリオ通りなら、死ぬ運命。
だけど、ヒロインと騎士のストーリーが神エピソード! そのスチルを生で見たい!
騎士エンドを見学するべく、ヒロインの恋を応援します!
というわけで、私、悪役やりません!
来たるその日の為に、シナリオを改変し努力を重ねる日々。
あれれ、婚約者が何故か甘く見つめてきます……!
気付けば婚約者の王太子から溺愛されて……。
悪役令嬢だったはずのリディアと、彼女を愛してやまない執着系王子クリストファーの甘い恋物語。はじまりはじまり!
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
慟哭の螺旋(「悪役令嬢の慟哭」加筆修正版)
浜柔
ファンタジー
前世で遊んだ乙女ゲームと瓜二つの世界に転生していたエカテリーナ・ハイデルフトが前世の記憶を取り戻した時にはもう遅かった。
運命のまま彼女は命を落とす。
だが、それが終わりではない。彼女は怨霊と化した。
悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます
久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。
その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。
1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。
しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか?
自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと!
自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ?
ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ!
他サイトにて別名義で掲載していた作品です。
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
悪役令嬢エリザベート物語
kirara
ファンタジー
私の名前はエリザベート・ノイズ
公爵令嬢である。
前世の名前は横川禮子。大学を卒業して入った企業でOLをしていたが、ある日の帰宅時に赤信号を無視してスクランブル交差点に飛び込んできた大型トラックとぶつかりそうになって。それからどうなったのだろう。気が付いた時には私は別の世界に転生していた。
ここは乙女ゲームの世界だ。そして私は悪役令嬢に生まれかわった。そのことを5歳の誕生パーティーの夜に知るのだった。
父はアフレイド・ノイズ公爵。
ノイズ公爵家の家長であり王国の重鎮。
魔法騎士団の総団長でもある。
母はマーガレット。
隣国アミルダ王国の第2王女。隣国の聖女の娘でもある。
兄の名前はリアム。
前世の記憶にある「乙女ゲーム」の中のエリザベート・ノイズは、王都学園の卒業パーティで、ウィリアム王太子殿下に真実の愛を見つけたと婚約を破棄され、身に覚えのない罪をきせられて国外に追放される。
そして、国境の手前で何者かに事故にみせかけて殺害されてしまうのだ。
王太子と婚約なんてするものか。
国外追放になどなるものか。
乙女ゲームの中では一人ぼっちだったエリザベート。
私は人生をあきらめない。
エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。
⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる