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終幕

愚か者の結末

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青い小さな花が咲く、この場所がフィヨールト。

おもったよりずっと荒涼としているのね。ミルラはとっても素敵なところだっていったのに。妖精の姿が見えないのは、私がキンバリーだからなのか、それとももともとそんなに沢山いない?そんなわけはないわよね、妖精の国なんだもの。

私はあまり遠出をしなかったけど、美しい場所はここでなくとも沢山ある。生きてさえいれば、いつかそれを見に行くこともできるはずだわ。

岬の先、変にぽつんとはなれて立っている、ミルラの木に私は歩いていった。雷にでも打たれたように無残に焼け焦げて、葉の一枚も残っていない。幹は無数の傷が付き、そこにまるでかさぶたのように琥珀色の樹液があちこちで小さな結晶になっている。…あのとき、ブローチの鳥が咥えていた木の実と同じ、宝石のように輝く樹液だ。

「ミルラ、わたしよ」
妖精の言葉はもう話せない。マリアになったときは当たり前に見えていたけれど、アシュレイにもどった今ではきっともうミルラのすがただって見えないかもしれない。
「ごめんね、ありがとう」
革袋の中には、あの小さなしんぞうのかけらと一緒に、鱗粉が入っている。

これがミルラの、この木を傷つけて作られるものだと知っていたら私は何ができただろう?

ふとよぎるそれを、首を振ってふりはらった。ブローチを取り出し、枯れかけた木のそばにしんぞうを埋める。
革袋の口をひろげ、残りわずかの鱗粉を出そうとしたとき、どこからか薔薇のかおりがしてきた。
「どうして鱗粉を無駄にする。放っておけばまた別の木が生えるものを」
「それはミルラじゃないわ。姿を現しなさいよ卑怯者」

私の言い方に、バロウズは私のそばに降り立った。長いさらさらの銀の髪には無数の細かな花の咲く野茨がからみ、真っ白い衣装は薔薇の刺繍のある、薄くて柔らかな、蜘蛛の糸のようなもので編まれている。

私はその薔薇の刺繍を見て、ギリッと奥歯を噛み合わせた。

『薔薇になったんだ』

自分の兄のせいで、たったひと枝の薔薇になったバロウズの妹。
彼女と愛を誓いながら、約束を果たせない呪いをかけられた、いつかの時代のキンバリーと、その呪いのせいで数百年も愛や優しさをしらないまま、ただ厳格に伝統を守るほかなかったキンバリー家のひとたち。

そしてバロウズが愛した夕日の髪の乙女。その乙女にかけられた情と加護のために普通の暮らしができずに苦しんだ女性たち。

そして何より、幼いころの、寂しくて寂しくてただ誰かの愛をもとめた私と、おかしなことばかり起きる自分が嫌で屋敷に引きこもっていたかったマリア。

そして、バロウズに命じられて私を拐かすだけのために命をおとしたミルラ。

どうしてそのことを忘れて、バロウズを愛せるというんだろう。

「わかったわ、夕日の髪の乙女があなたのもとを去った理由が」
両手をひろげ、バロウズは尋ねる。
「何を言い出す、ここはフィヨールトだぞ。お前はその薬を飲まなければあっという間に老いて死ぬんだ。さあ、鱗粉を飲め」
私は首を振った。


「あなたのその身勝手な気持ちは、愛とは言わないの…それはただ、気に入ったものを手に入れたい執着心でしかないわ、バロウズ」


愛がなにか、私はマリアの家で教えてもらった。記憶がなくなり、娘の姿をした別人になった私に、
「マリアはマリアだから」
と声をかけたカーラントベルク医師。

マリアの身を案じ、いつでも話をきいてくれるカーラントベルク夫人。

キャルや使用人のひとたちだって、あの屋敷で精一杯はたらいている。

それに、ミルラはどんなことがあっても私の味方だった。私はどんなに身勝手で、どれほど利己的だったかわからないのに、
「君は優しい、君は綺麗だ」
と誉めてくれた。容姿は全く変わったのだから、ミルラが誉めてくれたのは私のこころ。ちいさなあの体全体で、私に優しくしてくれたミルラ。

バロウズの命令だったとはいえ、ミルラはその命をつかって、私に私の家族の愛を見せてくれた。もし、ミルラがそれを見せてくれなかったら、家に帰りたいなんて…キンバリー家の呪いを解こうなんて考えなかったかもしれない。


「バロウズ、貴方の妹は燃えて失くなったわ」

ざわ、とバロウズの冠がうごめいた。風が強くなり、私の方へ野茨の花びらが降ってくる。風はやがて嵐のようになり、花びらはやがて棘にかわって私の肌を切った。

「ロサに何をした、言え」
地響きのようなそれが、バロウズの声だとわかるまでに少しかかった。
「ミュシャが燃え尽きるとき、あなたの妹の薔薇を一緒に燃やしたのよ…炎は薔薇をすべて焼いたわ。キンバリーの呪いは解かれたの」

怒りと悲しみしか感じられなかっただあのキンバリーの屋敷の人たちは、今ごろ解放されてほっとしているかしら。

「あなたにとっては短い時間でしょうけど、私たちにとってはとても長いあいだ苦しめられたのよ」

風が止まった。
「おろかな…加護が無くなれば夕日の髪の乙女は困るのだぞ」
「あの家には知識があります。知っているでしょう?屋敷の何倍もある巨大な温室と研究所を…あの場所でカーラントベルク家以外の医師や薬剤師がどれほど働いているか、わかっているのでは?彼らは誰も加護なんて必要としてない」

レイモンド様が植物園で教えてくれた。加護でできたのは、ただ最初に植物について必要な知識をえることだけ。あとのすべては彼らの研究者としての情熱と、患者を治したいという使命感がしたことだ。

『加護を喪うとしても、僕はかまわないよ。それより一人でも多くの患者の助けになる、医師でありたいとおもうだけだ』
もしバロウズを倒したらカーラントベルク家は困るのではと言ったら、真摯な表情で話してくれた。

お義父さまは私が倒れたあと、どんなに不敬と言われても、私の名誉のために戦おうとしてくれた。
お義兄様は、剣が効かない相手だとわかっていても、私を守るために一緒にきてくれたんだわ。

バロウズがやっていることは、愛なんかじゃない。

「バロウズ、皆を解放して」
「ああわかったよ、だから、早くそれを飲んで。そしたらキンバリーの家にも加護を…」
私は頭を振った。
「呪いも加護もいらないわ」
「では何が欲しい?」
ふうっ、と私はため息をついた。

「……何を与えられても、何を奪われても、私は貴方のものになりたいなんておもわない」

身勝手な、精霊の王。バロウズは信じられないものをみるように私を見た。はじめて私というものを、見たような顔をして。
「何を言っている、私は緑の精霊王だぞ」
「罰をあたえる?また私を薔薇の枝にでも変えてキンバリーの庭に植えるのかしら?芸の無い男ね」

そんな風に罵られたことのないバロウズは、口をぽかんとあけて私をみていたが、やがて怒りと憎しみに染まった表情で私の方へと冠の棘を伸ばしてきた。
「愚か者、だわ」
私は目をできるだけあけて、バロウズをみる。

「なんだと?」
「花言葉よ、人間が勝手につける、花に託した手紙のようなもの…オダマキの花言葉は『愚か者』」
棘がわたしの手足に巻き付き、血が流れる。
「人間ごときが生意気に私を愚弄するのか」
「それがあなたの本音よね。人間なんて下らぬ生き物だと思いながら、美しい見た目の女の子は飾りとして欲しがる…ミュシャと…悪鬼たちと同じだわ!」

ギリギリと音をたてて棘はまるで蛇のようにわたしの体じゅうに巻き付いてきた。
「…っ、やっぱり、人を苦しめて、喜ぶなら貴方はもう、緑の精霊王なんかじゃないわ…ただの悪鬼よ…」
ギィィィ、と締まる棘。ああ、もう息ができなくなってきたわ…

ちらり、と落とした革袋を横目で見ると、誰かの白い手がそれを拾うのがみえた。

「アシュレイお姉様を離して!」

その言葉に、棘が止まった。
「夕日の髪の乙女、なぜここに」
バロウズは慌てたように棘を私から離した。
「ミルラのブローチが燃えたとき、沈薬もつやくの匂いがしたの。それをたどって、あの迷路をぬけたのよ」

ミルラのかおりが残っていたから、まだ道があいていたのね…
「アシュレイお姉様、帰りましょう。まだ間に合うわ、ここに鱗粉があるのだから」
マリアはわたしを手まねいた。しかし、そのマリアの方へバロウズがまたつるを伸ばす。

「ダメだよ帰っては。そうだ、アシュレイが嫌なら乙女がいい。その袋の中の薬を飲んでみないかい?永遠に美しいまま、ここで妖精の女王になるんだ。夕日の髪の乙女、今度こそ私とつがいになろう…」
「絶対に嫌です」
バッサリ断ったマリアは、バロウズを睨んだ。
「だって貴方は私のことが好きなんじゃない。貴方は私のおばあさまの、そのまたおばあさまの…とにかく夕日の髪の乙女なんてシワシワのおばあさんになってずっと昔に死んでいるのよ!」
バロウズが怒りのために棘の冠をずるりと動かした。マリアは思わずあとずさり、パキ、と木の枝がの足のしたで乾いた音をたてた。

ミルラの枝だわ。それも、ずいぶんたくさんある。

私は自分の足元を見た…焼け焦げたミルラの枝が、あちこちに落ちている。そっと、あくまでもそっとそれを拾い、マリアに釘づけになっているバロウズのうしろへと回り込む。

「よほど二人とも消し飛びたいと見える…この私の怒りを甘く見た報いだ!」

マリアのほうに棘を動かした瞬間、私の方にむけられていた棘の枝先が、一瞬だけ下へ下がった。
今だわ…!

ボゴ。

あ、思ったより手応えがないわ。二発め、三発目…ボゴ、ボゴン。んん、柔らかいなあ。
「…だっ…なにを、してる!」
「なぐってます」

ボゴボゴボゴ…ああ、中が焦げていたのね。折れてしまったわ。ようし、次の枝…
「アシュレイお姉様、これを!」
ボゴン!あ、顔面に!怯んだわ!今よ!
「ええい、止めないか!たいして痛くないが、汚れるだろう!煤だらけになるではないか!」
うるさい!バキッ!
「あ、ちょっと痛い!痛い!汚い!」

いつの間にかマリアも参加して、二人で枯れ枝で殴る、殴る…
「大嫌い!」
「バロウズなんてただのオダマキの癖に!」
私たちは口々に文句を言う。文句を言いながら殴り続けるうち、バロウズはまるでダンゴムシの様に丸まって頭をかかえる。

「ミルラを返して!返してよ!あなたなんて…あなたこそただのオダマキになればいいのだわ!オダマキになってしまえ!」
赦せないわ!お義兄さまの宝剣があればよかったのに!こんな、ポキポキの枝なんかで叩いたってなんにもならないわ!

ボロボロ泣きながら、ただ無闇にぶん殴る。

「あっ!」
私がオダマキ云々と言っている間に、マリアが叫んだ。いきおいあまって左手に持っていた革袋を取り落とし、それを私がおもいっきり叩いたからだ。

中身の鱗粉がこぼれ出し、きらきらとあたりに舞い散る。故郷にもどってきて、神聖な力を取り戻し、どんな願いも叶えてくれるミルラの鱗粉が。

それをバロウズが頭から被り、私の願い『ただのオダマキになれ』を受けた鱗粉を吸い込む。

ゲホ、とバロウズはあわてて咳き込むけれど、時既に遅かった。バロウズの体が勝手に回転しながら金の鱗粉を吹き出し始める。

「い、いやだ、そんな、私は精霊王だぞ、この世界にはわたしが必要な筈だ!こんな、あ、アアアアアア」

見る間にバロウズの体は小さく緑色になり、美しかった顔は歪んで縮んで、ぶちぶちぶち、と嫌な音をたてている。こうなると、本当にさっき見たミュシャと変わりないわね。
「そんな、そんな、いやだ」
ギチチチ、ギギギ、と、声がわれて潰れて消えてゆく。

それでも、私のほうへとかつて腕だった葉のような、蔓のようなものを伸ばそうとしてくる。
「……えい!」
私はまだ持っていたミルラの枝で、それを叩いた。
ぺしゃっ、と葉はつぶれ、顔は完全に小さな花の集まりになった。


◇◇◇◇◇◇◇◇
すべてが終わったとき、美しかった精霊王の姿は、ひと群の薔薇色のオダマキへと変化してしまった。

「アシュレイお姉様、どうしましょう…私たち、精霊王をオダマキにしちゃいました…」
マリアが困り果てたというようにつぶやいた。

「ええ、まあ…どうしましょう」
私も口元へと手をあてた。
「ほんとだわ。帰り道もまだきいてないのに」

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