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終章

王宮殿の混乱

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マリエッタの悪癖のおかげで、シャルロットの周りを這い回る黒い虫を一匹、捕まえることができた。
俺は上機嫌を周りに知られぬよう、口元を一文字に結び直して、顔をあげた。

ゲノーム公爵が捕まった放課後から二日後のことだ。


「……よって、この公爵邸の持ち主は本日をもってシャルロット・マレーネ・フェリクス大公妃殿下となる。妃殿下に誠心誠意お仕えするように」
マーカスは兄上の作ったあの書面をよみあげ、俺の方へ差し出す。それを、俺は受け取り、顔をあげた。要するにこの書類は、横領による差し押さえと競売の証書だったのだ。

兄のケビンはゲノーム公爵の横領のことなど露ともしらず、単なるブラフとして作っていたものだが、この際、ありがたく使わせて貰った。ゲノーム公爵が不在のうちに使ったために騙し討ちに近いが、王城の印章と俺の大公印が押されて、押しも押されもしない本物の証書だ。


ゲノーム公爵邸の玄関で、今、俺はできる限り尊大に見えるよう腕を組んで、集めたゲノーム邸の使用人を前に睨み付けている。

「その、あの、御前はどちらに……」
侍女らしき女が、キョロキョロと俺の周りを見回した。
「御前?ああ、ゲノーム公爵か。今頃は城の裁判法廷で、王太子宮での盗難と、大公閣下の土地を土足で荒らした罪について締め上げられているはずだ」
マーカスに冷たく言われ、そんな、と使用人たちは頭をふった。

執事は俺の膝辺りに跪き、
「大公閣下、どうか公爵に寛大なお沙汰を。たったひとりの娘のために、金が必要だったのです!」
と大袈裟に頼んできた。

「ご存知と思いますが、姫君は大変華やかな場がお好きな方!金がかかると常々公爵は頭を悩ませておりまして……」
ハハ、と俺は乾いた笑い声を漏らした。
「シャルロットを縛る麻縄やカビたパンの値段がそれほどまでに高価とは知らなかったな。それともエルミサードの娼館の女達は全員、公爵の娘だとでも言うのか?」
俺の怒りに気づき、執事は両手を組んで頭を下げた。使用人達はもうだれも話したりしておらず、固唾をのんでこちらの方をみている。

「まあ、使用人たちは騙されていたのでしょう。旦那様のお怒りは尤もとは思いますが」
マーカスがとりなすと、執事はええ、と必死に頷いた。
「わ、我々はシャルロットお嬢さまのためにと尽くしてまいりました、ですが、公爵に騙されていたのです!ですから」
「わかった」
俺は片手をあげ、執事の言葉を遮った。

「そうだ、皇太子の婚約者に皇帝ダリアを差し上げた使用人がいただろう?」
ハッとしたように、皆一様にひとりの侍女を見る。
俺とシャルロットが大公領地へ出掛ける前に、ついてこようとした若い女だ。

「あ、あたしはただ!皇太子妃殿下が喜んでくださるところが見たかっただけで!」
チッ、とつい舌打ちがでてしまう。育ちの悪さはどうにもならねえな。びくっとした侍女を睨み付け、
「そうか、では褒美をやろう。シャルロットと同じように麻縄でつないで、シャルロットが食べさせられていたのと同じものを食べさせてやれ。俺がいいと言うまでな」
お許しください!と泣き叫ぶ侍女は侍従達につれて行かれ、俺は再び彼らに向き合った。

「さあ、他にシャルロットの世話をしてくれたのはだれだったか」
俺がエントランスを見回すと、使用人達は跪き、震えていた。とりあえず、今日のところはこの辺にしておこう。

「次に俺がここにきたとき、同じようにシャルロットを愚弄するものがあれば……わかっているな?」
はい、と執事は震えながら何度も床に頭を擦り付けていた。

どちらにせよ、もうシャルロットがここに足を踏み入れることはないとおもうがな。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ゲノーム公爵は法廷で、予想通り締め上げられる結果になった。その過程で、バリー宰相の名前も芋づる式にあがってくる。マルテ、ローシェの二人も証人として呼ばれ、ずるずると悪事は露呈していった。

「ゲノーム公爵はムチ打ちになるかもしれないわよ?もちろん追放でしょうけどね」

それはそれは面白そうに、編集長は身支度を終えた俺の脇に新聞を広げて言う。
「やめてくれよ、シャルロットが見たらショックを受けるだろ」
慌てて新聞を畳み、部屋へ戻っているシャルロットに見えない場所へと放った。
「あらまあ、見ないうちに随分過保護にしてるのねえ。新婚だもの、仕方ないか」
編集長はそう言ってから、数歩さがって俺の服装をチェックした。

「いいわねえ、若い大公って感じ出てるわ!でも、剣は駄目よ」
と、首をふる。
「裁判所は王宮殿と同じで、剣は持ち込めないのよ。残念だけど」
編集長はそう言って手を差し出した。
「……俺が両親の仇討ちをすると?」
と尋ねると、編集長は肩をすくめて苦笑いした。
「あなた今、本当にやりかねない顔をしてるんだもの」
どんな顔だよ。いつもと変わらないだろ?と瞬きを繰り返している間にシャルロットが入ってきた。

黒っぽいベルベットの生地のロングドレスに、葬式やミサのときにしか着けない黒いベールのついた黒い帽子。春の装いにしては、随分と暗い色だ。
「こっちは一足早くお父様のお葬式?剣呑な夫婦だわねぇ」
手早く俺たちを並ばせて、編集長はカメラを取り出した。

「結婚披露のときは、こんなんじゃ困るわよ!二面ぶち抜きの予定なんだから!」


◇◇◇◇◇◇◇◇

初めて足を踏み入れる裁判所は、数百年の歴史を誇る王城の城壁のなかにある建造物としては、数十年とまだ新しい建物だ。

噴水の流れるエントランスをこえて、入り口を真っ直ぐ進むとすり鉢状の大法廷、左右に小中の法廷、奥へ進むと貴族の控え室が並び、右奥は紺と緑の毛氈がしかれて大公家の控え室、左の奥は王城に続く緋毛氈の回廊になっている。どちらも重厚な扉で仕切られ、近衛兵に守られているが。

「久方ぶりだな、シャルロット・ゲノーム」
大公家の控え室にシャルロットと入ったとき、意外な人物がそこに立っていた。
「王陛下にシャルロット・マレーネ・フェリクスがご挨拶致します」
驚いて固まる俺の隣で、シャルロットがフェリクス大公妃の礼をして見せる。慌てて俺も膝をつこうと動いた。
「止してくれフェリクス大公……無礼を申しあげた。シャルロット妃はゲノームではなく今は大公妃であったな」

申し訳ない、と頭をさげた王陛下に驚く。
「陛下、頭をあげて下さいませ」
シャルロットが慌てると、いいや、と陛下は頭をふった。
「大公殿に、頼みがあって来たのだ。まずは息子達の無礼を謝罪しなくてはならん」
困ったわ、とシャルロットは俺を見た。話を聞く他なさそうだ、と俺はうなづいた。


「大公とシャルロット妃は私と王妃がなぜ結婚したか、ご存じだろうか」
俺が陛下は勧めた椅子にかけて、話し始めた。
「ええ、なんとなくは」
いやバッチリ知っているが、いまはごまかしておく。
「大公妃が賢明な御仁で本当によかった。もし二代続けてあのような不祥事を起こしたとなれば、500年続く我が王家は、あの場で本当に終わっていただろう」
いや、服毒自殺しようとしてましたが。といいたいところだが、シャルロットが俺の手をそっと握ってきたから、気が削がれた。

「それで、頼み、というのは?」
シャルロットは静かに尋ねた。それで俺も現実に引き戻される。
「ああ、その……実は、王室は今とんでもない財政難に見舞われているのだ」
ええ?と俺はシャルロットと見つめあった。シャルロットも、首をかしげている。
「勿論、国家の予算としては問題ない。昨年度の税収もきちんとあがってきているしな。だが、情けないかぎりだが王子宮と皇后宮については、もはや破綻寸前といったところだ」
なるほど、そういうことか。普通、皇后宮や王家の宮は、王妃の実家やその親戚が経済的な後見をすることで成り立つ。しかし、いまの王妃に、実家はない。そのぶんをゲノーム家が皇子を後見するというかたちで、シャルロットが幼い時から婚約者の実家として補ってきた。

さらに、シェーンベルク公爵から妻を愛妾として後宮に召しあげ、シェーンベルク公爵家からも、愛妾への後見と王太子宮への支持を得ることで、なんとか後宮としての体面を保ってきたのだ。

「そのシェーンベルク公爵夫人を、マリエッタ嬢は公爵の元へ帰してしまった」
おろかだ、と王陛下は膝を叩いた。
「ですが、ゲノームに代わってゴードン伯爵家が……」
王陛下は、いいや、と首をふった。
「ゴードン伯爵家もゲノーム家と同じように、交易と国内での商売で財を成した家だが、どういうわけか突然その関税が増したと言い出した。今ではただ税金を払うことさえ、苦しいという始末だ」

ああ、なるほど。そういえばマリエッタの母親とゴードン伯爵はエルミサードで出会ったという話だったな。と、俺はため息をついた。俺がこの国側の関を立て直したことで、隣国との鉱石や織物の密輸入に使われていたルートが潰れ、正規の関税がかかるようになった、ということだろう。なるほど、バーンダイクでゲノーム家の客と言われていたのは、伯爵の一族だったか。

「大変、心苦しいのだが、どうか助けてはもらえないだろうか?いや、シャルロット妃を愛妾にとは言わない!ただ、資金的な援助を頼めないだろうか……」

ううむ、と俺は口元へ手をあてた。正直、現在のうちの領地の状況は、あまり良いとはいえない。長年にわたり放置され、インフラはガタガタだし、治安強化と経営にも資金は必要だ。ゲノーム公爵領地からの収入があるとはいえ、こちらは公爵領なので税金を納めなくてはならない。ふむ、とシャルロットをうかがうと、シャルロットもこちらをみていた。
「なにかいい考えが?」
ええ、とシャルロットはうなづき、
「残念ですが、立場上ウィル殿下への後見は私達にはできかねます。ですが、ルカ殿下でしたら、私達にもできることはあるかと思うのです」
ああ、と俺は頷いた。幼い身で後見もなく、母親も後宮を去ってしまったルカ殿下。

散財するマリエッタに取り憑かれているウィル殿下よりは、彼のほうが後見するにしても金額も小さくて済むだろうし、数年後、大公領が落ち着けばもっと纏まった金額を出すこともできるだろう。
「それは、つまりウィルを廃嫡せよと言っているのか?」
王室は目を見開いた。シャルロットは首をかしげた。
「ウィル殿下をどう処分なさるのかは、私達だけでなく国民が注視しているところですわ、陛下」
シャルロットはすうっと目を弓形にして、獲物を狙う猫のような表情をしてみせた。


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