首を切り落とせ

大門美博

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匂う血と鉄

一 理不尽 終

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「たったの三億なんて、、、何故もっととってこなかった」

染河の非難めいた声が支店長室内に響く。

「三田社長によると、まだ初めてですので、、、」

「言い訳はよしなさい、山本融資課長。お前の実力不足だろ」

さっきよりも刺々しい非難めいた口調で言う。

「お前には失望しましたよ、山本融資課長。こんな低レベルな融資課長だったとは、やっぱり『旧M』だな。『旧M』のやつは本当に使えないやつだな」

旧Kや旧Tが旧Mをわざと強調して言うのは、旧Mに理不尽な要求などをする時だ。

旧M、つまり旧都銀行は、バブルが崩壊して就職氷河期になったころ、岸田頭取の方針で、旧都銀行のスローガンを弱者救済に変更し、各社採用人数を減らしている中、採用人数を大幅に増やして世間から注目を浴び、旧都銀行は優良企業ともてはやされた。

山本は、その入りやすさから旧都銀行に入行した。

しかし、それが間違いだったのだ。

良い話には裏があったのだ。

旧都銀行は、採用人数を増やすため、人件費のかかる中堅層を大量に解雇、または出向させた。

しかし、そのせいで若手の教育が不十分になり、旧都銀行はその後、不正融資や新たな不良債権発覚などで信用を落としていった。

教育が不十分だったということもあり、旧M出身の行員は『無能』というレッテルを貼られ、実力がある行員も不遇な扱いをされた。

他派閥の行員が『旧M』と強調して言うのは、旧Mへの差別からである。

「弁明の一つもできないのか?やはり『旧M』は無能だな」

「申し訳ございませんでした」

染河を敵に回してはいけない。

「これからは三田鉄鋼の担当は、田辺君にお願いするよ。君は別に着いていってもいいが、田辺君の邪魔を決してするなよ」

「かしこまりました」



秋村の社用携帯にまた一つのメールが送られてきた。

秋村哲朗さんへ
東三宮支店融資課の秋村哲朗さんですね。また頼みたいことがあります。本日の午後六時に同じ融資課の七尾陽菜さんに、姉に電話してくださいと伝えてください。よろしくお願いします。あと、このメールが誰から送られてきたかは七尾陽菜さん以外に言ってはいけませんよ。
本店融資部長、幾島龍介より

秋村は昨日の田辺の言葉を思い出した。

「幾島には加藤専務っていう後ろ盾がいる。下手に騒ぐと人事権を振りかざしてくるかもしれない、、、、
意味はよくわからないが、もちろん、自分のためにそのメールの内容は必ず実行しろ。」と。



午後六時前、秋村はトイレで用を足していた。左腕につけている腕時計を見るなり深呼吸をした。時計を見ると、ちょうど六時だった。

秋村はトイレから出て、七尾のデスクに向かった。しかしそこは留守だった。

山本も田辺も今は三田鉄鋼本社に行っていて、他の行員もどこかに行っている。融資課にはほとんど人がいない。

行員専用通路に行くと、そこには右手で持った携帯を耳に当て、左手で社用携帯を持ちながら口を開け閉めする七尾がいた。

「わかったわよ。やればいいんでしょ、、、、もう、わかったわよ。わかったてば、『お父さん』、、、わかったから、、、」

どうやら父親と話をしているようだ。だがどうしても楽しそうには見えなかった。秋村には嫌々無理矢理話しているように見えた。

「わかったわよ。きるわよ。じゃあね、、、、、、って秋村!」

やっと気付いたようだ。

「なんのよう?手短にしてよね」

いかにも不機嫌そうに言う。

「あの、、、幾島ゆ、、、」

「はぁー?」突然、七尾が大きな声で叫んだ。

「なんなのみんなして、、、私を辞めさせたいわけ?なんでそんなに、、、しつこく、、、、、、、、、、もう分かったから、、、帰って、、、」

「えっ、、、まだちゃんと伝えれてな、、、、、」

「帰って!」

七尾が大声で叫んだ。目からは水玉がポロポロと流れ落ち、顔は紅くなり、悲しみと怒りが現れていた。

秋村はまだよく状況を掴めていたかった。急に叫び出し、急に泣き始め、憎悪の目を見せてくる。秋村にとっては全く理解できなかった。

七尾はその後うずくまり、大きな声で泣き始めた。秋村にはどうすることもできなかった。



その頃、山本と田辺は社長室に向かっついるところだった。三田夫人のサービスは悪く、十五階まで階段で連れていかれた。

「ごめんなさいね。客人には階段で登ってもらってんの。ご理解頂いた?」

タメ口なのか敬語なのかはっきりしないその口調は人間の心を他人が素手で触ってくるような不快感を感じる。

「別に良いのですが、エレベーターで上がった方が速いのではないかと、、、」

「郷に入っては郷に従え。こんな言葉があるいうようにあんたらもウチのルールに従ってくださ、、、」

電話の音が鳴る。

「あら、電話や、ちょっと失礼、先行ってて」

そう言って一階分程階段を降りて行った。

「あら、、、また電話くれたの?どうお仕事?、、え、何?大丈夫?、、、また、あの親父から、、、別にいいけど、、、何?十億?、、、、で、例の件で、、、分かったわ。今担当者たちが社長室に向かって行ってる。ほんと、、、加藤や幾島も驚くわよ。まさかね、、、、、うん。うん。じゃあまたね」



「十億ですか?いきなり?」
鉄だらけの社長室に低い声が響く。

「はい。支店長命令で十億の融資を、、、」

「そんなのそちらの都合だろ。そんな都合を押し付けないで欲しいな。」

三田社長の返事はすごく真っ当だった。反論のしようがない。

「そこをなんとかできないでしょうか?」

「理不尽なことを言わないでくれないか?なんなら融資依頼の件、無かったことにしても良いんですよ?」

やはり真っ当な返事だ。

しかし田辺も良い返事をする

「では、、、五億、は、どうでしょうか三田社長?」

「五億ですか、、、まぁそれぐらいなら、、、少し考えさせてください」

さすが田辺だ。支店長から言われた最低額五億を承諾させかけている。

「はい。ありがとうございます。さすが会社のトップに立つお方だ」

この接客術を上司にも使えたらどんなに良かったかと、山本はいつも思う。

「ただの会社のトップじゃありませんよ。上場企業の、、、」

電話の音が鳴る

「ちょっと失礼、、、」そう言って右手で持つ携帯を耳に当てた。

「もしもし、あぁきてるよ。、、、額?、、、、、それでいいのか?分かった」

「あの、、、川菱東海さん、やっぱり十億でお願いします」

「よし!」
二人とも心の声が漏れてしまった。
と同時に社長室の扉が開いた。

「川菱東海さん。改めてよろしくお願いします」

三田夫人が頭を下げた。

その時の山本の心は嬉しさの方が勝っていたが、同時に疑問も湧き上がってきた。

何故さっきまで渋っていた十億をたったの電話一本で簡単に認めてしまったのか、どうしても腑に落ちなかった。



「三田鉄鋼?凄いじゃない。しかも東三宮なんかに?普通、神戸中央に頼むでしょ普通は」珠里は驚いたのかいつもより大きな顔で言う。

「そうなんだ。今思えば一番腑に落ちない。東三宮支店なんかより神戸中央支店に融資を頼むのが普通だと思うんだけど、珠里はどう思う?」

山本の妻である珠里は、エリート部署の営業第五部出身で、かなり経験値が高い。困った時は頼りになる。

「何かしら神戸中央には融資依頼できない事情でもあるんじゃない?そこの支店長が因縁の相手とかさ」

「因縁の相手か、、、」

山本はその言葉に崎野課長を思いついた。 

「ちょっと優輝、崎野さんのこと思いついちゃった?あの人、本部からどっかいったかと思ったら東三宮にいて、しかもそれが優輝の異動先だったってね、、、やっぱり旧都銀行の夫は頼りないわね。」

珠里は不満がある時はいつも言う決まり文句だ。

旧Kや旧T、など頭文字で呼ぶ場合は、その派閥を尊重せずにタメ口で言っているようなものだが、正式名称で言うのは派閥への敬意のあらわれだ。

「悪かったな、旧Mで。崎野も旧Mだけどな」
「だから頼りないのよ、、、」

珠里の言葉はまさにそのままだった。社宅の部屋には一つの沈黙が落ちた。

「とにかく、困ったことがあったら、元営業第五部次長の私に聞いてよね。役に立てると思うよ。元営業第五部次長だもの」
「ありがたいです。元営業第五部次長、、、」



翌々日、山本は田辺の書いた稟議書を確認し、支店長に提出するため支店長室に入った。

染河は、いつも通り理不尽なことを言う。

「思いのほか遅かったですね。もっと早くできなかったんですか?これは重要顧客なんですよ?山本融資課長、あなたの管理責任では?」

三田鉄鋼の対応が適当であったので、これぐらいが普通の速さ、逆に速いぐらいだが、、、
「申し訳ございません」

と言うしかなかった。

「やはり『旧M』の融資課長は使えないな。無能だ。よくこんなので融資課長になれたよ」

「大変申し訳ございません」

「やはり謝ることしかできない無能だな。田辺くんに同情するよ。こんな無能な融資課長が上司だなんて可哀想だ」

「大変申し訳ございません」
またまた謝る。 

「もう良い。耳障りだ。とにかくこの稟議書は本部に送るから、まぁ田辺くんが書いたのだから認可されて当然だな。ハハハ」染河が続ける。

「そうしたら次の融資課長は『旧M』なんかに替わって田辺くんに務めてもらおうか。ハハハ」

染河の非難めいた笑い声は支店長室で大きく響き、実際より大きく山本には聞こえた。



「何それ、ウザー。染河さんそんな力無いくせに、口だけ大きいよね」

「まったくだ、、、って言いたいところだけど、染河も意外と力あるぞ。旧Kの支店長って言う肩書きを使えば旧Mの俺なんか簡単に消せる、」

「だから旧都銀行の夫は頼りないのよ。いっそのこと言い返せば?」
「無理に決まってるだろ!」

興奮のあまり、大きな声を出してしまった。

珠里は旧KC(旧川菱中央銀行)出身なねで、言いたくても言えないという不都合を感じたことがないのだろう。さすがの珠里も、言い過ぎてしまったと後悔するような顔をしていた。

その夜から、山本と珠里は話せなくなった。



次の日、山本は心外な報告を電話で受けた。
「そんな、、、」

山本は受話器をガタンと置いた。

「どうしたんですか?課長?」

「認可が、、、降りない、、、」
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